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1949-05-06 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年五月六日(金曜日)    午前十時四十三分開会   —————————————   本日の会議に付した事件吉村隊事件  (右事件に関し証人証言あり) ○証人喚問に関する件   —————————————
  2. 岡元義人

    理事岡元義人君) 只今から委員会を開会いたします。  日本通称吉村隊事件と申されております池田隊長隊長といたします事件につきまして、この問題は非常に國民全体、特に留守家族等の非常な関心を寄せるところとなつたのでありまして、委員会におきましても同姓同名方々から非常に御心配されまして、問合せも相当参つているのであります。で委員会は速かにこの眞相を糾明いたしまして、不要の不安を除去いたすために、去る四月十二日、十三日、十四日、連日吉村隊関係者十五名の証人出頭を求めまして、この眞相をば審査いたしたわけでありますが、併しながら外地に起きました事件でありますので、委員会は更に愼重を期するために、同じくウランバートル地区にあつた他の收容所及び病院関係方々証人出頭を求めまして、十分この事件眞相を糺しまして、先程述べました留守家族等の不安を除去すると共に、当然本年問題とならんといたしておりますところの收容者中の死亡の状態を明らかにいたしまして、その責任のあるところをばはつきりすると共に、当委員会の審議を俟ちまして或いは連合軍に懇請するなり、そうして再びかような悲劇が起らないように未然にこれを防止することも考えられ、又終戰の混乱の中に惹起せられましたこの事件を通しまして、日本民族としての反省の機会にもいたしたいと考えているのでありますから、各証人におかれましては委員会の意のあるところを御諒察願いまして、証言に当りましては各委員質問に対して主観などを交えず率直に要点のみをお答え願いたいと思うのであります。  では只今から証人宣誓をお願いいたします。先ず第一番に小林証人から順次宣誓をお願いいたします。皆さん起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓行つた〕    宣 誓 書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 小林 太郎    宣 誓 書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 高橋 俊哉    宣 誓 書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 永井  正    宣 誓 書  良心從つて眞相を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 渡邊廣太郎
  3. 岡元義人

    理事岡元義人君) 御着席願います。
  4. 天田勝正

    天田勝正君 渡邊廣太郎証人の今の宣誓にひと文字抜けておつたと思います。速記あとでお調べ願いましてやつて頂きたいと思います。
  5. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 もう申上げることもないと思いますけれども、証人に対して若しも虚偽証言等があれば、これに対する罰則等がありますので、事前によくこの点注意を喚起して置かれた方がよかろうと思います。
  6. 岡元義人

    岡元理事 了承いたしました。只今天田委員の御発言に対しましては、速記録を調べまして訂正いたして置きたいと思います。渡邊証人御了承願います。
  7. 渡邊廣太郎

    証人渡邊廣太郎君) はい。
  8. 岡元義人

    岡元理事 尚只今矢野委員の御発言に対しましては御尤もでございまして、この際各証人に申上げて置きますが、宣誓をなされたあと証言は、若しそれが虚偽の陳述があつた場合には、宣誓及び証言等に関する法律第六條によりまして、三月以上十年以下の懲役に処するようになつておりまするから、この点十分御了承を願います。で御注意をして頂きたいと思うのであります。尚先程も述べましたが、できるだけ主観を交えずに、各委員からの質問に対しましては、要点をお答え願うように併せてお願いいたして置きます。  各委員に申上げますが、お手許に配付いたしておりますところの質問要綱は單に参考書類に過ぎないのでありまして、必ずしもこの要綱によらなくても結構なのでございます。この点十分お含み願いたいと存じます。  先ずこの際、小林証人のみに席に留まつて頂きまして、他の証人三名を退席願うことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 岡元義人

    岡元理事 では小林証人の外三名の証人の退席を願います。  委員長から先ず小林証人証言を求めますが、証人ウランバートルに入られるまでの終戰後からの経過をできるだけ要点だけ簡單にお述べ願いまして、尚、小林証人の部隊と通称吉村隊と言われておりますところの吉村隊との距離、並びに作業場が、石切り作業場一緒であつたかどうか。若し一緒作業をしておられますならば、吉村隊から石切り作業場に行く時間と、小林隊から石切り作業場に行く時間等について、この際詳細に御証言が願いたいと思うのであります。証人起立を願います。
  10. 小林太郎

    証人小林太郎君) 入蒙までの経過を申上げます。公主嶺作業大隊を編成いたしました。大隊長に私がなりまして、私以下千五百名、それから二ケ月ばかりの汽車旅行黒河まで続けまして、入ソいたしました。入ソしてからは、約一週間と記憶しておりますが、殆んど停車いたしませんで、一瀉千里に國境近くまで参りました。それから行車或いは自動車輸送によりまして、二十年の十二月八日にホジルボロンと称する收容所、これは各作業大隊が先ずここへ集まる收容所でございます。ここに到着いたしました。この間人員の損耗は、蒙古の國境通りまして、自動車輸送中に自動車事故がございまして、五名損耗いたしました。全員は國境通過後の行車國境通過と申しますのは、蒙古の國境でございます。蒙古の國境通過後の行車、それから給與が悪いこと等で、ホジルボロンに着きましたときには、相当皆弱つておりました。入蒙の経過はそれで終ります。  次は、吉村隊との関係吉村隊と私の所とはちよつと材料を準備しておりますですが、御覧願います。
  11. 岡元義人

    岡元理事 今そこにお持ちになつておりました。
  12. 小林太郎

    小林証人 はい持つて参りました。
  13. 岡元義人

    岡元理事 では御提出願います。
  14. 小林太郎

    小林証人 これで位置が分りますから、それでは要図に從つて仕上げます。私の收容所チヤガンフラン、これは第三收容所と申します。吉村隊眞南石切作業場、これまでの距離は大体六キロであります。吉村隊から石切場までは一キロ弱であります。もう一つ收容所概況表ちよつと御覧頂きます。一番上に年月が書いてございます。二月、三月と、それから下りまして各人作業の量、赤線のグラフの上の方の一番左を御覽頂きますと、石切作業場と書いてございます。それは要図にございます。チヤガンフランから百六十名がこの二月、三月の間に石切場に通いました。この際吉村隊はまだ石切作業に來ていなかつたと思います。終ります。
  15. 岡元義人

    岡元理事 更の今の点につきまして重ねてお伺いいたしますが、この図面によりますと、二つ石切場に出ておられますが、吉村隊一緒になつて作業されたというようなことはなかつたと、こういう意味でございますか。
  16. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。私の隊が終りましてから、吉村隊石切作業が始まつたと記憶しております。
  17. 岡元義人

    岡元理事 尚もう一点だけ証人証言を求めまして、各委員から御質問を願いたいと思いますが、小林隊石切場におけるところの作業ノルマは、どれだけ命令を受けておられましたか。
  18. 小林太郎

    小林証人 一立方メートル。
  19. 岡元義人

    岡元理事 各委員 御質問がございましたらお願いいたします。
  20. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 一立方メートルのノルマは何人の権限によつて命令されますか、又その命令は絶対的のものであるか、隊長なら隊長が、隊内におけるところの健康状態等の事情によつて、そのノルマを全般的に、或いは個人個人において引下げて貰いたいというような要望が受け容れられるかどうか、更に一立方メートルのノルマの追加して、過重なノルマを課する場合の命令系統についての御証言を願います。
  21. 小林太郎

    小林証人 当時の一立方メートルのノルマを與えられた場合について申上げます。これは捕虜大臣命令であります。日本側隊長権限によつてこのノルマを変更することはできません。それから石切作業場におきまして、ノルマ以上の過重な要求をされたことはございません。
  22. 千田正

    千田正君 小林証人にお伺いいたしますが、このウランバートルにおけるところの外蒙側の監督者である人は、吉村隊監督した將校と、あなた方の方を監督した將校同一でありますか、どうですか。
  23. 小林太郎

    小林証人 同一人ではありません。ちよつと附加えます。捕虜は大体三つ、詳しくいうと四つの種類になると思います仕事の面から言いまして……。建築そのものに從事する者、建築の素材を集める者、これは吉村隊に相当いたします。それから農場、道路、そういつた外の雜役につく者、それから特業を活かすために、洋服屋行つたとか、そういつた者、詳しくいうと四つになります。そのように又捕虜司令部組織もできておりまして、資源課関係役人と、建築課関係役人とは別であります。
  24. 千田正

    千田正君 重ねて伺いますが、蒙古の日本人側捕虜收容所所長というのもやはり違いますか。
  25. 小林太郎

    小林証人 違います。但し人事の交流は頻繁にございます。
  26. 天田勝正

    天田勝正君 聞くところによりますと、ノルマは同じ石切り作業であつても、その環境、その條件等によりまして何百人と分れるということを聞いておるわけでありますが、このあなたのお書きになりました記憶図によりましても、小林証人の隊と吉村隊の方からの石切り作業場に來る距離が非常に違つております。そうしてこうした距離の違いによつてノルマが変更されるというようなことがあるかどうか、又これに関しませんでも、外の仕事について、條件が違うためにノルマが変つておるというような事実がありましたならば、実例を挙げてお申述べ願いたいと存じます。
  27. 小林太郎

    小林証人 距離的の問題でノルマは変更せられません。ただ斟酌して貰いましたのは、帰るために時間が相当掛かりますので、残業を命ぜられる場合は、私の隊ではございませんでした。但しノルマができないから減食せよ、これは同じであります。
  28. 天田勝正

    天田勝正君 今ノルマ食糧関係に及びましたが、ではノルマを一〇〇%以上、或いは段階的に一五〇%なり二〇〇%なり、そういう工合に超過生産をいたしました場合に、給與面についてどのような違いがありましたか。これはあなたの隊についてのこういつたふうな実例で結構です。
  29. 小林太郎

    小林証人 石切場の場合は、ノルマ以上完遂したときにどれだけ給與をして呉れるというそこの態勢は当時整つていませんでした。それから建築につきましてはノルマ以上やりますと賞金で参ります。私の隊は各人八ルーブルと記憶しております。全般を通じまして月に八ルーブル、これだけが賞金、それから俸給のすべてであります。この表に書いた通りでございます。全部出し合つ割つてたときに八ルーブルとなります。
  30. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしたいのですが、ウランバートルにおいての各隊の責任者、例えば過日の証人証言を求めましたときに長谷川隊長に、敗戰後統率方針ということを一應委員会として聞いたのであります。更に吉村隊責任者である池田証人にも同樣なことを聞いたのでありますが、小林隊長が取つたところの統率の方針について一應の御証言の頂きたいと思います。
  31. 小林太郎

    小林証人 二つあります。第一はやるだけやろう。その結果が幸福になるか不幸になるか、そいつは問題にしない。とにかくやるだけやつて見よう。そうすれば必ずこちらの誠意向うも認めて呉れて、我々自身の生きる道があるのではないか。こういうことを絶えず申しました。二番目は將校以下苦しみ樂しみを共にしよう。これは全部賛成して呉れまして、大体その通り行つたと思います。この二つであります。
  32. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 重ねてお尋ねしますが、敗戰後において、例えば長谷川隊は、捕虜ではない。だから成るたけ体を樂にして、與えられたノルマを先ず体を基本としてやつて、そうして帰らして頂きたい。ところが吉村隊池田責任者はとにかくやるだけやろう。そうしてでき得れば自分達誠意を汲んで貰つて、それが一日も早く帰れることになるのだということであつたのでありますが、只今証人証言を聞きますと、とにかくやるだけやろうということと了承いたしたのでありますが、更に証人はこの敗戰によるところの捕虜と、それから労働義務との関係について証言を頂きたい。
  33. 小林太郎

    小林証人 今の御質問意味が汲取れません。
  34. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは私の質問を変えましよう。隊長として外蒙側に作業義務等について隊長自身は何か約束、或いは証書、そういうふうな契約をなされたかどうか。ただ命ずるがままにおやりになつたか、この一点です。
  35. 小林太郎

    小林証人 命ずるままであります。
  36. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 隊長命令権ですが、その隊長命令権は、淵源するところはいわゆる捕虜大臣からそれぞれの系統を経て、そうして隊長に傳達されるわれですが、隊長みずからその作業その他についての命令権の自由がありましたかどうか。一問一答で進みたいと思います。隊長自身自由裁量によつて、上からの絶対的の命令以外に、自由裁量命令等作業を課することができたかどうかということです。
  37. 小林太郎

    小林証人 できました。
  38. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 あなた自身はその命令権によつて、與えられたる、課せられたる作業、即ちノルマ以上に、こうした石切場等においては必要に應じておやりになりましたか。
  39. 小林太郎

    小林証人 やりません。私の申しますのは極く簡單なことを考えました。收容所の草を取れとか、收容所の使役でございます。そういうところは私命令してやりました。
  40. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それからあなたのいわゆる一千五百名からなるその大隊、結局作業隊になつたわけですが、その作業隊の中の機構は大体どういうふうになつておりますか。中隊長小隊長となつて、そうして中隊長小隊長はあなたの大隊長たる命令によつて、又それぞれ隊長としての地位から自由に作業等を課することができましたか。普通の内地の曾ての軍隊の内部のようなふうでございましたか、どうですか。
  41. 小林太郎

    小林証人 收容所内生活におきましては、そういう面がございました。併し作業場におきましては殆んどございません。
  42. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 次に処罰対象となる行動は主としてどういうものでしたか。或いはノルマを予定以上にやり得なかつた者減食する、これも一種の処罰形式ですね。或いは先方の作業場の品物を取るとか或いは食糧を盗むとか、そういうような明らかなる処罰対象となる行動は予め隊長として分つておりましたか。
  43. 小林太郎

    小林証人 大きく分けますと、外の場合、対外的の場合、対内的の場合、対外的の場合は一番多いのはノルマを完遂できない、これが対象になります。対内的にはまあ窃盗が一番、これは処罰とは申されませんが、私が叱言言うくらいの意味処罰がございますが、それが対象になつたと思います。
  44. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると、それらの犯罪が起つた場合には、それは蒙古政府その他の命令系統、上から來る命令系統によつてのみ処罰が行われたのであるか、或いは隊長自体によつて自由裁量によつて処罰をすることができましたかどうか。
  45. 小林太郎

    小林証人 蒙古の命令でやりました。こういうことなのでありますが、例えば石切の場合で申しますと、ノルマができない者が三分の一くらいおつたと思います。そうしますと、石切場監督から三〇%の者はノルマができないという通知が收容所に参ります。そうすると、收容所長はこれを減食にしろ、こう言つて参ります。そういう場合、それから或いは隊長の所に兵隊さんを連れて來まして、これは何とか処罰しろ、成績が悪い、こう申しますと、そうしますとこちらで考えまして、これは減食三日がいいか、五日がいいか、いろいろ考えまして、そして向うにこれは減食三日にした、こう申します。実施の面はこれはやりませんでした。
  46. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから次に可なり朝鮮でも、満州でも、内地でも同じでしたが、隊内においてはいわゆる慣習法と申しますか、好ましくない、即ち蛮風でありますが、相当私刑的、リンチ的なものが行われておつたわけですが、あなた方が蒙古政府の管轄に入つてから後の一般の隊内のそういう方面の空氣はどうでございましたか。
  47. 小林太郎

    小林証人 昔よりは逐次堕落して参りまして、隊内が荒れて参りました。
  48. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 その結果相互、或いは軍曹である者、或いは伍長である者が、前に下級であつた者を私刑に処する、殴つたり、或いは立たせたりするというようなことが相当行われておりましたか。
  49. 小林太郎

    小林証人 私が目で見ましたのは二回しかございません。
  50. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから次に、あなたがいよいよ黒河に行くまでに二ケ月掛かられた。そうしてプラゴヴェシチェンスクからずつと北上されたと思いますから、そのときには日本は完全な敗戰、即ち無條件降伏をしたということを明確に認識しておられたのでありまするか。この点はつきりして頂きたい。
  51. 小林太郎

    小林証人 認識しておりました。
  52. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると全隊員は、我らは捕虜であるということを全部分つてつたわけですね、あなたの隊員は。
  53. 小林太郎

    小林証人 そうであります。但し全部ウラジオを通つて直ぐ帰る、これは全部思つておりました。
  54. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 ただ前の長谷川隊長の場合に、まだ敗戰ではない、無條件降伏をしたのではない、單なる仰留者だという意識の下にウランバートルに連れて行かれたというような御証言がありましたので、一應あなたの方の隊がどうであつたかを念のためお尋ねしたわけでございました。それからその当時、吉村隊の中に頻りにリンチが行われたり、或いは吉村隊長が非常に兇暴で、その部下を酷使し、或いは令酷なる処罰をするというような風評があなたの隊に傳わつたかどうか、その点率直にお答を願いたいと思います。
  55. 小林太郎

    小林証人 傳わりました。
  56. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 具体的にどういうような話があつたのですか。
  57. 小林太郎

    小林証人 私が直接体驗しましたことは、二十一年の三月頃、吉村隊から逃亡兵が私の所に参りまして、丁度表問で留められておりました。蒙古の歩哨から……。丁度私そこにおりましたので、一應何かと、こう言いましたら、今日で二日間絶食をしておる、そうしてこのままでは死んでしまうから逃げて來たのだ、こういう話でありました。
  58. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それは何という男ですか。
  59. 小林太郎

    小林証人 分りません。
  60. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それは何故に逃亡したか。本人は物を盗んだとか、或いはノルマサボつたとか、本人はなかなか言わんものでしようが、あなた御自身千五百人の隊長として当然お互いに隊長の氣持は図るのでありますから、一應それを收容所に受けられるにしても、或いは帰すにしても、御調査なさつたわけでしようが、どういうことを申しましたか。
  61. 小林太郎

    小林証人 それは全然うちの收容所には入れません。そうして收容所の表問の傍で一時間ぐらい待つていました。話は、お前どうしたのか、そうして今のような話でした。飯を食べていない。それではかあいそうだから御飯を食え。歩哨の了解を得てパンを食わせました。立入つた話はしておりません。
  62. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 その外に、誰言うとなく、吉村隊は実にひどいことをやるのだというようなことが、どういう言葉で入りましたか。
  63. 小林太郎

    小林証人 いろいろ噂は入りましたですが……
  64. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 然らば曉に祈るというような処罰のむごい方法を取つておるというようなことは入りましたか。
  65. 小林太郎

    小林証人 入りました。
  66. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると、曉に祈るというのはどういうことを言うのですか。
  67. 小林太郎

    小林証人 何か外へ立たして置くのだという……。
  68. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 よもすがらですか。
  69. 小林太郎

    小林証人 はい。そういうことでありました。
  70. 天田勝正

    天田勝正君 一問お伺いいたします。命令系統でありますが、これは作業命令或いは所内の、あなたが取締ると申しますか、管理するわけでありますが、そうした管理に関する命令同一人から或いは同一機関から來ておるかどうか、つまり作業なり管理なり、そうしたものはすべて同一系統から來ておるかどうか、それから先程最高の権威者捕虜大臣である。こういう話がありましたが、この捕虜大臣からどういう系統を辿つてあなたのところにいろいろな命令が参られるのでありますか、先ずこれをお伺いいたします。
  71. 小林太郎

    小林証人 收容所に対する命令系統作業場に対する命令系統は違います。但しその両方を纏めて捕虜大臣が待つております。
  72. 天田勝正

    天田勝正君 命令系統の点を詳細に……。
  73. 岡元義人

    岡元理事 小林証人に申上げますが、今の命令系統に対して尚もう少し詳細に、いわゆる各間に一つ区切区切があるでしようから、そういうことも併せて詳細に上から下まで流れ出て來る系統をお述べになるようお願いいたします。
  74. 小林太郎

    小林証人 一番上が捕虜大臣、その下に大きく分けて三つ、第一は作業そのもの監督をする系統、第二が收容所生活を律する系統、それから第三が給與を担任する系統、この三つに分れております。で我々の生活はこの三つ系統がおのおの勝手に動くので非常に困つたのであります。詳しく申しますと、もう一つございますが、衛生系統がございます。一つの例を申しますと、衛生系統收容所では五%以上の患者を認めません。從つて溢れた患者作業場に参ります。作業場に出されます。そうしますと作業の方の系統からこれはやかましく言つて参ります。ノルマができませんから非常に困ります。作業場系統捕虜に成るべき沢山飯を食べさせたい、收容所系統並びに給與系統はそうは動かない、こういつたちぐはぐな点がございます。そこで困りもしましたし、又その間を泳ぎまして給與の改善に努力したわけであります。この表で言いますと、一月二月は約三〇%の非常に悪い給與でございます。こういうときには共産大学監督司令部を突つついて貰います。そうすると司令部の方から経理を突つつく、両者をこういうふうに泳ぎまして何とか給與を改善する、こういつたこともないではありません。
  75. 天田勝正

    天田勝正君 よくわかりました。では先程の減食ということに関連いたしまして、あなたは減食は命ぜられたけれども、実際にはこれを適用せずしてやつたのだ、そういたしますると向う減食命令して來る。命令して來ても総体の給與というものは何の変更がないから、そう言われたのだと、こう理解してよろしいですか。ちよつと補足しましよう。それは向う減食を命じた場合に、向う食糧をそれだけ少なく配給したのか、したのなら、或いは嫌でも減食を命ぜざるを得ない。ところが減給をあなたのところまで命ぜられても、これをあなたは部下に命じないで普通に給與する、こういうことは向うからは命じては來るが、減らしては來ない。こういうふうに了解してよろしいですか。
  76. 小林太郎

    小林証人 そうではありません。隊で受理すべき全体量はそれだけは減るのです。ただ苦樂を共にするという趣旨から平等に食べた。こういうことであります。
  77. 天田勝正

    天田勝正君 ではもう一つ……。これはあなたが、部下一千五百を掌握するには、ただあなたが直接すべての者にいろいろ訓示なり、命令なりということは到底でき難いと思います。その把握にはどのような系統を取り、又どのような機構によつてその掌握をなされたのですか、例えば班なり、或いは旧軍隊組織をそのまま持つて來る、或いは週番というものを置くとか、そういうような、どういう掌握のされ方をしたか、お述べ願いたいと思います。
  78. 小林太郎

    小林証人 軍隊組織そのものであります。ただ作業場に、私大隊長でありながら出ましたので、留守機構は別に、留守と申しますと收容所留守を守る機構、これだけは別に作りました。
  79. 天田勝正

    天田勝正君 そういたしますと、あなたがそうした掌握のされ方をしておつたと、然らばその作業の場合はこれは全然別の人の監督に属する、こう考えてよろしいのですか。
  80. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  81. 天田勝正

    天田勝正君 それは日本人監督でなしに、現場監督はすべて蒙古人であつたと、こう理解してよろしいですか。
  82. 小林太郎

    小林証人 そうであります。但し技師がソ連人でありまして、実際はそのソ連人が相当な発言権を持つておりまして、それが采配を揮つた、実情はそうであります。
  83. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 捕虜処罰についての外蒙側の規定があつたかどうか、それで三つ四つ関連して一問一答のようにお尋ねしたいと思いますが。
  84. 小林太郎

    小林証人 あつたかも知れませんが、私は示されません。
  85. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その内容を示されたことはないんですね。
  86. 小林太郎

    小林証人 その都度示されました。間違いました。処罰せよということでありましたので、具体的な点は私の方で考えました。
  87. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その場合にのみ、その処理をですね。実施する前は別として、それを処理されたのですか。
  88. 小林太郎

    小林証人 そうです。
  89. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから更にお尋ねをしますが、收容所におけるところの食糧の面は潤沢であつたかどうか、例えば過日の安部証言によりますと、ひもじくて、ひもじくてたまらない。煉瓦のかけらを見てもパンのかけらではないかと思つて手に取つて見る。或いは帶皮のバンドを水に浸して叩いて乾かして、それを蒙古「するめ」と言つてつた。或いは衞生関係から固く止められておつたけれども、草の葉を食べたり、或いは木葉を食べた。とにかくひもじくて、ひもじくてたまらない。隊長以下全員がすべて泥棒なんだ。又泥棒をしなければ生きて行けないんだという証言をこの委員会でなされたんですが、あなたの隊におけるそうした全般的な給與の面はどういうふうでありましたか、御証言を頂きたい。
  90. 小林太郎

    小林証人 今のお話の程度までは行つておりません。概括して申しますと、この表で申上げます。そのグラフで大体蒙古の給與態勢ができたのが、收容所の受入態勢ができたのは二十一年の九月と概観いたします。それまでは輸送機関の整備ができていない、経理の運用も馴れていないというので九月頃まではひもじくて、ひもじくてたまらないという状態であります。あとは勿論捕虜でありますので、絶えずひもじいのでございますが、まあ何とかやつて來れたという程度であります。
  91. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そこであなたの隊内の状態を他のものと比較して見たいのですが、これも過日の証言において、隊内では非常に博打がはやつたというようなことが述べられたのですが、そうした点は如何ですか。
  92. 小林太郎

    小林証人 博打はなかつたと思います。
  93. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 博打はない。それから勿論こうした終戰直後、捕虜としてそうした所に行かれたのでありまするから、今の可なり平常な状態において当時のことと比較して見まして、勿論これは私も引揚者でありますし、そうした收容所におりました関係もありまするから知つておりまするが、このウランバートルの各收容所の、例えば責任者隊長、そうした者が週に一回とか、月に一回とか、その会合の機会はあつたんでしようか、どうか。
  94. 小林太郎

    小林証人 会合の機会は蒙古側で取計らつて呉れましたのは二回でございますが、その他はございません。
  95. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その二回の場合において、主にどうしたことを語られたでしようか。
  96. 小林太郎

    小林証人 私は出席いたしませんでしたが、代りに主計の少佐の方に行つて頂きましたが、その報告によりますと、何故成績が上らないのだという、その問題の檢討らしくあります。
  97. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 このノルマを中心としてのそうした会合を持たれたんだ、こういうふうに理解してよろしいのですか。
  98. 小林太郎

    小林証人 そうであります。そこで向うはどうしてノルマができないのだ。捕虜の方は食わせないからだと、結局それで水掛論見たいなことで終るらしいのです。
  99. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 更にお尋ねいたしますが、例えばウランバートル附近の收容所作業隊長の、これは何も吉村隊ばかりではございませんが、第五收容所の野村隊、第一收容所小林元彦隊とか、各隊のいろいろな風評、あそこの收容所は実にうまく行つておる、ここの收容所は遺憾であるというような点についての風評、或いはそうした面をお知りになつておれば御証言頂きたい。
  100. 小林太郎

    小林証人 知つておりますが、申上げるのを遠慮したいと思いますが……
  101. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 いや、それはどうしてですか。
  102. 岡元義人

    岡元理事 小林証人に申上げますが、先程宣誓なすつた通りに、委員会はただ証言を求める、いわゆる機関でありますから、その点委員から要求がありましたならば、その通り述べて頂きたいと思います。
  103. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それは各隊におきましての詳細にという必要はございませんが、簡單でよろしうございます。
  104. 小林太郎

    小林証人 吉村隊は非常に評判が悪うございました。その他の隊はまあ滿洲の方で仕立てたそのままの部隊で動いておるところは比較的いいのでありますが、入蒙後、蒙古側のやり繰りによりまして、混成部隊になつてしますと非常にお互いに苦しんだらしうございます。
  105. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 例えばあなたの隊にいたしましても、或いは石田隊にいたしましても、その前からの一つの隊列のまま來たというように私取るのでありまするが、その吉村隊というものは、或いは陸軍刑務所を出たとか、あつちこつちの人が集まつた、而もその長谷川隊長は辞めて、そうして曾ての曹長であつたものが、その責任者となつたというような点についてですね、一体吉村隊の評判が悪かつたというのは、その多くの人の、隊員の出入りですね、そうした人に基因するのか、或いは池田責任者それ自体に基因するのか。そうした点についてですね、証人証言を頂きたい。
  106. 小林太郎

    小林証人 両方だと思います。
  107. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと、両方だ、こう言われまするが、あなたも一つの隊の責任者である。で勿論みずからも反省されておやりになつたと思いまするが、そうした点に対して、池田隊の遺憾だという点は、更にどうした点でしようか。
  108. 小林太郎

    小林証人 吉田隊長のやるだけやろうという趣旨には私同意であります。やるだけやつて、新聞によりますと一位まで取つた、これは是非必要だと思いますが、折角一位を取りながら、その恩澤が部下の方に行かずにしまつたということは甚だ残念だと思います。
  109. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと、証人吉村隊長ノルマを上げたということは、ウランバートルにあつた收容所の中で第一位を獲得したということは、証人認めるのですね。
  110. 小林太郎

    小林証人 それは分りません。新聞に書いてあつたから、そう思います。
  111. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 併しあなたがおられて、そうしてそうしたノルマの点は、やはりそういうふうに二回も集合されて、そうしてノルマの点を強調されたという点から考えれば、各隊が一つやるだけやつて見ようというような決意をされた隊であるならば、このノルマのことは、常に中心として、まあお互いが関心を持たれるわけですが、そうした点に対して、この吉村隊長が相当ノルマを上げたと思われますか、或いは上げないと思われますか。
  112. 小林太郎

    小林証人 上げたろうと思います。
  113. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それからもう一つ、これは先程矢野委員からも言われたのでありますが、例えば曉に祈るというような野外留置をしたということは、しばしば証人は聞かれておりましたか。
  114. 小林太郎

    小林証人 そのことはそう度々は聞いておりません。吉村隊の噂は絶えず聞いておりました。
  115. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると吉村隊の噂を絶えず聞いておつたということは、そこにおる隊員があちらこちらから集まつて來た人達である。それで隊員自体にも遺憾の点があるというような点ですか。
  116. 小林太郎

    小林証人 吉村隊の悪口を絶えず私の部下から聞いておりました。私の部下からの又聞きであります。話によりますと、あそこの兵隊さんは情報を漏すと後で喧しいので余り漏さないのだということであります。
  117. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 あなたの千五百名の隊は公主嶺の一部隊でしたか医、何かあちらこちらから集合された隊ですか。主力が……
  118. 小林太郎

    小林証人 集合といえば集合であります。私共は独立混成百三十三旅團におりましたが、眞ッ二つに分れました。その一つ隊長が私であります。
  119. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 大体ひと色……
  120. 小林太郎

    小林証人 はあ。
  121. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると吉村隊は、あなた方はどういうようにお考えになつておりましたか。
  122. 小林太郎

    小林証人 吉村隊は承徳から來た兵隊さんと、それから地方の方だと、こういうように聞いておりました。
  123. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 混成しておるわけですね。
  124. 小林太郎

    小林証人 混成であります。
  125. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 更に小林証人にお尋ねしますが、そうすると小林証人の方は、殆んど地方人はいなかつたのですね。
  126. 小林太郎

    小林証人 女の人一人、秘密に連れて参りました。それだけであります。
  127. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと、これは隊長としてですね、例えば自分達の隊に地方人とか、そういう人達があつた場合においては非常にやりにくくなるわけですね。そうした点について、これは隊長同士の心遣いから吉村隊のいろいろな悪評を聞く。そうした場合においてあそこの池田隊長も苦労しておるな、こういうようなことをお感じになつたことはありますかどうか。
  128. 小林太郎

    小林証人 話したことですか。
  129. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 いや、そういうふうなことをあなたが感じられたことがありますかどうか。例えばあれは非常にノルマを上げている、やるだけやろうと言つてつておるのに、その結果はより以上の食糧も取らんとか、もう少し要領よくやればいいのになというようなこと、そういうことをあなたはお感じになつたことがありますか。若しあつたとすれば詳細に御証言を願いたい。
  130. 小林太郎

    小林証人 隊長自身は余り怒らずに、まあ義憤と申しますか。ひどい奴だ、こう簡單に思つておりました。
  131. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 小林証人にお伺いしますが、あなたは部下処罰なさつたことがありますか。
  132. 小林太郎

    小林証人 私自身の話ですか。怒つたこともございますが、処罰という、営倉に入れたとか、そういうことはございません。
  133. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 二、三の点を一問一答でやらして下さい。あなたの部下が内部の兵隊を処罰したということはありませんのですか。
  134. 小林太郎

    小林証人 殴つたということを聞いたことはあります。
  135. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そういう処罰をしたような例が多くありますか。
  136. 小林太郎

    小林証人 私の隊は少なかつたと思います。
  137. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたの隊は先程からの話によりまして、古い軍隊組織をそのまま持つてつたということでありますし、又客上下一致して皆一緒になつて働こうというやり方であつたということもお聞きしましたが、上に立つ者、下に立つ者も皆一緒に働き場に出たのですか。
  138. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  139. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あぐらをかいて、特権を振廻しておつた者はありませんでしたか。
  140. 小林太郎

    小林証人 ありません。
  141. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから外の隊であつた吉村隊にもあつたことですが、八時間労働ですね。その時間外に働きに出た、そういう場合の收入はありましたか、なかつたのですか。
  142. 小林太郎

    小林証人 收入は主とてノルマを基準としたもので決めまして、何時間働いて、いわゆる時間外の勤務の收入はなかつたと思います。
  143. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなた方は時間外に働かされたことはありますか、ないのですか。
  144. 小林太郎

    小林証人 あります。
  145. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あつても收入はなかつたわけですか。
  146. 小林太郎

    小林証人 收入はノルマができたかできないかが問題であります。ちよつと申上げますが、ノルマはいろいろ種類がございます。ちやんと活版に印刷したいわゆるソ連國定のノルマと申しますか、そういうもの、それから捕虜隊長が一万二千名の捕虜を受取りまして、それに飯を食わせ、着物を着せ、そういつた予算上のとんとんのところができて参ります。その辺がノルマの場合いろいろございます。そういうものを中心にして賞與が出て來ます。時間外については余り問題じやないと思います。
  147. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それではノルマ以上に働いた場合のいろいろの收入のですね。それはどういうふうにして隊員に分けましたか。
  148. 小林太郎

    小林証人 それは私が全部貰いまして、それを主計に渡しまして、主計が統一的にやりました。
  149. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは上に立つ者、下に立つ者の差別なく分けたのですか。
  150. 小林太郎

    小林証人 差別なしであります。
  151. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから、あなたの隊には不平がなかつたと見てよろしいのですか。
  152. 小林太郎

    小林証人 まあなかつたと思います。
  153. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それでは先程お話しがありましたが、吉村隊についていろいろの噂が飛んだ、部隊内でどういうことを兵隊が話し合つたか、それを具体的にそのまま言つて呉れませんか。言つた連中が、いろいろと言つたことであつたのでしようから……
  154. 小林太郎

    小林証人 金を、上前を刎ねておる。そうして個人的な贅沢をしておる。それから收容所長、通訳、これは蒙古側でありますが、それと結託しておるので、それともう一つ取巻がおるそうでありますが、そういう者が結託しておるので、兵隊さんがこの殼をぶち破ることはちよつとできないのだというようなこと、或いは吉村個人の贅沢な生活、それからまあ見せかけの軍紀と申しますか、軍紀は非常に堅いようにこれは申しておりました。吉村隊に私の部下で材木取りに行つたことがございますが、そのときに帰つて來まして、非常に軍紀嚴正だ、隊長が來ると敬礼を言つて皆立つ、そして煙草を一本こういうふうに分けるというと、各自が皆有難うございますと言つてお礼を言う、それで全部に配つてから、今度は指揮官がどうだ隊長殿にお礼を申そうじやないかというので、同時に有難うございますと、こう言つた、それを帰つて來まして報告いたしました。私の隊はもうそういうことは殆んどできておりませんが、私は噂さと較べまして、見せかけの軍紀であろうと、こう思つておりました。
  155. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから兵隊はそういうことを聞いて、外の場合には、吉村隊に入れてやるということを言われると皆びつくりして怖氣を振つたというのですが、あなたの隊ではそういう感情は……、想像して、ああいうところへ行つたらどうだというようなことは言つておりましたか。
  156. 小林太郎

    小林証人 吉村隊行つたらどうか……
  157. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 ああ。
  158. 小林太郎

