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1949-03-25 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年三月二十五日(金曜日)   —————————————   本日の会議に付した事件昭和二十三年十一月初旬の舞鶴にお  ける引揚者暴行事件  (右事件に関し証人証言あり)   —————————————    午前十時三十二分開会
  2. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 只今から在外同胞引揚問題に関する特別委員会を開会いたします。議題は昨日からの続行でございますが、念のため繰返しここに申上げることにいたします。昨年十一月一日、二日、舞鶴入港英彦丸、惠山丸、高砂丸暴行事件に関して、共産党細川委員よりしばしば政府当局に対し質問書を発し答弁を求められ、又昨年十一月十八日参議院会議において細川議員より、この暴行事件に対して十三名の人たちが行方不明になつており、二三名の人が殺されておる、この報道を我々は今追求しておるというような発言もありましたし、又横浜市在外同胞帰還促進同盟金子道氏よりお手許に配付した資料第一のごとき、英彦丸乘込の一團は、二日入港高砂丸にて帰還したものを殴打し、死者三名、負傷者五十名、入院を要する者二十三名に及べりという。その他千五百名分の食糧携行に対し、三千名を收容し、殆んど乘込者は食なく帰れりというようなパンフレツトが巷間に配布せられたる事実あり、当委員会は速かにこれらの問題に対して、その眞相を究明し、事実ありのままをば國民の前にあらゆる機関をして知らしめるために、本日昨日より続行して二十一名の証人を喚問した次第でございます。審議の都合上この議題を四点に分けまして、第一点を輸送人員授受に関し不足人員を生じたという点並びに三名死亡云々の件、これが第一点で、第二点は舞鶴援護局内における暴行事件原因、並びに経過について。第三点はこの粉爭事件に関し官廳側の取られた処置、並びに対策について。第四点はその他必要の事項、この四点に分けて昨日審議をいたしたのでありますが、第一点の審議を終りまして、第二点の審議中に昨日散会いたしましたので、本日はその続行でございます。
  3. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 私は冒頭に一分間か、二分間でいいから、こういう委員会の内容に、審議に入る前に一言第四番目に関係しますが所見を述べて置きたいと思います。それはこの引揚げて來ておられる方々、証人として喚問しておりますが、ここに出ておられる各委員は全部各派を代表しておられるのでありまして、我が参議院特別委員会は一回、二回、三回、四回、五回と特別委員会作つて、全く政党派を起えてもう死力を盡して、証人諸君が早く一分間でも帰られるような方策を取つたのでありまして、現在においてもそれに死力を盡しておるのであつて、これは初めの第一回國会には共産党には実は委員は割当てがなかつたが、私たち緑風会から是非これは全部の各派を結集したいというので、一名だけ緑風会から委員をお讓りしてまで皆の政治力を結集して、一日も早く御帰還の日を迎えたいというふうに努力して今も続けておりまするから、その氣持においては寸毫のゆるぎもないのでありますので、そういうことはよく御了承の上に、一つ証人諸君氣持よく率直に御証言を願いたいということを私は希望を附して置きます。
  4. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 只今暴行事件審査継続について証人証言を始めて御異議がありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それではこれから証人証言を求めることにいたします。  この際証人各位に申上げて置きたいと存じます。昨日も申上げたことでございますが、委員各位証人各位に対して、明確活溌な御証言を求めておるのでございまするから、問題を逸育した御証言に亘らないようにして、而も活溌に明確にそうして御遠慮なく証言をして頂きたいと存じます。問題を逸脱しないようにと申上げまするので、必要以上を御用心をなさるというようなことは、これは決して委員側の求めるところではございませんので、この点御考慮を喚起して置きたいと存じます。  先ず昨日の最後岡元委員から証言を求められておりました、下中証人佐々木証人証言を求めますが、証人証言に先立ちまして、岡元委員からもう一度昨日の質問要点を御発言願いたいと思いますが。
  6. 岡元義人

    岡元義人君 繰返して申上げる前に、昨日草葉委員から委員長に対してこの証人欠席者に対する問題が、後刻調査した上で処置しますと委員長からお答えがあつたのでありますが、本日も尚大内証人が出席しないのであります。若しその理由はどういう工合になつておりますか、委員長の方でお調べになつたかどうか知りませんが、若し理由なくして出席しなかつたということでありましたならば、当然成規手続を以てこの処置をば委員長は諮つて頂きたいと思うのであります。それから最初にお諮りを願います。
  7. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 証人を喚問いたしました中で大内弘君一人まだ……。
  8. 岡元義人

    岡元義人君 途中でありますが尚附言いたしておきますが、大内証人は本日の証人啓喚に関しまして最も有力な証言を得なければならない証人であつたのであります。大内証人は特にモスクワにおいて正規の教育を受けた共産党組織の部員でありまして、この大内証人からいろいろ我々は大きな今後の資料をば得たい、こういう工合に考えておつたのであります。然るに一番大事な証人が欠席しておりますので、この点我々は非常に納得の行かない点があるのであります。その点お含みの上お諮りが願いたいと思います。
  9. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 大内証人が欠席されましたことについては、御本人からまだ何の届出もございません。それでお諮りいたしますが、事情を委員長は取調べまして、正当な理由のない場合には、法規に照して処直することに御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それではさよう取決めます。
  11. 岡元義人

    岡元義人君 それでは昨日の質問簡單に繰返しますが、先ず下中証人に対しまして私が質問いたしましたのは、ナホトカへの輸送の途中に輸送列車の中で反動摘発委員会というものを組織されまして、そうして一旦ソ連当局帰國を許した者を、その理由がどういう理由であろうともわざわざ残そう、こういうような処置がとられているということを昨日知つたのであります。お互いに血を分けた同胞であり、そうして一緒に苦労されたあなた方の仲間である者が、如何なる理由でそういうようなふうに残されなければならんか。昨日の説明では、反動分子は残さなければならんというような主張をば耳にしたのでありますが、私がお聞きしたいことは、どういう理由で以て反動……、單に反動だからというようなことでは我々としては了解に苦しむのであります。現にあなたが現在の心境、日本帰つて來日本状況を御覧になつて、そうしてあれ程宮城の前等におきまして、昨年の暮も殆んど七つになる子供、或いは七十幾つになる年寄があれだけの祈願をこめた。三日間も絶食して、いわゆる死を覚悟でみんなの帰りを待つている。そこには主議も主張も何にもない。ただ我々の民族の血を分けた同胞に一日も早く帰つて貰いたい、そういうことでああいう運動が行われていることを御承知になつていると思う。帰られた時の状況を考え合せまして、どういう理由でそういうことをしなければならないかということを明確にお答えが願いたいと思うのであります。  それから佐々木証人からお聞きしたいことは、一旦帰國を許された、いわゆる列車に乘る時には正規許可を受けておられる、こういう工合に我々解釈してよろしいか。ソ連当局内地まで帰すのは、いわゆるナホトカへ來て初めて帰國が決定するのか。それとももうすでに收容所を出る時に帰國許可を受けて出て來ているのか。この点を明確にして頂きたい。若しその途中におきますところの列車中において、お前たち残れという工合に言われた者は、それはソ連意思ではなく、日本人同士指令に基きものであるが、こういう点を明らかにして頂きたい。
  12. 下中範雄

    証人下中範雄君) 只今の御質問に答えます。反動摘発委員会において同じ日本人同士がなぜそういうことをしなければならなかつたか、こういうふうな御質問でありました。日本人同士が闘う必要はないじやないか。併しながら我々は日本人同士というその我々を戰場に追いやつて、そうして我々を殺す者は、一人の栄達或いは一部の人間の利益のために多くの大衆戰場に追いやつたのは果して誰であるか。同じ日本人同士であつた。我々が、ロシアで働く人たちが一生懸命に働いたその血と汗を搾り取つたような人間を、帰つて來日本人同士であつても、今まで眞面目に働いた人たちがその人間に対して怒りと憎しみを持つのは当然であると思います。そうした皆の意思、千五百名、こうした多数の意思を以て、今まで苦しめて來た人間を残そうとするこの意思は、皆によつて選出され、そうして代表された人間に取つて、この意思を代行するのは当然のことであると私は思います。日本人同士、こういうように言われましたけれども、それは鬪爭という言葉を、これを單に日本人同士が鬪うというふうにお取りかも知れませんが、併し鬪爭というのは、あらゆる面が鬪爭であると思います。自分たちの生活をよりよくして行こう、或いは日本の建設を、新らしい明るい日本を建設して行こうとするのも、これも鬪爭である。そうした面において日本人同士云々ということは、私はこの際当らないと思うのであります。そうした大衆意思、これによつてこの摘発委員会が作られ、そうした決議になつたのであります。
  13. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 次に佐々木証人
  14. 佐々木四郎

    証人佐々木四郎君) 只今委員側の御質問に答えます。帰還者メンバー構成であります。いわゆる帰還人員といいますか、ソ連当局の意図は、最も優秀なる作業成果を挙げた者を主体として逐次日本帰還させるということが、表向の規定であります。次には病弱者を先に帰還さすということも、その要点の中に含まれております。併しこれは一般の捕虜に対して適用されているのでありまして、私たち抑留者に関しましては、抑留期間中ソ連当局の、日本で申しますならば憲兵でございますが、それらの方たちから何回となく訊問を受けまして、過去におけるところの自分の身分、それから戰爭中のいろいろなスパイ行爲等を調査されまして、そうしてすべて抑留者に関する限りは調書ができてございます。それで最後にはいわゆる中央から、いわゆるモスクワから担当官が参りまして、そうしてその担当官が更に訊問いたしまして、その結果帰還人員というものが本部の方、いわゆる中央本部の方で決定されるものでありまして、一カラカンダ、一アルマアタ、一ウオロシロフ地区收容所の長官には、私ども中央から決定された抑留者帰還人員をとやかくすることはできないようになつているということを、私はソ連の將校から聞いております。從いまして私たち車中反動というようないやな名前を頂きまして、いろいろ私の車輛からも二、三名呼び出されて、詳しく過去における状況を聽取されたようでありましたけれども、私は内心は、私の帰還に関する限りは、中央指令を送つて、そうして中央許可がない限りにおいては、私は当然日本に帰れるのだから、彼らのとやかく騒ぐことには何ら心配ないという氣持を持つてつたのであります。從いまして中途においていわゆる反動摘発鬪爭委員会というようなものができまして、それをソ連輸送指揮官に嘆願しましても、輸送指揮官は、おのずと分りますように輸送することが全責任でありまして、いわゆるカラカンダ地区らかナホトカの港に、集結地收容所に千二百名ならば千二百名を無事故に渡すことが、輸送指揮官の任務でありますから、輸送指揮官は、それをハバロフスク收容所に残すという権限は勿論ないと思います。只今答弁は以上でありますが、昨日下中証人から証言がありました私を反動として云々のことについて、多少お述べしたいと思いますが差支ございませんか。(「異議なし」と呼ぶ者あり)下中証人は、私の車輛から、佐々木反動であるというお申出があつたので、佐々木を呼んで調べた結果大した根拠がないので、証拠不十分としてそれを却下した、名前は忘れましたが誰かに命じてその旨を佐々木に報告さしたということを申されましたが、これは全然私が関知しておりません。從いまして私は呼びもされなければ、何らそれに関する通知も受けておりません。それから引続きまして、この反動摘発鬪爭委員会というものについて簡單に御説明したいと思います。これも異議ありませんか。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  15. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 許可します。
  16. 佐々木四郎

    証人佐々木四郎君) 私共のカラカンダから輸送されました列車は、カラカンダ地区にあります第十分所と申します。これが主体でありまして、ここから約数百名、他の数百名は、他のいわゆる分所から二十名のところもあれば、私達の分所は四十二名でありましたが、五十名、七十名、それぞれ加わつて約千二百名程度と記憶しております。そのぐらいのものが一箇列車を編成しまして、輸送されたのでありまして、当時引揚者側輸送指揮官と申しますか、輸送委員長と申しますのは、当然第十分所から出たのでありまして、この人選その他についても、各分所から選ばれた民主委員方達が寄つて協議した結果、主に第十分所民主委員方達によつて委員長をされた千葉という方が、輸送委員長として出発をしたのであります。途中イルクーツク辺だと思いましたが、そこで私も車輛長をやつておりましたけれども、全車輛長が呼ばれまして、千葉委員長は非常に個人的には立派な人であるが、いわゆるこの大きな團体無事ナホトカの港までお連れ申すには積極性に欠けている。又この列車の中には相当の多数の反動分子がおるはずだ。にも拘わらずこれらに対する鬪爭サボをやつている。從つて彼の輸送委員長ということは、不適任である。從つて輸送委員会というものを改選し、併せて反動摘発鬪爭委員会というものをここで結成しようと思うが、この旨諸君車輛帰つたならば、全員に諮つてそしてその賛否を知らしてくれという指令が、私共車輛長に與えられたのであります。私は列車に戻りまして、直ちにこれを全員に諮つたのでありますが、意見がいろいろありまして、折角ソ連当局帰還名簿を拵えて、車輛に乘せて今日本に帰そうという矢先に、殊更にそういうこともせんでもよいではないかという意見が非常に多かつたのであります。そういうことは当然まだカラカンダ地区におりますときに、各分所分所において、彼を帰すぐらいならば、ここにこういう病弱者がいるからこの病弱者を先に帰してやる方が妥当じやないか、或いは彼は非常に作業成果を挙げているから、彼を帰すぐらいならばこの人を帰した方がよいではないかということを收容所長に歎願して、絶対数であるところの千二百名ならば千二百名に不足の來さないようにして、内地引揚げさすべきが妥当ではないかというような意見が非常に多かつたのでありますが、大勢はその委員達の熱烈なるところの闘爭意思に押されまして、そうして闘爭委員会なるものを作るということには全員賛成をしたのであります。併し何を申しましても車中でありますし、停車時間は大体ソ連におきましては一定しておりません。從いまして、大きなイルクーツクというような駅に着きましても、何時間停車するか、輸送指揮官自体が知らないという状態でありますので、全員が集まつてそしてそれを民主的に取決めするというようなことはできなかつたのであります。從いまして車輛長全員を代表して取決めをするというような機運になつてつたのでありますが、その話が出まして、賛否を求められて、まだ賛成だという私共の車輛では報告をしないうちに次の停車駅におきまして、私の列車には五名かのアクティヴがおりまして、そのアクティヴの一名がいわゆる反動摘発闘爭委員会構成メンバーを持つて参りまして、それは六名か七名だと思いますが、そのメンバーを持つて参りまして、こういうふうに大体決定しておるから車輛長サインをしろということでありました。それで私は、まだ私の車輛賛否いずれとも報告していないのに、もうすでにメンバーができたのかといつて、不平がましくそのアクティヴの方に、これは民主的でない、少くとも事重大でありますだけに愼重審議をして、そうしてその委員諸君を選出しなければ、若し誤つたことによつて反動としてこのソ連の地にもう一冬残すということは我々は忍びないからして、民主的に最も正確に愼重審議を重ねて委員の選考はやるべきである、從いまして各委員諸氏の人となり、その他も各車輛人達に諮つて、そういう経歴を持つて人ならばよかろうということならばよいはずだが、どこの誰かも分らないで、ただ名前だけ持つて來てこういうふうに決つたというようなことは、我々は承知ならんということを私は申したのであります。從いまして私の車輛におりましたアリティヴの方は佐々木反動だという解釈をして、恐らくその一事が原因で私は反動呼ばわりされたのではないかと自分では考えておるのであります。その後は各車輛からアクティヴがたびたび会議に出まして、そうして結局各車輛代表アクティヴというものが集まつて、そうしてこれを決定したように私は記憶しております。この点は私ははつきり申上げられませんが多分そうであつたと私は記憶しております。で、いずれにしましてもイルクーックを多少出ました所で、反動摘発闘爭委員会というものを結成いたしまして、直ちに下中君がその委員長となつてそうしてすべての統制を取つたのであります。その後それじやこの反動摘発闘爭委員会は何をしたかと言えば各アクティヴが各車輛長に命じまして、車内において、或いは諸君の知つておる範囲において、最近新聞に出ておりますテロ事件のようなものから、或いは捕虜諸君食糧を横取した或いは作業場において非常に日本人同士が醜い闘爭をしたというような、いわゆるそういう反動的分子がおるならばどんどん申告してくれ、その申告されたいわゆる名簿に基きまして、委員会の方ではその人達を直接に委員会本部に呼んで、そうしてその人達から、君は過去においてこうこうこういうことがあるじやないか、これもあるじやないか、これもあるじやないかということを一々調査いたしまして、そうして本人の自供とそれが相反せない場合においては、彼は反動として決定されたわけなのであります。  その一例を申し述べますならば、千葉委員長は元第十分所におきまするところの民主委員会委員長でありました。絶対多数からいわゆる最も指導者として適任な者として選ばれるのが民主委員長であります。その民主委員長をやつておりました千葉氏が、輸送途中におきましても輸送委員長となつて來たのでありましたが、彼は過去において個人的には立派な人物であるけれども、闘爭サボをやつた。これは正しく反動である。それから收容所におる間中も積極性がなかつた。これも反動であるというようなことで、彼は反動として摘発されたのであります。それから闘爭委員会が次第にチーム・ワークをとりまして、そうして車内においては我々は晴の帰還をいたしますのですから、車内において余興等も催したいというわけで、咽喉自慢なども始めたのでありましたが、アクチヴ達が、その本部からの指令があつたかどうか分りませんが、そんな歌を歌うということは反動であるというようなことを言いまして、結局車内では余興もできなかつた。その半面ナホトカの港に着くまでに、私達の輸送列車においては五つほどの闘爭歌を教えられまして、この闘爭歌ナホトカの港に着くまでには全員が皆覚えなければいけないということで、車内において朝に夕に、それから大きな停車場停車する度ごとに、或は浴場に行く度に闘爭歌を歌わされて、私などは非常に記憶力がないので歌の文句を覚えるに苦労したのでありますが、そういうふうにして闘爭歌を教えられたのでありまして、從いまして都々逸でも歌いたいのでありますが、なかなかそういつたものを歌うと反動呼ばわりをされるというような工合で、次第々々に非常に憂鬱なる旅行をして來たというようなことは私自身がそうでありました。私らの車輛の中は大対数が抑留者でありました関係上、非常にイルクーック以降は不愉快な旅をしたと実は申し上げたいのであります。以上のような訳で、勿論兵隊さんたちの若い方の中にも、この行爲に対しましては相当反感を持つておられたような方も見受けられました。それが舞鶴に上陸しまして、日本に第一歩を踏んだ途端に爆発して、いわゆる暴行事件が起つたということが言い得ると思うのであります。以上であります。
  17. 岡元義人

