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説明員(
宮澤俊義君)
只今吉川さんからいろいろお尋ねがありましたのでありますが、私の
感想程度のことになりますが申上げます。今までの
帝國憲法については、まあ一應
研究にな
つておりますが、今度の
憲法については
研究未熟ではないかという
お話がありましたが、これはまあその
通りであると申上げるより外はありません。でその又
原因としましては何しろ新らしいからということが
一つの
理由でありますが、それだけではなく御
承知のような
事情ででき
上つた憲法でありますので、例えばその
日本文と英訳と逐條的にお較べになると直ぐにお分りのことと思いますが、その辺からやはりなかなかぴ
つたり今までの
日本人に來ないような表現もあります。今までまあ
議会なりその他で檢討された筈でありますが、
期間が非常に短かか
つたのと今までのとは余り
違つた形であ
つたためか、やはり私公平に
考えて、あのときに
議会あたりでもう少し時間をかけてや
つてもどうも十分にはできなか
つたのではないか、というのは、やはり段段ときが経
つて実際の動きもあり、見ている中に後にな
つてから成る程と
思つて氣が付く点が随分あるのでありまして、あの当時そこまで檢討しなか
つたのは必ずしも時期が短かか
つただけ、若しくはその当時の政府、
議会の
議員の無能力だ
つたためだけではないと思います。どうしても或る
程度経たないと全体になじまなか
つたのだと思います。私共の方でも今いろいろ
議義などをや
つておりまして、いろいろ皆さんに
意見を聞いていたりなんかしているうちに、段々そうかと思うようなこともありますし、何しろ根本的に
英米流の
考え方に対して、殊に
日本でも過去数十年に
亘つて一應
法律的な
傳統というものがございまして、
法律的な
考え方、
用語とい
つたようなものが大体でき上
つているわけであります。それは
ヨーロッパ大陸法の
影響が非常に多いのですけれども、とにかく一應
日本の
法律傳統というものがありまして、
法律を勉強した者は多かれ少かれ実際家もその
影響を受けて今日まで來たわけです。ところがそれと非常に違う
考え方或いは
用語が現われて來たものですから、初めはどうも今までの
傳統に立脚して解釈するというようなこともあり、なかなか今までのあれから抜け切れないということもあります。併し又同時に
日本でできたものでありますから、そういう
考えの上に立脚しておりましても、
向うの人がそれを見た
考えと同じに行くわけには行かないのでありますから、そういうような
複雜な
事情が特にあるものですから、今度の
憲法については十分に、
帝國憲法においてなされた
程度の
研究もまだでき上
つていないということは私も十分承認するところであります。今までいろいろ本も出ておりまして、お言葉の
通り私も最近
ちよつと書きましたけれども、これも取敢ず何かそういうものがないと
議義その他不便だとい
つたような應急的な
理由に
基ずいたもので、決して
十分自信のあるものではあまりせん、又一般にその外にいろいろ力作もすでに出てはおりますが、全体としては今
吉川さんの仰せられたような
批評は妥当すると言わざるを得ません。殊に
外國制度の
研究というような問題になりますと、これは比較的な
研究になりますと、
明治憲法時代以來強く言えば我が國の
学界の根本的な欠点と見てもよかろうかと思いまして、正にその点も御
批評の
通りであります。諸
外國においては
程度の差はありますけれども、我が國におけるよりはその点は非常に発達しているように聞いております。併し
日本でもこの点十分にやらなければいけないという
考えは、元から
学界になか
つたわけではなく、
憲法についての比較的
研究が発達しなか
つたのは、必ずしも当時の
國家が
外國の
制度と同じような型で
考えることを好まなか
つたということだけではないようで、そういう
理由も
相当にはあ
つたようですが、それだけではなくてその他にいろいろ
理由があ
つたろうと思われます。私もその点十分に
考えたことはありませんが、非常に
欠陷であるということは
考えまして、かねがね私共の
大学でもそういうことを
一つやろうかということは
考えたことはしばしばあるのですけれども、逐に今までのところはものになりませんでした。
選挙法などにつきましても私も常に感じておりましたのは、
議会が始まる頃になりますと、私共が教えた若い
役人、内務省辺りに行いた若い
役人が、
選挙のことか何か
議会のことか何かで調べて見ろと言われて
大学へ來まして、何か本はありませんかという。そこで一
應不完全な調べをするようですけれども、それが後どうなるんどすか、翌年になりますと又違う若い者が來てそのようなことを又言います。翌年も同様で、恐らくその若い
役人はあまり重要な地位にいないので、暇だから
そういつた仕事を命ぜられるんじやないか……。そうするとそのうち
何とか省から、
大藏省から税法の
調査に來たというようなことがあります。いずれも大した
