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1949-12-01 第6回国会 衆議院 考査特別委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年十二月一日(木曜日)     午後一時五十二分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 大橋 武夫君 理事 小玉 治行君    理事 高木 松吉君 理事 内藤  隆君    理事 吉武 惠市君 理事 猪俣 浩三君    理事 大森 玉木君 理事 木村  榮君    理事 小松 勇次君       安部 俊吾君    井手 光治君       岡延右エ門君    菅家 喜六君       福井  勇君    坂本 泰良君       橋本 金一君    村瀬 宣親君       江崎 一治君    小林  進君       岡田 春夫君    浦口 鉄男君  委員外出席者         参  考  人         (厚生省児童局         長)      小島 徳雄君         参  考  人         (評 論 家) 中島 健藏君         参  考  人         (元九州大学助         教授)     石川 數雄君 十二月一日  委員神山茂夫君辞任につき、その補欠として江  崎一治君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  永井隆表彰の件     —————————————
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 会議を開きます。  永井隆表彰の件につきまして、ただいまより早速参考人方々から御意見をお聞きいたしたいと思います。  参考人方々に申し上げます。本考査委員会はその調査項目一つといたしまして文化、科学技術等の発達に寄與し、もつて日本再建のため多大の貢献をなした諸行為を調査することになつておりますが、永井博士表彰の件につきまして本委員会において調査することに決定いたしましたので、本日皆様に御足労願つたわけであります。どうかそのつもりで忌憚のない御意見を承りたいと存じます。それからいつもここへ出ていただくのは、証人として出ていただくことになつておりますが、証人は経験せられた事実を承るのが証人でありますが、このたびは主としてあなた方の御意見を承りたいとこう思いましたから、参考人という名前でお呼びしておりますから、気やすくお答え願いたいと思います。御意見を承る順序小島徳雄さん、中島健藏さん、石川數雄さんの順序で行いますから、質問にお答えになるときだけ起立してお答えくださればけつこうであります。  それではただいまよりお伺いいたします。  小島徳雄さん、あなたは厚生省兒童局長であられますね。
  3. 小島徳雄

    小島参考人 さようであります。
  4. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつからおやりですか。
  5. 小島徳雄

    小島参考人 私は一昨年の十一月。
  6. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十二年十一月、それから今日まで……
  7. 小島徳雄

    小島参考人 はい。
  8. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 兒童福祉局仕事はどういうことにあるのでありましよう。
  9. 小島徳雄

    小島参考人 まあ兒童局という名前でありますが、これは大きくわけますれば、一つには困つた——社会的にも環境的にも、あるいは個人的にも肉体的にも非常にハンデイキヤツプのある兒童を特別に援護する。それから同時にまた一般国民兒童福祉法というものを徹底するということに大きくわけることができます。
  10. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この困つたというと、経済的にですか、または身体的にですか。
  11. 小島徳雄

    小島参考人 それにすべてに——環境的に肉体的に、身体的にハンデイキヤツプのある兒童を全部特別に保護する。もう一つ大きく言えば、教育啓蒙のほかに、一般青少年の健全な育成というものも含まれているわけでございます。そういうものでございます。
  12. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 本年五月二十五日から三日間、東京で第三回全国兒童福祉大会が挙行されたそうでありますが、その通りでありますか。
  13. 小島徳雄

    小島参考人 さようであります。
  14. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはどういう目的の大会でありましたか。
  15. 小島徳雄

    小島参考人 これは本年で三回目の大会でございますが、ちようど厚生省兒童局ができましたのが昭和二十二年の二月でありますが、この第一回が新憲法に基く第一国会におきまして、兒童福祉法という画期的な法律がわが国において制定されました。そういうような関係もございまして、この兒童の問題が非常に各方両から真劍に考えられるのに、ひとり政府法律を根拠といたしましていろいろ施策するばかりでなく、同時に民間兒童福祉に非常な関心を持ち、経験を持ち、そういう方面につきまして、いろいろの人がこの問題につきまして論議、討議いたしまして、そうしてその大会におきましていろいろ国民啓蒙するというようなことで、民間が主体となつて集まりましたところの大会がこの三回目の大会であります。
  16. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう人たちが集まりましたか。
  17. 小島徳雄

    小島参考人 それは各府県からそれぞれ社会事業関係、あるいはまた兒童教育関係をやつております方々が選ばれまして、この大会厚生省ばかりでなく、中央社会事業協会全国民生委員連盟というようなものの共催大会でございました。すなわち政府民間との共催によつて開かれた大会でございます。
  18. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 相当お集まりになりましたか。
  19. 小島徳雄

    小島参考人 それは約千名以上ではなかつたかと思いますが、はつきり覚えておりません。
  20. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その大会においてどういうことが決定され、また行われましたか。
  21. 小島徳雄

    小島参考人 大会におきましては、兒童福祉全般に関する問題が各部会にわかれまして論議されたのでありますが、なお大会におきましては、従来兒童福祉関係につきまして非常に功労つた者を、大会の席上において厚生大臣から表彰するというようなことも、あわせてこの大会で行われました。
  22. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この大会永井隆博士の「この子を残して」という本について、兒童福祉に関し、優秀にして功績顯著なる作品だとして、厚生大臣から表彰されたそうでありますが、その通りでありますか。
  23. 小島徳雄

    小島参考人 さようでございます。そのいきさつについて申し上げますと、兒童福祉大会の三回目におきまして、初めてこういう問題が取上げられたのでありまして、従来から兒童福祉大会というものは開催されておりますが、そういう意味のいわゆる表彰というものはなかつたのであります。いろいろ中央におきましては、中央兒童福祉審議会というものがございまして、これは兒童に関する各般の権威者の集まるところの審議会で、五十名以内の委員をもつて構成されている委員会でございます。この委員会は、厚生省におきましてときどき会合を持たれておるのでありますが、その委員会におきまして、大会における表彰の問題がいろいろ論議されたわけであります。従来は社会事業とか、兒童福祉に非常に功労のあつた人を表彰するのが習わしでございましたが、いろいろ議論がありまして、こういうような大会において表彰するのは、もつと広範囲のものでなければならない。ではそういうような兒童福祉功労のあつた人ばかりでなく、兒童文化の面からいつても、非常に兒童福祉思想啓蒙にに役立つような映画とか、あるいは著書とかいうようなものがありますれば、この大会におきまして厚生大臣から表彰するというのが、非常に将来の兒童福祉啓蒙に役立つのではないか。こういうものも取上げなければならぬという問題が起きまして、これが取上げられたのであります。
  24. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで、その審査でもやりましたか。もしやりましたとすれば、審査会の模様も承りたいと思います。
  25. 小島徳雄

    小島参考人 この表彰厚生大臣表彰でありまするから、一応形式的に申しますれば、厚生当局だけで事務的に審査するということも一つ方法でありまするが、兒童福祉全国大会における厚生大臣表彰でもありますし、こういう表彰というものが社会に対する影響もきわめて甚大である。また中央兒童福祉審議会委員方々意見をも拜聽して、愼重に決定するのがいい。こういう考えからいたしまして、各委員方々にも、この問題につきまして適任者がありますれば、また適当な著書とか、そういうものがありますればということで、われわれとしましては各委員意見をも聞いたのでありますが、その委員会の席上におきまして、ただいま問題になつている「この子を残して」という著書が、最も適当であるということに、委員会意見が一致いたしたわけであります。むろんこの委員会におきましては、この著書ばかりでなく、映画につきましては「手をつなぐ子等」というような映画、あるいは個人表彰につきましては、十数名の非常に兒童福祉のために貢献した社会事業家をもあわせて論議されたのであります。そういうふうにいろいろ皆さんの御意見によりまして、この問題が決定されて、それを全国大会におきまして、厚生大臣の名においてその功労者の前で表彰する。こういうことに相なつたわけであります。
  26. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これを表彰するについていろいろな議論はありませんでしたか。もしありましたら遠慮なくおつしやつていただきたいが……
  27. 小島徳雄

    小島参考人 この問題につきましては、ほとんど反対はございませんでした。
  28. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 結局表彰理由は、どういうことで表彰になつたのでありますか。
  29. 小島徳雄

    小島参考人 表彰状はこういう文句で出ておるわけです。    表彰状    「図書」 永井 隆著     この子を残して  右は放射線研究原子爆彈により稀有の原子病 患者となつ著者が、自己の病状を知りつつ綴 つた父性愛に燃える著書であつて子供に対する 真の愛情は深く人の心をとらえ兒童福祉増進 に寄與するところ多大なものがある。  よつてここに記念品を贈りこれを表彰する。   昭和二十四年五月二十五日       厚生大臣 林 譲治印  こういう意味表彰文でございますが、大体におきまして当時のわれわれみなの気持は、これを簡單に申し上げますと、今の表彰文と大体同じような態度でございますが、少しこの気持を敷衍して申し上げますと、永井博士は、原子爆彈影響を受け、余命幾ばくもないことを知りつつ、この父性愛の手記をつづつたもので、読む者をして切々として子供に対する愛情を訴えしめ、特に戰争により多くの家庭が破壊され、兒童環境が悪化しているときに、真にあたたかい家庭両親の愛護の必要を強調して世人反省を促す等、一般大衆児童福祉についての思想を普及啓蒙し、事業の発展に寄與するところがあると認めたからである。こういうような気持でございまして、ここにあります通り終戰後社会環境というもの、家庭環境というものが非常に変動いたしまして、最近におきましては、いわゆる不良少年というものが家庭のあるところからたくさん発生しておるというのが、今日の不良少年の傾向でございます。その青少年犯罪予防ということが、最近やかましく言われておりますが、その原因というものは、いろいろ社会原因もあるし、本人の原因もありましようが、家庭環境というものが相当大きなものがあるのであります。従いまして終戰後のいわゆる家庭的な各種の原因が、子供不良化の大きな原因をなしている。こういう意味からいたしますと、こういうふうな非常に父性愛に燃えたところの著書が読まれるということが、社会全般父性愛家庭愛を呼び起すことに相当貢献するものであると考えまして、表彰いたしたような次第であります。
  30. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 さらにこの方針の中には、兒童福祉事業に対するいろいろな批判とか注文とかいうものもあつたそうですね。それらもはやり表彰一つ理由になつたのでしようか。
  31. 小島徳雄

    小島参考人 この問題につきまして、実はわれわれ非常に心配いたしたのでありますが、大会におきましても、集まる方が兒童福祉関係の実際施設を経営しておる方があり、しかもこの著書の中には、相当施設内容についてきびしく批判しておる点があるのであります。これはわれわれといたしましては、そういう施設経営者というものが大局的な立場に立つて——むろんこの永井博士が指したところの施設というものは、日本兒童福祉施設の一部をなしておるとわれわれは考えまして、そういう施設があるということは、施設自身としても大いに反省しなければならぬ、こういう意味大局的見地から、施設自身も大いに反省さるべきだというふうにわれわれは考えたのであります。その点は大所高所より考えてこの著書表彰することがよろしい。こういう意味であります。
  32. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この表彰というのは、どういう方法でせられましたか。
  33. 小島徳雄

    小島参考人 表彰方法記念品を授與いたしました。大会には先ほども申し上げましたように、兒童福祉関係事業功労のあつた人が列席しております。永井さんはむろん病床でございますから、御列席できませんでしたので、代理の方がその記念品を受領して帰られた、こういうことでございます。
  34. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何かほかにありますか。
  35. 井手光治

    井手委員 ちよつと小島局長にお伺いしたいのですが、永井博士の「この子を残して」という著書に対して、今のお話のように、世人の胸を最もつくものであるという点、永井博士がその著書を通して兒童福祉精神運動に寄與したという、そういう面で表彰されたということをわれわれは承知しておるのですが、われわれはこの問題に対して、世人批判が相当あつたということを記憶しておるのです。今日でもこの点についていろいろの考え方、あるいは意見があるようであります。本来から言うと、あれだけの立派な科学者が、自分の生命を賭してああいう業績を残されたということについては、おそらくこれは国民全般が十分承知しておつて、平たく言うと、それに対する非難を生ずるということはあり得ないのじやないかと思われる節もある。ところがそういう非難、それに一般対象になるべきものがあるということは、何らかそこに常識的に言うと、ああいうものを通じて非常にジヤーナリズムの線で強くおどり過ぎているといつたような見方も、あるのじやないかという、そういう方面のつまり感情的に来る非難もあるのじやないかと思うのですが、表彰されてからそれに対して各方面意見の反映が厚生省にあつたかどうか、あつたとすればそういうことについてどういうふうな、非常によかつたという意見もあつたろうし、あるいはこうだというような具体的な反対意見もあつたのじやないかと思います。こういうことがもしありましたならば、聞かしていただきたい。
  36. 小島徳雄

    小島参考人 その後の反響につきましては、われわれ直接耳にしておるところでは、今のように相当施設についてきびしく批判しておるのにかかわらず、厚生省兒童局方面においてこういう問題を取上げたということで、多少意見のあるところがあつたのであります。しかし私どもは、自分自身批判されたからといつて、それを拒否するということは適当じやない。大いに反省をすべきである。もし施設においてこういう点がかりにあるとすれば、施設自身大いに反省すべきではないかということを申しておるのであつて、この点の非難については、われわれ委員会表彰を決定する場合にも、そういう点は十分感謝して表彰しておるわけであります。ただ今のように非常にたくさんの著書が出て、相当ジヤーナリズムというものがこの問題につきまして大きく取上げたということにつきまして、われわれ直接耳にいたしませんけれども、世間で相当そういう問題が論議されておることは間々聞くのであります。これは一つは、結局非常に著書が多数出たということ自身について、そういうものをジヤーナリズムが取上げるというところに問題があるのであつて著書そのものにつきましてはわれわれといたしまして、また著者自身といたしまして、そういう意向のもとにこれが出されているというふうにわれわれは考えております。
  37. 井手光治

    井手委員 そういたしますと、兒童福祉に関する功労者大会において、全国的に表彰された。それについては、前の中央兒童福祉審議会意見を十分に尊重したという御意見がありましたが、そのときに問題の焦点になりましたのは、厚生省表彰のねらいとしております永井博士のその後の行動なり、あるいは著書を通じての兒童福祉に寄與したという一点だけが、審議対象なつたものであるか、あるいは一般的な他の問題、あるいは科学者としてどういう功労があつたとか、あるいは永井博士人格を通じて、さらに社会日本再建に寄與するような功績があつたとか、厚生省兒童福祉法功労者であるというような考え方だけを中心として意見があつたのかどうか。あるいはその他今申し上げましたような他の一般的な問題に対しても、表彰対象としての意見がありましたかどうか。その意見の開陳がされたかどうか、その内容はどういうものであつたかということをお話し願いたいと思います。
  38. 小島徳雄

    小島参考人 兒童福祉関係表彰につきまして、先程申し上げました兒童福祉事業功労者に対する表彰につきましては、その人の人格業績、全体につきまして調査をいたしまして表彰いたしたのであります。その著書とか、あるいは映画の「手をつなぐ子等」とかいうものにつきましては、その製作者がどういう性格の人であるか、どういう業績であるかということにつきましては、われわれといたしましては、その著書そのもの表彰でございますから、その問題については全然関知していないのであります。
  39. 井手光治

    井手委員 もう一つ、そういたしますと、結局一般常識判断から言いますと、永井博士表彰対象となるべきものは、そういう政府最高機関である厚生大臣の名をもつて表彰するというような、事績を審議してそれを決定したということは、永井博士の今までにおける業績に対して、その面における最高表彰がなされたものとわれわれは考えるのであります。そうすると、われわれは別な観点でこれを審議して、永井博士表彰対象とするような考え方になると思いますが、言いかえますと、永井博士はそれでは現在までの業績においてはとにかく厚生大臣表彰対象なつた、最高表彰がもうすでに済んでおるのじやないかという意見が成立つと思うが、そうすると少くとも大臣表彰を受けたというふうな、最高の儀礼を盡した表彰対象となつてそのことが終つておる。そのことが社会にも宣伝せられ、国民も承知しておるということになつて来ると、これ以上一体何を表彰するのだというような議論が起きて来ないとも限らない。それで私は、今お話を別の観点から伺つたわけです。もしそういう観点から言うと、ただいまの兒童局長小島局長の職務を離れた個人的な意見から言うと、さらに一般的表彰に値する価値があるというふうな、今までの経過からそういうお感じを持つて来たのかどうか。そういう考えがおありになるかということを、小島局長の御意見伺つて私の質問を終りたいと思います。
  40. 小島徳雄

