○鈴木直人君 私は法律は大綱を作るという
意見も尤もだと起けれども、國民はそれに基ずく政令も法律と同じ力を持
つてそれは実行しなければならんし、又
候補者も実行しなければならないので、
従つて法律は必らず國民はこれを知らなければならん。併し政令は知らなくてもいいのだというものではない。そうして効果は同じなんです。であるからして決して効果において違
つておるものじやない。今、先程
議論にな
つておる二〇〇字にするか、三〇〇字にするか、活字を多くするか、少くするかという問題は、これは國が
投票する場合に、
選挙民が
投票する場合に、
候補者というものをどういうふうであるかということを知る上においては非常に大切なことである。これはとても大切なことなんである。それは大切でないから政令に讓と
言つても、政令で三百字というふうに仮にな
つてしま
つたらその目的は達せられないわけです。そこで今のような一般論で、法律は大綱で、法律は道徳を書くものではないのです。又
選挙法はすべて
理論よりも実際の手続なり、実際の行動をするところのものが
選挙法の実体ですから、だから僕はできるならば、法律にしたり、政令にしたり、
規則にしたりして、三つも四つも法律の
規定を見て、そうしてどつちにあ
つたつけか、第何條の何号の手続はこれによる、法律第何條の手続は政令の第何條による、政令の第何條の手続は
規則第何條によるというような、こんな分りにくいよなものがあるから、
小串さんの持
つておるような
選挙一覧表というものが別にできるのです。法律から政令から
規則から全部噛み砕いて
選挙民が分かるような便覧というものが必要にな
つて来るのです。これは我々は法律出なんですけれども、何というか
一つの遊戯です。まるで分りにくくして、そうしてこれは法律万能時代における
一つの遺物だと思うのです。できるなら
一つのもので以て分る法律便覧というようなものが法律にできてしまう。それがやはり親切な法律だと私は
考えます。だからそういうような
意味において私は羽仁君の、活字は何字というようなことは政令に任せるというような
考え方については、私は反対なんです。今まで官吏をや
つて来て、実に法律があり、政令があり、
規則があり、或いは取締内規があるので、國民はわけが分らない。それでこれは役人のところに行
つて聞いて、叱られながらや
つて来たというのが実際なんです。もう少し私は簡單に國会の意思が直接的に政令によらないで法律によるような法律が欲しいという
考え方を持
つておる。殊に
選挙法においてはそうであるべきだという
考えを以て羽仁君の
意見に反対です。