資料はないのです。併しとにかくそういうこともや
つておる。それが毎年々々累積しておるのではなくて、その場その場でなくな
つてしまうのじやないか。
研究した人もたまたまそういうことをやりながらこれを続けるのじやなくて初めだけそういうことをや
つて、後はどこかにもう少し出世して
行つてしまうのじやないかというような氣がしまして、
國家全体として非常に無駄をしておることになるから、例えば少くとも今行われておる
憲法の一應大きな
テキストは、やはりそこへ行けばあるというようなところだけでも
最小限度ないかというと、それも実際はないのです。いわんや今でなく
フランス革命以來いろいろ
変つて來ておる何の何年の
憲法の
テキストといいましても、実はそう簡單に
大学なら
大学へ來れば直ぐ出て來るという
状態には残念ながらな
つておりません。
アメリカのステートなんかになりますと、先ずこれはそう正確に見ることは望み薄とい
つたような
状態に今までな
つております。そういうようなところだけから
考えましても、とにかく一應の
資料を集めるだけでも是非必要だということを
考えまして、いろいろ
比較法、
研究所とか何とかいう構想を大勢の人が拵えたことがありますが、結局ものになりませんでした。これは勿論そういうことを
考えた我々の努力が足りなか
つたこともございましようが、やはり根本の
原因は今までの
研究所なり
大学なりでは、そういうことをや
つておる結局経済的の
余裕がなか
つたということになるのだろうと思います。例えばそういうことを
研究する人にしましても、
憲法なら
憲法の
研究者になりますと、結局どこかの
大学なら
大学の
先生にならなければ
生活ができない。そうしますと、とにかく
自分で或る学校の或る
講座を担任しますから、
憲法を全面的に
研究して講義をすることをやらせられますから、
傍ら自分が或る狭い領域を
研究するにしましても、
選挙法とい
つたようなものを特に技術的の問題を
研究しておる
余裕は、多くの場合にはないわけなんです。從
つて一般的のことだけや
つておりますが細かいことには立ち入りません。そこで細かい技術的なことなど内務省なり法制局なりの
役人なりが、非常に年数を掛けてや
つて頂けばいいんですが、そういう人達はそういうわけで長年そういうことをやられないのです。そういうような結果、結局
学界ではあまり問題が細か過ぎ技術的過ぎて、何といいますか、早く言えばそれだけ十年も二十年もかか
つてや
つていたんでは、いろいろ都合が悪いというようなことになりまして、結局それだけの人的
余裕がないものですから、教授なり助教授なりは一般の講義なりその外に追われて、そういうことをあまりにやりませんでした。
それからもう
一つは又
学界、これは少し私共の弁護になるかも知れませんが、
学界におりましてどうしてもそういう技術的の問題を長年や
つておるということは、講義などする上には不便であります。全面的一般的問題、
基本的の問題、或いは哲学的の問題というふうにどうしても引かれるものですから、そういうことはおろそかにするという傾向があります。実際家の方でそういうことを、実際家というのは
役人とか或いは
議会の
役人かなんかでそういうことをや
つて頂くといいのですが、これはどういうものですか、余り長く集中してや
つて頂かないというわけで、結局どつち附かずであ
つたというのが、今までの
状態でなか
つたかと思います。それに対処する
方法としましては、
相当な金を持
つた比較法研究所というようなものができとにかく材料を集める。そうしてそこで專門の
研究員を置いて、一生というかその
選挙の比較的な技術的な何というか、それについて論文を書いたり本を書いたりするという
意味からいうと或る
意味で面白くない。非常に華やかでないことを長年や
つてそこで十分にや
つて行かれるというような人を養成することが必要なんじやないか。どうも今迄はそういうようにな
つておりませんもんですからどうもそういう
研究所ができない。それから予算がないから
資料が集められないというようなところでなか
つたかと思いまして、
只今の御
批評に対しましては序でに少し余計なことを申上げたようでありますが、そういうものにつきまして私共の方でも甚だ努力不行届でありましたけれども、亦
議員各位その他におかれましても
一つ十分御考慮下さるように、この際合せてお願いしたいと思います。
そこで、そういうふうに
研究が不十分であるから、
基礎的
研究ができていないから、
選挙の問題に余り立ち入ることはどうかという御
議論に対しましては、私はこういうふうに
考えております。一應確かにそういうことは言えようかと思います。殊に新らしい
憲法につきましては何と言いましても、先程申したような
事情がありますから、それの
研究がもつと完成するのを待つということは確かに
理由があると思いますが、ただ同時に他面
選挙の問題その外は何といいますか、非常に実際的、技術的な問題でありまして、時と場合によ
つて非常に違う事柄でありますから、たとえ
憲法なり
選挙法なりの
基礎的
研究が
