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説明員(
樺山俊夫君) できるだけ簡單に要点だけを掻つまんで申上げるつもりでございますが、
國鉄の
関係でございますが、この
事件の
経過並びに
警察の採りました措置の概要を申上げますと、五月三十日に
東京鉄道局の局長から新らしい
交番制度を
実施いたしますことにつきまして
命令が出ました。六月一日から新らしい
交番制を採用するという
命令が出たわけでございます。これに対しまして
國鉄の
組合側といたしましては、勤務時間が今度新らしい
交番制を
実施いたしますことによりまして多少延長されますので、これは
労働強化によりまする
行政整理の先駆であるという
意味を以ちまして
反対の
氣勢を挙げて
参つてのであります。特に
東鉄管内におきましては、
東神奈川の
車掌区、
千葉の
車掌区、
中野の
車掌区、
蒲田の
車掌区、これが特にこの問題を取上げまして
反対を続けて参
つたのであります。この新らしい
交番制度の
実施は一應東鉄といたしましては、六月一日から
実施する予定でございましたが、それぞれの
車掌区等の
特殊事情によりまして、大体六月の五日から
実施をするということに決まりました。その間におきまして先程申しましたように、
組合側と
車掌区の
当局者側との間におきましていろいろ
折衝、
談判その他を続けて参
つたのでありますが、結局話が付かないということでございます。いよいよ五日から新らしい
交番制度を
実施するという
事態になりました。それで
國鉄の
当局といたしましては、御
承知の先般の
國会で通過をいたしまして
実施されておるまする
公共企業体労働関係法の第十
七條にございまするように、
國有鉄道及び
專賣公社の職員は
業務の正常な運営を阻害する一切の
行爲をしてはならない。それに違反した者は、この法律による一切の権利を喪失をいたしまして
解雇されるという
規定が十
七條十八條にございますが、この
規定を適用いたしまして新らしい
交番制を拒否するという者に対しまして、
只今の
條文を適用して断乎
処分をするという決意を固めまして、九日の午前十時に
千葉車掌区におきましては九名、
東神奈川車掌区におきましては十名の
処分の
発表をいたしたのであります。
この
馘首の
発表を
契機といたしまして、
東神奈川におきましては、
乘務員の
乘務拒否という問題が出て参りまして、徐々に
鶴見、
京浜、
横浜線は
間引運轉となりまして、夕方になりましては殆んどこれが停止という
事態にな
つたのであります。それと並行いたしまして
中野車掌区、
蒲田車掌区におきましては、これに
同調して
ストに突入するというような
情勢にな
つたのであります。
東神奈川におきましては九日におきまして、
車掌区の構内に、
友誼團体の
應援を加えまして約千二三百がそこの詰めかけまして、翌日に至るまでそこを占拠いたしました。いろいろ
車掌区長その他との
折衝談判をいたしておりましたが、九日から十日までずつとその場所を占拠してお
つた。そうして十日になりましていわゆる
人民電車を運轉するというような
事態にまで発展をいたしたのであります。
千葉車掌区においては十日の朝、やはり
馘首の
発表を
契機といたしまして、
組合側が非常に憤慨をいたしまして、新らしい
交番制によりまする
乘務員の
電車に乘り込むこと、これに対して
妨害をするというような
行動に出ました。特にこの場合におきまして
朝鮮人連盟の約四百名が先頭に立ちまして、
相当な
妨害をしたというような
事件が起りました。その際におきましてこの
電車に乘り込む
乘務員に対する
妨害をいたしましたのに対して、三十二名をその場において
檢挙いたしました。これは先程
長官から
お話があ
つた通りであります。
中野車掌区におきましてはやはり
ストの突入というような、
同調の
氣運が濃厚でありました。併しながら
中野におきましては現実に
馘首の
犠牲者が出ておりませんために、やや
空氣が低調であ
つたようでありました。そのうちごく一部分の
青年行動隊員が
列車の最後部に飛び乘りまして、ブレーキをかけて
列車を止めたというような
事件がありました。そのために二名を
檢挙しております。
蒲田車掌区におきましては、
線路の上におきまして、赤旗を振
つて進駐軍の
專用電車を止めたというかどを以ちまして、六名を
檢挙いたしております。そういう
工合でいろいろ
反対の
氣運がだんだん濃厚になり、各
方面におきましてもそれが波及するというような
情勢に立ち当りました。先程の
東神奈川、
中野、
千葉、
蒲田の四
車掌区、それから
中野、三田の二
電車区、これが
ストを
