○
岩間正男君 主として見たのは現地の
学校の施設、それから
教育委員会の
運営状況、それから
教員組合、その他仙台では大学、師範、それから
國宝としましては
岩手縣で中尊寺、それから
引揚者の
学校、
秋田縣では
盲唖学校なんかの
実情を視察して
参つてわけであります。で、時間が余りありませんので概括的に御
報告申上げたいと思うのでありますが、
教育委員会事務局並びに
教育組合なんかとの
懇談会によりまして、六、三の
実情がどうな
つているか、その
実情の大体について概略的に先ず申上げてみたいと思います。
福島縣においては大体
所要教室数が
最低限度としまして三千六百人、その中現在二十三年度の建設が
終つたとしてどれだけ建築が完了するかと言いますと、約一千四百五十二、結局パーセンテージは全体の
所要額に対して四〇%というようなことにな
つております。
宮城縣では
所要教室の二千四百に対しまして現在まで約八百
教室ができ上
つております。これは既存のものを加えて約五〇%、
岩手縣では一千三百七十六の
所要数に対しまして五百五十六、これは大体四〇%、
青森縣では二千八百三十の
所要数に対しまして一千百八十二、これは四二%、大体以上のような結果を総合しますというと、六・三制の
新制中学の校舎は、
東北においては大体四〇%
程度しか現在において完了していないということが把握されたわけであります。
次に
建築費の
状況はどうかということを申上げますと、
東北におきましては木材が比較的豊富であるということから、更にまあ賃金なんかの割安というような面からしまして、全
國平均よりは幾らか安くな
つているようであります。こういう
ところに惠まれた点もあるのでありますが、併し資材の入手の点、その他経済的な関係からして又非常に困難な面もあるのであります。大体この
建築費の負担の
内容はどうな
つているかということを考えますと、大体五分の二から三分の一
程度が
國庫負担でありまして、五分の三から三分の二
程度が
地方負担ということにな
つております。
地方負担の場合には先ず第一に、
村有林のある
ところは
村有林を伐り拂うなり賣り
拂つて財源を求める、その次には六・三貯金を土台として
地方起債に求める、併し
現状の
経済状態におきましては、六・三の貯金が非常に不振を極めている、こういうような形でなかなかこの
地方起債も困難であります。併しただ
一つの大きな財源として、この
地方起債に対する要望は高ま
つているのであります。それが若し不可能な場合には
寄附の割当ということになるのでありますが、今日の
状態では
寄附の割当が非常に強制的になされている、例えば
福島縣におきまして一戸当り三千円というような例が沢山あるのであります。又
南津軽部、これは
青森縣でありますが、
南津軽郡の或る村では
村民税の七倍七百円、又或る村では十三倍、こういうような現在非常に税金で苦しんでいる
ところの
地方の
人民大衆にと
つては殆んど出すことのできないような高額の
寄附が課されている、こういうために
村会あたりで折角決議しても、又
PTAあたりでそういうような決定をしておりながらその
寄附が集まらないというような
実情に追い込まれているのであります。こういう点について十分に今後の
文教政策の上で考慮をしなければならないという実態を我々としては把握して來たつもりであります。更にすでに二十四年度の
補助金を見通して現在工事に着手しておるものが相当数予想されるのでありまして、こういうような問題も現在の六・三
予算の
全額削除というような方向と連関して非常にこれは大きな政治問題を発生させるのじやないかと思うのであります。その次に以上のような
建築状況で大体四〇%
程度の最低限しか充たされていないために、これは
中学における
ところの一部
教授、三部
教授それからまあ仮
校舎使用、
小学校からの
校舎借受というようなことが非常に強化されておる、次に
教員配置について申上げますというと
東北の
実情では、大体まあ
小学校においては一
学級に対して一・二から一・一五というような低い
配置掛の
状況にな
つておるのであります。又
中学校においては大体一・四から一・五というような
現状にあります。更に
一つ問題にしてみたいと思いますのは、この助教の数が最近の
教員の生活苦のために青年の男子が非常にどんどんと辞職しておる、職場を離れておるというような関係からその後に
