○
聽濤委員 すでに七十節所の
修正意見を出してありますが、これについてどういう根拠からこれを出したか、その総括的な根拠を御
説明申し上げます。
一、
委員会報告のねらい
衆議院
考査特別委員会は
国電スト、国鉄労組熱海決議、平
事件、
広島日鋼争議の四
事件につき「
国電スト等騒擾事件報告書」なるものを発表し、これらの諸
事件が「
共産党等の唱える人民政府樹立に向
つて進行しつつある
暴力革命の前哨戰である」というさきの中間
報告の結論を立証し
ようとして、大体つぎの諸点を強調している。
一、四
事件とも時間的に、または闘争方式において相関連し、あるいは共通性をも
つているが、それは
共産党が革命の突破口として計画的に組織したものであることを物語
つている。
二、そのために
共産党は組織的に「八月革命説」を流布し、それによ
つて「無智な下部党員に自信を起させ、下部党員はまたこの盲信に基いて、同じく「無智な」大衆を煽動し、また行動にかりたてた。
三、その闘争方式がどこでも職場闘争から、産業防衛闘争から、地域人民闘争へということを目標とし、この方法によ
つて労働者の闘争に農民、市民を結合せしめ、かくしてこの闘争を地方
権力の弱体化に向けさせたことは、地方動乱を起させて、これを
中央に反映させ、民主人民政府樹立の革命的手段として利用せんとしたものである。
四、しかもこの四
事件とも多数による威嚇、脅迫、暴行など、暴力性と残忍性が現われているのは、
共産党が
暴力革命を目指していることの何よりの証拠である。しかし
考査委員会はこの
ような結論をいかにして引き出したであろうか。
ここにこそ本当の問題があ。このことを明かにしないでは、
考査委員会の結論を正しく評価することはできない。
二、
考査委員会はどういう経緯で四
事件を取上げたか。
そもそも
考査委員会は不当財産取引
調査特別
委員会を改名、変質させたもので、すでにその時から
民自党の反共的陰謀の意図は瀝然としていたが、それはしばらく論外とするも、
考査委員会が四
事件を取上げたのは、次の
ような経緯によるものであることは、何人も否定できない。
一、第五国会で定員法を多数の威力により強行通過させた
民自党吉田内閣は、同法による大量首切りをまず国鉄に対して強行したことは事実の示すところである。だからまず国鉄においてこれに対する労働者の
反対闘争が起
つたのはむしろ当然であり、政府みずから予想したところである。しかし現実にこの闘争が
国電ストとして起るや、政府は周章狼狽し、今後発生が予想される国鉄労働者の闘争を彈圧する口実と下地をつくるべく、着々準備を進めたことはこれまた事実の示すところである。
二、現に
民自党廣川幹事長は、
国電ストの発生を見るや、間髪を入れず
共産党の「八月
暴力革命説」を全国にばらまいた。「八月革命説」をばらまいたのは、決して
共産党ではなく、
民自党みずからであ
つたことは、本
事件の真相を知るための重要なかぎの
一つである。
三、さらに廣川幹事長は、当時すでに国会休会中で
考査委員会も開かれていなか
つた状態なので、
委員会の意思などにかかわりなく、か
つてに
国電スト問題は
考査委員で
審議させることを公表し、その後急遽同
委員会が召集されたことは、
考査委員会が
民自党の私物と化し、廣川氏の事実上の指図のもとに
国電スト問題を取上げたことを物語
つている。
四、
国電スト問題を取上げたことは、その後の経過が示す
ように、單なるきつかけにすぎず、次々と他の
事件を計画的に取上げたことを示している。現に
考査委員会は、前の不当財委から引継いだ約十数件、及び六、七件に及ぶ新しい問題など、ぜひ
審議すべき問題が山積していたにかかわらず、全部を、放棄してこの四件の
審議に集中した事実は、このことを明瞭に物語
つている。
五、これを要するに最初から反共的陰謀に基いてつくられた
考査委員会は、ここに本性を暴露して「非日
委員会」と化し、
共産党の彈圧と破壊を目的として運用されるにいた
つた。
三、
考査委員会で四件はいかに
審議されたか
こういう経緯をも
つて四件を取上げた
考査委員会の反共的意図は、その実際の
