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岩間正男君 丁度この
法案の
審議が始まりましたとき、予算の
審議が非常に強行されておりまして、これと並行してお
つたものでありますから、私は残念ながらこの
法案の
審議に参加することができなか
つたのでございまするので、今日そういうような立場から少し時間を頂きまして、我々の
態度を明らかにいたしたいと思うのであります。
先ず総括的に申上げますと、
日本共産党はこの
法案に対しましてこれは反対します。我が国の長い文部行政、
学校行政の中、振返
つて見ますというと、今まで私学の果した来た任務というものは、これは非常に重要なものがあ
つたということが言えます。私学はその特色を飽くまで明らかにして、そうして自主的に
運営し、そこに官学で見られなか
つたところの幾多の功績は、これを認めなければならないと思うのでありまして、併し終戰後の樣子を見ますと、これらの
日本の
一つの
教育体系の中にありますところの私学の任務が十分果されないような
段階に来ておる。それは言うまでもなく終戰後物凄く我が国を襲いましたところのインフレであります。この経済的な
條件がいろいろな面からしまして、十分にその機能を発揮させることができない。又戰災によ
つて受けた校舎の損害、こういうようなことの償いのために、非常に多くの苦しみを嘗めて来たということができると思うのであります。現在我々の情報として手にしますものを見ますというと、全国
私学総連の大体の調査のようでありますが、中小
学校の中の約二割が、殆んどこれは企業倒れにな
つておる。又地方においても、もうこれ以上
学校を継続することができないというので、
生徒共身売をしているという
学校も出ておる。廃校した
学校も相当ある。例えば靜岡県では、二十九校のうち六校がすでに廃校にな
つておる。福岡では四十三校のうち五校、東京では二百六十校のうち四校、鹿兒島県では十二校のうち七校、こういうような全国至るところに例が出ておるのであります。又杉並区の敷島高校では、二月初旬から
日本第二学院へ校舎、敷地、
学生二百五十五名も同時に、二百万円で身売したというような痛ましい樣子も出ておるのであります。結局こういうようなところに陥
つておる。又一方から言いますというと、
学生生活はどうかと言いますと、
学生の生活はこれは非常な困難に遭遇しておるということは言えます。昔の
学生の層と現在の
学生の層を対比して考えて見ると、今昔の感に堪えないということができると思います。殆んど現在におきましては、
学生の全体の七〇%ぐらいの者がアルバイト生活に追込まれておるのであります。而も最近の状勢下におきましてはもつとその率が増加して、中には九〇%ぐらいがアルバイト生活に追込まれておるという状態であります。その一、二の例を挙げますと、早稻田大学でありますが、九月十五日で第二学期が始ま
つたのですが、授業料の三千円がなかなか納められないで、そのために三割ぐらいの、今年にな
つてから退学者が出ておるというようなことがあります。
日本大学におきましては現在四割ぐらいの滯納
学生がある。紅陵大学では十一月二十五日現在で滯納者が八百九十六人、これは全
学生二千四百名に対して約四割近くでありまして、これらの者を除籍せざるを得ないという現況に陥
つておる。又授業料は学園経営の面から考えまして、どうしても私立においては増加せざるを得ない。大体最高が年額一万七千円であります。こういうような状態でありますから、これを国立大学の三千六百円と比べると、その負担の強化というものは著しいものがあるのであります。こういうようなふうに、いろいろな実相が示しておりますように、私学の機能というものが、十分に果されない、その大きな原因というものは経済的な原因なのであります。こういうところにこの度私学
法案というものが提出されるのであります。この
法案を我々今まで
検討して参
つたのでありますが、何と言いましても、この
法案の最も中心的な性格は、こういうような苦しい経済的な現実のうちで、私学に対するところの貸付金を與える、或いはこれに対する免税の処置を取る。これらの法的の
措置をする。こういうことが、表面の
建前にな
つておりますけれども、併しそれはそれだけで終らないで、その後には大きな拘束
