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濱田証人 どのくらいの
赤字かと今言われたのですが、正確に申し上げる
段階まではまだ行
つておりません。何となれば現在まだ
清算の進行中でありまして、
最後において幾らになるかということを断言し得るほどの勇気をまだ持
つておりません。ただ今や
つている
状況から
——これは違
つて来ればそのときに修正しなくてはなりませんが、今の
状況から一応推定いたしてみますと、この三月末の推定のバランスシートをつく
つてみますと、大体五十億、ほんのわずかに五百万円くらい切れるかどうかというところへこぎ蒔けております。これはもう少し話さぬといかぬのですが、もう
一つ先を推定しますと、非常に有利な
材料と不利な
材料と二つあります。有利な
材料と申しますのは、
前回の
国会でいろいろ
資料を出しましたように、いわゆる
現物不足というものがある。この
現物不足をとことんまで追究して行
つて明らかにするというその裏を返せば、とるべきものは
薪炭会計で回收する。こういう
作業が大きな
作業として残
つておるわけであります。まず四割
程度まで進行しましたが、まだ大部分が残
つておるわけであります。これを取出しまして、再検討して確立して行く。こういうことが有利な
材料といいますか、
赤字をもう少し少くする
材料であるということが
一つ。今度は不利な
材料といいますのは、現在
相当程度政府が未
收金を持
つております。これの取
立ては
相当厳重にや
つておりますが、
最後においてどうなるかということを今にわかに断言しかねる点がありますからして、これが不利な
材料になる。これを差引きしてどうな
つて来るかということは、今のところ断言できない
状況であります。
それからもう
一つの点の、
赤字はどうしてできたかという
原因であります。これは
昭和十五年からや
つておりまして、その
経過というか、そのときの
経済情勢というか、あるいは
状況といいますか、その方から一応説明する方が、根源に追
つて行くのに便利であろうと考えるのですが、
赤字の
原因といいましても、
時代によ
つて内容的なものが違
つて来ておることが、従来の書類を見ておりますとはつきりわか
つて来ます。これを大わけに考えてみますれば、
需給声非常に
逼迫してお
つた時代、黒い色をしておれば、あれは炭じやないか、ほしいというふうに
消費者が飛びついて来るような
時代、それを逆に言いますれば、
政府としてはそういう
時代であるから、何が何でも
生産を増強し、できるだけたくさん供出してもら
つて、そうして
配給する、こういう
需給調整の重大な使命があるわけです。
従つてそういう
需給の
逼迫した
時代、
時代的に見ますれば
昭和十五年の初めから二十二年をかけて二十三年の
前半期まで、この
需給の
逼迫した
時代は、どちらかといいますれば
産地側に
重点を置くわけです。
消費者としては、黒い色をしておればあれは炭じやないかと飛びついてくる。われわれはこの
産地からどうしても出さぬと
需組調整の
目的は達しない。そこで
産地側に
重点を置いて行く。その逆を言えば、
産地側は強くというか、
産地側から見れば非常に強気にな
つておる。そこであるときは
価格に対して
——昭和十五年ごろですが、十銭を加算して買うとか、あるいに距離の遠いところは
加算率をふやして買うとか、あるときは季節的に、つまりこういう季節に出したものは特に五十銭高くしてやるとか、あるいは
集荷委託費を出すとか、あるいはあらかじめ私は何俵出す、こういう予約をして、確かに何俵出すということになれば、その人には特に何銭か加算して買
つてやるとかいう
やり方、あるいはまた実質的にその
産地価格の値上げになるのですが、一番初めは
着駅で
買つて着駅で売る、こういう
やり方が、今申しましたように
産地側のごきげんをとるというか、
産地側にだんだん寄
つて行く。
着駅がしばらくしたら今度は発駅にまで行く。発駅がしばらくしたら
山元に入
つて行く。そうして
集荷場所にまで入
つて行く。それでもいかぬからというので、山の奥の
かまをついておるその
かまの前までも買う
場所を進めて行く。こういうふつにだんだん奥に入
つて行くことは、迫を言えば
山元の
価格を何ぼときめておいて、その
価格でもうひとつ山べ入りて行くということは、結局値段を上げたということにもなるので、そういう
需給の
逼迫した
時代は、そういう
経済関係を受けて
産地に
重点を置くかへら、それにいろいろの手を打
つて行いく。そうしてまた供出を促進させる。それから
相当の悪路でも強引にそれをひつぱり出して行くというために、
輸送賃にも
相当むりにむりを重ねる、こい
つた状況がその
需給逼迫時代にはも考えられるわけであります。事実それは
資料によ
つて探求できます。それから二十三年の後半期になりまして、御
承知のように
需給が
相当緩和して来たわけであります。
ちようど二十三年は
需給逼迫と
需給の
緩和とが時期的に混合しているとい
つてもよいような時期でありまして、二十三年の後半期になりますと、
経済界の
不況を受けて、
農村不況がだんだんと深刻にな
つて来ているようでありまして、
木炭とかもあるいは
わら工品とかいうような
農村副業製品は、
農村が不景気になればなるほど
生産がふえて来るわけであります。これは
統計資料によ
つて明らかに出て来る、というのは、それだけ金が話ま
つて来るから、現金化したいものか出て来る。それで
副業に飛びついて行くというので、そういう
関係もあ
つたでありましよう。
生産がぐんとふえて来たわけです。炭が一五〇%、薪などは二〇〇%
計画をオーバしてふえて来ております。ところで
生産のふえて来たことは、物の
需給関係から見れは、今度はその
不況を受けておる
消費者の方において、
購買力というものが退減しておるわけです。なかなか
売れ行きがよく行かぬ、
消費者は昔ならば、黒いものなら炭じやないかとい
つて飛びついて来るが、だんだん物がふえて来ると、
丸俵はいかぬ、
角俵のばりつとしたものでなければいかぬというので、非常にそこにあわてぬでもいいというような
状況に逆転して来たわけです。そうしますと今度は
産地側では、つまり
消費地側の方が強気にな
つて来るといいますか、それに対して頭を下げるといいますか、
ちよつと
政府も非常にやりにくくな
つて来る。こういうかげんで、
前回の
国会資料にも出しておりますように、性格的にかわ
つて来まして、長
尺物の
値下げとか、あるいは備需品の
値下げとか、
横持料を出して、とにかく
配給を頼むとかいうように、
赤字の
原因が、そういう
経済界の
関係を受けて、内容的に
時代によ
つて違
つて来ているということが言えるわけです。
先ほども言いましたように、二十三年度は、
前半期はまだ
需給逼迫の流れを引いておりますし、後半期にな
つて緩和しておりまして、二十三年度になりましてはその
両方が混在しております。従いまして二十三年度の内容を見る場合は、その
逼迫と
緩和との
過渡期の悩みがありまして、今から考えればおかしいようでありますが、
片方においては
特別小出し賃とか、あるいは早期築
窯費とかいうもので
片方においては
つたりといいますか、鞭撻をすると同時に、
片方においてはずつと後半期にな
つて、さあ出て来た、困
つたというので、
備蓄経費とかいうものがどかどかと出て来た。こういう
事情が二十三年度、二十四年度を受けまして、その性格の
緩和が端的に現われて来た。その
建直しにずいぶん懸命に努力したわけでありますが、大勢には抗し得ず、遂に八月一日をも
つて清算期に入る、こういう
状況にな
つております。なおもつと詳しい具体的な数字は、あとで申し上げます。