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西村(熊)
政府委員 外務省で研究した結果などとおつしやると、まことにはずかしい次第でございまして、実はご質問の
趣旨を伺いましてから私できる限りの材料を集めて、それを整理したものでございます。少し時間がかかると思いますが、事実を御報告申し上げた方が問題の理解がやさしくなるかと思います。
戰争状態の終了の宣言というものが、ここ最近に
なつて皆さんの話題、われわれの話題に上るようになりました。私その理由についてはよく解せないのでございますが、
戰争終了の宣言とか通告とかいう
方式で
戰争が終ることがあるということは、ハイドの国際法とか、信夫淳平博士の国際法講義第四巻にすでに
説明してございます。ここに信夫先生の御
説明の概略を御
紹介申し上げまして、まず問題の概要を御把握願いたいと思うのであります。先生によりますと、大体
戰争が終るのはふだんは
平和條約の締結ということでございます。しかし必ずしもそれには限らないのでございまして、それ以外に大体
三つの場合がある。その一つは征服による国家の滅亡でございます。先生はこの例として南阿共和国とオレンジ自由国が、英国に占領されて両国が滅亡した事実、またごく近くはエチオピア
戰争の
イタリアの
エチオピア国の征服併合による同国の消滅によ
つて戰争は終了した。こういう事実をあげておられます。いわゆる征服による国家の滅亡でございます。第二の形は、これはきわめてまれかと思いますが、自然的に
戰争が終る形でございます。これは
戰争をや
つておる国の双方がともに力盡き
戰争に飽いて、いつとはなく戰場から兵を引いて
戰争が終
つてしまうという形でございまして、これについては十九世紀初めのスペインのアメリカ大陸における
植民地独立戰争、一八〇一年のロシヤとぺルシヤの
戰争とか、一八六二年ないし六七年の
フランスとメキシコの
戰争などをあげております。それから第三の
方式として先生があげておられ、なおハイド教授があげられておるのですが、各自の憲法所定の
手続によ
つて立法的に
戰争状態を終了するという
方式でございます。信夫先生はこれを立法的措置による
戰争終了の
方式、こういう
説明をしておいででございます。
それでは次に先例に入りますが、ここに
最後に問題にいたしております
方式によ
つて、
戰争状態が終了した実例がどうであるかといいますと、大体信夫先生の本には、第一次欧州大戰後、アメリカが対独
戰争関係を宣言で終止させた事例と、同じく第一次世界大戰後、中国が
ドイツとの
戰争状態を、大統領令の公布という宣言によ
つて終了させた例をあげられております。その後ごく最近の例として、私どもはイギリスによるオーストリアに対する
戰争状態終了の通告という例をあげられるか、こう思
つております。それでこの実例を御
説明を申し上げますが、第一次大戰後アメリカでは上院が皆様御
承知の
通り、ベルサイユ
平和條約の
批准を否決いたしましたので、どうして対独
戰争状態を法律的に終了させるかというのが問題とな
つたのであります。それで一九一九年の八月、上院で一議員がウイルソン大統領に向いまして、大統領の判断では、大統領が布告を発して、その布告で平和克服のことを宣明するということは、大統領の職権上不可能とあなたはお考えになりますか、こう質問いたしましたところが、同大統領は、
自分の判断では
自分がさような権限を持たないばかりでなく、どんな事情のもとにありましても、正式の
平和條約の
批准に先だちて、かような方法をとることに
自分は同意し得ない、こういう返事をしたのであります。そこで大統領独自の権限でこれはできないということが明白になりましたものですから、議会は上下両院の連合決議で平和の克服を宣言し、それが
戰争を終了させようといたしまして、二〇年の五月の合同決議案の提案となりました。その要旨は、
ドイツ帝国
政府と合衆国の
