○
ウイリアムス博士 まず
米國の
議会におきましては、この
法規委員会というものは存在しておりません。
米國のみならず、世界各國の
立法府におきましても、私の知
つておる限り、こういう
委員会が設置せられておる所はないのであります。しかしながら来國の州におきまして、
三つの州が大体
日本のこの
法規委員会の線に
沿つた委員会というものを持
つておりまして、その構想も当
法規委員会に似ておる点が多分にあります。今三州においてと申しましたが、この三州というのはカンサス、ミシガンもう
一つほかの州でありまして、その
三つを言
つておるのでありますが、この三州におきましては、過去二十年間にわたりまして、こういう
委員会を持
つておるのであります。それはいまだに
経驗的な段階を経ておるにすぎないのでありますが、これを私が
國会法に入れた動機は、この三州における実際を見まして、それが相当な成功を
收めておるのにかんがみまして、
日本の
國会法にこれを入れまして、当
委員会を設番するということに力を入れたわけであります。すべての状態がいい場合には、こういう
委員会が成功するというのは、かなかなむずかしいことだと
思つております。当
委員会が成功する
唯一の方法というべきものを
考えるといたしましたならば、この
委員会に連な
つておりまする
議員の方々が、
委員会の勢力というものを
両院にも、また内閣にも知らしめるように
努力するという点にかか
つて來るのではないかと
思つております。この
委員会がなし得られるであろうと思われる
唯一の重要な理論的な
考えは、これが司法、
行政、立法を含めた大きい
意味の
政府の中において、
一つの確固たる
地位を保
つて、そうしてそこにおいて
政治家が
党派にとらわれずに問題を議するという点にかか
つておりまするが、もともと
政治家が
党派にとらわれないということは非常にむずかしいがゆえに、私はその言葉を断言的には用いないのでありまするけれども、ともかく非政治的にいろいろなことを論議するというような
機会が得られるという点が、重要なところだと思います。だからこの希望としましては、
佐瀬さんでも、また
松澤さんでも、これが民自党であるとか、あるいは
社会党であるとかそういつた点を抜きにして論議するという点にありまするが、そういうことが可能であるかどうかということは、これまた
一つのむずかしい点ではないかと思います。ところが
議員の方におきましては、
党派的であるということがむしろ自然といいましようか、固有の姿に近いと思うのでありまするがゆえに、この
法規委員会の精神といたしましては、超
党派的にやるということはむずかしい。そういうことがこの場合に言い得られるだろうと思うのであります。そこでこの
委員会といたしましては、
会期中におきまして少くとも一週間に三回ぐらいは
会合も開くし、よく
委員の方も
研究調査等もなさいまして、
法律問題というものにつきまして非常な御
努力を傾けられるのがいいのではないかと
思つております。
私はこの
委員会の
活動ということは、今まであまりよく聞いていなかつたのでありまして、最近におきまして
委員会が
活動しておるということを知りましたのは、ここにおられる
藤井議員が
参議院の
修正案のことに関しまして私を訪問してくだすつたときに思い出したというようなかつこうにな
つておるのであります。これが
委員会の
行動について申す場合の
一つの典型的な例というものになるだろうと
思つておりまするが、私といたしましてはむしろこの
法規委員会が、私のことなんかはどうでもいいですから、
自分で決定いたしまして、そうしてそれを
両院議長に持
つて行かれる。そうしてまたさらにそれを
新聞にも発表するという自信を持
つて、自主的にいろいろ
活動していただきたい。こういうように
思つておるのであります。だから私としましてはむしろ
委員会の
活動を
新聞紙上で知るというぐあいになるのを待
つているとい
つてもさしつかえないのであります。
私はそれから他の例を申し上げたいと思いますが、これは今から一箇月ないし三週間前にあつたことでありまして、その問題につきましては当
委員会の方が
結論を持ち、そうしてそれを大きな声で取上ぐべきものであつたと思うのでありますが、それは全
國選挙管理委員会に関するものでありました。その
委員会に関する
修正を討議しておりましたときでありまするが、こういうような問題は
選挙に
関係するわけでありまして、この
委員会においてその当時とにかく
取扱つても、参加してもよろしかつたのではないかと思います。それからまたその他
衆議院議員の
選挙法とかあるいは
地方議員に関する
選挙法とかの
改正とかいうものも、まだ
