○河野正夫君 終戰以來、解放せられました我が日本
国民は、新らしい憲法の下に個人の自由と人格の尊嚴とを基調とするところの民主主義社会の建設に向
つて公私共に
努力し來
つたのであります。一部保守的な人々からは或いは喜ばれなか
つたかも存じませんけれども、
労働組合運動が異常な速度を以て急激に発達したということは、我が国の民主化にと
つて極めて大きな貢献をしたものと思うのであります。特に知識的な勤労者であるところの官公吏、即ち国家並びに
地方公務員が、これらの民主化の運動の先駆者とな
つて、官公庁
労働組合が
一般労働組合運動の中核的な働きをして來たということは、種々行き過ぎその他のことがあ
つたではあるかも知れませんけれども、少くとも從來の我が国情から
考えまして、これは自然の勢いであ
つたと思うのであります。然るに今や
国家公務員も又
地方公務員も、ただに
労働組合運動という面ばかりではなく、
政治活動の上におきましても、或いは言論思想の活動の面におきましても、甚だしくその自由を制限せられ、又これから制限をせられようとしつつあるのであります。その結果は我が
国民生活の全般を通じまして、自由進取の気風というものが衰え、若しくは保守退嬰の気風というものが起りつつあるのではないかと憂えるのであります。少くとも正義を愛し真理を把持して動かないという民主主義的な勇気を持
つていなければならぬと思うのでありますが、この点において
国民の風潮は後退の勢を
示しておると思うのであります。成る程官公庁
労働組合の一部分の分子が党派的偏向を持
つてお
つたとか、或いは行き過ぎがあ
つたとかいうことは事実でもありましよう。併し一方においては、いわゆる
労働組合の民主化を叫んで、その合法的な運動に苦心惨澹してお
つた多くの人々がいるのであります。この際この
公務員の
政治活動について特段の制限を加える規則が発布せられ、又は何らの合法的根拠のない辞職強要というようなことが一方においてとられるというようなことは、学問の自由を阻害し、更に又日本民主主義のためには角を矯めて牛を殺すというような憂いを感ずるものであります。のみならず我が
国民の民主化を遅らせ、更に憲法精神に反する結果を來すのではないか、こう思うのであります。右のような趣旨に基きまして、
公務員の
政治活動、特に教
職員の教壇追放とか言論封鎖というような一連の事実について、
総理大臣、文部大臣並びに
人事院総裁に対して二三の
質問を試みたいと思うのであります。
先ず最初に、大学教授並びに地方教員の辞職強要乃至は処分ということについてお伺いいたしたいと思うのであります。
一体我が国の教育の再建のために、この物質的乃至は財政的な面と桑に人的な面が重要であることは申すまでもないのであります。然るに現
内閣は本
年度予算におきまして、或いは新制大学の創設に当り、費用を極めて少額、三億しか見積らないとか、或いは又いわゆる六三建築とも称せられるところの義務教育の校舎建築についても、公共事業費がないために、これを本年度は全く見ることはできないとか、或いは更に義務教育の国庫負担費を極めて少額に削
つた結果といたしまして、
定員定額制という難問題が生じ、それによ
つて地方教育当事者は勿論、地方の自治体の
関係者をして極めて困難な立場に追いや
つたことは、御
承知の
通りであります。このように物的な基礎において培うことができないのならば、せめてものこと、人的な面において、例えばその素質の向上とか、数の充実とか、乃至はその教授或いは教員
諸君の職場における喜んで安んじて働き得るような教育の場の整備、並びに教員
諸君の
生活の安定というふうな点について何らかの
努力をしなければならなか
つた筈であります。ところが事実は如何でありましよう。事の勢いは
政府のみの
責任であるかどうかは論でないといたしましても、今日追込まれているところの大学教授
諸君から幼稚園の先生に至る中央地方の教
職員の方には、
一つの大きな不安、地位の不安定という嵐が襲
つて來ておるのであります。教員に整理がない、こういうことは文部大臣のしばしば声明せられたところであります。にも拘わらず、地方教員については、公式な統計によ
つてさえも一万人の
予算定員よりの超過がありまするから、これを何とかして補わなければならぬ。地方
当局が非常に
努力したにも拘わらず、地方
自治庁は通達を発して、いわゆる裸
予算による地方費負担によ
つてこのオーバーした分を賄うということを、地方財政法第二條違反ということによ
つて禁止したのであります。又從いまして教員は、何らかの形で地方教員は整理しなければならぬというので、地方の数府県におきましては、いわゆる定数條例なるものを出して首切りを合法化しておるのであります。ところが、これに関連いたしまして、昨年以來教員の
政治活動ということが教育基本法第
八條違反であるかどうかということに伴
つて問題にな
つて参りました。最近ここ数ケ月間におきましては、この教員整理と関連いたしまして、或る政党に属しているとか、そのシンパサイザーであるとか、乃至は
当局に協力しない者である、能率の上らない者であるという名目の下に、殆んど一定の方向を持
つておる人々のみを整理しようという傾向があるのであります。更に又国立大学におきましても同じようなことが起
