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証人(
福島利雄君)
ちよつと細川さんの
お尋ねに関連して申上げますが、細川さんの
お話の中で苟くも
市議会が
請願を多数決で決めた、
民意を尊重する上から、それが
市会の、つまり住民の
意思であり
市会の多数決であるなるならば、その線で処置すべさではないか、こういう
お話はこれはもう御尤もなんであります。私が
考えても確かにその
通りでありますが、それは
経過表に私が
ちよつと書いたように、
市長が提案したところのこの四十五
メーターにするという案につきましては、すべて原案
通り議決をし同時に承認されておるわけであります。たまたまこの二十三年の十一月に
請願が出まして、そうして四十五
メーターを三十六
メーターにするということを可決したということは、嚴粛に言
つて札幌市議会の私はエラーであると、かように
考えるわけであります。そのことはこの表にもありますように、この
請願三十六
メーターを審議中に丁度九月二十七日の四十五
メーターに関する
市長提案があ
つたのであります。これは
市長の提案のごとく
議決いたしております。その審議の中途においてこれに関する
議案が出ておる。その方は何ら反対なしに
議決をしている。そうして
請願を採用したということで、これは誠に扱いが不明朗であ
つて、一体どこに重点があるかということが疑われるゆえんであると私は
考えるわけであります。このことは先程も触れましたように、大体この
都市計画、整備
事業を進めるに当
つて、国若しくはその委任を受けておるところの道庁の
措置が極めて怠慢であ
つた。殆んどこの
事業を今にも仕上げるごとく協力を求めておりながら、一向その事務的にも実施的にも
事業を行わなか
つたことに私は原因があ
つたと思う。でそのように放置しておくものであるならば、或いは運動によ
つてはこれが幅が狹められてそうして我々
疎開者はこの元へ戻ることができるのではないか、こういう印象を与えたことは事実なんであります。実はその間において私も
建設省の方に参りまして、何故に国庫負担の方の仕事を躊躇しているか、又この手続を何故怠慢にしておるかということを、
建設省の
都市計画の方で私が詰問したところが、その当時は終戰後の混乱時でありまして、この
建設省の機構も内務省からして
建設院になり更に又省になるとい
つたようなことからいたしまして、その書類が一年余り全く置き去りにな
つてお
つた、書類が紛失しないであるのが不思議なくらいであ
つたのでありまして、そのためにつまり国の
事業を代行するところの市が、矢の催促をしても梨の礫で以てさつぱり要領を得なか
つた。これは私は本省の事務怠慢の責任であると思う。その間においてかくのごとく整備
事業をなおざりにして置くならば又運動によ
つては元に戻れるのではないか、こういう印象を強く
関係者に植え付けたということに私は原因を発しておると
考えるので、それでは最初から
何事もなくて中途でこういう運動ができて、而も
市会の大多数がこれに同意したということは、これは私は自分のことを申上げるのですが、
昭和五年から
市会議員に出ておりまして五回であります、丁度当初の
計画が出ましたときには副
議長でありまして
議長補佐の役目でありましたが、二十二年の五月から副
議長にな
つております、こういうのでありまして私は最もよくその事情に通じておるつもりであります。というのは
市議会の四分の三を新
議員によ
つて占められることに相成りまして、大体従来の
経過とかいうものについては十分にお分りにならない方がある。こういう私は見方をいたしておるわけであります。そうしてこの
疎開者が元へ戻れるのではないかという
希望が
一つの運動となりまして、
一つの会を拵えましてそうしてそれぞれの負担をいたしましていろいろな運動をや
つたわけであります。
市会議員に対するところの運動、或いは
都市計画委員会に対するところの運動、或いは本省に対するところの運動、それが或いは
陳情書となり或いはこの
請願を出すというようなことで、その間表面に裏面に、御想像に委せますが
相当の日時と
相当の
経費を投じて今日に至
つたことは、畢竟この中間において
札幌市議会が
請願を