規定がある。つまり今後これに対する文部大臣並びに都道府県知事の私学に対するところの支配権というものが強化されて来る。そうして
命令に違反した場合には、
閉鎖或いは
解散を命ずる、この條項はこれは非常に重大な
意味を持つものであるということに、我々は考えざるを得ないのであります。例えば苦しくて一本の藁にも縋るというような状態に陥
つておるところの、この私学に対して、今年度の補正予算において一億二千万円
程度の貸付金をする、来年度におきまして二億七千万円
程度の貸付金をする、これは全体の私学の数から見ますときには、実に寥々たるところの金額と言わなければならん。こんなもので私学は絶対復興されるとは思わない。併しながら、而も私学におきましては、そういうような金をさえ期待しなければならないというような窮境に追込まれておる。そこへ持
つて来て今申しました貸付金は、未だ目の前にぶら下
つた餌のような感じがするのであります。この餌を元にしまして、その後からは官僚的な文部行政の大きな支配権をここで復活させようという意図を、我々は読まざるを得ない。ここにこの
法案の大きな性格があるということを、我々は残念乍ら
指摘せざるを得ないのであります。而もこれがこのような案が、この時代の反動的な空気の中で、殊に吉田内閣によ
つて現在強行されておりますところの勤労者の生活圧迫、更に貿易政策、これらとの連関におきまして、人民の自由が非常に奪われようとしておる。このような中に本
法案が出されるということは、大きな特徴的なものであるということを、我々は
指摘せざるを得ないのであります。私はこれを体験を以て今まで感じて来た。
日本のいろいろなこの
学校の動きの中に、
教育界の動きの中に、私達は二十何年間生きて参りました。殊にもあの満洲事変、昭和七年に満洲事変に持
つて行かれますときの、あの前世紀的の学園に対するところの圧迫ということを、私達は忘れることはできない。そう申しておる私自身もその一人の犠牲者である。当時は学園の自治性というものが、それ以前におきましては相当重んじられ、学園は学園の自己責任において、それ機能を発揮して来たのでありますけれども、あのフアツシズムのさ中におきしては、いろいろな形において学園の自由が彈圧され、思想が圧迫され、京大の瀧川事件のごときは到底忘れることはできない。あの事件の直後におきまする成城学園におきますところの、あの自由
教育に対するところの大彈圧のごときは、私自身もその一人の犠牲者として、あの中で自由を獲るための闘いを続けたために、中で真先に馘首されるという体験を持
つておりますので、非常に時代の空気が反動に流れておるさ中におきまして、このような
法案が提出されるということの性格を私は忘れることができない。何故にこの雀の涙程の助成金によ
つて、最も学園の根幹的な使命をなすところのこの自由が、このような形で文部大臣或いは知事によ
つて強化されなければならないかという理由の発見に私は苦しむのであります。そういうような
意味から考えまして、どうしても私はこの
法案に
賛成することはできないのであります。
政府は十分ここで考えて見なくちやならない。私が冒頭に申述べましたような、学園の経済的ないろいろな困難並びに
学生生活の崩壊的な事実、ここまで落としたのは何であるか、この根源について我々は振返
つて見なければならない。つまり
文部省を代表機関とするところの
政府の文教政策が極めて貧困であ
つたということ、そうして單に私学は自分の責任においてやるのだという形式的な名目におきまして、全面的に終戰後の経済政策の悪化の波に煽られてお
つた。これに対して援助の手を差向けなか
つた。差向けたとしても実にそれは寥々たる形で、問題にならないという形で進められて来た。ここに今までの文部政策の無能を私達は
指摘せざるを得ないのであります。だからして先程も申しましたように、今私学は溺れる者は藁をも掴むという状態に来ておるのであります。そうしてこの問題を徹底的に解決する方向に努力するのは当然の任務であるのに対しまして、それを表面のそれに対する補助助成ということを
一つの理由に掲げまして、その後から大きな支配強化の手を延ばそうとしておる。この政策は私達はここではつきり銘記して置かなければならないと思うのであります、だから私は