政府及び人民との間に交戰状態の成立したことを宣言した一七年の四月六日の本議会連合決議をここに撤廃し、交戰状態は同時に終了したものと宣明する、こういう合同決議案であります。この決議は五月十六日に可決されましたが、ウイルソン大統領はこれに不裁可の意を表したのであります。間もなく大統領の改選となりまして、ハーディング大統領が就任いたしましたので、議会は二一年の七月重ねて前回と同じような、もつとも多少文句の
修正はあ
つたようでございますが、連合決議案を通過しまして、大統領はこれを裁可しまして対独
戰争は正式にここに終了いたしましたが、その直後にアメリカと
ドイツとの間に
平和條約が締結されたということは御
承知の
通りであります。なお中国につきましては一九年の九月にそういうことがあ
つたのであります。
その次の今度の第二次世界
戰争における英国の対オーストリア
戰争状態終了の通告、これはオーストリアはこの
戰争では解放国としての
地位を與えられておりまして、戰敗国としての取扱いを受けておりません。同国は四六年六月二十八日のいわゆるオーストリア
管理協定で、
連合国との外交回復を認められております。ところが英国は四七年の九月十六日に法律上の
戰争状態の終了の正式通告を同国にいたしました。その通告は私ども全文は持ちませんで、
新聞報道により一
部分の
内容だけを持
つておりますが、今申し上げました
共同管理協定と
平和條約の締結の二つを留保して、
戰争状態を終了するという
趣旨の通告に
なつております。従
つて現在オーストリアは御
承知の
通り連合国の占領
管理のもとに立ちつつ、ほとんど、すべての国と平和的の
関係にある、こういう異常な状態にあるのであります。
なおこの問題を解明するについて、いずこに難点があるかというような点を解明するに一番いい例は、西
ドイツ政府について今取上げられておりますから、西
ドイツについての事態の動きを新聞情報だけでございますが、それによ
つて継続的に見てみる必要があると思います。この西
ドイツいわゆるボン
政府といたしましては、
戰争状態終了の宣言をするかどうかということが、
米英仏三国
政府と西独
政府との間に正式に取上げられております。これは昨年の十一月の九日と十日に行われました
パリの
英米仏三国
外相会議で議題となりましたことは、
新聞報道で当時明らかにされております。たとえば十一月の十二日の
パリのUP電は消息筋の言明として、
外相会議は、
戰争状態の終了は占領軍の撤退を必要とするかもしれぬとの理由で、これに関する措置を延期することに
なつたといわれる。アチソン長官は、アメリカ
政府は
戰争状態終了の宣言後、
ドイツに駐兵するには議会の承認が必要であろうと述べたと報じている。これは私
新聞報道をそのまま繰返して言
つておりますから、どうかその意味でお聞取りを願います。十一月十五日の
パリからの同じくUP電は、シューマン
外相談といたしまして、
外相会議で対独
戰争状態終了の宣言を討議したが何の
決定にも達しなか
つた、今後研究すべき問題であるとの
趣旨を報じております。
パリ外相会議の結果といたしまして、十一月二十四日に三国
政府と西独
政府との間に調印されましたボン議定書の第九項は、明らかに
戰争状態終了の宣言問題について
規定しております。この條文を訳してみますと「
戰争状態終了の宣言の問題が議論された。
戰争状態の終了はこの議定書の精神に合致するけれども」、「多く」というのはコンシダラブルという英語を使
つてあります。「多くの法律上及び実際上の困難がある。これらの困難について審議する必要がある。」これは條文をそのまま訳したものであります。これによりますと、明らかに
戰争状態終了の宣言というものが
四国によ
つて討議され、また今後も討議されるであろうということを示しているわけでございます。今年になりまして一月の十四日のワシントンUP電は、アメリカ
政府が今年の三月対独
戰争状態終了の
可能性について英、仏、白、オランダ、ルクセンブルグの諸国と
会議することを計画中であるという
趣旨のことを報じておりますが、二十四日のワシントンのISN電報は、アメリカは二十四日対独
