○松村眞一郎君 私の伺いますのは荒地の回復に対しては補助をすべきものであるという点から出発しておられるかどうかということを伺
つておる。前は補助をしていない。今度は補助をした。何かそこに方針があるのではないかと私は思う。これは定見を持
つて荒地の回復ということの方策を立てて頂かなければ困るじやないかという意味からお尋ねいたしておる。それは
日本の耕地面積が年々減少しておるということを我々は
考えておる。それで非常に憂えておるわけです。
昭和十六年の八月一日の現在では五百八十六万町歩あるのが、二十一年の八月一日には四百九十八万町歩に減
つておる。それか漸く二十二年度におきまして三十一年の八月一日においては五百一万町歩まで、少し盛り返しておりますけれども、農家戸数が非常に増加しておる。で、一戸当りの耕地面積というものは確かに八反歩少し余にな
つておる。これを見ますというと、一戸当りの平均耕作面積というものは年々減少して行
つておる。そういうわけでありますから、農家は非常にその土地の関係においては零細農家に段々転落して行
つておるという
状態であります。その結果寸分の耕地が
災害にかか
つたときに自力で回復するという力は、私は殆んどないと思います。非常に
費用がかかるのであります。そういう場合に前の既定予算のような工合に融資に委せるというようなことを初め
考えられたのであるが、それは誤りであ
つたとお
考えにな
つておるかどうか、どうしてもこれは補助をしなければいけないものであるというふうに
考えられておるのでありますかどうか。その意味は元来耕地というものは或る意味におきましてはまあ河川の洪水とかそれの氾濫とかいうようなことによ
つて生じておる。で、これを非常に広い意味で申しますというと、国の
設備、公の
設備が不完全であるがために耕地が荒廃に帰するというようなことは言い得ると思う。国策としてそういうところに至らないから農耕地を失
つてしま
つた。そういう場合に、ただ補助もしないでうつちや
つて置いて災難に遭
つたのだから、諦めろというような態度をと
つたならば、自己の怠慢に対する反省がないということを私は
考える。今日はその国の行為に対してたとえ過失というものはなくても、例えば刑事補償法というものがあ
つて賠償することにな
つておる。公の
設備について足らざるところがあるがために
災害が起
つたということを
考えなければならない。そうすればそれに対して何らか償いを
考えなければならないと私は思う。それはいろいろと方策が
考えられると思います。例えば新らしく堤防を作る。堤防を作
つた場合にはそれによ
つて掩護地域というものがあるわけです。堤防なかりせばその辺はすべて危險地域になるわけでありますから、その地域全体のものがお互いに助け合
つて非常な
災害を蒙
つたものに対してはお互いにそれを、耕地の替地を與えるというようなことも
考える必要もありましようが、耕作地が耕作地として価値がないということでありますれば、そこに何らかの補償の
考えを私は作らなければいかんと思います。例えば堤防の築き替えをするということになりますと、或る耕地はこの河川敷地ということになる、形の上において、そうすると河川敷地として
賠償すればいいと思います。それから抵当の敷地があ
つたならばそれを又公のものにしで
賠償していいと思う。そのようなことを
考えるというと、それは国で黙
つておくべき性質のものではないと思います。一方において段々農地が減
つて行くという
状況を見なければならん。殊にこの耕作放棄の
状態は
昭和二十三年におきましては、
災害による耕作放棄が六〇%以上にな
つておる、そういう
状態であります。それから一方において、この開墾を非常に獎励しておるわけでありますが、それが
昭和二十年から二十三年末に至るまでの間において、入植に対しで離脱者の率が十九%三というような非常に高率にな
つておる。一方において開墾は獎励するけれども、非常に大なる数において離脱して行くという亡とは開墾の
方面において無理があるというようなことも
考えるければならん。一方におきましては、どうも耕地は減少する。そうして
公共事業費というものはこれは失業対策費ということでな
つておる。失業しないということを
考えなければいかん。で農業者というものは自己の所有地に対して非常に愛着心を持
つておる。何とか努力をして回復したいというその熱意のあるところをよく
考えて、これに国家としては補助じやないのです、私の
考えで言えば、これは
賠償です。国が或る
程度の
賠償をして上げて、そうしてその熱意のある農耕に挺身させることが国の義務であると私は
考える。その見地から見ますというと、補助率がないような予算を二十四年度の本予算にお組みに
なつたということは、私はそういう農耕地に対する親切心が国家として足りないのじやないかというふうに
考えます。そういう意味におきまして、何らかこの耕地の回復については根本方策をお立てになる必要があるのじやないかというように私は
考えるのです。そこで農林
大臣が非常にお困りになられる
立場が私はあると思います。それは国家全体の国土保安に対する根本的な方策がまだ樹立していないのです。それから立ててそれの適用としてここに堤防を造
つた場合、これは万全であるこの堤防はまだ壊われることがない万策の適用として起
つて来なければならん。そうなりますれば、でき
上つた工事はこれは余程の場合でなければ再び
災害にかからないとか、これはまだ怪しいものであるということの判断が明瞭に農林
大臣としてはお付きになるわけです。ところが今日まだその根本的の政策が立
つていないのです。で農林
大臣としては挙げて今度は植林をしなければならん。植林が又或る方策からできておるんじやない。ただ木を植えて置けば水を上流で保存することができるから、洪水に対して幾らか貢献するであろうというようなただ所を
考えないで、その植林をするというようなやり方を今日私はや
つておるのじやないかと思います。非常に
確信を持
つてするならば或る所の
方面に対しては植林はしないということを又断行していいわけです。そんなような根本方策が立
つていないのに、下流の工事を総別的に何とかして救わなければならんという農林
大臣の国家の根本的の方策がないために、非常に困惑の
状態において
災害対策に臨んでおられるということについては私は深く御同情申上げるわけでありますけれども、その下の方の耕地について何らかの恒久施設をする。例えばここに特別会計を立てで一定の金額は必ず耕地の回復のために出すということになると、どの耕地が復旧に値いするものであるか、どの耕地が耕地としては思い切るものであるかというようなことの判断を農林
大臣かしなければならんということになる。そうなれば遡
つてこの河川改修の工事が適当なりや否やということも農林
大臣は
考えなければいかん。
従つて造林の
方面についても遡
つて考えなければならん。こういうことになるわけでありますから、農林
大臣みずから引受けられて、国策が決まらない場合においては自己の
責任の面において、確固たる信念の下に或る方策を立てて逆に国が全体の政策を立てるような工合に助長して頂かなければ私は困ると思うんです。これは農林
大臣が一番困られる御位地においでになると思うのです。そういう意味において先ず耕地の復旧について何らかの方策を立てる。立てる場合は有効にこれを実行しなければならんという
立場から、どうしても国の根本万策を立てねはならんということの熱列なる要望が農林
大臣から出て来なければならんと私は思う。そういうような面についての何かお
考えがあるかどうかということをお伺いしたい。