○
國立國会図書館長(
金森徳次郎君) 当時の
記憶を大分失いましたので、その当時の資料も亦持ち合せておりませんので、非常に正確なことは申上げにくいと思いますが、
記憶を元にいたしまして、一應当時のものことの
動き工合を
お話したいと思います。
御承知のようにこの
日本國憲法は
衆議院と
参議院との
二つを設けましたけれども、その
二院の
根本の
特色を
憲法自身の中では直接にははつきのさせておりません。ただいろいろの権能の強さの問題とか、
議員の
任期の長さの問題とか、或いは
衆議院には
解散があ
つて参議院には
解散がないとかいういろいろの結果に現われておるところのものから総合いたしまして、いわば鱗とか鰭とかいうものははつきりしておりまするけれども、その
本体は解釈によ
つてこの
憲法の持
つておる理想を発見しなければならん、まあこういうようにな
つておると存じております。そこでこの
憲法に現われておりまするいろいろな結果から総合して、
参議院はどういう
特色を持つであろうかと申しますると、大体
解散がない
任期が長い、こういう点を元にいたしますと、
國民の中の比較的落着いておる、容易に動搖しないような
要素を掴み出して、ここに主として代表せしむる、こういう
意味合が含まれておるように思われます。これを元にして段々
思想を深めて行きますると、結局
愼重練熟というような点に重点が置かれ得ると思うのです。併しながら何もそういうように固定して
考えなければならんという
根拠もございませんので、その他に例えば
職能代表とかいうようなことをも加味し得る余地は残
つておると思
つております。併し技術的に
考えまして、
参議院は普通の
議会と同じようにやはり
多数決によ
つて行動するという
原理をと
つておりますから、
職能代表の
精神を的確に現わさせるということは、少しく
疑いが起
つて参ります。何故かと言えば、
職能代表というのは、各
方面の人々の
氣持がそこに現われておるのでありまするから、
諮問機関、
参考機関としては非常に適当であろうと思いますけれども、どうも
多数決で処置する
委員会におきましては、各々
職能を
根拠にしつつ、
職能と
職能との間の
勢力の消長を決するというような
嫌いがあ
つて、面白くない、こういう
氣持もしております。こうい
つた参議院の在り方については、
憲法はかくのごときことを要求していると思われます。他面
参議院と
衆議院につきまして、この
憲法は
選挙の資格などにつきましては、
根本は平等でなければならんという前提をと
つております。つまりいずれも
國民を代表するものである、而も
成年者、
普通選挙の
原理を
基礎として、
選挙年齢においては余り区別する途を残しておりません。これだけのことを
念頭に置きながら、この
二つの
衆議院と
参議院との
二院制度の
目的をうまく達成し得るようにいたしまするためには、どうしてもこの
選挙の
制度の中に必要なる
考え方を織近んで行かなければならない、こういうことになるわけです。そこで
参議院の
選挙方法につきましては、当時この
憲法ができまするときに、
衆議院でも
参議院でも
相当やかましい御論議がありまして、いろいろな御
意見もあり、又腹案も政府から当初はこれを聽取せられたのであります。併し当時の
議論を
両院の大体のお
氣持の中から探して見ますと、いろいろな
議論がございましたけれども、或る部分では、本
來二院制度というものは無
意味であり、
一院制度であるべきであ
つて、
一つの
國民が
二つの相成なる院によ
つて代表せられる
理窟はない、これは可なり長い間論議せられた問題でありまして、併しこれは
選挙法とは別でありまして、やはり
二院制度がいいということに一應
結論ができました。
今一つの見解は、やはり
二院制度を
不可なりとする
議論でありますが、併し全然
不可なりとするのではなく、一方は
議決機関にし、そうして
参議院に当るべきものは一種の有力な
諮問機関にする、こういう主張でありまして、
國会の
本体は
衆議院だけ、
参議院に当るべきものは
國会のいわば
外郭体にする、こういふうの
考えであります。これも確かに
一つの
考え方でありますけれども、当時の
空氣はこれを
外郭体にすれば、
参議院が非常に微力にな
つてしまう、微力になれば狙
つておる
二院制度の利益というものは得られない、こういうような
議論もございました。尚外の論も
考えて行きますと、
職能代表の
制度をどうしても
参議院に織込めたい、こういう
議論は
衆議院でもございましたし、
参議院でもあ