中学校、女
学校の助教を以て補充するというのでこれは全
國的傾向でありますが助教の数が非常に多くな
つておる、このような数が例えば
福島縣におきましては三四・三九%というような線が出ておるのであります。その中而も目立つものは男子の
割合が女子に対して少い、
福島の例を挙げますとその助教の中の四七%が男であ
つて五三%が女であるというような形で結局若い助教の女の人が非常に多くな
つておるということは、
教員の質の低下の問題が最近問題にな
つておりますが、それと連関してこれを十分に考慮しなければならない問題だと思うのであります。それから次にこれは時間も余りないのですが
簡單に今
中学校と
小学校の学歴はどんな工合にな
つて現われておるかといいますと、これを
簡單に申上げますと、先ず
高師卒、これは
福島の例でありますが、
中学では二十五人
小学校ではない、それから青年師範出、師範出、これが千八百七十三、
中学では十八百七十三に対して
小学校は二千六百二十人、
大学出は
中学では百二十三に対して
小学校では十四、高專の出身は
中学では九百七十九に対して
小学は二百九十七、それから
中等学校出が
中学では千二百六十七に対しまして
小学では三千九百八十四、青年
学校出、これが
中学では五十人に対して
小学校は百四十四人、それから
小学校出、これが
中学では百三十人に対しまして
小学は四百八十五人、その他が
中学では百十人、
小学では二百二十五人とこういうような大体の数字が出ておるのでありますが、こういうようなことで現在の
教員の学歴乃至質の
内容を檢討するに手掛りになるのじやないかと思うのであります。このように全体的に見まして
教員の質は一般に低下の傾向を辿
つておるのでありますが、この
現状は言うまでもなく一番大きな
原因は何と
言つても
教員の
経済状態に求めざるを得ないのであります。殊に
公務員法が実施されまして、その結果において二月の切替によりまして、これを見ますというと、
教員の
生活程度というのは非常に苛酷な
現状に遭遇しておることが分るのであります。ここにもそのようないろいろな例がございますが、例えば
秋田縣の
藏館小学校の例を採りますと
校長さんが五十三歳、二級でありますが、この人の本俸が八千六十円、家族が四人で
家族手当が一千円、それの
半期分だけ、まあ二月
上半期、
下半期の二つに分けて給與せられておるのでありますが、
上半期においては四千五百三十円、その中税金が三千四百七十八円、結局
差引手取が千五十二円、こういうようにな
つておる、
下半期においてもその
手取が僅かに百六十円、これを加えましても三千五百円
程度の
手取であつた、これが一校の
校長の
手取であるのであります。その他年齢の若い例えば助教の人を見ますと、二十六歳の助教で二千六百円、そうしてこの
上半期の
手取が千三百円というような形にな
つております。
下半期がこれに対しまして一千百三円両方合せましても二千四百円というような
現状であります。併しこれらは良い方でありまして、中には今度の俸給の切替によりまして全然空袋を
貰つたというような非常に深刻な例が出ておるのであります。こういう点につきまして、
教員の質の問題とそれから
教員の給與の問題、これは早急に
文教政策の中に考えられなければならない問題と思うのであります。
次に、大体
新制中学の問題を終りまして、
定時制高校の問題に入りたいと思うのであります。
定時制高校の
実施状況は大体どうな
つておるか、例えば
福島縣の例をここで申上げたいと思います。
独立校が現在十三校、
併設校十九校、分校が五十一校、それに
併設夜間校が四校、そうしてこれらの
学級の総計は百四十六
学級、
生徒数が五千二百二十一名、併しながらこの数は全体の
該当者と推定されます
ところの十四万に対しまして考えますときに、僅かに四%に過ぎない、つまり
定時制高等学校に行われておるというように宣傳されておるのでありますが、その実質的な
恩惠を受けておるのは僅かに全体の四%に過ぎない、そうしてそれに対しましてその足らない
ところを
通信教育や
社会教育で補
つておるということが言われておるのでありますが、そんならば
通信教育の
内容はどういうものであるかと言いますと、
福島縣におきましては僅かに二百人しかその