    小島参考人 私ども永井博士のいろいろな業績、御人格の問題については深く知るところではございません。ただわれわれといたしまして、仕事の性質上からいたしまして、こういう著書というものは多く読まれて、これが社会兒童福祉啓蒙になるということを念願する。そういう建前からこの問題が厚生大臣表彰なつたわけでございます。それ以上の問題につきまして、なおこれを表彰するかどうか。どういうふうなものがこの委員会表彰されるかということにつきまして、私どもは全然関知しないのであつて、その点につきましては、われわれといたしましても十分資料を持つておりませんから、このことについては私どもとして意見を申し上げられません。
  41. 井手光治

    井手委員 特別の意見はないというのですか。ありがとうございました。
  42. 内藤隆

    内藤(隆)委員 私のお尋ねせんとするところを井手委員がお尋ねになつたようでありますので、ただ一点「この子を残して」という著書表彰なつ理由はほぼわかりましたが、この本は一体兒童福祉建前から表彰すべきだという意見に結着したのですか。これは父兄に読んでもらつた方がいいから表彰されたのか、あるいはまた兒童に読ました方がいいというのか、どつちの方ですか。
  43. 小島徳雄

    小島参考人 それは先ほど申し上げましたように、兒童福祉をはかるがためには、今日の社会情勢においては、家庭子供に対する愛情というものを真に振興する人が推薦される。しかもこの著書は、父性愛というものを非常に切々としてわれわれの勘定に訴えるものがある。これを読むことによつて、世の父兄兒童に対する愛情について目ざめるところがあるという考え方から、表彰したということであります。
  44. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、要するに敗戰の後の父親、母親のすさんだ気持に読んでもらつて兒童福祉のために盡してもらいたい、こういう意味でしたな。——わかりました。
  45. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 参考人ちよつとお伺いしますが、この厚生大臣表彰というものは、表彰状にも書いてあります通り子供に対する真の愛情は深く人の心をとらえ、兒童福祉増進に寄與することが著しい。要するに表彰状にもあります通り厚生省所管兒童局長でございますが、その厚生大臣表彰状は、兒童福祉に貢献した、その面だけを表彰されましたか。井手君がさつき伺つたことでありますけれども、われわれはもつといろいろな方面もあると思います。また彼の業績もいろいろあると思いますが、全般的なものは、参考的に聞くのは必ずしも妥当ではないと思いますが、この点について明瞭だと思いますけれども、ただ兒童福祉に貢献したということだけを表彰したとわれわれは心得てさしつかえないのですか。
  46. 小島徳雄

    小島参考人 その通りでございます。
  47. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかし先ほどおつしやつたように、兒童福祉に関しても、その人の人格その他の事情等をも調べた上でということはおつしやつたですね。
  48. 小島徳雄

    小島参考人 それは申しませんでした。
  49. 小林進

    小林(進)委員 それでは二、三お聞きしたいのでありますが、厚生省厚生大臣表彰状をお出しになつたのでありますから、講義その他は十分遺漏なくやられたと思うのでありますが、さつき表彰状にも、原子爆彈によりと、永井博士の一切の事の初まりが、原子爆彈によつて被害を受けられたようになつておる。その後に書かれたお言葉にも、原子爆彈影響を受けということになつておるのでありますが、永井博士は実際原子爆彈によつて何か身体の方をそこなわれられたのでございましようか。この問題の根本は、私はまずそこからひとつ研究してみたいと思つているのでありますが、あれは八月九日に長崎原子爆彈が落ちたのであります。その原子爆彈によつて永井博士身体をそこなわれたのかどうかということも、今のお言葉によりますと、表彰の重大なるポイントになつておるのですが、厚生省の方でそういうことに対する克明な御調査がありましたら承りたいと思うのであります。
  50. 小島徳雄

    小島参考人 その言葉が少し適当でなかつたと思いますが、原子爆彈ということは、表彰中心点ではございません。先ほど申し上げましたように、著書そのものが非常に兒童福祉に貢献する、こういう意味でございます。この内容に書かれておる通り永井博士自身は、われわれもよく存じておりませんけれども放射線研究によつて自分が病気になられ、奥さんが原子爆彈でなくなられた。すなわち両親とも失い、まさに孤兒になろうとする。その子供に対して、父親としてその子供のために書いたこの気持のことを、あの表現によつてうたつたわけでございます。
  51. 小林進

    小林(進)委員 私はおいおいにお聞きしたいと思つているのでありますが、大体私ども永井博士知つたのは、新聞報道によつて初めて永井博士という方の人格も頭に入れたのでありますが、その新聞の最初の報道というものは、長崎医大原子医学專門とする永井教授は、原子爆彈でその妻を失い、自分も重傷を負つて余命幾ばくもないと診断されている。小さな仮小屋の中に病躯を横たえ、残された二人の幼児をかかえながらも、永井教授自分專門とする原子医学立場から、原子病にかかつている自分のからだを実験台とし、後世に残すために、科学のために原子病概論という論文を、迫り来る死と一日を争つて執筆し続けている。これが報道の第一面です。この点にわれわれは間隙せしめられたわけなのであります。こういう点から、私どもはその後いろいろ永井博士著書をひもといているのでありますが、この新聞報道には重大なる誤りがある。永井博士は第一に原子学者で、原子專門にしておられたのかどうかということも一つの大きな疑問が私にはあるのであります。原子爆彈によつて余命幾ばくもないような、生命の危險にさらされているということも重大なる一つの誤りがあるのであります。私たちの調査によりますれば、永井博士は何も原子病專門学者ではない。レントゲンを受持つて、レントゲン科で患者にレントゲンを当てて、結核の診断をしているときに、その放射線を受けてかかつた白血病である。しかもそれは長崎原子爆彈が落ちるずつと前に、レントゲンの放射線で病気になつていられたのである。長崎原子爆彈で奥さんは死にましたけれども、氏自身原子爆彈にちつとも関係がないし、永井博士專門とせられたものも、決して原子科学の問題ではないのに、ジヤーナリストの最初の報道に非常に災いされて、真実をどうも隠されているんじやないかという気がします。ですから、厚生省がそういう表彰をされるのであれば、真に原子爆彈によつてやられたのであるか。——いわゆる原子爆彈影響はございません。確かに奥さんがおなくなりになつたのでございますから、その点はわかりますけれども、今一歩そういう調査をやつていただきたい。なければしかたがないが……  その次には、その表彰された「この子を残して」という著書について、私の感じているところをちよつとお伺いいたしたいのでありますが、その中にこういう文章があるのを御承知でございますかどうか。「人間は大臣になれたり、巨万の富を握ることが出来たり、博士になつたりする者が偉いのであつて、中学校を出たか出ぬかの人間は駄目だ」というようにきめつけている文章がございますが、お読みになつたでございましようか。もしそれに対して何かあなたの御感想がありましたら、それもひとつお伺いいたしたいと思います。
  52. 小島徳雄

    小島参考人 私が先ほど申し上げましたように、当時この著書表彰する場合におきましては、著書内容につきまして、われわれはむろんその内容著者自身のことにつきましても、当然調ぶべきは調ぶべきでありますが、このところで問題になつていることは、結局博士自身原子病の研究とか、原子理論を研究されているということは、われわれも当時としても考えておりません。われわれといたしましては、博士の奥さんが原子爆彈によつてなくなられ、しかも永井博士がそういうような研究によつてみずから犠牲になられて、今まさに死に瀕せんとするときに、片方に母親をなくした子供のために書いたその内容を指しておるのでありまして、そういう点につきまして、われわれはこの著書を調べたのであります。なお今の点につきまして、われわれといたしましても、委員会といたしましても、十分その著書を読んで表彰いたしたのでありまするが、むろんわれわれとして、表彰いたす場合におきましては、一言一句ではなくて、盛り込まれているところの全体を取上げて、著者気持が全体にあふれているその精神によつて表彰したものであります。今文句は記憶しておりませんが、われわれといたしましては、大局として全体を見通して表彰したというふうにお考え願いたいと思います。
  53. 小林進

    小林(進)委員 兒童福祉関係で、父性愛兒童全般社会的事情を考え表彰せられたというのでありまするが、同じく著書の中の文章の一節に「医局の看護婦が過ちをした時には、骨にこたえるまで打つてたたくことによつて訓練した」と記してあり、「そのうちの一人などは、毎日打たれた」というような文章もあるのであります。これは「この子を残して」という本ではなく、別の本でありますが、兒童福祉立場からお考えになりまして、こういうようなことが適当であるかどうか、局長さんの御意見を承りたいと思うのであります。
  54. 小島徳雄

    小島参考人 問題は「この子を残して」という著書について言うておるのでありまして、ほかの著書について表彰いたしておるのではありません。
  55. 小林進

    小林(進)委員 いやしくも厚生省が、兒童福祉立場から厚生大臣表彰状をお出しになるにつきましては、もう少し永井博士なら博士の本体をきわめるなら、他の著書ももう少しきわめられて、その人格に重点を置かれてやるべきだと思います。本とおつしやいますけれども、それによつて表彰せられる人は一つ人格でありますから、著書を通じて人間全体を見ていただいて、この本を書いた人がりつばである。兒童福祉に貢献するところが大きい、人格者であるという総合的な一つの点数が生れて来なければならぬ。それをただ著書だけで表彰したのだというようなことは、局長として少し御軽率ではないかと思う。そういう点に対する御見解をもう少し深くお聞きしたいと思います。
  56. 小島徳雄

    小島参考人 今御意見がありましたから申し上げるのでありますが、われわれが今日考えなければならぬこと、また法律考えられることは、去る第五国会におきまして、兒童福祉法の改正が行われまして、中央兒童福祉審議会におきまして、兒童の各種の文化財というものを推薦勧告ができるという規定が入りました。これは一つの端的な表現でありますが、今日の日本のいろいろの兒童問題を考え青少年の健全なる育成を考える場合におきまして、なぜ今日このように犯罪少年がふえ、少年の不良化が起つているかという原因を調べますると、先ほど申しましたように、一番大きな原因としまして家庭原因があり、同時に子供社会というものが非常にあると思うのであります。子供をめぐる社会、たとえば兒童の図書でありますとか、映画でありますとか、あるいは子供たちの友だち同士の問題でありますとか、家庭社会子供自身の三つの問題が考えられるのでありますが、そういうような家庭原因社会原因というようなものを全般的な問題として取上げるということが、将来の兒童福祉法の非常に大きな問題である。そういう意味法律も制定されているのでありますが、著書表彰するということは、こういうような兒童福祉にきわめて剴切な著書が広く読まれることによつて、世の父兄をして真の父性愛を覚醒せしめるという意味において行うのであります。著書ばかりでなく、映画においてもそういうことが考えられるわけであります。従つてどういう著者が書いたかということにつきましては、むろんわれわれとは全然無関係ではございませんが、人の表彰、すなわち社会事情なり、兒童福祉に貢献したというような、その人の人格全般表彰ではなく、その建前というものはどこまでも著書表彰であり、あるいは映画表彰である、こういう建前になつております。それらの映画がどういう作者によつて書かれ、どういう監督によつてなされたかということにつきましては、私どもといたしましては、むろん参考として研究しておるのでありますが、それはこの者の表彰を決定する根本要素というふうには考えておりません。
  57. 小林進

    小林(進)委員 確かにおつしやいますがごとく、厚生省児童福祉立場から表彰せられましたことに対するただいまの御答弁は、一応われわれの了承し得る点もあるのであります。この考査委員会表彰せんとする態度、あるいはその方をきわめんとする態度と、あなた方が表彰せられた態度とは根本的に違いがあるということは、確かに了解するのでありますが、原子爆彈によつて何か重大なる悲劇が生れたかのごとく書かれ、あるいはまたその文章の中に出世主義というようなことがあからさまに書いてあるということをきわめられないで、ただ兒童のためになるというだけの狭い範囲で、無條件に満場一致でその推薦を決定し、著者に対する研究が、映画著書だけに限るのだ、人間はどうでもよいのだということになると、これは当局としての態度が少し軽率ではないかというような感じを受けるのであります。あなたは父性愛とか家庭愛とおつしやいますが、その父性愛家庭愛に関する文章として、参考までにもう一つ申し上げておきますが、「亡びぬものを」という本の中で、留守中における妻が一人で述懐しているというような形で「あの人は普通の村医で終る人ではない。きつと大きな人物になる。私のような教養のない農家の娘がくつついていては立身を妨げるばかりだ。あんな人には大学教授のお嬢さんか、百万長者の娘が奥様にならればいけないのだ。私はその時は女中にでも使つてもらつて一生蔭ながらお世話さして頂くわ」というようなことが書いてあるこういうようなことも、兒章福祉立場からためになることかどうかということも、われわれは考えさせられるのであります。何としてもあなた方のそういう表彰は、軽率のそしりを免れないではないかと思う。私は永井博士には一面識もないのであるから、イデオロギーの違いや政党の関係で真向から反対するものではないのであります。公平な立場から問題をとらえようと思つているのでありますから、その点誤解のないようにお聞き取りを願いたいと思います。あなたに対する質問はこのくらいにとどめておきます。
  58. 菅家喜六

    ○菅家委員 ただいまの小林委員からの御質問の中に、いろいろ事例をあげてのお尋ねがあつたのでありますが、その中で小林委員にお尋ねするのでありますが「この子を残して」という本は私も読みました。大体永井博士の本は私も一読しているのでありますが先ほどの「この子を残して」の中に、博士になるたり、大臣なつたり、金持ちになるたりした者が偉いので、中学校卒業はだめだというような記事があつたというのでありますが、その文章については、私が著書を荒んだ中にはそういうことは書いてない。何ページのどこに書いてあるか。  それからただいまの証言にも聞かれましたけれども、あの著書にもただいま小林委員が述べられたようなことは書いていない。ある雑誌の批評にこれらしいものが出ておつたのを私は見ましたが、おそらく小林委員はその何か雑誌に批評を書いたもの、それ自体を取上げて質問の材料にされたのではないかと私は思いますが、もしできますならば、今ここに著書を借りましたし、その他の著書も控室に持つて来ておりますので、そのページ数をあげていただきたいと思うのであります。さもなければ、これは著者にとつて非常に迷惑な話であつて、一雑誌にそういうことの批評が載つておつたからといつても、原本にそれがないならば、これらを本委員会に取上げて、かくのごとき質問が速記に載るということは非常に迷惑するところであろうと思う。どうぞその著書のページ数を、ひとつ委員長から小林委員にはつきりお尋ねしていただきたいと思います。
  59. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 小林君いかがですか。
  60. 小林進

    小林(進)委員 今の菅家君のお話でありますが、私は実はただいま著書を持つて来ておりません。だから何ページの何行ということはわかりませんが、ただ私の言葉を裏づける一つの参考として、要約した記事の載つている雑誌がここにあります。ああいう著書を何冊もここに持つて来ることも労でありますので、要約した記事の載つている雑誌を持つて来ました。これは婦人朝日の十二月号の二十ページの、悲劇の主役永井隆という見出しで、衆議院特別考査委員会は国家再建功労者として永井隆博士を表膨しようとしておる。一体これほどまで人々を動かしたその著者の本体は何であつたか。浦松佐美太郎という方の著名入りの著書の中に、大体私も同感する記事が載つておりますので、これだけここで申しあげておきます。
  61. 菅家喜六