    小林証人 それは言つたと思います。病院の入院患者が一番それに詳しいのでありまして、退院するとどこの隊へ行くか分りません。それでよくこういうふうに見ておつて、どこへ行きたいという希望を言う。そのときに一番吉村隊に行くのを嫌つてつた、こういうことを聞いておりました。
  159. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それであなたの隊でノルマを超過したとか、超過して働かせる、働かされたとか、或いは時間外の労働をやらなかつたとか、大体そう解釈していいですか。
  160. 小林太郎

    小林証人 時間外労働はやりました。
  161. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 ノルマを超過してやりましたか。
  162. 小林太郎

    小林証人 ノルマを超過してやりました。
  163. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは再々やりましたか。
  164. 小林太郎

    小林証人 それはちよつと私にも分りませんが、こういうことであります。ノルマがいろいろにこういうふうに決まります。左官が半分塗つたとか、煙瓦を一日に何枚拵えるというようにやりました。ノルマはできんじやないか、ノルマはできんじやないかと盛んに怒られます。ところが二十一年度の最後に、お前のところは建築料で一番だ、ノルマは一〇五%だ、こう言われました。そうすると話が合いません。お前はノルマができないと怒られて、ずつと最後に総合成績が一〇五%で御褒美を貰う。そこにノルマの得体の知れないところがあります。さつき申しました國定のノルマはできてないのでありますが、捕虜隊長としての請負のノルマは五%だけ超過したわけであります。
  165. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それではノルマ遂行について、あなた方の隊ではひどく無理してやつて健康を害ねたということはなかつたのですか。
  166. 小林太郎

    小林証人 大体ございません。
  167. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 若しノルマその他について兵隊が困る場合には、あなた方は泣寢入しておられたのか、或いはそれを堂々と向うへねじ込んで行かれたのか、どつちなんです。
  168. 小林太郎

    小林証人 ノルマの喧嘩は日常の仕事であります。
  169. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そうして向うが理不盡に押えるということはやりましたか。道理のあることは承知しましたか。
  170. 小林太郎

    小林証人 道理のあることは承知して呉れました。
  171. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 すると道理のあることは、どんどん押せば幾らでも押して行けるわけですね。
  172. 小林太郎

    小林証人 ところが捕虜隊長から指名されるノルマはこれは避けられませんから、認定上の問題になつて來ます。例えば穴を一立米堀つたじやないか、堀つたとこう言つて來れればノルマは達成します。いやまだとてもこれは少いと言えばノルマは達成しない。それで監督官がいいと樂でありますし、監督官が悪いと非常に苦しみます、その点は……。特に蒙古人は数的な観念がございませんから、掛算ができませんから体積が出ません。それで非常に困る場合があります。
  173. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 場合もあるし、いい場合もあるというわけですか。そこで長くなりますが、最後に一つあとでお伺いする機会もありますが、病人が沢山出た方ですか、出ない方ですか。
  174. 小林太郎

    小林証人 病人は沢山出ました。
  175. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 どういうわけで出ましたか。
  176. 小林太郎

    小林証人 野菜を呉れませんのでびつこになります。
  177. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 併し蒙古人は野菜を食わずにやつておるわけですが、食物についてその土地に合うようなことは工夫しなかつたためですか。
  178. 小林太郎

    小林証人 野菜を全然呉れないのであります。私は野草を採らして呉れといつて野草を採りましたけれども、時間も十分しか與えて呉れませんので採れませんし、終いには野草を食うということは衞生上よくないということで禁止されました。
  179. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 病人が出たということは野菜の不足が大きいのですか、労働の過重から來ておりますか、どちらですか。
  180. 小林太郎

    小林証人 食糧が悪いからです。両方ともであります。
  181. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 更にその場合に外科的な傷害で、傷害で病院に入つた者が多いか、或いは内科のことで入つた者が多いか……
  182. 小林太郎

    小林証人 内科が多うございます。
  183. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 つまり栄養失調なり、何かそういうことですか。
  184. 小林太郎

    小林証人 そうです。
  185. 岡元義人

    岡元理事 木下委員、御発言でございますが、ちよつとお待ち願います。この際各委員にお諮りいたしますが、高橋証人も着席を願いまして、尚小林証人との関連もあることと思いますから、関連しながら質問して頂くという工合にいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  186. 岡元義人

    岡元理事 それでは高橋証人の出席を求めます。
  187. 木下源吾

    ○木下源吾君 二、三……。隊長々々と言うておりますが、隊には一体役員というか、幹部というか、そういうものがやはり隊長の外に任命されているのですか、どのくらい、どういう……
  188. 小林太郎

    小林証人 中隊長……、軍隊組織そのままでございます。
  189. 木下源吾

    ○木下源吾君 これは皆役員として、そういう幹部として任命されているわけですか。
  190. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  191. 木下源吾

    ○木下源吾君 そこで一体仕事の量は、最終的には個人々々のノルマ責任のようですが、隊全体として、つまり責任を遂行する義務があつたのかどうか。そういうことではなかつたのか、この点一つ……
  192. 小林太郎

    小林証人 二十一年度は大体隊の全般の成績ということが強かつたように思います。が二十二年度はノルマそのものを、各個人のノルマを強く追及する、こういう傾向があります。
  193. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうしますと、二十一年度においては全体でありますから、その中に弱い者があればこれを助け合おうとするような傾向でやつてつたのか、弱い者は弱い者なりに個人的な負担を加重させるという方向で行つてつたのか。
  194. 小林太郎

    小林証人 患者になれなくて作業場に來た弱い者、これについては成るべく弱い仕事を與えるように努めましたけれども、それでは收容しきれませんので、若干無理な点ができて参りました。弱い作業と申しますと、釘を延ばすこと、鉄線を切ることとか、そういうことでございますが、これも限りがありますので、結局は弱い者に無理がかかつて來る、逆に言えば弱い者に無理がかかつて來るじやありません。そのノルマのできないところは強い者に負担がかかつて來る。
  195. 木下源吾

    ○木下源吾君 そういうような内部的にいろいろ按配することは、向う作業隊長と言うか、監督官はそれを認めておつたのですか。
  196. 小林太郎

    小林証人 認めて呉れました。
  197. 木下源吾

    ○木下源吾君 各隊ともそういう傾向ですか。
  198. 小林太郎

    小林証人 それは分りません。ちよつと申しますと、この一月、二月は給與が三〇%で非常に悪うございました。このときに死にもの狂いでやつて見ろ、生きる道があるから、こういう方針で、私の隊としては無理な時期なのであります。二十一年度の一月、二月、三月というところまで……。それをぐつと三月まで無理をしましたところが、お陰で成績が非常によくて、三月から賞品が入り出したのであります。そこでそれからどうやら無難に行けたのであります。この賞品の貰い方がもつと遅かつたならば、或いは私の統率方針がここで崩れたかも知れないと、こう思います。
  199. 木下源吾

    ○木下源吾君 更に……、まあいろいろの場合に処罰が行なわれたということですが、この処罰をする際には先程言うた隊長とか、そういう機関で何か協議をしたやる習慣が付いておつたのか、隊長が考えて、独断で処罰するという習慣になつておるのか、その辺を……。
  200. 小林太郎

    小林証人 全部協議しました。
  201. 木下源吾

    ○木下源吾君 その場合隊全部が……
  202. 小林太郎

    小林証人 隊全部ではなくて、必要な幹部で……
  203. 木下源吾

    ○木下源吾君 外の隊でもそういうことが行われておつたかどうか分りませんか。
  204. 小林太郎

    小林証人 分りません。
  205. 木下源吾

    ○木下源吾君 あなたの方は概ね協議をしていろいろ決める……
  206. 小林太郎

    小林証人 ちよつと申上げますが、処罰のそういつたからくりで何とか泳いで参りましたが、結局さつき申しました最初無理をした一番を取つた、これが宝物でありまして、これにいわゆるよい成績が物を言つたので、権謀術数というだけでは乘り切れません。
  207. 木下源吾

    ○木下源吾君 次には、隊長として、或いはその他の幹部として何か待遇の上に特権が何か與えられておつたか。つまり衣食その他に何か特権が與えられておつたかどうか……
  208. 小林太郎

    小林証人 特権は煙草だけであります。煙草を将校は十グラム、兵隊さんは五グラム、これだけでありまして、その他はありません。
  209. 木下源吾

    ○木下源吾君 何も特権はなし……
  210. 小林太郎

    小林証人 はい。
  211. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうしますと、いろいろ賞與とか、何か收入は向うから貰うわけですね。金を貰うか、何かあるわけですね。その金は自由に使い得るのかどういうことになつておるのですか。その收容所外から物を買つて來て、欲しい物を買つて食べるとか、そういうことができるのか……
  212. 小林太郎

    小林証人 自由に使うのが蒙古の方針、意図でありますが、私のところは自由に使わせませんでした。
  213. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうすると、方針であればこれを誰にでも自由に買つて來て、欲しいものは食べられるというのですね。それをあなたの方はそれを自由にしなかつた……
  214. 小林太郎

    小林証人 そうです。
  215. 木下源吾

    ○木下源吾君 これは自由にしなくても処罰を受けないのですね。
  216. 小林太郎

    小林証人 随分圧迫されました。これについては……
  217. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうすると隊長とかがおいしいものを食べる、酒を飲む、仮に贅沢をするということが、これは隊長自身が收入が沢山あり、そういうことがあればできるわけですね。
  218. 小林太郎

    小林証人 それはできます。
  219. 木下源吾

    ○木下源吾君 次には、つまり向う監督官という者がおつたわけですね。つまり作業でも或いは收容所にしても、この人達は、一体そういう人達の待遇ですね。向うの方から貰うその待遇とその状況を知つておれば……。それとこれらの人々が日本の道徳とは違うだろうが、一体道徳水準というようなものはどういうようなくらいであつたかというのは、收容所作業で働いた金を何かごまかしたとか、何とかいうような話を聞いておるんですが、そういうようなことが行えば行える條件、又はそういうことを行うような習慣があるか、そういうことを聞きたいのですが、一体道徳水準なんかどんなようなものですか。
  220. 小林太郎

    小林証人 金はごまかすらしゆうございましたが、私のところではごまかしませんでした。
  221. 木下源吾

    ○木下源吾君 一般にどうですか、水準は。
  222. 小林太郎

    小林証人 水準は低うございます。
  223. 木下源吾

    ○木下源吾君 ああそうですか。それからよく死んだ人などおりますね。向うで栄養失調だとかで……。そういう人達に対してはみんなで、やはりこつちで我々は友達が死ねば、いろいろ氣の毒だし、やはり仲間が死んだんだから、いろいろ鄭重にしますが、やはり死んだ場合に、向うではどうですか、まあそういうところへ行つておるんだから帰れるか帰れないか分らないんだと、そういうように冷淡に扱つてつたか、死んだ場合の状況はどうですか。
  224. 小林太郎

    小林証人 二十年度と二十一年度の初期は冷淡でございましたが、それ以後は一應の敬意を拂つて呉れるようになりました。
  225. 木下源吾

    ○木下源吾君 こつちの人達はどういう氣持でおりましたか。
  226. 小林太郎

    小林証人 できるだけ鄭重に弔つてあげました、その当時で貧弱ながら告別式もやりました。
  227. 木下源吾

    ○木下源吾君 遺骨などもやがて帰るときには持つてつてやろうというような氣持でみんなやつたんですか。
  228. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  229. 木下源吾

    ○木下源吾君 それは罪人であろうと処罰が死んでのであろうと一般にそういう傾向であつたのですか。
  230. 小林太郎

    小林証人 一般にはそうではないように思います。と申しますのは、資源関係はそういうことはどうもうまく行かなかつたようであります。
  231. 木下源吾

    ○木下源吾君 最後にもう一つお伺いいますが、向うの方でいろいろ一生懸命仕事をされたのですが、これは一体うなた方は向うでは懲用する、つまり懲めのために、懲用のために、仕事をさせているのか、又仕事本位で、これだけの仕事をやらなければならんというように、仕事本位でやつておるのか、どういうふうに見えましたか。向うの実情は。
  232. 小林太郎

    小林証人 私は蒙古國の商賣だろうと思います。一万二千名の捕虜を最も有効に使わなければいかん、こういう考えだと思います。そういう感じを受けました。
  233. 木下源吾

    ○木下源吾君 成る程、そうすると仕事本位ですね。
  234. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  235. 木下源吾

    ○木下源吾君 向うの建設本位で……
  236. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  237. 木下源吾

    ○木下源吾君 その他に何か意図があるようには考えられるんですか。
  238. 小林太郎

    小林証人 懲めの意味もございます。
  239. 木下源吾

    ○木下源吾君 懲めの意味もある。
  240. 小林太郎

    小林証人 はあ。
  241. 木下源吾

    ○木下源吾君 大体そういうのが向う方針のようにあなた方は感じられておつたわけですね。
  242. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  243. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 今、木下委員の最後の質問に対して、懲めの意味もあるということですが、それは外蒙人民共和國が日本に対して、何と言いましよう、宣戰を布告したというようなことをあなたはお知りになつておりましたか。
  244. 小林太郎

    小林証人 知つておりました。
  245. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうした観念から懲めの意味という意味ですか。
  246. 小林太郎

    小林証人 そうであります。ノモンハン事件もございますし、ノモンハンの話はときどき出ました。
  247. 北條秀一

    ○北條秀一君 小林証人に三点聞きますが、一つはあなたの隊の傍には蒙古の將兵は相当おりましたか。
  248. 小林太郎

    小林証人 蒙古の將兵ですか。
  249. 北條秀一

    ○北條秀一君 ええ。蒙古の將兵の生活をあなたは絶えず見ておられたと思いますがね。蒙古の將兵の生活日本捕虜生活と比べて見て、日本捕虜生活が著しく悪いと……。蒙古兵が先程の木下委員質問のありましたように、日本人を懲るという考から、特に意識的に日本人生活を悪く、生活程度を下げておつたというふうなことについて、あなたの見聞されたところを聽かして頂きたいと思います。
  250. 小林太郎

    小林証人 生活條件は大分差があります。特に給與方面で……。それから日本人に対する感じは余りよくありません。
  251. 北條秀一

    ○北條秀一君 と言いますと、蒙古兵は日本人の対していい感じを持つていなかつたという意味ですか。
  252. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。ちよつて申上げますが、それでも又人情が通じまして、非常に仲よくなつた面と、両方ございますが、一般的に言うと、何とかして捕虜生活をよくしてやろうと積極的に動いて呉れた將兵は余りないように考えます。
  253. 北條秀一

    ○北條秀一君 第二点は向うから各隊が日本に手紙を出した点、聞かれたと思いますが、あなたの隊では手紙を出したことがあるか、それとも日本から手紙の返事を受取つたことがあるか。
  254. 小林太郎

    小林証人 これは出したことがございますが、これは虚僞であるということが直ぐ分りました。と申しますのは、二十年の二月頃に、收容所長に手紙を出さして呉れと、こう言つたところが、收容所長は、ああどうぞどうぞ、幾らでもお出しなさいと言いました。これで嘘だと分りました。と申しますのは、捕虜の通信であれば必ず制限があるわけで、封筒はどうするんだ、宛名はどうなるんだ、こちらの居所はどうするんだといういろいろな問題があるのに、それを簡單に言つて、直ぐ持つてつてしまいました。内地からは手紙は受取りません。
  255. 北條秀一

    ○北條秀一君 第三点ですが、小林隊は元の軍隊秩序を終始維持したんですか、他の隊では可なり旧軍隊組織を変えるために、若い連中がいろいろ騒いで、或いは隊長を選挙によつて変えるとかいうふうなことが盛んに行われたことがあることを、向うで聞いておられたと思いますが……
  256. 小林太郎

    小林証人 そういうことは蒙古ではなかつたと思います。
  257. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではそれに関連してですが、あなたの隊では最後まで秩序を維持できたということは、蒙古の一つ方針でもあり、又同時にあなたに協力する人の力によつて、千名の旧部下を統率できたと、あなたの話を聞いて、そういうふうに理解するんですけれども、あなたの部下の中から特に隊長或いは隊長を取巻く幹部に対して、いろいろな不平でありますとか、或いは隊長を、俗に言う吊し下げろとかいうふうな問題は起きたことはなかつたですか。
  258. 小林太郎

    小林証人 ないと思います。
  259. 岡元義人

    岡元理事 各委員に申上げますが、小林証人に対しまする質問は、各委員まだ相当あるかと思いますけれども、議事の進行上、尚関連しながら小林証人に対する質問も継続して頂くことにしまして、又午後におきましても、お手許にお配りしてあります通りに、三時以後には十分に質問の時間も取れるようになつておりますから、この際、只今高橋証人が出席いたしておりますから、進行上、高橋証人証言を求めたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  260. 岡元義人

    岡元理事 それではさように取計います。先ず高橋証人証言を求めますが、委員長から二三の点お伺いして置きたいと思います。高橋証人はアムラルトの病院に勤務されておつたわけでありますが、その間の年月と、院長は小野、本木、こういう二代に変つておるようでありますが、その点等についての経緯をお話願いたいのであります。それから尚……、一問ずつお答え願います。只今委員長が聞きましたことにつきまして証言願います。高橋証人
  261. 高橋俊哉

    証人(高橋俊哉君) 私は昭和二十一年の九月、傳染病にて、この病院に入院いたしまして、そのときに前の傳染病の主任をいたしておりました、山本元軍医中尉、この方が自殺をいたしまして、その後の欠員を補うために私に勤務を命ぜられました。そして昭和二十一年の秋より昭和二十二年の帰還まで約一年二ケ月くらいの間勤務いたしておりました。でその前の小野元軍医少佐と、それから本木元軍医少佐との、この更迭のことについては噂だけは聞いてはおりますが、確実なことは存じません。私が勤務いたしましたときは、本木元軍医少佐になつておりました。
  262. 岡元義人

    岡元理事 続けてお尋ねいたしますが、アムラルトの病院に收容されましたところの各收容所の名前はお分りでございますか。
  263. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ、大体記憶しております。ガンドン收容所、アムガロン收容所、ナライハ收容所チヤガンフラン收容所、それから第一收容所、罐詰工場。
  264. 岡元義人

    岡元理事 分らなければ分らないで……
  265. 高橋俊哉

    ○高橋証人 その外は記憶にありません。
  266. 岡元義人

    岡元理事 数だけは大体幾つ……
  267. 高橋俊哉

    ○高橋証人 数だけは大体二十くらい、ウランバートル附近の收容所から入院しておりました。
  268. 岡元義人

    岡元理事 その点につきまして、同じく收容する病院が外にございますか。
  269. 高橋俊哉

    ○高橋証人 もう一つ、通称「山の病院」と言つておりましたが、病院は私のおりました病院から約四里離れておる所にございました。
  270. 岡元義人

    岡元理事 以上二つだけでありますか。
  271. 高橋俊哉

    ○高橋証人 ウランバートル周辺では二つだけであります。
  272. 岡元義人

    岡元理事 あなたの方でお取扱いになつたいわゆる病院患者の中で、又屍体として運搬された、そういうような数で以つて、大体あなたのいわゆる勤務しておられたその期間と、それから相対的に、あなたの勤務される前からの二つに分けまして、病院からどれだけの死亡者が出されたか。尚、各隊の特に吉村隊の死亡率が非常にこいというようなふうに承わつておるんですが、その点について、証人から知つておられる範囲の証言をお願いしたいと思います。
  273. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私が病院に勤務いたす前は比較的患者数は少なかつたかと思いますが、私が勤務いたしましてから帰るまでに大体一万名ぐらいの患者を收容しておりました。その間において、私が勤務する前に死亡した患者が大体二百名、その後の一年に死亡した患者が大体五百名、私が帰還するまでに、病院で亡くなられた方が大体七百名、それから外來の屍体として病院に運ばれ、病院で埋葬の手続を取つた方が約三百名ありまして、その中で吉村隊から運ばれた屍体が大体四十名と記憶しております。
  274. 岡元義人

    岡元理事 尚ウランバートルの全收容所の死亡者は他のその「山の病院」という方でも別に取扱つておると、こういう工合に解釈してよろしゆうございますか。
  275. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はい。その通りでございます。
  276. 岡元義人

    岡元理事 尚もう一点だけ……、各委員から御質問があると思いますけれども、一点だけこの際伺つて置きたいと思いますが、そういう死亡者の処理に対する方法をば、この際例えば墓場に埋める、その後の記録というような点に対しての経緯をこの際御証言願いたいと思います。
  277. 高橋俊哉

    ○高橋証人 記録でありますか。
  278. 岡元義人

    岡元理事 いいえ、運ばれましてからの死体の処理、解剖するとか、或いはそれをどういう工合にして埋歿する。その埋歿の方法、或いは記録、その点についての御証言をこの際願つて置きたいと思います。
  279. 高橋俊哉

    ○高橋証人 病院で亡くなられますと、大体その日のうちに解剖室の横にある屍体安置室まで運びまして、そこで必ず解剖をして、その証明書を附して院長に提出、院長のサインを求めて埋葬の許可を得るわけです。でこの解剖のことにつきましては、ドイツ語で以つて記入しておりました。そしてそれを蒙古政府に提出するという原則になつておりました。で解剖が終りましたならば、屍体埋葬班に渡しまして、屍体埋葬班が、四体、五体溜りますと、それを墓地に持つてつて埋葬したのであります。埋葬に関しましては、私は勤務の都合上墓地には、約二里離れておる墓地でありますけれども、遂に行く機会がありませんでした。
  280. 岡元義人

    岡元理事 分らないのですか。
  281. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。その埋葬の状況については、私は存じません。
  282. 岡元義人

    岡元理事 着席願います。各委員からの御質問がございましたらお願いいたします。尚ちよつとその前に各委員にお諮りいたしますが、十二時半になりましたら、休憩いたしたいと存じます。御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  283. 岡元義人

    岡元理事 では淺岡委員
  284. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 一問一答でよろしうございますか。
  285. 岡元義人

    岡元理事 どうぞ。
  286. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしますが、各收容所からの入院手続、方法を簡單に御証言を願いたい。
  287. 高橋俊哉

    ○高橋証人 入院の手続でありますか。
  288. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうです。
  289. 高橋俊哉

    ○高橋証人 收容所におまきまして大体病人を一部屋に纒めております。その收容所所長の許可を得まして、そうしてトラツクの都合の付き次第入院させ、名前を收容所長、それから病院に提出して入院させるというような方法であります。
  290. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 吉村隊からは重態者、重病者のみが入院したとあなたは語つておられますが、その重態の程度、或いは他の隊との比較を簡單に御証言を願います。
  291. 高橋俊哉

    ○高橋証人 吉村隊からは入院患者が比較的少く、外の收容所に比べて少い。極めて重症な患者が入院して來るというような状態であります。例えば以前の春二九八六部隊の二宮軍曹、この方は約一年前に肋膜炎に罹り、一ケ月程の休養を得、その後ずつと労働に從事して、病院に入院して來たときにはすでに四十度ぐらいの熱発をしております。そうして全然働くことができないというので入院された方でありましたが、入院後二週間を経過して亡くなつております。解剖の結果やはり末期の肺結核であります。
  292. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと入院の患者数は少なかつたが、入つて來る者は皆重かつた。重態であるということですね。
  293. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうです。その数につきましても外の收容所と比較して少いわけであります。大体三百名ぐらいおります。
  294. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 入院患者がですね。
  295. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。
  296. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと外の隊は、先程小林隊長証言によりましても、軍隊のあり方そのままのあり方であつたということであり、それから吉村隊は地方人も混り、或いは各種各様の人が混つておる、そういうふうなことを一應あなたが観察されたことがありますか。
  297. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうであります。
  298. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは続いてお尋ねいたしますが、吉村隊の医官が病名を告けずに送つた事実は、吉村隊の惨状を裏書をするということをあなたが語つておられまするが、そうした点はどういうところからそういうふうに語られたのでありましよう。
  299. 高橋俊哉

    ○高橋証人 外の收容所は必ず死亡診断書或いはその他の簡單な書類を付けて屍体を病院まで運んでおりました。併し吉村隊はそういうことが殆んどありませんでした。名前さへはつきりしないと言つた屍体もありました。
  300. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと、それは吉村隊の医官の責任にあるのですか、或いは隊長責任にあるのでありますか。
  301. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは私は全然分りませんです。
  302. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 分りません。併しそうしたその病症とか、何とかいうことは少くともそのお医者さんでなければ分らんわけですね。吉村隊にも医者がおる。
  303. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はい。
  304. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 ですからそうした面をその医者の手ぬかりじやないのでありますか、或いは隊長の手ぬかりでもあるのですか、あなたがそういうような場合にどういうふうにお考えになりますか。
  305. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私の考えでは医者の手ぬかりも相当あつたと思います。
  306. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから証人患者吉村隊に廻すぞと、こう言つておどかして震え上らせるというようなことを言つておられまするが、病院付きの医官に患者の行先について決定し或いは意見を述べる権限があるのですかどうか。
  307. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは全然ありません。この患者の退院については全然、或る程度百名なら百名の退院患者を用意して置きまして、收容所からトラツクが参りますると、それに何名と向うの要求するだけの人員を帰すということが、これはロシア人の院長の命令であります。
  308. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 証人はその際吉村隊に廻すぞとおどかしたというようなことはあるのかないのですか。
  309. 高橋俊哉

    ○高橋証人 全然それはありません。
  310. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そういうふうに語られたということは事実無根なんでしようね。
  311. 高橋俊哉

    ○高橋証人 事実無根なんです。
  312. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから吉村隊からそうした重病患者が來ておるので、そうした面につきまして重病患者だから、患者同士が語り合うということもないでしようが、そうした点についてあなたがそれを一應檢討されたことがありましようか。
  313. 高橋俊哉

    ○高橋証人 吉村隊の実情につきまして、屍体についても非常に凍死と推定される屍体が多数ありまして、院長に三例の凍死体の診断書を書きまして提出いたしましたところ、蒙古政府から役人が参りまして約半日間その屍体についての議論がございました。蒙古では單なる栄養失調じやないかと、こう言つておりますけれども、死亡する程の栄養失調症の状態ではございませんでした。そうして院長の裁決を経まして三例の凍死体の診断書は政府に提出いたしました。そうして吉村隊收容所内或いはその他の設備についても、できるだけの改善を図つて貰いたいと、こう思つて提出いたしました。それがどこへ届いておつたかは分りません。吉村隊のその後の状況も改善されるといつた様子はありませんでした。やはり凍死のごとき屍体がこの四十体のうち約半数を占めておつたと記憶いたしております。
  314. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 先程あなたの御証言に八百名余りを出し、更に三百名、つまり一千有余名の人が死んでおりますが、そうした一万六千人のうち一千百名というと相当の数ですが、そうした死因の大半はどういうところに基因いたしておりますか。
  315. 高橋俊哉

    ○高橋証人 病院において解剖いたしました結果大体七割以上、八割近くまで結核で亡くなられております。
  316. 岡元義人

    岡元理事 では着席願います。  これにて休憩いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
  317. 千田正

    千田正君 高橋証人に伺いますが、吉村隊をこの間喚問した際に、外傷で死亡したのが二人であるが、そのうちの一人は石切場において殴られて打僕を受けたもの、もう一人は癲癇を起したものが死んだというような報告をしておるのでありますが、こういうような二人の外傷によつて死亡した屍体をあなたが檢屍されたことがございますか。
  318. 高橋俊哉

    ○高橋証人 ございます。
  319. 千田正

    千田正君 その原因不明、いわゆる癲癇で死亡したごとくその際見受けられましたか、或いは何らか外の外傷によつて死亡したようにあなたが診断されたのでありますか。
  320. 高橋俊哉

    ○高橋証人 一名は名前は菊池七郎と言います。この方の屍体ははつきり側頭部に鈍器によつて切られた跡があり、頭蓋骨まで切られて亡くなられておりました。この方は非常に残酷な屍体であつたためにはつきり記憶しております。それからもう一例、これは名前は記憶いたしておりませんけれども、頭蓋底の骨折の患者があつたと記憶いたします。癲癇であつたかどうかということは、これは頭脳まで開いておりますけれども、はつきり申上げることはできません。
  321. 千田正

    千田正君 普通常識から、医学上の常識から言つて、癲癇などでそうした頭蓋骨の骨折まで至るようなことがあるのでありますか。
  322. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは普通の状態ではあり得ないと思います。
  323. 千田正

    千田正君 それではやはりその菊池七郎君と同じように、何らかによつて外部からの圧迫によつて、そうした骨折を受けたものと判定してもよかつたと思われたわけでございますか。
  324. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はいそうでございます。
  325. 岡元義人

    岡元理事 着席願います。  それではこれにて休憩いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  326. 岡元義人

    岡元理事 休憩いたします。尚、午後は一時十分から始めたいと思います。お差支えありませんか。……それでは午後一時十分から委員会を開くことにいたします。    午後零時二十九分休憩    —————・—————    午後一時四十一分開会
  327. 岡元義人

    理事岡元義人君) それでは午前中に引続き、只今から委員会を開会いたします。只今小林証人、高橋証人、両名が出席されておりますので、委員の方におかれましては、引続き御質問を願いたいと思います。
  328. 千田正

    千田正君 高橋証人にお伺いしますが、ウランバートルの各病院附近に日本人の墓地があつて、その数が大体一千六百八十三柱の墓標が立つてつたという帰還者の中から報告を入手してあるのでありますが、先般池田隊長以下の証人に対してこの質問をしましたけれども、十分なる確証を得られなかつたのであります。あなたが実際あの地におきまして、いろいろ死亡者に対する確認その他をやられた関係上、こうした多数の人達を埋めたであろうということも想像できるのでありまするが、大体一千六百以上の我々同胞がウランバートルの郊外に墓標となつておるかどうかという点について、あなたが知れる範囲内において簡單に若し証言ができるものがありましたら、伺いたいと思います。
  329. 高橋俊哉

    ○高橋証人 墓地につきましては、ウランバートルのアムラルト病院の裏の約二里離れた北方の丘に大体病院で亡くなられた方、並びに外部から送られて來た方の死体、これが大体一千柱埋葬してあると思います。私も墓地に一度のお参りできませんでしたので、このことは死体の数によつての推定であります。それからもう一つ最初におりました收容所、これはウランバートルから約二百キロ離れたユルエという強制労働所でありますけれども、ここにおいて約半年の間に五百名の方が入られて、その中の百二十名ばかりの方がこの地で亡くなられて、この墓地もやはりユルエを去る東北方二里の地点に埋葬してございます。そして眞中に大きく「日本人墓地」というふうに記して、各墓地の上に小さな墓標を建てて、死亡年月日、死亡原因とそれから名前、それだけを残しておりました。これは私自身で見ておりますから間違いないのです、それだけについてしか墓地のことについては存じません。
  330. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 ちよつと一問一答で……、高橋証人に伺います。先程吉村隊からの入院患者が約三百名ぐらいというように承つたのでございますが、その入院はいつ頃が一番多かつたのでございましようか。結局二十二年の初めから吉村隊石切作業が非常に激しくなつてつたようにこの間証言があつたのであります。その時分から非常に増加したというような傾向があつたのでございましようか。
  331. 高橋俊哉

    ○高橋証人 やはり二十一年の秋より二十二年の冬にかけて非常に吉村隊からの患者も殖えております。又死体で病院に運ばれた方も二十一年の秋より二十二年の春にかけての期間が非常に多かつたように記憶しております。
  332. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 その三百人ばかりの入院患者のうち、病院で死亡した者はどのくらいございますでしようか。
  333. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それははつきり記憶しておりませんけれども、五十名乃至百名と思つております。
  334. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 それから死体で送られた人に凍死の疑いのある者が大分多くあつたというように承りましたが、入院して死んだ人達の中にも寒さのために本來の病氣以外に非常に影響を受けたというような状態の人が大分沢山ございましたでしようか。
  335. 高橋俊哉

    ○高橋証人 寒さのために影響を受けたというふうには一見分りませんので、確かのことは申上げられません。
  336. 天田勝正

    天田勝正君 高橋証人に伺います。穗積委員がおつしやつたその寒さのための影響というのは、私はこういうことがあるかどうか、即ち凍傷とか、或いは通称という「曉に祈る」こういうことによつて凍傷にかかつた病人、こういう者があつたか、特にそれが他の隊の入院患者よりも多かつたかどうか、先ずこれをお聞きしたいと思います。
  337. 高橋俊哉

    ○高橋証人 凍傷は比較的少なかつたようであります。特に多かつたのはアランの收容所、これが非常に多かつたと思います。これは確か吉村隊から入院された方だと思いますが、向うにおいて防寒靴を片方取られたために靴下を履いて眞冬作業に出た、そのために片足が完全に凍傷にかかつて切断したといつた患者が一名ございました。その名前については記憶しておりません。
  338. 北條秀一

    ○北條秀一君 高橋証人証言を求めますが、入院患者で死亡して行つた人の中で、恐らく死ぬ前にいろいろなことを言つて死んだのではないかと思うんです。それを遺憾として高橋証人は聽かれたと思います。たとえていえば、死んで行く人が吉村隊を怨むとか、或いは捕虜になつたために、即ち蒙古側の取扱いに対しそれを怨むとか、或いは戰爭に負けた原因を怨むとか、そういうふうなことを言つたのではないかと想像できるんですが、そういうことについて高橋証人は聞かれたことがありましたら、その聞かれたことを証言して頂きたいと思います。
  339. 高橋俊哉

    ○高橋証人 比較的そういつた例は少くありまして、記憶に残るのはユルエの病院におきまして、或る患者が死亡一日前に非常な栄養失調症にかかつておりまして、そうしてこれは近くのアランという伐採から來た患者でありましたけれども、自分は飢え死である、こういつて亡くなつた方が一名ありました。
  340. 北條秀一

    ○北條秀一君 比較的少なかつたということでありますが、その少なかつた中で、特に今記憶されるのは、その飢え死した、自分は遂に食うものがなくて飢え死するので残念だ。こういつたようなことを言つた。その外に記憶しておるところはありませんか。……なければ止むを得ないが、次に質問さして頂きます。高橋証人は医官として死体を解剖されたのでありますが、各捕虜收容所からアムラルトの捕虜病院に送られたのは、各收容所で亡くなつた人の死体のうちどういうものをあなたの方に送つたのですか。
  341. 高橋俊哉

    ○高橋証人 ウランバートル近郊の收容所におきましては埋葬の手続ができないために、病院に必ず一應死体になつた方は届けるというのが原則になつております。その外にも独自で埋葬したところもございますけれども、大体原則としてはアムラルト病院に一應持つて來るというのが原則であります。
  342. 北條秀一

    ○北條秀一君 その中の解剖に付するというのは、院長の判断によつて解剖にしたのですか。
  343. 高橋俊哉

    ○高橋証人 向うの法則としまして、死体に対しては全部解剖を行なつて、その臨床病名と、解剖の結果とを照合せよ、そうしてこの死亡証明書を発行するように、これは院長の命令でやつておりました。
  344. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではあなたの捕虜院院で死亡された人は全部解剖されたと思いますが、そのうち八〇%は肺結核であると言うが、あとの二〇%は大体どういうような病氣で死んでおりますか。
  345. 高橋俊哉

    ○高橋証人 多い順から申しますと、肺結核が七割乃至八割、それから腸チフス、回帰熱、発疹チフス、赤痢、肺炎、クルツプ性肺炎……
  346. 北條秀一

    ○北條秀一君 分りましたが、発疹チフスというのは、相当これは各收容所で蔓延したことがあるのでしようか。
  347. 高橋俊哉

    ○高橋証人 蔓延しておりました。これは昭和二十二年の春、アムガロンという收容所でございまして、ここにおいて、最初の患者が発生し、それ以來約七百名の患者が大体アムガロンの收容所から主として発生しております。
  348. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは話が少し先に進みますが、これらの病人に対して、ソ連側の病院の手当というものは、例えば藥とか、或いはその他の怪我手術にしても、いろいろな点について手当は十分に行われておつたと、あなたは医官として考えられますか。
  349. 高橋俊哉