    岡元義人君 いろいろ今の証言に対しまして、もう少し聽きたいことがありますが、まだ全体の状況を各委員とも呑込んでおられませんし、全体の意見を相当纏めてから後ほど質問することにして、下中証人にも私質問を留保して置きたいと思います。ここで尚関係者でありまするところの、針ケ谷証人証言をば求めたいと思うのであります。これは同じ英彦丸で帰つて参りまして、もう一應すでに舞鶴において正規手続処置を受けておる証人でありまするので、この証人証言をば求めます。それから逐次進行上、惠山、高砂丸関係者証言を求め、そのうちにいろいろ総体的な大体状況が判明して参りますので、その後で各自質問をして行きたい、かように考える次第であります。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  18. 細川嘉六

    細川嘉六君 議事進行について、今佐々木証人の言われたことは下中証人に対する質問が相当に多い。それから片付けて行くことが有利であろうと思います。そういうふうにお願いいたしたい。
  19. 岡元義人

    岡元義人君 成るほど今お二人の証人の問題を取上げて行きますとそういうことになりますが、まだ総括的にいろいろな問題が今日の証人の中から申し出があるということは大体わかつておるのでありますから、一應概略的に問題を我々の観念の中に入れて、そうして逐次質問を後で繰返して行くというほうが効果があるのじやないかと思います。
  20. 細川嘉六

    細川嘉六君 一つ一つ片けて行くのに何も差支えなかろうと思う。現に質問は相当出ておる。さつきから手を挙げて証人のほうが答えようとしておる。これを許すべきであると思う。私達は聞くのであつて証人達に言わせなければならんのですから、今の岡元君の提案には私は反対します。
  21. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 私は岡元委員動議賛成します。その理由は、昨日の下中君の証言によつて片一方佐々木証人が今証言したので、愛々は聞くべきことの或る程度は聞いたが、更に追及すべき問題はその他の問題というところにおいても十分聞けますので、予定のごとく進行させなければ結局本日中に全貌を聽取するだけの時間がないのでありますので、一應岡元君の動議從つて進行して頂きたいと思います。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  22. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 委員各位にお諮りいたします。二つの動議が出ておりますが、岡元委員動議に矢野委員賛成されまして、これに対する細川委員の御意見があります。どちらにいたしますか。
  23. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そういう動議の取上げ方はないですよ。細川君の動議は成立していないじやないか。
  24. 天田勝正

    天田勝正君 動議一つであります。岡元委員動議が成立しただけであります。
  25. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 私共もまだ下中証人佐々木証人証言に対して御質問したいと思いますが、これは先の岡元委員議事進行についての御発言のように、一應聞きまして、それからいくらでも聞けるし、又証言も求め得ると思いますから、岡元委員動議のようにお取計らい願いたい。
  26. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それでは針ケ谷証人から証言を求めます。
  27. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) 私はモスクワ地区から英彦丸帰つたものであります。私達の列車内に約七十八名おりました。その中に元の一警察官がおりまして、その時にやはり只今のように反動摘発というものができまして、原野という九州の出身の元の警察官、これを内地に帰してはいけないという問題で出まして、車輛長は河崎という者でありまして、ハバロフスクを通過して後二三日でナホトカに着くという時にその反動摘発が起つたのですが、それで元の警察官原野という人は摘発されまして、一緒ナホトカまで列車で來まして、ナホトカで降りまして、その人は向うのナホトカに残されて、帰つて來事件でありまして、これについて私が関係があります。それでその船に乘つて帰つて來て、舞鶴の寮で爆発した事件であります。
  28. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうしてその原野という人は残されたのですか。
  29. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) 残されました。
  30. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると、下中証人は一人も……。
  31. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) それには全然関係しておりません。自分モスクワ地区から帰つて來た者で、列車が違います。
  32. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 併し事実の方では、原野君は反動摘発鬪爭委員会の爼上に乘せられて、結局ナホトカに残されたということは、間違いないのですか。
  33. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) 間違いない。
  34. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それは全部英彦丸帰つたところの一人ですね。
  35. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) そうです。
  36. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 今の針ケ谷証人の御証言について、先のお話とは又列車が違うようでございますから、その場合に車輛長は河崎という人であり、輸送長はどういう人で、そうして鬪爭委員長はどういう人で、どういうメンバーであつたかというような点を、もう少し詳しく御証言を願いたい。
  37. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) その輸送指揮官は、民主委員長の角という人であります。
  38. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 それはどの辺から編成されて、どの辺で……。
  39. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) それはモスクワ地区のクラスノゴールスクで編成された日本人約千五百名、それがその編成であります。
  40. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 それではもう少し詳しく御質問申上げる方がいいと思うのですが、クラスノゴールスクから御出発になる時に、この鬪爭委員会というのがすでにできて、それからずつとおいでになつて角という人が委員長になつて來たのか。それから途中でそういう状態になつたのか。又車中の状態、先に佐々木証人がお話になつた点で感ぜられた点、又鬪爭委員会がどういう方法で、車中でその摘発の具体的方法をとつて來たかというようなことを、あなたの体驗されたありのままを一つお話願いたい。
  41. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) その民主委員会というものは、当時モスクワ地区のクラスノゴールスクにおきまして、そうしてその委員というのができておりまして、それでその列車にその鬪爭委員というものは、各車輛全部に、要するに積極分子及びその他の分子が各車輛ごとに配置されまして、約七十車輛ぐらい続いて参りました。その車輛に全部割当てられまして乘つて参りました。それでその間にずつとモスクワ地区から汽車で約二十日間ばかり乘つて來たところのハバロフスクの、あの辺において最後反動摘発をやつたわけであります。それで、それに引つかかつたのが私の車輛におつた原野という、もと一警察官であります。それが結局向うへ残されたわけであります。
  42. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 もう少し伺いますが、或いは御関係がなかつたら御存じないかも知れませんが、そうするとあなたの輸送列車では角という委員長が、各摘発委員から摘発した中で、原野という人だけが残されたのか。英彦丸に乘込む際には又他の人たちも残されたような形態があつたのか、御存じであるならばその点を伺いたい。
  43. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) モスクワを出まして約二十日間、あのハバロフスクの地におきまして、私ははつきりした員数は分りませんが、約四十名内外の元の憲兵、或いは警察官、その他の反動分子、そういう者が約四十名内外残つたように記憶します、それが残つたことは事実です。それから最後反動摘発にかかつたのが、ハバロフスク辺りでそれをやりまして、ナホトカまで來て残されたのが、約三名くらいだと記憶しております。
  44. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 もう一つだけ伺つて置きますが、この原野という警察官反動として残されたというのは、どういう原因によつて、どういう方法で反動として委員会がやつたのか、そういう点の具体的なことで、お知りになつておる点がありましたら証言を求めたい。
  45. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) その原野という人は約四十五六歳の人でありまして、自分車輛一緒に乘つて参りました人でありまして、余り口をきかないようなおとなしい人で、その列車内において元警察官だということがばれまして、それで残されたわけであります。その外私は分りません。
  46. 天田勝正

    天田勝正君 一應英彦丸暴行事件につきましてはこの程度にいたしまして、又総括的なときにこの継続をやるといたしまして、次には惠山丸の中川証人及び新川証人の陳述をお願いしたいと思います。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  47. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それでは暴行事件につきましては又これを総括的に審議することにいたしまして、今一應打切りにいたしまして、惠山丸に移ります。そうして証人として惠山丸の乘組員中川証人と新川証人証言を求めます。
  48. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 十一月の二日の午前十時項から大体上陸を開始したのでありますが、自分は船から短艇に乘つて上るとき最初の者と一緒に上りました。上つたら早速入浴があります。そこで服装を替えて、それから大体舞鶴の収容所側で予定された宿舎に各中隊ごとに配置するわけでありますが、入浴から上つて來る中隊ごとに自分は宿舎の配置をやつておりまして、それが十二時過ぎ、一時頃だつたと思いますが、そうしたらそこへ、これははつきり分りませんのですが、ちよつと來てくれと言つて來たのです。それで舞鶴に賣店があるのですが、賣店の横の方に行つたわけです。あそこの宿舎の傍のところの腰掛みたいな、丸太の簡單な腰掛みたいなところに坐つて、相手は二人でした。こう言つて來たのです。君が悪い將校に対して憤りを感ずるのは分る、実際そうだ、併し全部がそうではなかつた。それからここへ上つてから分るだろうが日本状況はどうか、こういうふうに言つて來たわけです。そこまで言つて自分の方から口を割らないうちに、二階からだつたと思うが、とにかく顔ははつきり覚えていないのですが、うしろからだつたと思うのですが來て殴つた者がおるのです。そのとき鼻血で出たのです。ところが、そのとき一人誰か名前は尋ねたのですが、今忘れました。やはり暴行を加えた方と同じところにおつた人らしい人が止めてくれました。そうして洗面所に行つて顔を洗つたわけです。それから言い忘れましたが、その殴られる前に自分らのこれは英彦丸の乘組員だと思うのですが、とにかくナホトカまで一緒に來た者の中で八名か四名がナホトカに残された、それをお前が残したのだろう、こういうわけです。それを忘れておりました。それからあそこの宿舎の事務室、職員の人がおるところの部屋にその人が連れて行つてくれて、今出ちやいかんということを言つたわけです。併しそれは事実無限だから自分はそう思つておる人のところに行つて自分は事実を正さなければならん。このことは命をかけてもやらなければいかんと自分は言つたが、今感情でいきり立つておるから行つてはいかんとその人は言いました。そうしておるところに自分と同じ梯團本部の者がやはり皆殴られて來たわけです。鼻血を出しておる人もあり梯團長の件という少佐を除いた外皆殴られてそこへ連れて來られました。それから警察の人が見えられて、階下に下りて、警察の詰所みたいなものがあります、そこへ連れて行かれたわけです。そこへ行つてどういうわけで殴られたか、どうせ向うで悪いことをしておつたのだという態度にこれは明らかに見えました。併しこれは仕方がないと思つてつたのですが、そこで暫くして、別に名前を聞かれたと思います。名前だけ聞かれて、それから又向うの部屋に帰つたわけです。もういいだろう、行つとれというので元の部屋に帰りました。元の部屋に帰つてから自分はあそこに舞鶴の滞留期間の日常生活の規則、これをあそこの寮長というのですか、その人が達するから梯團本部の者と各中隊は、集合してくれたということを聞きましたから、自分はその指示を聞きに事務室に行きました。それが一時間くらいかかつたと思います。はつきり覚えておりませんが、それから向うの指示をメモに取つて帰つた時には、電燈が点いて皆食事をしておりました。自分の部屋へ帰つて……、梯團本部に小さい部屋があつたのです。そこに帰つて書類を腰掛の台に整理しておつたのです。そうしたらそこへやはり同じ乘組員だと思うんですが、ちよつて來て呉れといつて廊下へ出たわけです。そうしたら同じ八人が残つたのは、それは君が残したんだろうというので、そうじやないといつたところが、横合からだと思うのですが左の目を殴られました。編上靴ですか上靴……軍隊の上靴みたいなものだと思うんですが、それから直ぐ又左の耳のこの辺を殴られて、自分は意識を失つたわけです。それから聞きますと、事務室に担ぎ込まれて、そうしてそこから担架で入室したわけです。病室でカンフルか何に胸に注射をして呉れて自分は息を吹き返したわけなんですが、それからその晩と翌日の晝一杯おつて夕方、三日の夕方自動車で舞鶴の國立病院へ送られたわけです。そうして十九日にあすこの舞鶴を出発して二十日に家に着いたのですが、家では死んだんじやなかろうかというようなことも言つておりました。或いはどこかへ引張られたかというようなことを言つて心配して騒いでおつたような様子でしたが、自分も病院におつた時に、だからその後の自分の船の梯團の暴行事件に関しては、具体的に自分は知らないわけなんです。だけれども舞鶴の病院におる時は聞いた。これを噂を耳にしたのでは死人もあつたろう、あつたようだ。自分のことじやないかと思つたのですが、言つておりました。大体事件の経過はそういうものです。
  49. 天田勝正

    天田勝正君 ちよつと中川証人に聞きます。あなたが最初に暴行を受けられた時に、先ず外に呼出されたというのは、自分が顔を知つておられるから簡單に出られたのですか。知らない者が呼びに来きましたか。
  50. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 自分は知らないのです。向うは知つておるんです。
  51. 天田勝正

    天田勝正君 それから次はあなたが暴行を受けられて、それから梯團本部というのですが、そこに帰られたところが、梯團長を除いた梯團本部の者は全部暴行を受けておつた。こういう話ですが、その梯團本部というものはどういう人方によつて編成されて、何人くらいで編成されますか。
  52. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 梯團本部は梯團長が件という軍医少佐、それから副梯團長二名、自分ともう一人高橋君、その外に人事係、給養係、それから作業係ですね。それから……。
  53. 天田勝正

    天田勝正君 五名ですね。梯團長の外。
  54. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) はあ、五名か六名、その他に連絡係という者があります。連絡係というのが二名づつあつたと思うんです。でその連絡係は殴られておりませんでした。
  55. 天田勝正

    天田勝正君 そうするとあなたを含めた五名の者が暴行を受けたというわけですか。
  56. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) その五名、今確実には思い出せません。その構成員ですね、梯團本部の、それが五名であれば五名です。
  57. 天田勝正

