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三浦証人 三月中旬一応
おぼろげながらそういうことになりましたので、
林野庁といたしましては、当時いろいろと
薪炭のきゆうくつな運営から、人手も少なか
つたので、
経済査察庁の元
薪炭課長をや
つてお
つた木村武氏に相談をいたしました。その部下の柳田第三
課長が非常に
経理に精通した人であるということを聞きましたので、その人をこの
解明についての依頼をいたしました。また
部内におきましてもこの
解明に努め、
薪炭の
生産の
状況等から見て、
統制方式をこの際かえて、もつと
自分たちの機構において手に負える程度にこれを縮小すべきであると考えて、それぞれの
方面に
連絡をしたのでありますが、その
統制方式の変更はそのときはできま
せんでした。そこで私
どもといたしましては、当時
関係筋の非常な強制もありましたが、いわゆる
政府の
手持ちといものが
帳簿上これだけあるということにな
つておるが、はたして
現物はそれだけあるのかどうか。この問題が解決しなければ、二十四年度に入りまして、借入れを予定しておりました
薪炭証劵の発行は、絶対に不可能であるということを言われ、それはまことにもつともなことであるとわれわれも考えたので、その
解明を急いでお
つたのでありますが、そこでその
手持ち薪炭がはたしてあるのかないのかということの一つの
解明の策にもなるし、一面においては
政府の持
つている
薪炭を早く金にかえるという
方法にもなるという点から、四月、五月には二十万トン
輸送計画という平素の
輸送計画の倍の
計画をたしか立てました。もつともこの点につきましては、当時だんだんと春先に向うことでありましたので、そういうことをやることは、
特別会計のいわゆる
経理内容からいうと必ずしも好ましくない。
消費者の
購買心理からいうと、そういう際に続々入
つて来るということは、一面において
消費者の
購買意欲をなくする。だからその点についてはずいぶん
議論が
関係方面との間に闘わされたのでありますが、私
どもといたしましては、当時
生産者が二月の中旬から
政府の買う
数量を非常に
制限された結果による苦痛を、何とか解決しなければならないということを考えまして、とうとうその二十万トン
計画を応諾いたしまして、
輸送を一方において努め、そうして
木炭事務所に対しましては、従来の
手持ちの帳面にこだわることなく、実際の
数字をことに明らかにしなければならない。こういうふうに言明をいたしまするとともに、
木炭事務所長を呼んで、そのことを強く伝え、当時
薪炭の
統制をどういうふうにするかということがいろいろ
世間で言われているけれ
ども、その問題は非常に重要な問題であるのだから、まずそういう
世間の
統制に対する
方式についての問題については、
木炭事務所長の
諸君たちは気を奪われないで、まずみずから持
つているところの
手持ちの
薪炭が、
帳簿との
関係がどうなるかということを明らかにすることが、
前提條件であるというように強く申して、その
手持ちの真の
数量の
確定に努めました。また
会計検査院方面におかれましては、その問題を
関係方面からのさしずというか、希望もありました由で、これを取上げて、
長野方面においては四十名前後の方々が出て、これに
林野当局も
応援をして調べるというような、現地にサンプル的な調べもいたしたのであります。その結果
数字はだんだんとわか
つて参
つたのであります。そこでそういうような
数字を入れてみますると、まことに予想以上に
現物の不明なものがあるということもわかりましたし、そこで
統制方式の改正がまたからんで参りました。中間における
議論は省畧いたしまして、七月末をも
つてこの
特別会計は買入れの
機能を停止して、爾来清算に入
つているのであります。すなわち
買つているところのものは、これをすみやかに売却する。そして一方
卸方面においてこげつきにな
つておるものは、すみやかにその債権の取立てをするし、また事故その他で不
確定のものにつきましては、それを早く解決をいして
調定を急ぐ。こういうようなことで今日
整理をしておるような
状況であります。