日本の長いと申しましても、或いは時代の反動の中では直に実現するかも知れないところの、こういうような危險性を持
つておるところの、このやり方に対しまして、もつと見通しのある基本的な立場に立
つて、この問題を我々ははつきり今から肚を据えて処置して置かなければならない。恐らくこの支配権というものが、監督権というものがどのように使われるかという、私学の
自主性がこれによ
つてどのようにこれは圧迫されるか。又先程も申しましたような、こういう思想反動の時代におきまして、この
法案はどのようにでも悪用することができる。そうしてそのために学問の自由、
生徒達の民主化に対する
一つの情熱、
自主性、こういうものが奪われるとしたら、実にこれは重大なる問題と私は言わなければならないのであります。その例は單に
教育法案の狭い枠内だけで我々はものを考えることはできない。もつと少くとも
日本の政治に関與しておる者の立場から考えましたならば、もつと大きな問題とも関連して、視野を拡大して考えなければならない。と言いますのは、例えば労働基準法は世界でも
法律そのものとしては優秀だということを言われておる。併しながらその結果はどのような形で実施されておるかということを考えて見れば明らかであります。又人事院を作
つて、人事院におきましては、これは当然公務員のいろいろな、公務員であるが故に、いろいろな拘束
規定を與えておる。併しながら人事院そのものは同時に公務員の待遇を完全にこれと併行させるということを前提としなければ存在しないわけであります。然るに今日あの人事院そのものも、どのようにこれは
運営されているかということを我々は見れば分るのであります。つまり何ら現在の窮迫した労働者の生活を本当に支えて、保証するに足るだけの
措置をしない。
政府は人事院の勧告が仮にあ
つたとしても、財源的に
措置がないからこれは出来ないということを言
つておる。而も一方においては公務員のいろいろな労働運動の制限をや
つておる。つまりその
法案の、或る一
部分だけを自分に都合のいいだけ、支配階級の都合のいい部面だけ取上げて、他のこれと当然並行しなければならん部面においては、これを等閑に付すというやり方をしておる。この私学
法案はそういう
意味において、私学というものは正にこれに相似た面があります。私学の助成の面、経済的な面に関連する面を持
つて、それと並行して当然それとの連関において、法的な拘束
規定、監督権、
命令権を持つというようなことを言
つておるのでありますが、併し若しもそのような監督権を本当に認めるならば、当然これは私学に対してもつともつと大きな、本当に裏付けするに足るところの、実のある援助をなさなければならない筈であります。然るに先程申しましたように、実にこれは二階から目薬
程度の補助しかしていない。ここに私は先程申しました労働基準法並びに人事院の現在の運動状態と連関して、この私学法を論ぜざるを得ない、残念ながら論ぜざるを得ない。こういうのが
日本の現状であります。こういう点を我々ははつきり見なければならない。子供が今苦しい、餓えているから物が欲しい。併しその物を與えることによ
つて、それは子供の将来の健康に大きな
影響があるという場合においては、先の見通しのある親は子供にその物を與えない。そのような
意味におきまして、この私学
法案そのものの持
つております性格を、私達は非常にこれは危險であると思う。この点から私達はむしろ私学そのものの発展のために、これに反対せざるを得ないのであります。
若し貸付をやるとか、免税をするとかということならば、何もこの
法案を我々は煩わす必要がない。別な法的
措置で十分やることができる。できるにも拘らず、監督権並びに官僚支配権をこれを並行させて、のつぴきならないところの追込んでしま
つた。そうしてそのような形において、このような
法案を飽くまでも押付けて来たというところの文部行政に対して、我々は飽くまでも反対せざるを得ないのであります。
これは今までの過程を見れば分る。この
法案が作られ、そうして今
国会に提出されるまでの経緯を見れば余りにも明らかである。この点については私は余り詳しく触れませんけれども、ここにいられる方々は、この事情については十分にこれは御了承なさるところだと思うのです。私学協会が決して本心からこの
法案に対して
賛成されているのでない。このような
