○木村禧八郎君 私は
日本経済再建の基本的構想につきまして卑見を述べまして、皆様方の御批判に訴えたいと思うのであります。
先ず
日本経済再建の
意味でありますが、これには狹義の
意味と広義の
意味と二つあると思うのです。狹義の
意味は、この間、
経済安定本部で復興五ケ年
計画というものを立案したときに、そこの復旧建設部会でとり上げたごとく、
経済の
再建復旧とは、
電力とか
鉄道或いは港湾、住宅、そういうものの建設、或いは河川の治水、或いは開墾とか都市
計画、こういうものを一定の水準に復旧し建設する、これが狹義の
意味の
経済再建と思うのでありますが、更に広義の
経済再建という
意味は、これは一定の人口、例えば
昭和二十八年における
日本の人口が八千七百六十万人になるとすると、この一定の人口を完全雇用させまして、フル・エンプロイメントさせまして、そうして、この人口に一定の
生活水準、例えば
昭和五年一九年、この平均の
生活水準をこの八千七百六十万人の人口に與え、そうして、この八千七百六十万人の人口に対して
昭和五年一九年の
生活水準を可能ならしめるところの
日本の再
生産規模を作り上げるというのが、私は
日本経済の
再建、広義の
意味における
経済再建と思うのです。私はこの場合、この広義の
意味の
経済再建を問題にいたしたいと思うのであります。
そこで、この広義の
意味の
経済再建を行うに当りまして、先ずその性格が問題になると思うのであります。その性格としては二つあると思うのであります。その
一つは、この
経済再建が自主的な、
自立的な
再建でなくてはならない。これはマツカーサー元帥も、
経済安定九原則を指令いたしましたときに、
経済の自主性がなくては政治の自主独立はない、こう言われておりまするが、その
通りでありまして、
従つて日本経済再建をする場合において、どうしても自主的
経済、
自立経済ということが非常に必要であると思うのであります。
吉田首相は曾て本院において、或る議員が
自立経済、自主
経済について質問いたしましたときに、これを自給自足
経済と混同いたしまして、そうして
日本は、これからは自給自足
経済というような昔の軍国主義
時代の
経済に帰るのではない、こう
答弁をされておりますが、私はこれはもう大変な失言であろうと思います。
吉田首相は、講和問題に対しましてときどき失言をいたしましたが、それ以上に私は大きな失言であると思うのであります。
日本経済の
再建に当りまして、
自立経済と自給自足
経済を一国の総理大臣が混同しておるようで、どうして
日本経済の自主的
再建ができましようか。私は講和問題に関する失言よりも、この
自立経済と自給自足
経済に対するこの誤解、失言の方が、更に私は一層重大であるというように考えておるのでありまするが、(「脱線々々」と呼ぶ者あり)とにかく自主的、
自立的
経済というものが
日本経済再建にと
つて第一の大切なる性格であると思うのであります。それから第二には、言うまでもなくこの
経済が平和的な民主的な
経済でなくてはならない。即ち憲法に保障されているような文化的にして健康的な
生活を八千七百六十万人の人間が平等にこれがエンジヨイできる、享受できるようなものでなければならないのであ
つて、一部特権階級に特権的な
生活を保障するとか、そういうような内容であ
つてはならない。こういうふうに思うのであります。そこで、こういうような性格の
日本経済を
再建するに当りまして、私は
四つの大きな問題があると思うのであります。
その第一は言うまでもなく人口問題であります。人口問題につきましては、御
承知の
通り終戰後千人に二十人の割合で激増しております。終戰後最近までに八百万人も人口が殖えておる。これはスエーデン一国に匹敵する人口が終戰後最近までに殖えてしま
つておる。この絶対的な人口増、これをどうして調整するか。これは重大なる今後の
日本の
経済再建にと
つての問題であろうと思うのであります。第二の問題は、相対的過剩人口、即ち雇用の問題、エンプロイメントの問題、失業対策の問題であろうと思うのであります。それから第三の問題は、
貿易バランスの問題であろうと思うのであります。
貿易收支の問題、
自立経済をや
つて行く場合に
貿易バランスをどうしてと
つて行くか。国際收支をどうして合わして行くか。この点につきましては、
日本の
生産技術の問題、それから労働の
生産性の問題、それから
生産設備の改良の問題。更に
日本の円貨の問題、一ドル三百六十円の問題、これは問題であろうと思うのであります。先程奧さんから一ドル三百六十円の円貨改定の問題についてのお話がありましたが、これは少くとも一割五分乃至二割の円貨切下げを行わなければならぬと私は主張するものであります。と申しますのは、三百六十円為替相場を設定したときに、これはもう円高過ぎたのであります。
吉田首相は、三百六十円の為替相場は、アメリカ
物価が低落したり或いはポンドの切下げが行われるであろうというような将来の事情を考慮して円安に決めたのである、最初一ドル三百円とか三百三十円の説があつたけれども、これを三百六十円に決めたので、円安に決めてあると言
つておりますが、そうではないのであ
つて、その当時の事情を聽きますと、実は三百三十円に決める筈でありましたが、その後アメリカの
物価が一割下つたので、これを三百六十円にした、
従つて四月二十五日に一ドル三百六十円の為替相場を決めたときには、一月頃三百三十円説がありましたが、アメリカ
物価の一割の低落を考慮して三百六十円に決めた。
従つてアメリカの
物価と
日本の
物価との関係においては三百三十円と同じことなのであ
つて、決してこれを円安にしたのではないのであります。
従つて三百六十円というものは、決して将来のことを見込んで円安にしたのではない。これは今年の一月から四月までのアメリカ
物価の低落を入れて三百六十円にした。
従つて三百六十円が円安であるという
吉田首相の、将来を見込んで円安にしたのだというあの説明は、間違
