○中西功君 私は日間共産党を代表いたしまして
米國対日援助見返会計
法案に
反対いたします。この見返資金特別会計は、経済九原則、單一爲替の設定と並んで、我が國経済にと
つて極めて重大な意義を持つもので、正に
日本経済の方向に画期的のエポツクを画するものである。周知のように、この資金は以前は貿易資金特別会計のうちで極めて不明朗に処理されており、今日で言う、いわゆる輸入補給金或いは輸出補給金の作用をなしており、これは
日本経済にと
つて利益でなく、貿易の実相が隱されておる。
從つて当時我我はこの資金を特別の会計に移し、ドル会計との
関係を明白にし、貿易資金特別会計の眞の厖大なる赤字を白日の下にさらし、國民の誰の目にも明白にし、貿易政策の根本を改変し、飢餓貿易でなく、眞に
日本勤労大衆の
生活の安定と向上に役立つ貿易とするために活用さるべきであると主張した。私は昨年この本会議議場において特に機会を捉えて、この所信を発表したことはすでに御
承知の
通りであります。だが当時の
日本の爲政者、保守政党の人々は、この我々の言葉に耳を藉さなかつた。而して今回行われたこの特別会計は、一見、表面的には我々の主張に合
つておるように見えるが、実はその
内容において根本的に相違するのである。
私は先ず第一に、
日本政府が今日のこの円資金の根本性質を全く誤ま
つて理解しておることを指摘したいと思う。即ち
政府はこの円資金と対日援助と称せられるドル資金とを全くごつちやにし、恰かもこの円資金がアメリカの資金であるかのように言
つておる。若しガリオア資金、エロア資金を対日援助資金だとすめば、それは
日本側に引渡されるまでのそのもの自体か、或いはそのものが渡された代價としてのドル資金を指しておるのである。その証拠には、ドル会計にそれは
日本の負債として残
つて行くのである。若しこれをアメリカの納税者の資金と理解するならば、アメリカは賣つたものについてすでに
支拂われたことになり、ドル会計の
負担は存在しなくなる。併しそういうことはなく、この円資金によ
つては
支拂われておらない。又世界通貨のABCを知
つておる人ならば、その性質においてドルと円とは明確に区別すべきものである。では、この円資金とは何か。これは
日本國民経済、即ち円経済の不可分の一部としての資金である。そのことは、この円資金がどこから來るか、誰が
支拂うかを見れば明白である。即ち一千七百五十億の円資金は
日本の消費者が
支拂う金と六百十六億の價格調整費、即ち國民の税金である。故にこの円資金は、円資金である以上は、普通の輸入物資や國内生産品、國内で賣拂う円資金と全く同じ
日本経済の不可分の一部の資金であ
つて、この両者の間に何らの区別はない。故に、若し
日本國会及び
政府が、他の
日本経済や資金等について責任を持ち権限を持
つておるならば、この円資金に関しても全くそれと同じ
程度の責任と権限とを持つべきである。勿論
日本がポツダム宣言や占領管理下にあり、
関係方面の監督を受けることは自明のことであるが、問題は、この見返り円資金だけが特別に扱われる
理由は存在しないという点である。
ところが吉田内閣は、この点を根本的に誤ま
つており、ここから、この資関に関して、不当に
日本政府の責任と権限を軽くしてしまおうという考え方に陷
つているのである。而してその結果として、当初提案された
法案自体が、曾てない特殊な形式を以て現われることに
なつたのも決して偶然ではない。即ち第四條の六項、七項には、総司令部の
承認と監督を必要とするという條文があつた。これは
日本の國内法としては未曾有のことである。衆議院では、この形式を不可として削除を主張した。これこそは吉田内閣のこの間問に対する認識の根本が全く間違
つていたことを明白に示したのである。私はこの点だけでも、吉田内閣は辞職に價すると思う。而もこれは決して立法技術の問題ではない。衆議院の修正は何ら本質を変えていない。それは附帶決議を見れば明白である。その上に
政府も亦、大藏大臣の
答弁が示すように、何らこの修正に当面して根本的に考えを改めたわけではない。而もこのことは、單に経済上の問題に止まらない問題であ
つて、実はポツダム宣言と対日占領統治の根本方針に関する問題である。
日本がポツダム宣言及び占領管理下にあり、且つその管理を
日本國会を含む
日本政府を通じて行い、
日本経済に関しては
日本政府が責任を持つという連合國の根本方針に対して、吉田内閣が
如何に認識不足であるか。極言すれば、それはポツダム宣言の管理方式の違反であるとさえも言い得るのである。私は、ここに吉田内閣の責任の
重大性があると共に、この
法案の最も深刻なる問題があると思う。而してこのことは、この資金の
運用及び使用に関して、この
國会がどれだけの実質的な
発言権があるかという点に最もよく現われるものである。実際においても、