戰争状態の早期終結に
反対することに
決定した。ワシントン消息筋は、米国がこのような
決定をしたことは、
戰争状態終結には無数の法的困難があるからだという
趣旨を報じて来ておりますが、昨夕の朝日にも載
つております。すなわちブラッセルからの電報によりますと、こういうことを言
つております。「米、英、仏三国は
ドイツとの間に今なお法律的に存在する
戰争状態を終結させることにつき原則的に
意見の一致を見たものと解され」「オランダ、ベルギー及びルクセンブルグもこの問題について相談にのせてもらいたいと
要請した結果、この三国の見解を米、英、仏に提出するよう求められておる。このようなわけで二月または三月中には、この六箇国の外務省は、その作成した文書の交換を始めるものと見られている。これには次の四つの主要原則を解決しなければならない」といたしまして、第一は、西
ドイツのボン
政府は前
ドイツ第三帝国の後継国家を見るか、または新しい国家と見るか、または両者を合せたものと見るかという点。第二は、占領軍を今後も継続的に駐在させる場合、その基礎をどこに求めるか。それはイギリスかオーストリアでや
つたように、單に
戰争状態は終
つたと一方的に宣言することによ
つて、この点に触れないで行くこともできる。しかし
ドイツの場合には、それでは不満足だと考えられている。第三は、
戰争状態の終結により、
ドイツ政府はどんな義務を負わねばならぬか。これは
安全保障と経済的な義務負担の問題を含むであろう。第四は、ボン
政府は、全
ドイツのための合法的な
政府として承認されるかどうか。以上は新聞の電報をそのまま読み上げた次第でございます。これが西
ドイツについての正式に取上げられています
戰争状態終了宣言問題の大体の推移、それから問題の所在は、少くともこの新聞の信憑性いかんによることはむろん留保いたしまして、見当がつくかと思うのであります。先刻も佐々木
委員の御質問に対して答えましたように、
戰争状態終了宣言というものにつきましては、今申し上げましたように、わずか
三つぐらいの例しかございません。それでこれをどういうふうに考えたらよかろうかということについては、なかなかむずかしい点が多いと思います。また実際これがどういうふうに適用されるかというようなことは——西
ドイツに
関係します今申し上げましたような各種の
新聞報道をごらんに
なつても、なかなかむずかしい問題があるということは、ボン議定書第九項それ自身がコンシダラブルな法律的また実際的な問題があると言いまして、その困難を打開すべく
関係国は研究中であると
新聞報道は報じている次第であります。ですからこういうステージにあります問題につきまして、私が、こういう性質のものであ
つて、国際法上こういうふうな法律効果を生むというようなことは、容易に判定を下せない事柄であります。この点は御了承願いたい。
ただ一般的に考えまして、私が先刻申し上げましたように、
戰争状態終了の宣言なり通告なりというものは、ふだんならば
平和條約によ
つて、
戰争状態が終了しますと同時に戰勝国が戰敗国に課する
條件も確立する。この二つの効果が同時に発生するものであるけれども、この
方式の場合には、いわゆる
平和條約の締結というものは後日に留保して、まず
戰争状態の終了という効果を先に発生させるものである。しからば
平和條約の締結に至るまでの間、いかなる範囲において、またいかなる限度におきまして平和
関係に克服するかという、われわれが一番興味を持つ点でありますが、この点につきましては先例によりましてもまた国際法上考えましても、国際法上
戰争終了の宣言なり通告なりがあ
つたならば、その場合は必ずかくかくの効果を生ずべきものであるという性質のものでなくて、その措置をとるいわゆる戰勝国の
決定いかんによる。その戰勝国の
決定する範囲において、その限度において
戰争状態が終了して、通常の状態が復活するものである、こういうふうに考えざるを得ない。こういうふうな結論に達した次第であります。以上をも
つて私の答弁を終ります。