    ○高橋証人 藥物の点につきましては、病院におきましては必要な藥は大体渡されておりました。それから病院の施設、これも暖房その他の点についても相当しつかりした、外蒙古で有数な建物の中に一つと言われておる三階建の、昔貴族の家であつた所を改良して日本人捕虜のために貸して呉れた。開腹手術その他も十分できるようになつております。
  350. 北條秀一

    ○北條秀一君 次にもう一つ証言を願いたいのですが、千人余の人が死んで、それがすべて墓地に送られた。送るときには恐らく日本の兵隊がその死体を持つて墓地に行つたと思いますが、帰つて來た人達が、是非家族のために遺髪とか、或いは爪とか、そういうものを持つて帰ろうとしたけれども、蒙古側ではその慣習上、どうしてもそういうものを許可しなかつたということを聞いておるのですが、これについてあなたの知つておられるところを……
  351. 高橋俊哉

    ○高橋証人 病院において亡くなられた方については、全部爪とか髪の毛、それを残して、その外に、極く大切な遺留品と思われる物を大体一二品選んでおります。例えば写眞であるとか、時計であるとか、そういつた比較的記念になるものを一二品選んで置いたのでありますけれども、帰るときに梱包にしまして、三梱包でございました。それをスーバートルまで持つて参りましたのでありますけれども、あすこにおいて國境の檢査のために全部バラバラにされて、名前も何も分らなくなりまして、そうして髪類その他は全部取り上げられたために、殆んど誰の遺留品か分らなくなつた。それを又ナホトカの税関まで持つて参りまして、あすこで更に檢査を受けて、もはや誰の遺留品であるか分らなくなつてしまつたという現状でありまして……
  352. 北條秀一

    ○北條秀一君 病院で先程の施設、藥物の点が証言がありましたが、あなたの良心的に考えられまして、ソ連の病院は全般の事情等を勘案して、十分盡すだけのことをしたという、あなたは印象を持つておりますか。
  353. 高橋俊哉

    ○高橋証人 ロシア人の院長、向うの軍医少佐の方でありましたけれども、非常に日本人をかばつて呉れたということは私なんかも感じております。そうして藥物なんかの点にしても、こちらが請求すれば、大体手に入るものは無理をしても手に入れて呉れるといつた状態であります。
  354. 北條秀一

    ○北條秀一君 もう一つ、病院で死ぬ前に……、先程の話は分りましたが、死ぬ前にきつと死期を予期した人達は、自分の家族に傳言するとか、或いは書置きをするとか、或いは手紙を託するということは必ずあつたと思うのですが、あなたの病院では日本に手紙を出すということを許可を受けたことがありますか。
  355. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私の最初おりましたユルエの病院、ここにおきましては、最初に入蒙当時に手紙を出させるということで書きましたけれども、これは結局向うの、日本人の思想を知るための一つの手段であつた、全然発送して呉れません。その後そういつたことは結局信用できないということになりまして、殆んどそういうことを要求する者もおりませんでした。
  356. 北條秀一

    ○北條秀一君 あなたはこちらに帰られて、ソ連から、相当の手紙が……葉書が、往復葉書で向うから來て、こつちから更に返事を出しておるということをお聞きになつておると思いますが、そういうことは全然あなたの收容病院にはなかつたのですね。
  357. 高橋俊哉

    ○高橋証人 外蒙古におきましては、文通ができるということは全然知りませんでした。
  358. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 二、三一問一答をいたします。藥品は、それでは日本軍が持つてつた、満洲駐屯の所属部隊等で持つてつたその藥品が使われておつたものですか。
  359. 高橋俊哉

    ○高橋証人 藥品は最初のうちは日本から持つて行つたものも多少ありましたけれども、大体病院で使いました物は向うの藥品であります。
  360. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから死亡者が出た場合にはそれぞれ病院長に届け出る筈ですが、その死亡通知が当然この捕虜規定その他國際戰時公法というような立場から見て、本國に正式にこれが通知されるべきものであると思いますが、そういうようなことは全然医官としては関心を持つておられなかつたのですか、どういうように死亡した者の住所氏名等が取扱われるかについては何らの御経驗はありませんか。
  361. 高橋俊哉

    ○高橋証人 死亡いたしましたときに、必ずロシア語又はドイツ語で死亡診断書を書いて、それには住所、年齢、部隊名、そういつたものを必ず記入しておりました。死亡証明書にも同じようにきちつと記入してありました。併しそれが蒙古政府の手に入つたかどうかということは、私は疑問に思つております。長いこと院長の机の上に置いてあつたりしたといつた状態が見られましたので、果してどこまで届いているかということは分りません。
  362. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 帰國なすつてからそれらが公報を以て通知されているというような何か事実をお掴みになつたことがありますか。日本にお帰りになつてから……
  363. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは知つております。これは私と一緒に帰りました加倉井さんという方が、病院における死亡者の極く簡單な死亡年月日、それから死亡病名、年齢、本籍地、それだけを記入したノートを一册税関で取られずに持つて帰りました。それが一部残つておりましたために、向うの病院において亡くなられた方の状況というのは一應家族の所に通知があつたと思います。
  364. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると正式の國家と國家との機関において、あなたが死亡診断書を書かれたのが日本政府にそれぞれの機関を通してはつきりと通告されておつたというようなことなどは全然ないわけですね。今のはあなた方の仲間でやつているので、プライヴェートの問題ですね。
  365. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうです。
  366. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうするとお医者さんとして帰つて來られて、正式に日本政府に対日理事会を通して、これらに確かに來ておつたということは全然ないわけですね。
  367. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それはないと思います。
  368. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それからあなたの前任者である山本軍医は自殺されたというのですが、なぜ自殺されたのですか。
  369. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは私がおらないときに自殺されたのでありまして、当時の噂、状況などを聞いたところによりますと、山本元軍医中尉は発疹チフスに当時かかつて、相当の高熱が続いておつたという事情もありました。併し脳症の程度は……脳症は殆んど起しておらなかつたという状態であつたそうでありますが、病院内のいろいろの軋轢、或いは蒙古政府からのいろいろの責任当事者であつたために、責任を負つていたということが非常な原因であると聞いております。
  370. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから小野少佐と本木少佐、この二人の元少佐の交代等にいろんな噂があつたというようなことを最前午前中に証言なすつたのですが、どういうような噂の内容ですか。
  371. 高橋俊哉

    ○高橋証人 小野少佐という方は胃潰瘍のある方で、食事が非常にむずかしいというので大分困つておられまして、そうして入院をされた。そしてロシア側の院長が女の院長であつたそうでありますけれども、その院長に信用がなくなりまして、そして外の方へ轉属になつた。そのあと後任者として本木元少佐が日本側責任者となられたというふうに聞いております。
  372. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 あなたがいよいよ山本軍医のあとに後任として來られてから、医者として責任をお執りになつたわけですが、あなたのお勤めをしておられました間におきまして、いわゆる吉村隊というものが非常に苛酷であり、そのために外傷患者等も多く、過重なるノルマのために内患患者が多いというふうな風評であるとか、或いは現実において確かに他の收容所の員数等と比較して見て、顯著にそれが認識されるというような向きがございましたかどうか。
  373. 高橋俊哉

    ○高橋証人 患者の噂も非常に吉村隊を恐れておつたということは事実であります。それからこの吉村隊関係は、私は結局死体について知るのみでございまして、当時の死体の状況から見ましても、他の收容所においては見られないような死体でありました。
  374. 千田正

    千田正君 高橋証人にお伺いしますが、午前中の証言の中に、非常に栄養失調その他のいろいろな無理をした病人ができるので、施設の改善をするようにというような意味の報告をかねての懇願的なことを收容所に出したけれども、その後それが行われたかどうか分らないという証言を承つておりますが……
  375. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はい。
  376. 千田正

    千田正君 これは吉田隊のときもあると思いますけれども、外の隊でも若しもそういうようなことがあつた場合に、医官であるあなた方のこういうような注意があつた場合に隊長が、例えば池田隊長なら池田隊長があなた方の注意を元にして、收容所長或いは蒙古の責任者に向つて、待遇の改善じやなく、その施設の改善その他に対して要求した場合に、それを許容された事実が外の隊であるかどうか、その点について若しもそういうことがあつたとするならば伺いたいと思います。  尚これは小林証人にもお伺いしますが、隊長としてそういう医官の立場からの注意があつた場合に、この施設が十分じやない、どうか一つ我々の病氣を防ぐためにも施設を直して貰いたい、或いは設備を新たに増設して貰いたいというようなことを懇願した場合に、蒙古側においてそれを許容した事実があるかどうか、その点をお二人から伺いたいと思います。
  377. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私の一時おりましたガンドン收容所におきましては、所長が非常に理解のある方でして、いろいろ衞生的な見地或いは寒さに向うために暖房の装置、そういつたことに対して意見を具申いたしますと、必ずそれを実行に移すように努力はしておりました。それから糧秣のことに関しましても、非常に所長の氣の毒がりまして、いろいろな方法を以て糧秣を手に入れる、例えば駱駝を一頭買つて來て、ウランバートルの市内においては屠殺は許可されておりませんのですけれども、夜中に駱駝を一頭、所長命令で殺して日本人に食べさす、そういつた理解のある所長でありました。
  378. 岡元義人

    岡元理事 小林証人証言を求めます。
  379. 小林太郎

    小林証人 作業場收容所二つに分けて申上げます。作業場は当時の状況においてでき得る限りの厚生施設をして呉れたものと感謝しております。例は、その間六キロ容くので大変だ、そこで温かいときには共産党大学の一部の校舎を改築して呉れまして、そこで起居するように便宜を計らつて呉れました。野外の入浴場、洗濯場、炊事場、当時のこととしてはできるだけやつて下さつたことと感謝しております。收容所の方はそれに比較しますと、低調でございますが、少しはやつて呉れました。入浴場を作つて呉れました。乾熱滅菌所を作つて呉れました。炊事もでき得る限りの施設はして呉れましたが、作業場程はやつて呉れませんでした。
  380. 千田正

    千田正君 吉村隊收容所の中には、いわゆる清心寮という営倉のようなものがあるのでありますが、あなたの隊にもそうしたようなものがあつたかどうか、同時に又先程高橋証人が言う通り医宮の立場から、衞生上の見地から改造を要求し、或いは施設を要求した場合において、当然或る場合においては、なされておつたけれども、吉村隊においてはそういうことをなされておらない。そういうことは隊長がそういうことを蒙古側に要求してなされなかつた場合と、蒙古側においてこの管轄しておるところの向う側の係官に日本人に対する同情がなかつたためにできなかつたのか、或いは吉村隊が特にそういうことに留意して蒙古側に対して、申出なかつたためになされなかつたのと、この二つのいずれかだろうと思いますが、あなたの立場からはどういうふうに考えられますか。
  381. 小林太郎

    小林証人 営倉は設けられませんでした。從つてそういう処罰をしたことはございません。それから厚生施設の方は何と申しましても、優秀な成績を取つたこの実力が物を言つたものと考えます。よく働くんだから可愛がつて呉れと、こういう調子で参りました。
  382. 北條秀一

    ○北條秀一君 小林証人証言を求めますけれども、先程高橋証人証言しましたが、死体を全部病院に送つて解剖に付した上で埋葬するのだというのが原則になつているそうでありますが、あなたの部隊で亡くなつた人は、その方針に基いて全部病院に送られたかどうか。
  383. 小林太郎

    小林証人 ここに表に書いてありますが、九名中三名は收容所で亡くなりました。後六名は入院後亡くなりました。收容所で三人亡くなりましたが、これは自動車が間に合わないでであります。
  384. 天田勝正

    天田勝正君 両証人に一点ずつ伺います。先ず高橋証人にお聞きします。先程向うの法によつて解剖するんである。こういうことを御証言なさつたのでありますが、その法というのは一体日本人俘虜收容所だけに適用する法なのか、蒙古人、誰にでも入院して死亡した人は盡く解剖するという法律があるのかどうか、この点を先ず伺いたい。
  385. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私のおりました所では、蒙古人もやはり解剖をしたようであります。そういうふうな規則は見たことはありませんけれども、規則があるということを蒙古人も言つておりました。日本人ばかりでなく、蒙古人も必ず解剖に付すということが原則のようであります。
  386. 天田勝正

    天田勝正君 では次に小林証人に伺いますが、あなたは隊長として相当他の一般の人よりも自由な立場に置かれておつたと考える。從つて今高橋証人証言を求めたような点についても、各隊の比較ができようと思う。そこでその点について、それらの事実があつたかどうか、蒙古人にも必ず解剖しておつたかどうか。こういうことをあなたが御存じでしたら御証言願います。
  387. 小林太郎

    小林証人 捕虜が死んだ場合に、全部解剖に付せられるのは、私の隊もその通りであります。それから一般蒙古人が云々……、これは私の実例を申上げます。結局解剖しない実例を知つております。蒙古側の監督の細君が肺結核で入院いたしまして死亡いたしました。それを私の隊の兵隊がトラツクでウランバートルの郊外に運びまして風葬と申しますか、風葬をいたしました。
  388. 天田勝正

    天田勝正君 もう一点小林証人に伺いますが、日本人は一應のノルマを與えられると、これを一生懸命働く、そのために八時間かかるべきノルマが四時間が済んでしまう。こういう場合には、更にノルマをどんどん増される。こういうことがいろいろな文書で言われているわけでありますが、そうした事実がありましたかどうか。
  389. 小林太郎

    小林証人 私の隊にはございません。が、他の隊ではそういう噂は聞きました。私の隊の実情を申しますと、どうも兵隊さんはパッパッパとやつて早く帰りたいという心理が強いので、指導上非常に困りました。五時に終るべきものを四時頃に終つてしまう。それによつて結局今のお話のようなノルマを上げられる虞れがありますので、ゆつくり絶えず働くということは、この二年間を通じで、指揮官として一番苦労した点でございます。
  390. 千田正

    千田正君 小林証人に伺いますが、あなたの隊では、蒙古側からの註文によつて、兵が写眞機若しくは時計のようなものを持つておるのだが、それを呉れないか。讓つて貰いたいというようなことを蒙古側の將校、若しくは監視兵その他の者から要求されたことがありますかどうか。同時に又他の隊で蒙古側からそういう要求の下にそうしたものを提供させられたというようなことを聞き及んだことがあるかどうか、その点を伺いたいと思います。
  391. 小林太郎

    小林証人 写眞機は欲しがりませんでした。時計は非常に欲しがります。從つて時計を呉れ、賣つて呉れということを私も言われたこともあります。各隊も同じではないかと思います。が、はつきり知りません。
  392. 千田正

    千田正君 そういう場合に、要求された場合に、大体金で向うは買取るわけでありますか、それとも或る場合には拒絶するようなことがあつた場合には、没收するというような方法で取られますかどうか。大体の場合は金で讓つて呉れというのでありますか、それとも隊長自身が金でも立替えて拂つて兵からそれを讓り受けて。向うの要求を満してやるような方法を取つておりますかどうか。その点あなたの場合はどうでありましたか。
  393. 小林太郎

    小林証人 満洲におりますときには、ソ軍から取られました例が多くあります。蒙古では取られた例はなかつたように思います。その代り金を貰つたり、それから食物を貰つたり、そういうふうにしておりました。
  394. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと各委員に進行上のことについて申上げます。尚関連しながら質問を願うことにいたしまして、永井証人の出席を求めたいと思うのでありますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  395. 岡元義人

    岡元理事 では永井証人の出席を求めます。
  396. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 高橋証人に伺いますが、先程吉村部隊で送られた人の死亡者は、他の部隊よりひどかつたというような証言がなされましたが、それをもう少し具体的に述ベて頂きたいのです。
  397. 高橋俊哉

    ○高橋証人 吉村隊から運ばれました死体の数は大体私は四十体と記憶しております。そのうち半数近くは栄養失調症をかねた凍死体であるように思うております。凍死というのは現場を見なければ非常に判断がつけにくいものでありまして、僅かに肺の鬱血、それから心臓の充血、そういうようなことしかありませんので、非常につけにくく、特に三名についてのみ凍死という診断書を書きましたのでありますが、その外にも大体四十名の半数、二十体は中等度の栄養失調症をかねた凍死であつて、外に何ら死亡するような原因が認められなかつたというものでありました。それからその外に例えば紀伊総太郎という方の死体がありました。これは吉村隊から運ばれたもので、昨日まで作業に從事していた者が急に作業場で亡くなられた。それで死体を病院に持つて來て見て呉れと言つたことで、解剖いたしました結果、片肺はすでに十日を経ておるクルツプ性の肺炎でありまして、膿胸まで併発している、片一方は初期の肺炎を併発しているといつた患者でありまして、医学的にも迚も労働に從事することのできないという状態の変化でありました。その外埋沒して窒息したと判断されるのが一体、それから。
  398. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと今の数字をもう一回言つて下さい。一体ですか。
  399. 高橋俊哉

    ○高橋証人 埋沒して窒息されて亡くなられたと思われるのが一体……
  400. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 生埋めですね。
  401. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうです。その他にクルツプ性肺炎が数体、それから肺結核、或いは粟粒結核、それから先程申上げました打撲による死体、そういつたものであります。
  402. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 高橋証人にお尋ねしますが、先程言われました打撲による、鈍器による打撲症の結果死んだというような診断を下されておりますが、その鈍器というものは、どういうものであるかどうかということがお分りであるならば、御証言を頂きたいと思います。それからもう一つはそうした死因不明についての究明と言いましようか、そういう観察をされましたかどうか、この二点を一つ……
  403. 高橋俊哉

    ○高橋証人 もう一度おつしやつて下さい。
  404. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 鈍器によつて……
  405. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは分りました。
  406. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから後は、そういうような問題に対して、これは医者の立場で、あるかないか知りませんけれども、一應そういうようなことで死んだということになると、その死因を究明する意味において、これを隊に知らせる。その点を一つ究明して呉れ、或いはこの点を調査して呉れというような措置を取られたことがあるか。
  407. 高橋俊哉

    ○高橋証人 先ず最初の鈍器による切創、これは私の想像ではスコツプとか、或いは鉈、こういつたものであると想像いたします。それからその死因についての究明、これは收容所との連絡が非常に不十分であつて日本人側ではどうしようもないといつた状態で、ウランバートルから約三里離れておりまして、退院患者もどこの收容所に行くか分らないという状態でありまして、大体新らしく入つて來る患者からの噂に過ぎませんでした。
  408. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 今スコップとか、そういうものと言いますが、それは頭部に一ケ所ですか。二ケ所ですか。
  409. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは一ケ所であります。
  410. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その人名は菊池七郎でございますね。
  411. 高橋俊哉

    ○高橋証人 菊池七郎でございます。
  412. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから一名と先言われておりましたが、その一名は分りませんか。
  413. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは全然記憶ありませんが……
  414. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 一名は記憶はないのでございますね。
  415. 高橋俊哉

    ○高橋証人 名前については全然記憶がありません。
  416. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると死因は解剖の結果は……
  417. 高橋俊哉

    ○高橋証人 頭蓋底骨折が主なる死因であつたと記憶しております。
  418. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 これも打撲によるのですか。
  419. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは何とも申上げられません。頭蓋底骨折だけでも当時の屍体の中から七名内外あつたと記憶しております。或いは自動車から落ちたり、或いは天井の梁が壊われてその下敷になつたり、そういつたこともありますので、全然推定がつきません。
  420. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうしますと、今の菊池七郎の死因は分りましたが、併しその人間がどういうふうな働きをしておつたか。どういうふうな場所に労働をしておつたかというような点については、あなたは御存知なかつたですか。
  421. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは当時殆んど吉村隊の死体は、ここにおられます永井さんが、大体馬車に積んで持つて來られたのが普通であります。併しその死体は……違いました。トラックに積んで死体を持つて來たのは、紀伊惣太郎の方であります。菊池君の死体はどうして運ばれたかは今記憶にありません。
  422. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その職場はどういうふうな、例えば石切場ならば石切場というように、どういう職場にあつたということをあなたは知つておりますか。
  423. 高橋俊哉

    ○高橋証人 患者の噂では石切場において怪我をした。斬られたというふうに聞いております。
  424. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 総括的でよいのですけれども、先程吉村隊から四十個死体が運ばれて來た。そうしますというと、これは多くは肺結核、肺の病であるとか、或いは栄養失調、凍傷ということになつておりますが、そういうふうな例えば曉に祈るとか、祈らんとかいう面、そういうような面なり、石切場なり、そういつたような面で以て、窮極あとはまあ今の石切場の一人、他に名前の分らんものが一人、そういうものが直接の原因で死んだということがあるのですか。ないのですか。
  425. 高橋俊哉

    ○高橋証人 外の收容所ですか。
  426. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 吉村隊です。吉村隊から運ばれて來た四十近い死体は、一体死因は肺の病であるとか、或いは栄養失調であるとか、或いは凍傷であるとかいうことを言われましたが、その打撲によるとか、或いはそういうふうな処刑されたことによつて死んだというものはどういうふうになりましようか。
  427. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは病院におきましては死亡状況が判明しませんために、ただ解剖した上の表面的なものにのみ止まつて、病名はそのような病名を使つております。
  428. 天田勝正

    天田勝正君 議事進行について……すでに永井証人も見えておられます。この証言を求められまして、それに関連したことは又高橋証人小林証人証言を求めることにいたしまして、この程度で議事の進行をするようにされんことを望みます。
  429. 岡元義人

    岡元理事 只今の天田委員の御発言異議ございませんか。    〔「異議なしと」呼ぶ者あり〕
  430. 岡元義人

    岡元理事 それでは永井証人委員長から簡單証言を求めて置きたいと思いますが、永井証人は承徳の民團関係の方だと承つておるのでありますが、その民團から吉村隊に編入されると申しますか、吉村隊の隊に合流いたしまして、ウランバートルに入られまして、その後永井証人吉村隊でどういうような立場に置かれておつたか。尚石切現場等には常に行つておられたと承つておるのですが、そういう点も併せてこの際途中の間は極く簡單に、要点だけで結構でありますが、吉村隊におれるところの問題についてはできるだけ詳細に述べて頂くように証言を求めます。永井証人
  431. 永井正

    証人(永井正君) 私承徳におきまして、民團の副團長を終戰後つておりました。副團長として日本軍部隊本部に連絡に行つたとき、すでに日本軍部隊はソ・蒙車に包囲されておつて、その包囲線を突破して部隊内に入り、部隊長と連絡を済まして出て來るときに捕まつてしまいました。私一人眞先に捕まりまして、そのまま捕虜生活に入つたのでありますが、その後民團は全部軍隊とみなすというわけで、約五個大隊に部隊が分れた。五個大隊に民團が分散して配置されたのであります。そうして約一ケ月かかつて承徳より外蒙に入つたのでありますが、外蒙に入つた当時は鰐淵隊に属しておりました。鰐淵隊という隊に一ケ月程属しておりまして、その後吉村隊に轉属したのであります。吉村隊に入りましたのは十二月の初旬だと思います。
  432. 岡元義人

    岡元理事 十二月というと二十年の……
  433. 永井正

    ○永井証人 昭和二十年の十二月初旬であります。吉村隊に入りましてから、私は羊毛工場に働いておりました。約五ケ月働いておりまして、徹底的に健康を害しましたので、暫く休まして頂きまして、やや健康が回復しましてから、收容所の清掃班、掃除をする班に編入されたのであります。約八ケ月ぐらいその方の勧務をしておりまして、健康も更に回復しましたので、その後建築作業に從事いたしました。帰還まで建築の主として最も單純な労働の方に從事しておりました。お尋ねの石切作業場にたびたび行つたというお話がありましたが、……石切作業が始まつた頃一週間程自分も一隊員として勤務したことがありますが、その後は石切作業現場に行つたことはないのであります。
  434. 岡元義人

    岡元理事 いろいろ各委員から御質問があるかと思いますが、尚一点だけ委員長から参考に承つて置きたいと思うことがあるのであります。それは永井証人はすでに御承知かと思いますが、現在出ておりますところの一部の刊行物の中に、永井証人は承徳でいろいろ事件を起しているというようなことを御覽になつたことがありますか。永井証人
  435. 永井正

    ○永井証人 ございません。
  436. 岡元義人

    岡元理事 まだ見ておられませんか。
  437. 永井正

    ○永井証人 見ておりません。
  438. 岡元義人

    岡元理事 内容は、混乱の中に殺人を犯して、そうして宝石を盗み出しているという工合にあの刊行物には書いてあります。そういうものを一回も今まで御覽になりませんか。
  439. 永井正

    ○永井証人 そうした刊行物を見たこともなければ、又そんなことを全然関與……。初めてここで承るようなことです。
  440. 岡元義人

    岡元理事 分りました。
  441. 天田勝正

    天田勝正君 順を追うて五、六項目をお聞きしたいと思います。先ず他の刊行物によりますると、あなたは吉村隊長の参謀として陰惨な刑罰を発明し、中國人と結託して兵隊を規定外の作業に狩り立て云々、或いは又あなたは收容所で先生と呼ばれておつた吉村隊長からも一目置かれておつて、他の兵隊はあなたにかかつては活殺自在なんだと、こういうことも言われております。又あなたは老の身の労働を回避するために吉村の收容所組織立てて、收益を沢山挙げ、贊沢するために熱河にいた時分憲兵と、それから協和会の事務長というあなたの立場との関係によつてうまく結んだと、まあいろいろございますが、更に又過日の証人喚問の際に、吉村隊長自身があなたを酒井氏、原田氏等と共に顧問にしておつたと、こういうことを述べておるのであります。そこであなたは吉村隊におけるところの一体立場、地位というものはどういう立場におられたか。今例を挙げて申しました先生と言われるような立場におられたのかどうか。又池田隊長からいろいろな相談を受けたと思つております。これは一週間に一回くらい幹部会議をやつたというのは、他の証人も言うております。そこでこういう相談を受けてどういうような進言をされたのか。この点につきましていろいろと詳わしく御証言願いたいと存じます。先ずこれをお聽きします。
  442. 永井正

    ○永井証人 今のお尋ね、もう少し分けて尋ねて頂きたいと思いますが……
  443. 岡元義人

    岡元理事 じや天田委員、もう少し区別して御質問をお願いします。
  444. 天田勝正

    天田勝正君 では一つ々々お聞きしましよう。あなたは吉村隊において先生と言われておつて吉村隊長からも一目置かれるという立場にあつたと、この先生と呼ばれるような立場にあつたということは事実でありますかどうか。これから伺います。
  445. 永井正

    ○永井証人 承徳におります頃から私の職場、協和会関係においてのみでなく、多くの人から先生と呼ばれておつたのでありまして、それから汽車の輸送中主として滿軍に入つてつたところの日本人日系滿洲軍隊一緒であつたのでありますが、この人達もどういうわけか私のことを先生と呼んだのでありまして、先生という呼称がずつと承徳時代から蒙古へ続きまして、吉村隊長も初対面のときから私を先生と呼んでおつたのであります。敢て向うへ行つてからそうした呼称が出たのじやないのであります。  次に吉村隊長が私に対して一目置いておつたと言いますが、その点申上げます。私、最初羊毛工場に勤務しておりましたが、蒙古側では民團と軍隊の区別を問わず、老若の区別を問わず、普通の人間ならば一定のノルマを果せという命令なんであります。自分は、こうした余り頑健でない肉体を以て一定のノルマを遂行するためには余程の覚悟を要する、むしろ死んでもいい、人間の力というものはどこまであるか、こうした場合に試して見るのも一つの試練ではないかと思いまして、若い者に負けずに働いて働き抜いたのであります。幸いにして病氣にはなりませんでしたけれども、日に日に衰弱しまして、全く骸骨のごとくなつてしまつたのであります。併しながら、はつきりした病氣がなければ仕事を休むことはできず、更に外傷がなければ休む証明を與えて呉れない、死を睹して働き抜こう、場合によつては死んでもよろしい、いやいや働いてもどうせ死ぬならば、むしろ進んで働くことによつて、働き抜いて見ようという決心で働いた結果、病氣にはならないが物に触れれば倒れるという状態までなつたのであります。つまづけば倒れる、多くの友人連中は非常に心配しまして、軍医なり、隊長なりに申出て休んだらどうか、併し自分としては余り人に頭を下げるのを好まん性質でありますし、又本当な病氣で休めない人もある状況において、たとえ痩せ衰えたりと雖も、病氣でない以上休むわけには行かない、こう言うて働いておつたのでありますが、肉体の衰弱はもはや如何ともすることがなくなつて、初めて休まして頂いたのでありますが、尚收容所生活が長く続く間に、長い飢餓生活と、精神的打撃と過激な労働のために、多く隊員というものが全く理性を失い、混乱状態に陷り、一つの修羅餓鬼道を呈して來たのでありますが、この間に処して自分が……
  446. 天田勝正

    天田勝正君 ちよつとお待ち下さい。私の質問は区分せよというので区分したのであります。先ず先生と呼ばれる程に吉村隊長から一目置かれておつたかどうか、この点を先ず簡單に御証言願いたいと思います。只今証言になつたような点は又のち程お伺いすることにいたします。
  447. 岡元義人

    岡元理事 永井証人に御注意申上げますが、いろいろあとからも各委員からの御質問もございますので、今の御質問に対して要点だけ簡單にお答え願いたいと思います。
  448. 天田勝正

    天田勝正君 先生と呼ばれておつたというのはどういうわけか。熱河省当時から、汽車の中からでも、亦ウランバートルに着いてもそうであつたということは分つたわけです。そこでそういうことに基いて、隊員は勿論吉村隊長からすら一目置かれるという立場に置かれたかどうか、この第一点を聽いておるのです。
  449. 永井正

    ○永井証人 吉村隊長は何びとに対しても相当倣慢な態度に出ておつたようでありますが、私に関してはどういうわけか、或る程度の礼をとつてつたようであります。
  450. 天田勝正

    天田勝正君 分りました。  次に收容所組織立てて、收益を沢山挙げて贅沢をするためにあなたがその一端を果した、それは熱河省当時におきまして、吉村氏が憲兵曹長であつて、あなたが和協会の事務長である、こういう関係から結び付いたと、こう物に書いてあるわけですが、こうした事実がありましたがどうか。
  451. 永井正

    ○永井証人 吉村隊長とは吉村隊に入隊して初めて面会したわけであります。それから今のようなことは全然ございません。
  452. 天田勝正

    天田勝正君 では次にどういうわけか知りませんが、一應他の人に対するようにあなたには倣慢な態度で臨まなかつた。こういうことからいたしまして、あなたは池田氏に対して何か進言した、或いは一般隊員と違つて相談を受けた、こういう事実がございますか。
  453. 永井正

    ○永井証人 入隊して間もなく、とにかくこの混乱した隊というものを纏めるためには、この隊長という者を指導して、最もよい纏まりというものを作りたいと考えたのでありますが、附き合つておるうちに、到底この隊長はものにならん、話が分る隊長ではない、そういう人間ではないと思いましたので、進言は勿論、同じ棟におりましたけれども、終いには殆んど口も利かないようになつたのであります。
  454. 天田勝正

    天田勝正君 同じ棟と言いますと、隊長の棟は吉村隊においては一般の第一、第二の兵舎と別の棟であります。そういうことからいたしますと、やはりあなたは原田通訳。酒井医官と同じように幹部として扱われたわけでありますか。いわゆる幹部として……
  455. 永井正

    ○永井証人 將校室と申しますか、將校室に老人が一人ぐらい入つてつた方がよいと思うから入つてはどうか。自分は多くの隊員、尚自分と承徳において業務を共にした隊員一緒に起居を共にしたいと申出ましたところ、是非將校室に起居して呉れ。隊長は一遍言つたことは絶対に飜えさんのが吉村隊長の性格なのであります。隊長室に、將校室に起居するようになつたのでありますが、私のような老人とそれから若い少年、未青年の少年数名が入つてつたのであります。
  456. 天田勝正

    天田勝正君 そういたしますと、一週間大抵一度開かれたと言われる、これは食堂で開かれたと言われておりますが、その幹部会に出られたということはございますか。
  457. 永井正

    ○永井証人 数回あります。
  458. 天田勝正

    天田勝正君 分りました。次にはさような立場において先程読みましたように、あなたが彼の参謀として、これは参謀としてという点だけはそうでなくなつたということは分りますが、最初は相当口を利いたろうと思います。そこで相当初めに口を利いた当時において刑罰を命じたり、中國人と結託して兵隊を規定外の作業に出されたということは、こういつたようなことはありますか。
  459. 永井正

    ○永井証人 そうしたことは全然ございません。
  460. 天田勝正

    天田勝正君 そうすると先程の幹部会議というところで例を上げればどのような御相談がなされましたか。
  461. 永井正

    ○永井証人 幹部会において相談をしたことは、私の接触した限りにおいては全然ございません。
  462. 天田勝正

    天田勝正君 そうすると、その幹部会議においてどういうことをされましたか。
  463. 永井正

    ○永井証人 幹部会議、会議というような形態ではないのであります。ただお茶を飲んだり、パンを食べたりした程度で、全然会議というような形式は吉村隊は全然やらなかつたのであります。
  464. 天田勝正

    天田勝正君 では質問を変えまして、吉村隊長作業の量とか、或いは食糧等について何とか改善したいというようなことで努力されておつたかどうか。努力というのは結局それによつて蒙古側に折衝するとか、そのようなことがあつたかどうか、あなたは少くとも將校室におられたのですから、相当吉村隊の動向というものを御存じだろうと思うので質問いたすわけであります。
  465. 永井正

    ○永井証人 吉村隊においては一定の職場における作業が終つておら更にいろいろな作業を與えられたのであります。工場から帰つて來まして、筏上げをやるとか、或いは越冬準備のための煉炭を作るとか、とにかく規定の作業が終つて後余計の作業というものをやられたのであります。これは嚴重な蒙古側の命令であつたと思います。大体において吉村隊長はその命令を唯々として受けておつたのであります。ただ一度余りに理不盡な命令だというので吉村隊長が或る工場の幹部と喧嘩しまして、殴られて帰つて來て、大声で泣いておつたのを見たことがあります。
  466. 天田勝正

    天田勝正君 では石切作業、一番ノルマがきつかつたという石切作業にあなたは出られたか。出られたならば尚詳しく分ると思いますが、若し出られないにしましても、この作業仕事の量、つまりノルマがどういうふうに変つて行き、それらの仕事に從事しておりました人達はどのような苦しみをしておつたかという点を簡單にお申述べ願いたいと思います。
  467. 永井正

    ○永井証人 石切作業場は地獄と呼ばれて蒙古全体の收容所から戰慄を以て恐れられておつた作業場でありますから、而も全体の石の採石量というものを命令されております。それを遂行せんがために吉村隊長は與えられたノルマ以上のノルマ隊員に下したことがあると思います。隊長監督に対して命令しておつたことを聞いた覚えがあります。例えば二立米やれといつたのではなかなか二立米できない。三立米やるということで二立米が完遂できるものであるというようなことを言うたのを聞いたことがあります。
  468. 天田勝正

    天田勝正君 あなた自身石切作業をやりましたか。
  469. 永井正

    ○永井証人 一週間ばかり初期においてやりました。
  470. 天田勝正

    天田勝正君 そのときに今のお話をお聞きになつたのですか。
  471. 永井正

    ○永井証人 それはずつとあとあとのことであります。当初の頃はそう石切りは困難じやなかつたのであります。
  472. 天田勝正

    天田勝正君 そうした吉村の言うことを聞く立場に、あなたは相当自由であつたと。こういうふうに了解していいのでありますか。あなたは石切作業にやられなくなつても、吉村隊長が現場の班長なりそうした監督者にいろいろな命令を下すということを聞いておつたとおつしやるのですから、作業に出ずして、そういうことを聞いておられる自由な立場であつたか。
  473. 永井正