    天田勝正君 それから二回目の暴行のとき、あなたは意識を失われた程度に殴られたというわけなんですが、そのときの呼出しには、まああなたの方では御存じなくて、向うが知つておるという、こういう関係ですか。
  58. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) そうです。
  59. 細川嘉六

    細川嘉六君 中川証人質問しますが、警官が援護局内で、お前も悪いことをやつたんだろうというようなことを言つたということは、私は局内の情勢を知るのに非常に重大な言葉だと思うのでありますが、病院ではどうでありますか、ちよつとお聞きしたいと思うんでありますが、病院で君のような民主主義運動をやつて來た人が、どういう待遇を受けられたか、それを率直に言つて頂きたい。
  60. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 病院では、看護婦さんは別に他の者と……、普通にやつてくれたと思います。でまあ医者も部屋に入つて來るときは診てくれました。診断に來るときは自分も診てくれました。給與なんか勿論これは同じだと思いますが、同じ病院の者と……、併しながら外出ですね、外出のときは舞鶴の町に外出するんです。日曜とかその他、その時分には、目の方が悪い、療養中だからというので許されなかつたのです、許可は出ませんでした。
  61. 細川嘉六

    細川嘉六君 もう君は死んだろうという噂の一人ですよ、それほど重傷を負つたんだから病院内の扱いもそうでありましよう。併し病院内の医師の君の取扱いは別にして、そういう民主主義運動をやつた者に対する取扱いはどうだつたか、それについては分りませんか。
  62. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 他にですか。分らないです。けれども自分の印象では、看護婦さんの方でも非常にやはりこれは共産主義者かまあ共産党員だろう、そういつたようで、一種のこれは恐怖心というか、何か恐ろしがつたような、敬遠したような点はあつたと思うんです。
  63. 細川嘉六

    細川嘉六君 分りました。
  64. 天田勝正

    天田勝正君 あなたが最初の暴行を受けられて、梯團本部におられて、それから警察のような所に連れて行かれた、これを連れて行つた者はどういう人ですか、それは誰ですか。
  65. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) それは警察ですね。
  66. 天田勝正

    天田勝正君 警察から迎えに來た、全部來いと言うのですね。
  67. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) そうです、寮の中ですね、あそこの勤務者の事務室があります。そこの事務室に入つてつたわけです。
  68. 天田勝正

    天田勝正君 怪我をした人が全部連れて行かれたんでしよう。あなた一人ですか、そうでないでしよう。さつきお話になつたはつきりしないけれども、五名か六名か一緒に怪我をされた人がその事務室に入つてつたんですか。そこへ連れに來たんですか。
  69. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) はい。
  70. 天田勝正

    天田勝正君 連れに來た。それは警察官が連れに來たわけですかね。
  71. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 誰か事務室の職員が途中で渡したと思うんです。
  72. 天田勝正

    天田勝正君 途中でですね、おかしいな。
  73. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) その点は明確な記憶はないのです。
  74. 天田勝正

    天田勝正君 ではその事務室におつて、事務室から出る時はその寮の事務員が連れ出したのですか、途中で警察官に引渡した……。
  75. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) そうだつたと思うんです。
  76. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 あなたそういうふうに一方的のことばかりを発表されましたが、四人なら四人、或いは最前の食い違いは、初め四人残した、あとの方の説明では八名残したというふうに、向うが追及したときに、あなた自身はこれに対してどういう態度で、又どういう弁解をなさいましたか。
  77. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) この四人が、四人と言つたか、八人と言つたか、確かどつちかだつたと思うんです。その際にこれは今言つたつて駄目だと思つて、分らない、感情的になつて行詰つておるから駄目だ、だからそういうことはないと、それだけ言いました。
  78. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから病院で、これは非常な特殊的な、主観の感じで、どう判断するかはおのおの人によつて違うと思いますが、何か共産党員だから怖いというような敬遠主義を取つたというふうに感ぜられたのは、いわゆる民主連盟ですか、何かその何で反動摘発をやつた奴だから、これがやられたのだろうというふうに看護婦さん達が考えて、そういうふうな敬遠主義を取つたんだろうというふうにお感じになつたのですか。或いは又あなた自身が僕は共産党員として、日本を大いに建て直すのだというようなことを、或いは見舞に來る友達と語つておるようなことを看護婦さんが聞いて、そうしてこの人は共産党員だからというふうな意味で敬遠したというふうに考えられたのですか。あなた自身の、その自分の主観の分析を一つつて頂きたいと思います。
  79. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) とにかくそういうふうにして被害を受ける、欧られる者はそういつた思想と繋りがあるのだ、そうして欧るとか打つとかそういうこと自体が、まあ女ですから一種の何かなるべく近寄らんというような氣持を抱かせたのじやないですかね。
  80. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると、はつきりとあなた自身が共産党員であるからというので、向うが認識してこういう敬遠主義を取つたであろうというような意味じやないですね。
  81. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) それは分らないんです。自分共産党員だからといつて、あすこでそんなことを言つたこともなし、事実これは共産党員でなかつたのですから。
  82. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 今はどうですか。今政治的團体はどちらの方に属しておられるのですか。
  83. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 共産党に入つておりません。
  84. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 入つてない。分りました。
  85. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 新川証人にそれでは発言を求めます。
  86. 新川清

    証人(新川清君) 私が昨日述べました通り、ソ連抑留中、元陸軍准尉の永島、彼は抑留中共産党を研究せず、生長の家を研究した人であります。この人が船内において共産党ソ連抑留中即ち民主主義民主アクチヴの者多数の者から、お前は今まで抑留中共産党を少しも研究せず生長の家ばかりを研究しておつて、お前は反動であるといつて、彼は摘発されたわけであります。そうして舞鶴に上陸すると、船内で起つた民主主義グループのアクティヴの者が、如何に船内においても勢力があつたかはお分りになると思います。そして、それらのあらゆる方面に上陸と同時に船内に起つた中島一准尉のことに対するように、皆民主主義グループのアクチヴの者のために言わば圧迫されておる状態にあつたので、舞鶴上陸と同時に暴行が起きたのであります。終ります。
  87. 天田勝正

    天田勝正君 新川証人は非常に慣れておられないようなので、一つずつ聞いて行きます。中島准尉のお話は昨日も伺つて私共承知いたしました。そこで、それにも見られる通りと言うのですけれども、確かに民主グループの諸君が力を持つてつたということは他の証言でも私共分つておりますが、舞鶴へ上つてあなたは誰に暴行しましたか。
  88. 新川清

    証人(新川清君) 自分は河合與一という……。
  89. 天田勝正

    天田勝正君 その暴行にはあなた一人でしたか。
  90. 新川清

    証人(新川清君) 二人であります。やつたときには相当おりました。が併し警察が來て誰がやつたのだと言われたとき自分と小畑と二人だけが出ました、そうして警察の処置を受けました。
  91. 岡元義人

    岡元義人君 先程証人発言どなたですか。
  92. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) さつき共産党に入つておるかと言われたが、自分は入つていないと言つたのですが、これは自分は入つております。
  93. 細川嘉六

    細川嘉六君 矢野君には昨日注意したのだが、この証言をなさる方に如何なる政治思想を持つておられるかどうか、こういうことを問うべきではない。矢野君の意図はその証言の價値を左右するために言われるのか、どうなんだ。私らその判断は如何なるものであつても、その言葉について、そのそれぞれの持つ意味について十分分析して、こちらで判断すればいいという任務しかない。昨日のごときは更に今日は休会にしようというあとで動議が出ておる。その動議に対して條件付に賛成すると言つて二十分延びてしまつた。私は発言を止めました。そういう動議に対する取扱いはありますか。私はここに十分な自由な討議が各人によつて行われなければならん。こういう技術を用いたやり方は私らの面目に掛けていけないと思います。議事の進行上こういうことから除いて頂きたい。そういうことを聞かれる方も、大体聞かれる何がない、返答する必要もないし、私は共産党員であるからいけないとは言わん。勿論当り前のことである。政党はいろいろ自由だ、又一歩進めて言えば共産主義者なればこそ、こういう問題も取上げる、誰も取上げていやしない、(「脱線」と呼ぶ者あり)又こういう問題も(「委員長整理したまえ。」と呼ぶ者あり)私はあなたのやり方に対してさつきから、昨日から考えておるから言うのであつて脱線ではない。必要上言うのだ。
  94. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 細川君はいわゆる小数党横暴を実行する人で、委員長は各委員のいわゆる意思を忖度して、その決定の下に民主的に進行しておる。自ら一人の言われる意思を以つて独断專行しようとするそれ自体が恐るべきフアツショであると私は思う。これは大変な間違いである。委員会自体を否認する如き委員がこの中におるということは、実に僕としては残念に思うのであります。委員長は何も独断專行しておるのではない。飽くまでも委員会の一定の規則に從つて委員会進行しておるのである。又委員そのものが與えられておる権限によつてその眞相を突きつめるためには、委員はその権限において証人に対して発言を求めてよろしい。さればこそ、こうした委員会ができたものである、以上。
  95. 天田勝正

    天田勝正君 委員会でありますから、委員同士の討論が行われても一向差支えはありません。併しながら今日は多勢の証人を呼んでおるのでありまするし、この証人から証言を受けるに当つて、どういう質問をいたしてもこれ亦差支えないのでありまして、その人の質問の当不当は後に至つて議員同士の討論の時に当つて討論すればよろしいのでありまして、そういう向でこの委員同士の討論に亘るがごときことは、直ちに委員長は整理されまして、議事の進行を計られんことを希望いたします。
  96. 千田正

    ○千田正君 私は中川証人に伺います。先程あなたが暴行を受けたという、その時の加害者はあなたと同じように帰つて來た惠山丸の人ではない、英彦丸にいたというようなことを言つておられますが、どちらですか。
  97. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 英彦丸です。
  98. 岡元義人

    岡元義人君 只今細川委員のお言葉の中で御訂正を願つて置かないと、今後の進行上又間違いが起る虞れがありますので、証人が答えなくてもいいのだというような発言がありましたが、これは國会の證人喚問に関する規則から申しましても、そういうことは答えなくていいという何はない筈であります。この点誤解のないようにお願いいたします。
  99. 細川嘉六

    細川嘉六君 岡元君の今の発言に対して答えなければなりません。必要のないこと、問題に関係のないことを聞かれることは止めよ。これは分り切つたことなんだ。関係はない。況んやそのことはその証言の價値を動かすための疑いさえある。それでありまするから、証言を求めることもそんなことは問題にさるべきではないということは、私昨日から主張しておる。それから委員長が独断をやつたと矢野君が言いますが、矢野酉雄君「委員長は独断はやらない」と述ぶ)委員長は引きずられた。私は独断とは委員長のことは言いません。(「議事進行」と呼ぶ者あり)そういうことははつきりして置かんといけない。私はそういう個人的のことは言つていない。
  100. 岡元義人

    岡元義人君 議事の進行上、大体大分進んで参りましたが、惠山丸ではありませんけれども、併しながら收容所等において、又乘船するまで場所的に一緒になられた方であり、いろいろ貴重な証言を得られるじやないかと考えられる点もありまするので、この際英彦丸で帰りました國井証人と、越川証人証言を求めたいと思うのであります。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  101. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 國井証人証言を求めます。
  102. 國井誠一

    証人(國井誠一君) 私は船の英彦丸で帰つて参りました。併し船内においては英彦丸で以て暴行事件が起りました。それから又次の船、惠日丸で帰つて來られた人たちに対して暴行を加えた事件も目撃しました。それは同じ收容所におつた民主委員の者たちが、幹部運の者たちナホトカに残りました。それが自分たちとは一船遅れて次の船で以て惠山丸で帰つて來たのであります。その民主委員の幹部たちは、我々とクラスノゴルスク收容所におつたのです。我々千五百名の同胞の血と肉を搾り取つた奴らです。それは自分たちがロシア側にいろいろありもしないことを言い散らかし、又この者が反共じみたことを言つたとか、又はこの者が天皇制護持論者であるというようなことをロシア側に訴えて、多くの日本人を残した憎むべき奴らだつたのです。そのために自分たち一緒の船で帰れず、次の船で帰つて來たために、多勢の戰友たちはその者に対し暴行を加えたのであります。又先刻針ケ谷証人が申しましたけれども、列車輸送中に反動分子摘発委員会というものが設けられまして、その時にナホトカまで來て残された人間が二、三名おつたと言いました。その中で以て石井豊一という人間がおりました。この人間はただ單に天皇制護持論と書いた紙切れを襟首を縫いつけておるというただそれだけで、反動分子としてナホトカに残されたのであります。又向江司治、高之史郎、又佐藤伊助、これらの人間も、別に憲兵でもなければ警察官でもなかつたのです。それを民主委員長の角、又現在ここに來ておりませんが大内証人らがこれを憲兵、警察官のように取扱つてロシア側に報告されました。そのためにそれらの人間ハバロフスクへ残されたのであります。そういう事情から我々と一緒の船で帰れなかつた者は次の船の惠山丸で帰つて來たために、皆多くの残された戰友は、一時にあれが爆発して、結局反共カンパを挙げたからどうのこうのというもので、暴行を起したのではありません。ただ同じ日本人の同胞を向うの地に残した、その精神を憎んでやつたものであります。昨日も下中証人が反共カンパを挙げたということはいたしましたけれども、それは收容所車輛、梯團、そういうものによつて一々異なると思いますが、自分らの梯團で暴行を起した者は、反共カンパを挙げるために起した暴動ではありません。これは同じ日本人である自分たちをあのシべリヤの地に残した精神を打つがためにやつた行動でありますと自分は確信します。終ります。
  103. 岡元義人

    岡元義人君 今國井証人が申された中で、氏名を申されましたが、石井豊二と言われましたが、石井豊一ではありませんか。
  104. 國井誠一

    証人(國井誠一君) 石井豊一です。
  105. 細川嘉六

    細川嘉六君 國井証人にお聞きしますが、あなたは民主委員をやつた者は同胞の血と肉を搾つたという残虐のことを言われたが、そういうことはいけない。そういう主観ではなしに、どういうことを指されるのかそれをはつきり言つて下さい。それから血と肉を搾られたということを証明する事実であります。それから幾名が残されたということは問題になりますが、それを指されるのか、どつちなのか、はつきりして下さい。
  106. 國井誠一

    証人(國井誠一君) 血と肉を搾られたというのは、收容所において御主委員の角や大内や佐藤恭助のこれらの主だつたたちが、青行隊又特攻隊というものを組織しまして、我々働く者たちが一日の仕事を了えて帰つて参りまして腹が減つてるところへ夕食を食ベまして、次にまあ何か娯樂をやつて少しの間暇を作つて樂しもうというとき、その娯樂をする暇があつたならば共産党の勉強をしろといつて勉強させました。その勉強するのは、これは別に私は悪いとは思いません。併しそれが娯樂一切を取上げてしまつて、娯樂をやる場合は反動分子というようなわけでロシア側に報告してまでして、その者を刺戟するような必要は私はないじやないかと思う。又同じ日本人が、私たちに與えられた煙草、砂糖、これらの物を皆んな民主委員たちの者が……、前にこれは二週間に一遍ずつ、金曜日か土曜日にとにかく二日間の砂糖を食べて、一週間か二週間に一遍にその砂糖を使つて饅頭をこしらえて皆んなに分けようとするものであります。その饅頭が各自に二箇ずつ渡るのです。ところが民主委員たちは私たちの頭をはねて、自分たちの四つ五つも……、又甚だしいのは演藝部というものを設けまして、その演藝部を夜遅くまで演藝の練習をやつている、それでその收容所には床屋が設けてありまして、その床屋の部屋の中に入つて、こういう大きな皿に山と饅頭を盛つて冗談話に耽りながらその饅頭を食べていたのです。又同じ十八グラムの砂糖を分けて貰いましても、実際にその砂糖が十八グラムあつたかといえば、自分たちは初めプシキノという收容所からクラスノゴルスクの收容所に來たのです、プシキノという收容所におつたときは十八グラム、例えばマッチ箱に一杯あつたものが、クラスノゴルスクに來たときは、その砂糖は同じマッチ箱からいつて量が少なかつた。それは何をしていたか、夜遅くなつて民主委員の角が炊事からいろいろなものを持出して食べたという事実も見た者も居つたようです。
  107. 細川嘉六

