○吉川末次郎君 二つのことを申上げたいのですが、第一は本
会議があるときには成るべく
委員会を止むを得ない場合を除いては開いて頂かないように一つして頂きたいと思います。
もう一つは今論題にな
つております
勧告という言葉についてでありますが、これは私非常にこの意義を明確にして置く必要が
我が国会においてあると思われるのでありますが、戰後非常にこの
勧告という言葉が頻りに使われるのであります。それはどういう言葉から来ているかと調べて見ると、いわゆる
シヤウプ勧告書と言われておるこの册子によりましても、普通
勧告と、戰後言われておりますが、この言葉はレコメンデイシヨンという言葉を飜訳しているのです。ところがレコメンデイシヨンというのは、例えば雇人、番頭、或いは女中などを使う人に、こういう人間をお薦めするというところの、薦める
意味であ
つて、私今古い行政法の本を外の必要で
ちよつと調べておるのですが、昔浮田和民博士がグツドノー博士の行政法の本を飜訳しておられて、このレコメンデイシヨンという言葉を飜訳して薦告という字を使
つておられる。即ち薦めるという言葉なんです。ところが
勧告という日本語の言葉から受けますところの印象というものには、どつかに何かそれが一つの実行上の強制力を持
つておるような、何か忠告、アドヴアイスというような、言葉と同じような
意味があるような印象を日本人が、大体私も受けるのでありますが、外の人も受けるのじやないかと思うのですが、原語のレコメンデイシヨンという言葉からするならば、今
委員長が言われるような
国会にそういうレコメンデイシヨンせられたからと言
つて、何か
国会の権威を損するとか、何か拘束力を受けるという
意味では、実はレコメンデイシヨンという言葉からするのならはないのでありまして、その点はこれは
政府においても
国会においても、このレコメンデイシヨンという言葉を
勧告と飜訳しているということが果して妥当なのや否やということを、一つ相当に私は再検討して見られる必要があると思うのでありまして、我々はレコメンデイシヨンさせ薦られておるのである、こういう案が、ここに出ておるのであ
つて、これを採用しようとしまいと、実行しようとしまいと、これは勝手なんでありますから、そういう
意味にそういう点も解して行くべきである。レコメンデイシヨンが
勧告と訳されているということについて一つこの際我々が十分にもう一度
考え直して行く必要があるということをここに申上げるのです。感想でありますが。