つたわけであります。その
職能代表制度がこの与えられたる
憲法の規定を元にして、
日本で現実に認められ得るものかどうか、ということは可なりこれも論議せられました。併し何といたしましても、
職能代表というものは、
多数決で決める
機関としては如何にも不自然な
嫌いがあり、且つ又人民を比較的公正に代表するという
趣旨から申しまして、何かこの
階級闘爭のような
氣持もいたしまして、私共は余り乘り氣にな
つておりません。
議会の方の
議論もいろいろ御希望がございましたけれども、最後にそれを採用するという
氣持はなくて、いわば多少の問題を残しつつ、
差当りは止して置こう、こういうような気持であ
つたと思
つております。それから
間接選挙を採
つたらどうか、こういう
議論が一面において起
つておりました。これは何しろ
憲法が
選挙権は大体平等にしておりまするが、その平等である
選挙権を元にして
衆議院と
参議院とが色彩が違うということを図りまするためには、やはり
選挙の
方法も
衆議院は直接
選挙、
参議院は
間接選挙という形で行く方が望ましく、
愼重練熟の
要素を
参議院に代表せしむることができるのではなかろうかと、こういうふうな
議論も或る
程度主張せられました。併しこれに対しましてはどうも
間接選挙というものは、
選挙する人と
選挙せられる人との
連関性が甚だにぶいし、
民主政治の順当な行き方を離れるのではないか、
從つてこういう
制度はよろしくないという
議論が衆議を支配をしたもののように撲
つております。こんなふうにいろいろの
考えが出て來まして、なかなか
参議院の
制度を産み出すことは困難でありました。殊に以たような材料、つまり同じ
選挙権を
基礎として、同じような
被選挙権の中において
目的の
違つた二つの
國家機関を選び出すということは、可なり奇蹟に類するような
意味もありまして、なかなか
議論は解決しなか
つたのであります。そのときにもう
一つ起りました特殊な
考え方は、
参議院というものは主として
衆議院の力で作
つたらいいじやないか、要するに
参議院は
愼重練熟の人を選び出すのである、して見れば一般
國民から直接に選び出さないで、先ず
衆議院におきまして、或る
程度候補者を選定して、その
衆議院で入選をした比較的少数の
候補者の中から所定の数の
参議院議員を
一般選挙により、或いはその他の
選挙によるかによ
つて作り出すことがいいのではなかろうかという
考え方がありました。これは
確かアイルランドの何か上院の組み立てと歩調を一にするような
考え方でありましたが、結局これも頗る民主的でない、殊に
憲法が
國民代表と、こう
言つておる、
衆議院代表のような疑義を持
つて來るから面白くないということでその途がなくな
つてしま
つたわけであります。こんなふうに
選挙の
制度を
いろいろ外の
理由から制限して参りまして、結局もう
参議院の
選挙方法について
考え得ますることは僅かにな
つて來るわけであります。
一つは被
選挙年齢をどうするか、これがまあ
一つの要点にな
つて來ます。
一つは
選挙区をどうするか、これが
一つの問題であります。
一つは
議員の
定数を如何に決めるかということの問題であります。これは
選挙と直接
関係がないように見えますけれども、
議員の
定数が非常に多い場合と少い場合とは自然選ばれて來る人の
特色に差が起り易いのでありまして、
練達堪能の士はむしろ人員が少いときに本当に選ばれ得るのではないかということの
着想にな
つております。この
三つの点に
着想いたしまして、あちらこちらの御
議論を飼
つていろいろの案を練
つております中に、自然に落着くところが見えて來たのでありまするが、それが結局被
選挙年齢は
衆議院より五つだけ高くする、結果から見れば大したことはないかも知れません、むしろ
理論的の問題であります。実際まあそれくらいに自然に落着くものと思われますが、併しとにかく旗幟をそこへ持
つて來ました。それから次に
議員の
定数というものは、これは
衆議院より少くてよかろう、
練達堪能の士がそんなに沢山選ばれるということは不自然ではなかろうかと、こういう
氣持がありまして、初めは何でも
衆議院の先ず半分近いところがいいのじやないかというところから
考えましたけりども、それじや落着が悪いというので、まあ三百人くらい、二百五十人か三百人くらいで
收めればよかろう、こんなような
着想が今
記憶に強く残
つております。そのくらいで行
つたらどうだろう、こういうふうになりました。それから
選挙区を
考えるときここで必要な
