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藤井証人 お答えを申し上げます。非常に大きな問題でございますし、またお答えがあるいは前後いたすかもしれぬと思いますが、ただいまの御質問は、言いかえれば
配炭公団の功罪と
申しますか、こういうことになると思うのでございます。私は
配炭公団がした
仕事の中で、どういうことが
日本の経済の再建に役に立
つたかということについて、まず申し上げたいと思います。敗戰後に
日本の
石炭は非常に減産されまして、一時月額わずかに五、六十万トンというようなさんたんなる状況に
なつた。そこで
石炭の増産がいわゆる至上命令として、あらゆる施策が施されたのでありますが、この間に処しまして、
配炭公団が設立されましたときは、ようやく
石炭の出炭量が月額二百万トンの程度に回復いたしてお
つたのであります。しかしながらこの二百万トンという数字は、その当時の
日本の
石炭の需要から見ますると、非常に不足する
石炭であ
つた。そこでもしあの当時に、全然自由経済によ
つてこの
石炭の販売ということが放任されてお
つたといたしますれば、おそらくは
石炭のやみ取引というものは横行いたしたいと思います。なお
価格もどこまで上
つたかわからないという
状態に
なつたと思います。なお一般
需要家から見ましても、それぞれ
統制をされまして、鉄の値段、セメントの値段、肥料の値段、すべて
統制を受けておる。その他の二次製品も同様でありますが、こういう際にもし計画的に
石炭を
配給する
機関がなか
つたならば、ある特殊の値段を高く買う、金拂いのよい、しかしてそれは必ずしも国家の要請する産業でなくとも、そういうような方面におそらく
石炭は流れただろう、こういうことを私は思うのであります。こういう意味合いにおきまして、あの当時の
状態といたしまして、国の要請する産業に、数量的にも質的にも適切な
配給をするということは、絶対必要であり、なお
配炭公団は、私は不肖ながら私の力の限りをつくまして、その目的は達成できているのじやないかと思います。こういうい
つたような点は、
配炭公団のごとき
一つの
統制機関をも
つてすることによ
つて、初めて遂行し得たものだ、かように考えております。ところが一方、
公団は
最初つくりますときには、いわゆる公社、パブリツク・コーポレションとして出発をいたしましたし、私
どももそうい
つたような意味合いにおいて
公団に入
つたのでありますが、漸次これが
政府機関、遂には
政府の一部という、ま
つたく官庁と同じような
組織にされた。現場をも
つております企業体の性格として、こうい
つたようないわゆる
政府機関としてやるということについては、非常に不便なことが多いし、また能率があがらない、非能率になる、こういう点におきましては、
配炭公団といたしましては性格的に来る欠陷が非常に多か
つた。なお
組織が今申し上げますように非常に厖大で、一万数千人の人を抱え、さらにみずから最後までやらなければならぬというような
組織でありますために、どうしても能動的な運営ができなか
つた。それはまあ私の至らざるところもあると思いまするが、
組織そのものもそのようであり、とかく官僚的に流れ、独善的に流れるという弊害も起
つて来ているというようなことにな
つている。なお、そういうような
機関でありまするがゆえに、一方非常に経済再建上適正配炭をして、利益を與えているが、一方今申し上げるような欠陷もあ
つた。これの功罪いずれであるかということにつきましては、私はそのときと
方法によりまして、どちらかにウエイトがあるというようなことは、これはまあ一般の人の判断にまかすよりしかたがないものじやないかということでございまして、少くともあの当時には、こういうような制度は必要であ
つた。しかしながら
政府機関とし、官庁と同様にしたために、非能率に
なつたから、いろいろ能率の惡い結果で国民にも迷惑をかけている点も多々ある。さらに
公団法それ自体、あるいはまた
石炭の政策それ自体というようなことがからみ合
つて来まして、非常に
公団の赤字を増して来る、こういうような
状態にな
つてお
つた。功罪いずれかということは、私からはいずれであ
つたということは、はつきり申し上げかねるのであります。大体以上です。