    細川嘉六君 残虐な血と肉を搾つたということは、今あなたが言われた意意だと私は受取りますが、それと幾人の人が残つたということがあなたの残虐なることをやつたということですね。
  108. 國井誠一

    証人(國井誠一君) そうです。
  109. 岡元義人

    岡元義人君 委員長から一應証人に、決して迎えるのではなくて、議事の進行上運営の規則があるということが、皆さんの方にお分りなくて却つて感じを悪くされてもいけませんので、この点よく御注意を願いたいと思うのであります。本当でありますならば、発言の途中から、発言がある場合におきましては、一切は委員会に諮つて委員の皆さんに諮つた上でなければ、委員長もこれを許可することは出來ない。だから出來るだけ皆さんの御証言を聞きたいと思うのでありますから、適当に委員長は昨日より取計つて頂くようにお願いしてありますが、議事が乱れない程度に御運営をなさつて頂くようにお願いしたいのであります。とにかく今他の証人証言をお許しになりましたが、取消して頂きまして、先程私の方から申出ましたところの証人が残つている筈です。先ず越川証人から証言を求めてその後において取計らつて頂きたい。
  110. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 昨日も一應申上げましたように、御証言は出來るだけ伺いたいと思いますけれども、これは只今もお聞きの通り昨日私はこの点を申上げたのでございまして、皆樣の発言は一應委員の方々に諮るべきでありますが、これは時間の都合上手間がとれますので、省略して発言許可することにいたしましたが、只今のように証人に対する指定がありました場合に、指名以外の人が発言を求めるということは、嚴に愼んで頂きたいと存じます。それでは越川証人
  111. 越川弘司

    証人(越川弘司君) 私は英彦で帰つて來た者であります。上陸地の暴行事件原因ということは、彼の地において民主委員会を結成しました外、民主委員長以下民主委員人たちソ連側に通告して、我々の同僚の帰還の途を閉して、そうしてその後に我々の同胞を残して來たということが暴行事件原因となるのであります。在留地において我々大衆が、反フアシスト民主委員会から加えられたところの圧迫というものが、舞鶴上陸という自由なる天地において、初めて爆発したものであるということが言えると思うのであります。然らばどういう人が反動として残されたかということになりますが、ロシアの地において我々が一番願つてつたの内地帰還であります。それで三年或いは四年近くも我々がいつまでもこうして孤立して、ロシアにおいて日本の再建に盡すことができないというようなことは非常に残念である、それがために我々どうせソ連側に捕虜帰還促進運動をして、一日も早く内地へ帰れる方途を講ずべきであるということを主張したために、これが反フアシスト民主委員会の憤激にあつて、そうしてこれは反動である、これは帰さないぞと言つて残された人たちがおるのであります。その人たちは佐藤伊助、松本正行、奥羽質、その外に二、三名おります。それから次に野外集合を催したのであります。これは反フアシスト民主委員会主体となつて、常に野外集会というものをやつてつたのでありますが、その席上で、反フアシスト民主委員会委員長であつたところの角が、近々の中にこの大隊も帰還するようになるかも知れないというようなことを言つたのであります。その席で、若し帰還する際に千五百名全部が一遍に帰れれば文句はないが、五百名と切られるか、千名と切られるようなことがあるかも知れないが、その場合に、その際の人員の選考権というものは、反フアシスト民主委員会ソ連側より大幅に権限を委讓されている、つまり與えられておるというようなことを言つたのであります。それに対して某氏が、その選出の方法は大体どういう方法をとつて選出するかということを質問したのであります。これに対して民主委員長の角は、よく共産主義を勉強した者から先ず第一に内地に帰す。その次にハラシヨー・ラボータ、日本語で言えばよく働く者から帰す、こういうことを返答したのであります。これに対して某氏は、ハラシヨ・ラボータといつても、みんな、ハラシヨー・ラボータでよく働いておる、共産主義を勉強した者といつても、皆勉強しておる。これの区別をどこで付けて、どれを帰してどれを帰さんという区別を付けるのはおかしいじやないかというようなことを質問したのであります。こういう二人の間の質問が四、五回繰返されたのであります。そのあげく角委員長は言葉に詰つて、結局某氏というのは志田山正という人でありますが、この人に対して馬鹿野郎というような大声をあげて、怒声を出して、そうしてその問題を打切つておるのであります。そうしてこの質問をなしたところの志田山正氏が反動として我々の帰還のグループから除外されて、ハバロフスクに残されておるのであります。併し彼の地において十時間労働を積極的にやるようにという反フアシスト民主委員会の提案でもあり、我々も十時間労働をやつて來たのでありますが、この十時間労働という問題に対して、ロシアの社会制度からいえば、労働八時間制は確立されておるじやないか、それなのは何故我々は捕虜であるからといつて十時間も労働しなくちやならんのか、俺は十時間労働はやらんと言つて断わつた人がある、この人が残されておるのであります。これは岡部徳治という人であります。それからさつきも國井証人から言われましたが、これはナホトカ近くにおいて反動摘発に遭つてナホトカから又ハバロフスクに帰されたのでありますが、これは反フアシスト民主委員会のやり方は独裁的ではないか、独断的じやないかというようなことを車中でしやべつたために、それも反動であると指摘されて残されておるのであります。その外に憲兵或いは警察官、それから憲兵、警察官以外で、上等兵とか一等兵とか、普通の軍医官という人も残されておるのでありますが、軍医中尉の奥羽質、この人は非常に民主的な人でありまして、我々フシキノの收容所において生活しておる間は、病人があつて一日の休暇を貰つたが、その人は一日の休暇を貰つただけでは体力の回復もできない。そういう人に対しては、二日或いは三日の休暇を貰つて、そうして休養を與えた。又ハラシヨー・ラボータに対して貰つた休暇というようなものも、それは全部が働いて貰つた休暇である、一人や二人の人が働いて貰つた休暇ではないのであるから、みんなでこの休暇を分割して、お互いに氣持よく收容所生活をやつて行こうというようなことで、我々同胞の味方というか、我々同胞のために盡してくれた人であります。この人が反フアシスト民主委員会というもののやり方を攻撃した、或いはやり方を批判したようなことを言つたことを取上げて、そうして反動として残されておるのであります。ここで証人として発表になつております大内少佐というような人が帰つて來ておるが、軍医中尉は階級からいつても下であります。戰犯ということからいつても、階級が下であれば戰犯的なあれもないわけでありますが、そういう人が帰つて來ない、これは結局反フアシスト民主委員会の摘発によつて帰つて來られなかつたわけであります。これで証言を終ります。
  112. 岡元義人

    岡元義人君 重ねて今のお二人の証言に対して二、三伺いますが、残された場所がどうも明確でないのであります。それで二人の証人のうち、國井証人でも越川証人でも、どちらでも結構でありますが、この残された人は、いわゆる一旦帰還許可を貰つて、そうして輸送列車なら輸送列車に乘つてから残されたのか、その点を明らかにして頂きたいのと、大体今数名の名前をお読みになりましたが、残された人は、志田山正、岡部徳治、石井豊一、向江庄二、高橋史郎、中之園實男、大橋利男、谷本勉、佐藤伊助、小畑整一、糸秀賢、瀧本昌盛、平松正雄、奥羽質、松本正行、木藤善吉、畠山廣、川邊止士、山本徳三、名越二荒五郎、佐竹利男、林政治、竹井彌三郎、儀野、名前は分かつておりませんが、關輝雄、後藤圓次、秋海、これも名前はわかつておりません。以下でありますが、この外にも残された者があるのですか。
  113. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 何名ですか。
  114. 岡元義人

    岡元義人君 二十七名です。
  115. 越川弘司

    証人(越川弘司君) その人の名前と人員の点については私たちは実際のところ、はつきり分らん、ここに梯團の副團長をしておられた薦岡証人がおりますから、その方に人数の点は確めて頂きたいと思います。
  116. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) お願いして置きますが、必ず御姓名を名乘つて頂きます。
  117. 國井誠一

    証人(國井誠一君) 今の岡元委員の御質問お答えします。今残された者は向うのシベリヤの地で以て反動分子として初めから区別されて、反動列車というものに乘せられて一緒自分たち帰つて來て、途中ハバロフスクで以てその車輛と切り離されてどこかへ連れて行かれたのであります。帰るときは一緒列車に乘つて帰つて來ました。併し大橋利男、佐藤伊助、高橋史郎という人たちは、反動列車といつて民主委員の者がそういう列車を拵えて反動分子だけを乘せた一箇列車作つてハバロフスクで以て切り離して自分たちと離れてしまつたのであります。
  118. 岡元義人

    岡元義人君 只今國井証人と越川証人から要求もありますので、この際副梯團長である薦岡証人証言を求めたいと思います。尚この際今の私が質問いたしました一應輸送列車に乘るときには、帰還許可がどこで下りたかというこの点が明らかでありませんのと、それから人員が選定されますのには、反フアシスト委員会反動分子摘発委員会ですか、その委員会によつてこれが参ばれたものであるか、その点を薦岡証人証言を終りましてから簡單でようございますから要点だけ國井証人から証言を頂きたいと思います。
  119. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 薦岡証人証言を求めます。
  120. 薦岡武

    証人(薦岡武君) 私はナホトカに來るまでは別に輸送のいろいろの係はやつておりません。普通一般の者と同じようにモスクワからナホトカまで來ました。ナホトカで乘船の前夜選ばれまして副梯團長になりましたので、途中のことはよく分りませんです。ただモスクワを出発して帰る者の帰還許可がどこで下りたかということについては、これもはつきりしておりませんが、ハバロフスクに下車した者は、すでにモスクワを出発したときに噂ではどこかで下りるだろうというように想像されて、列車の編成も別になつておりました。本当に帰還の決まるのは最後ナホトカの地点で決まるのだろうと思つております。あそこで先程から國井証人の言われたように二名が別の方に行きまして……
  121. 岡元義人

    岡元義人君 名前は。
  122. 薦岡武

    証人(薦岡武君) 名前は私全然存じておりません。先程の原野君と石井君ではないかと思います。これは列車から下車してロシア語のアルファベット順に中隊を作りまして、そのときに中隊以外の別の所にこの二名は出まして、それから別行動をとりました。ナホトカ集結地に着くまでは中隊というものはありませんでした。ただ列車の各箱に乘つた編成でありまして、あそこに來てロシア語のアルファベット順で帰還名簿の編成をいたしたのであります。
  123. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 國井証人は先程の岡元委員質問証言願います。
  124. 國井誠一

    証人(國井誠一君) はつきりしたことは自分も分りませんが、大体今薦岡証人が言われましたように、人の噂を聞きますると、向うのハバロフスクを出る際に、もうすでに反動分子の者は別の列車に乘せられて、途中で以て下されてどこかへ連れて行かれるような噂を聞きました。
  125. 岡元義人

    岡元義人君 内容が少し明確を欠いて來たのですが、今副梯團長薦岡証人証言によりますと、ナホトカ乘船のときに石井外一名、これはナホトカで別にされて連れて行かれました。そうしますとその後の証言の中で、すでに前からハバロフスクで切り離されるのだという中には入つていないわけですね。
  126. 國井誠一

    証人(國井誠一君) 入つていませんです。
  127. 岡元義人

    岡元義人君 そうしますと、乘船されるときにその二名をよそにやつたのは、ソ連側の指令によつてつたものか、それとも誰か。
  128. 國井誠一

    証人(國井誠一君) それは民主委員会の側の者がソ連側の方に報告をしたために残されたものであります。
  129. 千田正

    ○千田正君 先程から証人側の諸君からたびたび委員長に呼び掛けて、今の問題について証言したいという要望があるということであります。殊に本島君はさつきから委員長を連呼されておりますが、本員は本島君の今までの問題について何か証言をする点があるとするならば簡單でよろしいから証言して頂きたい。それを要望します。
  130. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 本島証人は今審議しておりますのに直接御意見と申しますか……。
  131. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 意見じやないです、事実を申上げます。帰還者をどこで決定するかという問題が大分問題になつておるようでありますが、私は八月にソブガワニーを出まして、帰還する予定で参つてナホトカにおいては医者の勤務は三ケ月ごとに交替する。その丁度交替期であつたので、私に後をやつてくれというので、日本人が健康でやるようにやりましようということで十一月までやつておりました。ナホトカに三ケ月おりました関係上その人事や何か私の知つておるところを申上げます。我々はシベリヤにおいては内務省或いは陸軍省、海軍省……、労働大隊と呼ばれておるのは陸軍省、海軍省であります。その外の一般收容所は内務省の管轄になつております。ナホトカに來ますと外務省の手に渡るわけです。そうした向うで人員を選定して千名なら千名という列車を仕立てまして、この名簿は外務省宛の名簿でありまして、日本帰還する名簿じやありません。外務省で受取りまして各列車から來た人達を編成するわけであります。そうして編成して二千名なら二千名というものの乘船名簿を作りまして日本に帰るのであります。その場合において勿論ナホトカの外務省に渡るということは、直ちにか少し遅くなることがあるとしても帰還する予定として外務省の手に渡るわけでありますが、この場合に、私はそのソブガワニーにおつたときには民主グループに入つておりません、普通の医者でやつておりました。ナホトカに來て反ファシスト委員会の医療部の六十名の委員長に選挙され、そこまでは民主グループに入つておりません。そうしてナホトカに着くまでに私達の收容所でやはり千名帰ることになりました。そうしてその中の將校が約百名來ることになつておりました。ところが今までは進歩的の人は殆んど帰りまして、残つている將校の人は曾つて非常に入所の当時兵隊を苦しめておる人達が多かつた。その部下がなかなか言うことを聞かない。ああいう人間を帰すな、眞面目な人を帰してくれ、ああいう人間は後廻しにしてくれと言う。残して帰さないということは実際國際法の上からもできない。日本に帰つて眞面目に一生懸命働いてくれる人達を帰してくれというので、今まで苦しめられた部下によつて署名運動が高まりまして、十何名か残つたようであります。ソブガワニーで事実を調査しまして、日本人を非常に苦しめたという者を十何名か残してナホトカに來たのであります。私達が帰る前の列車で、やはり石井という軍医でありますが、それが帰ることになつたのであります。この軍医はどういうことをしているかというと、兵隊さんの時計を皆預かつておいてやるからと言つて、話によると百個くらい預かつて永島という軍医と二人でありますが、それをロシア側に賣つ拂らつて自分は煙草を吸つたり酒を呑んだりして、でたらめな生活をやつておりました。それが分つて、そんな人間を先に帰しては困る、もつと外の人間を帰してくれというので、その人間ナホトカまで行つてソ連側に戻つて参りまして次の私たちの車で帰りました。だから結局帰すなという人たちは順序が遅れますので、外の人たちが先に帰つて來たようであります。勿論刑法に触れるように事実がありまして、ロシアの刑法で何年という懲役を喰つた人は別でありますが、私の知つている一つの例を申上げたい。これは大邱医專を出た軍医でありますが、この人が病院におりまして外科をやつておりました。そして、その外科で患者の処置をどんどん独断に基いてでたらめにやつている。そして自分に文句を言うところの人間は皆ひどい目に合せる。或る進歩的な外科の患者が、余りに横暴である、民主的でないということを言つたがために、その患者に対して、その人が丁度痔が悪くて入院しておつたのでありますが、お前は痔が悪い、これは手術しなければ治らないと言つて自分が外科であることをいいことにして、手術で肛門括約筋を切つて片輪にしてしまつた。その後にロシア人の子供が骨折をした。それでわざと片輪になるような固定の仕方をして、あいつはロシア人だから片輪で固定してやつたということを衞生兵に言つた。ところが、その後にそのロシアの子供がロシア人の医者にかかりましたら、こんな固定の仕方はない。こういうこと言われている。それで調査したところが衞生兵に対してこういうことを言つていることが分つて、それが問題になりまして、医者という立場において、たとえ人種が違つてもこういうことをするべきじやない、まして日本人に対してこういうことをするということは明らかな犯罪行爲であるというので、懲役十年を喰つております。そういう事実があります。  それから少し戻りますが、なぜ反動を残すかという問題を只今聞かれましたが、これは全部の地区で共通な問題であると思いますので、私も発言を要求したのでありますが容れられませんでしたから今申上げたい。これは日本人同士ということにつきまして、私たちが敗戰当時において愛琿事件というのがあります。これは仲田という少佐か中佐でありますが、それが戰爭が始まり、それからロシアの戰車が入つて來る、それに対して、特攻隊が行つて肉彈特攻撃をやる、そうして帰つて來る。そうすると貴様はなんだ、命が惜しいのか、命が惜しければ俺が殺してやると言つて帰つて來る人を銃殺している。そうして戰爭が終つて敗戰になつたということを、孫呉の内田中尉と兵一名が終戰の命令を持つて來た。そうしたところが貴様はスパイだろうというので射ち殺しております。或いは高山助教授事件というのが私の地区の近くで起りました。これは東京農大に居た助教授の高山という人だと思います。やはり旧軍隊の幹部が非常な横暴をやつている。幹部が特別食を横流しして、自分たちは樂な生活をやつている。そうして棒きれを持つて日本人の兵隊を追い廻してこき使つている。こういうことがあつたというので、非常に民主的なことを言つたために撲殺されております。私のおつた病院においても一昨年やはり死体解剖がありまして、昨年か一昨年かはつきり記憶しておりませんが、それが食道の中にまで泥を詰め込まれて死んでおります。これは明らかに撲殺されたのだということが言えると思います。これも後で問題になりましたが、その人間がどこに行つたか分らないのでありますが、こういうようなこと、或いは又私の近くの收容所においても、將校たちが或いは一部の特権階級が自分たちだけ腹一杯食つて、兵隊にごく僅かの食事しか與えない。そうしてでたらめに使われるために、兵隊たちは栄養失調症になつた者が幾らもいる。だから日本でまだ帰つて來ない人たちの中には、このようにして日本人に殺された日本人が沢山いるということを認識して頂きたいと思うのです。吉村事件というのはあれ一つじやないのです。まだ沢山あります。そういう者に対して我々が、曾て苦しめられた人たちが、不滿を感ずる人たちが、そういう人たち反動として帰すまいとするのが当然であろうと思います。事実を私は……。
  132. 岡元義人