    ○永井証人 將校室に沢山人がいる所で、直接言つていることを脇から聞いておつたのであります
  474. 天田勝正

    天田勝正君 次に吉村隊処罰、特に「曉に祈る」と言われている処罰でありますが、この処罰をあなたが直接見られたならば、その概況、それからそれが如何なる命令系統、つまり確かに蒙古側の命令によつてそういう処罰をやつたか、その中には吉村隊長のリンチ的なものによつてやられたものがあつたのかなかつたのか、この点を聽きたいと思います。
  475. 永井正

    ○永井証人 「曉に祈る」というのは、外に夜通し立たされたのが「曉に祈る」というのじやないかと思いますが、或いは寮の中に、留置所みたいなものの中に一晩中入れられておつたのを「曉に祈る」と言うのか、どつちか分りませんが、私が目撃しましたのは、外に立たされておつたのでは何とかいうやはり憲兵の曹長で、ちよつと名前は忘れましたけれども、これが立たされて殴られているのを見たことがあります。それから夜通し寒い留置所に入れられておつたのは、相当の数に上りますので、誰々ということはわかりませんが、相当数に上ります。
  476. 天田勝正

    天田勝正君 何十人とか何百人、そういうことは……
  477. 永井正

    ○永井証人 これも極めて莫然とした記憶ですが、四、五十人じやないかと思います。
  478. 天田勝正

    天田勝正君 ではあなたは石切作業場へ若干行かれた、こう言つているのでありますから、その現場におきまして、現場の監督者、これらが隊員に制裁その他の処罰を加えたということを現認されたことがありますかどうか。或いは現認はしないが、自分と一緒に働いておつた者に聞いたとか、或いは最後まで將校室におつたのであるからして、そうした処罰を目で見なくても確かに科したということが証明できますかどうか。
  479. 永井正

    ○永井証人 石切作業場の労働が非常に過重になつたのは、石切の終り頃の半ば以後の事実でありまして、最初の頃はそれ程凄惨な作業場ではなかつたのであります。というのは、石が沢山出ましたし、人も少なかつた関係で、條件がよかつたからでありまするが、その頃自分は一週間……四、五日かと思いましたが、出ただけでありまして、その頃はそういう状況ですから、制裁とかそうしたことは何にも起らなかつたのでありますが、あとあと非常に作業が困難になつた頃、そうした噂はよく耳にしましたけれども、現場へ行つたことはございませんから、目撃したり、確実なことは分りませんです。
  480. 天田勝正

    天田勝正君 では、あなたは將校室において、直接吉村隊長がそうした作業から遅れて帰る、つまり皆が帰るまでにノルマが上らない、そういう人が遅く帰つて來た場合に、お前はいわゆる屋外留置、つまり「曉に祈る」とか、或いは清心寮に入れるとか、こういう刑罰の申渡しをするところを聞いたことはございますか。
  481. 永井正

    ○永井証人 一、二回あると思います。
  482. 天田勝正

    天田勝正君 それらの命令は、結局蒙古側から命令されましたか。又は確かに吉村が独断でやつた、こういうふうにお考えでございますか。
  483. 永井正

    ○永井証人 その都度個々の場合において、一々命令は受けていなかつたようでありますが、全般的に事前にそうした場合にはこうした処置をしろという命令を受けておつたかどうか、それは分らないのであります。
  484. 天田勝正

    天田勝正君 質問を変えます。あなたが承徳におられまして、その民團の副團長をしておつた。この副團長当時に、そこに菊地七郎という人があられましたか、御存じでありますか。
  485. 永井正

    ○永井証人 知りません。これは終戰直後民團というものを組織しまして、数日にして收容されましたので、團員の個々の名前というものは殆んど存じないのであります。
  486. 天田勝正

    天田勝正君 では、吉村隊に入りましてから、つまりウランバートルに着かれましてから、民團から入つた菊地七郎という人がおるということは御存じでありますか。
  487. 永井正

    ○永井証人 菊地七郎という名前は記憶がないのであります。
  488. 天田勝正

    天田勝正君 では、石切作業場で制裁を受けまして、收容所に帰つた後で死んだと言われておる人がいるのですが、それは山本義明、菅野清、こう言われております。これらの人達について、あなたの知つている点を一つお述べ願いたいと思います。
  489. 永井正

    ○永井証人 個々の死亡者の死亡状況ということに対しては、殆んど記憶がないのであります。ただ函館に上陸してから……
  490. 天田勝正

    天田勝正君 ちよつと待つて下さい。今二人の名前を挙げましたが、この山本義明並びに菅野清、この二人の方を御存じですか。
  491. 永井正

    ○永井証人 両名の名前存じません。
  492. 天田勝正

    天田勝正君 では、將校室にあなたがおられて、そこへ作業場から帰つて來て間もなく死んだ、或いはその名前は知らなかつたけれども、二人の者が非常に弱り果てて今にも死にそうで帰つて來たというようなことがあつたかどうか。
  493. 永井正

    ○永井証人 將校室におると言いましても、朝から晩までおるわけではありませんから、分らんのであります。そうした場合に出会したことがないのであります。
  494. 天田勝正

    天田勝正君 私がお聞きしますのは、いつでもノルマが完遂できずして帰つて來るのであるから、相当遅い時間に違いないと、そこですでにあなた方はもうちやんと自分の宿舍に帰つておられる時分に、それらの人が帰つて來て、病氣で医者にかかるとか、そういうことが起きておる筈だと思うのです。或いは処罰を命ぜられる場合もあると、そういう工合に考えられるので、そうした事実があるかどうか、御存じであるかということを伺つておるわけです。
  495. 永井正

    ○永井証人 その二人の方に関しては知らないのでありますが、ただ能率の上らない者その他に対して清心寮に入れたというようなことはあつたのであります。
  496. 天田勝正

    天田勝正君 次に、あなたは渡辺廣太郎という今日証人に呼んでおる人を知つておりますね。
  497. 永井正

    ○永井証人 いえ、今日初めて知つたのであります。
  498. 岡元義人

    岡元理事 永井証人委員長からちよつと御注意申上げて置きたいと思うことがあるのでありますが、当委員会は四月十二、十三、十四日、各吉村隊証人の方十五名を出頭頂きまして、証言を得てあるわけであります。然るに只今の永井証人の御証言中には、例えば屋外に夜通し立たされたというような方は單に一人だけ、憲兵曹長と言われておりますから、恐らく鎌谷曹長であるかと聞いたのでありますが、一人しかおらなかつた。ところが池田隊長その人すらも、十数名立たしたということをはつきり言われておるのであります。本日のあなたの御証言は、委員会に取りまして非常に不思議に思える点が多々あるのであります。この点よく御注意の上、先程宣誓もありましたように、証言に際しましては、十分眞実を述べて頂くよう、委員長からも御注意申上げて置きます。
  499. 永井正

    ○永井証人 分りました。
  500. 千田正

    千田正君 永井証人に伺いますが、あなたは民間の方で、いわゆる軍隊の言葉で言えば地方人という民間の方でありますが、吉村隊に属しておるところの民間の人達は何名くらいおられましたかということと、そのうち死亡された方、或いは残つた人達がどれくらいあつたかということを第一点に伺います。  第二点といたしましては、他の隊、例えばここに証人に出ておるところの小林証人は、一方の隊長であられたのですが、小林隊收容所には、あなたの隊にあつたような清心寮と名を付けるような留置場或いは営倉のようなものはなかつたと、外の隊にも恐らくない隊の方が多かつたように伺つておりますが、吉村隊だけは、清心寮という留置場に類したものがあつて、そこに処罰される人達が相当長い期間入れられて、同胞が呻吟したというのは、それ程までに吉村隊の内部というものは紊乱しておつたのであるか、或いは吉村隊長それ自体が特にそうした性格の下に、多くの自分の部下をそういう所に入れなければならなかつた程の冷酷な人間であつたかどうか。この点帰つて來られてから二年、あなたが外蒙ウランバートル吉村隊に属しておられたときを振返つて見られて、その当時吉村隊長が行なつたことが先般ここにおいて殆んど吉村隊長を除いて全部が、冷酷無惨な鬼のような人間であつたという証言を與えておりますが、あなたもそのように感じているかどうか。若しああした特殊な場所において、特殊な事情の下において、吉村がああいうような態度を取らなければならなかつたと自分も思うというようにあなたが考えているならば、そういう状況についてあなたの証言を頂きたい。現在でもあなたは外の証人と同じように冷酷無惨な男であると吉村に対して思いますか。それともあの場合はああせざるを得なかつたという、何らかそこに裏附けするところの実態をあなたに証言して頂けるかどうか。この二点についてあなたから証言を頂きたいと思います。
  501. 永井正

    ○永井証人 吉村隊に入隊した民團は、最初は約八十名ぐらいであつたと思います。私は隊に編成されてから後、承徳を出発していわゆる重隊に編成されてから後は一隊員としておつたのでありまして、民團の一つの隊を組織しまして、その隊長という者は別にあつたのでありまして、私は一隊員でありました。約八十名程最初おつたのでありますが、それが常に轉属移動をしますので、よその收容所に分散して配属されましたり、又よその收容所から新らしい民間人が入つて來たりしますので、常に移動しておりましたのではつきりしたことは分らないのであります。帰つて來る頃は極めて少数になりまして、特にナホトカから乘船する頃は、私達一行は十名くらいになつてしまつたのであります。私の知つている民團の中の死亡者は四名程であります。次に吉村隊の処置に対する考え方……
  502. 岡元義人

    岡元理事 途中でちよつと注御意申上げますが、四人の名前を御存じでしたら、名前も述べて下さい。分らなければ分らないで結構であります。
  503. 千田正

    千田正君 原因は何ですか。
  504. 永井正

    ○永井証人 脳膜炎みたいなもので一人亡くなりました。それから又吉村隊に來る前に一人が卒倒して亡くなつたのであります。もう一人は石切場作業に從事しておつた人でありますが、栄養失調で亡くなつたのであります。あとの一人は記憶ございません、はつきりしたことは……  次に吉村隊長の処置でありますが、要するに一憲兵曹長として、隊というものを統率した経驗のない彼、多くの將校を出し拔いて隊長を命ぜられたために、彼としては非常な無理をやつたのであります。そうして要するに隊長としての能力がない、その能力がないのに拘わらず隊長になつたために、隊の統制をただ強い制裁によつて幸うじて統率して行こうと考えたのじやないかと思います。ふさわしくなかつたのであります。それがたまたま蒙古側から命ぜられたために非常に過重なやり方をやりました。若し彼がもう少し力量のある人物であつたならば、ああした環境においてももつとよい方法はあつたろうと思うのであります。
  505. 岡元義人

    岡元理事 着席願います。この際各委員にお諮りいたしますが、十分間だけ休憩いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  506. 千田正

    千田正君 その前にちよつと……。私の質問の中で一番最後に、あなたは今でも吉村、いわゆる池田隊長は冷酷無比の人間であつたように考えられますかどうか、世評誠に茫々として……
  507. 永井正

    ○永井証人 それはやや冷酷であり、病的であつたと思うのであります。
  508. 岡元義人

    岡元理事 それではこのままの形で十分間休憩いたします。    午後三時十六分休憩    —————・—————    午後三時三十一分開会
  509. 岡元義人

    理事岡元義人君) 休憩前に引続いて委員会を開会いたします。この際各委員にお諮りいたしたいことがございます。それは四日の委員会において十一日、十二日に人民裁判の証人喚問が決定いたしたのでありますが、その人名につきまして、お諮りいたしたいと思うのでありますが、第一に日本新聞関係者から小針延次郎証人、次に人民裁判の執行者津村謙二及び四口五郎及び松澤清勝この三名、次に人民裁判の被害者となつておりますところの増淵俊一、これは法務中尉であります。又民間人として、滿洲國の軍隊に入つてつた中村良光、後もう一名今のところ人名は判明いたしませんが、被害者側に一名追加するということにいたしまして、その次にナホトカの收容所に勤務いたしておりました病院関係の元軍医少佐阿部齊及び細川龍法、この外に人民裁判を目撃した一名といたしまして伊藤義、その次にこの委員会にもしばしば問題となつておりました、東京新聞にも採り上げられておりましたところの、帰還の船上から入水自殺したと傳えられておりますところの杉田茂の妻、及びこの杉田茂に附添つてつて参りました浦田孝之、以上十二名の証人を喚問することにいたしまして、尚十一日には、日本新聞関係と、人民裁判の執行者は翌十二日に廻すことにいたしまして、十一日には増淵俊一、中村良光、外もう一名の被害者と、ナホトカ收容所の勤務員阿部齊、細川龍法、目撃者伊藤義、竝びに杉田茂の妻と、浦田孝之を十一日から証人として喚問することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  510. 岡元義人

    岡元理事 ではさよう決定いたします。
  511. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 今委員長の言われた中に、四口五郎と言われたのは四國五郎です。
  512. 岡元義人

    岡元理事 承知いたしました。人民裁判の執行者の四口五郎と呼びましたのは、四國五郎でございますから、訂正いたして置きます。尚もう一件だけ簡單に御報告いたして置きたいと思うのでありますが、先程來当委員会で梁瀬美智子の証言について問題になつておりましたが、委員の御発言によりまして、調査いたしました結果、面白倶樂部の発行社であります光文社の責任者茂木茂氏より、右は昭和二十一年二月十三日より二月十八日にかけ、本社編集部大坪昌夫が長崎縣南松浦郡福江町梁瀬美智子君を訪ね、各問の談話を筆記、取材したものである、内容の点については少しも相違ありません。右御回答申上げます。こういう回答が廻つておりますのと、外務省側で調査した梁瀬美智子の乘つておりましたボゴダ丸には、同時に乘船いたしておりました者が二十四名あることが判明いたしております。この中滿洲から帰還したと報告しておるのは梁瀬美智子だけでありますが、梁瀬美智子の外に、水野太郎外数名が滿洲から帰還したということを申しておる点から、尚調査の必要がございますので、只今このボゴダ丸乘船帰還者の人達に対しまして、調査を続行いたしております。この点併せて御報告いたして置きます……。永井証人、高橋、小林太郎証人の出席を求めます。速記を止めて。    〔速記中止〕
  513. 岡元義人

    岡元理事 速記を始めて下さい。じや各委員から御質問がございましたら、引続きお願いいたしたいと存じます。
  514. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 永井証人にお伺いいたしたいと思いますが……、委員長、あの一問一答で高橋、小林証人にまで及びたいのですが……
  515. 岡元義人

    岡元理事 どうぞ。
  516. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 永井証人吉村隊でも年長者であり、先程の証言の中でも重んぜられておられたという方であるが、吉村隊の残虐なやり方というものは目に余る程のものでありますが、あなたはその場合將校室におられて、何故この池田隊長に御意見なさらなかつたか。それから又いろいろの事件について、余り知つておられんようなお言葉でありますが、それがちよつと解しかねるのでありますが、どういうわけでこういう残虐なることを前にして何も言われなかつたかということをお伺いしたい。
  517. 永井正

    ○永井証人 重きを置かれたというか、吉村隊長は私のことを敬遠しておつたような傾向だつたのであります。  次にこの吉村隊長という人の性格は、人から言えば余計反撥するような性格の持主なのでありまして、人の言を聞入れるような性格の持主ではないのであります。
  518. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それにいたしましても、周囲に起つた出來事というものは大変なことでしよう。そのえらい事件に対して、あなたは年長者でもあり、何回にも亘つて、一回は駄目でも二回、三回と押して行くことはできなかつたわけですか。それともそういうことをやつたのでは身が危いと思われたのですか、どうなんです。
  519. 永井正

    ○永井証人 吉村隊長收容所生活の後半期においては事実上、絶交ではないのですが、感情の疎隔を來たしておりまして、殆んど口をきき合うというような立場になかつたのであります。
  520. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 何故絶交状態になられたわけですか。
  521. 永井正

    ○永井証人 絶交という程じやございませんが、どういうわけか、彼は私を敬遠するような態度なんであります。
  522. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 敬遠したにしましても……
  523. 永井正

    ○永井証人 それで一つには、私が媚びといいますか、そうしたよく隊長に対して多くの人が要領よく付き合いますが、私はそれを全然やりませんので、彼も敬遠し、私も彼の人格、知性というものを漸次知るに従つて、彼と疎隔しましたし、又さつき申しました通り、言えば言うほど感情が激して、人の言に反対の方向に行動するというような性格があつたのであります。それ故に敢て忠告、諫言というようなこともしなかつたのであります。
  524. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 併し何でしよう。人情から言うても、正義感から言うても、どうも堪えられた状態であつたことは、過日の証言ではつきりしておるのでありますが、あなたが、そういう場合にも拘わらず辛棒なさつたということについては、身でも危なかつたのでありますか。
  525. 永井正

    ○永井証人 先生とは呼ばれましたが、一隊員でありまして……
  526. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 いや、それならばそれでよろしうございます。
  527. 岡元義人

    岡元理事 細川委員に申上げます。大きな声で願います。
  528. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 大きいつもりですが……。それからあなたは先程からの質問に対して、大抵はお分りだろうと思うことが、見なかつたとか、聞かなかつたとか言われるので、委員長も先程注意なさつたことですが、私等にもどうも解しかねるのですがね。隊員としてばかりでなしに、將校室におつて、どつちかというと、他の者よりも隊長及びその身辺とは親しくして生活されたらしいですがね。尤も記憶が、その当時の記憶が薄らいだと言われるならば別ですけれども、見たり、聞いたりなさつた筈であると思うのですがね。
  529. 永井正

    ○永井証人 事実曖昧なことは申上げられませんので、知つとる通り申上げておるのであります。
  530. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それからあなたのさつきの証言の中で、吉村隊の中が大部紊乱しておると言われたが、それはどういうことですか。隊長はひどい制裁を加えて兎も角も治めておつた、最後まで治めておつたが、紊乱しておるということは、どういうことですか。
  531. 永井正

    ○永井証人 他の隊と比較したわけではありませんが、例えば蒙古側の命令というよりは、隊内の規律とか、或いは隊長命令というようなものに違反した者に対して、相当医嚴重な処分をしたのであります。例えば「しらみ」が大分殖えているから「しらみ」を取れ、一匹でもおつたなら減食する。或いは非常な不衛生に陷つたために、收容所内の、若し自分の席の前が余りに汚くよごした場合は処分する。場合によつては処分したこともあります。
  532. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 紊乱しておつたというのはそんなことですか。「しらみ」が起つたとか、ああいう程度のことですか。
  533. 永井正

    ○永井証人 盗み、泥棒、これは極めて横行しておつたわけです。お互の日本人同志の泥棒ですな。
  534. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 先日の証言では、隊長自身も兵隊に命じて物を盗らした。それ程になつてつたということを聞いておりますが。
  535. 永井正

    ○永井証人 この蒙古側から物を盗つて來るのと、日本人同志の者の奪い合い、取合い、蒙古側から物を盗つて來ることは、誰も大目に見ております。蒙古側に知られない限り内々に済しておつたわけです。
  536. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたに伺いますが、ソ連領では民主主義運動というようなものが起きて、旧將校を追拂つて、兵隊で一切をやつて行く、民主主義的にやつて行くというような運動が起きておつたが、吉村隊ではそういうようなことはなかつたのですか、あつたのですか、そういう兆があつたのですか、なかつたのですか。
  537. 永井正

    ○永井証人 そういう兆は全然ありませんでした。ただ吉村隊ばかりでなく、外蒙全体……
  538. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それですから先程あなたが、決死の覚悟で働き抜くということを覚悟なさつたというが、そういうことは株に自分自身がやられたばかりでなしに、それを他の兵隊諸君にも進められたわけですか、一人でやられたのですか。
  539. 永井正

    ○永井証人 自分一人でやつたわけです。
  540. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それからこの間の証言にも出ているんですが、吉村隊長は相当兵隊に稼がして、そうして賛沢もし、蒙古の監督將校にも取入つた。というようなことでありますが、あなたはそれについて何か御存じのこと、或いは聞かれたことはありませんか。
  541. 永井正

    ○永井証人 その当時、收容所当時から吉村隊長が金銭をごまかしておるというような風評は大分立つておりました。そして或る收容所長が、吉村隊長に強要して金を大分奪つた。それが蒙古側の裁判によつて相手が、処罰されたということがあります。それから非常に物慾が強いような人物でありました。
  542. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それについては何か証拠になることがありますか、実際の例がありますか。
  543. 永井正

    ○永井証人 兵隊がよい物を持つておるとよく割愛を要求したようなことがあつたと思います。
  544. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それでは永井証人についての質問を一應打切りまして、小林証人にお伺いします。あなたは先程蒙古側が、日本の兵隊に対して懲罰を加えるような氣持があつたと、仕事を課するにしてもそういう意図を持つてつたように言われたが、事実はどうなんですか、実際それはどういうことによつて、そういうことをお考えになつたのですか。
  545. 小林太郎

    小林証人 蒙古の兵が作業に関與いたしますのは收容所関係仕事であります。作業場の方は警戒に任ずるだけでありまして、從いましてさつきの私が申上げましたのは收容所の面であります。收容所で申しますと患者が残つておりますその患者を使いまして塵捨を作るとか、收容所内の施設をいたします。そういうときに歩哨が銃劍で追つかけまして非常に督励するのであります。これは無智のいたすところで、そういう例でございます。
  546. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それで吉村隊にもあつたことですが、初めはお互いに感情の疎通が行かないものだから何かいざこざがあつたようですが、それはだんだんなくなつたようですが、それはどこかに……蒙古側に責任があつたのか、こつち側にもものが分らないから態度が悪かつたのか、両方からいつておる場合もあるのでしよう。
  547. 小林太郎

    小林証人 両方からもございます。
  548. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 両方から……
  549. 小林太郎

    小林証人 はあ。
  550. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それはずつと続きましたか。
  551. 小林太郎

    小林証人 ずつとは続きません。
  552. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 初めのうちですか。
  553. 小林太郎

    小林証人 初めのうちも終りもございませんで、歩哨の兵隊が変りますから、いい兵隊が來ればいいし、悪いのが來れば悪い、こういう恰好です。
  554. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたの午前中の証言で蒙古側が收容所内衛生設備だとか何かに努めてくれたとか、作業場の設備、風呂場を建ててくれたり相当積極的にやつてくれたような話でありますから、蒙古政府側が日本の兵隊に対して特に懲罰するとか、恨みを持つておるとか、そういうように見るのには言葉が合わないのでありますが、そのあたりはどうですか。
  555. 小林太郎

    小林証人 上層部は大体正当な取扱をし、且つそれによつて能率を上げよう、こういう着眼はあつたようであります。ただし我々と直接交渉があります歩哨士官というようなところは程度が低うございまして、いろいろと苦労する面がございますが……
  556. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そうすると蒙古人或いは蒙古政府は特に日本軍隊に対して恨みを持つたとか報復手段に出ようとしたとか、それ程ではないということになりますね。
  557. 小林太郎

    小林証人 分りました。訂正いたします。
  558. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それからあなたの先程の証言で、日本軍隊日本軍隊組織でおつてくれと蒙古側は言うた、そういう話でありまして、日本軍隊秩序を維持することに盡力したというようなことになりますが、そうなんですか。
  559. 小林太郎

    小林証人 お前らは今までの組織で行け、こういうふうに申しました。
  560. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 先程の証言の中には民主運動も起らなかつたということでありますから、やはりその組織で、一切やつて行けということと解していいのですね。
  561. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  562. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 ぢやよろしうございます。  今度は高橋証人に一言、先程からの御証言で大体はつきりしたように思うのですが、もう少しお聞きしたい。少しダブるかも知れませんが、吉村隊からあなたの勤められた病院へ三百人程の人達が送られて入つた。みんな重態であつたと言われたが、どんな重態なんですか。外科的なものが多かつたのか、内科的なものが多かつたのか、それについて……
  563. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私は内科の方を、傳染病の方を受持つておりましたので、比較的内科関係を受持つて來た関係もありましたが、全般的に見まして外科患者よりも内科患者が多かつた。その病名も大体肺結核が多かつたように記憶しております。
  564. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたが発表なさつたという新聞記事では、反対に外科の者が多かつたというように述べられておりましたが、これは間違いですね。
  565. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは新聞では一部ちよつと私の言い方、説明の仕方が拙かつた点もあつたと思いますが、間違いが載つております。
  566. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから患者には病歴を附けた書きものが吉村隊からは附いて來なかつたという場合が多いと、これは際立つて他の隊の場合と比較して多いのでありますか。
  567. 高橋俊哉

    ○高橋証人 吉村隊からは附いて……病名を附けて入院さしたというのは殆んど例外に属するくらいで、殆んど名前だけ何とか連絡を取つて、名前だけは分るといつた程度の患者が殆んどであつたのです。
  568. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは入院ですね。
  569. 高橋俊哉

    ○高橋証人 死亡後の。
  570. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 入院の場合はどうですか。
  571. 高橋俊哉

    ○高橋証人 入院の場合は、入院しましたときに病院の方で必ず部隊名その他を調べます。併し病名の方は殆んど附いておらなかつたと思います。
  572. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 お医者さんとしてのあなたの考えでは、そういうことはですね、吉村隊のお医者さんという者はどういうように思われたですか。或いは怠慢でそうやつておるのか、そういう手続が取れないような状態であつたか、それについて何かお考えになつたことがありますか。
  573. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは考えましたけれども、一度もお目に掛りませんし、どういつた状況か分りませんので。
  574. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 で、どう推察なさつておるか。
  575. 高橋俊哉

    ○高橋証人 一部は相当に、こう医者の無責任な点があると私は、感じております。
  576. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから約四十箇の死体ですね、その半分は凍死であると先程述べられたが、凍死という場合は、それはどういうようなことから凍死になつたと、医者の立場からして推測なさつたことがありませんか。
  577. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これは現場を見ておりませんために、凍死の推定でありますけれども、凍死の、先程申上げましたけれども、凍死の病型として肺の充血、或いは心臓の大動脈の充血、そういつた程度の病型があるだけで、殆んど法医学的にも病型がないというのが普通であります。
  578. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたの推測では、こう言うことはできませんか。戸外で凍死になつたか、屋内で凍死になつたか、そのあたりのことは。
  579. 高橋俊哉

    ○高橋証人 その判断は、全然付いておりません。
  580. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 付きませんか。
  581. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。
  582. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから入院した三百人の中、五十人なり百人が死んだとおつしやつたようでありますが、それはどういうあれですか、病氣ですか。先程御説明あつたかもしれませんが。
  583. 高橋俊哉

    ○高橋証人 大体に肺結核が殆んど七八割は占めておつたと思いますが、その他についてはちよつと記憶がありませんが。
  584. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その肺結核はどういうわけで、例えば栄養失調が元になつたとか、何が元になつたとか、その原因は分りませんか。
  585. 高橋俊哉

    ○高橋証人 肺結核の方が主で栄養失調に陷つた、これは医学的でないかもしれませんけれども、過労のため。
  586. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そうすると過労のため肺を冒されたということからの判断ですね。
  587. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。
  588. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それからですね。この吉村隊以外の收容所には、病室というものは普通附いておつたのですか。
  589. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私の経驗から申しますと、必ず收容所を造つた、移轉した場合、一室を頂いてそれを病室として、或いは軽い患者はそこで治療する。重い患者で入院できない場合は、入院のできるまでそこへ置いて治療する、こういうような方法を採つております。
  590. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 吉村隊ではその病室がなかつたという証言をこの間言つておるのですがね、そうすると吉村隊というものは特別に病人の扱いについて怠慢だつたということになるわけですね。
  591. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうです。
  592. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それだけで終りましよう。
  593. 北條秀一

    ○北條秀一君 議事進行について。次の証人を呼ぶことの動議を出します。    〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  594. 岡元義人

    岡元理事 それでは渡邊証人を出席させることにいたします。
  595. 北條秀一

    ○北條秀一君 その間に永井証人及び高橋証人証言を求めたいと考えます。永井証人に三点証言を求めます。  第一は、吉村隊長は年齢から言いましても、或いはその他の点から言いましても、永井証人よりは遥かに能力的にも劣つておるのじやないかと、私は少し言い過ぎかも知れませんが、そう考えるのですが、その吉村隊長隊長としてある間に、而も大勢の隊員がおつた。七百人の隊員がおつた。その七百人の隊員が、僅か一人の隊長並びにそれを取巻く数人の参謀格がおつたかと思いますが、その吉村隊長の権威の下に、何人もこれに反抗するようなことなしに、その権威に屈したか、これについて永井証人の考えをお聽きしたい。
  596. 永井正

    ○永井証人 殆んど全部の隊員という者は、内心反感を持つてつたのであります。併し彼の処罰を恐れて、表面服しておつたと思います。
  597. 北條秀一

    ○北條秀一君 実は私は何故そういう質問をしたかについて、多少ここに補足的な説明をしたいと思いますが、昭和二十年の十一月の二十六日に、私のおりました奉天では戰慄すべき事件が起きたのであります。それは奉天におりました四十人ばかりの青年達が、戰後のあの混乱した思想の中にあつて、遂に意を決して決死隊を作つて、警察局と軍の司令部を手榴彈と拳銃を以て襲撃した事件があります。そうしてその四十何人の青年隊は刑を受けて、ソ連に送られたのでありますが、それは極めて悪い例であります。併し少くとも同じような境遇の人々が数百人おれば、その中から必ず勇氣を持つて吉村隊長の打倒にかかつたのじやないかというふうに私は考えるのでありますが、そういうふうな計画は全然なかつたというふうに今まで私共は証言を受けておるのでありますが、そういうふうな運動は永井証人の見たところでは、全然なかつたでしようか。
  598. 永井正

    ○永井証人 彼は蒙古側から不思議に非常な信頼を受けておりました。不思議な程の信頼を受けておつたので、それで聊かもそうした動きが見られなかつたのであります。
  599. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではお伺いしますが、そうした蒙古側の吉村隊長に対する信頼の度が非常に強いということが一般隊員に分つてつて、從つて吉村隊長の権威に屈したのでなしに、蒙古側の権威にすべての隊員が屈したということでありますか。
  600. 永井正

    ○永井証人 吉村の背後にある蒙古側の権威、その蒙古側から絶対の信頼をされている吉村、これに対して手の出す術がなかつたのであります。
  601. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは次の点を質問いたしますが、永井証人がその後日本に帰られて、特に今回証人に呼ばれたのであります。その間吉村事件に各種の報道、或いは新聞等を御覽になつたと思いますが、具体的に申せば、一番よいのでありますけれども、これらの記事、報道等を御覽になりまして、誇張があると思われますか。
  602. 永井正

    ○永井証人 実は余り読んでいないのであります。詳しくは……。ときどき読むだけであります。併し記事によつては誇張もあり、事実もあるというふうに考えます。
  603. 北條秀一

    ○北條秀一君 もう一つお伺いいたしますが、四月の初めに「週間朝日」の週間放言の中では、吉村という人間は日本の社会には存在を許されないような人間だ、これは葬るべきだというような放言がされているのですが、永井証人吉村隊長に対して、日本に帰つてから後、現在の心境から言つてあなたのお考えを聞かして頂きたいと思います。
  604. 永井正

    ○永井証人 非常な実行力は持つておりますが、人格的に見て、或いは道義的に見て、或いは知性的に見て非常なる反省を促す必要が絶対あると思います。
  605. 北條秀一

    ○北條秀一君 永井証人のはこれで終ります。
  606. 岡元義人

    岡元理事 着席を願います。
  607. 北條秀一

    ○北條秀一君 高橋証人にお伺いいたしますが、あなたの病院での事情はよく分りましたが、この一点、捕虜病院におけるところの捕虜に対する給與、食事でございますね。食事は一体どういうふうな基準で支給されておつたか分つている範囲を全部述べて頂きたい。
  608. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私は昭和二十一年の九月から帰るまで病院の糧秣の担当をしておりました。そうして毎日病院の一日のカロリー表、重傷患者のカロリー、或いは軽傷患者、そういつたカロリー表を作つて院長に毎日提出しておりました。蒙古側で決められた病院のカロリーというのは、大体三千カロリーであります。ところが実際に我々の手に渡る食糧というのは如何に蒙古側に交渉しても、そのノルマは殆んど入らなかつたという状態でありまして、ひどいときには病院のカロリーで千カロリーを切れます。そうしてこういつた食事を食べてどうして日本人が回復することができますか、院長に再三頼んだのでありますが、なかなか思うように手に入らなかつたというような状態でありまして、多いときでも二千二、三百カロリー、ひどいときには千カロリーを切れた日もたまにはありました。主な食糧は大体主食として米、小豆、大豆、高粱、じやがいも、キヤベツ、それから馬の肉、それから砂糖、茶、そういつたものでありましたが、一例を採つて申上げますれば、馬の肉といつても病院に持つて來る馬の肉は馬の頭と馬の脚だけを持つて來て、殆んど肉らしい肉を持つて來ることがない。骨の重量を入れて計算するために非常に実際の食べる量、或いはカロリーの量は非常に少いのであります。そういつたのは除外して計算いたしまして、実際のところ平均しても千六、七百カロリーといつたところでございます。
  609. 北條秀一

    ○北條秀一君 馬の頭と脚という話がありますが、馬の脚の骨は相当な養分があることは御承知だと思います。骨をたいてそのエッキスを出すということはありましたか。
  610. 高橋俊哉

    ○高橋証人 勿論馬の頭の骨も全部たいてエッキスを攝りました。
  611. 北條秀一

    ○北條秀一君 病院の給與の中に煙草の話がありましたが、兵は五グラム、將校は十グラムの煙草の配給があつたというのでありますが、病人には煙草の配給はありましたか。
  612. 高橋俊哉

    ○高橋証人 煙草の配給はあります。これは大体相談した上、肺結核の患者が多いのと、僅か三百名足らずのところに千名の患者を入れておつたの空氣がよこれるのと、火災の危險がありましたので、患者の煙草は蒙古側に返納しておりました。
  613. 北條秀一

    ○北條秀一君 全部返納したわけでありますか。
  614. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そうであります。
  615. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではもう一つ病院における給與が悪かつた。多くて二千二、三百カロリー、悪いときには千カロリーしかなかつたのでありますから、それでは病人の回復はできない。從つて回復できないで病人が死んで行つたと思います。給與のために入院患者が死んだと考えられる者はどの程度であつたのでしようか。
  616. 高橋俊哉

    ○高橋証人 直接的な原因で死んだと思われる者はありませんでしたけれども、やはり給與の悪いために肺結核が重くなつて行く、或いは栄養失調、或いは赤痢なんかのなかなか回復しないというようなことはしばしば見られたのであります。
  617. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではソ連軍人の院長は日本人には比較的親切であつたという話がありましたが、親切であつても、実際の給與からいうと、この結核患者はそういうふうな僅かなカロリーでは自然に死ぬのを待つておるよりない。回復は覚束ない。むしろ早く死んだらいいのだというふうに、殊に私は考えられますが、そういうふうな態度は病人側に対してあつたのでしようか。
  618. 高橋俊哉

    ○高橋証人 院長の態度にはそういつた点は表面上だけは見られませんでした。私が毎朝カロリー表を持つて行くと一々調べて、ときおり政府の方に交渉に出かけて行くというようなこともありました。
  619. 北條秀一

    ○北條秀一君 何んとか直してやろうという考えについては、院長はそういう考えを持つてつたのでしようか。
  620. 高橋俊哉

    ○高橋証人 持つてはおりました。政府役人なんか廻つて來ると院長も話しておりました。私も直接役人に話しておりました。カロリー表を以て、こういつたカロリーということを話しました。
  621. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは院長の要求によつて給與がよくなつたということはありましたか。
  622. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それはありました。院長が政府側に交渉すると一時はよくなる。併し又規定通りの量に還えるということもありました。
  623. 岡元義人

