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岩間正男君 私は
日本共産党を代表して本
法案に
反対する者であります。本
法案は連日に
亘つて熱心に
討論され、又
公聽会等も持たれまして、その結果大幅の
修正がなされ、熱心な
同僚諸君と共に私も
審議を参加して來たのでありますから、できるならばその
修正案にも
賛成したいといろいろ
実情を考え、その
理由を探したのでありますが、私はどうしても結論としましてその
理由を発見することができなかつた、私の
政治的信念を盡し、
政治的見通しを以てしては、本
法案の施行によ
つて起るであろうところの
政治的な
現実の
混乱に対しまして、
人民大衆の前に十分にその
責任を負うことができないことを確信するが故に、私は
反対せざるを得ないのであります。そうしてこのことは私自身の
職責を明らかにすることであり、又
皆さんが外の多くの人が
賛成されておるのでありますが、こういうような
反対討論によりまして、無論今まで本会としましてできるだけ同じような歩調でや
つて來たその
友情を何ら損なうものでなく、ますますそのような
友情を明らかにするものであるという確信を持つものであります。
先ず概括的に見ますときに、本
法案は
日本教育改革の大きな一還としてなされておるということが分るのであります。一方におきまして六・三制の
建築費を
一文なしに削り、又新たに六十八の
新制大学を殆んど何らの
予算的裏付けをなさないで名
目的に発足させようとしておる
日本政府が、このような
社会教育の
廣汎な
内容と深い意義を持つた
法案を同じく
予算的裏付なしに発足させようとしておる
態度について問題があるのであります。このようにして本年度は一方において六・三・三・四の新学制を一應形式的には整え、その
連関において
社会教育の
体制を整えたということになるのでありますが、併しこうした
教育の
体系において
日本の
教育改革は一應完了したということが世界に宣傳されようとしておる。併しながらこれは飽くまでデスク・
プランであ
つて、ペーパー・
プランに過ぎない、その
内容は
お互い熟知のように、言うに足るべき何かの
具体的措置がなされていないのであります。このようにして
日本の
教育改革は、
民主化の
戰後辿らんとするところの
危險性に陷
つておる、その結果
教育は
空廻りに終り、再び過去の失敗を重ねるという
危險性が十分に出ておるのであります。そこに又
現実の上に、
社会面におきまして幾多の
混乱と犠牲が発生しておる、このようなことはすでに六・三制とか
教育委員会というこのような、
一つの名目は立派ではありますけれども、そういうものを発足さして、
現実との
連関を十分に考慮することなしに達成させたことによ
つて起つたもう実驗済みの問題でありまして、我々はこの誤まりをこの現在の
情勢において再び繰返してはならないということを嚴しく感ずるものであります。本
法案の危險は正にこの点にあるのであります。たとえ大幅の
修正が認められたとしましても、
現実の
経済的体制のうちにおいて果す役割を考えるときに、その効果はいずれ五十歩百歩のものに過ぎないのではないか。今日では
法案がどんなに立派に作られたとしても、それを
実施する
経済的な
裏付があるかないかということが問題なのであ
つて、そうしてない、そのことによ
つて法案そのものは
空廻りをする実例をまま
我我は見て來たのであります。この
政治の
実情に携わる者としましては、
法案並びに
法案が
実施される結果起るところの
社会的な影響を考慮しないわけに行かないのであります。そこでこういうような
観点からしまして、この
法案に対しまして聊か分析を加えて見ますというと、大体次の
諸点を挙げることができると思います。
先ず本
法案が施行されることによ
つてどのようなことが起るかということを私は問題にして見たいと思います。本
法案が
実施されますというと、この
法案によ
つて謳われておるところの
廣汎な
仕事が
社会教育の
内容としてこれは要論されて來るのであります。それは簡單に挙げて見ますと、
公民館の
設置及び管理、
図書館、
博物館その他
社会施設の完備、
社会教育講座の
設置奬励、
討論会、
講習会、
講演会、
展示会、その他の
集会の
開催奬励、
職業教育、産業に関する
科学技術、