    ○菅家委員 私もその婦人朝日を読んだのであります。それで新聞雑誌等に永井博士著書に関する批評等もことごとく出ておりまして、それらを一応検討しておく必要があると思いましたので、その記事を照し合せてみたのでありますが、かくのごとき記事は載つておりません。これは「孤兒に仕える」という題目の文の中にありましたことを曲解して、ことさらにこの雑誌に掲載になつておると私は思う。この一文を速記に残しておく必要があると思いますので、短い文章でありますから、全文を読み上げてみまして、全委員諸君の御参考に供したいと思います。  「孤兒に仕える」という一つの項目があります。「天主に仕える心——それがそのまま孤兒に接する者の心でなければならない。「なんじ等が我がこの最小き兄弟の一人に為したるところは、ことごとにすなわち我に為ししなり。……なんじ等がこの最小き者の一人に為さざりしところは、ことごとにすなわち我に為さざりしなりしとは天主の言葉である。  孤兒収容所は慈善事業場ではない。神に仕える祈りの宮殿である。寝小便する孤兒を真夜中に起こし、おんぶして冷い廊下を便所に通うのは、神の御前に仕えて祈りをすることと同じい。孤兒の前に講義をするのは神の前に座つて祈り文をとなえるのと同じい。町に浮浪兒を探してついに見つけたる喜びは、聖母マリアがエルザレムからの帰り途の混難に幼きイエズスを見失い、探し探して三日目に神殿で見つけたときの歓びでなければならぬ。  孤兒院の受付へ職員志願者が来て、「私は哀れな孤児の救済に一生をささげたいと思います」と言う。もつての外の言葉である。  職員が孤兒より上の位にあり、孤兒を救う能力を有つているとは、何を証拠に言うのであろうか?——果してそれだけの自信があれば、わざわざ他人の経営している孤兒園へ就職を求めて来なくても、自分の家で自分の力でりつぱにやれるはずである。  こんな連中に限つて、現代社会では生活不能の弱虫で、夢のような理想だけを鼻にかけている、自分を救うことが出来ずにいて、他人を救おうとは何事ぞ。  大臣になれとすすめられれば大臣になつてりつぱに責任を果す。百万の富が必要なら実業界に入つて巨万の冨を握ることも出来る。学問に身を入れれば博士になり、土木界で働くなら大きなダムを作る。そのくらいの能力を有つておるなら、孤兒を救助します、と言つてもまあよかろう。孤兒の中から大臣も出る、長者も出る、博士も育つ、大芸術家も現われるにちがいない。その貴い将来を、中学校を出たか出ぬかの失業者が、救済します、とはおこがましい。  たとい偉大な人物であつても、孤兒の前に大威張りで臨む権利はない。なるほど孤兒はぼろをまとい、あかにまみれ、哀れなざまをしているから、憐れみ、さげすみ、下に見るにふさわしいようであるけれども、この哀れなざまになつたのは、大人のルンペンと違つて、自己の過失によつて招いたのではない。あの一発の爆彈が家と両親を滅ぼすまでは、りつぱな家庭にあつたのだ。おそらく、今の收容所の職員よりも上級の遺伝質を有つ子弟が多かろう。教授の孫もおるだろう。発明家の子もおるだろう、芸術家の弟もあるだろう。運命の一夜を以て家なき孤兒なつたもの、その本質はいささかも低められてはいない。犬の子とはちがう。」  それからあとがありますが、この文章以外に、大臣とか実業家とか何とか書いた記事は、この本の中にはいかなるページからも探し求めることができないのであります。これを歪曲して、一つの雑誌に批評が載つておつたからと申し、一つ新聞にこれらの著書に対する批評があつたからといつて、その著書を検討せずして、委員会にその批評そのものをもつて質問したことが速記に残ることは、本考査委員会審査一つの悪い例を残すと私は思うのでありますので、あえてその文章を速記したのであります。しかもそれらの証例を引かれて質問されるならば、少くとも原本を持つて来て、何ページにかくのごときことが書いてあるということを基礎として御質問にならなかつたならば、議事進行の上においてはなはだ支障を来す。しかもこれらの問題は日ごろの不正事件の取調べとは違います。日本再建に貢献のあつた人々を表彰するという本委員会審査は、まことに愼重でなければならないのでありまして、しかもその批評された雑誌を基礎とするところの審理、尋問の方法というものは、私は賛成することができないのであります。これらの問題に対しましては、なお後日本委員会として適当なる処置をとりたいと思う。一応私はこれだけを申し上げておきます。
  62. 小林進

    小林(進)委員 今の問題に対しましては、私はここに著書を持つておりませんので、この問題の真偽は後日私の方でひとつ明らかにしたいと思います。これはここで打切りたいと思います。
  63. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では参考人がおられますから、参考人に対する質問をやつてもらいた、今後もですが、自分意見を言うて、参考人に聞いたら、議論になつてしまいますから、御注意願いたいと思います。
  64. 小玉治行

    ○小玉委員 もし小林君は、著書にさようなことが書いてなかつた場合にはいかなる責任をみずからとられるかということを表明していただきたいと思います。
  65. 木村榮

    ○木村(榮)委員 きようは参考人意見を聞く会でありますから、ここでお互いに意見を交換するという会ではない。これは当然また本委員会において討論の機会もあることであるから、そのときに譲つて、きようは時間もだんだん切迫していますし、証人の方にせつかく待つていただいていますから、皆さんから意見を聞いて参考にして、そこから聞き出して行くようにして、誤謬を言つたものはむろん取消さなければならない場合もあるでしよう。その他の意見もあると思いますから、一応おとりはからい願います。
  66. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 さようとりはからいます。
  67. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 小林君の発言に直接関連したこの問題を打切ることは、私も木村君の動議の通り賛成いたしますが、要するにこの問題は、御承知の通りジヤーナリズムによつて非常に批判されております。たとえば婦人朝日ですが、これが調査不足のためにそういうことを書いておるように、全般の問題がそうだ。先ほど小林君も簡單にその点に触れられましたけれども、あたかも永井博士原子爆彈でああいう病気になつたというように言われたが、これは重要でありますから、まず最初でありますから、ちよつと一言だけ申し上げておきます。  それは、今の参考人よりは、元の九州大学の石川教授の方が都合がいいのでありますけれども、私は今それをお伺いしようとするのではなく、全般委員としての心構えを持つていただきたいという老婆心から申し上げるのであります。実は原子爆彈によつて永井博士はああいう病気になつたのではない。彼は長崎医科大学の教授として、レントゲンの研究をしているうちに、博士があまりその研究に熱心であつて学長からも、先輩からも、同僚からも注意された。お前はそんなことをやつていると、余命幾ばくもない。そういう注意を受けておるにかかわらず、彼は暗室にとじこもつてその研究を続けた。それがために、お前の命はもう二、三年しかない、こう宣告された。その矢先ああいう原子爆彈が投下されたのでありまして、これは見方によると原子爆彈によつて永井博士に関する限り多少微妙な作用が——どういう作用かはまだ学術的に研究はされていませんけれども、微妙な作用によつて、むしろ永井博士の命が長びいておるのではないかということが言われております今日において、原子爆彈の投下によつてああいうようになつたのだ、そういうようなことを基礎にしていろいろの批判が行われている。そこにこういうジヤーナリズムの間違いがある。しかもこういうことがある。実は今年の九月十二日にこの問題を調査することについて論議して、それで調査することに決定したのでありますが、現在の日本で一か二かと言われる新聞に——こういうと、ちよつと迷惑する新聞があるかもしれませんが、一か二かというと、どつちかはつきりしなければならぬのですが、毎日新聞です。あの政治欄、第一面の下の方の、毎日では余録と言いますか、余滴と言つておるか知らぬのですが、あの欄に、永井博士は書物を書いた、それによつて金が入つた。それで家もつくつた。彼は惠まれた男だ。こういうものを表彰する必要はない。これは字句は違いますが、結論はそういうことが出ておる。ところがあにはからんや永井博士は、あの原子爆彈が投下された直後において、あそこの附近の僧院の、主としてカトリツクの信者たちが零細な金を集めて、永井博士の体を入れられるだけの小屋をつくつた。それが真相である、もちろんこういうことが問題になつたのは、それより前に、御承知の通りジヤーナリズムによつていろいろ論議されて、しかもこれが考査特別委員会に取上げられたその直後においてすら、十分の研究をなさずして、大新聞中の大新聞がこういうことを基礎として非難している。ですから、そういうジヤーナリズム非難というものは、ほとんどこの委員会として参考とするに足らぬと私は思う。そういうことを基礎としてこの委員会審議を進めて行くならば、とうてい真相をつかむことはできない。小林委員はおそらく同意見だと思う。しかもこの権威ある婦人朝日に、真相はこの通りだと書いてある。これはあまりに歪曲もはなはだしい。私は永井博士は個人的にも知つている。それだからといつて、決してえこひいきはしないが、彼はそういう研究を続けながらも、ずいぶんむりをやりながら、自分の余暇がなかなかなかつたが、その余暇を惜しんで、あの附近の村々、町々をまわつて、貧乏な人をみずから無報酬で治療してまわつた男なんで、それがために彼の病状はますます悪化したことが真相です。ところが、そういうことは一つも顧みずして、著書による收入りによつて家を建てた。しかも永井博士著書の收入は自分で管理しておりません。これは平和国家再建のために、あるいはまた近くの自分の町、長崎市の文化都市建設のためにこれを使う。管理は決して自分でやつていないという人格の男である、そういうことも一切調査不十分であるといえばやむを得ませんけれども、実情はそれが真相なんだ。でありますから、これは同僚委員の諸君にお願いでありますけれども、そういうジヤーナリズムのいろいろな非難の片言隻句をとらえての論争は、できるだけ差控えていただきたいと思います。
  68. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参考人に聞かれることだけを聞いていただきたい。
  69. 小玉治行

    ○小玉委員 小島さんにちよつとお尋ねしますが、途中から参つたので、あるいは重復するかもしれませんが、私「この子を残して」という木を読みまして、永井博士孤兒を救済する精神的な問題としては、孤兒院とか育兒院で、院主、経営者をお父さんとかお母さんと呼ばして、それによつて子供に対して父性愛、母性愛というような結びつきをしようというようなことをやつているが、これはまことに浅薄なことであつて、そういうことで父性愛や母性愛を感じさせられるものではない。究極においては、精神的には天主の愛によつてでなければ救われないということがここの中心思想になつているのではないか。いわゆる天主の愛によつて救う——本人が熱烈なるカトリック信者であるためでもありましようが、さようなことがこの著書中心的精神になつているのではないか、私はこう考えているのですが、そういたしますと、これは宗教家としての立場父性愛と同時に非常に大きな思想体系になつていると私は考えるのであります。そういう点について、審議の際にカトリック信者である、偉大なる宗教家と申しますか、宗教方面から兒童福祉という問題を精神的に考えているというようなことも、表彰される際に問題になりましたかどうか、この点をお尋ねしたいと思います。
  70. 小島徳雄

    小島参考人 今の著者がカトリック信者であるということは、むろんわれわれといたしましても、この問題の著書を研究する場合には調査はいたしましたが、ただいまおつしやいましたような施設におきまして、お父さん、お母さんと呼んで、それによつてほんとうのお母さんお父さんになるものじやないというあの表現は、現在の兒童福祉施設におきまして、一部のそういうようなことによつて満足するようなやり方ではいけないのだ、ほんとうのお父さんとかお母さんになつたような愛情というものが、同時にその施設におられる人々に向けられなければならない。その気持にならなければ、たとい形式だけお父さん、お母さんとかいうようなことを言われても、ほんとうの父性愛になるものではないというふうにわれわれは聞いているのであります。むろんその著書には、全般的に考えても、カトリックの信者だということを申しているのでございますが、その表面に現われたほんとうの意味が、それを表現しているとわれわれは考えるのであります。
  71. 小玉治行

    ○小玉委員 私はその点で、この著書をもう一度よく検討し直してみましよう。私の今まで読んだ感じでは、その院主なり、園主なりがお父さん、お母さんというようなことを振りまわすのはけしからぬ。極端に言えば、そういうことで父性愛とか、母性愛というものが生れるような安つぽいものではない。そういうことをもつて孤兒を訓化教育しようとするから、今までの孤兒救済事業というものは失敗するのだ。だから根本は神の力、天主の力でなければ、天主の愛をつぎ込むものでなければ救われないというふうに、極論しておると私は考えるのです。そこで私はなぜかようなお問いをするかと申しますと、そういう思想から申しますと、今までの既設の育兒院なり、あるいは孤兒院なり、社会事業施設の人との間に、一つの精神的トラブルと申しますか、一つの身方というものの争いか起りはしないか。そうなりますと、現実の救済事業にこれがいい結果をもたらすか。そういう今までの社会事業家と称する人の考え方が、自分たちを母と呼ばせ、父と呼ばせることによつて満足し、その方針で熱心にやつている。そういう人との間に、孤兒を救済する精神的方面について摩擦が起るようなことはないか。その点について何か御研究なされたことはないかということを、私は政策面からお尋ねしたいと思う。
  72. 小島徳雄

    小島参考人 それは私が最初にお答え申し上げました通りでございまして、今問題の表彰の場合におきまして、相当福祉施設のやり方に対しましてきびしい批判をしております。それがそういうふうな兒童福祉関係にどういう影響を與えるかということにつきまして、われわれも十分考えておるわけであります。そのときにあたりまして、私は日本兒童福祉施設というものが、全部博士の言つておるような、むろん博士自身日本福祉施設を全部知つておるわけではないのですから、全部をさして、兒童福祉施設がそうであるということを言うているのではない。ただ施設の一部にそういうものが現在でも相当残つていて、それに対して強く批判も與え、反省を與えるという意味においてこの問題はわれわれといたしましては、大乘的立場に立つて、この施設の人々もこの気持をくみとつて、大いに反省すべきものは反省する、かように私は考えております。
  73. 小玉治行

    ○小玉委員 そこで結論的に申しますが、私から言うと、永井博士のさような宗教的な指導精神から出ておる著書、しかも天主の愛でなければ孤兒は精神的には救われない、そういう著書が出た。それは既成の育兒院なり、あるいは孤兒院なりを経営している人から見れば、困る。そういう方面の人から、こういう著書によつて、こういう指導精神によつて孤兒は救われないのだというような意味から、厚生省表彰したことに対して、抗議なりその他非難なりというものがあつたような実例はございませんか。
  74. 小島徳雄

    小島参考人 それも先ほどちよつと私がお答え申し上げましたが、この問題の表彰後におきまして、そういう批判が一部われわれのもとにありました。そのときにわれわれも、施設というものは、自分批判されることにつきまして常に反対する考え方では、ほんとうの施設経営者ではないのだ。施設にもし悪いところがあれば、それに対して反省を受けることこそ、ほんとうに施設の経営というものが合理化され、よくなるのではないか、こういうふうにわれわれは常に考えておるのであります。施設自身におきましても、一部の施設についてそういうものがありまして、日本全般兒童福祉施設につきまして強い批判というものはございません。ただ一部においてそういう批判があつたということを了承しております。
  75. 浦口鉄男

    ○浦口委員 先ほど小島さんは、この表彰にあたつては、もちろん全人格を調べ、大局的な点から表彰される。しかしそれは、兒童福祉に対する貢献ということに重点があるということはわかるのでありますが、少くとも全人格的な問題になりますと、こういうことが一つ考えられるのであります。われわれがちよつと考えますことは、永井博士著書そのものに非常に価値がある。その背後に原子爆発でああいう惨害をこうむられて、これについてはいろいろ意見がありますが、一応調査するといたしまして、なお子供から母を奪われ、そういう一つ社会的な現実の條件が背後にあつて、この著書がより高く買われたのではないか、こういうことが現実にわれわれには考えられるのでありますが、そういう点についてお伺いしたいことは、永井博士自分子供から母を奪われ、こういう状態になつて初めてそこに切々たる父性愛が起きたものか、それとも永井博士の全人格が一貫してそういう父性愛にあふれた人であるかということについて、どういうふうな見方をされて表彰されたかということをお聞きしたい。
  76. 小島徳雄