審議の中でますます露骨に現れた。
一、四件ともその本質において労働
争議であり、吉田内閣の首切り政策の犠牲に
なつた労働者が賃金の遅欠配、労働強化、首切りのため言語に絶する生活の苦痛をなめさせられ、そこから労働者の生活防衛の闘争が必然的に起
つてきたことについては、一片の顧慮も與えなか
つた。
二、またこれら労働
争議の背後には、吉田内閣の産業破壊の政策の結果、国鉄の荒廃、民間産業の破滅が進行しつつある事実には完全に眼をおおい、証人のうちにこれらの問題を真劍に訴へんとするものがあるや、
民自党委員はこれらの
発言を威嚇的に抑圧した。
三、
民自党委員は、証人のうち
共産党員やまじめな労組員の
発言には威嚇を加え、彼らの自由な
発言を押えながら、一方では自党に都合のよい
ような、誘導尋問に終始した。すでに四人の労働者を偽証罪、あるいは証言拒否の罪名で告発しているのは、このことの何よりの証拠である。
四、しかも官側、会社側、あるいは第二組合員や民同の
発言は自由にこれを許し、国鉄民同の
発言には、
民自党委員が拍手をも
つて称讃した事実さえある。
五、さらに
共産党委員の
発言は、しばしば低級なるやじと妨害に会い、
委員長みずからその
発言に干渉した事実も多々あるばかりでなく、
委員会の運営は常に
民自党委員の多数により一方的に行われ
た。
六、かくして四件とも検事的。特高的尋問に終始したことは、今回の考査
委員会報告書の
内容がおのずからこれを立証しているが、とくにその
内容が検察庁、
警察の四件取扱いの
態度と全く符合している事実は見逃し得ない。のみならず労組や
共産党の組織的
内容に立入
つて執拗な尋問が行われたことは、特徴的であ
つた。
以上の
ような経緯と
審議を経て作成された今回の
国電スト等騒擾事件報告書が、
共産党誹謗の結論を下しているのは、決して偶然ではなく、むしろ最初から
共産党の彈圧と破壊を意識して作成されたものである。だがここで重要なことは、この
共産党誹謗の陰で事実が完全にひん曲げられていることである。
一、国鉄労組熱海決議
考査委員会がこの問題を取上げた
理由は、国鉄労組は公共企業労働関係法によりストが禁止されているから、
実力行使決議は非合法だというにある。
そこで同決議が合法か非合法かが問題ならば、当然法務
委員会で
審議すべきである。
しかるにわざわざ
考査委員会で取上げたのは「非合法」という言葉の魔力を利用して、国鉄労組が犯罪的あるいは暴力的計画を行
つているとの印象をばらまき、彈圧の口実をつくるためであ
つた。現に殖田法務総裁でさえも、公共労法十七條違反は單に違法であ
つて、犯罪ではないと証言し、問題にならないことを明らかにしている。
いずれにせよ
憲法に違反した公共労法や定員法をつく
つた民自党委員が、いかなる資格があ
つて非合法問題を
審議したのであるか、究明しなければならない問題はここにこそある。
二、
国電スト
国電ストの直接の原因は、新交番制の実施にあ
つたことは
報告書も認めるところ。
しかし
報告書は、新交番制の実施がはげしい労働強化をもたらし、たえ難い労働環境をつくることを訴え、また大量首切りの前触れであると訴える労働者の切実な主張を否定し、逆に労働者は事実を誇大に宣伝して闘争の口実にしたと強弁している。
これが
民自党の
国電ストに対する恨本
態度であり、これは労働
争議に対する無智と弁解を現わしているのみならず、
争議の本質を抹殺して派生的
事件をとらえ、検事的
態度で作為的に暴力的闘争の筋書をつくり上げ
ようとしたことを端的に物語
つている。
また、いわゆる人民電車
事件を大犯罪かの
ように仰々しく取立てているが、一体だれに対して犯罪なのか。労働者をストに追込み、その上労働者がなお列車の正常な運転を申し出したのを拒否し、あまつさえ列車運行を業務命令で妨害したのはだれか。このことを明らかにしないでどうしてこの
事件の正しい評価ができるであろうか。
三、平、福島、
広島日鋼事件
これら
事件は
報告書においてすべて
騒擾事件として取扱われている。また労働者と警官隊との衝突があ