    岡元理事 どうぞ着席願います。細川委員簡單に……
  624. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 永井証人にお伺いたしますが、先程吉村隊長のあの暴力を振るつたことは背後に外蒙政府があつたものであるというあなたのお考えであつたが、そうでありますかね。
  625. 永井正

    ○永井証人 背後に外蒙の権威があるというより外蒙側の將校達から絶対に信頼されておるのです。彼のやることに対して反撥して是正させるような方法ができなかつたと申したのであります。
  626. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それでは私の考え違いでありました。外蒙政府が背後にあつたからその力が振えたというのだとすると、さつき小林証人の指導しておられた收容所、これも外蒙政府が裏にあるわけですから、問題は吉村隊長が振つたその力にあるわけですね、そう解決していいわけですね。
  627. 永井正

    ○永井証人 そうです。
  628. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それからあなたは聞くところによると、先日こちらにこの事件証人を喚んだときに、鎌谷証人が、私の知つたものに語つたところでは、あなたは吉村隊におられた当時、新日本建設要綱というものを作つて隊長に出されたというようなことを言つてつたそうですが、それは事実ですか。
  629. 永井正

    ○永井証人 羊毛工場に入つて病氣で休んでおるとき、自分の考えを求めるために作りまして、吉村隊長にも見せました。
  630. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは先程口もきかなくなつた程にあなたと隊長との間が疎隔したそれ以前のことでありますね。
  631. 永井正

    ○永井証人 それ以前のことであります。
  632. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 日本建設要綱にどんなことを主張されたのでありますか、覚えておられたら簡單に……
  633. 永井正

    ○永井証人 極めて平凡なことでありまして、あの当時参りまして四五ケ月のときでありますが、全然内外の情勢、連絡も杜絶されたところにおいて考えたことでありますので、少し時間が長くなりますから……
  634. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 一分程だけ、一言でおつしやつて頂ければ分ります。
  635. 永井正

    ○永井証人 これは政治、経済、思想、社会、宗教あらゆる方面に亘つて書いたもので簡單に申上げられません。
  636. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 一言で言うとどういうことになるのですか。
  637. 永井正

    ○永井証人 要するに國防力を失なつた日本が、世界に貢献する道は徹底的な道義、文化、平和國家として立ち行かなければならんということを敷衍したのであります。
  638. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それではその程度で……、もう一つ高橋証人にお聞きしたいのでありますが、あなたが病院におられて、いろいろの收容所から病人なりその他の付き添いなりが入つて來る、そういうところにおられたのだから吉村隊についてどういうような見方、考え方がその人達の間から出たか、そういう具体的にどういうことをお聞きになつたのでありますか、それを特長的なものを挙げて下さると好都合なんですが。
  639. 高橋俊哉

    ○高橋証人 患者からの噂としての吉対隊については、やはりあの当時曉に祈るといつたことを患者はすでに言つておりました。
  640. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それはどういうようなことを具体的に言つておりましたか。
  641. 高橋俊哉

    ○高橋証人 具体的にはやはり営倉に入れられて、朝になると凍つて死んだというようなことを患者は言つておりました。それから吉村隊長自身もこの弱い日本人を連れて帰つて日本の再建のためにならない、この場で淘汰して帰つた方がいいというようなことを常に收容所のものに訓辞として話されたというようなことを患者から聞いております。
  642. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その訓辞の話をするものは、それに賛成しておりましたが、或いは恐しいことだといつておりましたか。
  643. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは勿論非常に恐しいことだといつておりました。
  644. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その他ありませんか、例えば給與の問題とか或いは仕事について……
  645. 高橋俊哉

    ○高橋証人 靴を作つていた患者が言つておりましたが、最切は六足ぐらいがノルマであつたのを、それをだんだん殖やされて遂に二十五足まで殖えた。そして朝七時から夜の十時までかかつてもなお完成せず、又不合格品があると突き返されるので、寢る時間もなく働かされたというようなことを話をしておりました。
  646. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 永井証人ちよつとお尋ねしたいと思いますが、永井証人吉村隊員であつた清水正二郎君を知つておりますか。
  647. 永井正

    ○永井証人 存じません。
  648. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その清水正二郎が週刊朝日のパンという小説の中にこういうことを書いておる。『「君達は永井が今どうしてあんなに吉村に可愛がられているか、その本当の理由を知つているかい」ときつとした顏で四人は突然大胆な口ぶりをする佐藤を注目した。彼は得意になつた。「あれは、終戰のどさくさまぎれに、民家に忍び入り、壁にかくしてあつた宝石を一袋も盗みとつて、それを蒙古に持つて來ているからだ、吉村にもきつと二つ三つつたのに違いないぜ……」』と書いてあるが、こういう事実があなたにあつたかどうか。
  649. 永井正

    ○永井証人 勿論そうした事実もなし、そうしたことに関して何も存じません。
  650. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 只今吉村事件に関しまして各種の刊行物が出ております。その中には旧隊員であるとか、何々の関係者であるといつてかなり誇張した面が多いように思う。そこで例えばあなたに関する問題があつた場合にあなたはどういうふうに希望されますか。
  651. 永井正

    ○永井証人 余りに馬鹿々々しいので話にならんというようなわけで、まじめに相手になれないように考えます。
  652. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 たまたまこの委員会がこの問題を取上げて、そして三日間に亘つて調査をし、一應第一段階が終つたときに、池田証人にあなたがいろいろの面で一番指導され、或いは畏敬した人物は誰かと聞いたときに、それは永井先生でありますと非常にあなたを畏敬しておつた。それで当時もそうであつたかというとその通りだといつた。又現在はどうかというと、現在も畏敬し尊敬しておる人でありますといつてつたのですが、先程千田委員なりその他、二、三の委員からあなたは証言を求められて、あなたは現在池田をどう思つておられますかということを聞かれておりますときに、あなたは池田自身が思つておることと全然違つた意味のことを言つておられるが、実際において今まで述べられた通りでありますか。あなたの池田観を率直に私は聞きたいと思います。
  653. 永井正

    ○永井証人 先程も申上げました通り、彼の長所というものは勿論ありますが、彼が人格的に見て又道義的に見て強い反省を要する人物であるということは確認いたします。
  654. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 彼がですね、この委員会においてもはつきりと自分の過去を反省し顧みなければいかんということは自身もこの委員会に述べております。強く述べております。そこで私は今の比較的平常な今日においてですね、あの動乱の中にあつたときの問題をですね、顧みた場合においてはいずれもそうであるだろうと思います。そこで今あなたが言われたような彼は道義心がない、或いはかくかくであるとかいう不都合な点のみを挙げられておりますがね、彼は非常に善処もあつた、短所もあつたが善所もあつた
  655. 永井正

    ○永井証人 勿論……
  656. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 若しその善所があつたとするならば、その点を述べて頂きたいと思います。
  657. 永井正

    ○永井証人 彼は非常な実行力に富んだ男であります。一度言うたことは必ず実行に当てます。それから責任を感じます。彼は常に言うとつた言葉でありますが、隊の統制は自分個人が負う、善悪とも個人が責任を負う、故に会議的な形態は全然用いず、將校等もたくさんおつたが、何事も相談せずに独断專行したのであります。これは長所であり短所であるのでありますが、その代り善悪ともに一切の責任を自分が負うということであつたのであります。それからあれは音樂、絵画に非常な技能があつて一つの藝術的な天分を持つてつたのであります。同時に又感情に激し易いのが欠点であつたのであります。それから他所の隊に自分の隊員が侮辱されたり、收容所のごとき、或いは批判されたりすることを非常に心外として、隊内における処罰は相当過酷なところもあつたと同時に、他所の隊に対して自分の隊員を非常に愛護しておつたということは言われるのであります。まあ長所もあり欠点もあつた
  658. 北條秀一

    ○北條秀一君 只今吉村隊長の非常に責任を持つ男という話があつたので、簡單に私申しますが、吉村隊長は永井証人の話されたように、責任を持つという男ならば、彼は日本に還つて來て、本委員会においての彼の証言は、すべてを蒙古側の命令だと言つて責任を回避しておる、もう一つはその上に自分に若し責任があるとすれば、当然法の裁き、又は檢察廳、裁判所において処罰されたいという意味は、一面日本におけるところの法律の保護を彼は要求しておるのではないかということを私には考えられるのであります。そういう点から見ると今永井証人の話されたのとは違つて責任を飽くまでも持つて行くという吉村の態度に私としてはどうも割り切れないものを感ずるのですが、あなたは現地で一年有余吉村と行動を共にされて、本当に吉村がすべてのことに責任を持つて行くと、そういう人格を持つておると考えられますか。
  659. 永井正

    ○永井証人 これは関連しますからちよつとナホトカの話をしますが、ナホトカで人民裁判があつたときに、吉村隊長初め数名が人民裁判にかけられて、我々の隊から分離されたのであります。そのとき酒井軍医が私のところに参りまして、人民裁判を受けて一應頭を下げたが、自分のやつたことは絶対に正しいと自分は思つている、酒井軍医に言うたそうです。酒井軍医は私のところに來まして、隊長は正しい、個人的に、主観的に思つておるか知れんけれども、やはり隊長としては相当不徳のなすところがあるのではないか、自分の不徳ということに対して聊かの反省もない、ただ自分の行動が絶対に正しい、今でもその信念であると語つておる。あの彼に対して少しく強い反省を促す必要があると思う、そのためには永井さんからよく言うて貰いたいという酒井さんの話があつたのであります。それで恐らく今でも彼は自分のやつた行動に対して正しいと思つておるのじやないかと私は思うのであります。正しいと思うその考え方に少し私は知性の低さ、道義のまだ不十分のところがあるのじやないか、そういう点に反省、一部の強い深い反省ということが必要じやないかとこう申上げる。
  660. 岡元義人

    岡元理事 渡邊廣太郎証人証言を求めたいと思いますが、その前に簡單委員長から永井証人に今までの証言の中で二、三はつきりしない点がございましたので、再度御証言つて置きたいと思うことがありますからお答え願いたいと思います。尚証言中に例えば間違つてつたということがお考えになつた場合は、この委員会が閉めるまでに訂正なさつて差支えないのでありますから、それが済みますと訂正の機会がないわけであります。だから永井証人が先程四人だけは民團関係の死亡者があつた。こういう御証言があつて一名はよく覚えていない。他の三名は大体の死亡状態についてお述べになりましたが、その点についてもう少しはつきりとして置いて頂きたい。民團関係の四名という死亡者を御覽になつたという点について、それからもう一点は暁に祈ると言われておりますところのその刑に、いわゆる屋外に立たされた者は自分は一名だけ、憲兵曹長だつたという者一名だけ見たという、こういう御証言があります。この点は今までの証言はしつかりした御証言をなすつておられるのでありますが、今までの証人からは相当多くの証言があつたにも拘わらず、一人永井証人だけそれを一人だけしか見ていない。こういう御証言があつたわけであります。この点につきましてもう一回改めてどの位の人が屋外でいわゆる一晩中立たされたかというようなことをば、述べて頂きたい、以上の点であります。
  661. 永井正

    ○永井証人 後の方から申上げますが、さつき申しましたのは自分が今言うた憲兵曹長が立たせられて殴られている、あからさまの状況をよく見たので特に名を挙げたのであります。後全然名前の知らん人が相当收容所に清心寮に入り切れないで立たせられた者が相当あるように思います。
  662. 岡元義人

    岡元理事 どの位の数か分りますか。
  663. 永井正

    ○永井証人 これははつきりいたしませんが、二・三十名になるのではないかと思います。
  664. 岡元義人

    岡元理事 その中で死亡した、いわゆるその場で死亡したものはあつたのかなかつたのか、その点御存じありませんか。
  665. 永井正

    ○永井証人 その場で死亡したものはないと思います。
  666. 岡元義人

    岡元理事 では……
  667. 永井正

    ○永井証人 前の民團関係の死亡者ですが、三人はつきりしておりますが、もう一名あつたかこれははつきりしません。
  668. 岡元義人

    岡元理事 念のために永井証人に申上げて置きますが、今までこの委員会にお喚びいたしました証人証言中からは、いわゆる菊地七郎という名前は殆んど全部の証人証言の中に知つてつたのでありますが、永井証人は菊地という者は全然知らないと、こういう御証言つたのですが、その点お記憶はないのでありますか。
  669. 永井正

    ○永井証人 民團……、民間人ですか。
  670. 岡元義人

    岡元理事 民團でなくても菊地七郎……、石切場で死んだと言われております菊地七郎。
  671. 永井正

    ○永井証人 はつきり……、確かに覚えておりません。
  672. 岡元義人

    岡元理事 では着席願います。各委員に御了解を得たいと思いますが、本日本会議が非常に定足数を欠きまして成立いたしませんので、とにかく一應この委員会を休憩いたしまして、本会の方に御出席願いまして、尚足らない場合は本会議の方を閉じられるということでございますから、この際暫時休憩いたしまして本会議に御出席して頂くようにお願いしたいと思うのであります。なにか御発言がありますか。
  673. 北條秀一

    ○北條秀一君 議事進行について……只今ブザーが鳴るのが止んだようですが、本会議は成立しているのじやないかと思うのです。成立しておれば構わないと思うのですが……
  674. 岡元義人

    岡元理事 北條委員にお答えいたしますが、今度ブザーが鳴つたらそういうようにして頂きたいと前以て連絡があつたのです。今ブザーが鳴りましたのでお諮りいたしたのです。
  675. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 今まで議院運営委員会で非常にもめまして、特別に今日は或る問題が起つたので、実は本会議における定足数が足らなければ、本会議は開かんというふうな空氣になつておりますので、一應これは、委員会を停止してまでも本会議に出るというようなことは異例ですけれども、本会議の方が本体ですから、一應閉じて下さい。
  676. 岡元義人

    岡元理事 ではこれにて暫時休憩いたします。    午後四時四十三分休憩    —————・—————    午後五時三十八分開会
  677. 岡元義人

    理事岡元義人君) では休憩前に引続いて委員会を開会いたします。  渡邊廣太郎証人委員長より一、二点証言を求めて置きたいと思いますが、渡邊証人は前軍隊におられたときには、何をしておられたか。例えば階級だとか、或いは憲兵なら憲兵とこういう工合にお答え願いたいと思います。先ず一つずつお答え願いたいと思います。
  678. 渡邊廣太郎

    証人渡邊廣太郎君) 歩兵であります。それで軍曹であります。
  679. 岡元義人

    岡元理事 それから吉村隊にお入りになつたのは、吉村隊ウランバートル一緒におられたのは、何年何月から何日までですか。
  680. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 昭和二十二年五月、それから六月半ばまででございます。
  681. 岡元義人

    岡元理事 そうすると僅か一ケ月半でありますか。
  682. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  683. 岡元義人

    岡元理事 その間におきましてどういう仕事をしておられたか。特に伊東邦義という少尉を知つておられますか。
  684. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知つております。
  685. 岡元義人

    岡元理事 伊東邦義と一緒作業場監督みたいな仕事をされましたか。
  686. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 最初石切をやりました。そしてメートルを計る仕事をやりました。それをやりながら又仕事の方へ戻つて仕事をやつて仕事とその尺計りを併せてやりましたのです。
  687. 岡元義人

    岡元理事 御着席願います。尚引続き委員から御質問ございますか。
  688. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 渡邊証人にお尋ねしますが、吉村隊内における証人の地位、並びに吉村隊組織及び幹部の氏名を御証言を願いたいと思います。
  689. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 幹部の何でありますか。
  690. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは一つ一問一答式でお許しを願いたい。
  691. 岡元義人

    岡元理事 どうぞ。
  692. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 吉村隊内における証人の地位、あなたはどういうふうな役割をやつておられたか。
  693. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 石切の尺計りであります。
  694. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 尺計り、そうすと尺計りというと、その外の監督者、そういう地位じやないんですね。ただ一つのどれだけ進行したかという、その尺だけを計るというだけですか。
  695. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  696. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 監督者ではない。
  697. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 監督ではありません。尺計りであります。
  698. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうするとあなたの石切場監督者はどなたでしたか。
  699. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 沢山おられました。
  700. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 沢山おられた。その直接の監督者はどなたでしたか。
  701. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 小野田少尉。
  702. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 小野田少尉、あなたが属しておつたところの直接の指揮者ですね。
  703. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  704. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 監督者、それが小野田少尉。
  705. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  706. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 重複するかも知れませんが、吉村隊石切作業を実施したときの組織、あなたの知る範囲のことを述べて頂きたい。
  707. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 石切場へ五月の初めに吉村隊は行きました。行つてその日から石切りが始まつて半月くらい切つて、自分がその尺計りを命ぜられました。それでその尺計りを止めろ、それで作業をやり、又尺計りをやりました。
  708. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 証人に重ねてお尋ねしますが、あなたの尺計りというのは吉村隊の全作業員が、石切場における全作業員の全体の尺計りをあなたが担当されておつたというわけですか。
  709. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 いいえ、そうではありません。外にもありました。
  710. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 外にもあつた。そうすると、その組織というのはどういうようになつているんですか。組織と言いますか、機構と言いますか、あなたの尺計りなら尺計りの班がどのくらいあつたか、或いは組が幾つくらいあつたか、或いは吉村隊から石切作業所に行く人員は概ねどのくらいであつて、これは何班に分けてこういうふうな作業をするというようなことはお分りになりませんか。
  711. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それは毎日変つておりまして、自分には分りません。
  712. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 分らない。あなたは尺計りは、その現場に行かれる度ごとに……その仕事のみしたのですか。
  713. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その場へ行つて初めて分るんであります。仕事をするか、尺計りか、そこへ行つて手ないとどの組だかも分らないのです。
  714. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 その命令は誰がするのですか。
  715. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 伊東少尉という人、小野田少尉という人から來たんじやないかと思うんであります。
  716. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 あなたが直接その伊東少致なり、或いは今の小野田少尉なり、あなたもとにかく階級はさつき軍曹だと言われましたように、軍曹であつて見れば、下士官における殆んど最高位の人ではないですか。それが、その上にその隊長が先程の伊東少尉だとか、或いは小野田少尉だとかいう場合においては、少くとも、私も軍隊にいたと、軍隊のことを一應知つておる。それで例えばその小隊長であろうが、何々部隊長であろうが、一應命令する場合には下士官——軍曹なり曹長に命令する。そういう立場にあるあなたが一作業員というようなふうには本員は受取れないんですが、そうした点に対してどうかね。もう少しはつきり証言できんかな。
  717. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その現場へ行つて今日は尺計りか、仕事かということを小野田少尉殿から言われます。それからそういうふうに毎日変るものですから、組だとかいうものが変るのは全然分らないのであります。
  718. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 併し毎日変るから分らん……。けれども何でしよう。そうした問題に対して隊長があなた方組長とか、班長とか……そういう立場じやなかつたのですか。
  719. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 組は持つておりません。
  720. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 組も班も持つていない……
  721. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 班も決つた班は持つておりません。その日行つてここからここでといいまして、そこを計るわけです。
  722. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それは隊長が直接あなたに命令されたの、指示されたの。
  723. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 直接ではありません。小野田少尉……
  724. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 小野田少尉が直接あなたに指示するのですか、命令するのですか。
  725. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  726. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 更にお尋ねいたしますが、そうした小隊長から指令をされ、そういう面に対してそうした指令は吉村隊隊長から與えられたものか、或いは蒙古側からの指令に基いたものか、そうした点に対してあなた何かお聞き及びになつたことがあるか。
  727. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 どこから來るのだか分らないでおりました。
  728. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それじや、例えばノルマ作業量が完遂できなかつたときの、例えばあなたが尺計りですね。それをやつておる、そういう場合においての責任は誰がとつておりましたか。
  729. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それは全部の責任は伊東少尉です。
  730. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは更に重ねて聞きますが、あなたが普通の兵隊とはとにかく一應違う。下士官だからね。そうした場合において自分の同僚もありましようし、或いは部下といおうか、隊員といおうか、そういう人達の健康状態とか、体力とかいうようなものを作業場で常に注意されておつたかどうか。あなたが注意されたかどうかという問題もありますし、更に伊東少尉とか、或いは小野田少尉とかいうような人達がやはりそうした点に留意されたかどうか。この二点を一つ
  731. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 自分もその健康状態を見ておりました。それから上の人も皆見ておりました。
  732. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうした場合に作業量を、ノルマを完遂しなかつたその隊員の人達にはどういうふうに措置をされたか。
  733. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一日の定量を終えた人から先に帰りました。終えないものは終るまでずつとやつております。それで伊東少尉の命令で或る一定の時間に來てもできない場合はできないままで帰りました。
  734. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると朝早くから石切場へ出る。吉村隊石切場から一キロくらいの距離しかない。そうすると與えられたノルマを完遂した者は各自自由に各收容所に帰つたものですか。
  735. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 歩哨が引率して十名、十五名と早く終つた者から早く帰りました。
  736. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると、それではそうした歩哨が……歩哨というのは、これは外蒙側の歩哨ですか。
  737. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  738. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 石切作業から收容所に帰つて間もなく山本義明、菅野清が死亡しておる。そうした者についてあなたの知つておる範囲を述べて頂きたい。
  739. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そのことについては全然分りません。
  740. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 分らない……
  741. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  742. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしますが、山本義明を知つておりますか。
  743. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知りません。
  744. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 知らない……。菅野清は……
  745. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知りません。
  746. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 間違いありませんね。
  747. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 間違いありません。
  748. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると隊長である、責任者である伊東邦義少尉が石切場部下を殴打して死に至らしめたと言われておるが、そうした点についてはどう考えるか。
  749. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 恐ろしくて側へ寄れないからはつきりしたことは分らない。
  750. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 はつきりしたことは分らない。それはちよつとおかしいではないか。石切場作業場というのはそんなに廣い場所ですか。
  751. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一キロ半ぐらい、端から端まで……
  752. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると僅かに半道にも足らない。二キロで半道だから……。そこであなたの方の責任者である伊東小隊長がその部下を督励して來る、或いは隊員を督励して來る、そうした場合に一人の人を殴打したとか、或いはそれを死に至らしめたというような事件があつたとして、それを中堅の下士官であつた、幹部のあなたが知らないというのはおかしいではないか。
  753. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 全然分りません。
  754. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 委員長ちよつとその点を小林証人に尋ねたいのですが……
  755. 岡元義人

  756. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 小林証人にお尋ねしますが、あなたは石切場の決状を見学されたことがありますか。
  757. 小林太郎

    小林証人 ございます。
  758. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうすると今渡邊証人が申されましたように、その職場の廣さというのは一キロ半ぐらいのものですか。
  759. 小林太郎

    小林証人 一キロ半はないと思います。大きく見積つて一キロだと思います。
  760. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 更に重ねてお尋ねいたしますが、そこでそういうふうな暴行事件とか、殴打事件、少くとも死に人を至らしめたという事件があつたとして、そうしたものが分らんで済むような現場ですか。現場の状況が……
  761. 小林太郎

    小林証人 常識で言えば分ると思います。
  762. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 どうぞお坐り下さい。重ねて渡邊証人にお尋ねしますが、あなたが今小林証人証言をお聞きになつたような状態でありますが、それをあなたが石切場を休まれたこともあるのですか。
  763. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 あります。
  764. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 休んだこともある。或いは休んでおつたときの事件であるかも知れないな。
  765. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 全然分りません。
  766. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 分らない。それならばそうしたことをお聞きになつたことがありますか。
  767. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 聞いたこともありません。
  768. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 聞いたこともない。あなたは菊地七郎という隊員を知つておりますか。
  769. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知りません。
  770. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 知らない。併し決してこの委員会はあなたにいろいろな、ないことを押付けてどうこうというわけがはありませんけれども一つその点につきまして、よくあなた御自身お考えになつて、ありのままを述べて頂かんと困る。
  771. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 本当に分りません。
  772. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 菊地七郎は分りませんか。
  773. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  774. 天田勝正

    天田勝正君 一問一答式で渡邊証人にお伺いします。先程作業場におきまするあなたの地位並びにその仕事組織、こういうことを申述べになつたわけでありますが、蒙古側の管理は作業関係、それから收容所生活関係給與関係、衞生の関係、このように分れておるそうであります。併しながらあなた方が直接しよつ中接触する面は、作業收容所生活の面であろうと存じますが、そこで作業の場合には、成る程別段あなたは特殊な監督者という地位でなかつたといたしましても、收容所内におけるところの組織としては、今度は何らかの一般の兵と違つた地位、つまり幹部的な地位、或いはその中間的な地位、こういう地位におられたかどうか、先ずこの点を伺います。
  775. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 営内におるときは班長であります。
  776. 天田勝正

    天田勝正君 次には作業の場合に伊東少尉が一番の責任者であつて、それから小野田少尉のあなた達は直接指揮を受けた、こういう話であります。そこでその石切場に働いておるところの作業員が総体としてノルマが上らない、こういう場合に伊東少尉なり、小野田少尉なりが蒙古側から罰せられる、このような事実がありましたかどうか。
  777. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それは分りません。
  778. 天田勝正

    天田勝正君 分らない。
  779. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  780. 天田勝正

    天田勝正君 では次にそうした自由を拘束されておるものとしては、これは私の経驗で、古い軍閥時代にさんざん監獄に入つた、ああいうふうに隣の室とも遮断されておるようなところでも、実に僅かな事件が電波のごとく傳わる筈なんです。そこであなたは先程淺岡委員の、山本義明、菅野清云々、並びに菊池七郎云々、この質問に對しまして、全くそのことは全然知らないのだ、こういうお答えでありました。併しあとででもこれは聞いておつたということが私共の常識から言えば考えられるのでありますが、あとでも全然聞いておらない、こうおつしやいますが。
  781. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。全然聞いておりません。
  782. 天田勝正

    天田勝正君 一應これで……
  783. 千田正

    千田正君 渡邊証人に伺いますが、あなたの外に渡邊と姓を名乘つておる人が石切作業場におつたことがあるということをあなたは証言できませんか。あなた以外に渡邊という人はありませんか。
  784. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 ありました。
  785. 千田正

    千田正君 渡邊何というのですか。
  786. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 渡邊義雄。
  787. 千田正

    千田正君 階級は。
  788. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 軍曹です。
  789. 千田正

    千田正君 あなたの部隊吉村隊が函館に上陸しましたときに、笠原という人外二名ばかりで石切場におけるところの殴打によつて戰友が死んだ。それに対して誠に不都合であるから、曾ての同僚ではあるけれども、渡邊軍曹、伊東少尉を告発するということを函館の上陸地において申述べておりますが、その名前の中に伊東邦義、渡邊軍曹、多分渡邊廣太郎と覚えておりますということを言うておりますが、その点についてはあなたは菊地七郎というものを全然存じていないと今あなたがおつしやつておりますが、これは確かでありますね。
  790. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  791. 千田正

    千田正君 あなたが作業しておつた石切場において作業に從事しておつたのは一ケ月間でありますか。
  792. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一ケ月半であります。
  793. 千田正

    千田正君 一ケ月半。
  794. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  795. 千田正

    千田正君 外に渡邊というのは渡邊義雄という軍曹がおるのですね。
  796. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 おりました。
  797. 千田正

    千田正君 それはどういう仕事に從事しておつたのですか。
  798. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 班内では給與係、作業場へ行つて作業
  799. 千田正

    千田正君 石切場におつてどういうことをやつてつたのです。
  800. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 石切場では作業であります。それから班内では給與であります。
  801. 千田正

    千田正君 それで、監督とか、或いは監督の補助とかいう仕事に從事しておるように見受けられませんでしたか。
  802. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そういうふうには見なかつたのです。
  803. 千田正

    千田正君 もう一つ重ねて質問しますが、あなたが石切場作業に從事しておつたのは何月から何月まででありましたか。
  804. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五月の初から六月の半ばまでであります。
  805. 千田正

    千田正君 二十一年ですか二年ですか。
  806. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 二年です。
  807. 千田正

    千田正君 重ねて高橋証人質問いたします。あなたが、吉村隊から死亡した者を受け取つたその中に、最も残酷な死骸であつたと、先程申された菊地七郎君などを受け取つて、死亡診断をお書きになつたのは、あなたの御記憶から言いますと、何年何月頃でありますか。
  808. 高橋俊哉

    ○高橋証人 昭和二十二年の春、三月か四月だと思います。これについては、竹田鍠という元軍医少尉が同じ仕事をしておりまして、同じ死体を見ております。こちらの方でも一度尋ねて頂きたいと思います。
  809. 千田正

    千田正君 続いて永井証人質問いたします。永井証人にお伺いいたしますが、今渡邊廣太郎証人から、もう一人石切場に渡邊という軍曹がおつた、こういう証言がありましたが、あなたの御記憶には外に渡邊という、階級は軍曹であつて、そういう人が石切場において働いておつたという御記憶がございませんですか。
  810. 永井正

    ○永井証人 別に記憶がありません。
  811. 千田正

    千田正君 或いは班内において、收容所内においても、渡邊という、そういう階級の人はおりませんか。
  812. 永井正

    ○永井証人 記憶ありません。
  813. 千田正

    千田正君 分りました。続いて渡邊証人質問いたします。渡邊証人只今申された渡邊義雄という軍曹は、あなたとずつと同じ隊におられた軍曹でありますか、それとも途中から吉村隊に入つて來た人であるか。もう一つは、あなたと一緒に最後に函館に上陸するまで一緒に乘つてつた人でありますか。その点についてどうですか。
  814. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 吉村隊に入るときに一緒で途中で別れまして、それからずつと別れました。
  815. 千田正

    千田正君 あなたより後に残つていたわけですね。
  816. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それが分りません。
  817. 千田正

    千田正君 どこ縣人であるということも分りませんか。
  818. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 ちよつと分りません。
  819. 千田正

    千田正君 それじやあなたの外に渡邊という軍曹がおつたということは確かですか。
  820. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 渡邊という軍曹がおつたのは確かです。
  821. 岡元義人

    岡元理事 この際渡邊証人に二、三証言の点について御注意申上げて置きたいのですが、只今まで委員会証言の中で池田証人、酒井証人等から渡邊廣太郎という名前でもつて、いろいろ石切現場において、菊地七郎が死んだのは、渡辺軍曹が殴つて、その原因に基くものであるというような証言があつたのであります。今の証言で参りますと、ここに証言が食い違つて参りますので、証言が食違うということは、委員会といたしましても、非常に大事なことなのであります。この点は十分御注意願いまして、証言が食違つたばかりにいろいろな皆さんに御迷惑を掛けるというようなことは、非常に困る問題でありますから、その点十分御注意の上、宣誓通りに眞実を述べて頂くということを、特に御注意して置きたいと思うのであります。尚一、二点私からお尋ねしたいことがございますが、あなたは先程の証言中に、自分は監督ではないという御証言がございましたが、そうですか、ただ尺計りだと。
  822. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 尺計りであります。
  823. 岡元義人

    岡元理事 あなたは光日あなたの故郷に朝日新聞の記者が訪ねて行つたときに、監督をやつてつた、自分の上役には伊東少尉がいたということを述べておられますね。
  824. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  825. 岡元義人

    岡元理事 それから約半ケ月後に寸法計りに廻されたと、こういう工合に述べておられますですが、只今の御証言と多少食違うと思いますが、どちらが本当ですか。
  826. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その違うところは、監督と寸法計りを……まああのときは監督と言つたんです。監督と寸法計りをごつちやに考えておりました。
  827. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと御注意申上げますが、その点はつきりと記述的にも区別しております。約半ケ月後には寸法計りは廻されたと、その前に監督におつたと。
  828. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その前は、十五日までは石切りをやつてつたのです。十五日経つてから寸法計りになつたのです。
  829. 岡元義人

    岡元理事 もう一回繰返しますよ。二十二年の五月の初めには吉村隊に轉属した、それから石切作業に從事した、それから監督をやつた、そうして自分の上役には伊東少尉がおつたと、それから約半月の後に寸法計りに廻された、この仕事は最後まで残るので非常に辛かつた、約一ケ月半で他の部隊に轉属したと、こういう工合に朝日新聞の記者に語られておりますが……
  830. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  831. 岡元義人

    岡元理事 先の証言と違つておりますね。
  832. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 まあ十五日の……あれは違つておると思います。十五日経つてから尺計りになつたのであります。
  833. 岡元義人

    岡元理事 尚もう一点伺いますが、あなたは自分の目の前で吉村隊長隊員を殴るのを見たということを言つておられますが、どこで殴るのを見たという意味ですか。
  834. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 営庭であります。
  835. 岡元義人

    岡元理事 石切場ですか。
  836. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 石切場でも営庭でも見ました。
  837. 岡元義人

    岡元理事 それから尚その際にこれは吉村、いわゆる池田、本名池田ですが、吉村隊長が自分にいわゆる罪を被しておるんだ、こういう工合に述べて、非常に自分は迷惑だということを、あなたは述ベられました。
  838. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい、言いました。
  839. 岡元義人

    岡元理事 それはそういうようなことを事実何かあなたは裏付けるだけの証言がございますか。
  840. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 あります。
  841. 岡元義人

    岡元理事 それを述ベて下さい。
  842. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 自分は五月初めに吉村隊に入つて、六月の半ばに他の隊に轉入しました。先程高橋証人の方から言われた菊地という死体が三月から四月の間に病院へ運ばれたということを言われておりますし、自分としても菊地七郎という人が亡くなつたということは……全然分らないのであります。
  843. 岡元義人

    岡元理事 もう一遍だけ委員長からお伺いして置きますが、あなたは全然石切場等で人を殴つたことはない、絶対にない、こういうわけですか。
  844. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  845. 天田勝正

    天田勝正君 先ず渡邊証人に伺います。ああした拘束されておるときには、どこの作業員でありましても、例えば炊事に廻されるというようなことは、一つの特権であります。この場合、石切りに場合におきましても、尺計り、こういいますか、こうしたことは、非常に我々の常識からすれば、特権に見えます。幾ら尺計りで跳ね歩いて見たところで、石切りよりも遥かに樂なことは明らかであります。そこであなたはこうした樂な作業に廻つたということについては、何か吉村隊長なり、或い伊東少尉と特別な関係があつたのではなかろうかと、こうまあ本員は思うわけであります。そうした事実がありますかどうか、あつたらお述べを願いたいと思います。
  846. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五月の初めに吉村隊に入つて、一生懸命石切りをやりました。そうして十五日後に尺計りをやつて呉れと言われました。それで吉村隊長にも伊東少尉にも関係はありません。
  847. 天田勝正

    天田勝正君 続いて伺います。ところがこの尺計りというのは、一体午前中先ず石を切つて、それから午後に今度は下へ下して積み上げる、そうしてノルマの定量の通り一立方メートルなら一立方メートル、二立方メートルなら二立方メートルと、こういう工合に積み上げるというふうに私共は承知しております。そこで、どんな早い人でも尺を計つて貰うということは、午後になる筈であります。そうすると、あなたは尺計りの場合に、午前中は何をしておられますか。
  848. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 最初の尺計りのうちは、石の出そうな所を見たり、それから小さいのは要らないから大きいの、そういうものを切るようにと言つたり、それで最後の尺計りの頃は、もう身体が疲れて來て、石の蔭で休んでおりました。
  849. 天田勝正

    天田勝正君 そうすると、午前中はその役割としては、結局小さいものは出すな、大きいものを出せという工合で、尺計りとは言いないがら、その午前中の場面においては、結局監督的な役割というふうに承知していいですね。
  850. 渡邊廣太郎

    ○渡辺証人 そうであります。
  851. 天田勝正

    天田勝正君 そこで私共が入手しておりまする文書によりますると、その石切作業で暴行があつた、その暴行をしたというのは、元憲兵曹長の池田重善、それから作業監督の伊東邦義、同じく作業監督の軍曹渡邊廣太郎である、これは相当確実なる方面からの報告が來ておるのであります。それに更にこの三名の中の二名、つまりあなたを除いた二名の者は北鮮丸で帰つて來ておる、その日附は十一月十二日である、こういうことを言われております。そこであなたはいつ何丸で上陸されたか、この点を証言を求めます。
  852. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 昭和二十二年十一月八日英彦丸で函館へ上陸しました。
  853. 天田勝正

