○竹尾
委員 私は外務当局に対しまして、この間
川村政務次官にお断りいたしたのでございますが、全面講和の問題で、
相当国民がその点に疑いを持
つておるのではないか、こういう点が
考えられますので、しかも今日おそらく
吉田内閣の不信任案が上程されるでございましよう。その上程
決議案の
理由といたしまして、
吉田内閣は講和
会議に対しては、單独講和、並びに
中立放棄によ
つて国論の分裂を策し云々、こういうような
理由が
新聞に出ております。そういう際でございますから、單独講和であるとか、全面講和であるとかいうような問題をめぐ
つて、
国民も
相当これに関心を持
つておる。
相当どころでなく、非常に関心を持
つております。こういう点で先般
吉田外相は、全面講和は趣旨において賛成である、
川村政務次官も同じようなことをおつしやられた。しかも聽濤
委員の
質問に答えて、それは聽濤
委員の議論として承
つておくというようなことをおつしやいましたが、その点について、私ははつきりした
政府の見解を、それこそ中外にこれは声明しなければならぬということを感じますので、その点について
お尋ねしたいと思うのであります。
世界に二つの民主主義がある。こういうことはだれでも知
つておることでありまして、その二つの民主主義に関連して、たとえば全世界の労働者の組織の点についても、一例をあげれば、ソビエト共産党の指導を受けている世界労連と、これから脱退した自由世界労連というものがある。そういうことに結局は関連いたしますが、全面講和の問題についても、共産党が理論的に指導しているところの全面講和論と、そうでない講和論がある、こう見なければならぬと思う。それには明らかに一九四八年の八月末、ボーランドで、ボーランドの、今ウラスロウと言
つているようですが、前のブレスロウ、そこで文化と平和のための世界知識人大会というものが開かれている、それにはソビエトの一流の作家であるフアジエーフあたりを先頭にいたしまして、世界の一流どころに位する知識人が約六百人ばかり集りまして、この大会を開いた。その大会の
決議によりまして、現在パリに本部が置かれておりますが、平和擁護国際常設
委員会というものが現在パリにできておる。この
委員会の指導によりまして、世界的にいわゆる全面平和
会議というものを開け、こういう指令を出している。そうして昨年の三月末にはニユーヨークで、四月にはパリで、同じく昨年八月にはモスクワで大きな、非常に盛んな大会が開かれました。その後続々各地にそうしたいわゆる平和大会というものが開かれております。おそらく
東京でも開かれたと思いますが、そういう大会が開かれている。ところがこの大会の経過を見ますと、これはソビエトのいわゆる理論的指導者の平和論というものを全面的に受入れまして、そうしてこれに礼讃の辞を贈
つて、終始ソビエトの
外交政策を礼讃している。こういう点が明らかにされている。そうしてこの
決議や宣言を見ますと、それは、真の平和はプロレタリア・デモクラシーの確立なしには不可能である、こういうことをはつきり言
つているそこでそのプロレタリア・デモクラシーを確立させるためには、究極においては平和ということになるかもしれないけれ
ども、その過程においては、これは平和ではなく、
戰争を主張している、こういう点が明らかにされるのでありまして、その点から
考えてみると、こうした続々と開かれつつある平和大会というものは、ソビエト
外交の、いわゆる一翼をにな
つているものであろう。こういうように判断して間違いないと思う。それに関連して、最近特に
考えられることは、全世界的にこの共産党の諸君は、民主民族戰線ということを主張しております。民族の独立と平和の確立を急速に実現しなければならぬということを言
つておりますが、それはとりもなおさず、ソビエト共産党が最初のコミンテルン設立当時に返
つた世界
政策を断行する。つまり一面においては、民族問題の究極的解決をはからなければならぬ、こういうことになると思います。民族問題の究極的解決とは、私はこれはスターリンの言葉をかりるのでありますけれ
ども、これはここで共産党の理論を言うわけではありませんが、スターリンの民族問題の解決というものは、つまり第一次世界大戰直後の、あの講和
会議のときに問題になりました少数の白色民族の独立、つまり当時民族自決権のもとに独立したところのポーランドとか、チエコスロバキアとか、そういういわゆる少数白色民族の自決ではない。問題は東洋における有色の、黒色の、黄色の、そうしたいわゆる彼らからいう被圧迫民族を解放しなければ、とうていこの民族問題の究極的な解決はできない、こういうことを言
つておりますが、今現実に問題にな
つている民主民族戰線というものは、まさにそういうことの実現を表現したところの
政策である。こういうふうにとらざるを得ないと思う。そうなりますと、冷たい
戰争は西ヨーロツパからアジアに移
つたといいますが、これはアジアに移
つたのではない。ソビエトの最も目標とするところは、そうした有色被圧迫民族の解放である。これは彼らが民族自決権に対立いたしまして、民族の
国家的分立権、こういう言葉をも
つて呼んでいる。そうした
国家的分立権ということは、ソビエトの指導のもとにおいて、いわゆる少数民族が独立して行く、アジアにおけるそうした少数民族が独立して行くのだ、こういうことをソビエトの指導のもとにおいてやるのである。それはつまり究極においては、ソビエト式の平和であるけれ
ども、その過程においては、これを闘い取るために
一つの
戰争の手段に訴えなければならぬ、こういうふうにも
解釈されるのでありまして、現在ソビエトの叫んでおります全面講和論というものは、そうした理論的な基礎を持
つていると私は
考えますが、そうした全面講和論に、
政府がこれに共感を感ずるというようなことになりますと、非常な問題であると私は思いますので、ただ單に全面講和論を、これは趣旨として賛成であるとか、あるいはまたそれはお説として承
つておきますということではなく、ここに
政府の見解として、自由党内閣は
戰争の点火者である、挑発者である、保守反動内閣である、こういうことを盛んに言われておりますけれ
ども、この全面講和論に対しまして、もう少しはつきりした
政府の声明というものを私は要望するのでありまして、その点についてひ
とつ政府の明確なる御見解を中外に声明する御
意思はないかどうかということを
お尋ねしたいのであります。