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岩間正男君 今の問題に関連しますが、
文部省は今後これに対する対策を立てる上に是非これは参考として考えて頂きたいことの二、三について申上げたいと思います。実は六・三制の進行過程のうち、或いはその前からあ
つたのでありますが、
教育費の全額國庫負担というのは恐らく
日本の全
國民が期待しているところじやないかと思う。そうして又それに対する各地のあらゆる方面からの請願も
國会或いは関係方面に出されているような現状です。これは私は非常に故のあることで、決して單なる
一つのその場限りの思い付きや、そういうものでなくて、
日本の
実情から考えるときに、
一つは
日本の
教育そのもののいろいろな歴史的な過程から、
一つは
日本の現状、
経済の現状、殊に
地方財政の現状から、こういう要請がなされているというふうに考えるのです。その点は何と
言つても
日本的な特殊的な事情がありますので、
日本の
教育を本当に護ると言
つたら、この基本線を今日護る
方向に政策を前進させること以外にないというふうに私は考えているのです。結局何と
言つても
地方の
一つの税負担の限界がぎりぎりまで
行つている。そういうことによ
つて地方の、
さつき河野君の話にあ
つたアンバランスが非常に大きく出て來るということで、六・三制の一番大きな基本的な
要求であるところの
教育の機会均等が完全に破られる。こういうふうな
方向によ
つて破られる。この点が一番大きく出て來るのでありますから、これは
財政の余裕が比較的あ
つて、そうしてまだそういうような
地方財源、或いは民間の負担とか、そういうもので以て
教育を推し進める程の余裕のある、そういう
経済状態の國においてはいざ知らず、
日本においてはぎりぎりに
行つているのですから、それを今のような形で行けば
一つの、ここ二、三年とられて來たところの大衆の
要求から逆行するのじやないかということが考えられます。ですからその点について
日本の今までの
教育のあり方、そうして殊に機会均等がとれなか
つた理由は何にあるか、つまり
財政の均衡ということがなか
つたこと、
教育財政というものが独立していなか
つたこと、そうしてそこから問題が今日のように起
つているのです。だからこの点を十分にこれはやはり把握して、大衆的な
要求の上に立
つてこの問題を
折衝されなければ、私はもう六・三制そのものが完全に崩れてしまう、すでに崩れていると
言つてもいいのでありますが、この上に跡方も何もなくなる。そうして
教育が再び
一つのいろいろな財的な基盤によ
つて大きなむらが出て來ることは明らかなんですから、飽くまでこの点の確立のために
努力されたいというふうに考えるのです。これはまあ
教育委員会あたりを実際
実情を聞きますというと、こういうような面でも一番衝に当
つている
地方の
教育当事者の諸君はやはり全額國庫負担より以外に
日本の
教育的な破壊を護る途はないということが強く言われているのです。又
教員諸君にしても、実に現在も護れない、國庫が
半額を負担しても、又
地方におけるところの
経済情勢によ
つて非常にそこに差等ができて、そこから機会均等が破れているということは誰でも認めているところなんです。どこから考えましてもこの点は我々としてはやはり
日本の
現実をよく掴んで、今後の正しい
日本の教宿の運営のために、
文部省は肚を据えてこの問題をはつきり処理されることを切望するわけであります。この点是非今後の
文部行政の一番基本的な問題でありますからこの点に考えて頂きたいと、こういうふうに思います。
それじや時間も余りないようですから、簡單にお伺いしますが、首切の問題、
さつき出血はないということでありますが、これがいろいろな形で今日出ているような
実情を私聞いているのです。例えば山形におきましては、すでに助教の諸君を旧制師範二年終
つたものとして新らしい大学に入れている。併し入れるときの條件では、すでにもう百十三名くらい辞めさせて、そうして一應退職させて、それから新らしい大学に入れている。こういうような形が起
つている。こういう点について、これは
文部省は情報を持
つておられますか。この点は実質的に首切として現われているのじやないかと我々考えているわけです、助教が、今まで終戰後或いは終戰の期間を通じて
努力して來た諸君が、ここでそういう形の処理をされて、新らしい大学の方に繋が
つて行くということにな
つていますけれども、そういうことになると生活的な基盤というものが完全にこれは脅やかされて、その結果について、又それを採用するかどうかという保証が完全にこれは付いていないのでありますから、そうすると、そこに実際に名前はどうあろうと、実質的に首切が行われる。又我々が考えられることは、今後の助教講習の中で、これに対してそこの成績をよく
檢討するとか、それから勤勉であるとか、怠惰であるとかいうことをよく調べて、その上で免許状を與えるか與えないか、そうすると、これはどんなふうにも手心がされるということで以て、資格がないのだ。それから或いはどうも非常に不眞面目とか何とかいう條項を以てすれば、全部の受講をしたところの助教の諸君をそのままで繋ぐという形でなくて、そこで選択して実際の首切をされることになるのじやないか、こういうことになりますと、
さつきの大臣の出血しないというような方法とは、名目的には首切りでないということにな
つておりますけれども、これは合法的な形でこれが進められる危險性が十分あるのじやないか、長野縣なんかの例を聞いたのでありますけれども、校長がその講習会場に出て
行つて、部下の助教の諸君を一人々々調べて、出席がないか、欠席ないか、居眠りをしないかどうか、こういうことまでや
つておるというようなことを聞いたのであります。こういうことをするということになると、助教の人格そのものというものは一体どういうことになるか、そうして今までそういう形の人をよく
教壇に立たして置いたものだということを我々としては考えられるのです。こういうような天下り的な、又官僚制の復活見たいなことは言語道断だと考えるのですが、その結果それぞれ選択されて首切をされると考えられるのは我々の邪推でありますか、こういう点について情報を持
つておるか、その有無と、これに対する
文部当局の見解を伺いたいと思います。