つたのも事実である。世界各国において、労働者の運動のあるところ、官憲の彈圧があることは歴史の示すところである。それは本質的に階級闘争であるからだ。それにもかかわらず、官憲との衝突があ
つたというだけでそれが
騒擾事件だというならば、世界各国の労働運動は騒擾であり暴力的運動だということになり、これほど労働運動に対する無智と労働者に対する侮辱を表明するものはない。
だから何ゆえ労働者と官憲との衝突が起
つたか、その原因と実際の衝突の
状況とを見ずして騒擾と断定するのは、ただ労働運動に対する彈圧と官憲への協力を物語るにほかならない。
個々の場合においていろいろの問題があ
つたことは認められるが、これは官憲側の挑発によ
つてひき起されたものである。
報告書のいわゆる
騒擾事件とは、すべて官憲の挑発によ
つて起り、労働者がこれに対し防禦を行
つたにすぎないのである。
たとえば平
事件は、あの
警察側のやぶから棒の
ような掲示板撤去
要求がなか
つたならば起らなか
つただろうということは、
民自党であろうと
共産党であろうとだれが
考えても目明のことである。
一体だれがこの撤去
要求を出したのか。それは
警察側である。しかも
警察は、撤去
要求について納得しうる
理由さえ開陳できなか
つたではないか。現に同じ掲示板は旧位置から半町も隔たないところにいまも
つてちやんと立
つている事実は、
警察の撤去
要求がいかに無根拠であ
つたかを証明するのみならず、むしろ問題の茶番化を示すものである。しかし、かかる無根拠な
理由をも
つてこの
事件の糸口をつく
つたことこそ、実はその後、平
騒擾事件として百数十名に及ぶ労働者の大量検挙のきつかけをつく
つたのであ
つて、本
事件の真相はこの点を明確にすることなくしては絶対に解明し得ないのである。
広島日鋼事件においても、会社側が対抗手段として工場閉鎖の拳に出た後を受けて、
広島県知事が現地軍政部の一般命令を伝達して、
従業員の工場外退去を
要求し、その時すでに二千名の武装警官が出動して、暴力的に追出しにかか
つたことが衝突の原因であ
つたことは、何人が否定し得るだろう。
しかも衝突とはいえ、労働者側はスクラムを組んで対抗しただけで、官憲の一方的挑発と労働者の一方的防衛に終始したことはだれの眼にも明らかである。
さらに
広島日鋼事件や若松の三菱広田工場
事件は、会社側が大量首切りを決行するために、あらかじめ一方的に労働協約を破棄し、賃金の遅配を行い、その上で一方的な首切りを発表し、それについての団体交渉を拒否し、労働者を手も足も出ない
ような窮地に追込んだことからあの
争議が起
つたことは明白であるにかかわらず、労働者の計画的闘争だと誹謗している。
高萩炭鉱
事件も大体同様の
争議であり、平
事件の背後にも矢郷炭鉱労働者及びその家族の悲惨な生活とその防衛闘争があ
つたことは、全然無視されている。
福島
郡山事件における労働者の主食掛売
要求や地方産業防衛の
要求は、吉田内閲の破壊政策の結果、今全国各地で起
つている大衆運動の一例にすぎない。
四、
報告書はこれらの根本的諸点をあいまいにし、あるいは無視しているが、それは
考査委員会に喚問した証人のうち特に官憲側、会社側、第二組合側、民同側の
発言を基礎として作成したためであることは、
報告書を一読すれば明らかである。
五、結論
以上の
ような経緯、
審議、
報告書作成の経過を見ても明らかな
ように、吉田内閣と
民自党、自己の政策の破綻をおおい隠すために、
共産党の彈圧と破壊を意識的に計画し、
考査特別委員会を利用して、この計画の一端を実現し
ようとしているのである。だが、われわれは彼らの無智と無謀を指摘して結論とする。
一、労働運動に対する無智
吉田内閣と
民自党が労働運動をいささかでも理解し
ようと努力せず、ただ無謀にも彈圧さえやれば事足れりとしていることは、天下周知のことであり、その無知さはむしろ笑いものとさえな
つている。
労働者大衆が生活の破綻の中で生死の苦しみをなめ、その中から必死の生活防衛の闘争を起している事実を見ることができず、これらの闘争に対して暴力主義だとの非難を浴びせているが、それは單に官憲や資本家側のつくりごとにすぎず、何ら真実を伝えるものではない。