    天田勝正君 そういたしますと、この上陸が十日であすこに大抵は上陸するまでに先ず三日かかつて、そうして上つてから三日くらいはあすこにおるわけですが、その後北鮮丸で入つて参りました池田重善、伊東邦義等の來るまでそこにおられましたか。
  854. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 分りません。いなかつたと思います。
  855. 天田勝正

    天田勝正君 では幾日までそこにおられましたか。
  856. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十八日だつたと思います。
  857. 天田勝正

    天田勝正君 ではあなたは上陸されてからあすこに一時收容所三つありますが、そのうちのどこに行かれましたか。
  858. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 踏切りを越えて直ぐの船出荷の收容所です。学校の跡みたいなような建物でした。
  859. 天田勝正

    天田勝正君 全部そうでありますけれども、それは自動車で行かれてどのくらいかかりましたか。
  860. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五分くらいです。
  861. 天田勝正

    天田勝正君 その寮は淺野町の寮といいませんでしたか。
  862. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その名前は聞いて見なかつたのであります。踏切りを渡つて直ぐ東側の寮であります。
  863. 天田勝正

    天田勝正君 併しここに十日あなたは滯在されております。十日滯在されれば、大抵もうああいうところではいろいろな噂話が出るわけですが、全然その寮は知らなかつたですか。
  864. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知りませんでした。それから前に八日に函館に着いて直ぐ船から降りなかつたのであります。降りたのは十三日の正午であります。
  865. 天田勝正

    天田勝正君 同じ寮に同じ時期に池田、伊東の両氏も実はおられた筈であります。そのとに全然お会いにならなかつたですか。
  866. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 会いませんでした。
  867. 天田勝正

    天田勝正君 そういたしますと、そこに着かれてからあなたは警察か何かに調べられたという事実がありますかどうか。
  868. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 ありません。
  869. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと渡邊証人に、先程の証言の中で尚はつきりしなかつた点がありますが、あなたは自分の上役に伊東少尉がおつたと述べておられるのに、小野田少尉ということを先程証言なさつた、どちらが本当ですか。
  870. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 伊東少尉がおつたときもあり、小野田少尉のおつたときもあります。
  871. 岡元義人

    岡元理事 私のお聞きしておりますのは、先程朝日新聞の方が行つて調べたときに、あなたは小野田少尉ということは言つていないでしよう、伊東少尉が上役だということを述べられた。
  872. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 初めから言います。小野田少尉は、最初は自分の上に監督しておつて、書記に小野田少尉殿がなつて、そのときに伊東少尉殿が監督になつたのであります。
  873. 岡元義人

    岡元理事 参考までにちつと証人に、前に池田前の隊長から述べられた証言をば読んで置きますから、よく聽いて置いて頂きたい。矢野委員からの御質問で、「一昨日の証言の中に、こういう言葉があつたように私ははつきり記憶しておりますが、過失はともかく、自分で故意に殺したようなことはないというような言葉があつたのですが、果して然りとするならば、過失であなたの部下が結局死に至つたというようなことが、はつきりあなた自身認めることができますか、又それは誰と誰であるか御答弁を願いたい。」こういう御質問に対しまして、隊長の池田重善から「過失と言いますのも、今の渡邊軍曹の件であります。渡邊軍曹が叩き殺した、こういうふうになつておりますが、私としては彼に殺人の意思はなかつたと思つております。ただ民團なるが故に文句を言つたから叩いた。たまたま身体も悪かつたし、場所も悪かつたから倒れたのだ、だからそれは過失で死んだのがあるということを言つたのであります。」、そうして尚矢野酉雄委員から「渡邊君がいわゆる殴打して殺したというようなふうに誰からお聽きになりましたか。」という質問に対しまして、隊長は「私は西村君と伊東少尉の方であります。」と、こういう工合に証言されております。参考までに述べて置きます。
  874. 千田正

    千田正君 只今委員長から渡邊証人に、この間の証人喚問速記録を読んでおりますが、私も附随してこの点を申上げたいと思うのであります。それはここで先程も宣誓をして述べられた以上は、ここで虚言を申述べるということはあなた自身のためにもよくないし、若しもあなたの言う通りであつたならば、吉村隊長池田重善氏が僞証したこととなるのでありますから、十分にこの点を聽き取つて頂きたい。今の委員長の読み上げた議事録に続いて私が池田証人がどういう証言をしたかということを読みます。  昭和二十四年四月十三日参議院委員会におけるところの吉村隊喚問の件に関する第二日目、理事岡元義人君からの質問に対して、「当時伊東少尉と西村君にどういう状況だつたのだろうかと聞きましたところが、実は自分達ははつきり知らないけれども、とにかく渡邊軍曹が、菊地さんが坐つてつたので、それに対して注意をした、ところが民團である関係上何とか理窟を言つたらしい、そうしたところが、渡邊軍曹が怒つてびんたをとつた、ところが本人は身体も強くなかつたし、足場も悪くて、その場に顛倒してしまつた、そうして石で頭を割つて死んだのだと、それを見て皆が殺したと言つておる。」というようなことを証言しておりますが、あなたが、自身がこういうことをやつたのではなくて、外に尚渡邊という軍曹があつて、こういうことをやつたのか、若しくは吉村隊長池田証人がここで僞証を犯したのか、この三つの点が我々委員会として更に糾明しなければならない点であると思いますので、この点について、あなたは全然関係がないかどうかということははつきりここで申述べて頂きたい。
  875. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 全然分りません。
  876. 天田勝正

    天田勝正君 渡邊証人に坐つて頂きます。
  877. 岡元義人

    岡元理事 着席願います。
  878. 天田勝正

    天田勝正君 小林証人に願います。事は極めて簡單のようでありますが、非常に証言が食違つておるのであります。そこで私はあなたにお聞きしたいことは、あなたの隊におきまして、いろいろ同一作業場に行くにいたしましても、労働の、つまり骨の折れるとか、折れないとかいうことには軽重がある筈であります。そこでそうしたものに対する、誰がこういう尺計りという樂な仕事をするというようなことは、それは順番というような形でやられましたか、それとも何か今まで成績がいいので、そいつをここへ廻してやるというような形、或いは彼は体が弱いからそういうところに廻してやろうというような形か、又はそれはあなた方の立場として、自由に氣に入つた者だから一つ樂な方に廻してやるという、こういう裁量ができましたかどうか。
  879. 小林太郎

    小林証人 これは部隊相互の関係と、それから隊内における関係と、二つに分けて考えられます。部隊相互の関係、例えば吉村隊小林隊と石田隊、これのやり繰りはできなかつたように考えます。と申しますのは、先着の隊がいい所を取り、後から行つた者は悪い所と、こういう状態であつたように考えます。それから隊内ではこれは順番でやつておりました。
  880. 天田勝正

    天田勝正君 樂な方が順番ですか。
  881. 小林太郎

    小林証人 不公平のないように指揮官が連続的にそれを見まして、順番に交互に代る。そういうふうにやつておりました。
  882. 天田勝正

    天田勝正君 分りました。そこであなたの隊では、ではそうした尺計りという特殊な仕事を任命しておりましたか。
  883. 小林太郎

    小林証人 はつきりしません。
  884. 天田勝正

    天田勝正君 いやちよつと待つて下さい。あなたが命令されたならお分りになると思いますが、それはあなたの隊から石切場なら石切場に、まあ一分隊というか、一中隊というか、区分した隊で行つてつて、あなたが行かれないでお分りにならないというのですか、そういう意味ですか。
  885. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  886. 天田勝正

    天田勝正君 そういう場合には誰か指揮をとつておられますか。
  887. 小林太郎

    小林証人 各隊を全部まとめる総指揮官というものは、なかつたように考えます。
  888. 天田勝正

    天田勝正君 いや、各隊でなくて、あなたの隊から、つまり何十人なり、六十人なりが派遣されますね。
  889. 小林太郎

    小林証人 百六十人です。
  890. 天田勝正

    天田勝正君 そこにはあなたは行かれなかつたけれども、あなたの代理というか中間の監督者と申しますかね、そうした者がそれを掌握しておるわけですね。
  891. 小林太郎

    小林証人 そうです。菅谷中尉が参りました。
  892. 天田勝正

    天田勝正君 菅谷中尉ですね。そうすると、若しそういうことが他の作業においても、これはまあ石切りの問題ですけれども、樂な仕事と骨の折れる仕事があります。特に今の尺計りというようなことは、どう考えてもこれは午前中は用のないことだ。早い人でも午後一時半頃にならなければ尺計りという段階には到底行かないわけですね。そこでそういうふうな、午前中はまるつきり遊んでおる。強いて仕事をしておるといえば監督的の仕事しかないわけであります。こういうことはあなたの隊はしないけれども、それは自由に裁量ができましたか。誰はそういう樂な仕事に廻つてもいいという命令は、あなたはやらなかつたことは分かりますけれども、そういうことを命令することはできましたか。
  893. 小林太郎

    小林証人 確認はしておりませんけれども、できると思います。
  894. 天田勝正

    天田勝正君 分りました。
  895. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 私は永井証人にお尋ねいたしたいのですが、過日の当委員会におきまして、天田委員質問池田証人が答えておるのでありますが、それを読んで見ます。「作業命令については、作業の方の区分、私は実際を申しますと、現在まで私は原田君を非常に信望して参つておりました。それで原田君は私の隊の、要するに外から言いますと参謀格でありますし、或いは高級副官であるというような噂もされておりましたのですが、実を言いますと御承知の通り私は至つて浅学菲才でありまして、周囲におる者は知識層の方ばかりであります。そのために実際の黒幕をお話いたしますと、元熱河省の承徳の協和会次長をやつておりました永井正先生、それから年長である原田君、或いは外の將校の方も私は顧問といたしまして、殆んど一週間に一回、或いは月に一、二回の会議を炊事で開いて頂いておりました。」云々と言つておりますが、実は只今石切場でそういうふうな殴打したとか、或いは殴打が一つのはずみとなつて、非常に体が弱つてつたのが、轉がつて死んだという事件があつた場合に、週に一回なり、月に一、二回のそうした会合において、そうした話が出たと私は思うのでありますが、そういうような話が出たかどうか。若しそうした点をあなたが御存じであるならば御証言を頂きたい。永井証人に。
  896. 永井正

    ○永井証人 そうした集まりにおいて、今の話が出たことは全然ございません。
  897. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 全然ありませんか。
  898. 永井正

    ○永井証人 はあ。
  899. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは菊地七郎というような人物もあなたは知つておられませんか。
  900. 永井正

    ○永井証人 先程も申しました通り私知らんのであります。
  901. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 知らない。
  902. 永井正

    ○永井証人 はあ……。恐らく私が亡くなられた死骸を運んだのだろうとは思いますが、個々の亡くなられた遺骸は覚えていないのであります。
  903. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 どうもその点がですね。もう一つ……決して強いるわけでありませんけれども……
  904. 永井正

    ○永井証人 私も存じておればはつきり申上げるのですが、事実記憶がないのであります。
  905. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 渡邊さんにお尋ねしますが、あなたのいわゆる石切作業部下と言いますか、或いは監督下にある人が癲癇のような口から泡を吹いてですね、ときどき倒れるという者はおらなかつたですか。
  906. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 おりませんでした。
  907. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 全然……
  908. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  909. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると菊地君というのは今外の委員方々からお尋ねになつておりましたが、外にも菊地という者がおつたんですか。
  910. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 菊地という者は全然知らなかつたのであります。
  911. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 全然……ここに今お尋ねになつた菊地七郎という人、それからその他凡そ菊地というのは全然あなたは存じないというのですか。
  912. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい、知らなかつたのであります。
  913. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それからすでに他の委員から御質問があつたかも知れませんが、毎日々々一キロに近い距離にある石切場に行かれるときに、いわゆる吉村隊長は常時その作業場に出入りしておつたんですか。
  914. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうであります。
  915. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 毎日その作業隊一緒にあなたの編入されておるところの作業隊一緒吉村隊長は常に同行して監督の任に当つてつたんですか。
  916. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一緒には行かないですが、後から來ます。
  917. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それは毎日ですか。
  918. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 毎日のように來ます。
  919. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 而うしてその作業場を指揮監督する絶対権は誰が握つてつたんですか。
  920. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 伊東少尉であります。
  921. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 伊東少尉は日本人であつて、この日本人でない者はいなかつたのですか、蒙古政府或いはゲペウというような、その方面の者はいなかつたのですか。
  922. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 よく分りません。
  923. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 併し日本人の顔と蒙古人の顔は違うし、又ソ連の諸君も違うのであるから、而もその作業たるや絶対に日本人の意図によつて行われ、そして蒙古政府からこれは課せられておるのですから、その現場をそうした蒙古政府権限を持つている諸君が監督する、見廻をするということは全然なかつたのですか。
  924. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 全然なくはなかつたのです。偶には來ました。
  925. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 歩哨というように、結局そこから脱走したりなんかするような場合もあり得るので、これを常時監視しているところの者は作業場にはいなかつたのですか。
  926. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 偶に來るのであります。
  927. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 すると偶に來るとすれば、結局吉村隊長、或いは今あなたの言われた伊東少尉という者が全責任を持つて、結局來ない間でも偶に來る間でも結局全部常時監督しておつたわけですか。
  928. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それがはつきりしないのであります。
  929. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 日本人そのもののいわゆる吉村隊長や伊東少尉が、いわゆる蒙古政府から來る者はときどきやつて來るとあなたは今言われたのですが、常時これを指揮監督するというようなことは、結局は吉村隊長が伊東少尉か、それらの諸君じやないのですか、それもまだ分らんと言うのですか。
  930. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 蒙古側から偶に來て、常に日本人が、日本人の伊東少尉や吉村隊長がおられるというわけです。
  931. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうするとその作業サボつたり、サボらなくても、身体が弱り殊に空腹等のために栄養失調なんかをしておる者でも、一定のノルマをやらなければならんというので、それを常に叱咤して行くというようなのも今言われた二人であるか。或る新聞にあなたの談として書いておるのを見ると、随分棒を以て尻つペたを叩くという苛酷なる方法で、そのノルマを遂行するように非常にひどい手段をとつたということを、あなたが述べておられるが、それについての現在の証人としてのやはり言は新聞紙等の報ずるごとくそのように認めるわけですか。
  932. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そういうことは全然ありません。
  933. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 ないですか。
  934. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  935. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 永井証人にお尋ねしますが、あなたは先程の証言において、石切場行つたことがある。一週間程行つたということを言われておりますが、この石切場組織というのは、どういうふうになつてつたのか、その点を御証言頂きたい。
  936. 永井正

    ○永井証人 石切場の総監督はたびたび変つたのであります。監督の成績の悪いのは蒙古側の手によつてどこかに送られてしまうのであります。最も長く総監督をしおつたのが伊東少尉でありますが、伊東少尉の下に更にその下の監督が西村曹長であつたと思います。その二人が最も長く監督になつておりましたが、その他の將校もたびたび変りましたけれども、この二人が一番長く監督をやつておりました。その下に更に小さい監督があつたのじやないかと思いますが、その点つはつきりしておりません。それから蒙古側の警戒は警備兵が数名必ずくつはいております。行くときから帰るまで警備兵が逃亡その他を防ぐために必ず附いております。それから作業場監督のためには、蒙古側からときどきやつて來て監督しておる状況であります。
  937. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 重ねてお尋ねいたしますが、そうすると今のあなたの御証言によりますと、伊東少尉或いは更に西村曹長或いは又別々の將校監督に來たと言いますが、大体班とか組とか、例えば淺岡組とか、或いは永井班とか渡邊班とかいうふうなものはなかつたのですか。
  938. 永井正

    ○永井証人 二、三名ずつが組を作りまして、作業に当るのでありますが、その上の組がなかつたろうと思います。二、三の小さい、数十名が二、三の組に分れて、その上にその全体を西村曹長と伊東少尉が監督したのだろうと思います。
  939. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 更に重ねてお尋ねしますが、今の渡邊廣太郎証人石切場に尺計りか、監督か、指導か知らんけれども、とにかく渡邊廣太郎軍曹が石切場に行つてつたということは知つておりますか。
  940. 永井正

    ○永井証人 いや全然、今日初めてお会いして、吉村隊にいたということを知つたようなわけです。
  941. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それは吉村隊渡邊廣太郎がおつたということは、今日初めてお知りになつたのですか。
  942. 永井正

    ○永井証人 ええ、初めてであります。
  943. 天田勝正

    天田勝正君 過日の各証人証言只今渡邊証人証言は、非常に食違いが生じて参りました。そこですでに時間は六時半を経過いたしておりますが、私共はここで若干休憩をいたしまして、打合せをしたいと存じます。右動議を提出いたします。
  944. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 天田委員の動議に賛成をいたします。
  945. 岡元義人

    岡元理事 只今の天田委員の動議に御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  946. 岡元義人

    岡元理事 それではこれにて暫く休憩いたしますが、大体七時十分まで休憩いたしたいと思います。尚証人の方は控室に御退席願いまして、食事をおとり下さいますよう準備してございます。    午後六時四十一分休憩    —————・—————    午後七時三十一分開会
  947. 岡元義人

    理事岡元義人君) 休憩前に引続いて委員会を開会いたします。
  948. 天田勝正

    天田勝正君 渡邊証人に二、三の点を伺います。先ずあなたは、函館に上陸したのは、吉村隊長等と別であつたことは明らかになりましたが、乘船港であるナホトカまでは一緒に來られたかどうか。
  949. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 別でありました。
  950. 天田勝正

    天田勝正君 ナホトカには何日ぐらい滯在されましたか。
  951. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 二日半ぐらいであります。
  952. 天田勝正

    天田勝正君 その間にいわゆる通称人民裁判、こういうことに立会われましたかどうか。
  953. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 言われました。
  954. 天田勝正

    天田勝正君 立会つた
  955. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  956. 天田勝正

    天田勝正君 その際に、吉村隊長等が人民裁判に付せられたと、こういう事実を御覽になつたかどうか。
  957. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一緒でなかつたので見なかつたのであります。
  958. 天田勝正

    天田勝正君 あなたが見られた人民裁判ではどういう方が批判されましたか。
  959. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。人が飯を食べていないときに、米の飯を陰の方で炊いて食べたり、それから階級章の附けた跡がはつきりしておつたり、それから上の人の行李などを兵隊に担がした人など、その外大抵ありましたが、覚えているのはそれだけであります。
  960. 天田勝正

    天田勝正君 それは、私がお聽きしておりますのは、そういういわゆる犯罪の内容でなしに、どこの隊のどういう人がいわゆる壇上に立たされたか。こういうことを聽いております。
  961. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 隊はいろいろ混成でありまして、分りませんでした。
  962. 天田勝正

    天田勝正君 併しながら人民裁判の場合には、吉村隊の吉村はおるか。吉村隊の誰はおるか、こういう工合で旧隊の誰々ということで呼んでおるんですね。であるから、あれは一生に何遍も経驗することではありませんから、大抵覚えていると思いますが、全然それらの記憶がないとおつしやいますか。かかつた人、誰でも……
  963. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 かかつた人、階級、人員……
  964. 天田勝正

    天田勝正君 いや、そうでありません。どこの隊のどういう人が例えばかかつたか、こういうことです。覚えていない。
  965. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 名前は覚えていないんです。階級の、人員それから少尉の……
  966. 天田勝正

    天田勝正君 ではね。質問を変えます。あなたと一緒に引揚げて來た旧吉村隊員の中では、誰がかかりましたか。
  967. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 旧隊員では見なかつたのであります。
  968. 天田勝正

    天田勝正君 旧隊員には全然おらない。
  969. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  970. 天田勝正

    天田勝正君 そういたしますと、あなた自身も人民裁判にかけられたというようなことは全然ない、こう了解してよろしいのですね。
  971. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  972. 天田勝正

    天田勝正君 では又質問を変えまして、石切りの尺計りを、あなたのおつしやる作業でございますが、これは一日どのくらいのものを計られましたか。つまり一立方メートルならば何立方メートルぐらいあなたはその計ることを割当てられたか。
  973. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一人元氣な人が二立方メートルであります。
  974. 天田勝正

    天田勝正君 二立方メートル、それを何人ぐらい計りましたか。
  975. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 延人員で四十人ぐらいです。
  976. 天田勝正

    天田勝正君 八十立方メートルですね、四十人の、一人二立方メートルでありますから、八十立方メートルばかり、こういうことでありますね。
  977. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 それからその外に二立方メートルできない人の分もあります。
  978. 天田勝正

    天田勝正君 その人数はどれくらいですか。
  979. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十二、三名おりました。
  980. 天田勝正

    天田勝正君 そうすると総計つまり四十名と十二、三名、五十二、三名の人の石を計る、こういうふうに了解していいのですね。
  981. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はあ、一日にそのくらいで……。その人数というのは一日に決まつていないのであります。
  982. 天田勝正

    天田勝正君 多いときは何人ぐらい。
  983. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 多いときでそのくらいであります。
  984. 天田勝正

    天田勝正君 そうするとそれを計る時間はどのくらいかかりますか。
  985. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一遍に終えないのであります。午後から夕方までだらだらにかかるのであります。
  986. 天田勝正

    天田勝正君 あなたの仕事ノルマというものは決まつておりましたか。
  987. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 決まつていたような、決まつていないような、はつきりしなかつたのであります。
  988. 天田勝正

    天田勝正君 一日それだけやらなければ、とにかく何か減食されるというようなことは全然なかつたのですか。
  989. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 その仕事の量においては全部終えるまでと言われているのですが、終えない場合に遅くなれば任務は全部終えるまでであります。
  990. 天田勝正

    天田勝正君 これは内地の例でありますけれども、殆んど三十人程度の、その程度の計り方、今百立方メートル程度の計り方は、恐らく一時間ぐらいで大抵できるのですね。あなたはだらだらやつたということですが、若しそれを続けてやるとするならば、どのくらいの作業時間になりますか。
  991. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 一時間半ぐらいかかると思います。
  992. 天田勝正

    天田勝正君 一時間半ぐらいね。そこでその間は非常にあなたは体が樂なわけですね。あとはさつき言つた、そのような小さい石では駄目である、そういう中へ空洞を作つて積んでは駄目である、或いは切出す場合に、もつと大きな石を切出さなければ駄目である、こういうふうに言つてつたわけですね。
  993. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい。
  994. 天田勝正

    天田勝正君 督励して歩いたわけですね。
  995. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  996. 天田勝正

    天田勝正君 よろしい。
  997. 岡元義人

    岡元理事 外に委員から御質問はありませんか。では委員長から永井証人に一、二点更に証言を求めて置きたいと思いますが、永井証人は、石切場で死んだというものは、誰がどういうことをして死んだのだというようなことは、吉村隊におられるときに、はつきり聞かれなかつたのでありますか。
  998. 永井正

    ○永井証人 人爲的にやられたということは、隊にいる間は全然聞きませんでした。上陸して初めて函館で聞いたのであります。
  999. 岡元義人

    岡元理事 その聞かれた内容は……
  1000. 永井正

    ○永井証人 酒井軍医が援護局の係員の方に話しておるのを脇で聞いたのでありますが、自分が診断した死亡者の中で三名程人爲的にやられたと思われるのがあつたということを係員に述べているのを私脇で聞きまして始めてそうしたことがあつたということを知つたのであります。
  1001. 岡元義人

    岡元理事 尚重ねて伺いますが、石切場作業人員でそう沢山の作業人員ではないのでありますが、永井証人石切場作業に從事しておつたということは証言の中にあつたのでありますが、その石切現場で今酒井氏から函館で聞いたというような事実に対しましては、どういう工合に……全然現場でそういうことを見たことも聞いたこともなかつた、こういう工合に御証言なすつておるのでありますが……
  1002. 永井正

    ○永井証人 私はその石切場に働いたのは石切場作業が始まつた当初のことであります。ほんの当初の頃でありまして、これは別の作業が終つてから夕方行つて働いたのであります。そうしてその頃は大したノルマ過剰ではなく石切場作業もそれ程困難な仕事ではなかつたのであります。
  1003. 岡元義人

    岡元理事 尚一点だけ伺つて置きますが、あなたは吉村隊においては起居も一般の者と別に起居されておつたという御証言があつたのでありますが、死体等が炊事場の横に一晩中も車がないために車が來るまで放置してあつたということについては、さきの十数名の証人から証言があつて、あなたがそういうような死体に対して全然知らなかつたというようなこと、まだ御証言はありませんがそういうようなことについて知つておられたのでありますか。
  1004. 永井正

    ○永井証人 死体が炊事場の横に置かれておつたということは知つております。
  1005. 岡元義人

    岡元理事 その死体等について石切現場等で死んだというようなものは、あなたは御存じなかつた……
  1006. 永井正

    ○永井証人 落磐で死んだということは聞きましたけれども、殴り殺されたということは聞きませんでした。
  1007. 岡元義人

    岡元理事 全部ですか。
  1008. 永井正

    ○永井証人 ええ。そうしたことは酒井軍医に話を聞いて初めて知りました。そういう事実があつたかということを驚いたのであります。
  1009. 天田勝正

    天田勝正君 永井証人に伺いたい。先程の永井証人の御証言には菊地七郎ということについて他の委員から聞かれましたときに、そうした者は知らない。確か私がその死体を運んだのでありましようが。こういうことを言われております。それで吉村隊から死体が出された数は大体三十名から、多くても四十名以内である。このことは過日の多くの証人証言、又今日の高橋証人証言によつても明らかであります。二年間に僅か四十名足らずのものであります。ましてああした苦しい生活の中で、戰地のように死んだ人を毎日見るという場合でも自分の戰友の死んだということについては、その晩お互いが怒りつぽい顔になつて默りこくる。こういうふうな戰場心理であるというふうに私共は聞いております。まして戰場でない苦しいと言いながら普通の作業に從事しておるときなんです。そのときに死んだ人の名前も全然覚えておらない。而も隊長と起居を共にされておるそういう立場の人が、全く知らない。而も多分自分が運んだのであろうという人の名前すらも知らない。こういうことは私共は常識的には考えられません。そこであなたはそういう人が死ぬのは何でもないくらいに、その当時の心理状態は変つてつた、麻痺しておつたとこういうことも言えると思うのですが、さようなことを今振り返つて見まして、当時の心理状態と現在の心理状態は全く違つてつた、死人を見ても何とも感じなかつたというような状態でありましたか。
  1010. 永井正

    ○永井証人 そんな心の状態ではなかつたのでありますが、私亡骸を運ぶについて常に蒙古兵と二人で運んで行く途中、亡骸に心から哀悼の意を表しながら三里の道を歩んで行つたのでありまして、併し私が亡骸を運ぶときは酒井軍医が死亡診断書を作つて、そうして亡骸を衞生兵の若い兵隊の人達が馬車に載せまして、そうして毛布をかぶせて、動搖しても動かんようにしつかりして、それからは私にこれを頼むと言われるのが普通であつたのであります。いつもそうであつたんであります。私みずから死体に手を下したことはないのでありまして、それから病院に行きましても、病院の勤務の人達がその馬車を受け取つて、馬車から解いて処置されて下すつたんでありまして、私が年寄のために若い兵隊さん達がそこまでいたわつて呉れたんだろうと思います。そのとき私は最初、亡骸になつた方々の遺族のことを考えまして、若し日本に帰つた場合、自分がこうしてこの方々を運んだということを知らして上げたいと思いまして、メモに取つてつたのであります。初めの間は……。併しそのメモも途中で紛失するし、どうせこれは医務室の方でちやんとした名簿を作成して呉れるものと思いまして、メモにも取らなかつたのでありまして、で、私が運びました死体は、私は自分で運んだのは十数体じやないかと思つておりますが、決して死体というものに対して、又死というものに対して、無関心、無感覚というような考えではないのでありまするが、まあ一倍自分じや泣いたつもりでありますが、その名前々々を忘却したのであります。
  1011. 天田勝正

    天田勝正君 もう一点伺います。そうした死体運搬という作業はまあ特殊な作業でありますが、それは他の一般の作業をその日だけ休んでやるということでありますか、或いはそれから帰つて來ると、一般の作業をやらせられる、又はあなたはもうすでにその隊でそういう死体を運搬する当時は、雜役的な仕事をされておりましたか。
  1012. 永井正

    ○永井証人 そうです。主として死体を運搬する当時は清掃班に勤務しておりました。そうして行つて帰れば又仕事を続ける。途中から仕事を止めて行つて來るというような状態でありました。
  1013. 千田正

    千田正君 小林証人にお伺いしますが、あなたも吉村隊長と同じようにウランバートル捕虜隊長として帰還まで頑張つて來らたのですが、顧みまして、今吉村隊というものが新聞紙上、或いはこの委員会で取上げてから、非常に世間の注視の的になつておるが、振り返つて見て、こういうことは、吉村隊長命令でやつたとどこまでも主張しておるし、他の証人は、一部は命令であつたけれども、他は隊長の独断であつたということを言つておりますが、あなたがあそこにおられて、こういうことは命令として若しも出されたとしても避け得られることであつたかどうかということを御証言できるかどうか。もう一つは、特に吉村隊を管理しておつたところの蒙古側の收容所長モジックという所長が、特別なる超過ノルマを遂行するような残忍な人であつたかどうかというような評判を聞いておるかどうか、そういうものを総合しまして、今日あなた自身が顧みて、世の批判を新聞やラジオを通じて見、聞いた場合において、吉村のとつた行動というものはあれは止むを得なかつたのだというふうにおとりになりますか、それとも彼は隊長の名を籍りて、全部が命令と称しながら、自分自身の我断の行動に出たのだというふうにあなたは考えられますか、その点についてあなたからの御証言を頂きたいと思います。
  1014. 小林太郎

    小林証人 私は吉村隊の実相は存じませんので、全く單なる想像でお答えいたします。私の第一項は、命令であるかどうか。これは私の経驗から申しますと、大部分命令であつたろうと考えます。併し隊長としてそこに何か緩衝地帶的に動き得る余裕があつたのではないか。こういうように考えます。第二番目のモジックのことは私は存じません。終ります。
  1015. 千田正

    千田正君 大部分は命令であつたというふうにあなたは考られる。そうすれば、大体の部分においては、こういうような問題が起きたということはあの場合としては止むを得ない状況において止むを得ない結果であつたというふうにあなたは想像されるのでありますか。
  1016. 小林太郎

    小林証人 これも私の想像でございますが、折角一位を取つたのでございますから、一位を取つたことによつて蒙古の信用を得た。これをなぜ対内的に十二分に活用しなかつたかと、單なる感想でございますが、そういうように思います。
  1017. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 渡邊証人に伺いますが、あなたはナホトカに何月何日に着かれて、何月何日に発たれましたか。
  1018. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はつきり覚えておりません。
  1019. 岡元義人

    岡元理事 委員長から渡邊証人に御注意いたしますが、あなたも曾ての下士官であつて、而も苦労されて帰つて來られてナホトカに着いた日にちと、それから乘船されたときの日にち、先程は着いたときの日にちは分つておりました。それから考えて日にちが分らないというようなことはない筈と思いますが、あわてないで結構でありますから、よくお考えになつて明確にお答え願いたい。ちよつと御注意申上げます。
  1020. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 ちよつとその間に……
  1021. 岡元義人

    岡元理事 それでは渡邊証人よく考えて思い出したら手を挙げて下さい。発言を許しますから……
  1022. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 永井証人に伺いますがあなたが死体運搬をなされるというときに、それはどうもさつきから伺つておりますと、ただ雜役的に何も言わずに軍医の書いた死亡診断書を持つて向うに行つてそれを渡して、そうしてただ帰つて來るというふうに伺えるのですが、あなたぐらいの方がついていらつしやるときに軍医なり隊長なりが、今日の運ぶ死亡者は誰々であるというようなことを一遍も言つたことはないのでございますか。そして又あなたのその死体運搬の職務のうちに向うに行つて、どういう人の死体を運んで來たかというようなことを届けるとか、それに対して何と申しますか、受取を取つて來るというような任務はなかつたのでございますか。
  1023. 永井正

    ○永井証人 それは死亡診断書と申しまするその人の原籍、階級、そうしたものを書いたものを自分がちやんと持つて参ります。
  1024. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 そうしますと、そのときは誰がその死体の主であるということはよく御承知なかつたというのですか。
  1025. 永井正

    ○永井証人 そのときは分つておりました。今になつて忘却したというのであります。そうして病院に行きましてそれを渡しまして、そうして向うではそれを帳面につけまして、そうして帰つて來るのであります。その当時は大概知つてつたのでありますが……
  1026. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 今からお考えになつて、その中に菊地とか、山本とか、今問題になつておるような人の死体があつたかなかつたかということもお思い出しになることができないのでございますか。
  1027. 永井正

    ○永井証人 特に親しくしておつた人の名前は覚えておりますが、大低は忘却してしまいました。
  1028. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと永井証人委員長から御注意して置きたいと思いますが、各委員からの御質問は、あなたが今そういう工合に非常に各委員から心配してお聽きになつておる。その死後者の家族等のことをあなたが眞劍にお考えになつて委員が心配しておるのは、そういう死殘者の家族等の方々にどうして知らしてよいか。まだ御存知ない家族もあるわけであります。そういうことも念頭に置いて真劍にお尋ねしておるのです。あなたもその点をよくお含みの上、記憶を喚び起して頂いて、できるだけお答えを願うようにお願いいたします。
  1029. 永井正

    ○永井証人 私もできるだけ申上げたいのでありますが、その書類を貰つてつて向うに渡してしまいますので、そのときは覚えておりましても、後日になつて忘れるのであります。自分としましては、医務室の酒井軍医の方にも立派な名簿ができておりましたし、尚病院の方にもちやんと名簿ができておりますから、そうしたことが立派な後の記録になると考えましたし、自分が死者の名前を忘却したということは決して不眞面目な氣持じやないのでありまして、又非常なその当時の精神的な混乱というようなものもありましたか知りませんが、とにかく本当にはつきり覚えておるのは極めて少いのであります。
  1030. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 ナホトカへ着いたのは十月の四日だと思います。
  1031. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 十月でございますか、十一月でございますか。
  1032. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十一月です。
  1033. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 そうして発たれたのがそれから何日経つてですか。
  1034. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十一月四日に着いて、六日に乘つたのです。そうして八日に函館へ入つて、降りたのが十三日の責だつたと思います。
  1035. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 そうしますと、その間に吉村隊も着きまして、そうして五日頃に非常な大きな人民裁判が開かれたように、この間の証言で伺つているのでございますが、これについて何か開かれましたか。
  1036. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 聞いておりません。
  1037. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 非常に大きなものであつたようでありますが、お聞きになりませんか。
  1038. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 聞いておりません。
  1039. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 それから裁判のときですか、その前ですか、結局吉村隊長が菊地七郎氏を殺したというようなことで調べられましたときに、酒井氏なんかの証言もありまして、これは渡邊軍曹が殺したのだということを言つたのだろうと思いますが、その点に対してナホトカではあなたを調べられるというようなことはございませんでしたか。
  1040. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 調べられたことはありませんです。
  1041. 千田正

    千田正君 渡邊証人に聞きますが、この間の三日間の各証人の言によると、あなたが菊地七郎という人を殴つてそうして死に至らしめた、それが一方は過失であると池田隊長が言つておりますが、いずれにもせよ渡邊廣太郎軍曹という名前が出ておつたのでありますので、そうなると渡辺廣太郎という軍曹はこの吉村隊にあなた以外に一人もない、こういうことになると、あなた自身は絶対にそういうことはないということは今日の証言で分つておりますが、全部がそれは嘘だと、こういうことになりますね。
  1042. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい、そうであります。
  1043. 千田正