    小島参考人 何回も同じことを繰返して恐縮でございますが、この著書表彰というものは、むろん著者の経歴とか、いろいろそういうものもわれわれは調べておるのでありますが、著書表彰の重点というものは、どこまでも著書内容そのものでなければならぬ。むろんこの著書が書かれた場合において、この著書が非常に売れるということを目的にして書いているようにわれわえは考えておりません。ただこういうふうに、その家庭というものは、母が原子爆彈によつてなくなられた。お父さんも長いこと病床にあつて、今まさに死に瀕しておる。従つてその子供というものは二人とも孤児になるのだ、こういうときの心境において書かれたのであります。その心境なるがゆえに、父性愛というものがより強く出ておる。むろん博士自身としましても、そういう父性愛に燃えておる方でありますが、自分子供の母親をなくして、自分は今まさに死に瀕すればこそ、その與える印象というものが、社会においても非常に強烈なものがあり、また博士自身といたしましても、その著書を書かれた心境というものは、父性愛というものが最も強くその気持に現われて書かれたと考えております。しかしながら、それはたまたま著者がこの著書を書かれたときに初めて起つた父性愛ではなくして、一貫して流れているところの父性愛というものが、その機会によつて最も強烈に文準になつて現われた、かようにわれわれに解釈しております。
  77. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 終戰後御承知の通り人心が非常に荒廃し、また混乱し、そうしてエロ、グロ文学とか、カストリ文学とか、やれ暴露文学とか、こんなものか文学と言えるかどうか知りませんけれども、淫々として行われておりましたときに、御承知の通り「この子を残してしという著書は、まつたくの随筆調のものでありますが、これは宗教的ヒユーマニズムに立脚したところの父性愛、こういうものを、強くうたつた、それが、そういう際であつたにもかかわらず、非常に人心に食い入つたために、ペスト・セラーズの第一位になつたわけですが、そういう意味において、厚生省兒童福祉に貢献すること多大なものがある、こういうことで表彰されたと思うのでありますが、こういう兒童福祉関係のある、あるいは貢献する、こういつたような種類の書物であれほど世間に読まれた本が従来あつたかどうか。あなたの知つておられる範囲で伺いたい。
  78. 小島徳雄

    小島参考人 むろん私自身が深く著書全般について知つているわけではございませんが、この著書というものが、そういう面におきましては、非常に売れ、広くみんなに読まれた、こういう最も典型的なものであると、いうふうにわれわれは考えております。
  79. 木村榮

    ○木村(榮)委員 さつき局長が言われた中で重大な問題は、著書表彰したのであつてその人間、永井博士の個人的な問題とか何とかいうことも、考えるには考えるが、大体この表彰はあくまで著書をもとにしたものであるということを言われたのですが、そこでお尋ねしたいのは、一体著書とは何ぞやと言えば、人間の思想とか、全人格的なものとかが著書という姿のみになつて現われて、私たちの読むとか聞くとかいうことになるのだと思う。そこで私は全人格的なものを離れて、著書というものが別にあるということはちよつとおかしいと思う。私は非常に古い話になるんですが、昭和初年に葉山一枝という人が出まして、全国の学校をめぐつて、最後にしつぽを出したのが、私が当時いました松江の中学校へ講演に来たときで、彼が大詐欺漢であつたということがわかつた。ところが私のおりました学校へ来るまでは、約二箇年近くにわたつて全国の中学校や高等学校を遍歴いたして、男だつたが、女のような一枝という名前がついている。彼は何と言つて講演したかというと、私は孤兒であつて、四国の方で一枝というばあさんに育てられて大きくなつたというのが大体根本である。そうして日露戰争に行つてけがをしたと言つて、ここに大きな傷あとがあつた。ところがそれは梅毒のあとだつたそうです。こういうふうに、著書とか講演とかいうものは、人間の全人格的なものと全然離して問題にするというふうに、あなたの方の著書表彰するという場合、そういつた方向でのみおやりになるのですか。私はそうではなくて、ほんとうは全人格的なものを含めた中の一部分として表彰されるのではないかと思うのですが、厚生省で御表彰なさる場合は、ただその背景は考えなくつて著書がいいのだというだけですか。その点を承つておきたい。
  80. 小島徳雄

    小島参考人 著書によりましては、全人格の現われる著書もありまするし、場合によりましては、そうではないあもいろいろありますから、一概に申し上げられないと思いますが、今のこの問題については、全人格が現われているというふうにわれわれは考えるのでございます。この著書に関する限りにおいては……。ただ私が先ほど申し上げましたのは、厚生省大会において表彰したのに二つある。一つ社会事業者のような功労者を、一つ著者とか映画とかを表彰した。前者の場合には、これはその人の業績から、人格から全部詳しく調べて、全人格そのものを表彰したのである。しかしこの、永井博士著書は、永井博士業績とか、永井博士人格そのものをむろん表彰したものではなくて、今のような著書表彰した。むろん著書には先ほど申し上げたように、この著書に関する限りにおいては、永井博士の全人格というものが、この著書に盛り込まれている。従つてこの表彰につきましては、われわれとしまして非常に人格の問題と関連が深いものと申し上げたのであります。
  81. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では済みました。どうも御苦労様でした。次は中島健藏さんにお願いいたします。あなたは今東京大学の文学部の講師をおやりになつておりますね。
  82. 中島健藏

    中島参考人 そうです。
  83. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかいろいろな方面で御活動のようですが、評論家としては筆をおとりになつておりますか。
  84. 中島健藏

    中島参考人 評論もやつております。
  85. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それに著作家組合の書記長ですか。
  86. 中島健藏

    中島参考人 その通りです。
  87. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから知識人の会の幹部ですか。
  88. 中島健藏

    中島参考人 これはまだ幹部というものはきまつておりませんが、世話役場はいたしております。
  89. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 こういうふうにいろいろありますようですが、このほかにも、何かこういう団体、または文化運動に活動しておいでになることはありますか。
  90. 中島健藏

    中島参考人 数えると限りがありません。ただ公務員としては、国語審議会委員をしております。それから東大の文学部の講師、国語研究所の評議員をしております。
  91. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは長崎医科大学の教授であつた永井隆医学博士の人物、あるいは生活態度等についてお知りになつておることはありますか、またこれに対して評論でもなさつたことはございますか。
  92. 中島健藏

    中島参考人 永井さんの著書が出始めましてからのうわさはしばしば聞いております。直接には永井さんを存じません。それからまた永井さんにつきましては、直接に書いたことはございません。
  93. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは博士の著書によりまして、人物であるとか、思想、信仰、生活態度、または科学者としての研究態度等についてお知りになつたことはございますか、またお感じになつたことは……
  94. 中島健藏

    中島参考人 非常に答弁がむずかしい御質問なんでありますが、永井さんがわれわれの記憶に残つたという事情を申し上げていいわけですか。
  95. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 はい。
  96. 中島健藏

    中島参考人 一番初めに新聞にやはり出まして、そのときに学者として病に倒れながら、学的な記述をなお残して行く。これは特に医学の場合にですが、病気にかかつておりまして、自分自分を材料として臨床の記録を残すということは、非常に尊敬すべきことである。それがわれわれの周囲では一番注目を引いた理由であります。それではつきり申しますと、それ以外の随筆その他はあまり勘定に入つておらなかつた。しかじ実際には永井さんが書かれたものは、原子病学に関するものは「生命の河」と申しましたか、一冊ございますが、これは比較的常識的な通俗的なものでありまして、ほかの詳しい原子病記録はあるかもしれませんが、私どもは見ておりません。そのほかの随筆その他につきましては、初めの気持ちとしては、計算外にあつたわけでありまして、それ以後に出たものだつたと思います。そうして永井さんについていろいろほめる言葉もあり、あるいは多少非難する人もありますが、著書を読んだ全体の印象から申しますと、永井さんは特に非難されるようなことは決してない方だと思います。先ほどもそういう話が出ましたようですが。永井さんに対する非難の中には、根拠のないものもあると思います。永井さん個人としては、決して何の問題もないのでありますが、初めにわれわれが——われわれと申しますのは、われわれの周囲でありますが、一番初めに永井さんに非常に注目したのは、今申し上げた通り病に倒れながら、ことに自分の死が迫つているにもかかわらず、そこで自分のからだを対象にして研究しているといううわさであります。ただこの実績は見ておりません。
  97. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか信仰とか思思とか、そういうことには別にお触れになつたことはございませんか。
  98. 中島健藏

    中島参考人 長崎は御承知の通りカトリツクの非常に盛んなところでありまして、ことに浦上というところは、歴史的にも有名な古くからのキリスト教関係の土地であります。そういう土地におられる永井さんが、カトリツクにおなりになるのも、別にふしぎではないと感じました。問題とすれば、つまりカトリツクだけの立場でいろいろなことをお考えになりますと、たとえば永井さんの本が、日本の平和のために非常に貢献したかどうかということが、われわれとしては常に話題になるのでありますが、いろいろ平和運動に貢献した者があるが、その多くのうちのカトリツクの立場からの貢献者の一人であるかもしれない、こういうふうに考えております。
  99. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは永井博士の書かれた「亡びぬものを」という——自叙伝だそうですが、ごらんになつたことはございますか。
  100. 中島健藏

    中島参考人 一応読んでおります。
  101. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これについて何か著者人格その他についてお感じになつたことはございませんか。
  102. 中島健藏

    中島参考人 特別にございません。
  103. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か書評でも出されたことはございませんか。
  104. 中島健藏

    中島参考人 ありません。
  105. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今そう深く印象に残つておることはございませんね。
  106. 中島健藏

    中島参考人 率直に申しますと、戰争を契機といたしまして非常にいろいろな人間的な現象が起りまして、永井さんの場合は特に有名になりましたから問題になるのでありますが、永井さんに近い経験をした方、それからその他の方、大勢あります。ただ著書があつたためにこういうふうに見えますし、それから人格としては先ほどから申し上げた通り、りつぱな方だと思います。しかし特別にすぐれた方だというふうに、先ほど申し上げた理由を除いてはちよつと特に申し上げることはありません。
  107. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか「長崎の鐘」「生命の河」というようなものもお読みになつたことがございますか。
  108. 中島健藏

    中島参考人 読んでおります。
  109. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これによつて平和思想の鼓吹とでも申しますか、それから原子力時代における科学その他についていろいろ書いてあるそうですが、これに対する御感想はありませんか。
  110. 中島健藏

    中島参考人 日本科学的な水準から申しますと、啓蒙的な役割を果したそうでございます。しかし私は專門家ではありませんので、石川先生に後にお伺いになるといいと思いますが、湯川さんの方とは違いまして、学術的な大きな業績とは認められません。ただ「長崎の鐘」「生命の河」などが非常に大きな読者を得たということは、一つだけ明瞭な事実であります。それによつてどの程度に平和というものを読んだ人の心に植えつけられたがということは、非常に判定がむずかしいと思います。
  111. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 やはり多く読まれたのは、何か特徴があつたからだと思いますが、特徴を言えばどういう点でしようか。
  112. 中島健藏

    中島参考人 これは参考人として確定的な御返事はできないと思います。と申しますのは、本が売れるというのは、必ずしも内容と一致するわけではないのでありまして、いろいろなモメントがあるわけです。事実「長崎の鐘」は非常にすぐれた本でありますが、文学的に見て、あれがすぐれたものかと言うと、非常に疑問がある。読まれたというのは、長崎原子爆彈が落ちたという非常にセンセーシヨナルな事件があり、しかもそこで放射線学の研究をしていた学者が爆彈に倒れ、自分の妻を失つて非常に特殊な生活をしているという点から十分売れる要素はあります。
  113. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 「ロザリオの鎖」はお読みになりましたか。
  114. 中島健藏

    中島参考人 これも読みましたが、あまり精読しておりません。
  115. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これに対して何か御感想がありますか。
  116. 中島健藏

    中島参考人 感想が出るほど詳しく読んでおりません。
  117. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほどお聞きした中に「この子を残して」「いとし子よ」というものがございましたが、これらはいかがですか。
  118. 中島健藏

    中島参考人 これは非常にいいものだと思います。というのは、どういう読者が読むかによつてかわつて参ります。たとえば普通のものを読む人で非常に感動する人もあると思います。また一方で文学などを少し読んでいる人は、やはりそういう点から甘いという批評をする人も当然出ると思います。これは文学的な術語でありますが、甘いというのは、もう少しいろいろ考えることができないものか、表現ももつと十分にできるであろうという批評はできます。しかしやはり問題なのは、文体ではなくて事実であります。事実は確かに、感動すべき内容を盛つていると称してさしつかえないと思います。
  119. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほど小島参考人の言われたように、事童の福祉ということに役立つ点もありましよう。そのほか何か「原子雲の下に生きて」という本もあるそうですが、これもお読みになりましたか。
  120. 中島健藏

    中島参考人 これも読みました。
  121. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これらによつて非常に平和を守る思想を植えつけるのに効果があつたという人があるのですが、その点はどうお感じになりましたか。
  122. 中島健藏

    中島参考人 平和を愛するというようなことに対して、あの本がじやまになることは絶対にありません。あの本は確かに役に立ちます。しかし平和ということにもいろいろありまして、つまりあれだけが平和思想を盛んにする道ではないのであります。しかし一方に、先ほど申し上げましたカトリツク的な立場というものは非常にあるのでありますから、そういう方々にとつては非常に有力な裏づけだろうと思います。そういうことを気になさらない方にとつても、やはり平和思想をいろいろ暗示する材料にはなつたと思います。ことに原子爆彈というものの惨害についての知識を、読んだ人々に通俗的に與え、またその恐るべきものであるという観念を植えつけたという重大な例にはなります。
  123. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今年の十月二十六日の毎日新聞に、全国出版世論調査というものが掲載されたようでありますが、そのときに雑誌はリーダーズ・ダイジエスト、書籍では「この子を残して」がそれぞれ第一位になつていたというのですが、それは間違いでございませんか。
  124. 中島健藏

    中島参考人 それはどう資料によつたのか存じませんが、ここにも新聞が手元にありますが、大して間違いないだろうと思います。
  125. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 「この子を残して」だけではなく、あなたがお読みになつ永井さんの著書全体を眺めて、社会的に、その他いろいろな方面から、どういう影響を與えているとお感じになつておりましようか。
  126. 中島健藏

    中島参考人 これは率直に申し上げてよろしゆうございますか、
  127. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どうぞ。
  128. 中島健藏

    中島参考人 衆議院の考査委員会でこの問題をお取上げになつてから、非常に問題が紛糾したのです。それまでは大体賛否両論がありました。普通に何の気なしに読んで、原子爆彈は恐ろしい、永井さんはお気の毒だというような声があつたのでありますが、考査委員会で取上げまして、問題が起りましてから非常に反響が大きくなりました。現に私が考査委員会参考人として呼び出されるということについても、出頭書が出る前に、私は友人から注意されたのであります。名前を申しますが、それは医学部の緒方富雄教授であります。緒方君なんかが非常な関心を持つております。私も別に永井さんのものが売れることが悪いとは思わないし、緒方さんもそれまではこういう話をされなかつたのでありますが、考査委員会で、取上げて以後は、いろいろ是非の論が出たのであります。婦人朝日に何か出たそうでありますが、これなども考査委員会で取上げられなければ出なかつたであろうというように、われわれは專門家的に考えるのであります。こういう問題が異論なくずつと通るものならば、たいへんけつこうだと思います。それから前に考査委員会に出すかどうかについてお尋ねがあつたときも、参考意見、あるいは予備材料というものを伺つたのでありますが、そのときに、私としては反対ではないが、非常な異論が起る可能性が多い、異論が起る場合には、よほど気をつけなければならぬではないかという意見を申し上げたのであります。緒方さんに申し上げますと、緒方さんは問題があるから、それはお考えなつた方がよいとはつきり申されたのであります。考査委員会が始まりまして、特にこの問題がやかましくなつたようでありまして、そういう点についての異論がかなりあるのであります。永井さんはりつぱな方であるし、また永井さんの本はたしかに大勢に読まれたし、読ましてしかるべき本である。しかしそれを表彰するということを契機にして、いろんな攻撃が出たり、たとえば多数決による表彰なんというものは、われわれは了解できないのでありまして(「同感々々」と呼ぶ者あり)表彰はできるならば全部一致していただきたい。そうしてでないと、この考査委員会がせつかく表彰なさるときに、国民の中に一種の疑念が起るということを、私もそう思つておりますし、また私の周囲でそういうことを憂えておる者が相当に多いことを御報告申し上げます。
  129. 小玉治行