恩惠を受けていない、こういうような恰好でありまして、現在問題になるのは
勤労青少年の
教育、この点において名前を一應体制の上では、各
目的プランにおきましてはできておるような幻覚を與えられておりますが、その
実質内容は極めて
貧困であるということをはつきりこのような統計が示しておるじやないかと思うのであります。
次に定員定学制の問題が今盛んに論議されておるのでありますが、これに対しましてどういうような
実情が現われておるか、これも非常に重要でありますので、この点について実際の
調査を申上げて見たいと思います。例えば
秋田縣の例でありますが、
秋田縣では縣下の
平均人員が
小学校におきまして四七・九八人ということにな
つております。これが実際の
分布状況を見ますと、七十一人以上が三十九
学級、六十六人から七十人が八十
学級、六十一人から六十五人が百五十
学級、五十一人から六十人が一千百六十八
学級、四十一人から五十人が一千二百五十三
学級、三十人から四十人が七百三十三
学級、こういうような
分布状況を示しておるのであります。これは現在
文部省で問題にな
つております一
学級五十人というような数で抑えれば、もつともつとこれより大きな超過が出ると思うのであります。この統計によりましても四七・九八人の平均であ
つても、大体五十人以上のものが半ばに達しておるというような
実情を我々は掴んでおるのでありまして、こういう点について現在の五十人というようなものは、ともすれば五十人だけの印象を我々は持ちまするけれども、実際七十人、八十人というような形ではつきり現われておる、そういうことが言えるのであります。殊にこれは
東北のように非常に辺鄙なそうして
人口の密度が疎である、
人口に
割合が疎であるという
ところにおきましては、一方において山間には二十人、三十人の
学級を設けなければならん。当然それとの対比におきましては、一方におきましては七十人、八十人というような超満員的な
学級が現出しておるという、このような実態を我々はやはり掴まなければならんじやないかと思うのであります。
次に
教育委員会の問題について申上げたいのでありますが、先ず第一に我我の設問としまして、
教育委員会の選挙に対して希望はないか、それから
教育委員会の
現行法に対してどういうような考えを持
つておるかということを、
教育委員の方並びに
事務当局の
人たちと
懇談をして参
つたのであります。そうしてその中で一番大きく問題にな
つておりますのは來年の、二十五年度の十月までに必ず市町村におきましては、
教育委員会を設けなければならん、そういうことがあの法案に規定されておるのでありますが、それがどのように響いておるかといいますと、
現状におきましては、殆んど口を揃えたように、これに対しましては
現状ではそれはとても無理である、第一に人材を得ることが困難である、経済的な措置において
現状のままで
教育委員会を二十五年度までに強化するということは不可能である、それでできたら法案の修正をや
つて欲しい、若しそれができないならば、せめて
地方事務所單位ぐらいに
委員会を設けられないか、又それも不可能ならば、せめて
郡單位ぐらいの
ところで抑えて貰わなければ何ともならんということが、殆んどこれが全部の意見であるということを申上げたいのであります。
次に
教育委員、並びに
事務当局と
懇談をいたしまして感じましたことを申上げます。それはどういうことであるかというど、
教育委員会は、これは極端に申しますと、殆んど
現状におきましては無力化されておるのじやないか、それはどういう
ところの点であるかといいますと、先ず人物の点から考えられるということ、果して本当に高い
教育に対する識見を持
つておる
人たちによ
つて充たされておるかどうかということ、それから次にこの
教育委員が縣内の到る
ところに分散しております。これを
中心都市に集めて、そうしてそこで
委員会を持つということが、月二、三回持たれておるのでありますが、殆んどこれによ
つて、重要なことを処理するという機関にはならない、更に大きな問題は、我々の
法案審議のとき問題にしましたように、
予算に対する
ところの
権限がない、こういうことのために、
教育委員会はいわば何か刺身のつまのような形にな
つて、その実体は
教育長に握られておる、そうしてその
教育長は
教育委員会を巧みに
一つの何と申しますか、