つておると私は思います。若し一ドル三百六十円の為替相場を変えないで、これをどうしても維持して行くとすれば、
日本の
経済は自主性を失
つてしまうのです。固定した
日本の対外価値によ
つて三百六十円を何でも維持するために、
日本の
経済は三百六十円くらいにおいてアジヤストしなければならない。少し通貨を余計に殖やそう、
物価を上げようとしてもできない。雇用を殖やそうとしてもできない。賃金を上げようとしてもできない。
生活水準を上げようとしてもできないのです。一ドル三百六十円という対外価値を固定することによ
つて、
日本の
経済は自主性を失
つてしまう。彈力性を失
つてしまう。こういうような為替
政策はとるべきではない。
日本経済の自主性を失わしめるものである。そういうふうに思うのでありますが、若し三百六十円を変えませんと非常な出血が来ると思うのです。私は、少くとも
世界の
物価の低落、それからポンドの切下げ或いはこれからの価格調整費の補助金の削減等によ
つて、少くとも五割程度の
日本の国内の
生産費を切下げなければならない。併しながら海外のポンド地域における輸入
物価の値上りその他がありますから、彼これ差引いて、私は、ローガン方式その他によ
つていろいろ
生産費を切下げんとしてどうしても切下げることができない分、即ち二割程度は円価の切下げを行う、行わなければ失業、労働強化、賃金の切下げ、こういうものが起
つて、非常に
日本経済は混乱に陷ると思うのです。そういう点が問題になると思います。それから第三は、
生活安定と
資本の
蓄積、これは先程波多野氏を言われましたが、
日本の
経済再建に関して余り
資本の
蓄積がひど過ぎる。そのために
国民生活が非常に圧迫されておる。
国民生活の安定と
資本の
蓄積との調整をどうするか。これがやはり
日本経済再建について重要な問題であると思う。更に第四には、投資と市場の問題、インヴエストメントとマーケツトの問題、例えば
石炭四千二百万トンを本年
計画として堀
つてしまえば、これは売れない。売るところのマーケツトがなくて滯貨とな
つてしまう。こういうふうな不
経済な
経済にな
つております。このインヴエストメントとマーケツト、これをどう調整するか。この
四つが
日本経済再建について重要な問題であると思うのです。
ところで、こういう内容を含んだ
日本経済を
政府はどういうふうに
再建しようとしておるか。
日本の
経済はどういうふうに
再建されようとしておるか。先ず波多野議員も言われましたように、
経済安定九原則の線に沿うて
再建方策は進められておるわけであります。それに則
つて、いわゆるドツジ・ラインによ
つて日本の
経済の
再建工作が進められると思いますが、このドツジ・ラインは、私に言わせれば、これは通貨面からの安定工作をや
つておるのである。そうして極めて古典的な、クラシカルな
安定方策、即ち財政面と、それから為替面、その二つの面から一挙に
インフレを抑えて行く。そうしてその後は
日本経済の自主性によ
つてこれを調整を図
つて行く。あとは統制をどんどん撤廃して、そうして
日本経済の自然調節に任して行く。即ち
経済の合理性、採算性或いはこの価格の作用による、プライシング・フアンクシヨンによ
つて経済の調整を行な
つて行く。或いは
有効需要によ
つてこの
経済の調整を行な
つて行く。こういう
政策にな
つておる。果して私はこういう
有効需要政策によ
つて、或いはこういう
経済の合理性を貫くという採算主義によ
つて、
日本の
経済の、先程申上げたような内容の
再建ができるかどうか。私はできないと思います。
更に、超
均衡予算を組みましたために、
インフレの処理から起つたところのいわゆる安定恐慌は、必要以上にこれはひどくな
つている。その上に対外面から来るところの、これは調整恐慌、即ち為替相場を円高に決めておるために来るところの、海外
物価に対して
日本の国内
物価を鞘寄せしなければならないことから起る調整恐慌もこれに加わ
つておる。その調整恐慌も、ポンドの切下げ、海外
物価の低落、補助金の削減によ
つて更にひどくな
つておる。こういう内容にな
つておるのです、一言にして言えば、自由
経済方式によ
つて日本経済再建をやろうとしておる。即ちア
ダム・スミスの見えざる手によ
つて導かれて、先程申上げたような
日本経済の
再建を図ろうとしておるのでありますが、果してこれでできるでありましようか。財政面において抑えられており、赤字を出すことができない。そこで、この非常な安定恐慌或いは調整恐慌、いわゆるデフレ恐慌を、これを緩和する途はただ
金融政策より外はないのです。ところが
日本銀行から貸出しを多くする
金融政策によ
つてこれを緩和しようとしましても、
日本の今の
金融機構、又今の
日本の銀行、こういうところに金を出して、果してその銀行が
計画的に
日本の
経済を
再建する方面に金を廻すでありましようか。今のようなデフレを続けて行くならば、私は
日本経済に必要な
産業までも潰れてしまう。
有効需要がなければ
産業は成り立たないと、こういうような方式なんです。で、私はそういうような、今吉田
内閣がと
つておるような自由
経済方式によ
つては絶対に
日本の
経済の
再建ということはできない。先程申上げたような
意味での
再建は、私はできないと思います。どうしても
計画経済エコノミツク・プランニングというものを、マニタリー・ステイビライゼーシヨンの裏付け、通貨
措置に裏付けをしてこそ、初めて私が先程申上げたような
日本経済の
再建というものは可能であると、その下において初めて
日本の
昭和二十八年において八千七百六十万の人達が、平和的にして民主的な、文化的にして健康な
生活を私は送ることができるのであると、そういうふうに確信しておるものであります。(
拍手)
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〔岩間正男君
発言者指名の
許可を求む〕