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本村証人 私の方の
公団ができましたのが二十三年の二月でございましたが、その前に
公団法が国会で審議されましたのが、その前年の八月ごろだ
つたかと存じます。それでその当時
公団といたしましては、石油配給
公団、配炭
公団その他があ
つたわけでございますが、それらの
職員の給與を決定いたしますのについて、たしか二十二年の五月ごろの閣議決定で、
統制機関から
公団に移行する
職員につきましては、
統制機関当時の原給を維持するという閣議決定があ
つたように記憶しております。それで八月に
公団法が上程されました前後、当時の前身機関たる
帝国油糧の
職員としては、もし
公団にな
つて著しく給與に変化があるようでは非常に困るということで、
関係方面、あるいは当時の
帝国油糧の幹部に対しましてその間の事情を訴えたり、あるいは陳情したりしたわけでございます。そのときにやはり当時の
帝国油糧の幹部、あるいはまた農林省
関係官といたしましては、その閣議決定の線に沿
つて決定されるから安心せよというようなお言葉があ
つたわけです。それで十二月の末になりまして、どういう事情かわかりませんが、突然前回の閣議決定がくつがえされまして今後
公団の
職員については、
一般官吏と同様の給與を原則とする、そして平均三割、各人につきましては一割ないし五割の
公団特別手当を支給する、こういうように決定されたわけでございます。そこで二月に
公団が発足いたしまして、その当時の二千九百二十円ベースでそのような計算をいたしますと、当時の
帝国油糧の給與から見て大体六割にしか当らない。それでインフレーシヨンが相当に激しく進行しておりまして、日々物価が上
つて行く際に、同じ
場所で同じ
仕事を続けている者が、身分が変
つたというだけで実收が四割も減るということは、とうてい生活ができないというようなことから、相当に退職者が出たりして、もし
公団の
仕事としての日本の
油脂統制というものが円滑に推移できないということになれば、これは重大な問題だとして、当時の幹部としての
総裁、副
総裁の線で、一応原給を維持するべくいろいろと努力されたわけでございます。それにつきましては、あるいは
公団の
設立委員会の席上でいろいろなお
話合いもありましたしするので、特にそういう決定がなされたのではないかというふうに考えます。
それからもう
一つは、この
公団職員に
一般政府
職員の給與を與えるということは決定いたしておりましたが、それは原則だけで、
個人々々について、だれそれに何号俸を給するということを決定するのは、当時の新給與実施本部の方で決定するわけでございますが、これが当時職階制の適用によりまして、全官吏に対してその査定をやるということで、一朝一夕にはなかなか
公団の
職員についてまで、何のたれ兵衞にはいくらということを決定するのに相当時間がかか
つたわけであります。それで私の方といたしましては、新給與実施本部からそれの決定の通知があ
つたのが八月にな
つたわけです。そうしますと、二月から八月までの間というものは、政府
職員の給與を支給するということはきま
つておりますが、だれに何号俸をやるということがきま
つておりませんために、給與を支拂う根拠がなか
つたわけです。そこでやむを得ず、支拂う手段として当時の
帝国油糧時代の手取りをそのまま仮拂いしたというような事情にな
つております。