教育委員会の権能というものを惡い言葉で言いますと利用することによりまして、そこに
権力集中が行われておる、或る縣のごときはこういうことを
言つておる、
教育委員の一人々々については
権限はないのである、ただ
委員会が全体
会議制で、その
会議そのものに権能があるのである、
從つて代表的に
教育委員が出ておるような場合には、それは
教育長がこれをなさなければならんのである、そういうような形で
教育委員の一人一人の
権限というものは非常に弱められておる、そうして実質的には
教育長が非常に大きな
権限を握
つており、そうしてその又
教育委員会の
運営そのものが、府縣において独自の
一つの見識と権能をまだ十分に取り得ない、何か問題が起るというと、最後的にはこれを
文部省にすべてを聽いておる、そうして
文部省の指令を仰ぐ、そういう形で問題を裁断しなければならないというような弱体な
状態であります。
教育委員会法そのものの持
つております
ところの
地方分権の精神というものが、完全にこういうような形におきまして実現されていない、蹂躪されておるというように考えられるのであります。現在におきましてはこういうような
教育長が、いわゆる過去の
教育事務官僚が横すべりしまして、
文部省との連絡が緊密に担当、……表面ではないのでありましようが、行われておるということが分るのであります。例えば
調査課のごときを見ますというと、これは殆んど
文部省の
下請け機関にな
つておる、
文部省が問題を出して、これに対して
調査を命じた事項については
調査するけれども、実に大切な
教育改革の、例えば
先つきから私が申上げましたような観点に立
つてのいろいろの資材、データの
調査のごときは、殆んど何ら
整つたところの、我々の要求に対して殆んど完全に答えることができなかつたような
状態であります。こういうことは何を意味するかというと、これは言うまでもなく、まだ
発足以來日が浅いということにも基因しますけれども、本当に
教育改革の眞の精神というものを掴んで、今日この
教育委員会が十分なる活動を
日本教育の
民主化のために展開しておるということは、
実情からこれは甚だ遠いのじやないかということを、我々は率直に痛感して参
つたのであります。こういう点につきまして、
教育委員会法との連関におかまして、相当再檢討する必要があるのじやないか。機構の問題、その機構を通じての運営の問題につきまして、十分に今後我々
文部委員会はこの問題についてタッチする必要があるということを感じて來たわけであります。
更に
地方における
教育予算の
状況はどうであるか、
東北におきましては、大体これは四〇%から五〇%というような
割合が縣の
予算に対する
教育費の
割合であります。こういうような形におきまして、現在
教育費は大きな
地方財政を圧迫しておる
ところの
原因とな
つておるのであります。これに対して当然我々として考えられるものは、
全額國庫負担の措置でないかと思うのでありまして、こういう点についても、これは
文教政策の今後の重大なる関心を持つべき問題であると思うのであります。
次に
特殊学校としまして、
盛岡の
青山小学校、これは
引揚者の
学校でありますが、いつかこの前の
委員会におきまして、これは
盛岡の市長から
請願書が出されまして、これに対して本
委員会はこれを採択すべきであるという
一つの決定がなされた、その
小学校を見て参
つたのであります。これは現在におきまして、全國におきまして約十ケ所の
引揚者の收容の
学校がございます。北海道に七つ、それから
東北におきましては
青森、
秋田、
岩手各一校ずつございまして、十ケ所ございます。そのうち
盛岡を見て参
つたのでありますが、
盛岡に
引揚者の現在住ま
つておりますのは、
岩驚寮という
ところに四百九十
世帶おりまして、これが二千二百六人、それから
青山寮というのがございまして、これが三百四
世帶でありまして、これが一千二百二十六人、計七百九十四
世帶、三千四百三十二人ということにな
つております。これの
兒童数は、男が三百七人、女は三百九人、計六百十六人が学童なのであります。これに対して十四
学級の必要があると言われておるのに対しまして、現在は五つの
教室があるのみでありまして、
從つて二部、三部の
教授に追いやられておる、これに対して、
是非あとの分を
