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國立國会図書館長(
金森徳次郎君)
図書館側から、現在の
國立國会図書館法を運用しておりまする
経驗の結果として、幾分不自由を感じておる点がありまするので、それが、今回の書かれておる
法律案と直接
関係をしているわけであります。そこでその間の事情を申上げまして御
参考にしたいと思
つております。先に
図書館法ができましたときに、
出版せられたものを、
官廳からは
原則として五十部、
民間からは
原則として一部を無償で
納付させるという
規定が出ておりました。大体これでうまく行くものかと一應は思
つておりましたが、や
つて見ますると多少の
不便を感じて参りました。第一の点は、國の方の
出版物は
原則として五十部取る、こういうことにな
つておりましたが、実際現在の
予算の
工合で五十部取られるということは、各
官廳としては可成り苦痛な点であります。切り詰めている
予算の中で、
相当出版物の
経費が嵩んでおりますので、何とかしてこれを少なくする
方法はあるまいかと、こう
考えて見ますると、
將來は分りませんけれども、現在のところ
外國との変換に使いましたり、國内の公用に使いましても、大体三十部あれば
目的を達するのでありまして、ものによりましては五十部欲しいことがあるだろうというわけでございます。この点を少しく補正をいたしまして、
原則としては三十部ということにいたしました。それで
工合の惡い場合は五十部に増して貰うことにする。それから又極く少数を発行いたしますものにつきましては、ものによ
つては、余程特別の
扱いをしなければならんものもございまして、例えば
図書寮などで復製しておられる
出版物は全体で百部ぐらいしか復製されておりません。又、その
一つ一つが一册二千五百円もするというようなときに、あまり無雜作にこれを納めて頂くということは妥当を得ませんので、そういう場合には必要な
最小限度に止める途を設けたい、こういうふうなことを第一点に
考えております。
それから第二の点といたしましては、
地方公共團体につきましては、今まで
規定がどうも
はつきりいたしませんので、つまり國とは言えないと思うのです。けれども
一般民間人とも違いまして、その
扱い方は実際は
話合でや
つておりますけれども、その
納入の
点等について
はつきりしたこともございませんので、謂わば不確実な
状況で
納入されておるのであります。だんだん
考えて見ますると、同じこの
公共團体と申しましても、
府縣とか五大都市というようなところにおきましては
相当の
部数を納めて頂きます方が、
國際交換等の役にも立つわけでございますが、全國の一万何千の市町村から特別にそう沢山納めて頂く必要もないのでありまして、ただ
地方の
條例がどんなふうにな
つているか、経済の
状況がどんなふうにな
つているかということを、大体知り得る
程度の
册数が
納付せられればいいわけであります。具体的に申しますれば、普通には二、三部もあればよいという場合も多かろうと思
つております。そこで
地方公共團体も
納入の必要があるということを明らかにいたしますると共に、その
納入せらるべき
部数はできるだけ少なくしたい、こういうことを
考えております。尚これも関連いたしまして
公團というものが段々殖えて参りまして、
日本專賣公社とか、
日本國有鉄道公社というような特殊なものがありまして、これはもとより
從來は國と同一視して扱
つておりましたが、正確に申しますと、
内容は今までと変りありませんけれども、やはり
規定を完備することの必要があろうと、こういうことを
考えております。
次に第三の点といたしまして、普通の
出版社からはどういうふうになるかということであります。
從來は
一般の
出版社からは一部を
納入して貰いまして、それに対してそれの載
つておりまする
出版目録を償いといて
図書館の方から
出版社に送るという
規定にな
つておりました。この
規定を運用いたして見ますと、いろいろな
不便を生じて参りまして、その
はつきりした結果は、
図書館の方へ思うように本が納ま
つて來ないという点であります。実際どのくらいの
割合で納ま
つておるかということは、今日の
出版状態が
はつきりいたしませんので、非常に正確には言い切れませんむれども、大体私共の方の
計算によりますると、
計算方法を
二つ使
つて見ます。というのは
出版されておるものが比較的少ないという見込から來ておるものと、それから
出版せられておるものが比較的多いという
計算から來るもの、どちらも空に