議論が起りまして、とにかく
衆議院とは変えた方がいい、こういう
氣持でありまして、ところが
衆議院の
選挙区というものがどうであるかというと、これは時代と共に変るわけでありまして、変り動くところの
衆議院の
選挙法を
念頭に置きまして、とにかく
衆議院と違うような
方法によ
つて参議院の
選挙区制というものを
考えたらよろかう、こう思つおりてまして、ところがその当時は
衆議院の方は中
選挙区ではありますが、やや大
選挙区に近い大きい中
選挙区というものが実際に行われておりましたので、そこを眼目におてい
考えて行きまするとき、結局
参議院は
議員数も少いものですから余り細かい
選挙区を作るわけには行かない、そこで
府縣單位くらいが少くとも
一つの
考え方としていい
選挙区になるであろう、これは地方的な事情をよく知
つており、地方的な
意味において
國民との間に
連絡が深い人、だからこれはよかろう、こう
考えたわけであります。ところがそれだけでありますと殆んど
衆議院と違わないようなことになるのじやなかろうかという懸念を持
つておりました。何とかもう少しいい
制度があるのではなかろうかと思
つておりましたが、そのときにどこから入
つた思想であるか、私達いろいろなことに
関係しておりましたのでしつかりした出所は覚えておりませんが、一体
國会の
議員というものは
國民全体から出て來るものである、
從つて選挙区を狹くするとかいうようなことはむしろこれは方便的であ
つて、若しできるならば全國の
國民が素直に鏡においてこれを縮写したるごとく
國会に現われて來ることが
理相である。
理論としては全國を一
選挙区とする大
選挙区とすることが一番正しい、それ故に
参議院の
選挙について全國一
選挙区の
方法を採るべし、これは
議論としては確かに聞くべきところがあるのであります。そうしていろいろな
考慮を置きますると、
参議院というのは何か知識的に、又は
経驗的に声望的に非常に背景の大きい人が望ましいといたしますると、成るべく全國の人が
押立てるというような人が
参議院には適するというようなことが言われますので、全
國選挙区というのがこれはいいのじやないか、こういう
考えを持ておおりました。そこで
結論といたしまして二本立てで行
つたらどうか、半分は全國一
選挙区で選ばれる人、半分は
府県單位で選ばれる人、これを組合せて凡そ三百人の
議員を以て、
参議院を生み出す、
被選挙権は三十歳、こんなふうにして行
つたらどうかとい
つたところに一應の狙いどころを置きまして、これをすべて予め御相談をしなければならんような
意味の深いところにも当
つて見たりなんかして行きますると、まあこれに対する
賛成者も
相当ありまして、ところが全
國選挙区というものについては激しい
反対の
流れがありまして、その
流れは樂屋を今申しますれば閣僚の中において可なり有客であ
つたのであります。これまでは
選挙の実際の
経驗を持
つた方、つまり
選挙のエキスパートというような
方々が、
選挙というものは小さい
選挙区においてのみ初めて
意味があるのであ
つて、大掴みな
選挙区で
選挙をするというのは
意味をなさない、これが
一つの
議論でありまして、これは、つまり実際家の言わんとするのは
選挙人と
被選挙人が顔もよく知らない、名もよく知らないとい
つたようなときに全國から
投票して集めるなどということはとてもありうべからざる結果を生み出すのであ
つて、若しそんなことをや
つたとしても、これは名目だけのことで、実は狹い
地盤だけの
投票で以てその人の
運命が決るのであ
つて、中
選挙区は止めて、すべて
府県單位の小
選挙区でや
つたらよろしい、こういうふうの
議論が
相当強く響いて参りました。
それから
今一つの
考え方のこの全
國選挙区というものは或
組織を持
つた団体に非常に有利であ
つて、全國的に何らかの
組織を持
つておる
團体、例えば農業に関する
團体であるとか、交通に関する
團体であるとかいうような
人たちが結束すれば十分多くの
議員を選び出すことができる、そして
政党などはむしろ
却つてその場合に不適当な場合もあるのじやないか、こんなようなふうの
議論も出ておりました。この
考え方は可なり有力でありまして、当時
相当の大きな数を持
つておらるる
政党の方でも大
選挙区にはなかなか大事をとられたというような
嫌いがございました。又いろいろ
考えますと外に行き途がない、
職能代表は二百人か、百五十人しか取れない
選挙区ではこの場合に不適当である、
府縣單位であれば
衆議院と
