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今野委員 私は日本共産党を代表いたしまして、本法案の修正の箇所については、別に異議はないのでありますが、残りの部分に対して、反対の
意向を表明しようとするものであります。
まず第一に、私は
私立学校というものが、戰前戰後を通じて日本の
教育界において非常に大きな功績を残して来たという点は、いくら強調しても足りないものだということを申し上げたいと思うのであります。ことに大学
教育などにおいては、
国立大学をも
つてしては非常に不十分であり、私立大学というものはなくてはならないものであるということ、特にこの多くの私立大学が、その特色を十分に生かして、
教育の将来に非常に大きな影響を與えるだろうということについては、大いに期待を持つものであります。それからまた成城とか
成績とか、その他幾多の実験
学校において、
教育の技術が研究され、そして、ともすれば官僚の支配のもとに縮こまろうとする日本の
教育に、生き生きとした発展の芽を植えつけて来たということに対しても、その評価を決して小さく見るものではありません。しかもそういうような
私立学校が、戰後において非常に経営が困難になり、
戰災の
復興などもできないということに対しては、何とかしてこれを救う処置を
国家において講じなければならないということをずつと
考えており、そのために補助または貸付、寄付金の免税ということに対しては、われわれも
私立学校の経営者諸君と一緒にな
つて、今後ともに
政府に対して強い要望をすることはもちろんであります。従
つてこの法案を涌して、一日も早くそういうような便宜が得られるようにしたいという、そういう私学側のお気持は、十分私たちにもわかるのでありますが、それにもかかわらずこの法案に反対するということは、共産党の立場としては非常につらいものであります。しかしながら、私学のそういう困難な
状態を救うために補助または貸付をするということを條件にして、公の支配下に私学を置くということは、先日の我妻教授の参考
意見にもありましたように、
私立学校そのものの意義と矛盾するのでありまして、現在はともかく、将来において大きな禍根を残すものである、こういうふうに
考えるものであります。
公共性ということは、もちろん重事であります。私学が今までにおいて公共性を十分に持
つて来たということ、これは先ほども申し述べたことによ
つて明らかであります。しかしながら、この公共性というものの一番大きな目途は一体どこにあるか、これは学術の発展、文化の発展に寄與することによ
つて、国民の福祉を増す、そういうことに資するということが一番大きな公共性である。そういうふうに
考えるわけでありまして、この公共性を高めるということは、そのように
考えられなければならないのであります。しかるに、この法案を見まするに、その監督庁という言葉は所轄庁という言葉に、なるほど改められておる。それから私学
審議会または私立大学
審議会というようなものも設けられておりますけれども、そういうものは、やはりみな官僚の支配のもとに握られておるわけでございます。公共性というものがイコール官僚の支配ということには決してならないと私は
考えるものであります。特にこの点について、文部大臣や
文部省政府委員に、いろいろとお伺いしたのでありますが、いずれも満足な回答が得られなかつたのであります。そうして、ことに文部大臣は、いろいろな点において、戰後日本の民主化その他のことが急激に行われないということを了承しながら、あの戰前において一番祕密主義であつた、そうして軍部に奉仕するのに一生懸命であつたあの文部官僚が、戰後において急に民主化したかのごとき言辞を弄しておるのでありますが、これはまつたく私の理解することのできない点であります。そういうような現在の官僚政治の
状態において、こういう法案が通されるときには、結局において私学というものが縮こまることに、つまり取締りを受けるような方向にこれが働くということが憂えられるのでありまして、その一点をも
つてして、私どもはこの法案に反対せざるを得ないのであります。
私どもをも
つてすれば、この私学の能率を高め、そうして国民の福祉を増進させる方向にこれを運営させるということは、一体どういうふうにしてできるか、これは一にも
つて学園の民主化、そういうような
方法によ
つてできると
考えるのであります。もちろん、それに対して
国家が惜しみなく
援助を與えることが必要であります。すべての点において、日本の
教育制度というものは、アメリカをまねることが多いのでありまするが、アメリカの私立大学その他における
学校の運営の
状態を見ても、たとえば、教授などがその中でいかに大きな働きをしておるか、たとえば、日本では
学生が非常に生活に困難しておる、そのために学園の外に出て、アルバイトをしなければならない、そのために
学校に出ることができないというような状況は、たくさんあるのでありまするが、あちらの
学校では、
学校によ
つていろいろでありまするが、学園内において
学生が十分に事務をとり、あるいは働き得るような組織もできておる。そういうような、
学生自身が学園を守り立てるというような、しかもその中から生活の資料を得て勉学できるというような
方法が、アメリカにおいてさえも講じられておるのであります。日本においては、
学生の生活というものが非常に困難にな
つておる今日、そういうような
方法で、
学生の
意見や、あるいは教授の
意見を生かすことによ
つて、もつともつとこの経営をゆたかにして行くことができる。それを
国家が十分に
援助する、こういうことが一番必要であると
考えるのであります。そういう意味で、この法案に対しては、それと正反対の動きを行くものである、こういう点から、私どもは反対せざるを得ないのであります。
なお、このたび決定されました補助額にいたしましても、わずかに一億二千四百万円ばかり、これではどうにもならぬと思うのであります。現在のあの授業料不拂いの多いこと、そうして
学生側からすれば、
国立大学に比して非常に高い授業料であるために、とてもや
つて行けない、こういうような事情をとうてい救うことはできないのであります。教授の給料にいたしましてもそうであります、現在のようではとても生活すらできない。いわんや研究にいそしむということはできないのであります。こういう点において、もつともつとこの
予算は出さなければいけない、そのための
貸付金その他の措置も急速に講ずる必要がある。それをこういう公の支配のもとに置くという官僚的
方法によ
つて、その言いわけをつけるというやり方に対しては、絶対反対せざるを得ない。
これが私どもの反対の
要旨であります。