    岡元義人君 私がお聞きしているのはそういうことをお聞きしているのではないのであります。委員長は御注意を願いたい。
  133. 千田正

    ○千田正君 私は非常に不本意に思う。なぜ反動を残すかということについて、この反動ということを説明されたい。
  134. 岡元義人

    岡元義人君 私はこの問題については後程御質問いたします。
  135. 千田正

    ○千田正君 前の証人証言に対してもこちらから問返しをして見たいのです。今までの情勢を見ると、特殊の委員だけが質問するという理由はない。私は本島証人に対して証言を求めております。そこで私の言うのは、先程越川或は國井両証人の言つたことに対して何か証言する理由があれば、それに対して簡單に答えて欲しい。こういうことでありますから簡單に結論だけ言つて下さい。
  136. 本島正雄

    証人(本島正雄君) それから民主運動というものについて、民主運動というのはいろんな形があります。それについて申上げます。今の國井証人が言つた民主運動というものも、一部においてはあつたかも知れませんが、それがすべてであるとお考えになられると困りますので、それについてお話し申上げます。最初においてはさつき述べましたような非常に残虐な軍隊の横暴の事件があつた。それに対して旧兵士諸君は何一つ発言ができないで、奴隷的な屈辱的な状態に置かれていた。そうして一部の目覚めた人たちはそういうふうにして殺されたりひどい目に遭つた。目覚めた人たちが團結して自分たちの権力を握るようになつた。その一番初めにはボス ロシア側にいろいろなものを入れて、御機嫌を取つてそれになる、そうしてあぐらをかいてしまつて民主運動というものを賣りものにしてそうして特権階級になつた。そういう人たちは民主運動をやつておるとはいいながら、自分たちは兵隊さんを苦しめておつた。そういう民主運動というのは民主運動ではない。民主運動の仮面を被つたボスである。そういう人たちが目覚めた大衆によつて全部打倒されて、本当の働く人たち一緒になつて代表を選んだ收容所ができた。これが本当の民主運動なのです。ところが本当にその段階にまで進まないで帰つて來人たち、中途的な民主運動の段階で帰つて來人たち、要するに我々が本当に我々の権力を握つて全員が民主的な運営をやるようになつたところの民主運動、そのときに打倒されたところの特権階級、即ち曾ての將校で兵隊を苦しめてうまいことをやつていた人たち、或いは自分たちが成上つて民主運動を食いものにして人々を苦しめて打倒された人たち、そういう人たちが今帰つて來て、我々に対してテロをやつている。今我々に対してテロをやつている人たちはそういう直接本人ではないかも知れませんが、そういう人たちによつて瞞されておる人たちもおるわけです。そういう人たちが我々に対してテロをやつたのであつて、これは明らかに誰が大衆の味方であつたかということが分る。それで民主運動の二つの形があるということをはつきり認識して頂きたいと思います。これで終ります。
  137. 岡元義人

    岡元義人君 すでに十二時半でありますから、このあたりで休憩の動議を提出いたします。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  138. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それでは時間が大分経過しておりますので、午後一時半まで休憩をいたします。    午後零時二十九分休憩    —————・—————    午後一時五十三分開会
  139. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 午前中に引続いて委員会を再開いたします。議題舞鶴援護局内における暴行事件原因並びに経過についての審議続行でございます。
  140. 細川嘉六

    細川嘉六君 私は先程からの話の帰結は、この暴行の因であるものは、民主主義運動者が反動者として多くの人たちを彈圧した、何でも血と肉まで搾つたというように言われて來た。大体話がそこへ落着いて來ているのであります。それでありまするから被害者にそれについての質問を許して頂きたいのであります。第一に下中証人に対して、さつきからの話では、あれは反動者と目された者は皆後に残されているという話でありますが、反動者とは何か、その反動主義ということについて具体的に説明して頂きたいのであります。何を反動者と言つたか、具体的にどういうことに基いて反動者と言つたか。
  141. 紅露みつ

  142. 下中範雄

    証人下中範雄君) 只今どんな人を反動者と目したかということでありますが、我々が民主運動者であり、民主主義者である以上、民主主義は多数者の意見に少数者が服從するのであります。大衆意思を尊重して我々が大衆意思を代行することが民主主義者の責任であると思うのであります。反動という限定は、反動であるから残せとこういう声が大衆の中から出たのは、そういう反動とは、結局今までの天皇制軍隊こういつたものの階級によるところの抑圧、これを続行している者、或いは大衆の上にあぐらをかいて、そうして大衆を苦しめることによつて自分自身の栄達を図ろうとする者、そうした人たち反動者として大衆の手によつて挙げられたのであります。
  143. 細川嘉六

    細川嘉六君 今証人に私の聞いているのはそういう抽象的なことじやないのです。具体的に証人が接した人々の間において、反動者、怪しからんと言われた、そういう人たちが、一体どういうことを具体的にやつて來たかというその具体的の事実であります。先からの説明によりますと、大衆はこういうことをやつたから怪しからん、こういうことだからどうだ、早く帰しちやいかんと、そういう要求が出ているというのでしよう。どういう人たち大衆がそういうふうに判断したか、その具体的のことです。それを説明願いたい。
  144. 下中範雄

    証人下中範雄君) 反動者と目され大衆の憤りを買つた、この中には結局皆の人が知つておられる事件としては、最近出ておりますところの吉村事件、これはもう新聞などではつきりよく御存じだと思いますが、それと同時に先程本島証人から話がございました愛琿事件であるとか、或いは高田助教授事件、これは説明するまでもないと思います。これは直接列車内において大衆意思を代行して取上げた問題に限定されるのでしよう。
  145. 細川嘉六

    細川嘉六君 そうだ。
  146. 下中範雄

    証人下中範雄君) そうなるとこの列車内において大衆の中から取り出されたところの反動者としては二つの種類がある。第一の種類は旧軍隊制の階級、飽くまでも権力を持つて、或いは階級制度の上から大衆を抑圧するこの傾向、その中には勿論暴力を持つてやるところの、唯單なる暴力によつて大衆を抑えて來た一つのそうした形と、もう一つは、一應民主主義、民主運動の線に乘りながら、シベリアの民主運動の段階については先程本島証人から話がありましたからこれは省きます。そうした暴行によつて一應指導者としての地位にありながら大衆の上にあぐらをかいて、そうして自分達だけの栄達のために動いてそうして大衆を苦しめた。この二つがありまして、その具体的の例としましては、自分が將校であるが故に最初小隊長に就く。これは列車内において摘発された一つの問題でありますが、自分が使用しているところの兵隊を働かして、その兵隊の働いたところの作業量によつてその小隊長の地位も亦よくなるのであります。そうした方法によつて、事実身体が弱い、熱を出して弱つている、そうした人までも無理やりに作業に引つ張り出した。そうして無理に作業させたために、その人がそれが原因で死んで行つたというような事実も摘発されておつたのであります。  第二の民主運動の上にあぐらをかいて、そうして皆に摘発されたことは、さつきここにおられる佐々木証人から話がありました千葉委員長、これはもうこう人の例を取りますが、先程は佐々木証人は、千葉委員長は非常に大衆から尊敬された人である。こういうふうなお話がありました。併しこれは佐々木証人の主観の問題でありまして、これは明らかに列車内においてその行動が暴露されておる。なぜかと言うと彼は單に民主運動に便乘して、そうして大衆意思を代行することが全然できておらないのであります。これは後程私の発言のときに、先程の佐々木証人の言に対して発言しようと思つておりましたが……
  147. 細川嘉六

    細川嘉六君 もうここでやつて下さい。
  148. 下中範雄

    証人下中範雄君) はあ、この千葉委員長の摘発については、我々の列車は第十收容所がその主力であります。この第十收容所民主委員長千葉委員長で、その千葉委員長が続いて列車内において全般の民主委員長として、輸送委員長としてその職責にあつた。これが第十收容所の各委員の中からこの千葉委員長に対するところの鬪爭が起きたのです。その理由としましては、指導者として彼が鬪爭をサボつた。この鬪爭といいますとこれは説明する必要もないと思います。鬪爭の見解については以前の証言もありましたが……
  149. 細川嘉六

    細川嘉六君 具体的に。
  150. 下中範雄

    証人下中範雄君) 自分の栄達のためにのみそれが行動……
  151. 細川嘉六

    細川嘉六君 それは具体的にどういうことになりますか。
  152. 下中範雄

    証人下中範雄君) 第十收容所において全般の大衆意思を尊重せず、独断的に彼自身の行動によつてすべての営内の生活規律、そういうものをしておつた。それは第十收容所のソ側の所長というものが、全然こちらの言うことを聽いて呉れないということを楯に取つて、彼はこういうことをしたのであります。そうして全然大衆がこういうふうにしてほしい、ああいうふうにしてほしいという意思を全然彼は代行し得なかつた。そうして指導者として大衆意思を実行し得ないものは、これは向うで全部大衆の投票によつて委員長が決つてつたのであります。この大衆意思を履行し得ない千葉委員長が、下からの圧力によつてこれを辞めさせられ得るということはこれは当り前のことなのであります。そうしてこれは第十六收容所でありましたか。その收容所で山本という民主委員千葉委員長に対して、列車に乘る間際に、その第十六收容所から、その内容についてはよく知りませんが、大衆の怒りを買つて追放された人が第十收容所に來ておつた。その第十收容所におるその人を絶対に帰して呉れるなということを、第十六收容所全員の署名によつて山本民主委員に手渡した。それを千葉委員長に諮つたところが、千葉委員長は、そんなことを何もする必要はない。併し彼が輸送委員長である以上、それに対してそれが眞相であるか否かということを調べることは彼の責任であるわけであります。そのことによつて收容所民主委員から……各收容所民主委員は各收容所によつて選出された人間であります。その人間から千葉委員長に対する反対の声も起つたと同時に、第十收容所作業場、作業場と申しますとこれは縫装工場、普通編物をしたり、ミシンを使つたり、皆の被服に関係しておる一人の兵隊から出た言葉であります。それは千葉委員長帰國に際して、自分民主委員長であるという特権を以てその縫装工場に自分の命によつて被服を作らし、背廣といいますか、そういつたものと日本内地に帰つて着るために作らした。そういうふうな指導者としてあるまじいところの行動をした。そのことが問題になつて千葉委員長の更迭問題が起つたのであります。これは何でも千葉委員長を無理やりに我々の力で陷すということは全然できません。と同時に我々は千葉委員長というものに対して、私の收容所から來たものは單に全部で四十一名であります。それだけが千五百名の中に來たのでありまして、第十收容所は総員が確か八百か九百名おつたのであります。
  153. 細川嘉六

    細川嘉六君 下中証人に聞きますが、つまりなんですが、反動というのは働いておる沢山の兵隊、これの利益を抑えつけてそうして自分の勝手をやる、それを反動というのでありますか。
  154. 下中範雄

    証人下中範雄君) そうです。
  155. 細川嘉六

    細川嘉六君 そうなんですね。そこでそのことについてもつと具体的に、例えば佐々木証人が問題になつたと、そのときにどういうことが皆の間に言われたのでありますか。
  156. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 細川委員に申上げます。時間の関係もありますので成るべく簡單要点を御質問願います。証人の方にも申上げます。成るべく簡單要点に触れるように証言願います。
  157. 細川嘉六

    細川嘉六君 具体的にはどういうことに……。
  158. 下中範雄

    証人下中範雄君) 佐々木証人に対するあれでありますか。
  159. 細川嘉六

    細川嘉六君 佐々木証人の場合は……。覚えていなければそれでいいのでありますけれども……。
  160. 下中範雄

    証人下中範雄君) これは別のいろいろまだ……、当時一緒帰つて來たものもおりまして、そのときに皆から出て來た歎願書を整理したものがおりまして、それは福田猛と申しまして東京におります。本人に聞けばよく分ると思います。現在私としてははつきりしたことは分りませんからそれについては説明できません。
  161. 細川嘉六

    細川嘉六君 それではあなたはそれでよろしい。あと又お聞きします。中川証人についてお聞きしたいのでありますが……。
  162. 岡元義人

    岡元義人君 委員長許可を受けて……。
  163. 細川嘉六

    細川嘉六君 委員長続いておりますがよろしいですか。
  164. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 中川証人簡單一つ要点だけをお願いいたします。
  165. 細川嘉六

    細川嘉六君 この民主運動をやつてつたものが反動者として極印をつけるというのは、先程からのお話から独断でやつたのは、大衆の全体の意向として決めたとして、そのいわゆる指導者になつて、立場におつた君の場合、そういう人達を勝手にこのソ連から帰るのを止めると、そういうようなことはやつたのですか。又できるのでありますか。
  166. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) これはさつきの自分の反対側の人の証言の際にいろいろ言われたのでありますが、その際に全然、これらの人々は自分と特に列車一緒でなかつたのだし、ここにおられるのですが、自分は知らなかつたので分らんので、実際さつきの一連の証言では、民主主義者とシベリアにおいて名乘つたものは、これはそういつた民主主義を口にしながら、実は大衆を苦しめた奴らである、血肉を搾つたのだというのでやつたというように結論はなかつたように思うのであります。自分は勿論自分個人のことを弁解しようとは思いません。併しながら日本の敗戰とも繋がつてこの民主主義の問題は世界的な問題であり、これは世界の勤労人民の問題であると思います。從つて私はまだ帰つて來る人々もありますから、ここでこれについて自分原因なつたと思われる点を述べたいと思います。今下中証人からも述べられたし、それから本島証人からもさつき述べられたのでありますが、この問題は委員長は問題を簡單要点をと言われます。併し簡單要点が確実に現わせたらそれ以上はないと思います。併しながら簡單だけで本質に触れない問題は駄目だと思います。だから自分は勿論簡單要点に触れるように努めますが、一應ナホトカだけの問題、或いは船中の問題第十收容所を出発してからのナホトカまでの問題等、そういう問題を切り離して取つては実際分らないのであります。だから自分ナホトカ收容所において入所してどういつたような生活をして、どういつたような生活の中から反動主義というものを、我々が我々の敵としてにくむようになつたかという問題が必要だと思います。
  167. 細川嘉六