全額國庫負担でや
つて頂きたい、こういう要求でありますが、これに対しまして、この前の打
合会のときにもちよつと一端を申上げたのでありますが、その後の
状況の工合を我々は観察したのでありますが、これは軍隊の元の
馬小屋でありまして、その
馬小屋を改造いたしまして、中に通路を設けて、その左右に二十四、五戸の
世帶を設けたのであります。その
世帶というのは殆んど太陽の光がささない、晝でも薄暗い、その幅の一戸を私達は憚りながら戸を開けて見たのでありますけれども、その薄暗い
ところに汚い
煎餅蒲團を敷かせまして、
乳呑兒にお母さんがその兒に乳を呑ましていた、そういう
実情を私は見ました。そういう太陽が
照つても電氣をつけなければならないという住宅が現在あるのだそうであります。そこから出て來ておる
子供たちが、これは
学校を非常に頼りにしておる、
子供たちの
懇談会をあそこの
盛岡の
放送局の中で持
つたのでありますが、そのとき我々の質問に対して、
学校と
家とどつちが樂しいかというような質問に対しまして、子供は、無論
学校が樂しい、何と
言つても太陽の光がさしているからという端的な言葉で述べられたのであります。こういうような
実情によりましても、我々は当然大きな任務を持ちまして、この問題の解決のために努力しなければならないということを痛感したわけであります。
次に
秋田の盲
学校について申上げます。いろいろ問題があるのでありますが、前年度から実施された
義務制度、それがどのように実施されているかということを
簡單に申上げたいと思います。
義務制度につきましては、予想を裏切
つて就学率が非常に惡いというようなことが言われているのであります。これは
校長さんの説明であります。その
原因といたしましては、先ずそのような、いわば
不具者の
子供たちを親は偏愛しまして、親許から遠くの
学校に離したくないというような感情的な問題が
一つ出ておるということが
一つであります。併しながらその次には、第二の大きな
原因としまして、非常にそれらの
人たちは
貧困である、そうしてこの
貧困であるということが出せないばかりでなく、このような
貧困が又この
盲聾唖の大きな
原因であつたということ、そういう
原因であるということは農村においてこのような
盲聾唖の
子供たちが非常に多いという
実情を見ればはつきり分ると思うのでございます。それで
從つて学校へ出すというと非常に金が掛かる現在の
状態においては、これらに対して十分な
國家的な補助がなされて無論いませんので、
從つて親の
経済負担が非常に大きくなる、出したくても出せないというようなことが又起
つているのであります。更には
学校の
現状を見ますと、十分な設備がなされていない、殊に
職業教育、まあいろいろ
盲聾唖の
子供たちに対しますいろいろな
職業教育の設備がまだ
内容的になされていませんので、
從つてそこを卒業しても十分に先々立
つて行われるかというような親の不安が残されておる、そのことが又
学校に対する信頼も薄いというような結果を來しているのであります。そのような
原因のために必ずしも
発足以來の
盲聾唖の
学校はその希望の線を進んでいるとは思えないのでありまして、この点についても十分に考慮しなければならないと思うのでございます。その他いろいろ
盲聾唖の問題につきまして、
実情を私達は見て御
報告申上げたいことがあるのでありますが、いずれこれは
委員会の方に讓りたいと思います。
最後に
教育の視察の結論的にここで申上げたいのは、今まで全國の
文教政策というものは
画一主力を以てなされて來た。
東北も、東京も、関西も、九州も同じであるというような感じでなされて來た、例えば定員定学制を採るときに、全國同じように五十人というような形で割
つて來た、このようなことが一体果して正しい本当の
教育の
機会均等確立という
文教政策というような観点からしまして、
東北の
教育の
特殊性についてここで我々の把握して來たものについて申上げたいと思うのであります。御承知のように
東北は米の
供出地帶であります。それから木材、水産物におきまして、これは
都市に対する
ところの奉仕が非常に行われておるのであります。併しながら
都市に與えるものは非常に多いけれども、反対に中央から受ける
ところの、
國家から受ける
ところのものは非常に惠まれていないということを我々は感ずるのであります。