法案のかつこうをなしてはおりませんけれども、そのうちに出て來る問題でありまして、このような
選挙に関することはこれは
議員の本質的な
領域に属すべき種類のものでありまして、
國会といたしましてはこういう
選挙法に
眞劍な
考慮を
拂つて、そうして連絡もとり、前からこちらの方でも
研究をし、
結論を出すべきであると思うのであります。
國会が中心とな
つてこのような問題を取上げ、そして過去において行われているいろいろの
選挙法に関するあやまちというものを
改正し、そうして何がゆえに
改正したかというその理由もまた
はつきり
國民に示す。この
國会のような高い
地位にあるものがこういう問題を
眞劍に取上げるという行き方は、非常にいいのではないかと思うのであります。そうして
國会がこれを
眞劍に取上げた場合には、世論もまたこれをサポートするでしようし、
新聞等は特にこれに対して強力な支持を與えるのではないかと
思つております。そこでもし私がこの
委員会の
委員でありましたならば、私といたしましては
両院に対して次のような点について
勧告をするようになすだろうと想像するのであります。
それは
選挙法、これは複数でありますが、いろいろの
選挙法に関する
両院の
特別合同委員会というものをつくりまして、
選挙法の
改正に関して次の
三つの線に
沿つて、この
選挙法規を
研究することをやるだろうと想像いたします。その第一はこの
法規の
改正は五年くらいは
修正しなくても済むように、いろいろの
研究の結果をその中に盛り上げて行くということ。第二の点は
選挙法規が公正であるということでありまして、すべての
政治家もまた
政党も適当な公平なものであるからこれを守るというようにすること。第三といたしましては
人民主権ということを特に
考慮に入れまして、
國民全体のためを
考えて、單なる
政治家の
利益とか、
政党の
利益というものではない全体の
利益を
考える。こういう
三つの点を十分
考慮するであろうと思います。この
委員会ではそういうことができるであろうと思うのであります。たとえば
社会党なら
社会党の方が、こんなことを言い出しても、それは実現がなかなかむずかしいと思いますが、この
委員会におきましてそういうことを取上げた場合には、ここに超
党派的であるからそのことはできるのではないか。それで私はこの
選挙法とそれから
選挙管理委員会のことを申し上げたのでありますが、それは超
党派的なものでなければならないと思いますがゆえにこれを指摘したのでございます。
御
承知の
通り米國におきましては四十八州ございまして、それぞれ一州に
一つずつ
州議会がございますが、この
州議会はそれぞれ
選挙法というものを管理しているのでありまして、過去における例を見ますると平均して十五年に一回しか
選挙法を
改正していないのであります。それは
つまり選挙法というものが適当な適合したものであるということを示して余りがあるからだと思うのであります。これは例でございまして、もちろん言うはやすく行うは難しでございますが、しかしながらともかく行わなければできないということも事実だろうと思います。從いまして、まずやるということであります。そしてまたこのような事柄におきましては
自分自身で一個の
はつきりした
見解を持
つておるということが必要であると思います。
それからまた他の例を申し上げたいのでありますが、それもなかなかむずかしいかもしれません。これは最近四、五日の間におきまして、
各省設置とか
國家機構の改変とかいうことに関しまして、約二十五ばからの
法案が最近私の眼にとまりまして、私は大体これを読んだのでありますが、こういう
法案に関しましても、
法規委員会といたしましては、なすべき役割があるんではないかと思うのであります。そしてそれ
はつまり
憲法の
條項と照し合せてみて、
憲法違反になる点はないかとか、あるいは
國会の
地位というものをいささか軽視している点はないだろうか、こういつた問題についても
委員会としては取上ぐべきであろうと思うのであります。ともかく
立法府は
憲法に明記しております
通り國権の
最高機関でありまするがゆえに、この
最高機関が無視せられておるんじやないか、閑却せられておるんじやないかということの
研究、
調査はこれはまさに超党的なものではないかと思うのであります。非
党派的なものではないかと思う。
從つて私といたしましては
民主自由党であろうと、
國協党であろうとその他の党であろうと、どういう党におきましても、この
委員会を通じて非
党派的な問題の
研究、
調査、処理ができると思うのであります。これは單にこの
会期中の問題ではなく、その以後においてもまたできる問題であります。それは政令の問題でありまして、御