    千田正君 そうなると一部においては伊東邦義少尉、渡邊廣太郎軍曹、この二人を函館において告発の手続をしておる、現実の問題として、或いはあなた自身はそういうことをやつた覚えはないとして、仮にそういう問題が檢察廳若しくは法務廳の問題になつて來た場合において、あなたは今日ここに証言したと同じような態度において堂堂とそれを覆えすだけのあなたは何かの証拠、若しくはあなたと思わるる者を差出すだけの自信がありますか。
  1044. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 あります。
  1045. 千田正

    千田正君 どういう自信を持つております。
  1046. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 吉村隊に入つたのは五月の初まりで、それで出たのが六月の中頃です。それで先程高橋証人から言われた通り菊地という死体を病院に運ばれたのは確か三月の頃か四月頃かと言われておりますし、そうすると自分としては吉村隊へまだ編入になつていないときのことだと思うのであります。それで絶対に私はそういう覚えがないということを言い切れると思います。
  1047. 千田正

    千田正君 そうしますと、この過去の三日間における本院におけるところの池田隊長以下の証言渡邊廣太郎軍曹というのはあなたに該当してないということですね。
  1048. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 自分は全然そういうことは覚えありませんから分りません。
  1049. 千田正

    千田正君 よろしいです。次に高橋証人にお伺いしますが、ウランバートルの氣候は御承知の通り、春と言いまするというと、三月四月じやないと私は思いますが、三月になつても、やはり春としての、日本流に考えまするというと、春の萌しと言いますか、春らしい氣候になりますか。
  1050. 高橋俊哉

    ○高橋証人 三月頃からやや春らしくなつて、五月になりますと急激に暖かになります。
  1051. 千田正

    千田正君 先程御証言になりました菊地七郎の死骸が運ばれたというのは、三月か或いは三月から四月の間、いずれにしてもその頃だということは間違いありませんね。
  1052. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私の記憶ではそういうふうに現在考えております。
  1053. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 渡邊証人にお尋ねします。あなたは瀬戸口という人を知つておりますか。
  1054. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知つておりません。
  1055. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 実はそれをお尋ねいたしましたのは、曾て酒井一郎証人がこういうことを言つております。「私は現場に行つておりませんから……そうするとそれらの監督に当つておる者が、これに暴力を加え、それがために死んだのだろうと思います。で帰つて來ましたのは夜間の十時頃でございます。日は同じくしておりませんが、昏睡のまま帰つてつたわけであります。そのうち菊地七郎君は、当時ついて帰つて來ました記憶はさだかでありませんが、瀬戸口という人がおりました。これは渡邊という軍曹に暴力を加えられて、人事不省に陷つたのであると申しました。もう一名の山本義明君」こう言つておりますが、知つておりますか。
  1056. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知つておりません。
  1057. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 重ねて永井証人にお尋ねいたしますが、先程私は吉村隊隊長池田証人速記をお読みいたしたのでありますが、これも岡元理事証言を求められましたのに酒井証人は、「二年間に私が死亡診断書を作成しました人数は、恐らく三十名から三十五名以内であります。この中で内科疾患として死んだ者が二十名余り、外科疾患として亡くなりました者が十名余りであります。正確なる数字は資料がないので申述べられません。その外科疾患十名のうち、これは人爲的暴力によつて死んだものであるというふうに認めましたのが三名ございます。」こう言つておるのですが、あなたは吉村隊將校室におられ、而も隊の長老という立場に立つておられたのでありますから、隊長なり、或いはこの酒井軍医なりこうした人達と後には隊長と口をきかなかつたというふうでありまするけれども、こうした幹部の情報なんということは一番長老としておられた以上知つておられるのじやないかと私は思慮いたすのでありますが、こういうふうに殊に死体を運ばれたというような点から考えまして、何か暴力的の行爲において死んだ人を運んだか、運ばないかは別問題といたしまして、そういうふうなことにおいて亡くなつたというようなことを知つておられませんか、或いは御記憶にありませんか。
  1058. 永井正

    ○永井証人 長老と申しますが、民團は四等兵扱いでありまして、最も下の兵隊であつたのであります。多少年取つた者でありまして、隊長初め多くの人からいたわられておりましたが、決して大した重要視されていたわけではありません。又將校室におつたために將交室の談話はどういうことを語り合つておるかよく耳にしますが、誰が今日現場で撲り倒したということは一遍も話されたことを聽いたことはありません。
  1059. 岡元義人

    岡元理事 各委員にお諮りいたしますが、渡邊証人証言に対しましては、これ以上質問いたしましても結論は出ないと考えられますので、先程千田委員から十分に責任ある回答を渡邊証人に求めたのでありますけれども、お聽きの通りであります。ここに前三日間におきますところの笠原証人並びに酒井証人池田証人等の証言と喰違つて参りました。この点は非常に重大な問題でありますので、委員会といたしましては、國会の権威にもかかる問題でもあるし、この際成規の手続を経てこのいずれが僞証であるかという点についての調査をいたしたいと考えるのであります。各委員には御異議ございませんですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  1060. 岡元義人

    岡元理事 ではさようにその点は成規の手続を以てこの証言の喰違いを質すことにいたしたいと思います。
  1061. 天田勝正

    天田勝正君 大事な二点だけ聞いて置きたいと思います。永井証人には先程それらの死亡者の氏名は明確でないと、何にも知つておらないと、仮に何にも知つておらないにしましても、多少ども知つておるということはこの委員会の重大な関心事であります。そこで委員長の手許からでもその氏名が分るだけでも一つお聞取り願つて、遺族の方に知らせ得るものなら知らせる手続をとりたいと委員会は考えますので、永井証人証言を求めたいと思います。  もう一つ委員長が今言われるようにこれは必ずしも渡邊証人許りではない。永井証人と過日の証人との喰違いもあります。特に渡邊証人との喰違いが多いのでありまして、そこでナホトカから函館までは吉村隊の幹部等と別であつたとこうはつきりしたのでありますが、然らばウランバートルを出るときは別であつたかどうか、吉村隊長の隊が早く出られたのか、渡邊証人の隊の方が早く出られたのか、その点をはつきりして置きたいと思います。
  1062. 岡元義人

    岡元理事 只今天田委員から御発言があつた点について永井証人の御発言を願います。お分りですか、今の……
  1063. 永井正

    ○永井証人 はあ分つております。私が送りました死亡者の氏名は、今はつきり覚えておりますものは、大石ですが、これは民團関係であります。それから小林兵長……
  1064. 岡元義人

    岡元理事 永井証人に申し上げますが一應……
  1065. 永井正

    ○永井証人 私更に記憶を辿り、又知つている人によく問い合せまして、できるだけ多く調べまして、そうして提出したいと思いますが……
  1066. 岡元義人

    岡元理事 それでは、今の天田委員の御要求に対しましては、当委員会宛に、できるだけ記憶を辿られて書類によつて提出方をばお願いして置きます。渡邊証人只今の天田委員の御質問に対して証言を求めます。
  1067. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 吉村隊とは、ウランバートルを出る時から別でありました。
  1068. 岡元義人

    岡元理事 あなたの帰られた時の隊は、どの隊と一緒に帰つて來られたか。
  1069. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 山中部隊です。
  1070. 天田勝正

    天田勝正君 その山中隊というのは、旧軍の関係からしますと、その長はどういう階級の人でどういう名前で、あなたはその隊にいつから所属されましたか。
  1071. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 階級は山中大尉でありました。その隊に所属されたのはウランバートルを出る晩に、その隊へ入りました。
  1072. 天田勝正

    天田勝正君 その月日は分つておりますか。
  1073. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 二日ということを覚えております。
  1074. 天田勝正

    天田勝正君 十月……
  1075. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十一月二日です。
  1076. 岡元義人

    岡元理事 渡邊証人注意します。十一月にナホトカに着いた……
  1077. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 十月二であります。
  1078. 天田勝正

    天田勝正君 若しそれらの点について、後で間違つたとはつきりこうだつたということがありましたら、渡邊証人にも尚本委員会に対して申出を願いたいと思います。それは今朝からの渡邊証人証言を聽いておりますと、どうも了解のできない点がある。それは一生涯にたつた一度のことです。過日十六人もここに來られて、それ程の階級にならない、悪い言葉で言えば、それだけ能力のない人達でも、この一生涯に一回か、二回ということについては、実によく覚えておるわけです。特に自由を拘束された者が、帰る船に乘つた日を忘れた、こういうことは殆んどない。從つてそういうことで私共は信じられないから、しつこくお聽きするわけであります。でありますから今の点と、又その他の点でも十分考えて見たら、これが本当だという点があつたら、一つ文書を以て御提出のことをお願いいたします。
  1079. 岡元義人

    岡元理事 只今天田委員の御発言中、間違つてつたら書類で訂正して……
  1080. 天田勝正

    天田勝正君 訂正ではありませんがね、それはちやんと記録に残るのでありますから、訂正ではないけれども、こういう事業もあつたということ。つまりここでは默否は、附け加えないということと同じに、默つておることも僞証罪になります。そういう点だけを解決したい、そういうふうに考えております。
  1081. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと天田委員に申上げます。今の点もう少しはつきりして頂きたいのは、例えば法規から申しますならば、この委員会が閉会するまでに訂正等がある場合は、これは成規に訂正されます。併しそれを経過いたしましてからは、あとからそれを訂正して出す、或いは補足して出すというようなことになりますと、非常に混同する虞れがあるんですが……
  1082. 天田勝正

    天田勝正君 私の意図するところは、僞証罪の点からすれば委員長のおつしやる通りであります。併しこのことは引揚にどういう阻害があるかというのが本委員会の目的でありまするので、そこで僞証罪云云の点はさて措いて、眞実がこうであるということならば、その面で活きる、活かし得る、こう考えるからであります。
  1083. 岡元義人

    岡元理事 渡邊証人委員長から申上げて置きますが、今日述べられましたその点外で、尚氣が付いたという点がありましたならば、当委員会に参考としてどうしても報告して置きたいというような問題がありました場合は、天田委員発言通りに、書類を以て提出して頂くようにこの際お願いして置きます。
  1084. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 はい、提出いたします。
  1085. 千田正

    千田正君 最後に簡單ですが、渡邊証人に最後に聞きたいのは、この池田隊長は、あなたから見るというと残忍酷薄な男に見えますか。特にあなたに対しては、はつきり言うというと、渡邊廣太郎軍曹は、過失であつたけれども殴り殺すような男であつたということを証言しておりますが、それに対して、あなたは、今の心境としてはどういうように吉村隊長即ち池田隊長に対して、どういう感想を持つておられますか、最後に伺います。
  1086. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 嘘を言つて言うかも知れないと思います。
  1087. 千田正

    千田正君 それだけですか。
  1088. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  1089. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 渡邊証人に伺いますが、先程あなたは、同じ渡邊義雄といいますね、あの人を知つとるということだが、知つとられますか。
  1090. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 知つとります。
  1091. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それはいつからいつまで知つておられます。
  1092. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五月の初まりから五月一杯くらいであります。
  1093. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 五月一杯、何年ですか。
  1094. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 二十二年。その後も筏乘りに行つてちよつと行き合つたくらいですが、知つております。
  1095. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 作業場で会つたという程度の知合いですか。又同じところで……
  1096. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五月頃は一緒におりました。
  1097. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 一緒の場所に寢起きしたわけですか。
  1098. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  1099. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それであなたの吉村隊におられた期間というものは、いつからいつですか。
  1100. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 五月初まりから六月半ばまでであります。
  1101. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 二十二年の……
  1102. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 そうです。
  1103. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 もう一人の渡邊という人は、ずつと吉村隊にいた人ですか。
  1104. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 いえ、自分と一緒吉村隊に入つて五月一杯くらいおられてどつかへ行かれたのであります。
  1105. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その人も石切場に出て作業した……
  1106. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 しました。
  1107. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 じやよろしうございます。  それからもう一つ小林証人にお伺いいたしますが、先程千田委員の、千田委員だと思うが、質問に答えて、吉村隊長のやつたことは、多くは蒙古側からの命令であると思うという証言をなさつたように記憶しております。それであなたは吉村隊のしたことは余りよく知らないから、想像ではあるがと言われた。そこであなたの隊からの実際から見て、蒙古側政府はどの程度に命令を下しておつたか。例えば処罰、いろいろの処罰をすることに至るまで、或いはノルマを勝手に上げて行く、独断で上げて行くという吉村隊であつたのだが、あなたの場合にもノルマを勝手に上げたり下げたりすることをしていたかどうか。何か細かいところまでそういうことに至るまで蒙古政府命令していますか。
  1108. 小林太郎

    小林証人 命令しておりません。
  1109. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 おらん。するとそうしますと、吉村隊とはここで詳しく申しませんけれども、吉村隊について私ら調べたところでは、大分あなたの隊とは違う。そうするとあなたの隊では蒙古政府命令するという範囲、或いは禁止する、してはいけないという範囲はそう沢山なかつたと思われるがどうですか。
  1110. 小林太郎

    小林証人 隊長を信用して呉れまして、相当自由裁量の余地を與えて呉れました。けれどもやはり命令で以てどうにもならん命令が相当ございました。
  1111. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 命令というのはどの範囲のことですか。大筋を言うとどういうことですか。
  1112. 小林太郎

    小林証人 第一は、作業だけで申します。労働時間の問題、これは動かせませんでした。成績がいいから早く帰るということはないのでございまして、政府は何時まで働くのだとこう決めました。  それからノルマ、これも命令でございました。が、二十二年度は余程こちらを信用してくれまして、こちらの技師と合作で作り上げたノルマでございました。  次は食糧が悪いときに労働を軽減して貰いたい、この要求。これは結局收容所作業場との言い分が違いますので、そこを非常にまあ苦労しながら両方泳ぎました。  それから衞生、これは五%の患者で占められておりますので……
  1113. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 衞生……
  1114. 小林太郎

    小林証人 衞生。
  1115. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは五%……
  1116. 小林太郎

    小林証人 全員に対する五%の患者しか認められません。それ以上はこれはどうにもなりませんでした。そういつたことでさつきのようなお答えをしたわけであります。
  1117. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そうするというと、隊内のことはあなたの場合は從來の軍隊組織で事柄を運んで差支なかつたわけですね。
  1118. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。
  1119. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その隊内に立至つてまで命令が來ておるわけじやないですね。
  1120. 小林太郎

    小林証人 そういうことはないです。
  1121. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そうするというと、吉村隊を我々が調べたところと大分違うのです。あなたの場合は、立場からして吉村隊のことを言うと、考えるというし間違いを起すわけじやないですがね。その程度のことならば、すべて蒙古政府命令によつてやられたものと、そういうことは当らないことになるのであるましてね。その点は二つの違つたものを、あなたも勿論想像で言うと言われたけれども、この違つたものを一つに合してお考えになつたように思うのです。(「進行」と呼ぶ者あり)
  1122. 岡元義人

    岡元理事 このあたりで一應……
  1123. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 委員長ちよつと……
  1124. 岡元義人

    岡元理事 まだ終りじやないですから……。大体各委員にお諮りしますが、一應もう二、三の今までの問題について証言の中で注意せなければならん点だけ取上げまして、尚人民裁判の件で多少、この際伺つておきたい点もまだあるわけでありますが、一應前の段といたしましては、この程度で打切るようにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  1125. 岡元義人

    岡元理事 では委員長から二、三の点だけ附加えさして頂きますが、小林証人から簡單でよろしうございます。簡單に御発言願いたいと思いますが、いろいろ今日の御証言中でもう少しはつきりしなかつた点についてお尋ねしておきたいと思います。それは大体ソ連におきましては、只今も細川委員から御質問がありましたが、あなた方はいわゆる隊長として、その責任が問われる。併しながら権利は與えておられないのだ、こういう工合に解釈することが妥当でありますか。
  1126. 小林太郎

    小林証人 その通りであります。
  1127. 岡元義人

    岡元理事 それからもう一点。賃金についてはソ連のいわゆる機構……、勿論蒙古の機構もそのままだと思いますが、支拂われておる。それはどういうような支拂方法か調ベておつたか、その点御承知だつたのですか。
  1128. 小林太郎

    小林証人 確実に頂きました。
  1129. 岡元義人

    岡元理事 その計算の基礎はどこにあつたのですか。
  1130. 小林太郎

    小林証人 計算の基礎はよく知りませんが、ソ連の係は非常に眞面目な人でございまして、その点は信用しておりました。
  1131. 岡元義人

    岡元理事 本日の証言中の最後になつて百五のノルマになつてつた。その点のいわゆる証言においてどうなつてつたのが分らない、こういうふうに御証言があつたのですか、一体それはどういうことになるのでありますか。
  1132. 小林太郎

    小林証人 一〇五%というのは蒙古の年度計画だろうと考えます。例えば共産大学はこれは額は想像でございますが、百万円か、二十一年度にはこれだけ作る、こういう計画がございます。それを廉く費用を掛けずに仕上げてしまえば、それが一〇五%、予定より五%成績がよかつた。こういうことだろうと思います。
  1133. 岡元義人

    岡元理事 もう一点。私刑、或いは致死罪、そういうものと集團窃盗や共有物の毀損、こういう犯罪に対しましてどういう工合に重く見られておつたか、証人は御承知ですか。
  1134. 小林太郎

    小林証人 対内的な窃盗は日本捕慮の問題であつて、当方は関知しない、こういう返答をされました。と申しますのは、内務班でお互いに泥棒をした。あの男は確かに泥棒をしたから処罰した貰いたい。こう私は申しましても、それは対内思の問題で私は知らん、こう申します。ところが対外的と申しますか、蒙古國家との問題になりますと、これは向うか直接処罰をいたします。例は作業用のものを盗んだ。或いは收容所から脱柵をした。こういい問題は向いが取上げます。
  1135. 岡元義人

    岡元理事 私のお聞きしましたのは、そういう際に、私刑とかそういう犯罪ですね。共有物の毀損と集國窃盗、吉村隊なんかによくありました集團窃盗というようなもの等に対しては、どういう工合に犯罪のウエイトを考えて処置されておつたかということであります。
  1136. 小林太郎

    小林証人 私自身でありますか。
  1137. 岡元義人

    岡元理事 いえ。機構が……
  1138. 小林太郎

    小林証人 もう一遍言つて頂きます。
  1139. 岡元義人

    岡元理事 それではもつと具体的に小林証人に申上げますが、集國窃盗及ご共有物の毀損に比べまして、私刑致死等の犯罪等についてのいわゆる処置であります。
  1140. 小林太郎

    小林証人 この三つの中で一番重視しますのは、共有物の問題、集國窃盗、私刑、これはさつき私が申上げました対内的の問題に入れると思います。向うは対内的の問題だから我々は知らんという立場になろうと思います。
  1141. 岡元義人

    岡元理事 ちよつと御注意しますが、作業場等でいろいろなものを盗んだ、こういう場合もそういう工合に解釈するか。
  1142. 小林太郎

    小林証人 作業場では、國家の財産でございますので、これはきつく取上げます。集團窃盗と申しますのは、兵隊さん同士の靴を持つて行つた、外套を盗られた、そういう問題であります。
  1143. 岡元義人

    岡元理事 尚念のために、今お聞きしておることは、吉村隊の場合の、いろいろ今後委員会における審議の参考に、前の小林隊長に伺いたいのでありますが、あなたは一九四八年一月中旬に、ソヴイエトにおきましては、私刑罪は廃止になつた。それと同時に共有物の毀損と集團窃盗等は非常に重罪が課せられるようになつてつて、そうして、私刑並びに私刑致死というような犯罪については非常に軽く、いわゆる日本人俘虜同士の私刑致死罪については、非常に軽く取扱つておる。それは幾多の例がこれを物語つておる。ということが資料として当委員会にはあるのでありますが、その点について小林証人の、それはその通りであるのかないのかという点を伺つておきたかつたのであります。
  1144. 小林太郎

    小林証人 その通りでございます。但し集團窃盗と申しましても、さつき申しました対内的の問題でありましたら問題になりませんでした。
  1145. 岡元義人

    岡元理事 大体その差は私刑致死の場合は重営倉五十日くらいであるのが、集團窃盗の場合は五年乃至十五年の刑が処せられたという例がありますが、そういう工合にこれは考えてよろしうございますか。差があるということ。分りませんか。
  1146. 小林太郎

    小林証人 ちよつと分りません。
  1147. 岡元義人

    岡元理事 それでは着席を願います。  尚高橋証人に二点くらい本日の証言中ではつきりしないところを伺つて置きたいと思いますが、死体の解剖の問題が非常に問題になりましたが、その目的は一体何であるか。死体を何故一一解剖しなければならないのか。その目的につきまして何か御証言願うことはありませんか。
  1148. 高橋俊哉

    ○高橋証人 蒙古政府の意図とするところは臨床的な病名と、その解剖の病名とこれが一致するという点にあつたと思います。
  1149. 岡元義人

    岡元理事 ただそれだけですか。
  1150. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それと蒙古の習慣として必ず向うの医者は、死亡者が出ますと解剖させよということを常に申しておりました。
  1151. 岡元義人

    岡元理事 それからもう一点あなた方がいわゆる病院勤務者として外蒙を引揚げて來られる時に、重病患者等で尚ウランバートル地区に残つておるというような邦人はないのですか。その点伺いたい。
  1152. 高橋俊哉

    ○高橋証人 ウランバートル地区に残つておる重病人はございません。これは私引揚当時の模様を申上げますと、病人は十月の初め五、六日の頃だつたと思います。大体軽症患者、軽症患者と申しましても、何とか歩くことのできる患者は全部先発隊として最初に出発しまして後に約三十名の、これは担架で運ばなければ運べない患者を残しまして、当時医官が三名、それから五、六名の衞生兵並びに勤務者を残しまして十六日に突然夕方になりまして、政府からと申しまして三台のトラックが参りました。そうして患者を一時間の間に乘せてしまえ、こういうことで、どこに行くとも何とも傳えられず、一時間の間に無理やりに患者を乘せまして、ウランバートルを出発いたしました。
  1153. 岡元義人

    岡元理事 尚もう一点、死体の記録は、よく残つておるかどうか分らないというお話でありましたが、若し記録があつたら、例えば番号とそういうものによつて、実際に死体と今後符合さして調べることができる、こういう工合に考えてよろしうございますか。
  1154. 小林太郎

    小林証人 これはできます。番号を記入しましたノートと、それから死体解剖の記録、この二つが作つてあります。
  1155. 天田勝正

    天田勝正君 議事進行上続けて一つ人民裁判の問題を伺いたいと思います。
  1156. 岡元義人

    岡元理事 人民裁判もうちよつと。一点だけちよつと私から。小林証人にもう一点委員長から伺つて置きますが、女が一名あなたの隊におられたという御証言がございましたが、その女はどなたですか。
  1157. 小林太郎

    小林証人 今考え出します。名前でございましよう。
  1158. 岡元義人

    岡元理事 ええ、名前です。
  1159. 小林太郎

    小林証人 考え出します。
  1160. 岡元義人

    岡元理事 それでは後程、ではどうぞ天田委員
  1161. 天田勝正

    天田勝正君 先ず第一に……
  1162. 小林太郎

    小林証人 ちよつと申上げます。今のは私が帰還いたします、去年の十一月帰還いたしましたが、その前に朝日新聞に出ております。
  1163. 岡元義人

    岡元理事 加倉井ですか。
  1164. 小林太郎

    小林証人 加倉井ではございません。見出しは日本一の女兵長という見出しで出ております。
  1165. 岡元義人

    岡元理事 名前は思い出しませんか。
  1166. 小林太郎

    小林証人 あの新聞を探し出さなければ分りません。
  1167. 岡元義人

    岡元理事 ではあとで。
  1168. 天田勝正

    天田勝正君 では人民裁判の問題につきまして逐次伺つて参ります。先ず永井証人に伺います。吉村隊長がナホトカでいわゆる人民裁判を受けたと言われておりますが、このことは過日の幾多の証人によつて証言され、当人も認めております。そこであなたはその時の状況、状況というては漠といたしておりまするから、そこで確かに吉村隊長は、その場でいわゆる前非を悔いたという形で謝つたか、或いはその摘発というのは誰によつて、どういうグループによつてやられたか、或いはそれ等から池田隊長は、要するに着物を脱がせられた、こういうことまで言つておるのでございますが、終始一貫ウランバートル時代一緒におつたあなたは、そうした人民裁判をどのような感じで見ておられたか、いわゆる「さくら」によつて裁け裁けというような言葉でやれたとか、或いは兵士大会で、その吉村隊員の中からどうしても吉村を殺せというような言葉が起きた、いろいろ証言されております。そういう点についてお知りの点を極く簡單で結構でありますからお述べ願いたいと思います。先ず永井証人から。
  1169. 永井正

    ○永井証人 ナホトカに著きまして二三日過ぎてからだと思いました。兵士大会をやるから全員廣場に集まれという命令がありましたので、全員伊吉村隊全員廣場に集まつたのであります。そうしますと、そこの收容所日本人係員が、只今から兵士大会をやる、ついては元吉村隊におつた人で、すでにもう帰還した先発隊の人々かに聞いておることによると、いろいろの吉村隊長の罪状が挙つておる、これを今から糾彈したいと思うが隊員からそれを言え、隊員自体がそれを発言せよというような指示があつたのであります。隊員は全部最初のうちは默しておつたのでありますが、仕舞には若し誰も言わんとなれば、皆吉村の一味とみなして、全部に対して適当な処置をとるがいいかというようなおどかしの文句もありましたので、順次発言をする者が出て來たわけであります。そうしてその会場の廣場の周囲に、そこの收容所日本人係員が点々として散在しておりまして、そうして司会者と相呼應して氣勢を上げるのであります。そうしてその氣勢に煽られて順次発言が多くなるのであります。幹部に対する批判、非難というものが盛んになり、喧々囂々を極めた状況になりまして、吉村隊長は弁明に立つたのでありますが、到底弁明や釈明は許されない状況であります。一方的な批判を受け壇上に立たされたのは吉村隊十数名だと思いました。そこで謝罪をさせられたのでありますが、その後その人達は本隊から分離されまして別のテント内に收容され、そうしてややきつい作業を滯在中命ぜられておつたのであります。その兵士大会の状況はそういうふうで簡單であります。その分離されておら後そこの收容所日本人係員がいろいろ細かいことを聞かれたらしいのでありますが、それは我々と分離されましたから、その方の状況は分らないのであります。
  1170. 天田勝正

    天田勝正君 そこでそのいわゆる兵士大会に集まつたの吉村隊の者だけだつたのか、その他の者も全部駆り集められて、あなたは命令とそれをおつしやつたが、そういう工合に吉村隊関係のない人も沢山集められたのでありますか。
  1171. 永井正

    ○永井証人 吉村隊の兵士大会ですから……
  1172. 天田勝正

    天田勝正君 吉村隊だけですか。
  1173. 永井正

    ○永井証人 吉村隊の兵士大会ですから……。併しその周囲にはよその隊が見物しておつたり、それから係員がずつと周囲に点在しておつたのであります。
  1174. 天田勝正

    天田勝正君 次は高橋証人並びに小林証人に伺いますが、答えられる場合は高橋証人から答えて頂きます。聞く事項は同じであります。両証人がナホトカで吉村隊と前後して帰つて來られて、その場合、やはりあなた方の隊におきましてもかような人民裁判があり、その結果は今永井証人がなされたような順序によつてなされたか、それと違つた形において何かなされましたか、この点についてお話願いたいと存じます。
  1175. 高橋俊哉

    ○高橋証人 私はナホトカに着きまして、二日目の十一月の十一日だつたと記憶しておりますが、当時ウランバートルの一番最後の引揚者として佐官級の方、或いは尉官級の方、或いは監獄に入つておられた方、それから病院の重傷患者、こういつた一團でありまして比較的將來の多い梯團でありました。そうして二日目の十一日に兵士大会をやるから全員集合というような話がありましたので、私も見に参りましたところ、高橋中尉という話がありまして、丁度前の舞台に出て來いということでしたので、早速出ました。その後続々と各隊の隊長或いは將校、それから下士官、そういつた人が約四十名ばかり挙げられたと思います。そうして各一人々々について審議が始まりまして、我々の番に廻つて参りまして、当時私と同じところに勤務しておりました竹田鍠という軍医少尉の方が立たれまして、病院の状況につきまして、例えばお前なんかは藥物を横流しをして贅沢をした。或いは患者の食餌を食つていたというようなことについて非常に詰問されました。当時病院に入院したことのある患者方々から非常に沢山の弁明を頂きまして、病院にはそういうことは絶対になかつたということを認めて頂きまして、病院関係者第六、七名でありましたが、全部拍手を以て降されました。それと前後してここにおられる小林元少佐、或いはその外に二名の小林少佐、稻見元憲兵少佐、それから宮田少佐、それから北山元軍医中尉、それからあとちよつと思い出せませんが、そういつた方が次次と人民裁判にかかりまして、弁解できないものはそこで土下座をして謝れというようなふうでありました。その時問題になりましたのは、野村元少佐、この方が一番問題になりまして、約三十分間いろいろ問答しておつたようであります。それだけであります。
  1176. 天田勝正

    天田勝正君 そうするとその場合いろいろ病院関係の人や、或いは佐官というようなそういう人達の混成であつたわけですが、その梯團の中から、つまり先程永井証人が言われたように、多少誘導されたというような形にしましても、あなたの梯團の中から、高橋中尉というような工合で糾彈されたわけですか。
  1177. 高橋俊哉

    ○高橋証人 これはあとになつて誰が申出たかということを糺明しておりましたけれども、それが誰が言つたかどうしても分りませんでした。
  1178. 天田勝正

    天田勝正君 いやそうでなしに、その場合に一番初めは勿論民主グループというような人達が高橋出て來いということになり、又あなたはどういうことをやつたかということを質問されると思います。併しそれに対してあなたの隊の者は一体不満があるかないかという呼ぶかけの場合に、隊の人達が高橋中尉がこうである、ああであるという工合に呼ばれたのかどうか、こう聞いているわけです。
  1179. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それは病院に以前入院したことのある患者方々、病院に勤務していた者も一部はありましたけれども、患者の方が非常に弁護してくれました。
  1180. 天田勝正

    天田勝正君 弁護じやなくて糺彈を……
  1181. 高橋俊哉

    ○高橋証人 その誤りであることを是正して呉れました。
  1182. 天田勝正

    天田勝正君 いやいやそうでなしに先程永井証人がおつしやる証言の中に、いわゆる民主グループの人達が初めは例えばあなたの場合高橋なら高橋、こういう工合で糾彈してこういう工合で糾彈する者はないか、こういう呼びかけをする場合に、それに初めは黙つているけれども、そのうちに段々とあなたならあなた、裁判される人達を糾彈して行く声が起きた、こういつているのですが、あなたの場合もそういつたように自分の梯團の人達の中から糾彈されるという形であつたかどうか。こういうことを聞いているのです。
  1183. 高橋俊哉

    ○高橋証人 そのことは自分の梯團の者であつたかどうかは分りません。
  1184. 天田勝正

    天田勝正君 いいですそれでは……そうすると中にやはり民主グループの人が、俗に、いわば「さくら」的な者が配置されて氣勢を挙げるというようなことがありましたかどうか……
  1185. 高橋俊哉

    ○高橋証人 それはありました。
  1186. 天田勝正

    天田勝正君 よろしうございます。では同樣なことにつきまして小林証人証言を求めます。
  1187. 小林太郎

    小林証人 糾彈は梯團内から出ることもございますし、又今お話の得体の知れんところから出る場合もあります。梯團は帰るための梯團でございまして、全くの寄せ集まりであります。從いまして私の隊で申しますと、私のチヤガンフランで苦労を共にした兵隊さんは糾彈はしなかつたと思います。全部無言でありました。ところが私も大変悪いことをしたと思いますが、最後に建築が忙がしくなりますと、よその隊からどんどん増加人員が入つて参ります。これは私の隊と平等に愛すべきでありましたが、それができなかつた。現実面においては……。冷飯を食わされた。それでどうもうちの隊に來た兵隊さんだが、うちの隊じやない、こういう人がたまに発言をしている。
  1188. 天田勝正

    天田勝正君 その状況ですね。つまり人民裁判において集まつて來た配置、そういうようなことについて何か御発言がありますか。
  1189. 小林太郎

    小林証人 配置は演劇場がございます。その前にいわゆる小林梯團がごつぽり入つて坐ります。その外に先着の梯團、いわゆるすでに教育を終つた者、そういう者がぐつと取巻きまして、それから司会者とか、或いはナホトカの役員といいますか、そういうものは前の方からこちらを向いております。
  1190. 天田勝正

    天田勝正君 そこであはたは非常に今日一日の証言が、記憶がはつきりしておると思うのですが、その裁判をする人達の名前、或いはその代表者でもよろしいですが、名前を覚えておられますか。
  1191. 小林太郎

    小林証人 一番最初に話出しましたのは津村という若い方でございました。これは皮切でございまして、後いろいろ発言をされまして、今覚えておりますのは宗像という人、これはハバロフスクから流遣になつた方だそうであります。それから後で聞いた話でありますが、私と討論したのではございませんが、私にいろいろ申されましたのは、日本新聞の吉良という人だと後から聞きました。その他名前は覚えておりません。
  1192. 天田勝正

    天田勝正君 次に伺いますが、小林証人は何か一旦奥地に送られて、それから更にナホトカから帰國したのである、こういうふうに聞いておる向もあるわけであります。そういう事実がありましたかどうか。
  1193. 小林太郎

    小林証人 その通りであります。
  1194. 天田勝正

    天田勝正君 それはナホトカに來られて、一旦その人民裁判なるものを受けられた結果が、さような奥地にやられたわけですか。
  1195. 小林太郎

    小林証人 そうは考えておりません。と申しますのは、着いたその日に少佐以上は帰れないのだということが分りました。そした残つてみますと、先着の少佐が五人ぐらい屯ろしておりまして、その群の中に入りました。
  1196. 天田勝正

    天田勝正君 そこで今お話の人民裁判のことは、ではあなたが二回目にそこにこられた場合のお話でありますか。
  1197. 小林太郎

    小林証人 それは第一回即ち蒙古の捕虜梯團の最終梯團長として着いた場合であります。
  1198. 天田勝正

    天田勝正君 そうするとそこで今言つたようにもう一遍奥地にやられて、それから又ナホトカに來たわけですね。
  1199. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  1200. 天田勝正

    天田勝正君 その場合にもやはり人民裁判がありましたのですか。
  1201. 小林太郎

    小林証人 人民裁判ではございません。
  1202. 天田勝正

    天田勝正君 兵士大会でもよろしい。
  1203. 小林太郎

    小林証人 はあ、その状況をお話いたしますと、ナホトカに着きまして私がその隊の指揮官をやつておりました。着きましたところがアクチブの若い人が、絵芝居と申しますか絵芝居をやるから將校諸君出て來て見て貰いたい、こういうことでそれはいいというので出ました。ところがそこでアジが始まりまして、趣旨としたところは、將校が襟章を附け星を附け昔の軍國の姿そのままで來た、こういうような点を非常に突いて参りました。私は考えますのに、そういうことはソ連の意図ではないと私は思うのであります。と申しますのはナホトカに政治的顧慮からああいう運動が禁止されたということを漏れ聞いておりましたので、これは意図外に出ておるなということを感じまして、向うの政治部の中佐に直訴した。私は参りませんがナホトカの実状に詳しい方が直訴されて政治部の少佐が飛んでこられまして、この人は日本語の非常に達者な人でありましたが、アクチブのそこへ來られて、それは行過ぎだと言われたので私はあなたに謝ると申されまして、私に謝りました。これが第一分所でそういう事件が起りまして、それから第二、第三とは極めて平穩に、表面は平穩に内面においてはなかなか何と申しますか変な氣持でもつてナホトカを出発いたしました。内面と申しますと、ソ連からは禁止される。併しそれが氣分的にもやもやとしたところがあるわけであります。
  1204. 天田勝正