相当に発達したとしましても、そこから何といいますか、確固不動の客観的な具体的な原則というものが出て來ることは先ず望み薄なのではないか。と申しますのは御
承知の
通り、諸國においてやはり
事情が違う結果、
選挙法なら
選挙法についても大体は同じ原則が採用されておりますが、細かい点になると非常に変
つておりますし、而も同じ國でもしばしば変
つておるというようなことは、結局この問題について本当の
意味の学問的に客観的に丁度自然科学におけるように、動かすべからざる大原則を見出すということは、私は当分は不可能であるというふうに
考えております。それは不可能であるということをむしろ率直に承認することが、私はやはり学問的に正しい態度ではないかと
考えております。從
つて私共としましては、実際に当
つてはそういう確固不動の
結論が学問的見地から出て來ることは、予測せられる將來においては不可能であるという前提の下に歩を進めて行かなければならないのではないか。それにはやはり現実の必要、要求ということを考慮して、まあ悪くいえば彌縫ということになるかも知れませんが、そういう悪い
意味でなくいい
意味で現実の必要に應じて時々に対應して行く。そうしてその本当の
意味の確固不動の
結論というものはやかましくいえば、これはまあ殆んど予測される將來には來ないのでないか。そういう
意味で非常に大きく言いますと、やはり実際問題は私はその場その場でや
つて行くより外仕方がないと思うのでありますが、ただその場その場というところに又
程度の差がありまして、比較的恒久的なものと本当にその場その場のものとの区別がありまして、現在ここで恒久的な
制度と、その場その場の
制度と言
つておるのは、そういう相対的な
意味においてだろうと私は了解しております。そこでそういう相対的な
意味におきますれば、恒久的な
制度を考慮するということは一應
意味がありますけれども、それの場合には
只今吉川さんが仰せられたように、十分に
研究を続けてからやるという愼重な態度が望ましいということは、私も同感であります。ただ私が申上げたいことは、
学者の
研究といいますとどうもときに少し買いかぶられるのではないか。自然科学の
研究と異なりまして、社会科学の
研究では、例えば
政治学者がどういう政治を行
なつたらいいという
結論を出す。それが決して実際の政治家が出す
結論よりも、権威のあるものではないのであります。そういう実際的な政策というようなものになりますと、理論的な
研究から客観的な権威のあるものはなかなか出て來ない。若し
学者の発言にして実際問題についても多少権威があるとすれば、それは実際問題についても長年公平な観察者として
生活して來たから、その結果まあ
経驗的に割合に公正な
意見が出る、公算があるということぐらいしか言えないのだろうということを申上げたいのであります。甚だその一面学問的にこういう
結論をはつきり出してくれというような要求は、私共しばしば受けるのに対して、そういうことを申上げると、甚だ無力を表明するようでありますが、私は、それは社会科学の性質としてどうもいたし方ないところだろうと思うのであります。小
選挙区と大
選挙区とどつちがいいか、十分に
研究してしつかりした
結論を出して貰いたいというようなことを申しますが、しばしば私もそういう注文を受けますが、これは恐らく不可能ではないか。現に
学者自身が或いは小
選挙区の方がいい、大
選挙区の方がいい、それぞれ
意見が違いますが、それは決して客観的な
研究実驗の結果得た
結論が出るというわけには行かない。結局その人、その人がいろいろな材料を
基礎にしてそれぞれ
考えて、大体こちらの方が弊害が少ない、こちらの方が長所が多いだろうということを見通すだけであります。ですから或る人は小
選挙区がいい、大
選挙区がいい、
比例代表がいいという、
学者の中にも多数の異
つた意見が出て來るのは、これは当然のことじやないかと思うのであります。こういうことでありまして、そういう面につきましてはいわゆる職業的な
学者の
意見というものについて、実際の政治家の方々が、不当に重きを置かれないことをお願いしたいのでありまして、いわゆる職業的
学者の実際問題に対する発言に何らかの権威があるとすれば、それは先程も申上げました
通り、長年比較的公正な地位から実際問題を観察して來た、比較的
経驗あり知識ある市民、
國民としての
意見という
意味において評價して頂きたい、こうお願いするのであります。(「賛成」と呼ぶ者あり)
それから少し余計なことをいろいろ申上げたかも知れませんが、
参議院の問題につきまして、具体的に私の個人の
意見がお目に止
つたようで甚だ恐縮ですが、これは私自身そこで甚だ
自信のない態度を取りましたことについて、いろいろ御
意見がありましたが、これは私は正直なところ、
只今申上げましたような趣旨で、長年例えば小
選挙区と大
選挙区、
比例代表、いろいろな問題についてしよつちゆう
考えております。それについて
考えております両院
制度、一院
制度というような問題についても
考えておりますが、その点今申しましたような
意味で断然こちらの方がいい、こちらは絶対にいかんというようなことを言い切るだけの