    細川嘉六君 それを具体的に簡單にして欲しい。
  168. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 反動にはやはり元の軍隊生活、これの残虐は本当に残虐な証拠、自分は麻雀をやつておる、一日中作業に行かないでよかつたのです。將校は國際法で……我々は毎日作業に行く。ふらふらになつて帰つて來る。彼らは麻雀や碁をやつておる。そうして当番を附けておる。そして炊事に特別食を作らして食つておる。だから寒いときも防寒帽の垂れも下さずに血色のいい顔をしておる。我々はタオルを被つて防寒帽を被つてまだがたがた震えている。そうして体が弱つて作業が満足にできなくなると、お前は作業が悪かつたとそう言つて配給のパンを減食したり、取上げたりする。我我は入所当時実際一切の希望をなくしたのですから食生活と帰るということが痛切な問題であつた。それに食を奪われたその氣持というものは、これは本当に経験したものでないと分らないのです。体格順位を一級、二級、三級、四級、五級まで体格によつて決めるのですが、五級というのは栄養失調で保育餌になる。保育餌になつたらドクトルの診断で栄養食を食わして貰うのです。その五級になつた、実際眼の前で一個班ならば十五人の班ならば十五人分として渡されるパン、その半分なら半分、三分の一ならば三分の一ポンと切つて後十五人分を割つて渡す。こういうことを見せつけられて來た。だけれどそれを言つたら飛んでもない所に轉属させられてしまう。だらかどんどん補充兵、初年兵は栄養失調で倒れて行つた。將校で栄養失調で倒れて行つたものがおるか。これで起たざるを得なくなつたのです。生きるために起たざるを得なくなつた。そういう苦しい生活が一年以上続きました。このうちに吉村隊の事件も傳わつて来た。だからどこでもこんなことをやつておる。どこの者も苦しんでみんなが頑張つておるんだというので、こういつた者に対して闘いを挑んだのです。ところが彼らはやはり元の制度、そういつたものによつてそういう民主主義をみんなのためにやろうとすると、やはり暴力團——彼らの子分というものを使つて櫻團とかそういつたマークを附けさしたりして民主主義者のグループに対して個人的な呼出しとか暴行を加える。だけれどもまあ困難な闘いであつたけれども一應勝利したのです。ところが今後はその後いわゆる民主主義を口にしながら実はそうでない、民主主義の名において大衆を裏切るあぐらをかく連中が出來たのです。
  169. 細川嘉六

    細川嘉六君 あぐらをかくというと具体的にどういう……。
  170. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 例えば民主主義ということを言つて、そしてこれをこういうものだ、こうしなければいかんという、ところが実際に学問のできて、おる連中は分るが、本当に家で農業をやつてつたそういつた人には理論的なむずかしいことが分らない、だから言われるままにしておる。文句を言うと、実際に自分作業にも行かずに指導者としてやつておる。ところが……。
  171. 岡元義人

    岡元義人君 議事進行について……。
  172. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) 文句を言うとこれは民主主義に反すると言つて轉属させたり、いわゆる反動分子なつたりするのです。
  173. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 中川証人に申上げます。ちよつと発言を中止して下さい。
  174. 岡元義人

    岡元義人君 議事進行について述べます。四時が限定時間でありまして、委員長としては只今結論を出さなければならんのです。今惠山丸の関係に移つたのでありますが、高砂丸が残つております。それから尚第三案件の官廰の方の皆さんが御証人として出席されておる、僅かに一時間半の中でやり遂げなければならない。こういう状態ですから、証人の中で言いたいことが沢山おありと思いますが、私は憎まれ役を買つて出ております。一つこちらの方の氣持も酌んで頂きまして、議事進行上一應大体のところで今の証人証言を打切つて頂きまして、次の高砂丸関係の方で板垣証人が來ておられます。それから又被害者の方では本島証人がその該当者になつておる。又大友証人証言を求められております。そうして第三者的の北崎証人等によつて原因を聞いて行く。そういう工合にお進め願えますと、高砂丸関係惠山、英彦が一應の証言が終るわけであります。その後におきまして委員長において一定の時間を與えて委員から質問させて頂くように取計らつて頂くように議事進行について動機を提出いたします。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  175. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 岡元委員から議事進行について御発言がありました。
  176. 細川嘉六

    細川嘉六君 進行について意見があります。
  177. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) もう余すところ時間もありませんし、まだ後に大変残つております。第三、第四と残つておりますのでそれを御考慮に入れて頂きまして発言を許します。
  178. 細川嘉六

    細川嘉六君 今岡元君の提案ですが、質問をさつきから船ごとにやつて來たけれども、船ごとでは問題が切れ切れになり纏まりにくいのであります。それですからこういうようにして問題の重点がここに來ております。反動とは何か。反動ではない民主化とは何か。この二つの爭いになつております。ここを一つ私に質問さして頂きたい。時間は取りません。質問はまだ続いております。
  179. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 動議を出して、それに賛成が天田、矢野から出ております。ちやんとそれを……。
  180. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 質問に対して返事をしておる最中ですから、もう四、五分待つたら……質問しておる最中に動議を出すから混乱する、返事をしておるのですから……。
  181. 細川嘉六

    細川嘉六君 時間を取りませんからどうぞ……質問は続いております。
  182. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 簡單に……。
  183. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) そういつた元の特権的軍隊制の維持を図る者と、民主主義を口にしながら民主主義の名において大衆を踏みにじり、自分だけがよい物を食い、よい生活をしておる者、こういう者は反動となつて大衆の怒りを買つたのであります。
  184. 細川嘉六

    細川嘉六君 途中で質問してよろしいですか。
  185. 岡元義人

    岡元義人君 動議が出してあるから切れたところで……。
  186. 細川嘉六

    細川嘉六君 それでは、その点は大体先程からの話で了解したこととしましよう。反動者と目される者を残留させるということについて、民主運動の指導者は相当発言権を持つてつたものですか。
  187. 中川澄雄

    証人(中川澄雄君) この問題はさつきからの証言では事実あつたように言われております。併しながら自分收容所では勿論そういう噂は立ちました。併しながら実際にはそういうことはその事実を確かめ得る問題ではないのです。これは自分の考えでは捕虜は幾ら指導者でも捕虜ですから、帰國の問題は、そういう決定できる点まで介入できないじやないかと思います。この問題も私に言わせるならば、そういつた僞民主主義者或いは反動という連中が本当の民主主義者に敵意を持つておる連中が、自分が罷めさせられたならば、敵意を持つておる連中はそういうことを言つて挑発するのじやないかというふうに自分は考えております。
  188. 細川嘉六

    細川嘉六君 つまり……。
  189. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 細川委員に申上げます。動議が出ておりますので、証人証言が切れましたところで、動議を採択することになつておりますから発言を止めて頂きます。先程の岡元委員からの動議を皆さんにお諮りいたします。時間がありませんので、後、問題について証言を必要とする証人がございますので、只今証言は中止を願いまして議事を進行しようという動議がございますが、御異議がなければそういたしたいと存じます。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  190. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 御異議がないものと認めます。後で時間がございましたら証言を願います。
  191. 岡元義人

    岡元義人君 板垣証人原因について述べて頂きたいと思います。その後、先に提案いたしました順序で委員長から各証人から証言をさして頂くことにしたい。繰返して申上げますが、高砂丸の本島証人と大友証人、その次にこれは本当の目撃者という立場から北崎証人証言を求めます。
  192. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それでは高砂丸関係で最初板垣証人
  193. 板垣文助

    証人(板垣文助君) 上陸後の事件に関しまして、私の目撃しました範囲内を簡單に申上げます。これを申上げます前に、結局反動というものの意義が非常に私たちの見解と相違しておるのであります。只今まで申されましたのは、私は敢えて申上げますが、先程申上げた方々の独善的な見解であると私は敢て申上げます。私たちの最初三年間におけるところの反動という意義は共産主義に対して協力並びに共鳴しない者、こういう者を主として反動と、いうふうに名付けておつたのであります。それをこの議場で只今まで聽いておりますと、独善的な、一方的な見解を以て申上げておるようでありますが、実際は私たちは他の梯團はどういつたものか知りませんが、少くとも私の三年間を通じての過程からして、この見解は共産主義に対するところの協力、共鳴をしない者、これが第一條件でありました。即ち第二にどういう者が反動と呼ばれたかと申しますと、旧軍人の將校、下士官、理由は今言つたように旧軍隊制の権力を濫用して、横暴を極わめたというようなことを申されましたが、実際問題といたしましては、この共産主義を唱えました今のアクチヴ、この連中が即ち旧軍隊のこういつた將校、下士官という階級を有する人々がおる場合、この共産主義を一つの標榜として、いろいろな少くともこれは私たちの通つて來た面でありまして、他のラーゲルには適用するかどうか知りませんが、それを標榜しまして、大衆の前にあぐらをかいて、そうして実に惨澹たる、我々日本人が日本人を食うような行動を敢えてして來たのであります。そうして、そういつた彼らに対する乱行に対して、やはり忠告し、是正せんと努めた者が、やはり旧軍隊の將校であり、下士官であつた者が多かつたのであります。ここにお互いに相容れざるところがありまして、一つの共産主義というものを楯にとつてソ連備に入り込み、そうして、こういつた者があつては、彼らのそういつたことができないというので、これを覆滅するための一つの手段としてこういつた反動という一つの言辞を取上げまして、そうして今言つたようなことをいたしたのであります。で今再三いろいろの方々が申されましたが、大衆の声だとか、大衆の要求だとかいうことを強調されましたが、そういつたことは絶対にないのであります。勿論我々が抑留者としてソ連にある場合に、どうしてもそういつた連中が共産主義國家内におつて、共産主義というものを標榜して來た場合に、それにどうして反対できましようか。心の中では泣いてもやはり帰りたいのがこれは誰しもであります。帰るのは先程申されましたように、食生活と、それから安全に内地に一日も早く帰りたい。これが第一條件であるということを申されましたが、結局そういつた我々の弱点を掴んで、共産主義というものを標榜して、是が非でもそれに随行させるために、大衆の声だ、そういうことは我々の前で絶対に言つて貰いたくないのであります。これは敢えて私は申上げます。あのソ連の將校の指揮下にあつて、署名しろ、こういう事項に対して署名しろと言われた場合に、皆さんも御承知の通り、ああいつた独裁的な制度下にあつて、何でそれに対して反対ができましよう。反対の意思は十分にありますが、それを表明することはできません。それをとつて大衆の声だ、大衆の盛り上つた力だということは、絶対に言つて貰いたくないのであります。即ちこれはちよつと横に走りましたが、こういつた最前までいろいろの人々が盛んに美辞麗句を並ベましていろいろ申されましたが、実際は今中川君が申されましたのは、我々としまするとまるで反対であります。或いは下中君の申されたこともまるで反対であります。大衆のために、労働のために、勤労のために闘つたというようなことを言いますが、実際は共産主義を標榜して、ソ連側に食い込んで、そうして自己保全のために從事して來たものであります。(細川嘉六君「もつと具体的に」と述ぶ)申します。勿論申します。この事例といたしましては、他のラーゲルには適用できるかどうか知りませんが、私の方で民主委員長をしていた九州の八幡の人間でありますが、福島福則という人がおりましたが、これが民主委員長でありました。この人間がどういうことをやりましたかというと、彼はこの民主運動が起る前には、実際あちらの言葉でブローホ・ラボーターと申して、作業の悪い人間であります。そのブローホ・ラボーターのナンバー・ワンであつたであります。それが一旦この民主運動が起りますと、速かに民主主義者に轉向しまして、そうして早速その民主委員長というものに自分でなりまして、そうして自分民主委員長に席にあるのをいいことにして、作業には出ません。そうして民主教育の企画であるとか、或いは民主運動のいろいろな計画であるとか、そういつたことにかこつけまして出ません。それで出ないのは勿論我々は構いません。併し実際に労働がひどくて、私たち帰還の年は裏海、クラスノウオードスク、あの沙漠の地で、何もない所で、而も酷熱、耐えられないような酷熱の下に、我々は食う物も食わずに、痩せ衰え、栄養失調になつておる矢先に、彼らは我々のその食事をば頭を刎ねて、さつき誰かが申したのでありますが、血色のいい頭をして、どういうことを言いましたかと言いますと、ソ連の五ケ年計画に協力しろ、そのためには我々は労働闘爭だ、倒れるまでやらなければならん。彼はどうするかというと、我々を作業に出しまして、彼は晝寢をしまして、そうしてその配下におる委員というものは、どういうことをやつておるかというと、皆文化部長であるとか、教育部長であるとかいうものは、殆んど朝ちよつてつて見るだけで作業には出ない。日中は彼らは麻省をやり、そうして我々の頭を刎ねた血と肉のようなその食事をば、頭を刎ねて、彼らはそういう遊蕩な生活を送つてつたのであります。そのために作業に出て栄養失調のために、作業に堪えられない者が非常に続発した。私は衞生関係でありまして、この点も非常に意見を具申いたしましたけれども、どうしてもその意をとられませんでした。なぜかというと、それだけ作業に出る人員が少くなるというと、結局は彼らはアクチヴであるとか、或いは指導者になつておる彼らの成績にかかわるというので、そういつた者に対する対策は何ら講じて呉れませんでした。むしろそういつたことを申しますというと、ソ連の五ケ年計画に対して協力する意思がないのかというように私たちは言われました。そうしてお前たち反動だ、そういうことを言うのは反動だ。そうしてその一つの事例としてはいよいよ栄養失調のために衰えた者がいつでも診断も受けられませず、作業場に行つて作業場の帰り途に途中でとうとう歩むこともできませんで、夕方日が暮れて帰るときには途中で休んだまま死んで行つた者が三名もあるのであります。私はどうしても帰つたら奴らに対して断然それに対するところの制裁を加えずには置かないという決心を持ちました。私はここに出ておりますように事件の目撃者として出ておりますが、私は敢えて申しますが、完全な加害者です。舞鶴で私はその加害者としての一人です。こういつた事例でありまして、細川委員殿に特に申上げますが、もつと具体的に申せと言えば申しますがどういたしますか。
  194. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 本島証人にお願いします。
  195. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 申します。最初に民主運動が非常にひどかつた。私は板垣証人と全然同じ場所ではありません。板垣証人のところで行われたところの民主運動は民主運動ではなくて僞民主運動だ。板垣証人が犠牲になつた、その中隊の人たちが犠牲になつたということに対しては、私自身も非常な憤りを感じます。先程も板垣証人が外の分所ではどうか分りませんということを言われたが、確かに分らない。そういう分所は極めて少かつたのであります。私らの所ではもつとうまく行つておりました。或いはそういう民主ボス的な存在は曾て生じたことはありますが、全部打倒されております。その段階に行かないで帰つて來たから非常に苦しい犠牲を嘗められたのであつて、そういう民主ボスに対しては私自身も非常に憤りを感ずるのであります。  それからその次に私が受けた暴行事件に対して申上げますが、私はさつき申上げましたように八月にソブガワニーを出ましてナホトカに参りました。ナホトカで医療勤務者の交替の時期だから替つてつて呉れないか、私は一人でも多くの人間が丈夫で帰るようにと思つて、それでは引受けましようと言つて……私と一緒に來た連中は皆帰つております。私は残つたのであります。そうして残つて見ましたところがどんどん毎日帰つて行く。これを見てとにかく自分は、帰りたいという氣持は誰でも持つのでありまして、その医療勤務や何か疎かになり勝ちな傾向がときどき見えます。そういうことに対して三ケ月勤務すればいいのだというので、全力を盡して勤務しようじやないかというのでそういう運動を起しました。その後の反ファシスト委員会、勿論これはナホトカの全收容所の反ファシスト委員会ではありません。あの中に医療部というものがありまして、これは若干の入院施設を持つております。その医療部のファシストの委員長が帰つたので、私は選出されて委員長になつたのであります。勿論民主グループに属しておりません。それから帰つて暴行を受けたのでありまして、誰から受けたかと言いますと、名前は分りません。十一月の二日に舞鶴に上陸しました。午後に上陸して入浴を終つて、部屋に帰つておるところに、二階でモスクワから帰つた人たち暴行事件ががたがたありまして、その後で私が医療部から帰つた患者の部屋に呼び出されまして、私は殴られたのであります。殴られた程度というのは後にしまして、その殴られたと言えば、誰から殴られたかというと、それはモスクワではなくてウクライナから帰つた人たちであります。この人たちは私は全然面識はないのであります。この人たちは汽車から降りまして直ぐに私のおりました四分所に入らずに、直接三分所、船に乘る分所へ行つております。私は四分所におりまして、夕方船が出たのですが、急の帰還の命令が出まして私は乘つたのでありますが、その間全然面接しておりません。帰つてからも全然面接は記憶がなかつたのです。このウクライナから來て入院した人から聞いたのでありますが、あすこのところは大尉が中隊長をやつておりまして、若い將校であつて、兵隊が文句を言えばどんどんびんたを取るという非常にひどいあれだというようなことを言つておりました。現に舞鶴の港に上つてからも全員その將校に整列させられまして「海行かば」を歌つております。そういうまだその天皇制の軍隊の支配階級が特権を握つておる部隊であります。そいて私が呼ばれましたもの全然見ず知らずの……私と一緒におつたところの病院におつた岩崎という男が私を呼びに來たのでありますが、この民主運動をやつてつたのは誰だ、私は反ファシストの委員長ですが、私が、あれがそうだということになつて名前を言つたので、私を呼びに來て私が殴られました。この殴るについても、モスクワから來た病院の患者から聞いたのでありますが、その將校は、自分の特権、地位というものを保たんがために民主運動をしてた。奴は殴つてしまえということを絶えず兵隊さんに宣傳しておつた。そして船の中でも、日本に着いたら同じ日本人同士だから殴らんでもよいじやないかというと、貴様は殴り込みに行かんかということでびんびんとびんたを取られて、慌てて鉢巻をして断り込みに出掛けたという状況であるということを、私は入院後にウクライナから帰つた人から聞いております。そして私が呼出されまして、お前は名前は何というかというので、それで私は名乘る必要はない。ここにいるのは私と同じ医療部におつた人たちだから聞いたらよかろうと言うと、何をということで顔面に対して手が飛んだわけであります。六人程いたと思いますが、皆白鉢巻をしていて、私が何時間殴られたか知れませんが、倒れたところが今度は蹴る、殴るで私は氣を失なつたのであります。その後で私がどのくらい経つたか分りませんが、微かに記憶が残つておるのですが、警官であつたか、寮長であつたかはつきり分りませんが連れて行かれて、治療室でごろつと寝てこんこんと眠りに落ちて何時間か、醒めたのは夜中頃だと思います。その後私の周りを警察官が來てうろうろして、こいつも伸びたかというようなことを私に対して投台詞で言つておりました。寮へ入りまして、寮の段階のところに、ちよつと場所を忘れましたが投書箱がありますが、民主運動をやつた者の名前が分つたら投書しろということが箱の上に書いておりました。私は診察も受けずに治療室で二、三時間放置されたのですが、その後に隔離病室になつおる、休養室という名前になつておるか知りませんが、收容所の中の病室に連れて行かれました。はつきり覚えておりませんが、十八くらいあるのじやないかと思いますが、ベッドがその日とその翌日で一杯になつております。殆んど大部分がテロ行爲の犠牲者でありますが、その人たちから聞きますと、警察官は、後でこれは京都新聞で見たのでありますが、二つ警察がありまして、第一回に片方から警察官が二十名、二度目はそれで押え切れなくて二十名くらいだと思いますが、繰出したということが京都新聞に書いてありまして、合計四十名くらいおつたようですが、それらの警官がどうかというと、私らのところに入室して來た人たちの話では、警察官は暴動、殴り込みが始まりそうになると消えてしまう。殴り終つてしまうと出て來て、伸びておる人間を見て、初めて、君、同じ日本人じやないか。野暮なことは止め給えと言つて、殴つておるのを見ながら、殴り終つてから、君は何をしていたかというような取調べをやつておる、又俺も一緒に殴りたいというようなことを言つたとも私は聞いております。大体そうして私はその二日後に國立病院に入院しておりますが、國立病院では八日に私たちの梯團は全部の列車が解散しておりますが、八日の日だつたか入院した者から聞きますと、暴行事件は七日の夜まで続いていたということを聞いております。四十名の警官が出て眞剣にこれを制止しようというならば、これはできないことはないのだ。明らかにこれは無言の承諾がある。無言の應援があるということが言い得るのであつて、若しこれをやつたというならば、こういう無能力な警官こそ先ず第一に現在問題になつておる行政整理で整理して貰いたい。それから休養室におけるところの給與は非常に良好でした。これは患者に対しては牛乳なども出ましたし、感謝しております。が、病院に入つてからは普通の食事で、休養室よりも食事は悪くなつておりますが、特に私に対してこれはテロで受けたのだからどうだというような、ひが目で医者が見ておるか看護婦が見ておるかということは私は余り感じませんでした。但し病院の中においても相当個人的なリンチが行われまして、例えばこれは岐阜縣の男かと思いますが、結核病院に入つてつた青木なんという男などは病院の中で呼出されて殴打されております。これは病院関係者が知つておるか知つていないか、後で御返答願いたいと思うのですが、以上のようなことから先ず第一にこの暴行事件は私に対して何ら面識のない者から與えられておる。何故に與えられたか全然分りません。ただ民主運動をやつていた反感が、委員長であつた私がどういう人間であるか知つてつておることならば私は分る。そういうのは全然ないという。要するにさつき板垣証人が言われたような僞民主委員をやつていた、或いはそこが本当かどうか分りませんけれども、そういうような傾向のところが若しあつたとすると、それで民主運動に対する反感というものを持つて來ておるのじやないか、そうしてすべての民主運動をやつている者に対してもこれが民主主義なのだという氣持で復讎でやつたのがこの暴行であると言えると思います。
  196. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 大友証人
  197. 大友高雄