つて來ておるのであります。文部大臣の管轄下にありますけれども、これはもとより文部大臣直接の指揮下においては大学の自治は許されておりましようけれども、一大学に限らず、全国的に、全般的に、こういう問題が起りつつあるのであります。形は辞表提出という形において言われておる場合もあれば、ときに地方教官の場合は教育
委員会、大学の場合においては大学管理機関であるところの評
議員会なり教授会というような手を経ておる場合もありますけれども、殆んど大部分は何らか名目だけは三百代言的に立てるけれども、気に入らぬ人間を掃除してしまえという極めて簡單なフアツシヨ的な
考えに基いていると私は思うのであります。これらの一連の出來事を総合して
考えて見ると、これは明らかに
政府が関知していないとは
考えることができないのであります。こういうことが全般的、全国的に行われているということについて、
国民は事実はとにもかくにも、
国民の全体はこれを吉田
政府の反動的な政策の現われである、こういうふうに批判していると思うのであります。(「ノーノー」「おかしいよ」「その
通り」と呼ぶ者あり)
一体、民主主義は申すまでもなく納得の行く政治でなければなりません。然るに教員の整理が、第三者はもとより本人さえも、どういうわけで辞職をしなければならないのであるか、整理されなければならないのであるか、そのわけの分らない口実によ
つて強制されるということは、これは
民主政治下において正しいことでありましようか。大学における正式な管理機関にもかけない、或いは地方においては教育
委員会さえ
承知しない間に整理が行われておるという例も一二に止まらないのであります。私は特定の政党の党員であろうとなかろうと、現実の行動が現在の法規に照して不当である者を処断することに対して決して
異議を申立てる者ではありません。併しながらその処断は、当然やはり合法的に、而も親切な手続によ
つて、納得の行く
方法によ
つて進められて行かなければならないのであります(「その
通り」と呼ぶ者あり)然るにその間違
つた不当な現実行動のあ
つた者であるという理由によ
つて、その理由を本当は持
つておるにも拘わらず、表面は如何にも定数の
関係であるとか、ただ不適格と思うとか、いろいろな理由によ
つて口実を構えて追出そうとする、こういう誠実性のない処分というものが行われていることに対して、私は教育の立場から非常に痛心しておるものであります。問題は、その理由が薄弱なものを、而も不備な手続によ
つて、不親切な
方法によ
つて行おうというところにあるのであります。その上に最も大事なことは、これらの処分を行うことは恰もその
当局者の
意思ではなくして、もつと外の外的な権威の下、止むを得ず行うのであるというふうな
態度をと
つておることにあるのであります。(
拍手)而も文部
当局はこれに対して関知しないというのである。こういうやり方が教育の面で行われることは、真理を追究し、正義を愛し、合法性を尊び、誠実を重んじなければならない教育の場において、如何にもその反対のことが行われておるということになるのであります。
そこで
総理大臣にお尋ねいたしたい第一点は、このような不合理が今教育界に起りつつあることを民主主義政治の立場からどうお
考えになられるのであるか、その御所見を承わりたいのであります。つまり真理を把持して如何なる権力にも恐れないというのが教育者や学者の節操でなければならぬのであります。然るに今日の実相は、このような教育者や学者の立場を無視いたしまして、而も権力によ
つて言論を思想を徹底的に克服するというのでなくしても、弱めようというような
考え方が行われておるのであります。現実の行動は法規で取締ることができますけれども、思想を退治しなければならぬというのならば、これは思想を以てするより外に仕方がない筈であります。思想は思想との対決によ
つてのみ克服せられる。それを国家権力、その他の外的権力によ
つてこれを一掃しようとするふうな
考え方は、
一つのフアシズムであると断ぜざるを得ないのでありますが、この点についての総理の御所見を承わりたいのであります。
第二にお尋ねいたしたいのは、先般
人事院規則の発布を見まして、これによ
つて一般の
国家公務員の
政治活動は制限をせられた。それが更に大学教授
諸君について言うならば、不当な学問の自由に対する彈圧を伴うのではないかと憂えられておるのであります。このような制限を行うということは、先程の他の
質問者の意見にもありましたけれども、一方において
生活を保護して行く、その身分を保障して行くという半面があ
つてこそ、その制限が公共の福祉のために止むを得ないものであるならば、而も合法的に行われるならば、承認し得るところであります。教育の場について申上げますならば、先程も申しましたように、物的な基礎を整備する半面を持
つていなければならない。それは学校の設備についても、教
職員の待遇についても……。ところが総理は
公務員の
給與の値上げは行わないというようなお
考えでありましたけれども、一方において
政治活動の制限が今のように行われておるとするならば、この半面の
給與について、
給與のみならず今言
つたような物的な基礎を培う点についてどうお
考えになるのであるか。極めて片手落ちに
政治活動だけを制限するということが不当ではないか。要するに
公務員の、特に教員
諸君の積極的保護ということについては、如何なる方針をお持ちにな
つておられるかということを承わりたいのであります。
次に……