予算の上で千七百五十億の額が通過しているのに、その資金の使途のうち我々に明白にな
つているのは二百七十億円に過ぎない。大藏大臣は、改めてそれを
國会に諮るとも明言しない。それは丁度千七百五十億円の一括委任
法案にひとしいのである。この作用は、この千七百五十億円の資金が
日本経済に持つ決定的な作用を考えるならば言わずして明白である。この
國会の権威や権限をなくすることは、民主主義であろうか。一体民自党が言う民主主義や憲政とは何であるか。それは憲政なのか、フアシズムなのか。少くともそれはポツダム宣言の明白な違反である。我々はこの意味で第一に
反対する。
第二は、この特別会計の仕組が間違
つておる。即ち、この見返りの円資金分として帳簿の上に記入するならとも
かく、現実に貿易会計から繰入れる資金の額は、決して千七百五十億円ではないのである。最大限千二百五十億であるべきである。即ち一般に資金の面で言えば、ドル会計における資金の入超が貿易会計における黒字となるのである。而して
予算算定の三百三十円レートにおける円会計では、三千百三十五億の輸入と千八百八十六億の輸出の差、約千二百五十億円が円における黒字である。少くともこの千二百五十億だけが貿易会計から持出し得る金である。ところが、その性質においてドルと円とをごつちやにする
政府は、ここではドル会計と円会計とを全く切り離しておる。たとえ今の場合ドル会計に手が届かないにしても、ドル会計の赤字が円会計の黒字となるごとく計算して、この両者の間を
内容的に結び付けるべきである。然るにこの関連を無視して、一概に千七百五十億を貿易会計から持出すために、貿易会計に穴があき、今日の
予算でも四百億を一般会計から繰入れなければならなくな
つておる。而もこの会計の仕組では、
政府が輸出輸出と騒ぎ廻
つて、輸出が増加すればする程、この國民の税金の繰入が増し、税金の
負担が大きくなるのである。國家資金に寄生して儲けようとする人でなく、本当に勤労大衆の
生活を考える人ならば、このような仕組に
賛成することはできない。これが私の
反対する第二の
理由である。
第三は單一レート設定、輸入補給金
制度及びこの見返資金
制度の三者が結び付いて、貿易全体がいよいよ國民に耐えがたくな
つておることである。貿易のやり方が拙いために、以前の貿易資金特別会計のやり方でも、尚赤字があつた。然るに今度は單一レートの設定と相俟
つて、エロア、ガリオア物資の輸入は、輸入補給金が設定され、國民の税金で以て
補償され、先方には対價が
支拂われる。故に
日本経済から見れば、それらは普通の貿易行爲に
なつたのであるが、同樣に輸出においても、労働者の低資金と國民の税金によ
つてだけ支えられることに
なつたのである。
かくて、以前と比較したら八百三十三億の輸入補給金と四百億の繰入金、合計千二百三十三億の税金がこの特別会計にぶち込まれておる。故に、今の貿易会計では、輸入が殖えれば輸入補給金の税金が殖え、輸出が殖えれば一般会計からの繰入金が殖えるという奇妙な
状態を現出しておる。國民のために低
物價を図り、税金を少しでも減らそうと思う人ならば、このようなやり方には絶対
賛成できない。これが私の
反対する第三の
理由である。
第四は、千七百五十億のこの資金の持つ役割の問題である。この資金が
如何に決定的な
内容を持つかについては、何も言う必要はない。問題は、この見返資金会計が、日銀改組案と関連して、金融に対する反人民的な、いびつな統制を強化し、
日本経済をこれによ
つて掌握してしまうことも可能となる。これは今日行われようとする大量馘首、低賃金化、國内産業沒落の有力な挺子として利用される可能性を與えることは自明である。眞に
日本の國民のための國内産業の発展を要望するが故に、我々はこれに
反対する。以上が第四の
理由である。
以上の結論として、我々は、この資金を特別に会計することに
反対しておるのではない。問題は、飽くまでも他のものと同樣に、
日本國会及び
政府の責任と権限において、少くともドル会計と円会計との正しい関連において会計すべきことを要求しておるのである。
最後に、私は繰返して言いたい。曾てこの資金が貿易資金特別会計の中で無原則的に処理されておるとき、私たちがこの点につき猛省を促したのに拘わらず、当時の
当局者は、みずから自主的に何事もしなかつた。この無氣力、無能力の結果が、このような今日の由々しき事態を生んだのである。そうして今日、同じような無氣力と場当り主義が
日本経済を悲しむべき方向に導きつつあるのである。だが私は、
日本の勤労大衆の良識を疑わない。私のこのささやかな叫びも、必ずや近い將來において全國民の呼号とな
つて世界に鳴り響くであろうことを確信して、この
討論を終ります。(
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