    ○小玉委員 ちよつと今の中島先生の御意見について御質問するのですが、私も率直に申し上げますが、この考査委員会には共産党の人もあるわけです。ところがこの永井博士のほかの著述は、私は拜読する機会がなかつたのですが、「この子を残して」という著書の中には、明らかに共産党を攻撃しておる点もあるわけであります。さようなわけで、まずこの表彰問題が起つた際に、共産党を代表して神山茂夫君が、絶対反対意見を表明しておるわけであります。さような見地から、この考査委員会のあり方というものについて、かようなものであるということを御存じになれば、全会一致ということは、ある問題についてはむずかしいわけです。全会一致でなく片づける問題が多々あるわけでありまして、多数決でやるということが絶対にいけないということになれば、一人の者が反対するということ、結局表彰というものはできない。議会が表彰するということは、要するに多数決で表彰してもさしつかえないということは、これは民主主義のあり方であろうと私は考えておりますから、この考査委員会なり、議会の表彰というものは、自然に多数決によらざるを得ないということは、ひとつ御理解を賜りたい、かように考えるわけであります。
  130. 中島健藏

    中島参考人 私が申しましたことは、共産党とは無関係でありまして、これは緒方富雄教授、その他まつたく政治に関係のない人々の意見であります。これは率直に申し上げますが、多数決でけつこうでございます。ただあまりこういう問題について、永井さんの人格がどうだこうだということは——これは議論するのではありません。世論の一部を反映しておるのでありますが、非常にお気の毒だ。そういう問題が非常に多いのであります。
  131. 小玉治行

    ○小玉委員 緒方教授專門は何でございますか。
  132. 中島健藏

    中島参考人 医学でございます。
  133. 菅家喜六

    ○菅家委員 参考人に私もちよつとお尋ねいたしますが、先ほど来委員長のお尋ねと、全体を通じて参考人意見を承りますと、何となく奥歯に物のはさまつたような言い方の感じを私は受けました。それは、すなわちかくのごとき表彰考査委員会が取上げて問題になつておる。それはさようでありましよう。そこででき得るならば、参考人の周囲の人々の意見というものは、今小玉委員からも質問があつたのでありますが、少くとも満場一致でなければ、考査委員会で決定して、国会が表彰するというようなことは望ましくないというお話があつたのでありますが、これものみ込めるのであります。さりながら大体日本人の悪いくせとしては、われわれ仲間のうちから何か一人表彰しようというときに、今日までにおいてことごとく異論なく表彰されたというようなことがありましようか。たとえば朝日賞にいたしましても、毎日新聞でやつておりますところのものでも、これは異論を述べれば異論は出て来るのであります。しかも日本にはありませんけれども、ノーベル賞を受けた者にすら、世界には異論があるのであります。そういう考え方から言いますと、なかなか表彰というものはでき得なくなつて来るのであります。もつと私どもは大きな観点から、多少何かありましても、永井博士の場合のごときは、私どももみな反対意見を傾聽したのであります。まつたく私どもはこれが問題になつて初めて聞き、著書も読みました。これは文学の專門参考人のごときから申せば、かくのごとき本は読まれないと私は思う。いわばこれは通俗的に書かれたものと思います。やはり参考人もわれわれとひとしく、これが問題化されて一読されたのじやないかと思います。しかしながら一読して受けます感じは、この著書というものは、私どもはやはり、一貫して流れるところのカトリツク信者としての宗教的情操というものを多分に植えつける。たといどんな考えの者が読かれたにしても、大切な宗教的な情操というものは植えつけられるというこの一点だけを取上げましても、私は異論者が多少あつたとしても、まず表彰してもさしつかえないものだと考えておる。  そこで参考人に私のお尋ねしたいことは、先ほどの満場一致でなければ表彰できないのだというようなお考え方の根本です……。(「それは意見だ」「参考人関係ない」「意見はいかぬ」と呼ぶ者あり)黙つて開けよ。そういう参考人の根本的な考え方を私は伺つておきたいのであります。何となく私どもはふに落ちない感をいたすのであります。それで少くとも参考人に参考として承つたのである。私どもは国会の表彰に満場一致でなければならないというような、評論家なり学者の考え方の根本をお聞きしたいのであります。
  134. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 意見はいかぬ。率直に聞くだけだから……
  135. 中島健藏

    中島参考人 簡單に申し上げます。多数決でなくてはいかぬとか、あるいは全会一致でなくてはいかぬということは、これは別に私が申しても、この国会がどうなるものでもこうなるものでもない。従つて私は非常に率直にわれわれの周囲、特に政治関係と全然離れての周囲の人間は、そういうふうに考えておると申し上げます。もしも何なら多数決でもよろしゆうございますが、永井さんの問題につきましては、現に今日でもそういう様相を呈しておりますが、非常に問題が大きい、がたがたするのです。これはもちろん政治的な対立というようなものならば、私どもも黙つていますが、そうでなくて、永井さんはもうすでに本が非常にたくさん売れて、そのために金が入つたということは、さつき御説もありました通り、これはうそであります。永井さんはとにかくあの金は初めから條件をつけられておる。自分は印税はいらぬというようなことを言われたことも、われわれはよく知つております。私は文学の專門家でありますが「長崎の鐘」「生命の河」は少くとも出版社から贈られて読んでおります。やはり相当に感動いたしました。そういう点では決して悪いとは思いません。しかしくれぐれも申しますが、一人のああいう不幸な方を表彰なさる場合に、国民の感情としては、できるだけそれを契機にごたごたなどということを伴わないことを欲するのであります。それについて、つまりどういう事情でごたごたしたかということについては、私はよく存じませんし、またそこには問題もあると思いますが、参考人として、お尋ねがあれば、いくらでも御返事をいたします。
  136. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いいでしよう。小林君、さつきも申しましたが、意見の交換は議論になつてしもうから……
  137. 小林進

    小林(進)委員 私は何か討論のアウト・ラインになるといけないから、はつきり申し上げますが、私は共産党ではございません。(「近いだけだ」と呼ぶ者あり)それをはつきり申し上げておきます。  お聞きいたしまするが、大体われわれはどういう点でこの永井氏を表彰すべきであるかという本体を見きわめんとして、こうして御多忙中参考人として来ていただいたのでありますが、今までのお言葉は非常にわれわれ得るところがございました。大体「生命の河」というのは、科学者專門家としてはそう見るべきものがない。ただ通俗的なものとして価値がある。あの人の「生命の河」一冊は、通俗的な価値はあるけれども、技術的、專門的にはそうすぐれたものであるとは考えられないというお言葉を申されましたが、われわれは技術家としての永井博士の価値判断の一つの資料を得たのであります。  次に平和の問題であります。平和にどれだけ貢献せられたかという委員長の伺いに対して、それは平和思想を暗示するものがあつた、特にカトリツク教の立場から云々という言がございましたが、しからばその平和に対する貢献が、著書を通じ行動を通じて、現在のわが日本に特筆大書すべきほどの大きな平和的貢献をされたかどうか、他になおこれに準ずべき平和に貢献せられた方があるとお考えになりますかどうか。その点をひとつお尋ねいたしたいと思います。むずかしいかもしれませんが、率直に伺いたいと思います。
  138. 中島健藏

    中島参考人 非常にむずかしい御質問でありますが、平和はある一党なり、一派なり、あるいは各宗教の一派なりが、それだけがやつて成立するわけではないのでありましてこれはあらゆる人間が協力しなければならないものだと思います。それで永井さんのあの本も、そういう意味では、おそらく一方では多少の問題があるかもしれません。たとえば一つの特定の宗教の立場をとつておられまして、小島局長からいろいろお話がありましたような問題もあるかもしれませんが、一つの平和運動の役割を果したということは明瞭に申せます。それ以上ほかにあるということは申されません。平和運動についてはそういう評価ができない。特に比校するということは非常にむりでありまして、そういうことはできないと思います。
  139. 小林進

    小林(進)委員 次にいま一つ、私は参考人の御意見を聞くようになるかもしれませんが、戰争中あるいは戰争前に、特に日本の神道などという宗教がいわゆる国家の補助を受けて、戰争遂行に重大な役割を演じたという意味から、終戰後は御承知のように、憲法で宗教の自由と同時に、国家は全然タツチしてはいかぬということが明らかにせられたのであります。そういう意味で私の考えといたしましては、こういう宗教関係を通じての平和思想、平和鼓吹というものは、各宗団を通じに行われる。われわれは政治家として、あるいは国家の最高機関として、そういう宗教を通じての平和思想云々にあまり深くタツチすることは、よい慣例を残すことよりも、むしろ宗教的な偏見といいますか、国会が何か宗教にタツチし過ぎるというような一つの懸念もあるのではないかということをおそれておるのでありまして、そういう点においてこの際永井博士表彰するときに、ただ一宗一派の宗教信者であるという点において表彰することが、消極的にもしかるべきではなかろうかと考えるのでありますが、これに対する一つの参考として、先生の御意見を承りたいと思います。
  140. 中島健藏

    中島参考人 宗教の問題は、私は單純に現在の憲法の宗教の自由、信仰の自由という問題で盡きると思います。また平和の問題その他につきましても、その運動がある一定の宗教団体によつて行われていたからといつて、これを無視するのはむりだと思います。ただそれだけによるという、つまり排他的なものさえなければいいのであります。排他的なものがなければ、私は仏教であろうと、キリスト教であろうと、何でもほんとうに平和を愛するならば協力して行くべきだと思います。永井氏の場合には、特にカトリツクの問題がついておるようであります。カトリツクもあるいは同じキリスト教のプロテスタントも、その他いろいろな宗教がこれから日本に入つて来ると思いますが、平和を主張する以上は、特に宗教を気にする必要はないと思います。それが何か排他的であり、平和なり、文化なりの進歩に反対の傾向を持つておるとすれば、それはほかの点からすぐに見抜けるはずであります。現在公然と信教の自由が許され、宗教結社の自由が許されておる以上は、表彰云々の問題には特に考慮する必要はないと思つております。
  141. 内藤隆

    内藤(隆)委員 中島先生の大体永井博士に対する態度は、一度もお目にかかつたことのない、また著書のみを通じてのお態度もほぼ想像し得るお話をお伺いましたが、ただその話のうちに、これを表彰するには非常に物議をかもす面もある、もつと極端な言葉で言うと、反対する者もあるとまではおつしやいませんけれども、そういう者も出るではないかというお話でありましたが、私は反対者とまでは申しませんが、この著書を通じて、これを比較的低く扱つておるあなたの御周囲の名士の方の御意見なりお名前なりを、二、三お漏らし願いたいと思います。
  142. 中島健藏

    中島参考人 御質問の趣旨にはちよつとはずれるのじやないかと思いますけれども、この永井さんの問題に対しては、非常な誤解があると思うのです。というのは、初めに私は申しておりますが、科学者としての永井さん、特に新しい原子病学というようなのもについて、自分のからだを対象として研究しておられる永井さん、その科学者という点から表彰されるのであるか、あるいは、ほかの本によつて表彰されるのかということが、一般にはよくわかつておらないのであります。特に私の周囲での激しい批判はこういうことであります。それはもしも永井さんを、ことに湯川さんと一緒に表彰するということになると、永井さんの科学者としての功績表彰することになるのではないかというふうに考えておる者が多いのであります。これに対して激しい反対というのは、これは永井さんがただの学者という意味ではないのであります。前に白血病か何かしらぬけれども原子病と同じような非常に不幸な目にあわれた。ともかく学者としてもりつぱな態度でありますが、業績から言えば、そういう不幸な状態におられる永井さんの仕事が、普通の学者の水準から見れば、実際に発表されておりませんのでわからないのであります。特に湯川さんと一緒に表彰するということになる、おかしいじやないか。たとえば一例を申しますと、これは一昨日の話でありますが、東大医学部の緒方さんもそういうことを言つておられました。それからもう一つの問題は、ああいうふうな大きな災害にあつたために、いろいろなことが起つたのじやないかという一つの疑いを持つ方があるようであります。それはそれまでの永井さんがどういう方でありましたか、たとえばカトリックの信者であつたかどうか、そういうことも私は存じません。これはあとで、石川さんにでもお尋ねくださればいいと思いますが、とにかく非常な不幸にあつて、それから後平和とか、あるいは事童の福祉というようなことを考えておられる。しかしその場合に、平和とかあるいは文化の進歩というものに対して積極的な業績がないじやないか、非常にいいことではあるけれども、災害を受けなかつた者も、もつと別のやり方でやつておるのじやないか、災害を受けたという前提のもとに、とにかくいろいろなことが言われておりますので、そういうところに何か積極的なものがないじやないか。そういう意味で何も名前も出ないし、あるいは評判にもなりませんけれども、事際ああいう災害を受けず、特殊な状況に置かれずに、一生懸命にやつておる人間がたくさんおるということを裏に置いて、そういう人たちの代表として永井さんが選ばれるならばけつこうだ。しかしその点多少疑問があるじやないか。健全な人間がやはり日本の文化に盡しておるのに、そういう者が表彰されずに、ああいう災害を受けた特殊の立場におる永井博士だけが表彰されるということはおかしいじやないか。具体的に名前は覚えておりませんが、これは妥当な意見として私も聞いたのでありまして世間に多い現象です。
  143. 内藤隆

    内藤(隆)委員 要するにあの大災害と申しますか、あの事件によつて有名になつたんだ、この数種の著書を通じての程度ならば、表彰するに値するほどのものでもないではないかという議論があなたの周囲に多いということですか。
  144. 中島健藏

    中島参考人 そうじやないのです。つまり表彰ということが起らなかつたら何にも問題はなかつたわけです。これは大分お気にさわつたかも知れませんが、私はそう思つております。そうしてそれよりも今の問題はあの著書、ああいう身体であれだけのものを書いたということについては、皆感心しておるのであります。これは中には代筆偽筆というようなことを言つた人もあるようでありますが、私はそれは信じておりません。あれは本物だろうと思つております。内容のいかんにかかわらず、病弱で、明らかに白血病なんであります。その白血病にかかりながらああいうものを書く。この点確かに普通のことではないのであります。しかしただ本が売れたから、ああいうふうにジヤーナリズムの問題になつておるというために、やはり反対するものにも多少感傷的な感情的なものがあるかも知れません。ほめる方では、私は希望としては、永井さん直接には存じませんが、永井さん御自身気持まで十分付度していただきたいと思うのであります。というのは、これは間接に聞いたことでありますが、この表彰については、永井さんも多少お困りのようにちよつとうわさを聞いております。そういう点から、私は永井さんの科学者としての業績を判断する材料も持つておりませんし、永井さんについては批判する何ものも持つておりません。また表彰するということに対して、特に強く反対する何ものも持つておりませんが、現実の現象としてたいへんはでなことになつてしまつたということが、永井さん自体のため、日本全体のため残念に思つております。これは政治問題でなくて文化問題なのです。私は文化の方は多少專門でありますが、なるべくこういういざこざな問題が——表彰になるならぬは別として、これは私の意見だけでなしに、私の周囲の意見でもあります。
  145. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 実は国会における最初の表彰ということのために、あなた方批評界が非常に沸き立つた。第一回の国家文化賞、唯一絶対の表彰であるかのように非常に肩をいからした。そういう感じがあるのじやないかと思います。そういうことがあるとすれば、これはきのうあたりも湯川さんが第一位、それから永井博士の問題が取上げられておるのでありますけれども、それはこれからの話でありまして、われわれのきめることでありますが、それを表彰するにしても反対がある。しかも反対の急先鋒のような印象を受ける緒方博士の言われるには、少し早過ぎるということですが、あなたはそれに対してどういうふうにお考えになりますか。
  146. 中島健藏