実施いたしましたために
京浜、
横浜、総武、
南武、
鶴見、
中央線、各線は
麻痺状態になりました。更に
東京機関区、
沼津機関区、
田町機関区、
八王子電車区、
弁天橋電車区、
池袋電車区、下十
條電車区にどうも
同調の氣配が濃厚になりました。尚飛びまして
水戸支部、
高崎支部、
宇都宮支部、
長野支部、
甲府支部等からこれらの
ストライキを
実施いたしまするところに対して派遣いたしまする助
勤者の派遣に対して、拒否をするというような
空氣も出て参りました。
事態が
関東地方全体の
國鉄関係の
運行が停止するというような
事態まで発展いたしまして、御
承知の
ストの
中止命令が出まして治ま
つたこういう
事件にな
つております。
それから次は廣島の
日鋼関係の
事件でありますが、
日本制鋼所廣島
制作所というのが、廣島縣の
船越町及び廣島
市両方に跨りましてございまして、これは
運輸省発注の機械及びミシンを
作つております。そして
賠償指定工場にな
つておりまして、從業員が約二千名程おるのでありますが、五月の末から六月の初めより、
工場の生産の低下によりまして、非常に経営が困難になりまして、
企業の整備をやるということで、いろいろ
会社側及至は
組合側とそれぞれ毎日
折衝をいたして参
つたのでありますが、六月十一日に
会社側は六百六十二名の
解雇を
発表をいたしたのであります。それに端を発しまして、この
解雇の
発表を繞りましていろいろな問題が起
つたのであります。いろいろ細かい小競合その他トラブルがございましたが、大きなものだけを申しますと、六月十二日に
組合側が
会社の
幹部に対して
團体交渉の申入れをいたしまして、面会を強要するというような
事態になりまして、約三十名程の
青年行動隊員と言われるものが
会社の
所長の祕書室の窓を破
つて闖入いたしまして、その部屋を占拠して
團体交渉を要求して、これに対して
会社側がこれを拒絶したというとであります。そのために
組合側は午後四時頃詭計を以て
所長代理外九名の
会社幹部を
事務所玄関におびき出しましてこれを取囲んで
交渉を
迫つた。これに対しても
会社側は應諾しないということでありまして、これがその日の午後四時から翌日の午前六時まで
会社幹部九名がそれらに取囲まれまして、食事も喰べずそこで
談判されたというようなことにな
つております。明けまして六月十三日に漸く
團体交渉の
運びとなつたのでありますが、その頃廣島
軍寺部の方から
ザガー大尉が参りまして、いろいろの
命令を二回程地元の
船越の
所長及至は
組合の代表に対しまして出しております。それによりまして
工場の中に入
つておりました
外部の者、
相当の
應援の部隊が
工場の中から退去いたしたのであります。翌る十四日におきましては
工場を閉鎖いたしたのでありますが、工員の約千五百名が出勤いたしまして正門を
押破つて工場内に入
つた。この日にも
軍政部からの
命令がございましたけれども、今度は
工場内から退去しないというような
相当氣勢が
上つて参つたのであります。その際廣島の
軍政部長から口頭の
指令がございまして、
日鋼の廣島
製作所において
ストに從事中の
組合員は全部
製作所より退去せしめよというような
命令を貰いまして、
警察署といたしましてはいろいろ準備の態勢を
作つてお
つたのでありますが、同日も午後になりまして
賠償指定工場の
管理責任者であります廣島縣知事から、
工場の保管上の
命令といたしまして、
工場より全部退去を
命令する
警告文を出しまして、それによりまして、夕刻頃はそういう
状況下に
外部の
友誼團体、その他いろいろ沢山
工場に集まりまして、約三千と推定される者が
工場の中に入
つたということで
情勢がだんだん險悪になりまして、これに対しまして廣島の市の
警察、
船越の町の
警察、並びに要請によりまして國警の方からも
警察官が出まして、中に入
つておりまする
組合員、或いは
友誼團体の
應援隊員を
工場より
実力を以て退去せしめた、こういう
事件にな
つておるのであります。この退去せしめました際にいろいろ衝突がございまして、
警察側といたしましては三十名の負傷者、
組合側といたしまして二十二名の負傷者を出しております。尚そのときに住居侵入の
現行犯といたしまして二十八名を
檢挙いたしまして、これを
檢察廳に招致をいたしたのであります。先程
長官からも
お話がございましたように、この際二名の死者が出て
虐殺されたというような
情報、その他の
宣傳が
相当激しか
つたのでございますが、さような事実はございません。
それから次は新潟の加茂
工場の問題で、東芝の加茂
工場の問題は、仮
処分の執行を繞りまして起りました問題であります。これは東芝の加茂