一つの拘束
規定、このような支配権に対しては、飽くまでも私学の本質としては反対するだろうと思う。併しそれを十分に採入れなか
つた。採入れなか
つたところに
文部省の
一つのトリツクがある。ここに我々は
文部省そのものの
態度、そうしてこのような最近の傾向、これは外の
法案なんかとも連関しまして、著しく出て来ておりますところの文部行政に対して、やはり断乎として反対せざるを得ないのであります。これは
私学総連などの責任じやなくて、
文部省自体の、文部大臣自身の
一つの高い見識、
日本の将来、
日本の文教の在り方、そういうものから当然現在におきましては、飽くまでもそれを守り抜くというところの、高い決意に係
つて来なくちやならない。従
つてこの事実は歴史がはつきり証明するということになると思う。我々はこのような歴史の方向に逆に歯車を廻すようなやり方に対しては、
賛成することができないのであります。
またいろいろな問題については、私立大学の
審議会とか、
私立学校の
審議会がある。ここで十分に諮られるではないかという
説明もあり得るかと思います。併しこの
審議会そのものを見ますと、これは諮問機関に過ぎない。決議機関じやない。このような決議権を持たないところの機関、こういうものがどのような役割を実際の運用上においてなされるかということは、
教育委員会そのものはまあ決議権を持
つておるのでありますが、もつとあれがはつきりした形で財政権まで持
つておれば、もつともつとこれは機能を果すことができるのでありますけれども、それと丁度似たような
関係になると思うのでありますが、どうしてもこういうようなものは浮かされてしまう。そうして現実に対しまして大きな力を持ち得ない。或る場合には申訳的な機関になり、或る場合には刺身のつまのような役割を果すというようなことが考えられるのであります。
更にこの
法案の
審議過程を考えますときに、私はもつともつと民主的な手が打たれるべきじやなか
つたかというふうに考えます。一審大きな問題はやはり教職員、更に
学生、こういう人達の意見が十分に反映するというような形で、この
法案は
審議されて欲しか
つたというふうに考えます。何故ならば新らしい
教育を我々は口にするだけではなく、それを本当に打立てよう、実のあるものにしようと考えるならば、当然これは教員、
学生という者は学園
構成の大きな要素であります。三大要素のうちの二大要素をなしている者であります。従
つてこれらの人の意見が今後の学園の
運営の中に十分民主的に反映されるということは、絶対に望ましいことである。ところがこれに対するところのいろいろな意見、反対意見のようなものがあ
つたのであります。
賛成意見もあ
つたかも知れない。併しいずれにしましても、これらの意見というものを、十分にこの
法案成立までの過程においてこれを取上げて、そうしてその意見を反映さして、これについて我々
委員の見識によ
つてこれを取捨選択するということが十分できたのであるにも拘わらず、これは本
委員会なんかでは時間の
関係もあ
つたでしよう。こういう
関係からして、これが十分になされなか
つた。こういう点につきまして、つまり
立法措置としまして一公聽会が持たれたのでありますけれども、十分にこれを
運営するところの時間がなか
つたという点もあろうと思われますけれども、こういう
措置的に不完全なところを私は考えざるを得ない。今日この
法案に対しましては相当反対の意見が強ま
つている。これに対するいろいろな運動も起
つておることを私達は知
つておるのであります。例えば全学連、
私立学校法対策全国協業会、関東私立大学教授協議会、全国大学教授連合、
日本学術会議、これらの
団体におきましては、この
法案はやはり現在の状態においてはむしろ拘束する面が多くて得るところが少いという点から、これに対して全面的に反対しておるのであります。このような意見が今後とも十分に採入れられて、そうしてこれらの意見に対して十分に我々は耳を籍すならば、そうして又
日本の今後の文教政策というものを本当に人民のものにし、そうして立派なものに位置付けるという覚悟を有するならば、このような
法案に対して私は
賛成できないのじやないかというふうに思うのであります。以上申述べまして私並びに
日本共産党の
私立学校法案に対する反対意見といたします。