    中島参考人 緒方博士の名前を出して実に迷惑をかけたように感じておりますが、私は緒方さんにあなたの名前を出していいかということを言つたら、出していいと言われたので出したのであります。決して緒方先生参は反対の急先鋒じやないと思います。緒方先生は非常に常識的な方でありまして、常識として、たとえば湯川さんと永井さんを並べるのは、永井さんにとつてはずいぶんお気の毒な話だ、それは私の語気が強かつたので、多少誇張をされて受取られたのではないか。もしお並べになるならば、少くとも表彰意味をかえなければならぬと思います。それが一般国民には十分徹底していないようであります。
  147. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 実はさつきしきりにカトリツクという話が出ましたが、まさしく彼はカトリツク信者であります。けれども牧師でもなければ伝導者でもありません。そうしてあの著書も、その根抵に要するにカトリツク信者のかたい信念があるから、非常に切々として人心に迫るものがあるし、また先ほど証人が言われたように、ああいうことは常人にできない。もう自分の生命は二、三日だと、こう言われたならば、たいていの凡人ならばへたばつてしまう。それを何とか生きておる間に世界平和、日本の平和に貢献したいとがんばつておる。しかもかれはカトリツクの伝導者じやない。著書を見てもそうではない。けれどもそれがためにきずをつけるということは、はなはだ永井博士にとつて迷惑だろうと思います。ところがカトリツクは世界で欧州が一番多い。それから南米、アメリカに相当おる。世界のカトリックの数は三億ないし四億と言われている。ところが永井さんのこの世界の三億ないし四億に対する影響力は、きわめて顕著なものであります。たとえばこの五月にザビエル四百年記念祭があつたが、そのときにローマ教の代表が日本に来たが、親しくかれの病床を訪れておる。世界から来る巡礼者、あるいは観光客というものは、ことごとくかれの家を訪問する。これは毎日新聞なんかによると、印税によつてつくつたということを言つてつて、いかにも豪壯な邸宅を印象させるおそれがありますが、まつたくの小屋です。これを訪れる、そういうような状況になつております。日本人というのは非常に視野が狭いのでありまして、法隆寺の価値も、焼けたことによつて、アメリカのウオナー博士によつてその価値の高いことを教えられる。また湯川博士も、これは日本においても相当認識はされておつたけれども、ノーベル賞をもらつたことによつて有名になつた。こういうような事情であります。永井博士ももうすでに世界的規模において非常に大きな影響力を與えておる。永井博士の家は、浦上の辺鄙なところにあるのでありますが、その茅屋、小屋、コツテイジということは、平和日本への一つの合言葉みたいになつておる。でありますから中島先生もあまり賛成じやないようですが、緒方先生にしても、外国の人によつて永井博士の価値が教えられて初めて目がさめる。お二人の名前を申し上げて申訳ないのでありますが、日本国民の多数がそうであると思うので、こういう問題は中島先生のごとき日本一流の批評家というものは、世界的規模について考えてもらいたいと思います。あなたのそれに対する心がまえを伺います。
  148. 中島健藏

    中島参考人 私の意見ですが、どうも査問されておるような形でありますが、私としてはちよつとお答えができないのであります。というのは、永井さんが表彰されることに反対ではない。しかしそれに條件があるのでありまして、非常に問題なく表彰されたいのです。そのどこに問題があるかということについては、いろいろ御説明申し上げたのでありますが、永井さん自身の方に多少、それは先ほどから何度か申し上げたようなさまざまな事情がありまして、やはり問題がある。それで世界的に認識を高める場合に、いろいろな表彰方法があると思うのでありまして国会で表彰する。そういう決議がとられるならばけつこうであります。それに反対する理由はない。しかし私の意見でありますから、永井さんとして直接関係がないようでありますが、私としてはこういう表彰というものは、必ずしも国会のプロパーの任務であるかどうかが問題であります。もつとほかに表彰の仕方があるのじやないか。もつとほかに国会任務があるのじやないか。それでなくて、その表彰というものは本が非常に売れたことであると思うのです。ことにそれが永井さんの私上の利益になるのじやなくてそれ以外の用途に使われるような收入を得たということもありますし、それを離れても、とにかくああいう本が非常に読まれて、永井という名前日本中にまで知られた。あるいは世界中に知られたということが、私は永井さんの気持を忖度いたしますと、一番永井さんにとつて喜ばしいことじやないかと思います。ことに個人の名前より、ああいう広島における、あるいは長崎における惨劇に対する認識を世界に深からしめた。それが一つ著書によつて行われたということになれば、これはほかの表彰があるよりも、永井さんの人格を察しまして、きわめて満足じやないかと感じまして、非常にとぼけたような返事でありますが……
  149. 浦口鉄男

    ○浦口委員 別な観点から一言だけお尋ねいたします。  最近、とりわけ終戰後人道主義、ヒユーマニズムということが言われております。これに対する定義はいろいろあるであろうと思います。私も意見は持つておりますが、そんなことは別としまして、その中には、たとえば人間性の尊重とか、平和であるとかいろいろな要素が含まれておるのでありますが、永井博士がその数種類の著書を通じて、何かヒユーマニズムに対する新しき一つの面を開かれたという点について、中島先生は文化人でおいでになりますので、御自身そういうグループの中から新しい批判の声がおありかどうかということをお伺いいたします。
  150. 中島健藏

    中島参考人 特に私は新しいものはないと思うのです。ああいうヒユーマニズム、特に永井さんの場合はカトリツク的なヒユーマニズムがずいぶんあると思うのです。それは別に永井さんの発明ではないのであります。そういう点では新しいところはないと思いますが、それを普及したという点ではあると思うのです。しかしヒユーマニズムはいろいろ定義があると言われましたが、カトリツク的なヒユーマニズムだけがヒユーマニズムではない。しかし大きな意味のヒユーマニズム、特にカトリツク的なヒニーマニズムを非常に広めた、それにはカトリツクだけの個有のものではなくして、一般の、ヒユーマニズムに通ずるものも十分にあるのでありますから、そういう点では普及者として、やはり相当に力があつたということは認めております。
  151. 安部俊吾

    ○安部委員 たいへん同僚委員の御質問によつて明らかになつたのでありますが、中島先生は文学の方の評論家と承つておるのでありますが、大体永井博士人格とか、あるいは科学者としてそういうような研究をしたことが貢献したかどうかということを離れて、單に永井博士著書というものは、純文学の見地から見てどういうふうにあるか。たとえばトルストイの「戰争と平和」とか、あるいはヴイクトル・ユーゴーの「ああ無情」であるとか、ミルトンの「パラダイス・ロス」とかいうような不朽の傑作と比較することはできないけれども、單に今売れ行きがいい。けれどもそれがある年数を経ればなくなつてしまうというものではなくて、少くとも後世に伝わるような文学的価値があるかどうかということを参考にお聞き申し上げたい。この一点だけお伺いしたいと思います。
  152. 中島健藏

    中島参考人 この文学の評価それ自体は話にならないので、やはり長くたたないと、ほんとうのふるいがかからないようであります。しかし私の印象から申しまして、私ども專門家から申しますと、今そちらで名前をあげられたところの、たとえばミルトンであるとか、あるいはトルストイとかいうものと比較いたしますと、文学的にはちよつと比較にならない。これは文学的には、量から申しましてもそういうものとはちよつと比較にならぬのです。つまり永井さんのは、文学として純粋に見ては気の毒であります。
  153. 安部俊吾

    ○安部委員 しかしそれならば、ともかく日本の復興とか再建に貢献ある文学として、あなたが評論家として相当推奨するに足ることは認めておられますか。
  154. 中島健藏

    中島参考人 それは十分認めます。しかし永井さんのほかにもあります。たとえば戰争文学などというものが出ておりますが、その中には弊害が非常に多いのもありますが、中にはいいのもあります。
  155. 小玉治行

    ○小玉委員 永井さんのいろいろな著書を読んでみたのでありますが、その中で原子爆彈による惨害を説いて、それを通じて世界の平和に貢献するという面。もう一つは「この子を残して」という著書に見られるような、戰災孤兒に対する救済と申しますか、社会の同情を集めてこれを打立てるということに向つた面、こういうことがこの著書を通じて一般社会に貢献したということがありますが、あなたとしては、その中でどういう面が最も貢献したというふうにお考えになつておられるか承りたいと思います。
  156. 中島健藏

    中島参考人 私としましては、とにかく非常に不幸にあつた者が、現在の日本に多いのでありますが、永井さんの本を読んで慰められた点があるのです。それは不幸な目にあつたのは私一人ではない。いろいろ不幸の者もあつた。永井さんばかりではなく、あの中に長崎におけるさまざまな不幸な目にあつた者のことが書いてあります。そういうひどい目にあつたのは、自分一人ではなく、ほかにもいた。こういう苦労をしている人たもあるというふうに慰めを受けたところがあるのであります。これは当人が惨害を受けませんでも、日本人全体としていろいろな不幸にあつたために、気持がすさんで来た人があれを読んで、一種の明るい気持を持つたことは確かでありまして、それが同時に永井さんのあの本の果した一番大きな役割であろうと考えております。
  157. 小玉治行

    ○小玉委員 もう一点、これは今から国会が表彰するかどうかは別問題ですが、あなた方評論家から見て、国会が永井博士表彰するとしたならば、いかなる表彰方法をとられることが、永井博士に対してはふさわしいというふうにお考えになるか、お伺いしたいと思います。
  158. 中島健藏

    中島参考人 ただいまの御質問は、私としては非常に答えにくいのでありまして、わからないのであります。私としては、どういうふうになさるか。それはどうも委員諸氏の方の話であります。
  159. 小玉治行

    ○小玉委員 国会は、国会できめますけれども、あなたのお考えとして、もし国会が表彰するとしたならば、いかなる方法をとるのがふさわしいか。これは国会として独自の見解でありますけれども、ご参考に承つておきたい。
  160. 中島健藏

    中島参考人 抽象的にお答えいたしますが、つまり永井さんが一番迷惑されないで、また世間でもつてぐずぐす言わないような方式でもつて表彰すべきであると思います。
  161. 木村榮

    ○木村(榮)委員 中島先生にお尋ねしますが、かつて戰争の間だつたと思いますが、長島長生園の女医さんだと思うのですが、小川正子という人が「小島の春」というような小説みたいなものを書いた。当時小川正子さんは、自分も結核に冒されて相当悲惨な生活の中にありながら、悲惨な癩者のために非常に献身的な働きをしたということが、一番うるわしい文章で書かれて、映画なつた。私は映画を見たし、著書もよく読みましたが、そうした一つの方向と、今度の永井博士の問題とは非常に似通つた点があると思うのですが、あなたは評論家としての見方から、その点はどういうふうにお考えになつておりますか。
  162. 中島健藏

    中島参考人 「小島の春」と非常に似ていると思います。ただ「小島の春」の場合と今度の場合違いますのは、やはり戰争というものがあります。原子爆彈という條件が入つておるために、多少の違いがありますが、たとえば永井さんに対していかなる意味にせよ、尊敬の念を拂うとすれば「小島の春」の著者に対しても同様の尊敬を拂つております。
  163. 小林進

    小林(進)委員 先生にお願いするのでありますが「ロザリオの鎖」というのをお読みになりましたか。
  164. 中島健藏

    中島参考人 ええ。
  165. 小林進

    小林(進)委員 これは私の感じでございますが、言いますと。どうも著者がカトリツクにあまり力を入れて、科学というものを完全に否定しているような感じを受けるのであります。特にその文章から見ましても「真理を把握するの道は唯一つ。カトリツク信仰のみ。」こういうことがありまして、長く文章は続いておりますが、「信仰なき科学者の真理を探求する相は盲目のエベレストに登らんとするに等しく、徒らに喧噪し、暗中模索し、盲目が盲目を導いて二人ながらあなに陥り、その儘生命を絶つもあり、途方もない方角へ進んで印渡洋に溺れたり、」というような途方もない文章が書いてあります。また「そのうちに永遠性をもつ学説を提出した学者の伝記を調べて驚いたことにはその殆どがカトリツク信者だつたという点であつた。ボルタ、アンペア、マルコーニ、メンデル、中学生の知つている名だけでもいくらでも信者がいる。私はこの点を深く深く考えた、そうしてカトリツクに改宗するようになつて来たのである。」云々ということがありまして、何か私どもこれを読んで参りましても、科学というものを否定して、真理探求の道はカトリツクの信者しかないように書かれている点が多いのであります。この点永井先生は学術的に無価値である、あるいは平和に貢献したかということを考える場合に、その平和もさつき先生の言われたカトリツクというものにのみ片寄つた平和思想にあらざるやという感じを受けるのでありますが、御意見を承りたいと存じます。
  166. 中島健藏

    中島参考人 これは教授として非常な打撃を受けておられるのでありまして、純粋な学者としては少し弱くなつておるかもしれません。しかし宗教と科学は両立するのでありまして、事実永井氏の言われるように、キリスト教信者の科学者もいるのであります。と同時にキリスト教信者でない科学者もいます。カトリツクと科学とが矛盾しない、つまり科学者であつて、しかも宗教に浸つている者があるということを、むしろ強調されたのであつて私の印象では、カトリツクの信者でなければ科学が全然できぬというようなことは、いくら心身が弱られたといえども、少くとも大学教授である方が、そういうようなことを言われるようなこととはないと思うのであります。
  167. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どうも長くありがとうございました。  石川數雄さんですな。あなたは現在何をおやりになつておりましようか。
  168. 石川數雄

    石川参考人 私は終戰後に、九州大学の助教授をしておりましたその職務から退きまして、今東京で父の跡を継ぎまして、出版業をやつております。
  169. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何の……
  170. 石川數雄

    石川参考人 主婦之友。
  171. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 九州大学の助教授をおやりになつたという今お話でありましたが、それは医学部でありましたか。
  172. 石川數雄

    石川参考人 はい、医学部です。私はおそらく今日私を参考人にお呼びになつたことも、そのためであろうかと推測しておりますが、私は放射線学を專攻いたしまして、相当永井君が長崎でレントゲン、もつと別の言葉で言えぱ放射線学でありますが、放射線学の專門の助教授で、後に教授になりましたが、私は終戰までずつと助教授をやつておりました。言わば專攻として相共通した学問とやつておつたということで、今日参考人としてお呼びを受けたのだろうと思います。
  173. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今そのことで聞きたいのですが、あなたは九州大学において放射線を研究しておいでになつた、永井さんは長崎の医科大学で放射線を研究しておられて、学校は違つておりましたが、何かそこに始終お会いになつたり、特別の関係がございましたか。
  174. 石川數雄

    石川証人 いわゆる專門家の專門学術会というのがありまして、それは日本全体のもあるし、また九州だけのもありまして、そういうときには——これはまだ永井君が健康の時代でありますが、お互いに学会に一緒に出席しておりました。それからまた日本全国から申しますと、日本医学放射線学会というものがありまして、永井君もその幹部の一人であります。大体各大学の專門家が幹部になつておりますが、われわれはやはりそういうところでもよく接しておりました。また長崎医大と九州大学というのは、比較的距離的にも近いものでありますから、そういうことの接触は多かつたと思います。
  175. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで永井博士に接しられたあなたの御認識を承りたいのですが、第一に、永井博士の人物、人格について、いかようにお感じになつておられましようか。
  176. 石川數雄

