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玉井委員 それは違うのです。そういうやせがまんの答えを私は要求しない。そういうような答えをされるならば、もつと意地惡くいじめようがあるのですが、私はそういうことをしないでいる。しかしそれはいかぬのです。どうしてかというと、先ほど言われたように、
略奪品であるかないかということは、事実上正確に金を拂
つてお
つても、
略奪品としての処分の取扱いを受けたことがあるということ、そこに問題がある。だからはたして
一つ一つのものが
略奪品かどうかということを、一応全部当るということも、実際は容易なことじやない。ところが金を事実拂
つて持
つて来てお
つても、
敗戰の結果、あれは
略奪品だ、ゴムを何トン持
つて来た、何を何トン持
つて来たということで、
略奪品としての処分を受けているところに問題がある。実際上
政府の方で多少金を拂
つて来たとい
つても、実は
略奪品を承知して売
つてお
つたという場合があるのです。もし
資料ができないというなら、
略奪品であると承知して売
つてお
つた場合の
資料もありますが、
略奪品と承知してお
つて、これはうまいもうけ話だというので、配給品であるかないかは別として、統制品だから一応配給の
ルートを通じてとる人もあるし、またそうでない人もある。
ただ法律上で一応
不当利得だというためには、少くとも受取る方の人が、かつぱらいの
品物、贓品ということを知らないでいるということが條件になるわけだ。知
つている場合には贓物故売であるが、そうでないのですから、その点を相当はつきりさせないと、
不当利得だという
理由で
損害賠償してやるという気持は、ここでは生れて来ないということを私は言
つている。だからその点は、簡單に今言われたように、はたして惡意があ
つて拂下げを受けたものかどうかわからぬ、ほとんどないものだと思ういうふうに、逆の推定をされることは、むしろ間違いである。こういうようなどさくさの場合には、どいつもこいつも、逆に全部
略奪品だということを知
つてお
つて買
つた者が大半であるのだが、しかしこれらの
証拠を持
つて来た人の場合には、知らないという
証拠があるのだから、
不当利得として返そうということの方が、愼重であり、妥当であると思う。ことに多くの
人たちが今度の
戰争では相当
被害を受けている。これで相当の損失を受けて、つぶれたところもあるいはあるかもしれませんが、割合にそういうところは少い。むしろそういう小さなところをめんどうを見ているよりも、今日中山さんもお見えですが、未亡人の問題であるとか、その他の問題がある。
戰争被害者をこんなところで救うよりも、ほかに救いようがあるのじやないかということを
考えさせられるわけだ。だからこの場合も愼重に扱う
意味において、立証の問題をもつと嚴重にしてもらいたいと思う。事実上はつきりした立証がない場合には、
戰争のどさくさで、やむを得ずとにかくこういうふうにな
つてしまつたというので、こんなところで変な道義心を出して返そうということを予想するよりも、予想すべきその金額で、社会保険なりほかの仕事をする方が、
戰争に対する
責任をとる
政府として、やはり妥当な
方法だと思う。