時間的に諸種の
事件が相関連しているというが、吉田内閣の産業破壊と首切り政策の土台の上に起
つたこれらの
事件が、時間的に相関連しているのは当然であり、今や全国各地の職場、工場、官庁に起
つている無数の闘争は、この筆法で行けば全部相関連している。
若松、
郡山、福島などの
事件は、平
事件をめぐ
つて計画されたものだとしているが、これは労働者が他の労働者に対する彈圧に奮起し、その防衛のために闘うのは全世界の労働運動の伝統であり、かかる労働者の連帶性は国際的規模にまたが
つていることすら知らない者の言である。
職場闘争から産業防衛闘争、それから地域人民闘争という闘争方式を問題にし、あるいは革命を
云々し、とりわけ
暴力革命を
云々しているが、吉田内閣と
民自党は、ただ言葉の上で理解するだけで、それらの
内容についてはいささかも理解していない。
労働者を愚昧であり無知であると
考えている。その証拠には、大衆の闘争をすべて
共産党の笛に踊らされている、ものと
考えるきわめて幼稚な思想がこれを表明している。これは労働運動における
共産党の役割についての完全な無知ともな
つて現われている。
二、革命の否定
吉田内閣と
民自党は
共産党が革命を目ざし、また労働者をその
ように指導していることを罪悪の
ように
考えている。しかし今日の日本において日本における民主主義の徹底、日本の民主化の徹底はとりもなおさず革命であり、革命的大事業である。今日の日本において革命を否定するものは、人民の政党としての任務を否定するものである。
労働者や
共産党が吉田内閣の打倒を叫び、民主人民政府の樹立を
要求するのは、なるほど革命的
要求である。それはそうする以外に日本の民主化の徹底は実現し得ないからである。このために闘争することは労働者や
共産党の光栄ある任務である。
革命といえば
暴力革命だと思
つているが、それは革命とは何か、
暴力革命とは何かを知らない者の
考えである。
暴力革命とは特定の條件の中でのみ起り得る問題であ
つて、日本においてはすでに平和的諸條件の中で革命は進行しつつることを知らないのである。
三、秩序の紊乱と社会不安の原因
吉田内閣と
民自党は、四
事件が秩序の紊乱と社会不安を惹起していると主張しているが、産業が破壊され、本年に入
つてからだけでも中小工場の倒潰するもの数千を数え、失業者の洪水が全国をおおい、重税に打ちひしがれる農民や中小商工業者の生活の破綻を
考えるとき、これが現代日本の社会不安の最大の原因であることをたれが否定し得
よう。しかもこの社会不安はたれが
責任を持つべきか。とりも直さず吉田内閣と
民自党の産業破壊と首切りと重税の政策こそ社会不安の根本原因ではないか。
四、吉田内閣と
民自党の自己に対する不明
彼らは單に労働運動や
共産党に対して無知であるばかりでなく、自己に対しても不明である。彼らが日本における極右反動であることは、すでに日本においても常識化されている。單に国内だけでなく、むしろ国際的にこれは定評とな
つている。ソ同盟や中華人民共和国やその他の民主主義諸国が、吉田内閣をフアシスト的政権と評しているばかりでなく、米英の輿論の中にも、極右の折紙をつけている事実は明かであるが、彼らはこの事実を知ろうとしない。しかしこの定評は彼らの現実のフアシスト的行動と完全に一致するものであり、それはまことにヒトラー的であり、ムソリーニ的であり、東條軍閥的である。彼らは露骨な反共政策を推進して来たが、もはやすでにその反共政策は行詰りに逢著していることは、今議会直前の吉田首相の告白によ
つても明かである。
五、
報告書は
民自党的な結論にすぎぬ
かくして
考査特別委員会報告書は反共的結論を下すことに成功したかに見えるが、それは要するに
民自党的な結論にすぎず、しかもそれは
民自党の労働運動と
共産党に対する無知、革命の罪悪視、日本における極右反動政党としての
民自党の根本的性格の所産である。それは決して日本国会の権威を高めるものでなく、逆に国内的にも、特に国際的に日本国会の権威を失墜させるものであることは論をまたない。それは決して国内外の批判に長く耐え得るものでないことを断言する。
以上であります。