    証人(大友高雄君) 私は舞鶴に起つた事件に対しまして、如何に起つたかということをちよつと申上げます。私のいた所はウクライナ地区であります。そのウクライナ地区においてクレンカという所に中村少尉以下四百名おりました。その中から百五十名が中村少尉に編成されて、そうしてクルメンチクという收容所に行くことになつたのでありまして、そのクルメンチクという所に行く途中に草野一等兵、奧野、山田、それから二階堂と六、七名が組になつて編成されて、隊長或いは通訳なんという名目で立つたわけであります。その六、七名のやり方をちよつと述べさせて頂きます。我々が作業をやつていた前にドイツ人が六、七十%を以てやつてつた仕事であります。その後我々が引受けたわけであります。我々が百%やつております。併し草野隊長の、その幹部に立つ者の要求では三五〇%まで要求して我々に仕事をやらせるのであります。併しその食糧たるや全部上前を刎ねられて……その例を取つて見ますと、一回百五十名に渡る罐詰が十五個配給になつた。併しその六、七名の本部附の者で以て半分は食べてしまい、後の半分を百四十名で食べるというような給與でありましたし、又お粥と言えばそれこそ何分のお粥といろいろなものがございますが、私の食べたのは本当に柄杓で分けなければ分けられないとろとろしたお粥でありました。それが二合乃至二合半であります。向うでいうスープでありますが、そのスープはロシア語でワダー。日本の水のスープであります野菜の一粒も入つていないものを食べて重労働を続けております。重労働を続けている間に体力が衰えて、食い物のせいか激しいノルマの段々に殖やされているところに持つてつて、僅か半年の間に七名という者が死んでおります。その死んだ者は如何にして死んでおるか。皆痩せて骨と皮になつて死んで行くのであります。その一つの例を取ると、吉田照夫という男がおります。吉田照夫という男は夜中石を積みに行つたのです。もうほんのこういう小さい石も持てないというふうにして、その晩はやつと叩かれ或いは殴られて、その晩は仕事をして帰つて來ましたが、その翌朝診断一つもせず死んでしまつたのであります。
  198. 細川嘉六

    細川嘉六君 民主運動ですか。それはあなたの今言つているのは……。
  199. 大友高雄

    証人(大友高雄君) 民主運動、私共のところにはそういう運動は一つもなかつた。ただ自分が生きんがために、自分が無事で帰らんがために起したのであります。それで私も殴られた一人であります。又私も石積みのために一番悪い体になつたわけであります。そのとき百五十名おりましたが、百名が一番悪い体に陷つたのであります。私らも本当にこういう石も持てない。平な土地を歩くにも平然としては歩けない。手を後に廻して腰を曲げて歩かなければ歩けないというふうな程度になります。それでも作業に出されますが、もう一つの例を取ると谷中という男がありました。夜間作業に行きまして、石を叩こうというときに大きな石が落ちて來て手を折つております。診断に行きましたら、軍医は廣瀬という男でありますが、それが何でもないと言つて又次の日から重労働に出ております。その男は痛い痛いと泣きながら作業を続けておりました。そうして或るとき外から別に軍医が來たのであります。そのときはこれは手が折れている。そして中には石が入つていたのであります。そういうようなことを続けていた次第であります。私もそのときは一番体の悪かつたために本当にふらふらになつておりましたが、或るとき外に出ていると、ぼやつとしているとかで奧野という通訳に三回殴られております。人間というものは三百六十五日元氣で働けるものではない。一日や二日工合の悪い日もある。頭が痛い、腹が痛いということもあります。そういうふうにしてノルマが達せられないことがあるのであります。そのとき帰つて來本部へ呼ばれて、お前はどうしてやらなかつたか、お前はノルマが達せられていないと言つて木刀で殴られたことが随分ありました。それに現に寒いためにちよつと火にあたつたからといつたは、冷たい表に出されて最後になつてお尻を相当殴られたこともあります。そういうふうにして我々は続けて來たのであります。そうしてこの際舞鶴に上陸いたしました。私はその前にそういうふうに一番悪い体になつて病院を送られたのであります。そうして舞鶴へ上陸の際その六名の死亡者の遺骨を持つて來ているかと言つたら持つて來ておらんというのであります。それから私は何ら暴行を加える、殴つてやれという氣にはなれませんでした。そのときに私は舞鶴の階上におりましたから、何かそういうふうなことが階下で起つているようには思いました。併し私は何らそのことに対して進んでは行こうとは思いませんでした。併し五日か六日の夕方奧野という男が通訳の奧野という男が私のところに参りまして、自分が悪かつたことを自分で判断をしたいというので、殴つて呉れとかいつて來たのです。丁度その晩私がおりましたものですから、私は殴つて直るものなら私が殴つてやる。併しお前は殴つて直るか、そうすると直ると言うのであります。それで私は軽く二つ殴りました。その際に私はどうだ分つたか、お前我々がこの日本の土地を踏んだつて異國の土となつた六、七名のことはどう思うか。皆父母兄弟は待つているじやないか、お前たちだけが元氣で帰つてどう思うのだというようなことを私は言いました。そうしますと、分つたよ、改心するからと言いましたので、私はそれで帰つたのであります。
  200. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 北崎証人
  201. 北崎学

    証人(北崎学君) 今まで随分この席上の問題になり、それからいろいろポイントになつておる点について第三者の立場から御参考になる点を申上げます。  反動という言葉を先程から述べられておりますが、それから天皇制、軍隊ということが非常に出ております。これはむしろそういう反動と称せられた人たちをそういうふうな面に動かしたのは、ソ連側がそうした制度、天皇制、軍隊というものを利用した。そうしてやらせたというふうに見るのが至当ではないかと思います。この例としまして私たちは地方法であります。軍人でない。地方人は六百人の集團でありましたが、その中から元將校であつたものをピック・アップしまして、それでいわゆる旧軍隊式の組織を、私らこの地方人の間に作らした。——大体共産主義というものは目的のために手段は選ばない。そんなことを言われるのですが——搾取というと語弊がありますが、——赤も利用したし、白も利用した。いわゆるボスと称せられる人たちが、よく言葉に出て來るのですが、あぐらをかいておつた、これは事実であります。併し私たち反動でも共産主義者でもない。第三者の立場からいいますと、民主グループ、それからアクチヴの人たちも結構私たちの前であくらをかいておつた。それから前者の例では今問題になつております吉村隊長のテロ事件、これは吉村隊長がソ連から課せられた作業を超遂行したという功績で以て内地帰つて來ておるのであります。又この後者の例であります。これは実際さつきも言われたように、作業の面では非常に苛酷な労働を一般に強いる役割を演じた。又思想方面では反動退治、これは非常に活溌におやりになつた。この反動の……。
  202. 細川嘉六

    細川嘉六君 議事進行について……。
  203. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 発言中です。証人の方もう少し大きな声で願います。
  204. 北崎学

    証人(北崎学君) 反動の定義というものは、さつきここでお述べになりましたように、共産主義に賛同しないという者が大体僕のところで反動扱にされておる。この民主グループの人たちは幾分テロ的のことをやられておる。要するに反動の釣上げ、向うから発行しておる日本新聞の中に出ております。これは皆民主グループの煽動であります。こういう民主グループの音頭取りに対して一般も結局ああいう社会でありますから、心ならずも附和雷同する。徳田書記長が佐賀で何かやられたときに、向うの各ラーゲルでは大々的に抗議運動が起つて、前に佳木斯の特務機関におつた人がやはり民主グループのためテロでやられた。ですから右翼もテロをやつておるが、民主グループの人たちも相当のことをやつた。私共第三者といたしまして、このボスに睨まれることが非常に恐い。併しこれ以上に民主グループの人たちに睨まれることが非常に恐かつた。というのは民主グループの人たち帰還要員を選考するという大権をソ連側から與えられておる。從つてこの人たちの逆鱗に触れれば帰れない。そういう関係から非常に恐かつた。この民主グループばかりでなく、いわゆる反動という者も圧力を以て臨んでおつたということが、さつき問題になりましたが、これ以上民主グループの者は圧力を以て私たちを圧迫しておつた。それから反動摘発委員会ということが問題になりましたが、私たちが向うを出るとき、こういうことを——言われた。君たちは要するに民主主義化した者、共産主義者と認めて君たち日本共産党の徳田書記長の下に君たちを送り届けるのだ、徳田書記長が曾て佐賀で怪我した。そういう被害を掛けるような者が、この中から一人でも出てはいけない。そういう反動というものを皆で摘発しなければならない。こういうことを言われて参つたのであります。こうした指示によつて民主グループが活躍を始めました。そして帰還車中において反動摘発委員会というものができたと私は信じます。それからさつき話がありましたように、全会一致で反動をやつつけた。それから委員長に推薦も全会一致だという話がありましたが、これは成る程結果から見れば全会一致であつたかも知れない。件し事情は違う。さつきも出た千葉委員長の更迭問題、要するにこれは千葉委員町が車中闘爭サボをやつたということであります。このサボというもの、要するに千葉委員長の立場からしますれば、皆が無事故で帰れるようにという温かい氣持からサボをやられたのだろうと僕は見ました。
  205. 細川嘉六