考えた
数字ではありませんが、どうも確たるものがありませんので、いろいろの
計算によ
つて……。そこで比較的
納本があるというようなあの
計算方法によりますと、普通の
図書につきましては四〇%ばかり、
雜誌が六一%、
新聞が九七%
納入せられておるということにな
つております。けれども又別の
材料から
出版物の数を想定して見ますと、つまり今までいろいろの
出版方法がありまして、紙の配給も受けないで
出版するとかということもございますので、それを他の
材料から推定してどのくらい
納入されておるかということを
考えて見ますと、
図書については、二五%の
納入である。
雜誌については三五%、
新聞については三一%、こういう
数字が出ております。どれが
本当に正確であるかということは分りませんが、まあできるだけ簡單に
納入せられておるというふうに
考えましても、
図書及び小
册子については四〇%しか
納入せられていないということに
なります。このことの結果がどんなふうに及んで來るだろうかと申しますと、第一には、
日本の
出版物がどんなものであるかという歴史的な記録が作れないということであります。この
図書館は
出版目録を作るという任務を持
つておりますけれども、今まで特に強制して
出版物を取り立てる機能もございませんので、これは
出版目録を作ることは非常に困難であります。
第二は、一体
書物は
出版せられるときに集めますと
割合によく集まりますが、年次を経ますと、殆んど集まることの困難な場合が多いということが定説であります。ところが四〇%
納本せられるだけでありましては、
日本の貴重な文献をこの
図書館に網羅することはできかねるのであります。お金を出して買
つたらいいじやないかということを言われるかも知れませんが、金を出して買いますれば、或る
程度までは補い付きますけれども、併し
一般に賣らない
書物もあるわけでありますし、又なかなか
市場で追つかけることもできない
書物もありますので、道理としてはやはり全部の
書物が納ま
つて來るようにしなければならん、こういうふうに
考えております。曾て
アメリカから
図書館の技術の指導をするために來られたダウンスさんなどの
意見によりますと、
日本で
納入が不完全であるということは誠に残念なことである。何とかしてこれを十分に
納入せしむるようにしなければならんということを
はつきり助言して行かれたのであります。そこでどうしたならば
納入を完備させることができるか、こういう点に
なりますと、現在の
法律では
納入せしむるものとは定めておりますけれども、これに対して
強制執行の途もございませんし、又
罰則をつける途もございませんし、又
納入したからとて、
出版者に特別な
利益があるということもございませんので、全く徳義心のようなものに委せているという姿であります。理想といたしましては、これが一番いいのであ
つて、こういう文化的な
仕事をいたしますときに、
強制力を使うということは非常に面白くないのでありますから、この
図書館の開かれました初めから、できるだけ
話合をして
出版業者から
納付した貰おうと思いまして、いろいろ手紙を出したり、場合によ
つては來て
貰つて図書館を見て貰う、又場合によりましては人を派遣して
責任者に話させるというようなことをいたしまして、いろいろの手を盡して見ました。
納本の数はそれに從いまして、幾分殖えたり
幾分減つたりしておりますが、どうも的確な手段にはならないようであります。そこで今回これに対しまして
一つの
工風をいたしまして、
納付ということを絶対の
義務にする。但し
納付した人に対しては実際の費用を
図書館の方から支弁する。その
代り納付を怠
つた者に対しては或る
程度の
金銭上の
罰則、
金銭によるところの制裁を加えるというふうにいたしました。同時に若しも自由の
考えでその本を
図書館に
寄贈して下さるならば、一切
納本の
義務はこれを免除する、こういうことにするというふうに
考えまするならば、恐らくはうまく貴重な文化財がこの
図書館に
集つて來て、非常に永い間これを保存することができるのではなかろうかと
考えております。今まで申上げましたところが、大体私共の中心問題として希望してお
つたことであります。これに附随いたしまして別の
角度から
二つ三つ重要な点を申上げまするが、第一の点は
アメリカの
制度によりますると、
図書館に
納本しこれを登録いたしますると、
著作権が確定するという
利益があるわけであります。つまり
書物を
図書館に納めて、ここで登録いたしますると、その
書物の