理論的に、少し違うにしても殆んど
衆議院に似ておる、そうすれば
衆議院と区別する
選挙の
方法というものは結局全國一
選挙区にするか、たとえ讓歩するにしても
日本全國を七つか
八つの
ブロツクに分けて、
選挙区をこういう
二つの
考え方から行きますと大事をとるという
関係からいろいろの
考慮をしておるのでありまして、人数を同じようにする必要はないので、
府縣別の人は百五十人くらいがよかろう、そうすれば全
國別のは、これは多少特殊な
意味も含んでおりまして二百人もあればほぼ人を充たすのではなかろうか、これは腰溜めのようなものであります。きちんと
理窟詰めに百人になるわけではありません。そういうような
方法で
考えて行きますと、それが段々各
方面の了解を得まして、こう具体的に固ま
つて行きますと、そこに又
一つの
反対論が起
つて來たのは、全國の
選挙区というものは、
投票を取扱う時日の上において非常に困難である、
投票を計算する時には恐らく一月も掛かるのじやないか、
投票の結果が出るまでに一月も掛かる、若し
間違いの
要素が入
つた時にはすつかり出しかけにしてやり直すということになると、とても
選挙の
効果を能率的に挙げることはできない、こういうような
反対もありました。これは私共
選挙技術を知らんもんですから
理窟詰に何とも批評はできないものでありますから実は心配しておりましたけれども、いろいろ
考えて、やれんということの
理窟はなかろう。少しは遅れるにしても何とかやれる見込を持
つておりました。というような道順を経まして各
方面の御
賛成があ
つて、現在の
選挙法が生れて参りまして、
府縣單位を百五十人、全
國單位は百人、そして三年毎に半分更新する、こういうことで生れて來たわけであります。ところで、そうすれば、これからしてどんな予想に
違つた結果が生れて來たであろうか、こういうことになります。これはどこも
意見の問題でありまして、私は今
研究も深くはしておりませんから断乎たることはできませんですが、当時初めから言われておりましたのは大
選挙区にするというと全國的に
連絡の深い
人たちが特に選ばれて、
却つてバランスを壞す、こういう
議論になりまして、これは事によりますと、少しはそういう
意味が結果において現われておるかも知れんのでありますけれども、私
自身の
考えから言えば、
國民全体の中においていわば
勢力の問題が五と三と二というような分配があるといたしますならば、
國会に現われて來る
議員の数にもやはり五と三と二というふうに現われて來るのが当然であ
つて、そこに
選挙技術を用いて或る
党派のみが強く現われて來る、或る
党派は現われにくいというような技術的な方策をとることは、
理論の上に正しくあるまい、こういうことに眼を触れて何か便宜な
方法を
考えるということは、結局
選挙制度に暗い影を残すのではなかろうか、こういうふうに思
つておりまする、こういう
見地から申しますると、全國大
選挙区というものは
理論的には
欠点のないものと今も信じておるのであります。若しそれによ
つて不合理な
バランスが出て來るとすれば、これは
選挙を実際行う人の、いわば
選挙戰術の弱い人が敗けるということになるのでありまして、どうもそこから
欠点は出て來ない、これは私の独断かも知れません。それから当時
議論がありましたこうや
つたからと
言つて、
選挙はどこか小
選挙区で
選挙しておるのであ
つて、形だけが大
選挙区である、或人の
運命は自分の
一つの
地盤で決ま
つてしまうという
議論があるが、これはそうな
つても構わないので、そうでなくても構わん、実際に見ておりますとその
二つの場合があるのじやないか、何れにいたしましても局部的に
人材というものがなくて、比較的廣い視野からの
人材が選ばれたいとうことについては、今日尚この
制度と
間違つていないという自信を抱いております。それから第三に、技術的の
見地から見てこれは煩雑であり
種々禍の種になり易い、こういう論でありましたが、これについては各種の
欠陷等がありましたが、詳しいことは存じません、けれども表面に現われましたところでさしたる障害も今日現われてはいないということになりますと、まだこの
制度が悪いという
結論を作る種は生れていない、こういうふうに
考えております。まういろいろ
記憶に
從つて述べましたが、結局私
自身としてもこの発案に
関係をして、初めから大
選挙区を全國一
選挙区と主張した
関係があ
つて、
精神が偏重にな
つておるせいか知れませんが、今日までこれを撤回すべき十分な
理由を発見しない状況にあります。