工場が今年の春に第一次の仮
処分をいたしまして、執行してお
つたのでございます。今回の第二次の仮
処分といたしましては、第一次の借
処分に洩れましたところを追加をして仮
処分をするということで、仮
処分執行が始ま
つたのでございます。これは六月の十三日に執行吏が参りまして仮
処分をやりかたけのでございますが、
組合員の
反対に遭いまして、到頭執行ができなか
つたという
事態がございます。次いで十七日にこの
警察の
應援を求めまして仮
処分の執行をや
つた。この際におきまして多少トラブルがあ
つたというわけなんであります。中に入
つておりました約三百名の
組合員、乃至は
外部からの
應援員が執行吏の執行に対して
相当強く反抗いたしまして、執行を阻碍しましたので、現場に出動いたしました
警察官が
実力を以てこれを執行させた。その際
公務執行妨害といたしまして第一次に百三名、第二次に三十八名を
檢挙いたした
事件でございます。これは特に特異な
事件ではないと思いますので、普通いろいろ裁判所の仮執行を執行いたします場合の反抗に対しまして、執行吏の要請によりまして
警察が出勤いたしまして、これが執行を行けた、こういう
事件であります。
それから
京都大学の
事件でございますが、これは
京都大学の医学部の附属病院に厚生女学部という乙種の看護婦養成学校がございまして、そこを三月の末に三十九名が卒業いたしまして、そのうち三十三名が引続いてこの医学部の病院に就職をしたいという希望でありまして、これを選考
委員会で選考いたしまして、そのうち十名が不合格者になたつわけであります。その十名のうち四名が就職を締めましてそれぞれ家に帰
つたのでありまするが、残りの六名が
京都大学の
学生細胞、或いは職員
組合等の中の者の煽動によりまして、飽くまで再就職を希望して学校
当局に対しましてこれを強硬に要求する、そうして寄宿舎の中におきましてハン
ストを行
つたというようなことから始ま
つた事件であります。先程申しましたようにこの共産党の京大細胞、或いは京大の職員
組合その他
外部から産別、全官公、全農林等の
應援がありまして、この六名の不採用者に対して即時全員採用という要求を強硬に突きつけまして、病院の事務
当局、院長と強硬にその後引続いて
談判をいたしてお
つたのであります。それがなかなか容られませんので、二回に亘りまして
只今の六名の不採用者が寄宿舎におきましてハン
ストを行
つた。併しながら学校側といたしましては、どうしても採用の適格がありませんために、採用を引続き拒否をいたしまして、五月九日になりまして、九日限りに寄宿舎より退去を命ずるというような
事件でありまして、これに対しまして学校の中に全國
学生大会というものを開催いたしまして、病院の院長と
談判を開始いたしまして、院長を事務長室に監禁するということになりました。十六日の午後二時から翌る日の十七日の午後六時までの間、院長を事務長室に軟禁をいたしまして、その間九項目に亘る要求を突きつけまして、院長が疲労困憊の挙句、この間覚書を承認をしてやつとその場をのがれた。こういうような
事件にな
つたのでございます。その間いろいろ
外部の
應援等も入りまして、
情報が非常に急迫をいたしたような
状況でありますので、京都市の
警察から先程申しました院長の軟禁に対しまして、その首謀者六名の逮捕状を要求をいたしまして、その逮捕状に基きまして
警察官が出勤をいたしまして三名を
檢挙いたしたのであります。その外に尚この問題の発端は看護婦の採用をしてくれというこういう要求から始ま
つたのでありますが、いろいろ覚書を突き出されました際に、いろいろその外の沢山の要求、官憲の不当彈圧とか、吉田内閣
反対とかいう点まで取上げまして、運動を起しておるのであります。尚この全國
学生連盟の全國大会というのが五月の末東京でございまして、その際に
京都大学の
学生連盟といたしまして、学内に起
つております問題を全国の大会にこれを訴えまして、これを取上げて、至急京都において全國の
学生大会を開催いたしますように電報をいたしまして、六月三日に
京都大学の中で全國の
学生大会を開催いたしました。この際全國から集まりました大学の
学生連盟の会員或いは又京都市内の産別、その他の
友誼團体等が入りまして約千名程、急に関催を決定いたしましたために、会場その他の施設の借入要求その他をめぐりまして学長と
折衝いたしまして、なかなか話がまとまらないということで、いろいろ
折衝いたしております間に
情勢が險悪になりまして、学長からの要求によりまして
警察官が出動いたしまして、坐り込みをいたしております
学生を、
実力を以て退去させたという
事件が別に発生いたしております。これだけ極く大要でございますが……