第一に産業の開発が
東北においては非常に遅れている、未
開墾地も非常に多い、
水力発電等も十分に開発されていない、
從つて河川、道路、港湾などの開発が十分になされていない、殊に我々は感じましたのでありますが、例えば二度の水害によりまして破壞されました
ところの
東北の
基幹線が
岩手の一ノ關附近におきましては今日でも殆んどもう間に合せの修理をや
つて、そうしてそこの
ところをのろのろと徐行しておるような
程度なのであります。それから我々が参りましたときには相当冬も暖かでありまして、雪が降るともう直ぐ解けてしまうような形でありまして、至る所泥濘の道が残
つておる、芭蕉が「笠島はいずこ五月のぬかり道」というようなことを
東北の紀行の中で、あの「奥の細道」でよんでおるのであります。あのような情景が今日におきましてもまだ至る所に展開しておるというような形で現われておるのであります。こういうように惠まれない
ところの
東北の
状態がやはり
教育文化の面におきましても現われておるように我々は把握したのでありまして、特質的な点としましては二、三点を挙げることができると思います。先ず
人口の密度が非常に疎である、
從つて学校が分散的である、
僻陬地の兒童や、
学級兒童数が一方において非常に少いというような、つまり分校とか、單独の
学校というようなものが非常に残
つておるような形になりますので、
從つて都市部分では非常に一
学級の
兒童数が多くなるというような形にな
つて現われております。これは先程
秋田の例で申しましたように、單にこれを平均五十人で割
つても、東京の五十人と、それから
東北における
ところの
岩手や
青森、
秋田というような縣におきます
ところの五十人とではその分布の
状況が丸で違
つておる、このような実体について一体今まで文政の当局は把握しているかどうかということを私は怪まざるを得ない、東京でありますならば、これは大体五十人を越える
学校があるならば、又一方で四十人の
学級があるために、
割合にして五十人
程度で抑えることができるが、その偏在の仕方が非常に
東北のような
ところでは多いという、こういうようなことをはつきり握みますと、例えばそのために多くの犠牲を受ける子供が出て來る、七十人、八十人、九十人というような
学級におきましては何とい
つてもこれは
教育的な大きな犠牲でありまして、これはやはり最低線で抑えるというような
文教政策を採らなければならない、そうでなければ本当にこの均等した
ところの
教育をとることはできないのであります。それを平均で抑えて、そうして東京も
東北も同じように抑えておる
ところに根本的なこの
文教政策のやはり從來の誤りがあるということを私は指摘したいと思うのでありまして、
東北の子供もやはり
都市並みにこれは惠まれ得るということが今度の
教育改革の基本方針でなければならないのでありまして、こういうような地理的の状勢から
東北だけが過大な犠牲を拂わなければならないという理由は少しもないと思うのであります。
從つてそのような状勢が
教員配置に非常に困難を來しておる、山間、漁村、それから島、こういう所は
東北には非常に多いのであります。こういう
ところの
僻陬地への
教員の希望者が非常に少い、例えば下北半島、
岩手の三陸地帶、こういうような
ところにおきましてはもうちよつとした中心地からはそこに参るには二日、或いは三日というような、そうして他縣を廻
つて行つた方が早いというような交通
状態であります。こういうような
ところになりますと住宅もない、
從つて非常に希望者が少い、そういうようなことのためにいろいろな問題が発生しております。例えば山田線があのアイオン颱風によりまして崩壞したのでありますが、現在この交通が遮断されて、そうして、運輸の便が断たれておる、
從つて米のごときはこれは人力で以て人の背によ
つて運搬しなければならん、大体
盛岡の
ところの米の闇値が百円であります。これが山田地帶の
地方に参りますと、二百円というような
状態にな
つておる、こういうような
実情で
教員の生活は非常に圧迫されておる、そのような
ところには誰も行き手がない、行き手がないというよりも、そこでは暮せないからである、こういうような問題を本当に親身にな
つて解決しなければならん、無論縣当局は幾分考えてお
つて、住宅手当とか轉任手当、
