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馬屋原証人 機帆船運賃の問題を歴史的に見ますれば、
公団の価格決定をいたします場合において、物価庁の指示もありますが、当時は物資の不足した時代でもありましたので、マル公を嚴守するということは、これは非常な努力であ
つたわけでありまして、いわゆるやみ運賃、やみ値段を出さなくは、なかなか計画が実施できなか
つた時代でありましたので、まずマル公を嚴守するということに最大の努力をしたわけであります。その後二十三年のたしか六月だ
つたと思いますが、価格の公定の騰貴が物価庁において認めらまして、その際に機帆船運賃が従来ブロック別のプール運賃でありましたのを、航路別運賃に変更して、運賃の指示があ
つたのであります。その際に物価庁の指示がたしか二・五六倍というような指示がありましたので、業務局といたしましては、これが指示に基いて炭価に織り込む場合に、もしも赤字になるようなことがあ
つては独立採算したいへんだというので、この変更の
内容について実績等を調査いたしてみましたところが、相当な赤字になるということを発見いたしまして、物価庁にこれが改変を申請したのでありますが、指示後でありましたので、容易にこれが変更をしていただけなか
つたために、
公団は赤字克服のために機帆船業者の
代表に出頭を求めまして、こういう点についての実情をいろいろ提示して、これが値引きの交渉を嚴重にいたしました結果、機帆船業者も
公団の言うことに納得いたしまして、当時マル公より一分引と、それから冬季割増し滯船料を五割引にさせまして、赤字の克服をはか
つたような努力もして来たのであります。その後御案内の
通りに二十三年の末に経済九原則が施行されまして、二十四年当初よりドツジ・ラインによ
つて生産原価の切下げ、いわゆる合理化による諸物価の低下を至上命令で指令されました
関係から、輸送の円滑もさることながら、こういう面についての最善の努力をすべく、輸送業者、荷役業者に対して、
公団側からいたしまして、他に率先して値引の交渉をや
つたのであります。その結果機帆船運賃におきましては、
年間を通じまして一割引、これも旧来のごとき画一的運賃でなくて、いわゆる時期的運賃を織り込みまして、すなわち夏場のごとき航海能率のいいときには運賃を安くし、冬場のごとき航海能率の悪いときには運賃を高くするというような、自由経済にもど
つたやり方を研究いたしまして、平均
年間一割引ということで強硬に交渉いたしました結果、機帆船業者もやむを得ないということで、納得さしたという努力の跡もあるのであります。なおその際にも経済界の変動によ
つた、さらに値引きすることができるという、いわゆる経済界に即応した方法によ
つて運賃値下げなり、値上げなりをやる、こういうことも初めてそこから起
つたような次第でありまして、われわれといたしましては最善の努力をいたして来たと思うのであります。なお政府
関係のこういう処置につきましては、農林物資にいたしましても、鉄道の輸送契約にいたしましても、
配炭公団が先駆をなして努力したと思
つておるのであります。その後運輸省が
公団の一分引に対して二分引というような交渉をされまして、決定されたことも承知しておるのでありますが、
公団は計画配船の実施というような面も考えまして、鉄道が値引を一分より以上にや
つたから
公団もただちに二分引ということは、他の点において支障を来すだろうということにつきまして、いろいろと考えました結果、そういう部分的な運賃の引受けにおきましては十分それでや
つて行けると思
つたのであります。しかし
公団は月六、七十万トンの大量な機帆船輸送というものを計画配船にや
つておるわけでありますから、これをいい航路ばかりにや
つた場合には運賃の割引もできましようが、惡い航路に行
つた場合には、むしろマル公以上に拂
つてやらなければ業者は立ち行かないという点を考慮した場合には、そういう措置は
公団の配給計画の実施上、またはこれが円滑なる実施をする上においておもしろくないというような点も勘案しまして、業者においてもがまんのできる程度の交渉をして、本来の配給の円滑化をはか
つて行
つたと思うのであります。