生活の
科学化、運動会、諸
競技等の体育並びにレクリエーシヨン、
音樂、演劇、
美術等の藝術的なもの、
社会情報の交換、
調査資料その他こういうふうな
廣汎な、非常に
厖大な
内容を見ておるのであります。この
一つを取
つて見ましても、これを完全に
実施するためには
厖大な
予算が要るのであります。ところがこの中で最も眼目であると思う
公民館の場合を考えて見ますと、
公民館は先ず
館長、
職員を置かなければならん、これはその
経常費で
人件費はどうなるかということを考えて見ますと、
館長、
職員、これを仮に二人か三人置くとしましても、その俸給並びに
経常費を合せますと、月三万円を下らないということが考えられるのであります。そうしますと、これにいろいろな雜費を合せますと、どんなところでも
大抵年に五十万とか六十万はかかる。それにいろいろな先程挙げましたような
仕事の極く一班を加えて行
なつたとしましても、一
市町村の
負担が百万円を下らないというようなことを概括的ではありますが、私は観測することができるのであります。これを全國一万一千の
町村に割当てて考えて見ますと、少くともこの分だけでも約百十億の
予算が要る。ところがこれに対しては何ら
一文も
國庫の
補助もないのであります。これはこの
法案によ
つてやるからいいじやないかというような
意見もあるのでありますが、
現実においてこれは果してやれるかどうか今度の
地方財政に対して
政府が取つた
態度を見れば明らかなのであります。つまり
地方配付税は一千二百億にならなくちやならないというのに五百七十七億に切り、その結果
厖大な
地方税の
負担が強化されておる。
住民税一・六倍、
家屋税二倍、地租二・五倍に引上げられる、酒税二倍、
鉱区税一・五倍、猟区税一・五倍、こういうものが引上げられている
状態にな
つておりまして、
大衆負担は正にその極に達しておるのであります。去年でも重税の下に多くの問題が惹き起つたところのこのような
地方財源の枯渇によりまして、多くの
負担が起
つておる。更に
教育の面におきましては六・三制が無
一文に削られておる、そのために六・三制の
寄附の強化というものは、これは
大衆の首をきうきう締めておる。そこへ更に
PTAの
寄附、これは
学校の
経常費なんかが殆んどないので、又教員の
生活費が非常に現在におきましては足りないので、こういうような
補助をするために
PTAではこのような
寄附を集めることが最近の
仕事にな
つておるので、更に新らしく作られたところの
新制大学の
予算が非常に少いために、これも殆んど
地方の
寄附によ
つて行われなければならないというようなことで、
教育費の
過重負担だけでも、全くこれは
人民の
負担し切れない
限度に達して行くのであります。そのときにおきましてこのような
法案が作られる、尤も
文部省は事前におきまして
地方財政委員会とこの点を打合せ、何ら
地方財政を拘束しない範囲内においてこれを
実施するというようなことを打合せておられたということを聞いておるのでありますけれども、併しながら
現実はどうかと言いますというと、これはそういうことにはならない。こういうような
法案ができますというと、そこに
競爭が起る。現在
教育委員会に属しているところの
事務局の
社会教育係の
指導主事とか、そういう人達が必ず
実績を挙げようとして各
町村にこれは
競爭させる。從來もそうであ
つたのでありますが、彼らは
國家のこのような、
一つの財政的な
状態というものに対して、ともすれば、視野が狹い場合が多くて、
自分の
職責だけを忠実に守ろうというような
観点から、ここに無理な形で
競爭が発生するのであります。そうして、そこに
大衆負担が強化される、このような
競爭をさせないようにするかどうか、こういう点についても、
審議の過程において
文部省に
質問をしたのでありますけれども、これに対して
文部省は、そういう
競爭はさせたくない、そういうことはさせたくなくても、起つた場合はどうするかという
質問に対しまして、そういうときに金がかからないでも、
実績の挙るような
方法について
指導するというようなことを答えられた。併しながら今度の
政府の
予算を見ますというと、現にこの
予算の中に
優良公民館表彰費として約二十二万三千円をこれは取
つているのであります。
予算に計上しているのであります。このような実態によ