    石川参考人 それは私は永井君に同業として接したことが長くて終戰後の「この子を残して」以後の永井君に接したことは非常に少いのでありますから、従つて申し上げることが、どうしても健康のときのことになりますが、そういうときを通じての私の印象を申し上げます。なおもう一つ申し上げますと、私は永井君といわゆる教会などの接触はあまりなかつたので、どうしても科学者としての面になると思うのですが、まず非常にまじめな、そうして地味な人であつた。レントゲン学というものが医学の中でも非常に地味な仕事で、臨床医学に属しながら、機械などを扱うので、物理学ないしは工学とも非常に関係があつて、非常に地味な学問でありますが、そういう方面の最も適任者であるように、地味なこつこつやられる方であるというように私は思つております。
  177. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 人柄としては。
  178. 石川數雄

    石川証人 科学的な人柄は、私が申し上げた中に入つていると思いますが……
  179. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 たとえば愛情に強いとか……
  180. 石川數雄

    石川参考人 それはむしろ私は本をあとから読んで、奥さんとのああいうようなことはあとから知つたので、私は皆さんと同じように、読者としての知識になると思いますが、しかしわれわれ同僚といたしましても、非常に着実にこつこつやられる地味な方だという印象を強く持つております。それから御存じだと思いますが、永井君の最も專攻したことは、血漿学的に人体にできた結石をレントゲンで分光するという、レントゲンの中でも特に地味なテーマを長く追究する。別の言葉で言えば、今これが非常にはやつているから、このテーマを突つ込んで行くということではなくて、自分がやつていたことを長く突つ込んで行く人だという印象を持つております。これはちよつとそれと関連いたしますけれども「この子を残して」が売れ始めてから、ジャーナリズムの立場から見ますと、非常にはでに見えます。いわばあの地味な永井君から、どうしてあのはでな本が出たのかということをふしぎに思つたくらい、学究生活は地味だつたと思つております。
  181. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 永井博士は、その後慢性骨髄性白血病及び悪性貧血病にかかつて、長く病臥しておられるというのですが、それは御承知でありますか。
  182. 石川數雄

    石川参考人 聞いております。
  183. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはどういうところから起つたものですか。
  184. 石川數雄

    石川参考人 慢性白血病の中には原因のわからないものもたくさんあります。それから何かちよつと気づかないからだに対して悪い刺激が長く続いたときに起る。その一つとして、レントゲン專攻の学者が、自分のからだに長期間非常に微量のレントゲン、ないしはラジウムであればラジウムの放射線を受けまして、それが血液をつくる造血器に非常に慢性のいわゆる障害を蓄積しまして、その結果が白血病になる。そうしてそれがひどくなると貧血を伴いますが、そういう例も相当あります。永井君の場合もそれが相当影響しているのではないかと思います。
  185. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 慢性骨髄性というのは、やはり白血病の結果ではないのですか。
  186. 石川數雄

    石川参考人 白血病というのは、骨髄性と淋巴性というのと二つあります。骨髄性というのはその一つでありまして、その方が多くございます。
  187. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 まつたく專攻の学問の結果そういう病気になつた、かように心得ていいわけですね。
  188. 石川數雄

    石川参考人 それを断定するためには、永井君のからだを診察して、原因科学的に検討しなければなりませんけれども、私が永井君をずつと前から見ておりましたことと、いろいろなことを総合しますと、レントゲン専門家にそれが多いということを考えるのが一番妥当かと思います。
  189. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかのお医者さんからも、もう命は長くないと言われたというのですが、そういうふうに命脈がそう長くないということがわかるものですか。
  190. 石川數雄

    石川参考人 実は終戰の年の秋、永井君が重症であつて、まだ原爆地に帰る前に、私も当時九大におりまして、原子爆彈調査のためにあそこに派遣された一人であります。私は永井君をよく知つておりますために、一般の診療、それから原子爆彈のいろいろの人の專門的な研究をしながら、永井君を訪れた。そのときに非常に弱つておりましたが、血液を見てその血液の白血球の数が非常に多いのにびつくりいたしまして——前から聞いておりましたが、あまりに多いので、私は永井君にほんとうの数をお知らせし得なかつたのであります。ですからあの当時から非常に多い白血球の量から言うと、普通の常識ではあまり長く生きないのだと当時あの主治医がそういう御判断をしたのは、当然だと思います。
  191. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 せいぜい二年か三年くらいしかもたれないと言われたそうですね。
  192. 石川數雄

    石川参考人 そう数ははつきり申し上げられませんが、相当重症な白血病ということは申し上げられると思います。
  193. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 永井博士はその病気のあつたからだに、原子爆彈のために重症を負われたそうですが、この点はどの程度のものでありますか。
  194. 石川數雄

    石川参考人 私もあとで聞いたことでありますが、ちようど爆彈の当時、御承知のように長崎教授、学生に非常にたくさんの即死者、ほとんどなくなられましたが、あのときに助かつた幾分の人は、相当強い陰におつた方でありまして、永井君は大きい柱の陰におつたということを聞いております。それにしても爆心地におりまするから、相当の有害な放射線をあびたと思いますけれども、それがいわゆる致死量というか、非常に命を早くするほどの量でなかつたと思います。ところがあの著書でも御存じと思いますが、その後に動脈を切つて非常に出血されました。これはやはりその大きい災害のときに、ガラスなどで皆出血しましたが、普通白血病でない人は出血しても早く血がとまります。けれども白血病の人はとまりがおそいのであります。ですからその出血が致命的であつて、非常にひどくなつたということ、ですから原子爆彈というあの事件によつて、相当の線量は受けた。しかしそれは幸いに柱の陰で、ほかの人よりもよかつた。しかしその後に出血した。その出血は普通の人であつたならば比較的早くとまるが、白血病であるがためになかなかとまらなかつた、ですから大量の出血があつた。そう見ていいのではないかと思います。この点は私がその場合に本人を見てでありませんから、それをただすためには、むしろその当時の主治医にお聞きになる方がいいと思います。私はそのとき倒れられた直後を拜見していませんから、私としてただ今まで私が開いた範囲のことで判断するのでありますから、その点だけ……
  195. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 傷は、側頭といえば頭のわきをやられたのではないですか。
  196. 石川數雄

    石川参考人 何かそういうことだつたそうです。
  197. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたがおいでになつたときは、傷は……
  198. 石川數雄

    石川参考人 そのときは大分日にちがたつておりましたから、出血は直後だつたものですから……
  199. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうするともともと重症であつたところへ、その傷のために出血が多かつたとすれば、なおさら命脈を縮めたと考えてよろしいですか。
  200. 石川數雄

    石川参考人 白血病には、一つの治療として輸血があります。血を補うことが一つの治療法とされている、ですからその逆になつたということは言えると思います。
  201. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかこの原子爆彈によつて、今おつしやつた大した影響はなかつたとは言うものの、永井博士に相当の影響……
  202. 石川數雄

    石川参考人 大した影響のなかつたとは言えません。
  203. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 傷はわかりましたが、そのほかの放射能というのですが……
  204. 石川數雄

    石川参考人 ですから放射能は、柱の陰におつたので、相当な量が来なかつた、それが致死量でなかつた。それははかられませんけれども、それがなかつたら、その周囲におつた人はほとんど皆なくなつておりますから、それは言えると思う。
  205. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはあなたよりか田川さんに聞こうと思つておつたんですが、きようは不幸にして田川さんは長崎に行つておいでになるので、来られませんので、あなたに聞いてみたいと思うのですが……
  206. 石川數雄

    石川参考人 田川さんの分は、私お答えできぬかもしれませんが……
  207. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのために終戰後永井博士が一時非常に危篤に陥つて、もう臨終だと言われたことがあつたそうですが、その点はお聞きになつておりませんか。
  208. 石川數雄

    石川参考人 それがちようど出血後のときではなかつたかと思います。
  209. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたおいでのときは、その後……
  210. 石川數雄

    石川参考人 それがなおつたときです。
  211. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何かこれは宗教の式であろうが、田川さんによつて終油の式とかいうものがあげられたという話ですが、お聞きになつておりますか。
  212. 石川數雄

    石川参考人 その方のことはあまり確実に言明できるほどのものを持つておりません。「長崎の鐘」という劇がありますが、あの劇をやるについてある会合があつて、私もそこに相当たくさんの関係者と一緒に出席させられたときに、ちようどその牧師さんだと思いますが、名前ははつきり覚えませんけれども、牧師さんが二、三人来ておりまして、それに関するお話があつたことを記憶しております。
  213. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 原子爆彈は八月の九日でしたね。
  214. 石川數雄

    石川参考人 そう思います。
  215. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 十月にひどくなつたようですが……
  216. 石川數雄

    石川参考人 そうするとその後重症になつたのかもしれません、直後にも私はあつたようにも、承つておりますが、むしろそちらの調査の方が……
  217. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今言う終油の式をあげて、田川さんがまだそのころ出血しておつたというのですが、その出血するのをふいて、博士の額に臨終の終油を塗られた、こういうお話ですが、お聞きになつておりませんか。
  218. 石川數雄

    石川参考人 こまかいことは存じません。
  219. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 映画のときには、そういう話はありましたか。
  220. 石川數雄

    石川参考人 日にちのそれと完全に一致するかどうかしれませんが、そういう場面があつたように思います。映画でなくて、三越劇場であつた劇です。
  221. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ある人は白血病ではあつたが、原子爆彈の放射能によつてかえつて白血病にいい結果をもたらした、出血したのは悪いかもしれませんが、そういうことを言う人もございますが、そういうことについては何か……
  222. 石川數雄

    石川参考人 それは非常にむずかしいと思いますが、よほどはつきりしたデーターを持たなければ申し上げられぬと思います。ただこれだけは一つの参考になるかもしれません。慢性白血病の発生には、非常に微量なレントゲンがかかるという原因的なレントゲンと白血病、ところが白血病の現在の治療法の一つに、やはりレントゲン線、すなわち放射線をもつて治療する方法があります。しかもそれが日本だけではなくて、今の相当進んだ治療法の一つであります。現に新聞でもごらんになつたイソトープなどが、やはりその方面に相当利用されておるということは、今委員長のおつしやつたことを推測させることに関連するのでありますが、しかし永井君の場合にそれをどの程度に言つていいかということは、ここで申し上げられません。
  223. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかし先ほどのあなたのお話からもその後の病状等から言つて、今日まで命がなかりそうなものだが、まだ病床におられるとはいいながら、命を保つておられますから、何かそういう影響があつたのではなかろうかと思われますが……
  224. 石川數雄

    石川参考人 それはゴシップ程度のことを、こういう責任あるところで私は申し上げられませんし、もしそれを判定するならば、長崎医大の相当のメンバーが主治医としてやつておられますから、そこで調査をなされた方がいいと思います。
  225. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたとしてはよくわかりませんね。
  226. 石川數雄

    石川参考人 はい。
  227. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでからだも悪かつたのですが、とにかく達者なこともありましたが、そういうまじめな態度で研究せられた結果、学問上については相当の業績を残しておいでになるのですか。
  228. 石川數雄

    石川参考人 相当ということの御質問ですが、これは大体大学に席を置きまして、そして專門仕事を熱心にやる方としては、何といいますか、長崎大学の教授として恥しくないりつぱな業績は残しておられます。
  229. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは永井博士著書のうちの「生命の河」というのをお読みになりましたか。
  230. 石川數雄

    石川参考人 あれは放射線学のことが最も多く書いてあるのですが、大体拜見いたしました。
  231. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その本の中に、原子病原子放射線によつて起される病気である、こういうことを書いてあつたそうですが、その原子病というのは、永井博士によつて初めてわかつたのだということですが、それはいかがですか。
  232. 石川數雄

    石川参考人 わかつたのだということはだれが言つたのですか。本に書いてあるのではないでしよう。永井君はそんなことは言つていないだろうと思います。
  233. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 原子病というのは永井博士によつてつくられた……
  234. 石川數雄

    石川参考人 そんなことはありません。これは永井君でなくても、いわゆる放射線学ということですが、これは何も原子爆彈が落ちてから始まつたことではない。ただ原子爆彈身体への障害の相当大きいものが、いわゆる放射線でありますから、昔からのレントゲン障害、ラジウム障害と質的にはこれを区別していないと思います。ただ量的にはあんなに一瞬間に大量に来るということは今までなかつた。しかし病気そのものの本質とはかけ離れることができない。われわれは昔から同じ病気をレントゲン障害とか、放射線障害とか、ラジウム障害とか呼んでおりましたが、原子爆彈というあのできごと以来、原子病という言葉で呼ぶようになつたのです。これは原子爆彈直後に医学者がみな用い始めたものです。もちろんその前後に、永井君の問題もそういうふうに使い始めたのだと思います。
  235. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 現在なおその血液をもつて原子病の研究に何か貢献しておられるというのですが、その点はいかがですか。
  236. 石川數雄

    石川参考人 まあそれにも関連いたしますが、私はむしろ專門立場から一般の方に申し上げておきたいことが、一つあります。放射線学というのは、いわば非常に特殊の部門の学問でありまして、比較的一般の方と関係の少い学問であります。まして文学などとは非常に関係の少い、特殊の專門部門であるわけでありますから、それを取上げて大衆に、しかもああいうふうにたくさんに読んでいただく、そういうことの結果として、非常に珍しい、一つ科学的な分野としての印象を與えただろうと思います。ですから、專門の人口から見れば、それはすでに相当古くからあり得ることではあつても、大衆という読者の立場から見れば、非常に事かわつた新しいことですから、貢献という言葉そのものがここで非常に問題になると思います。なおそれがベスト・セラーズに近くなるということで、大衆にとつては非常に大きい貢献をするということになるのですから、そういうことの判断からいつて、貢献という言葉意味は非常にデリケートであると思います。これは今度の判定が、純粋の科学立場であるかどうかという問題にも触れて来ることと思います。それで、これはお問いでないところに私の意見を申し上げて、あるいはお怒りになるかもしれませんが、科学を推進させたとか、貢献したとかということをあまり露骨におつしやると、今度はその立場からの反駁といいますか、それがあります。もちろん永井氏は、あの立場においては自分仕事を相当続けられた。もちろんレントゲン機械をいじつて診療はできませんけれども、それは捨てなかつた。永井君は病床でやり得なかつたかもしれませんが、学問全体から見れば、そのために推進された大きな貢献とか、それを契機とした新しい発見ということが考えられると思います。ですから、さつき言いました大衆に一部の人のみが知つでいることを知らしめたという貢献は、貢献としてはいいと思いますが、科学的貢献というその貢献の解釈は、私は非常にむずかしいということを申し上げ事たいのであります。
  237. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから博士は原子爆彈で倒れて、一時意識がなかつたのでしよう。それから意識を回復したのでしよう。
  238. 石川數雄

    石川参考人 出血のあと昏倒されたとかいうことです。
  239. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その昏倒が済んで立ち上つたときに、みずから、原子力を自由に使う科学の勝利だといつて非常に喜んでおられたというような話がありますが……
  240. 石川數雄

    石川参考人 それは話ですか。本に書いてあつたものか、それとも芝居を見ての印象ですか。
  241. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは「長崎の鐘」に書いてあるのです。
  242. 石川數雄

    石川参考人 それは、語気というものはそのときの何がありますから、それをどう解釈してよいか。実は「長崎の鐘」を拝見しても——その御質問は、それをどういうふうに科学的に解釈するかという御質問ですか。
  243. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういう事実があつたかどうかということです。
  244. 石川數雄

