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中西功君 我々共産党はこの
財政法の一部を
改正する
法律案に反対いたします。この
財政法に関する
改正は決して單なる技術的な
改正ではないのであります。それを私はもつとはつきりさせたか
つたのでありますが、
質疑の中においては十分はつきりさせ得なか
つたことを非常に残念に思います。
政府がこれを出すに当
つて、今度の
予算の
執行、それと睨み合せしていることは、これは極めて明白であります。而も今度の
改正の根本はそこにあります。
政府が提案
理由書の
説明の中で「
施行の二箇年の
経過に鑑みまして、」というのは、これは結局小さい
理由であ
つて、もつと根本は今度の
予算編成及び
執行に
関係がある、そういう面を
政府委員は殊更に隱しているわけであります。提案の
理由におきましても、そういう点が現われておるばかりでなく、他の箇所においても、これは本村委員から指摘されたごとく、この形式は
予算に二種類あるかのごとく見えて、却
つて予算の理解を困難ならしめる嫌いがある、こういうふうなことを
言つておるのも、これは逆なんであります、全く逆なんであります。目別
予算と
部局別予算を作
つた方が、若し理解を容易にするというなら、それの方がいいのであります。從
つてそれが理窟にならないために
政府委員は後の方じや決算の
都合というふうなことを又申しております。これは後からつけた
理由であります。若しそれが根本的な
理由ならば
最初からこの
説明書になければならない、このように問題の本質すら……、そうして極めて些細な理窟口実によ
つてこの
改正をなそうとしておる、非常に残念だと思いますのは、このような
政府の不誠意な答弁或いは態度に対してこの大藏
委員会が徒らにこれを通そうとすることだけ
考えて、何らこれを
審議しようとしない、私は若し國民の代表であるからにはそういう態度では非常に残念なことではないかと思うのであります。このようにこの
改正案は隱くされた非常に重大な意図から出発しておる、そのことは又実際においてこの具体的な
改正案の中にもはつきり分るのであります。さて以下その細かい問題について二、三申したいと思います。
何といいましても、今度の
改正の起
つて來た骨子ともいうべきものは
移用或いは
流用規定なのであります。これは折角
國会ができる限り細目に亘
つていろいろの問題を
審議したいといたしましても、そのときの
都合、それからそのときの力
関係によ
つて自由、勝手にそれが使われて行く可能性を與えるのであります。特に今後日本の國家財政は極めて重大な時期に達すると思う。これが爲替一本レートの設定、或いは又今後外國からの援助費が特別な会計として整理されて行き、そうしてそれに関連して
價格調整費やそうしたものが極めて厖大な額に上り、その使用が全く日本の経済を支配して行くというような問題が我々の前に控えておる、そういうときに我々はその使用を実際に細部に亘
つてまでやはり
國会が監視する必要がある、又決定する必要があるのであります。こういうふうなときに、わざわざこのような
移用或いは
流用の
規定を大きく設けて、それによ
つて國会の
審議をその面に関しては非常にルーズにしてしまうというふうなことは、日本の今後の行き方にと
つて極めて由々しき問題を釀すのであります。若しこのままなされて行くならば、我々が憂うるのは、單に日本の
國会が非常に權限が少くなり、又権威のないものになり、日本の
政府の
執行権力が非常に強くなるというだけではないのであります。それだけではなくて、もつとこの中には由々しき問題が含まれるのであります。私達は先ず第一にそういう点をこの
財政法改正の中にありありと見るのでありまして、我々共産党がこの
改正案に賛成できないのも、第一の
理由はそこにあるのであります。
第二に、
目的別予算を廃して、それから
組織別予算だけにするという問題はこれも一見極めて技術的に
説明されておりますけれども、私はこのことが先き申しました
國会の権威をなくし、行政部の權威を濫用するというだけに止まらなくて、むしろ日本
政府自体の極めて御
都合主義的な、そうして又非常に権威のない有様がここにありありと現われておると思います。曾て
財政法が作られたときに、この二つを作ることが財政の民主化であると、これは当時の自由党の石橋
大藏大臣でさえがそう申して、而も殆んどの議員はそれに異議はなか
つたのであります。それを今に至
つて改正するのは、決して技術的な問題ではないのであります。私は
政府或いは國家というものは、それは一面において民主的であり、即ち國民と共にあることが必要であるし、同時に
