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青木証人 実は経済部長から、現地の
地方事務所長からこういう感心な子があるという報告があ
つた、できるならば
知事から
表彰の言葉でもしてもらいたい、したらどうかという伺いがありました。それがたしか
表彰いたしましたよりも数箇月前かと思います。私は生れが農家の者でありますし、
ちようど調書を見てみますと、二、三歳から九歳くらいの弟妹四人をかかえ、
自分をまぜて五人で、そうして父親がたくなり、引続いて母親がなくなりましてからの事績を大要書いておりました。これは
知事が簡単に
表彰するというようなことではないというような感じがいたしました。それかうちよつと異例ではありましたが、私から金一万円を添えて、本人は
子供だからすぐびつくりするので、
村長にも連絡して、ぜひためになるように、しかも私もついでにそつちに行くから、よくほめておいてもらいたい。そうしてそのときに正式に
表彰するということを申したのです。そして事務所長並びに
村長から再度詳しい報告をと
つてみますと、ますますちよつと例のない、しかもただ
善行というような、生まれながらにして行
つたということでなしに、とにかく実際面に、このせちがらい世の中で、二、三歳から九歳までの弟妹四人をかかえて、わずか十四、五歳の
子供がこれだけのことをするということは、私はちよつと神わざでなければできないことだということを痛切に感じまして、そうして実はひどく感銘を深くいたしまして、単なる
子供の
善行というような
意味でなしに、人間としてこういうことができるだろうかというふうに、調べれば調べるほど非常に強くそういう感じがいたしまして、かような
表彰をいたすことにいたしました。それが新聞記事に出ましたもので、当時の
愛媛県
民事部のサールス司令官がわざわざ私のところまで参られまして、
自分はぜひこの子に会いたい。しかも現地へ行
つて、その子の家でほめてやりたいという言葉がございました。それでは
一緒に参りましようということにいたしましたが、
ちようど私は当時公務のために行けませんので、県からは私の代理を差向けたのであります。正式の
表彰の
手続をいたしまして、そしてサールス司令官みずからそこに参りました。私のところは代理者の経済部長が参りました。さようないきさつでございました。