承知のごとく
政府は
憲法、または
法律に準拠して公布せられなければならないのでありまするが、はたしてその
通りに行
つているかどうかという点についての
調査も、この
委員会としてはできるのではないかと思うのであります。それは
一つ一つの
領域ごとに
法律と照し合せてみて、いろいろ
調査できるのではないかと思うのでありますが、もちろんこれは非常に大がかりな
領域でございます。
それから御
承知のごとく
議員の言論の自由ということはたつとばるべきものでございまして、それは何人たるとを問わず公平に討議時間を與えらるべきであるということでございますが、これに関しましては、たとえば最近
衆議院において見られております
通り、民主党の
椎熊三郎氏であるとか、あるいは
共産党の林百郎氏の問題が大分やかましくな
つておりまするが、当
委員会といたしましては、そういう
事件が起きたときに、これを個別的に取扱うのではなくして、そのような
事件がぽつぽつ起
つて來るということがあれば、これを
一つの
傾向として見まして、そういうことが
傾向としてある場合には、これをたくさんの
事例を観察した後に取上げて行くということもまたできることである。私は
事例をあげようと思えば、本來は非
党派的なものでありましても、これが
党派的なものと密接しているような
事例もたくさんあげられるわけですが、今のところはそれくらいにしておきましよう。
それから
委員会の
運営についてでありますが、
委員会は
國会に対しまして
委員会專属の
專門員と、
調査員とを設置してほしいという御意向のようでございました。これは各
委員がきめるべき問題でありますが、私としては、この
法規委員会に
專門員等を置く必要はないだろうと思いますし、それは
委員会の
目的をもあやまらしめるという意見を持
つております。
議員は
國民の
代表でございまして、そうして、たとえいかに優秀な人でありましても、その機能を官僚に引渡すべきものではないと思います。それでもし
議員がいろいろ
調査したり
研究したり、また精力を傾けて働かず、さらにはよき健全な
判断をしないというような場合には、その
議員はこの
委員会に列すべきではないと思います。
委員といたしましては結局よく働かなくてはならないだろうと思います。それは常識を注入するとともに、
自分に才能を示すことでもあるし、さらには
勇氣を出すことでもあるし結局のところは
國民の
利益というものを
代表して、
國民のために働くということであります。
私は
專門員が必要でないと申し上げましたが、その点に関しましては
國立國会図書館というものを
考えるべきものと思います。そこにおきましては、いろいろ
資料もございますし、また
りつぱな人材もそろ
つておるのでありますから、この
國会図書館というものを利用すれば
專門員はいらぬのではないかと思うのであります。たとえば人口問題なら人口問題というものを取上げてみましても、この人口問題に関しましては、どの問題も同じでありますが、その
技術というものが必要にな
つて参ります。根本的な
技術というものを探すにあたりましては、これは
外國の例はどうであるとか、あるいは
日本の例はどうであるかといつた点につきまして、たとえば三十ページから四十ページのいろいろな
資料を必要とするという場合には、この
資料の提出は
國会図書館に求められる。そうしてそれで
技術の方はカバーされるのでありますが、これに基いて
判断をするのが
議員の務めであるのでありまして、ともかく問題に関しましては、総括的で、かつ正確な
資料が
図書館の方にありますから、それを利用すべきだと思います。
從つて委員会といたしましては、
自分の
地位を
はつきりと出すことが必要にな
つて参りますし、そのためには非常に各人がそれぞれの分野におきまして
努力をするということが必要にな
つて参ります。
委員会の
目的というものを十分よく認識し、かつその
目的を達成するために非常に
努力を傾けるということ、これが
委員会が成功する
秘決であろうと思うのでありまして、もしこういうことがないならば、
委員会はほんとうに重要ではない
機関ということになりますし、
委員会設置の
意味もなくなると極論できるでありましよう。しかしながらもしも
委員会が成功いたしまして、そうして重要な問題について
自分の
結論を出し、それが各方面において受入れられるというぐあいに成功いたしますならば、あとは道が平坦な道になるであろうと思います。それで私といたしましては、ここにその間
委員会が
國会両院からも重要視せられるように希望している次第であります。これで私の話を終りたいと
思つております。