政府の仕事は迅速に正しく責任を持
つて行わなければならん。即ち一方には民主的であると共に、一方は集中的でなければならんと思います。このような二つが兼ね備わ
つて初めて立派な政治ができるのであります。そのようなことが
予算に現われる場合には、やはりこの
目的別と組織別との二つの
区分として現われて來るのであります。確かに組織別
区分、いわゆる
部局別予算が確立して、そうして各
部局が責任を持
つて予算を十分に
執行して行くということが必要であります。併しそれよりも、もつと大切なことは、國の政策を決定する
政府としては、一体
経費をどの方面に使うのか、即ち不必要な方面に沢山使うのか、それとも建設的な大衆生活に必要な方面に沢山使うのかということの方がもつと大切な問題である、政治の根本であります。こういうことを現わし、又そういう政策を通じて現わすのがこの
目的別予算でありますが、若しこのような
目的別予算を無雜作になくしてしまうおというように
考えること自身は、これは技術的な問題ではなくして政治問題である、そういうような根本的な
政府の
考え方は、これは國民に見えるか見えないかというような些細なことじやなく、何ら日本のために、日本の勤労大衆のために
予算を組まうとか、政策をしようとかしていない、そういう
政府の態度をここの中に極めて明瞭に現わしておる、そして又このような行き方が完全に御
都合主義で、日本の
政府の自主性さえもなくして行くような結果をはつきりと見出しておると思うのであります。これは私の第二点であります。
更に第三点でいいますれば、このような政治の貧困、政策の貧困をこれが表明しておるだけでなく、更にそれに附随しましてここに新らしい官僚主義の発生を招いておる、それは
國会の権威、それを傷ける、或いは少なくするだけじやなくして、このような行き方で行くならば、即ち一方において本当の民主的な方向を失
つて、而も
部局別予算だけで行くような方向をとるならば、これは必然に各官廳の対立、或いは又そのブロツク化といいますか、そういうものを激成して行くのであります。そしてこれを
大藏大臣によ
つて統制しようとすることは勿論できます。やるべきであります。やることが必要にな
つて來ますが、同時にそのことは
大藏大臣の権限を極めて大きいものにしてしまう、勿論
大藏省が、或いは又
大藏省が掌
つておる種々の仕事の
関係から、
大藏省なるものが、主としてどのような勢力の利益と最も関連しておるかということは、これはもういうまでもないことでありますが、そういうふうな官僚主義の上に、特に
大藏大臣の権限を強めて、そしてこれが主として金融、或いは財政の面からすべての政策を
規定して制約して行く、そういうふうな
一つの大きな官僚主義がここに発生しようとしておるわけであります。決してこれは民主化だとか、或いはそういわれたものではなくて、完全に今までの意図された民主化の方向から逆行しておるのであります。私はこれは非常に些細なことのように見えますけれども、極めて大きな意義があると思うのであります。これが私が反対する第三点であります。この
財政法の一部
改正案はここには一部と書いてありますけれども、これは決して一部ではないのであります。これは全部なんです。旧來の
財政法の根本的精神を抹殺しているのです。決して一部ではなくして、これは全部の
改正です。即ち新らしい別個のフアツシヨ的な
財政法をここに作り上げようとしている、而もそのフアツシヨ的なのは極めて憐れなフアツシヨでありまして、みずからの自主的な権限、力さえも十分に発揮するかしないか分らんようなフアツシヨだと思うのであります。この
財政法はむしろ私は逆さまに読んで政財法と言
つた方がいいと思うのであります。その政財法というのは、罪人を製造する
法律だと言
つた方がいい、何故ならば、こういうふうに
部局間の
流用を許したり、
大藏大臣の一存でいろいろのことをするということは、必然の結果として、もう
衆議院には不当財産取引
委員会はなく
なつたようでありますけれども、若しああいうものが続けられていたとするならば、そういう所を大変賑わすようなことになるだろうと思うのであります。そういう契機を沢山作るのであります。そういうふうな点から言いましても、むしろ名前さえ変えた方がいいというくらいに
考えるのであります。それ程この
財政法の根本に触れているものであります。我々といたしましては、これを決して小さい問題として
考えることはできない、民主自由党の
政府が今後なそうとして行く方向、財政を如何にや
つて行くかという問題を端的にこれは表明しております。我々共産党は絶対にこのような
改正案には賛成できないのであります。以上のような
理由によ
つて私は反対したいと思います。