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証人(
日野原節三君) 誠にお尤な御説でございまして、謹んで謹聽しておるわけでありますが、あの当時の私の氣分といたしましては、御承知の通り九原則というもので昨年の暮を
一つのポイントとして産業界の情勢が変貌と申しますか、
一つあるわけでありますが、私
昭和電工に入りましたときにあの肥料工場の建設状況を見まして、これはもう如何なる努力を拂
つても早く建設して肥料の増産をしなきやならんという積極的な面と、それからもう
一つは当時
昭和二十二年四月、五月、六月、七月というような議会の状態はいわゆるインフレーションに対して効果のない手を日本の官民が打
つておるというような時代で、インフレーションはいわゆるインフレーションの相貌を果然の姿で発揮してお
つたわけでありますが、そのインフレーションというものが、これは前大戰直後のドイツのインフレーションの相貌をよく研究いたしましても、今度の日本の戰後のこの通貨の増発の状態を研究しましても大体当時の経済界の有識者が、これがワシントンから打たれる手であるか、司令部で打たれる手であるか又 或いは日本における一部の経済人から打たれる手であるか、どつから打たれる手であるのか知らないけれども、この状態では絶対いかん、必ず二十三年において中期と申しますか、二十三年の五、六月頃からは激しいデフレーションに入らなければならないような状態になるということは、これは当時消息通の一致した見方でありまして、
從つて厖大な建設を要する電工を早く肥料を出すと同時に建設を完成するためにはどんなことをしても半年の危險期を見ますと二十二年の暮までの間に建設の見透しをつけ、資金の手当をや
つてしまわなければならんと、こういうのが電工におきましても、余人は知らず私の確信と信念であ
つたわけでありまして、そのために相当無理をしたというのが主でありまして、只今の御説のような議会
方面政党
方面財界消息通筋の
方面の
お方の反対というものも手痛か
つたには違いありませんけれども、私の当時顧慮しましたことは、
昭和二十二年中にとにかく建設の見透しをつけ、資金の用意をしちまわなきやならんと思
つたのが当時の私の信念と確信でありまして、そのためにあらゆる無理をしたというのが、いろいろ今日に
なつてこういう大
事件を起したという結果にな
つたのであるとこう
考えております。
次に只今の大事な筋の方にお怪我をさした、傷付けたということは日本がこういう民主政治で議会中心主義の時代における言説としては誠に不謹愼とおつしやられてもこれは弁解の余地ないことでありまして、これは私の個人の心情から出た世迷い言である、一刑事被告人のつまらないつぶやきであると、こうお
考え下されば十分であると思います。
その点は十分反省いたします。