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岩間正男君
只今の御
答弁の中に、労働組合の非合法的なというような話がありましたが、非合法的というのと
行き過ぎは区別して言
つて頂きたいと私は思います。非合法的な労働組合運動は今日
日本のどこにも行われていないということを我々は確認したい、
只今の話によりますと、非合法的なものもあるのではないかというような
お話でありましたが、我々は
日本の労働組今は今日何ら非合法的な
行動を持
つていない。ただ幾分
行き過ぎという点について
お話がありましたが、これも
見解の相違で、いろいろな
立場によ
つてこれが言われておるのだということを申上げたいと思うのであります。殊にこの教員組合の場合で、組合に一生懸命に熱心にや
つた、それから或いは党員であ
つた、こういうようなことで今日いろいろな問題に曝されているようでありますが、この点で是非この
大臣の
一つ御
見解を、
認識を十分にして頂きたいと思う点について、私は要望したいのであります。というのは、一体
日本の今の
教育を良心的に教員が本当に眺めてお
つたならば、じつとして職場にいることができるかどうか、この点について触れなければこの問題を実は解決することにならん。今破壊されて、実に六・三制におきまして馬小屋を使
つてやらなければならないという状況、このような実にもう経済の破壊から起
つております
ところの実情、更にこの市民の
教育費負担も実に大きな寄附が強要されておる。それから不良少年も続出しておる。その他幾多の
教育におきます
ところの破壊の現状に対しまして、若し眞に職場を守り、そうして
日本の將來を憂うる
ところのそのような
一つの信念を持つ
ところの教員であ
つたならば、黙
つてこの現状を見ておることができるかどうか、この点について十分私は
認識して頂きたい。これは実にここにいられる各党の諸君に超党派的な
立場からでも
考えて頂きたい思う。この問題は実に
日本の將來の運命にかか
つている。而も今までの教員はこのように問題を、上から來れば止むを得ない、仕方がない、長いものには巻かれろと、何でも上からの命令に対しては唯々諾々として聞いて來た。そうして御承知のようにあの軍部の暴力的な圧力の前に我々はこれを眞に批判し、説くことができなか
つた。本当に自己の
立場に立
つてこれを守ることもできなか
つた。
教育の自由を確保することもできなか
つた。
思想の自由も守れなか
つた。そうして我々が弱か
つたためにこそ
日本のあの
戰爭の
一つの大きな原因を作
つた。この教員自身が眞に
自主性を持ち、
判断力を持ち、自身の信念を裏付ける
ところの
行動がなか
つた。そのことが
戰爭の原因であ
つたと私ははつきり
考えます。こう申上げておる私自身もそのような錯誤を全然犯さなか
つた人間でないから体驗として申上げることができる。
從つて終戰後当然
民主化の基盤である
ところのこの
教育を本当に守り通そうと
考え、而もその信念において
行動しようとする教員諸君であ
つたならば、私は職場を守るというその線においても又黙
つて見ていることができない、必ずこの職場における
ところのいろいろな自主的に要求を取上げ、子供の問題を取上げ、父兄の問題を取上げて、そうして
日本の民族の將來の問題を取上げて、当然これが
一つの
自分の
教育活動の中における
ところの熱意ある
行動となると私は
考える。これを見る
立場が違
つておるいわゆる古い、保守的な從來の基盤から見ればこれが
行き過ぎであるとか、暴行だとか、脅迫だとか、そういうような見方をしておる人もありますが、そういう見方をしておる人の中には全部だとは申しませんが、実は古い今までの從來の権力に圧迫されて、そうしてこの前に唯々諾々としてや
つた來た
ところの長いものには巻かれろというような怒隷根性が残
つておる。そういう観念から見るとそういう教員の
言動というものは、或いは從來の世俗的にものには合わないかも知れない。併しここにこそ新らしい教員の立上りがあ
つた筈なんであります。
從つて今日教員員いろいろな職場の改革に対して熱望を持
つている、民主的な問題に対して
自分で立上ろうとしている。それから今日におきましては必ずしも職場を監督している校長さんの
立場は眞に徹底的に
民主化されたとは言い切れない。古い
考えを持
つている人も相当にいるということを私は断言せざるを得ない。こういう体制の中におきましてはその
立場を守る、固守するということだけでは徹底した
ところの
日本の前進はあり得ないのであります。そういう
立場から立上
つているこういうようなものを、一体こういうような
段階、
一つの
思想的な空氣のニユアンスの中において問題を何かそれに並行して解決するというようなことがあ
つたとしたならば、これは歴史に対する
一つの叛逆だと
考えるのであります。
從つてどうしても
文部大臣は当然新らしい
時代の文部行政を
指導する者場から
考えまして、こういうように問題について深い
認識を持たれ、この基本的に
立場に立
つてこの問題を
指導されるということが必要じやないかと私庁は
考える。実は
日本の職場において教師と子供が火花を散らすことが私は
教育の一番重要な部面だと
考える。これは何よりも尊重されなければならないものだと
考える。校長だとか、視学であるとか、或いは
文部大臣その人さえもそういう
意味では
教育の附属物かも知れないのだ。このことは私は非常に嚴粛に
考えなければならん。
教育の立上りことは……。そういうことから
考えましても
教育の
自主性というものはもつと尊重されなればならないし、そうしてかような
一つの本当の信念と氣魄があ
つてこそ私は今日の
日本のいろいろな困難を切拔けて行く
ところの大きな力になり得るのだと、こういうように思います。だからそれは
時代のいわば
傾向の中でいろいろな問題は起るでありましよう。そうして又或る人は或る強い信念を持つ場合には、こういうものを越えて行くのでありましよう。その
ために
時代的のいろいろな掣肘を受けることもあり得るかも知れませんが、そういうことは問題じやなくて、
日本の
教育がどうなるか、どのように世界に公約した
日本の
民主化を徹底的に遂行するか、その基盤を獲得するかということにかか
つて参るんだということを私は眞劍に
考えているのであります。
從つて現状の政治の中におきまして、これは我々の見る
ところでは予算が不足の
ためにいろいろの
教育の不安が起
つているのであります。先程河野君かか述べられましたように、この責任の大半はこれは実は
文部省で負わなくちやならん。その結果熱意のある職員というものが職場において
行動する。その
行動に対しましてその
行動の現象的な、いわば結果だけに囚われてお
つて、その原因に対して深い
ところの反省がなされないとするならば、これは逆立である。文部行政の逆立であるということを私ははつきり申上げなければならない。こういう観点に立
つて今日直面しております
ところの
段階を
大臣においては十分に大きな高所大所に立
つてこの問題を解決されることを私は切望してやまないのであります。そうでなければ何年か後に、何年か後とい
つてもそんな長いことじやありませんけれども、何年か後において高瀬文部行政は果して
時代の空氣の中に何をなしたか、これは
時代と歴史が批制するものでありまして、この点において高瀬文政の前進を私は要望したいと、こういうように思います。そういう点に立
つて今日起
つております
ところの
大学教授の首切の問題、小
中学校教員の整理の問題、この問題を十分に善処されんことを私は切望いたしたいと思います。