僻陬地手当のようなものを考えておるようでありますけれども、もつと全般的にこれを大きな施策として
國家的な手を差延べなければこの問題を解決することができない、私達はこの旅行の中で非常に不幸な
一つの例を聞いた、それは下閉伊郡、今申しました山田線の中で、下閉伊郡の川井地区の
教員が四、五十人とてももう我々はこの職場に堪えられないから今度はもうはつきり罷めるのだと
言つて連袂辞表を提出したというような情報がもたらされておるのでありまして、そういうような問題は
教員の生活の破壞と深く絡み合
つて、当然考えられなければならない問題であると思うのであります。次に又非常に冬季が長くて積雪が深いということのために当然考えられるのは雨天体操場の設置の問題であります。これはまあ余り多く申上げなくても御了解頂けるのじやないかと思うのであります。この問題は兒童の冬季における保健問題とも深く連関して参るのでありまして、現在六・三制のためにそれらの雨天体操場が殆んど取られておる、そうして分割して
教室に使われておる、そういうことのために子供達の健康
状態が非常に憂慮すべき
状態に追いやられておると思うのであります。
從つてこれは、
新制中学校、
小学校の雨天体操場は絶対必要な問題としてできるだけ早いうちに解決されなければならない、更に積雪が深いために一坪の
建築費用というものと、一方におきましては、例えば木材の石数が外よりは、温暖
地方よりは多く取らなければならないということが出て來るのであります。雪が深くて重くなりますから三寸角を使う
ところを五寸角、四寸角を使わなければがつちりしたものができない、そういうような
特殊性もあるのでありまして、こういうような点からしまして、未だまあ文化の及んでいない
ところの
東北に対して十分な措置が取られなければならないと思うのであります。
以上で
教育問題は終りまして、最後に
簡單に
國宝の問題に触れたいと思うのであります。
私達は平泉の中尊寺を中心に参りまして、仙台におきましては大崎八幡、それから
秋田の、あすこの如來、そういう
ところを見て参
つたのでありますが、そのうちで一番問題になるのは平泉だと思うのであります。無論、仙台における大崎八幡、伊達藩時代の大崎八幡のごときもこれは爆破されまして、そこの屋根が破れたために、更に屋根を突き拔けて疊まで燒かれておるというので、現在非常にこの修理問題で地元では騒いでおるのでありますが、それにも増して平泉の問題が
國宝保存の立場から大きな問題になるだろうと思うのであります。言うまでもなく平泉は
東北における法隆寺ではないかと思うのでありまして、そこでこれは私は
國宝的な價値についてくどくどしく申上げることは省きますが、あの藤原三代から残されておる
ところの
國宝の保存
状況がどうな
つておるか、それは私は丁度昭和十七年におきまして、これは個人的なことでありますが、私の師匠の白秋の伴をいたしまして平泉に参りまして中尊寺に泊り光堂の中の内陣を開けて貰
つて見て來たことがあ
つたのであります。その当時の印象から比べますというと、やはり非常に荒廃を感じておるのであります。今度あすこの内陣を開けて貰いましたが、殆んど初めて新聞記者がそれを機会にフラツシユを焚いてあの内部を撮るというようなことがせられたのでありますが、それをど今までは祕密に、
人民大衆の目から遠ざけられておる、そういうような形なんであります。而もあすこに入りまして感じた印象は、何か非常に荒廃の色が濃いということを感じたのであります。例えばあの光堂の側の閼伽堂に藥師如來の坐像があるのでありますが、これが宝珠の銅板の合せ目から雨が漏り、藥師如來の坐しております膝の凹みの
ところに雨水が溜
つて、木像を腐朽させるような
原因を作
つておるということが出ておるのであります。それから更に荒廃が目につきましたのは、光堂の後にあります
ところの経藏であります。あの経藏は第一建物が
國宝建造物にな
つておるのでありますが、それが非常に痛んでおる、更にその中に入りまして、保存されております
ところの屋根や経でありますが、この経が非常に痛んでおる、今日この経藏は紺紙金泥経と、それから紺紙金銀泥経と宋紙版、この三種類が保存されて約四、五千巻あるのであります。その中で紺紙金泥経の方は大体一千二百三十巻、これが明治三十年に美術
学校の應援を得て修理されたそうでありますが、現在問題にな