著作権を外の者に対して主張をすることができる。若しも僞りの
出版をした者がございますると、これに対して損害の賠償を求めることができる。こういうような
意味の
権利が発生するのであります。でありまするから、
アメリカでは
納本しないと
出版者が損をするという
関係でありまして、比較的なだらかに
納本が行なわれているわけであります。ところが
日本でもそういうような
方法を採りまして、
納本によ
つて著作権が確定するという途を設けたらどうかという点が
從來懸案とな
つておりました。殊に
アメリカに
関係のある人達は我々にしばしばその
意見を以て助言をせられたのであります。ところが
著作権というものを
納本によ
つて確定するか、
納本しなく
つても、又
出版しなく
つてもそういうものを
骨折つて作つたということによ
つて著作権を確定するかということにつきましては、
二つの
立法例があると思われます。
日本が今まで採
つておりましたのは
納本しなく
つても本を作れる、本を書けばその
著作権は
はつきりその人に存在する、こういうような原理にな
つております。
アメリカとは流儀が幾分違
つていると思われます。この
二つのどちらが有利かということを今後研究しなければならんと思いますけれども、
相当優劣について議論がある問題と思われまするし、又
日本でこの
納本のために
著作権制度を根本から変えるということは容易ならんことでもございまして、又この問題は世界的に多く論議せられている問題だろうと思いまするので、今暫くそれには手を触れないで、
從來の
著作権の思想に從いつつ
納本を確保するということがよかろうと存じております。
次に他の
一つの問題は
出版物として
図書館に
納本を求めておりまするその中味が何であるかということであります。
從來の
図書館法ではその点がそんなに
はつきりしておりません。そのうちの一番問題に
なり易いものについては蓄音機の
レコードの
映画のフイルムであります。その
外樂譜でありますとか、地図でありますとかいうふうなものは、これは解釈上そう大した問題はなかろうと思いますけれども、
レコード及びこれに類似いたしまするところの
音樂を複製した物理的なもの及び
映画の
フィルム或いはトーキーの
フィルムというものにつきましては、果して
図書館に
納付する
義務があるのかどうかという点が可成り疑問でありまして、今までもそこのところは
はつきりいたしておりません。実情を申上げますれば、
映画につきましては
納付はまだ受けておりません。
レコードにつきましては
話合によ
つて寄贈を幾分受けておるというようなふうの段階であります。これは或る
程度はつきりさせなければならんということに
なりますが、こういう点につきまして実は実質的に
相当の問題がございます。そのうちでも特に
フィルムのことにつきましては、これは製作がそう沢山一遍にできるものではございませんので、四本とか五本とかしか
フィルムを拵えないのに、その一部を
図書館に
納付せよということは随分無理が起るものと思います。のみならずそれに対して
相当の報酬を拂うということに
なりますると、なかなか
実費を拂います場合も可
なりな額になるのであります。まあ
フィルムなどは
図書館として保存したいことは、やまやまでありますが、今のところ無理に保存いたしますることは、
経費その他の点において早過ぎるのではなかろうかと
考えております。そこで今回は一應の繩張りといたしましては、
録音盤も
フィルムも
納本すべき
出版物の
範囲に入るという前提を取りまして、併しそのうち
納本する必要のないという
範囲を決めまして、一遍
納本の
範囲に入れたものを更に取除くというような形によりまして、具体的に
制度を樹てて行きたいと
考えております。
考え方は結局は
レコードは
納本して貰う、併し
フィルムの方は当分して貰わないという
方向で進んで行きたいと思
つております。大体こんな点が主でございまして、これを
法律を
改正することによ
つて目的を達し得るならば、この
図書館といたしましては、
將來非常なしつかりした基盤ができまして安心して
仕事ができまして、これから
本当の
日本出版目録というようなものも合理的にできて、
外國の
関係においても
日本の國はこれだけの
出版物があるということを
はつきり知らせることもできようかと
考えております。細かいことは又御
説明申上げる
機会もございましようが、大体の筋はさようなわけであります。若し議会の方でこういう
法律の
改正案がや
つて頂けるならば
図書館としては喜ばしき限りであると思
つております。