    天田勝正君 その場合ですね。これは第一回の場合でもよろしうございます。それから第二回のアジの場合にいたしましても、そうした兵士大会、これが決定権をもつようにやるには、勿論御証言のようにソ連で非合法でございましよう。そこでそれらの日本人のそこに勤務しておられたアクチブの人達が、召集の場合か、或いはその大会の場合か、自分達のこの大会のやり方によつて、お前らここから帰すも帰さないも自由だ。こういうような態度或いは言葉において、そうした表現をなまたかどうか。
  1205. 小林太郎

    小林証人 全般の雰囲氣は、これは直接帰還に結び付けたのだ。こういうことは雰囲氣は満ち満ちております。さて実際アクチブがその言質を我々に與えたかどうか、ちよつ記憶がありません。言質と申しますか、帰還問題と結び付けた言質は聞かないように思うのであります。
  1206. 天田勝正

    天田勝正君 例えば初めの人民裁判にあなたが立会われた場合に、さつき小林証人が言われたように、これらのものは別のテントに入れるとか、こういうことがあると思うのであります。その大会の場合に囂々たる非難が起きたのに対して、それらの処置は自分に委せろ、自分達に委せろ、こういうような表現ですね。表現にしましても、そういうような言葉がありましたですか。
  1207. 小林太郎

    小林証人 ありました。「諸君、これをどう裁判するか、諸君の手で決めて呉れ」こういう態度で出ますが、然るべき方向にこれを司会して行くように考えます。
  1208. 天田勝正

    天田勝正君 あなたがナホトカから舞鶴に帰還したその船の中や、舞鶴に上つてから今度は逆にその兵士大会を主催した方の人達、これらの人達に対する攻撃が行われておつたことと思うのでありますが、そうした事件をあなたは見られるか聽くかいたされましたか。つまり逆にこれらの人を今度は船の中でリンチ云々とか或いは詰問するとか、こつちへ上つてから暴行まで至らないにしても詰問するとか、こういうようなことについて如何がでありましたか。
  1209. 小林太郎

    小林証人 見ましたし、聞きました。
  1210. 天田勝正

    天田勝正君 見られた。それは船中でありますか。上陸後でありますか。
  1211. 小林太郎

    小林証人 船中であります。
  1212. 天田勝正

    天田勝正君 それは詰問ですか。暴行という程度に亘つておりましたか。
  1213. 小林太郎

    小林証人 これはちよつと私の立場を申上げます。私は副梯團長でございました。そこで船に乘るとそういう事件が起るだろうと予察いたしまして、赤にする、白がいい、これは内地は自由なんだから、自由にいわゆる法の擁護の下に自由に研究して、或いは討論して頂きたい。併し私は副梯團長として、船の中で警察権もはつきりしてない、法もはつきり備わつてない船の中で、そういうことは御免蒙る、こういう態度で参りました。そこで、暴力沙汰はなかつたように私は思います。ただ私の將校梯團の中では、將校として、切瑳琢磨という意味で、暴力沙汰もあつたようでございますが、これは又別な意味で默認いたしました。
  1214. 天田勝正

    天田勝正君 もう一つ、これは先程の問題に戻ることですが、午前中の証言で、あなたは命令系統の点についていろいろな系統がある、衞生関係とか或いは作業関係とかある、それらがずつと纒まつてつて一番の大元は、これは捕虜大臣が握つておる、こういうようにおつしやつたのでありますが、その捕虜大臣というのは、過日の各証人証言を聞きますると、ソソロバル中將と言つておりますが、その通りでありますか。
  1215. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。捕虜大臣と申しましたのは、蒙古語で飜訳すると捕虜大臣となるのだとこう聞きました。それで捕虜大臣と申上げました。
  1216. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 高橋証人にお伺いしたいのですが、あなたが糾彈されたと言いますが、その場合は何を糾彈されたのですか。
  1217. 高橋俊哉

    ○高橋証人 第一に薬物の件でございます。一度貰つた薬物を又蒙古側に横流しする。それで贅沢しておつたのではないかということを伺いました。これは全然そういつたことはありませんでした。それから二番目に糧秣のことであります。糧秣のことについても、患者は私が糧秣の係をしておりましたために、毎週一回ずつ患者に糧秣の状況、或いは糧秣の料理の方法、こういつたことを患者全般に聞きまして、そうして話しておりましたために、患者も亦そういつたことを報告してくれました。これも全然何ら……
  1218. 岡元義人

    岡元理事 高橋証人に申しますが、要点だけお答えして下さい。
  1219. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そういう疑いが持出されたというのは、どういう方から持出されたんですか。先へ帰つて來た人達の間から出たんですか、話が出てそうなつたのか。或いは山をかけて、責任者が何か悪いことをしてないかというところから、そういう仮想的な糾彈をやつたのか。
  1220. 高橋俊哉

    ○高橋証人 山をかけたんだと思います。例えば病院勤務者を叩けば埃が出るというようなことをいつておりました。
  1221. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それから先程の証言で野村という方ですか、大分三十分ほどかかつたというのは、それはどういうことについての糾彈ですか。
  1222. 高橋俊哉

    ○高橋証人 やはり部隊員処罰の件、それから隊長が特別な食事をしていたといつた件。
  1223. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 まあそれに類したことですか。
  1224. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。
  1225. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 処罰というのはどんなことが問題になつたんですか。
  1226. 高橋俊哉

    ○高橋証人 やはり絶食であつたと思います。
  1227. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 やらせた。
  1228. 高橋俊哉

    ○高橋証人 はあ。
  1229. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それも恐らくやはりそういうことをやつたんだろうということを、「かま」をかけてのことだつたんですか、或いは先に帰つた人達が問題にしたか、或いは一緒に帰つて來た者が問題にしたか、それはどういうんですか。
  1230. 高橋俊哉

    ○高橋証人 このことははつきり分りません。
  1231. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 よろしうございます。それじや小林証人、あなた糾彈なされたのは、どういうわけでなされたんですか。
  1232. 小林太郎

    小林証人 私のはちよつと変なことになつておりますが、兵士大会のある前日に、お前は糾彈されないかという密報がごさいました。誰がどこの兵士か分りませんけれども、当日になりますと、小林少佐出ろと、こう申しました、三人おりますので立ちました。立ちましたところが、私の連れておりました私の三大隊部下百五十名ばかりおりまして、それが私が立つと同時に出ちやいかんと、こう皆声を揃えて言つて呉れました。そのうちの一人がちよつと変になりますが。この人は生神樣だと言いました。そこで生神樣問答が始まりまして、その問答をしたのが吉良という方だそうであります。後から知りましたが、生神樣という、然らば小林隊のそれは兵達だろう、一番汚い恰好をした兵隊さんが立たされまして、諸君、生神樣の服装、生神樣の部下のこの兵隊の哀れな服装、これを見てどう思うかということからいろいろ問答がございました。私もその当時立派な外套も着ておりますし、甚だ恥入りまして、まだ前へ出ない、立つたままで問答がありました。その吉良氏の趣旨とするところは、小林氏個人については俺は恨みはない、ただ今までの軍隊の奴隷制度というものに麻痺されちやいけないのだ、ちよつと言葉は忘れましたが、こういうことを言われまして、最後に小林氏は今申したけれども、個人的にはいい人だという話だから坐つてよろしいということで無罪になりました。坐りました。そういうことであります。
  1233. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それでお伺いしますが、そういう糾彈とかいうと恐ろしい言葉に聞えますが、話が分るというとそういう調子でさつと行くんですか。
  1234. 小林太郎

    小林証人 ええ分ります。高橋さんの場合で言えば、無実だと言えばすぱつと終ります。
  1235. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 拍手を以て送る、高橋さんの場合はそうですね。
  1236. 小林太郎

    小林証人 そうです。
  1237. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 そういう調子と解してよろしいですね。あなた達の場合は……
  1238. 小林太郎

    小林証人 私の場合はそうでございますが、十人中、眞に糾彈さるべくして糾彈された者が私の知つておる範囲では三割くらいであろうと思います。こうまでいじめんでもいいじやないか、こういう感じだつたんです。
  1239. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それは間違つて糾彈された、そういうことになるわけですね。
  1240. 小林太郎

    小林証人 結局そうであります。
  1241. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 併しながら間違つておることはその場合分らないからその儘で終つたんですか、少しまずいことだというところはあつたのですか。
  1242. 小林太郎

    小林証人 そうであります。弁護士のない裁判でありますから一方的になります。
  1243. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 分りました。
  1244. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 小林証人にお尋ねいたしますが、一問一答で簡單ですから……。先程あなたが最初にナホトカに着かれて、兵士大会か人民大会か知りませんけれども、とにかくそこで少佐以上は奥地に送り返された、それを仄かに聞いておつたときに、外の少佐以上の人もおつたということで、あなたは簡單に奥地に唯々諾々として、これは行かざるを得んから行つたんでしようが、そういうふうにそれは仄かに聞いておつたんですか、或いはソ連側としてはそういう点ははつきりしているんでしようか。
  1245. 小林太郎

    小林証人 誰が私を奥地を入れたかということは未だに分りません。俗にスターリン命令だ、スターリン命令だ、こう申しておりますけれども、それは私共の俗な言い方でございまして、分りません。
  1246. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 ウランバートルの生神様が少佐という階級を附けておつたというので、すつと送られたということに対して、当時は強い不審をお持ちになりませんでしたか。
  1247. 小林太郎

    小林証人 当時不審に思いましたのは、蒙古は独立國だから私共は別扱いだと、こう思つておりました。從つてナホトカで止められるということは私共蒙古梯團はなかろうと、こう思つておりました。
  1248. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 先程大体お述べになつたのでありますが、最初のナホトカのその模様をもうちよつと詳しく聽かして頂けませんですか。
  1249. 小林太郎

    小林証人 私の関係だけ申します。
  1250. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうです。
  1251. 小林太郎

    小林証人 途中でマルシヤンスクの將校梯團と列車が行違いになつておりました。向うが先に止まつたり、私の方が先に行つて見たり、そういうふうにやつて参りました。マルシヤンスクの將校梯團は停車いたしますとアカハタを歌います。こちらは全然知りませんのでびつくりいたしました。これは大分時勢に遅れた、こういうふうに直感しました。(笑声)そういうふうにして追いつ追われつやつて参りまして、ナホトカ駅の三つ前の駅で小林梯團から百名使役に残れ、こういうソ連側の命令がございました。副官がやつて來まして大隊長殿、百名残れということだと申しました。その声を日本人のアクチーブが聞きまして、あなた方はまだ大隊長殿という言葉を使つておるが、そういう古いことでは帰れないぞ、こういうふうに教えてくれました。私はそのときの直感を申しますと大隊長がぼやぼやしておるためにこれだけ時勢に遅れてしまつた。若しもこれで皆なが帰れなくなつたら大変だ、こう思いましたので、將校全部襟章を取り、大隊長殿と言つてはいけない小林さんと言え、急に白粉をつけましたけれどもナホトカですつかり剥げてしまいました。(笑声)そうしてナトホカ駅に着きまして、先刻申しましたように小林梯團は蒙古でうらぶれた混成部隊でございまして、列車から荷物を降すこと、集結をすること、炊事をすること、如何にもだらしがなかつたのだろうと思います。これはあとからの感じでございますが、その当時は分りませんでした。そういうだらしのない乞食みたいな集團で、ナホトカに行きまして、そこで先着の、私の三大隊の即ち前の梯團で帰つたものが逐次様子を知らしれ呉れました。それは、人民大会というものがあるのだ、とにかくおとなしくしていないとこれは帰れないということを、誠しやかに申しますので、そこで急に皆緊張いたしまして、いわゆる帰還問題と結び付きまして非常に緊張いたして、その前の晩ナホトカの收容所の外の庭に夜営をいたしまして、翌日收容所に入りました。以下高橋さんがさつき言われたような経過で人民裁判がございました。三十八名前の壇の下に出されまして、逐次土下座をしたり謝つたりいたしましたが、人間が余り多過ぎて最後の十名、十五名ぐらいは土下座をせずに、これはその他、多勢ということで一瀉千里で終りました。その三十八名は一時別の天幕に入れられまして、帰還ができるかできないか非常に心配しておりましたけれども、前々からの情報で、一時はそういうふうなお灸をすえられるけれども、結局一緒に帰れるのだというような考えを、この天幕の人は持つてつたようであります。人民裁判についてはそれだけであります。
  1252. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから各梯團或いは各將校がナホトカに帰つて來るまで襟章を附けておつたり、或いはこういう階級その儘の形で來ておるということに対しては、ソ連当局からそれに対して、こういうものを取れ或いはその儘行けというようなことに対しての許容はあつたのですか。
  1253. 小林太郎

    小林証人 許されております。
  1254. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 要するに捕虜がソ連当局において許されておる。それをそうした兵士大会とか人民大会でやるということに対して不審に思われたことはありませんか。
  1255. 小林太郎

    小林証人 日本人自体の問題だと思います。
  1256. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 日本人自体、併し日本人自体だといつたつてあなた方が帰つてこられて、ナホトカから函館に着かれる、或いは舞鶴に着かれる。着いてそうして引揚港から一歩出たときに初めて自由の体になる。それまでは自由の体ではない。そうしたことになる。そういう場合において、その支配團が有しておるものをそういうように変革するということはいいのかどうかということに対して御不審をお持ちになられましたか。
  1257. 小林太郎

    小林証人 それは持ちましたが、矛盾があります。
  1258. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 矛盾がありますか。それからもう一点だけお尋ねいたしますが、あなたが奥地に帰られたときの状況はどんなふうですか。
  1259. 小林太郎

    小林証人 奥地に行きましたところが、いわゆる……
  1260. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 ちよつと、奥地に引返せという指令は誰があなたに通達しましたか。それは民主グループの人達がなされたのですか。或いはナホトカの捕虜收容所のソ連当局からそういう指令を頂いたのでありますか。
  1261. 小林太郎

    小林証人 ソ連当局から頂きました。
  1262. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それから……
  1263. 小林太郎

    小林証人 それからスーチヤンという所に行きました。行つて見ますと、俗にいう大反動グループの中に入りました。一つ收容所の又もう一つ中に鉄柵の中に入つておる將校收容所でございました。そこに入りました。その收容所はソ連でも珍しい立場を堅持しておる團体でございました。今長命中佐それから津村中位などおつたのでありますが、これの趣旨としますところは、國際法によつて我々は正しく保護さるべきものである。こういうことを申しまして、その通りに実行しておりました。
  1264. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 あのポツダムの條項の中に、武裝解除後は、各自の家庭に帰した平和な業務に就かしめるという條章があるのですが、そういうような点につきましては、あなたが向うにおられる間、お知りになつたおりましたでしようか。
  1265. 小林太郎

    小林証人 よく知りませんでした。
  1266. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 知らない。それからもう一つ、あなたが奥地に引返されるソ連当局の命令、これに対して少くとも最後の引揚梯團として、ウランバートルを出られた。これは外蒙側の命令によつたものであるか。勿論あなたのさつきの証言から言えば外蒙側の命令だ。それがナホトカで奥地にソ連当局の命によつて返された。要するにそういうような民主グループの人の扱い方によつて、或いは進言、或いは讒訴と申しますか、そういうようなことによつた返されたというようなことに対して、大きな疑問をお持ちになりませんでしたか。
  1267. 小林太郎

    小林証人 今でも分りません。
  1268. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 分らない。それからその奥地に引返されまして、再びナホトカに出て参りましたその間どの位の月日を閲しましたか。
  1269. 小林太郎

    小林証人 約一年であります。
  1270. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 約一年、そうするとあなた以外に少佐以上の階級でない人で、ナホトカまで折角出て來た者が、奧地に引返されたというようなことをお聞きになりましたか。或いは現実に見ましたか。
  1271. 小林太郎

    小林証人 現実に見ました。
  1272. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 見ましたか。それは多勢ですか。
  1273. 小林太郎

    小林証人 私のグループにナホトカからピストンをして入つて來たのが十九名おりました。それから同じくナホトカからピストンしたけれども、私のグループに入らずにその二重の枠の外の收容所に入つた將校五名を見ております。
  1274. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それは少佐以下ですか。
  1275. 小林太郎

    小林証人 少佐以下でございます。
  1276. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 兵隊などにありませんか。
  1277. 小林太郎

    小林証人 兵隊さんでも知つておりますのは、私は名前も知つておるし間違いないのは一名でございますが、その外、少しはピストンして帰つているんじやないかと思います。ちよつと分りません。
  1278. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そういうふうにですね、もう向うから還つて來た人達のお話を聞きましても、誰しもが一刻も早く還りたいという人達ばかり、それがナホトカまで還つて來て、そして海を見ながら又奧地に引返しているという、向うにおられた方、それ以上のですね、苦しみと言いましようか、或いはその大きな感動をです、衝動を受けられたことがありますか。あなたがいよいよですね、船に乘るのだ、或いは海が見えたのに、そこまで來たのに、お前は奧地に帰れと、それ以上の大きな衝動を感じたことがありますか。それが一番大きな衝動ですか。
  1279. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。
  1280. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうですか。
  1281. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 これは何時までやりますか。
  1282. 岡元義人

    岡元理事 沢山ありますか。
  1283. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 いやちよつと。
  1284. 岡元義人

    岡元理事 じや簡單に。
  1285. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 小林証人にお伺いします。このあなたがナホトカに來てですね。先きお話になつた少佐級は還れないということを誰にお聞きになりましたか。
  1286. 小林太郎

    小林証人 日本將校に聞きました。
  1287. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 將校に。
  1288. 小林太郎

    小林証人 はあ。
  1289. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その人も還れずどこかに行つたわけですか。
  1290. 小林太郎

    小林証人 そうであります。
  1291. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 それで幾人の人が残つたというか、それは私の今まで調べたところでは、人民裁判とか兵士大会というものは、そういう処罰をする権能は持つていない。若しこの後へ返されるという場合は、別のことが発覚したとか何かで返されるということを聞いております。あなたの場合はあなたの周囲の幾人かの人は何かあつたとあなた思われますか。
  1292. 小林太郎

    小林証人 私の周囲は最初は少佐以上でありまして、全部いわゆるスターリン命令で残された者ばかり。
  1293. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 その少佐以下でも……
  1294. 小林太郎

    小林証人 少佐以下はこれは報告も聞いておりませんが、ナホトカで待機中にあそこの民主グループと意見か衝突をした。民主グループに強く意見の具申をして睨まれたとか、そういつたことを本人から聞いたことがあります。それがこちらに返された原因だろうということを本人たちから聞いたことがございます。
  1295. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 先日の証言で津村謙二証人は、兵士大会の決議というものはそのままではソ連の方では認めるものではない。これは日本人同士の判断であるからというので取上げないと、併しその場合別の例えば特務機関であつたとか、何かそういうことが発覚した場合には止めるか、送り返すことがあるということを証言しておりました。それですからあなたにお聞きするのはただ理由なしに兵士大会か、それの言い分からして、送り返すというようなことにはならない筈だから、そこに何かの理由があなたには考えられないか、返すのは外の少佐級ばかりでなしに、外の人の場合でも何かお考えになつたことはありませんか、感ぜられたことがありませんかと私聞くのであります。
  1296. 小林太郎

    小林証人 別にございません。
  1297. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 あなたには分らんということですか。
  1298. 小林太郎

    小林証人 はあ分りません。
  1299. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 小林証人にお伺いしますが、これは一つ今でなくてもよろしいのですけれども、できましたならば、当委員会に、今あなたと一緒に來られた方、或いはあなたの目撃された方、そうして奧地にやられた人の名前、職業、そうした点を若しお分りになつたならば、今日でもよろしうございます。できれば一つ早い期間に委員会宛に、この十日ぐらいまでに委員会に着くようなふうに送つて頂きたいと思います。  それからもう一点。それはまあソ連はいろいろ計画経済の國である。そうした点で、各收容所からどんどん帰れという命令を出すのは、これはソ連の当局だろうと思います。それが折角ナホトカまで送り出して、そうして又奧地に返すというようなことに対して、ただ單に兵士大会とか、人民裁判とか人民大会とかいうようなことによつてなさるというような問題に対して、今あなたの証言を聞きましたが、更にそれに対して、どうもこういうような点が一入腑に落ちないという点がありましたら、それも同時に一つ書面によつて出して頂きたい、こう思いますが、委員長からも要望して頂きたいと思います。
  1300. 岡元義人

    岡元理事 只今淺岡委員の御発言の内容につきましては、できる限り小林証人が知つておられる範囲に記憶を辿られまして、そうして而も十日頃までに当委員会に着くようにお手配ができる限りして頂くように要望して置きます。
  1301. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 小林証人にお伺いしますが、あなたがおられた間に、軍関係の事柄からして、死刑にされたとか、或いは禁錮にされたとかいう者はありましたか、どうですか。それというのは……
  1302. 小林太郎

    小林証人 どこにおつた場合ですか。
  1303. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 おられた当時。
  1304. 小林太郎

    小林証人 ソ連でございますか。
  1305. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 或いは禁錮。
  1306. 小林太郎

    小林証人 ありません。
  1307. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 何もない。
  1308. 小林太郎

    小林証人 はい。
  1309. 細川嘉六

    ○細川嘉六君 私がそういうことをお伺いするのは、英米その他中國から南の方にかけて、あの線上では、死刑になつた方もあるし、重禁錮にされた方もあるし、いろいろ重刑が行われておる。ソ連ではないということですね。
  1310. 小林太郎

    小林証人 その点は存じません。
  1311. 岡元義人

    岡元理事 この際委員長から一、二点小林証人証言を求めて置きたいと思いますが、先程淺岡委員から要望されましたその書類提出の際には、できる限う、長命中佐とか、只今いわゆる收容所内に残つておられる方の氏名も十分御調査になり、御記憶を辿つて頂くようにお願いいたしたいと思います。  それから尚、只今までの御証言中で、こういう工合に解釈してよろしいか、この点一点伺つて置きたいと思いますのですが、人民裁判にかけられて、そうして小林隊長が生神樣である、この人はと言つてあなたの隊員から申出があつた。それにも拘わらず、実際においてはあなたは奧地に一年間追いやられた、こういう結論になるわけでありますが、先程來高橋証人等の証言にあります事情と非常に違つておりますので、結局結論は、人民裁判にかけられなくても自分は奧地に行かなければならんというような状態にあつたのだと、何も人民裁判にかけられて、それによつてやられたのではないと、こういう工合に解釈してよろしうございますか。
  1312. 小林太郎

    小林証人 その通りであります。
  1313. 岡元義人

    岡元理事 それからもう一点、ナホトカの第三百八十收容所ということにつきまして、何か御承知でございますか。
  1314. 小林太郎

    小林証人 存じません。
  1315. 岡元義人

    岡元理事 それから先程の証言中で、非常にまだはつきりしておりませんでしたが、一年間の間收容中はやはり作業をさせられるのでありますか。
  1316. 小林太郎

    小林証人 ソ連でございますか。
  1317. 岡元義人

    岡元理事 ええ。
  1318. 小林太郎

    小林証人 作業をさせられません。
  1319. 岡元義人

    岡元理事 そうしますと今まで作業をさせられたことと、それからその一年間に作業をさせられなかつた点についてどうお考えになつたのですか。
  1320. 小林太郎

    小林証人 前は隊長として作業いたしました。これは当然の義務だと思います。それからソ連に入りまして一年間作業をしなかつたことも、國際法によつて正しいことだと考えます。
  1321. 岡元義人

    岡元理事 ちよつとその点がはつきり呑み込めないのですが、もう一回、どういう論拠でそういうことが言えるのですか。
  1322. 小林太郎

    小林証人 將校は指揮官として働く義務があると考えます。併しソ連でやつておりましたように、労働者としてノルマを要求されて労働する、これは間違いだと考えます。從いまして私の経過したのは両方とも合法的だつたとこう思います。
  1323. 岡元義人

    岡元理事 その点私から質問いたしますが、若し蒙古に入らずに、ソ連に最初から行かれておつたとするならば、小林証人はいろいろ作業をする必要はなかつた、こういう工合に考えられるのですか。
  1324. 小林太郎

    小林証人 私は作業をしておつたと思います。それは私の氣持でございます。
  1325. 岡元義人

    岡元理事 実際において……
  1326. 小林太郎

    小林証人 実際においてでございますか。それはソ連におります將校でも、働いておる將校と全然働いていない將校と両方ございますので、まあ私は働く將校に入つてつただろうと思います。
  1327. 岡元義人

    岡元理事 それは希望によつて働くと、こういう意味ですか。自分の意思によつて……
  1328. 小林太郎

    小林証人 そういうわけでございます。
  1329. 岡元義人

    岡元理事 先程の御証言、どちらも合法的である、こういうようなことになりますならば、蒙古といわゆるソ連とは違う、こういうことになるわけですか。そのように解釈してよろしうございますか。いわゆる捕虜扱いというものはこれは断然なきものでなければならんと考えられるにも拘わらず、蒙古とソ連とは違うのだと……
  1330. 小林太郎

    小林証人 違いません。
  1331. 岡元義人

    岡元理事 それであるならば作業はやはり自分の希望によつてつたのだ、こういうことになるわけですか。そういう署名が何かされたのですか。
  1332. 小林太郎

    小林証人 蒙古では希望していませんけれども、私は大隊長でございますから、みずから指揮をいたしました。但し外の大隊では一兵卒になつて労働しておつた若い將校がございますから、そういう形から言えばソ連も蒙古も同じだと、こう申上げた次第であります。
  1333. 岡元義人

    岡元理事 もう質問を打切りますが、尚一点だけ。先程人民裁判にかけられなくても、奥地にやられる立場にあつたのだということをお述べになつたのですか、では外の者でも、人民裁判に実際かけられてもかけられなくても奥地にやられる者はやられると、こういう人が外にもおると、こういう工合に考えてよろしうございますか。あなたの場合だけではないと……
  1334. 小林太郎

    小林証人 私はおつしやる人民裁判の範疇と申しますか、それがはつきりいたしませんが、今から裁判するのだと、こういうのが人民裁判だとおつしやるのですか。
  1335. 岡元義人

    岡元理事 その兵士大会……
  1336. 小林太郎

    小林証人 兵士大会では現実に入つた者はないと思います。ピストンも奥地に入つた者は、私の知つている範囲では、アクチブと喧嘩したとか、そういうことをまあ原因に考えておる者もありますけれども、いわゆる兵士大会ではないように思います。奥地に入つた者は……
  1337. 岡元義人

    岡元理事 もう一回、その点はつきりして置きたいと思いますが、兵士大会においては奥地にやるということを決めた者はないのだ、こういう意味でございますか。
  1338. 小林太郎

    小林証人 そうでございます。
  1339. 岡元義人

    岡元理事 着席願います。淺岡委員
  1340. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それでは小林証人に重ねてお尋ねしますが、さつきあなたは私の質問に対して、私は少佐以上だつたから少更以上の人間と共に奥地にやられた、併し少佐以下の將校であり、或いは將校でない兵隊でも奥地にやられた、自分はそういう人の名前も知つておる、こういうことであつたから、それで私はそういう知つた人を知れる範囲で書いて出して呉れと言つたが、そうすると今の委員長のあなたに求められた証言、あなたのそれに対する証言ちよつと喰い違うように思いますが、その点どうでしようか。
  1341. 小林太郎

    小林証人 それは今から申す人民裁判とは、兵隊が全部集まつて公開で裁判をいたします、本人の罪状について……。それを人民裁判と申します。今仮にその意味の人民裁判をピストンしたその人は私は知りません。さつき申上げました十九名、それから次に來た五名、これは大民裁判ではないと思います。只今申します人民裁判では……
  1342. 岡元義人

    岡元理事 小林証人に参考までに申上げます。人民裁判の執行をやられた津村謙二、これは先の委員会におきまして、自分がやつておる間に五十数名を残したという証言があるのです。今の小林証人証人と又喰い違つておる。この点一つどういう工合に解釈すべきか。
  1343. 小林太郎

    小林証人 その時の津村氏の人民裁判とはどういう方法ですか。
  1344. 岡元義人

    岡元理事 兵士大会です。
  1345. 小林太郎

    小林証人 兵士大会、私はそういうことは知りません。
  1346. 天田勝正

    天田勝正君 先程の小林証人証言は、何か我々には呑み込めない点がある。それは自分がソ連に初めからおつたとするならば、働いておる方の將校になつただろう。こういう証言があり、それに対して淺岡委員の又質問があつて、それは自分が働く方に希望するだろうから、こういうお話しでありました。然るに蒙古におりました時は、別にあなたは希望しておりません。又捕虜という性質上からいたしまして、希望して隊長になれるという筋合とは私共はどうしても考えられません。大隊長であつたから要するに指揮をしたんだ。こうあなたはおつしやつておりましても、それは蒙古側がそれは命令すると同樣に、自然にそうなつておるのだからして、水の流れるごとくそのまま先ず隊長にして置こう。こういう要するに容認がなければ、当然それは隊長になんかなつておられる筈がない、その場合、從つてそういうことであるからして、あなたが希望して隊長になつたとか、希望して働くようになつたのではなくして、やはり普通の私共の常識からすれば、結局向う命令されて隊長になつた。こう了解するより仕方がないと思うのであります。そういうことからいたしますれば、どちらも要するに合法的であるということは理解できないのであります。そこでやはり、片方のソ連におつて、自由に希望によつて働きできれば、又希望がなければ、國際法によつてそのまま保護されるというのが本当ならば、片方の蒙古の方の場合、あなたがさつき隊長の場合に、こういう点だけは自分の自由にならなかつたと言われた。このことが私はすでに命令されておつたというふうに考えられる。でありますから、蒙古側の扱いの場合は非合法であるというふうに解釈しなければ、どうしてもマッチいたさないと思います。どうお考えになりますか。
  1347. 小林太郎

    小林証人 分らなくなりました。
  1348. 天田勝正

    天田勝正君 それではよろしうございます。もう一つお聽きしたいのは、私は何回もここの委員会証人を喚問した場合に、一番不思議に思うことが二つある。これは小林証人、高橋証人、永井証人にそれぞれお聽きしたいことでありますが、一つの知識階級でなければいざ知らず、相当知識階級の方がここでお話される場合には、相当國際法の点などもよく御存じの方の場合に、この疑問が私に起きる。それは國際法の建前からいたしましても、民團の方、一般の居留民であつて、これが強制労働をさせられる筋合はない筈であります。それを何の理由もなしに、看過しておつた。ここに矛盾を一体感じなかつたかどうか、これが一つあるのであります。もう一つは過日の証言でも、今日只今小林証人証言を聞かれましても、人民裁判等によつて返されるとか、返されないとか、流言かも知れませんがそういうことによつて非常に戰々兢々とした。然らばそれ以前にどうやつて教えられたかというと、簡單な言葉でこれを表現すれば、日本は地獄である。ソ連は天國である。こういうふうに教え込まれている筈である。或績が悪かつたりアクチブと衝突したり、そういう衝突したようなやつは早く地獄の方へ落してやつた方がいい筈なんだ。ところがそういう衝突したり或いは成績が悪かつたりこういう連中の方を天國の方へ置いといて、地獄の方へ今度は成績のいいやつを落してやる。こういうことに対して一体何の疑点も持たなかつたということは、私は不思議でたまらない。この二つの点について非常に小林証人は筋道が立つてお答えになつておるので一つつておきたいと存じます。……では一つずつにします。國際法のこと、皆さんここへ來られて……あなた方ばかりではありません。御存じになつておる方をここへお呼びした場合に、軍人、軍属ならばいざ知らず、居留民の人が強制労働に服させられる、このことに対して一体疑点を持たれないのか、私共にはちよつと理解ができないのです。そういうことについて非常に矛盾を感じて、これはどうも無理やりにやらされるのだから仕方がないというお感じで、そういうふうに從つて來たのかどうかという点お聞しておる点であります。
  1349. 小林太郎

    小林証人 それは私共の無智のいたすところであります。
  1350. 天田勝正

    天田勝正君 無智じやない、相当知つておられてここへ來た場合に……
  1351. 小林太郎

    小林証人 と申しますのは長命中佐のグループに入りまして國際法をよく……國際法と申しますか、長命中佐のグループの今までの考え方を知りますと、今我々は全く無智であつたということが氣が付きました。
  1352. 天田勝正

    天田勝正君 後でお分りになつたのですか。
  1353. 小林太郎

    小林証人 はあ。
  1354. 天田勝正

    天田勝正君 それで分りました。
  1355. 岡元義人

    岡元理事 では大分時間も経つて参りましたが委員の方でまだ御質問がございませんか。    〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  1356. 岡元義人

    理事岡元義人君) それでは長時間に亘つて証人各位も熱心に審議を続けて來られたのでありますが、一番最後に日本冒頭に各証人委員長から御注意を申上げました通りに、当委員会吉村隊事件を通しまして一時も早く眞相をば明かにして、そうして留守家族まだ約四十六、七万という同胞がソ連地区に残つておるという段階におきまして、こういう留守家族の方々の無用な不安をば一時も早く除却して上げたい。こういう趣旨と、今年度は恐らく輸送が完了するであろうという前提の下に考えました際に、今までの死残者が相当問題になつて來るわけであります。こういう点に対してできる限りその状況をば把握したい。尚又当委員会におきましては、日本民族の持つておりますところの民族性を通じまして、この吉村隊事件を通して自己反省の機会ともしたい。こういうような目的を以つてこの事件を取上げ、先月の十二、十三、十四の三日間、又更に愼重を期するために本日ここに御出頭つた次第なんであります。当委員会の目的は十分に御了承できたと思うのでありますが、最後に証人の中から是非とも当委員会に特に申上げておきたいことがあるというようなことがございますならば、発言を許したいと思いますので、お申出を願いたいと思います。ございせんか。
  1357. 小林太郎

    小林証人 私はございません。
  1358. 岡元義人

    岡元理事 外の証人は……
  1359. 高橋俊哉

    ○高橋証人 一言申上げます。私の聞いたところによりますと、外蒙ウランバールの監獄に尚、当時の満洲國の顧問をやつておられた方、その外の方約六名がここに監禁されておつて、全然帰る見込がないということを言つておられたということを、これは小林少佐と向うでは言つておりましたけれども、実際は承徳の小林憲兵曹長、この方がやはり監獄から出て來られて、是非日本に帰つたらこの帰還運動をいたしたいということを言つておられました。
  1360. 岡元義人

    岡元理事 その外、目前は分つておりませんか。
  1361. 高橋俊哉

    ○高橋証人 分つておりません。小林曹長に当時名前を聞きましたが、忘れました。
  1362. 岡元義人

    岡元理事 他の永井証人渡邊証人、御発言ございませんか。
  1363. 永井正

    ○永井証人 ございません。
  1364. 渡邊廣太郎

    渡邊証人 ございません。
  1365. 岡元義人

    岡元理事 各委員におかれましては、長時間に亘りまして、もうすでに十時になろうといたしているのでありますが、熱心に審議を続けられましたことを、委員長より厚く感謝いたしたいと思うのであります。これにて吉村隊証人喚問は打切ります。  先程述べましたように、本日たまたま、前の笠原証人或いは酒井証人或いは池田証人等と渡邊証人証言の喰い違いにつきましては、成規の手続を以てこれが調査をいたすということにいたしまして、本日は委員会を閉じたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  1366. 岡元義人

    理事岡元義人君) ではこれにて委員会を散会いたします。    午後九時五十八分散会  出席者は左の通り。    理事            天田 勝正君            岡元 義人君            星野 芳樹君            鈴木 憲一君    委員            木下 源吾君            淺岡 信夫君            伊東 隆治君            木内キヤウ君            北條 秀一君            穗積眞六郎君            矢野 酉雄君            細川 嘉六君            千田  正君   証人            小林 太郎君            高橋 俊哉君            永井  正君            渡邊廣太郎