つておりますのは、紺紙金銀泥経の方なんであります。これが未修理のままに残されまして、二千八百巻の中、約千百巻が未修理のままに残されまして、これに対する修理を二十二年の九月に申請したけれども、現在までそれが行われていない、実にもう虫食いが甚だしくな
つて、字が読めないばかりじやなくて、その半ばが潰滅しておるというような点を私達は痛ましく見て來たのであります。こういうようなことに対しまして、今後の
國宝保存の問題と連関しまして、十分にこれは考えられなければならないのであります。更にさや堂の修築の問題、更にいろいろなあすこに今までに建築様式の特殊な瓦を必要とするというような情勢でありまして、修理の困難な面が今までにあ
つたのであります。それは今までに明えなかつたというのは、すべて経済的な
原因というふうに考えることができるのであります。終戰後に何があつたかと言いますと、今までこれらの修理、それから寺の経営を調べて來たものは、あすこの寺の寺領地みたいな
ところ、それが大体四十町歩あるのでありますが、その殆んどが今度の農地改革によりまして、これは一般の開放されてしまつた、もう
一つはあすこは今まで団体、学生などの團体参観が非常に多くて、それらの観覽料が寺の收入にな
つてお
つたのであります。併しこれが團体のそういう立入禁止というようなことで、去年の後半期においては非常に收入も少く
なつた、かれこれしまして、その寺の経済的な
現状が非常に
國宝の保存を十分にさせていないというような
実情にな
つているのであります。これに対しまして、
盛岡に参りまして社会党、共産党と文化團体の
人たちといろいろ
懇談会がありまして、それに我々も出席したのでありますが、その席上でいろいろこの保存の問題について地元の代表者の意見を聽取したのであります。どうしましてもこれに対しまして十分な檢討が加えられなければならない、從來の部の宗教的関係によ
つてこれは自分の私有観念で以てこれを保存するという考えについて
一つ大きな檢討が加えられなければならない、
國宝的な價値に対して檢討を加えなければならない、それにも増してこれを人民の文化そのものの面に大きく解放してこの問題を採り上げて、そうして大きなそういうような大衆との連関においてこの問題を解決するというような方法が考えられなければならないのじやないか、現在の
國宝問題はいろいろ問題が沢山ありまして、私がここでくどくど申上げるまでもないことなんでありますけれども、大体我々としてはそういうような点が考えられる、その
懇談会の後におきまして、即刻地元において、つまりこの文化を我々人民の手で守ろうというような氣運が非常に高まりまして、そうして結局保存協会の準備会のようなものが早速持たれ、我々もその資金カンパに参加させられたというような形ができたのでありまして、こういうような形が残つたことが今度のやはり
一つの観察の成果でなかつたかと思うのであります。この観察の中でミイラの問題がこの
懇談会の中で問題になりまして、このミイラが果してあるのかどうか、非常に寺が今迄秘密主義を守
つて來たので、或いはミイラなんかないのじやないか、傳説に過ぎないのじやないかということを言われているが、これはどうなんだというような質問があ
つたのであります。これに対しまして寺の佐々木という主事の人が出席されましたが、いや、そういうことはない、この前
東北帝大と思いますが、
東北大から学者が参りまして、これを調べて見て、そのとき確かにはつきりあつた、殊に三代秀衡將軍のごときははつきり顴骨の高い、そういうような姿まで現在見ることができる、而もそういうような
一つの過去の文化物に対しまして十分にこれは科学的に研究する必要があり、いろいろな文化的な價値の問題に対して研究の自由が欲しいのだが、これはどうか、寺側では十分寺側の態勢を纒めて、それに努力したいということが述べられているのであります。その後そのような氣運が
岩手に高まりまして、是非そのときも寺側から、地元民からの要望があ
つたので、國会において権威ある
調査團を派遣して欲しいという希望があちこちで述べられたのであります。こういうような情勢がありますので、この問題を合せて御
報告申上げたいと思います。
以上少しく時間が延びまして、申訳ありませんが、私の纒りのない
報告でありましたが、以上を以て
東北観察班の
報告といたします。