採択したということが私は大きな支配的な原因であると思います。併し
市会の本質、
市会議員の
本当の
意思というものはこれは二十三年の九月二十七日の
決定及び十二月十二日以降、その後四回に亘
つて四十五メートル案を完遂するについての
市会の
議決を求めてお
つたのでありますが、これはすべて
市長提案のごとく原案の可決確定をいたしておるわけであります。従いまして今日この過去を顧みますると、その当時
市議会がこの三十六メートルの
請願を
採択したということはこれはミスであ
つた。大きく反省しなければならない。併しその間に運動に際して運動者が自分の生活擁護の問題であり、大きく言えば全く死活の問題であるということになるのでありまするから、もう血道をあげて、まなじりを決して運動をした、そうしていろいろな変化に応じても更に強力に運動を展開して行くということが、この問題の今二十六対十五というような結果を示したのです。その後段々と冷靜に立帰
つて見まするとその
議決はその時の空気によ
つてなされたのであ
つて、
本当のところはその後同一の
議員によ
つて構成するところの
市会が四十五メートル案をずつと支持して何ら紛糾がないということによ
つてこれは明らかであると
考えるのであります。
さてそれで
市議会が四十五メートルという国の
意思をそのまま無批判に受け入れたかとこういうことになるのでありまするが、それは
市会は
市会なりの判断によ
つて、この四十五メートルが適当であるという
議決をいたしたのでありますが、そのことは先に申上げましたように、
交通緩和の点において、或いは
火災、
火災防止の点において、或いは
都市の公園に代るところの逍遙地的なものにいたしましてそうして美観を添えるという点において、又この全国
都市のつまり
都市計画を実施する実情から行きまして、中以上の
都市の広さというものは、五十メートル以上の案を採用いたしておるのであります。殊に大阪においては百メートルの広さを持
つておる。このつまり近代
都市経営の
一つの流れ、動向ということも無視できないのであります。況んや
札幌の
本件の
道路は明治の四年に実は開拓使の島義勇という判官によ
つて計画を立てられたのであります。八十年を
経過し又市制が布かれて五十年でありますが、その間に日本の十大
都市のうちに数えられるような飛躍を遂げた
札幌市が、明治初年の人口二千か三千当時のままに主要
幹線道路は二十メートル若しくは二十五メートルの狹隘にして置くということは、これは
市民のつまり生活の定際面から、又更に
札幌が将来の目標を五十万、百万の
都市にするという上から言
つても、この場合先には成る程方空法の適用を受けて四十五メートルにしたのであるが、その
防空法の四十五メートルというのが正しいものであるか、折角それを協力して
道路拡張の態勢をと
つた以上においては、やはりそれを
都市計画の面においても同じ効果があるとするならば、これを更に立派な
道路としてそうしてこの市の
市民の福祉増進或いは市の将来の発展に備えるということは、これは
市会の良識として判断するところであります。そのいわゆる認識が大勢を支配いたしまして、今日においては
市会全員が四十五メートルを支持いたしまして、一日も早く整備の完遂することを求めて止まないような状況であり、
市民も又世論調査の面において又いろいろな負担等の場合においても、進んで四十五メートルの実現に協力するという大勢にな
つておるのであります。
ただここに反対として現われておるというのは、いわゆる
疎開を余儀なくされたところの
当事者と、それをめぐる私は少数者と断じて差支ないと思いますが、その
方々の反対のみであ
つて、私は世論の
政治であり
民意を尊重するとするならば、多数者の
民意を尊重してこそ初めてこの
議会の責任が果されると、かように
考えて参
つておるような次第でございます。釈然としない向もありますが、そういうようなことは私は
国会の場合においてもあるのではないかと実は
考えるのであります。直截簡明に申上げますと、三十六メートルの
請願を多数で
採択した、そこを本
会議もこれを
議決したというのでは、これは全く願みて大きなエラーでありミスであ
つたと、こういう工合に私は現在の
市会の立場が相成
つておると申上げたいのであります。