つても分るのでありますけれども、
政府はこういうような形において、これを
國家の
負担は殆んどないという形、尤も八千万円の
予算が大体この
社会教育のために計上されているようでありますが、これは殆んど中央だけの
予算でありまして、何ら
地方に対してこれは
援助を與えるところの
予算ではない、そういうような形であります。そうしますというと、そこに
大衆負担によ
つてこれらの
社会教育の殆んどを、九九%までを賄わせるということが起
つて來るのであります。でこういうようなことが果して完全に行くか、私は行くことのできない。これは
人民の
負担も
限度が來ている現在においては、絶対にできないし、
從つてこの
法案は過去の六・三制や、
教育委員会と同じように
裏付のない、血液のない形だけの名
目的のものとして、
空廻りをする結果に陷るということは、余りにも明らかじやないかというふうに思うのであります。そうしてなぜこういうような
情勢におきまして、この
法案を急がなければならないのであるか。我々は六・三制や、
教育委員会の、あのような苦い
経驗で、そうしてその解決のために、本当に精一杯の
努力を傾けているし、又傾けなくちやならない。勿論
社会教育に対するいろいろの
施設をしなければならないのでありますけれども、併しながらこれは段階を追
つて、
日本の
教育民主化はやられなくちやならない。これが雨後の筍のように何もかも、六・三制も、
新制大学も、それから
大学の
設置も、
社会教育も一緒くたに、この短期間に、
日本の
経済の
混乱のさなかに、殊に九原則が
実施されて非常に
國民が窮乏の渕に追い込まれている中に、このようなものが
実施される
理由を見出さないのでありまして、どうしてもこのような
現実面におきまして、我々はこの
法案のようにまだ十分とは言えない、もつともつと練り直す
余地があり、もつともつと考えなければならない
余地のある
法案を、十分練り直すことが必要だという考えを持つのであります。更にこの
法案につきましては、どうしても
修正は相当必要でありまして、例えば
教育長の権限というようなものが、相当これは
教育委員会に移されなければならない、そういう点については一應認められるのでありますけれども、依然としてやはりこの
法案の
実施の面におきまして、前述のような結果に陷るであろうというようなことを私ははつきりここで考えることができる、即ちそれはやはり今までの
官僚統制的な集い、上からこのような
社会教育の方式を押しつけるような傾向というものがどうしてもこの
法案の中から完全に抜けきれているとは言えないのであります。
修正によ
つて一應そういうところは
改まつたように見えておりますけれども、併しながら
教育委員会における
委員長の
位地そのものが
現状のままである限りにおきましては、この
法案だけが
修正されたとしても、恐らく実際の
運営の面におきましては、これは余り多くを期待することができないのじやないか、こういうような
意味におきまして、この
修正につきましては、もつともつと
現実に深く掘下げ、更に今申しました
現実に横たわ
つておるところの
教育委員会法の完全に
実施されていない
実情というようなものと
連関してこの問題を解決しなければならない、こういうふうに考えるのであります。又各
学校を通じての
講習会、これがどうしてもやはり上からの統制的な、ものを支配する
態勢を強化する、そういう
一つの機構を確立するためには非常に便利なような
方向にな
つておる。そうして下から盛り上
つて行くもの、
民間から自然に発生して來るもの、そういうものを十分に育てるというような面におきましては、この
法案は非常に力を持たないのであります。こういうような点を考えますときに、この
法案そのものをもつともつと
日本の現在の
民主化の
態勢の中で十分に檢討してやる必要がある。
以上挙げましたような
理由によりまして、
日本共産党は
日本の
現実に合わないこういう
法律の
実施に対しては、その結果の
見通しが余り明らかであるからして、本
法案には
反対せざるを得ない。そうして一日も早くもつともつと
社会教育の本当の
精神、
機能を活かすところのいい
法案が作られること、そうしてそれが
日本の
経済状態とも十分にマツチしてその
機能を発揮されることを切望して、私はこの
法案に対しまして
反対を表明する次第であります。