自信は正直なところないのでありまして、而もそれは私自身の今まで申上げましたところからお分りになります
通り、これは
学者としてはその点で
自信がなくてもまあ差支ないというか、むしろそれが私としてはそういう
結論になるのは当然じやないか、こういう
意味で
自信がない態度で、ああいうことを申しましたのでありまして、その趣旨は若しも又
考え直すような材料が出て來まして、いつか
考え直すか知れないというだけの
意味でありまして、決して本來
自信を持
つて言うべきことを、
自信のないことを言
つてまあ極端に言うと世を惑わすとか、いつ地震があるとか言
つて惑わすというような趣旨ではないのでありまして、その種の事柄につきましては、
学者としてはそれくらいのことしか言えないのじやないか。それ以上に若しはつきり理論的にこちらが正しい、六年はよろしい、四年は絶対間違
つておるというようなことを、若し
学者が言うとすれば、それはむしろ非科学的態度ではないか。結局それじや四年半はどうだ、五年はどうだということになりますと、大体その人の個人的な見通しで先ず現在の
状態ではこうした方がよくはないかというくらいのことしか言えないのでありまして、実際政治家としましては、その都度主張を貫徹するために強く主張することはこれは当然であります。現実の問題としましては迷
つておるわけに行きませんからどちらか決めなければなりません。併しそれについていろいろ批判する場合には必ずこれはよい、悪いというふうに断言しなければならないものとは私は
考えておりませんのと、私自身そういうふうに断言できないと
考えておるものですからああいう
自信のない発言をしたわけでありまして、その点はそういう
意思でありますから、何とぞ御了承願いたいと思います。
それから結局或いはお言葉に対して何か少し洩れたかも知れませんが、大体の御趣旨は
選挙法令その外
研究が十分に
基礎的な
研究が行届いていないから、そういう時に余り重大な改革をすることは早過ぎはしないかというような
考えではないかと思いますが、そういう
意味であるならば大体私も賛成でありまして、先程申上げましたところからお分りに
なつたと思いますが、これは私個人の
意見でありますが、どちらがよいか大
選挙区がよいか、小
選挙区がよいかということについてどうも両
意見がありますとはつきり
結論を出すことはできない。私学問的に
考えておるものでありますから、その当然の結果として或る
制度を余り早く根本的に変えるということはどうか、こういう
考えを持
つております。つまりそれはいけないということがはつきり出て來るまでは、多分いけないだろうというようなところで改革するということは危險ではないか。その
意味で例えば私もよく知りませんが、イギリス
あたりになりますと
選挙区の問題なんというのは非常になかなか変りません。長年小
選挙区一点張りでや
つていたからで、では小
選挙がよいかというと必ずしもそうは言えないと思うんですが、その点でとにかく一定の
制度を長年や
つておるということは
一つのいいところではないか。そうするとその間におのずから弊害が外の
方法で除去されるかも知れない。イギリスなどは恐らく小
選挙区の弊害といわれておるところが比較的見られないのじやないかと思います。それは長年の政治的訓練の結果だろうと思います。そういうこともあり得るのでありますから例えば全國
選挙区というような問題におきましても、それを直ぐどうということは私はどうかいうような氣持がいたすのでありますから、私自身としましては
基礎的な大きな改革という問題は決してやらないというわけではないのですが、愼重にその場その場で
來年なら
來年の対策ということは別に
考えてもいいんじやないか、或いはその方がいいんじやないか。併し十分にその
制度について非とすべきものは非とし是とすべきものは是として、そうして見る必要があるのじやないか。一應にどちらがいいかということを断定することはむずかしい。今或る
制度を根本的に動かすということは危險ではないか。
選挙区の問題などで御
承知の
通りフランスは革命以來非常に動いて
参つております。而も十分落着いていないような感じがいたしますが、ああいうやり方よりはやはり
英米流に一應よいと思
つてや
つたならば非常にそれは悪いという
理由が出て來ない限り、もう少しや
つて見るとい
つたような
考え方もよいんじやないかというふうに私
考えておりまして、此の間両院制の問題についてもたしかそういうことを申上げたから或いはお目に留
つたかも知れませんが、いろいろ私としては迷
つておるので、現在の
憲法の
制度が最上とは必ずしも思われん。併しその点を今直ぐという程の
結論は出て來ないから愼重にやはりいろいろな材料を集めて
研究する必要があるのじやないか。こういうことを多分どつかで申したと思いますが、皆私としては同じような立場から
考えたからであります。少し諄く余計なことまで申上げたかも知れない、或いは要点を洩らしたかも知れませんが、それは尚お尋ねがございましたらお答え申上げることにいたしたいと思います。