    石川参考人 実は私よく見ていないのですが……
  245. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは本に書いてあつたのです。それで私どもの聞きたいのは、この原子力を自由に使う科学の勝利だと言つて——それをどう使つておいでになるかを聞きたいのです。その後の科学のために……
  246. 石川數雄

    石川参考人 私は質問もわからないし、その状況もよくわからないものですから、科学の勝利ということをどういうふうに永井君が著書に——それはそのことがあつても、やはり私が批判するためには、もう一度そこを前から読まないと、ちよつと御質問だけで推測できません。
  247. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後、原子爆彈によつて体内に與えられた影響を、実地に実験するために、みずからの血液を始終出しておられたというお話ですが……
  248. 石川數雄

    石川参考人 それはおそらくこういうことじやないかと思います。これも私確実に申し上げていいかどうかわかりませんが、白血病というものは、たびたび採血して見なければならぬので、私も三回永井君の血液をとつて顯微鏡で見ましたけれども、そういう度毎に快く提供しましたが、そういうことにもとれるのではないかと思います。
  249. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 みずから進んで……
  250. 石川數雄

    石川参考人 みずからもやつたかも知れませんけれども、私がお伺いしたときは、もう横になつておりました。それは倒れる前には、自分でも調べたことがあつたかも知れませんが、その辺は私はよく存じておりません。若い助手の人が、いろいろ採血などされたのではないですか。
  251. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 グラフや標本をつくつておられるそうですが、そういうことはお聞きになつておりませんか。
  252. 石川數雄

    石川参考人 それはあつただろうと思いますが、しかしそれは貢献ということにはならないと思います。ただ病人ならば、検査されるままに任せますけれども自分が医者であるから、やはり自分からもちよつととつて見たくなると思います。
  253. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後の生活態度であるとか、そういうものは御承知でありますか。
  254. 石川數雄

    石川参考人 私も永井君から相当手紙をいただいておりまして、また家へ行つたこともありましたが、さつきほかの参考人も申されましたように、あの重症で、しかも狭い家、ああいう環境での生活振りというものは、非常に敬服するところが多いと思います。
  255. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう点です。
  256. 石川數雄

    石川参考人 それは、科学者として、とにかくあの環境においては、ちよつとだれでもできないことだと思います。
  257. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 質素な生活ということですか。
  258. 石川數雄

    石川参考人 質素だけじやなく、あの重症で努力して、非常にたくさんの、しかもベスト・セラーになる程度のものを書かれたということです。
  259. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 本にも書いてありますが、私はこのからだでできるのは、随筆を書く以外にはほかに何もできないのだから、これだけの……
  260. 石川數雄

    石川参考人 ですから、あの状況で、たとえば、さつき科学の問題に触れますが、科学的貢献をやらなかつた、それはできないことですから……しかし筆をとられたということは、これはできることの最善を盡して行つたと言つていいと思います。ですから、それだけに永井さんを表彰するときに、科学立場に立つと、いろいろのデーターによる問題が出て来ると思います。だからあの状況において、あれだけ書かれたというその事実に即して表彰する仕方の方が、私はいいのじやないかということを感じております。
  261. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 永井さんは博士論文を出されたようですが、それはどういうものですか。
  262. 石川數雄

    石川参考人 私はよく覚えていませんが、血漿学のことだというふうに記憶しております。
  263. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 レントゲン線の屈折現象利用による尿石の微細構造の研究……
  264. 石川數雄

    石川参考人 さつき結石と言いましたが、それは尿石を使つてレントゲン線の屈折現象を見る研究です。
  265. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここに「原子病患者の手記」それから「平和」「最後の人」の原稿があるのですが、これは永井博士の直筆であるかどうか、ごらん願います。
  266. 石川數雄

    石川参考人 私はちよつと專門的に筆跡鑑定はできかねるのですが、永井君からいただいたのは、たいていペンで、場合によつては筆で書いたのもありますが、それと非常によく似ておると思います。しかし手紙でも、からだのぐあいの悪かつたときは、代筆のものがありますから、これが代筆であつたからというて、必ずしも永井君のものでないということの否定にはならないと思います。
  267. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か御質問がありましたら……
  268. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 石川さんは、慢性骨髄性白血病、この原因に大体二つあるというお話でございましたが、実はわれわれは……
  269. 石川數雄

    石川参考人 二つとはつきり言えません。二つ以上ありますから……。私はこれに関連したものだけあげたのです。
  270. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 そうですが。そこで実は永井博士は、あまりレントゲンの研究に熱心なために、研究室ですか暗室ですか、そこに立てこもり過ぎる。それでは白血球と赤血球のバランスを失つて、こういうような病気になるからということで、学長や学校内の先輩、それから同じ学校内の同僚などに、適当にやれということを勧告されたということを承つたのでありますが、参考人はそのことを知りませんか。
  271. 石川數雄

    石川参考人 私はそういう勧告を受けたということは、永井君からは聞いておりませんけれども永井君の性質では、あるいはそうだつたろうと思います。非常に熱中してやるときは、そのくらいのことはあつたろうと思います。
  272. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 先ほど参考人は、レントゲンの研究というものは非常に專門的なものである。しかもその中において、結昌の研究というものは、さらにまた專門專門であるということを申されたのでありますが、そうして見ると、一般科学者あるいは医師、もつと範疇を狭めて、医学の社会において永井さんの研究の価値を判定するというようなことは、非常に困難ではないかというふうに思われる。いわんや文学だけを批評するところのいわゆる批評家なる者、あるいはジヤーナリズム、こういう者によつて判定することは、なかなかむずかしいと思うのですが、参考人はどういうふうに考えますか。
  273. 石川數雄

    石川参考人 判定がまつたくできないとは言えないのですが、たとえばそのお答えになるような例を申し上げますと、ああいう專門の中のどの分は、昨年に比べて新しい発見だというような区別は、私はつかないだろうと思います。ですからそれはほんとうに、いわゆる專門家のみが判断しなければならないと思いますが、しかしそういうものに対するある程度の判断はできましようから、絶対にできないと言うと、語弊があるのではないかと思います。
  274. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 先ほど参考人は、永井さんの性格は非常に地味であると言われましたが、私も実は永井博士とは多少の接触があつたことがあるのですが、私もまつたく参考人と同じ感想を持つておるのであります。そこで永井博士という人は、時流に投ずるような、ジヤーナリズムに投ずるような、そういう研究をやるのではなくて、こつこつとやつておつたというその点は、私も参考人とまつたく同じにあの人の性格を見ておりますから、参考人の証言が非常に正鵠を射ているというふうに思われるのであります。先ほど参考人はあのじみな永井博士が「この子を残して」の著書を書い後と思いますが、ああいうはでな面もあつたということを知つてびつくりした。多少言葉は違うかもしれませんが、そういう証言をなさつております。御承知の通り永井さんはあの小さな小屋に寝たつきりであります。起きて自分がどうすることもできない、いわんや書いた原稿を東京に持つて来て持ちまわるということはできない。ただしかし永井さんという人は、これをできるだけ広く読んでもらいたいという気持はもちろん持つておつたと思う。ところがだれがどうしてあの出版社にこれを持ち込んだかは知りませんが、何れ永井さんはここでスタンド・プレーをやろうとして、そういうことをやつたのではないと思いますが、参考人はその点どういうふうにお考えですか。
  275. 石川數雄

    石川参考人 永井君ははでな生活を自分でやつたとは申し上げなかつたのでありますが、あのまじめな、ほんとうに科学者永井君が、昔の性格から想像いたしまして、べスト・セラーズの対象になろうとは思わなかつた。次次にみんなの心を打つようなものが書けた。いわば科学者は文学と正反対のような生活をしておりますから、これがジヤーナリズムの中へ入つて行けない。科学者の中でもジヤーナリズムに相当腕を振われる人は多いと思いますが、実は「長崎の鐘」の発刊についていろいろな人の批評会がありました。そのときに私は、みんなの人がいろいろ永井君のことについて話したときにも、永井君は非常にくそまじめな科学者だ。科学者というようなものでもやればやるものだ、あの当時の永井君を頭に描いたときに、どうしても想像できないということを述べたことがあります。その意味でございます。
  276. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 だんだんあとになつて、要するに永井物なるものが非常に売れるようになつた。名前ちよつと忘れましたが、ある人が出版の周旋業をやり始めた。ところが自分の意思と大分反しておるので、慷慨したというようなことを側近の方に漏らした事実があるのでありますが、あなたは友人としてお聞きになつておりませんか。
  277. 石川數雄

    石川参考人 聞いておりません。実は私はあまり東京の輿論をよく知らないものですから、私の参考に申し上げておることは、私が九州におつたときが主でありまして、こちらでだれがどう言つた、こう言つたということは、今のところ材料がございません。
  278. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 永井博士の友人としてお伺いするのですが、実は永井博士は原稿料というものは一切自分で手にしない。世界平和に貢献するようなことがあれば何かそういう方面に使いたい。もつと直接的には、長崎がいわゆる文化都市であるという意味において、文化の方に貢献するいい方法があれば使つてくれというようなことを、今は故人となられましたが、若松代議士などにも相談したことがあるそうでありますが、あなたはそういう事実をお聞きになつておりますか。
  279. 石川數雄

    石川参考人 それに関連したことで一つ申し上げますと、まだ「この子を残して」を出版する前に永井君は、私が友達として、東京に出て社会人として出版事業関係しているものですから「スミス神父」というカトリックの本を私の方から出すことを依頼されて出しました。これはいわゆる永井物なんと言われなかつたころで、そのときの印税も自分ではおとりにならなくて、あすこの、ちよつと私記憶がはつきりしませんが、浦上の再建か何かの団体があつたと思いますが、そういうものに使われたように思います。
  280. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 実は先ほど新聞社の名前をはつきり名ざしで申しましたから、またそれを材料としてお伺いするのであります。実は毎日新聞社が、あの付近の人は皆家を焼かれてしまつておる。それなのに印税がたくさん入つて家をつくつた永井博士は、幸福な人だ。記事の切抜きは今持つておりませんが、こういつた意味のことが、東京、大阪、西部の三つの毎日新聞に載つておるかどうかはつきりわかりませんが、私の見たのは東京でありますけれども、数百万の読者の誤解を招くおそれがある。要するに印税がたくさん入つて家を建てたということになると、非常に誤解を招くおそれがある。ところが先ほど私が申し上げた通り、印税によつて家を建てたのではない。あの付近の人たちの好意によつて家を建てたのである。しかも印税によつて豪華な邸宅を構えておるかのような印象を與えることは、非常に誤解を招くゆえんである。そこで私は直接その小屋は実は知つておりますが、あなたはその小屋を御存じですか。どのくらいの大きさで、疊何疊敷くらいか……
  281. 石川數雄

    石川参考人 私は小さいことだけは記憶しておりますが……
  282. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 ジヤーナリズムによつて非常に誤解を招くおそれがありますから、どの程度のものか、バラックに過ぎないのですか。
  283. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 十坪くらいのものですか。
  284. 石川數雄

    石川参考人 一間か二間でしよう。
  285. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一間だけですか。
  286. 石川數雄

    石川参考人 一間とほかに小さい部屋があるかもしれません。
  287. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 その家も、「この子を残して」を書く前にできたものであるから、印税でないことははつきりしておりますね。その地方の人たちは、永井博士は献身的に戰争中も無料で治療して歩いた。それに報いるべくその辺の信者たちが拠金をしたり、労力を奉仕してその家をつくつたというふうに言われておりますが、あなたはそれについて何か御存じですか。
  288. 石川數雄

    石川参考人 そうであろうと私は推察いたします。
  289. 小林進

    小林(進)委員 永井博士の病状について実はお聞きしたいと思いますが、石川さんが直接ごらんになつたのは、いつごろでございましようか。
  290. 石川數雄

    石川参考人 時期のことをはつきり調べようと思つてノートを持つて来たのですけれども、私は大学をやめて長崎に五回調査に行つております。行つていろいろ調査いたしましたときにお寄りしました。
  291. 小林進

    小林(進)委員 それに関連しまして今一つお尋ねしますが、著書をよく見ますと、二疊の部屋で幼い子供二人と三人で住んでいるということなのです。それほどの重症の方が、子供と三人で二疊の部屋にいるということがちよつと私にはふに落ちない。何かその近隣か近所かに食事その他好意的に世話してくれる人があるのじやないか。
  292. 石川數雄

    石川参考人 いとこさんか何かあるようです。  それから小さい問題では、二回目に一部屋か二部屋の、小さいけれどもがつちりした建物を建てる前に、焼け跡にトタンをつつかい棒しておつたときがあります。それは何疊とは言えない今よりもつと狭かつたと思います。
  293. 小林進

    小林(進)委員 私はそのときも考えました。病状に偽りがあるか、あるいはまた三人家族のほかに、だれかせわする人がいなくてはならない。その点も学者らしく、著書に明らかに出て来れば非常にいいのに、そこが出て来ないところに、何かジヤーナリズムに迎合するようなところがあるのじやないかというような気がするのですが、私の思い過しでしようか。
  294. 石川數雄

    石川参考人 永井君は出て来ることを何も隠していないでしよう。三越の劇のところに出て来て、大いに感激さしたのです。
  295. 小林進

    小林(進)委員 それから爆彈が落ちた当時のありさまなのでございますが、これは「長崎の鐘」を見てお尋ねするのです。原子爆彈が落ちて、レントゲンのフイルムをわけているときにやられた。やられた後はともかく身体がふつ飛ばされたが、ガラスの破片が風にもまれて木の葉みたいに襲いかかつて、切られる切られる思つているうちに、ガラスの破片でやられたというふうに出ておる。さつきあなたは昏倒して、昏睡状態に陥られたというような御証言でございましたが、みずからのお言葉には、ちつとも昏睡もされていないようでして、若干の期間が過ぎてからほかの部屋へ行つて、ただちに同僚その他の看護に向われているのであります。爾今ずつと日記的につけられているこの文章には、はなはだしい自分の活躍、同僚の救助、救護、あるいはその中には原子爆彈に対する非常に激しい討論等が行われておりますけれども、病状に対しては、ただ右の手か何かに血が吹き出るので、人の看病をするのに、自分の手を抑えてやらなければならないので、不便であるという一箇所がありますが、そのほかには大して歩行に困難だとか、活動に困難だとかいうお言葉が出て参りませんので、原爆を受けた後の病状について少し大げさに伝えられているのじやないかという気がいたします。この点をお聞かせ願います。
  296. 石川數雄

    石川参考人 それは私はその場におらないし、もつと少かつたという判断はできかねますが、一つだけ申し上げますると、白血病というのは血液を見ればわかります。しかし自覚的に痛みもなければかゆみもないのであります。
  297. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 証人永井博士と同じフイルドの学術を研究されたというので、特にお聞きしたいと思います。今証人お話を承りますと、永井博士はじみなサブジェクトに対して長い間研究されたということを聞きました。そういう科学者は世の中に宣伝されるされないは別として、非常に大きな業績をもたらすのが普通の例であります。そこで博士の尿石のレントゲン線の屈折によるいろいろな研究が医学的、学術的な意味においてどんな地位を持つておるか。特にこの永井博士表彰の問題について、どういう点に着目してこれを表彰すべきか、かなり問題になつておりますので、その点をお伺いしたいと思います。
  298. 石川數雄

    石川参考人 永井博士の学位論文ですが、これは大学の教授会にかけて学位を與えたということは、科学的判断の手続を経て判定したのだから、別に問題はないと思います。ただその程度のことだけをもつて未曽有というこの表彰理由とすることは、ほかにもその程度の業績は、專門の分野には、純粋に科学的に考えるとあり得ますから、それはむりではないかと思います。しかし表彰については、そういう科学的なことではなくて、ほかをも考えるというならまた別問題だと思います。つまりその価値判断をどういうところに置くかというところに問題があると思うのであります。
  299. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どうも御苦労さまでした。  それでは本日はこれに、て散会いたします。     午後五時七分散会