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岡田喜久治君 今の問題は
吉川氏と全部御同様の
考えを持
つているのですが、これは私少し個人的な
意見ですが、私は非常に速記問題に対しては私ときどき止めて呉れ……今も止めて下さ
つてようございますけれども、実際
委員会というものは打解けた懇談的な
意味の、ものの談義を必要とするし、又事実そういう例が行われておるのです。でこれは特に重要な
法案の審議に対して解釈をどうする、こうするというような場合においては言うまでもなく速記が欲しいです。そういう場合には又実際において行われておるだろうと思うのです。ところがそれに反して、事実においてはもつと打解けた話で以て、そして疑問もあり、質問もあり、或いは本当の質疑の前提であるというような話を取交したいことが多々ある。そういう場合に煩わしき速記を取るということは、それ自体において非常に私議会の
運営の見地から言
つても私自身非常に疑
つている。もう
一つはどうも日本人の性情として、とかくどうも末梢末端に関する論議を取り交すことにな
つて、形式論が甚だしいことは御承知の通りであ
つて、従前衆議院なんかでも一体
委員会は原則として速記を止めるがいいのじやないかというところまで随分行
つたのです。今日は民主主義という形もありますから、非常に事情が変
つております。で多くの場合においては、実はむしろ速記を取ろうとするものは妙な
意見が多か
つたのです。妙な
意見というと尽さない言葉ですが、妙な
意味において速記を無暗に残したいという気風の時代において弊風が多か
つた。だからどうも僕は余り速記を原則として取るとか何とか、今
吉川氏の言われたような見地からも思うし、速記能力を離れた見地からも思うのです。ですからこれは
委員会の
委員長会議の問題で、この会の問題とは思いませんが、そこをどうということを少しは
考えなければならんのであ
つて、必要な場合においてはむしろ速記を取ることはいい。併し必要という限度がむずかしい問題ですが、その気持を以て臨むというお運びがむしろ必要じやないか。私は自分自身粗雑な発言をするものだから、私自身のやつはいつでも速記を止めて下さいというくらいであ
つて、そうでないと本当の論議が尽せない……そこが
委員会の特能ですからというような感じもあるのです。そういうまあ希望だけを申上げて御
参考にして置きたいと思います。