    細川嘉六君 千葉委員長を知つておりますか。
  206. 北崎学

    証人(北崎学君) 千葉委員長ですか。車の中で、帰つて來帰還列車の中で……。
  207. 細川嘉六

    細川嘉六君 具体的な事実を挙げて呉れませんか、さつきから意見が多過ぎるように思います。
  208. 北崎学

    証人(北崎学君) 具体的に言つておりますから、後でお聽きを願います。こういうような関係から私たちの車では、このいわゆる千葉委員長の更迭というものに対して賛成をしなかつた。ところがそこにおられる下中証人がおいでになりまして、委員長收容所の当時から非常に問題になつた人であるというようないろいろに例を挙げて言つておられました。ただたまたま第一分所、これは僕らと一緒帰つて來た第一分所人たち千葉委員長の立場に非常に同情いたしまして、これを貰い下げするという運動を起した。ところがその際にこの問題に反対した者は、千葉委員長と行動を共にするものと認めて、これに反対した者は下車させるというようなことが言われた。そういうわけで、これはもう大変だと言うので署名をしたのでありますが、そうして結局その委員長は辞めまして、その後釜に下中証人が座つたのであります。ところが、それから二日後に又不賛成の先鋒であつた佐々木氏が忽ち反動の槍玉に上つたということ、それはさつきからの経過で分る。こんな事情で、うつかり反対もできないという非常に警戒心を皆が起した。それから反動摘発の実際でありますが、私たちが乘つて來た例車の中では、各ラーゲルから集つた梯團であります。從つて知らない者が非常に多い。実際問題として、大体誰々が反動だという者の名前を書いて、箇條書で僕らの前に持つて來られるのですけれども、そういう人たちの人柄も知らない、未知の人である。從つて僕らとしては知らない人を庇うこともなければ、憎悪するというわけにも行かない。第一こういう非常に重大な問題を、そういうような簡單なことで裁いて行くというのは妥当じやない。勿論この連中には、私たちはその挙げられた材料を見ますと可なり反感も持つたのであります。いわば——ずるく立廻つて甘い汁を吸つた、むしろ憐むき人間であります。これは恐らく民主グループの方々もそうだと思いますが、ではあるが、同じく日本人であるならこの際一人でも多くソ連から帰るべきだ。残すより帰した上で彈効するのが妥当であるというような論が非常に出ました。併しながら、うつかりそういうことを言うと、前申したように非常に危ない。ここで下ろされてはもう百年目だという僕らの氣持、それで止むなく署名をした。非常に自由なる意思が行使されないような実情であつた。これがいわゆる全会一致というような結果になつた。署名した以上私たちも同じ同胞を残そうとし、又残した罪というものは感じておる。又非常に自由のない信念のないやり方であるということは、みずから忸怩たるものがあるのであります。併しあの場合、この反動呼ばわれされたくない、それから強要された思想から体をかわす、そのためには又これも誠に止むなかつたのじやないか、こういうように私は思つております。私達は向うを出るときにスターリン首相に感謝状を捧げて参りました。それから三年間何等不服なかつたという書状にもサインを捧げました。若しこれにサインしないものがいたら恐らくこの冬向うに残されておるだろう。そこで問題は同胞を残したことが全員意志であつたかどうかという問題より、みずから率先してこうした非人間的な面に策動し、これを全体に押し付けた一部の独裁的な態度というものが問題になるのじやないかと私達は考えておる。更に摘発委員会の決定が全員の意志でないという例は、この暴行事件にも現われておるというふうに僕等は思う、昨日この暴行は公然に行われたということが出てちよつと問題になつておりますが、あの場合は皆んな非常に興奮しておる。三年振りに舞鶴の浜で、内地の景色を見て見ますと、非常に美しい。みんな涙をぼろぼろ流して見ておる。そういう感情の一つの中によみがえつて來たのは、いわゆる民主グループの人達がどういうことを言つたか。俺達は天皇島に今から敵前上陸するのだ。みんな團体するのだというようなことを仰つしやられておる。非常に大きなことをみんな言つておる。内地に帰つて見ますと別に敵はいない、皆んな兄弟なんだ。それからこの船繰りについて、これもナホトカで民主グループの人達からこんこんと言われました。どういうことを言われたかというと、諸君内地に帰るのが遅れたのは何故か知つておるか。これは日本側の反動のサボタージユによるものである。このサボタージユによつてソ連側の計画というものが齟齬を來しておる。何故そういうようなサボタージユをするか。それは諸君が今内地帰つて來られても日本に受入れ体制ができておらない。だから帰つて來られては迷惑である。これが一つ、それからもう一つ、今内地では非常に反ソデマが飛んでおる、諸君内地に帰つてソ連の実情をそのまま傳えられて反ソデマを粉碎するのは、反動には困るのだ、それで輸送サボをやつておる。こういうことを言われた。ところが舞鶴に私達着いて見ますと、舞鶴の浜に十三隻かの船が遊んでおる。これをこの目で見た場合に、非常に、この野郎という氣持が起るのは当り前である。それから船に乘つたら、日本は今食糧不足して、みんなはお茶殻ばかりしか食べさせない。煙草の配給はない。船に乘つて見るとそうじやない。そういうことを思うにつけ、皆んなは残された人々の上に思いを馳せる。或る人はこういうことを言いながら殴つておりました。これは何とか名前を言つておりましたが、その何とか君は妻と子供が四人おる。母親を一人、女だけである。僕が一刻も早く帰つてこのみんなに俺が働いて食わせなければならん。それが樂しみだということを言つてつた。お前それを知つておるだろう。それをお前は下したじやないか。ソ連側が帰せといつておるのに日本人同士がこれを拒むようなことをする。それでお前、人間か、お前に下す権限があるならば俺はお前を殴る権限があるのだということを言つてつておりました。これは私は船の中でこんな状態で、あちらでもこちらでも殴つておるのに、止める人がない。若し殴られている人に同情する人があれば、お互い殴り合いになる筈ですが、それがない。一方的である。一方的に殴つている。むしろいい氣持だという感情である。殴り合いの飛入りをするというような状態である。又復員官がそれを止めなかつたということでありますが、私この復員官に治安の取締りの権限まで與えられているかどうか、それは知りませんが、三千人の帰還者の中に一人の復員官しかいない。このたつた一人の復員官が飛び込んで行つたのでは、復員事務さへ手一杯のところ、あちらでもこちらでも殴り合いをしているという状態では、喧嘩の仲裁まではなかなか手が届かないのではないかと、こういうふうに感じました。これが公然というふうに見られたのであろうと思います。そして殴られている人たちは、これは民主グループの人たちである。それはどういうことかと申しますと、ソ連側の日本新聞に載つてつたのですが、六月に反動、それから共産主義者、それから日和見主義者の数字を出しておりました。その数字によりますと、ソ連側ではこういうふうに見ておりました。反動が一割いる。共産主義化したものが一割いる。あとの八割は日和見主義者である。從つてあとの八割を獲得するのが民主グループの任務であるということが、捕虜のために発行されているソヴィエト側の新聞に載つておりました。でこの大体反動というものの主力は降されたわけでありますから、この一割はないわけだ。あとにこの民主グループのいわゆる共産化したという一割がいるわけですが、この残りの八割というものが大体殴つた、或いは殴るというような暴行を默認していたということになろうかと思うのであります。それからさつきあそこのお医者のお方ですが、ナホトカ反動を降して、その代りによく働いた者を先に帰したのだというようなことを言われました。まるで予約の座席券を買つてあるような印象を受けた。これは少しおかしい。ソ連輸送計画というものは、人数の面ではそんなにはつきりしたものではない。向うの都合によつて幾らでも人員の増減はできるわけである。例えば私たちの前の船は二千五百名の人を乘つけて來ましたが、その次の私たちの船は三千名乘せられた。從つてソ連側に帰す意思があれば、反動、共産主義を問わず、幾らでも帰せるわけなんである。五百名や六百名の増減などは問題ではない。又日本の船もそのくらいの者は向うから言つて來られれば何時でも乘せられる。これは別によく働いた人を先に帰すために降ろしたということにはならない。今までのことで問題になるようなことをちよつと参考までに……。
  209. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 二、三の質問をいたしたいと思います。一つは本島さんにお尋ねいたしますが、千葉君でしたか、お医者の方ですが、その人は時計を百箇兵隊から預かつてつて、それをロシア側に流して栄耀栄華をしたというようなお話でありましたが、あなたは時計を持つてお帰りになりましたか。
  210. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 私は持つて來ました。医者として脈をみる必要上最後まで持つておりました。
  211. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 外の諸君はどうでしたか。
  212. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 持つて來た人もあります。それから交換してしまつた人もあります。
  213. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 あなた自身が全般的に御覽になつて、時計などは大部分は取られたということはないのですか。
  214. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 交換したのが大部分であります。
  215. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 ソ連側と……。
  216. 本島正雄

    証人(本島正雄君) はあ、パンとか煙草……。
  217. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 千葉君でしたか、時計百箇をソ連側に流したというのは、これは噂ですか、嚴然たる事実としてあなた自身が目撃されたというのですか。
  218. 本島正雄

    証人(本島正雄君) その隊の全員から、こういうことをしているのだ、この人間はこういうことをしている人間だ、こういう人間は後廻しにして呉れろという嘆願書が出て、残された。私自身はそれを流したところを現実に見ているわけじやない。ただ隊員からそういうあれが出ている。お前の隊員から……。
  219. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それからあなたに対する質問はそれでよろしうございます。次に中川さんにお尋ねします。最前の御証言の中に、帰る前に帰還に必要なる洋服をその工場に命じて作らしたということですが、これは下中さんでしたか……。
  220. 下中範雄

    証人下中範雄君) 下中です。
  221. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 下中さんにお尋ねいたしますが、いわゆる抑留されているところのそのラーゲルの一人が帰るから洋服を作るというので、何と申しますか存じませんが、その洋服を取扱つているところに要望すれば、自由に洋服が作られますか。
  222. 下中範雄

    証人下中範雄君) やはりそういうような立場におつた関係上作らしたのだろうと思います。それは作つた人間が言つて來たのであります。
  223. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 洋服職工なら洋服職工として働いておつたものが……。
  224. 下中範雄

    証人下中範雄君) そうしたことは、金があれば物を買つてつて帰れたのですから……。ところがその品物は自分で買つて帰つたものだつたら何でもないわけであります。ところが……。
  225. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それはそれで結構であります。更にお尋ねしますが、いわゆる反動摘発鬪爭委員会というものを作つて、あなたがその委員長に推されて、そうして帰る途中において汽車の中で、輸送委員長といわゆる鬪爭委員長に挙げられた。それから後に反動摘発があなたの方の責任によつて行われたけれども、それは單なる幹部の独断專行でなくて、いわゆる全会一致を以てその反動摘発をやつたということをここで確言され……。
  226. 下中範雄

    証人下中範雄君) そうです。
  227. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 果して全会一致で承認せられて残して來たならば、全会一致の引揚者であるところの諸君が、舞鶴においてあなたを殴打するようなことがどうして起つたのか、それに対するあなた御自身の心証を語つて頂きたい。
  228. 下中範雄

    証人下中範雄君) 若し私が向うでやつた民主運動が間違つて、それでやられたとするならば、私どもを殴つた人間の中には、私の收容所人間がいる筈であり、更に又全然関係のない人がいる筈であります。ところが今残したと仰しやいましたが、残しておりません。そういうような皆から、下から出た意見、それと同時に私たちが調べまして出た意見によつて、これは結局今までそういうように苦しめておつたということが分つた。そうした人たちが私に暴行を加えたのであります。
  229. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 よろしうございます。それから更にお尋ねいたしますが、今全然あなたのいわゆる英彦丸帰つたところの者は、一人も残らなかつたのですか。
  230. 下中範雄

    証人下中範雄君) 残りません。勿論これは……。ただ先程から英彦丸英彦丸というふうに議事を進められておるのでありますが、英彦丸の中には、これはカラカンダ地区、結局汽車で一緒ナホトカへ來た人たちは極く僅かであります。主力は確かモスクワと、どこかまだ外があつた筈であります。英彦丸関係としてさつきもあの針ケ谷証人ですか、あの方が証言がありましたが、併しこの英彦丸関係として、自分自身に対する暴行事件が調査されるのでありましたならば、この証言を全然関係がないことになるのであります。
  231. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 宜しい。それから大反証人にお尋ねします。あなたの説明によると、ウクライナ又或る所へ移送されたそうですが、そこでは殆んど柄杓で汲まなければならないようなそんな程度のお粥を、総量一日二合が給與されないと証言をされましたが、その給與の主体者はいわゆる日本の將校がやるのですか、或いはソ連側の捕虜收容所の責任者がやるのですか、どちらです。
  232. 大友高雄

    証人(大友高雄君) それは、日本の上に立つておる者が、通訳というのがそれは受領するわけであります。受領してそれを横流ししてしまうわけであります。ロシア人のところの持つてつてやるとか、或いは自分でそれを横流しにして食べたり、自分で美味しい、それこそ毎日殿様、日本でいうお振舞というか、そういうような御馳走を作つて食べて、そして我々には少量のもしか與えません。
  233. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 それから第二は、御発表によりますというと、腸を断たれるような非常な御苦労になつたことが分りましたが、その労働は、それだけの食糧しか與えられないで、ちよつとした小石でも抱え得ない体力でありながら、労働時間からいつても、労働量からいつても、非常な重労働のようなものを課せられたのごとき御説明があつたのですが、その労働は誰が責任を持つてあなた方自身に割当てるのですか。
  234. 大友高雄

    証人(大友高雄君) それはその長に立つておる者であります。通訳或いはその隊長とかいうような者が、それを全部日本人に、我々にその仕事を與えるわけであります。
  235. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうすると、ソ連側自身から一週間の中これだけの作業をしろということを課せられた。それから先は責任をもつて中村という少尉ですか、その人がその範囲内において適宜に自由に労働の配分をやるという意味ですか。
  236. 大友高雄

    証人(大友高雄君) そうであります。結局自分が長に立つておるもんですから、それをソ軍側から悪く思われないように部下に仕事をやらして、そして自身が樂をしようというふうな考を持つていたのであります。
  237. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 天田委員……。
  238. 細川嘉六

    細川嘉六君 議事進行について……。議事進行の何を出しておるのですが。
  239. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 先に天田委員を指名しました……。簡單一つお願いします。
  240. 天田勝正

    天田勝正君 五人の証人に一言ずつお聞きします。先ず第一に大友証人。あなたにお聞きするのは、先程あなたの証言の途中で他の委員から出た言葉の中に対して、私の隊では民主運動というのは一つもなかつたということを言つておるのですが、あなたの收容所は、さつきの残虐の行われた收容所は、全部旧軍隊組織によつて行われておつたのか、やはり民主隊長というのか、民主委員長というのか、そういう者があつて、いわゆる民主主義の名によつてそういう苛酷な條件を押し附けられたのか、一言だけ、どつち……。
  241. 大友高雄

    証人(大友高雄君) それはタレンカという所までは、それは軍隊生活をして参りました。中村少尉というものが隊長になつておりました。
  242. 天田勝正

    天田勝正君 その残虐があつた点、そういう矢野委員質問した苛酷なことをしたのは……。
  243. 大友高雄

    証人(大友高雄君) それは將校でありません。兵隊であります。その残虐のあつた時は、兵隊がやつたのであります。
  244. 天田勝正

    天田勝正君 兵隊であつても、その組織が民主委員長とかいうそういう組織によつてやられたのか、旧軍隊組織のままでやられたのかということを聞いたのであります。お互に兵隊同士だから、勿論兵隊同士がやつたんでしよう。
  245. 大友高雄

    証人(大友高雄君) そういうことはありませんでした。
  246. 天田勝正

    天田勝正君 困つたね。どつちかと言うんだつたら……。つまり旧軍隊組織……。
  247. 大友高雄

    証人(大友高雄君) 旧軍隊組織であつたんです。
  248. 天田勝正

    天田勝正君 そうすると、民主委員長とかそういうことはなかつたのですか。
  249. 大友高雄

    証人(大友高雄君) 全然ありませんでした。
  250. 天田勝正

    天田勝正君 次は針ケ谷証人に……。私たち内地でも旧軍隊において非常なひどい暴行が行われたのを知つておる。それで、よくあんなことをやられて帰つて來て、復讎というようなことをやらないもんだなと思つておるくらですね。あんた方もそういうように復讎しないで、今度別の所で復讎があつた。それは旧軍隊当時よりももつとひどいから、そういう氣持になつたのかどうか。一言だけ……。そうですか。
  251. 針ケ谷豊次

    証人針ケ谷豊次君) そうであります。
  252. 天田勝正

    天田勝正君 次は板垣証人……。アルタイスキーの事件というのは私共多少仄聞しておるのでありますが、第二の吉村隊の事件だ、こういうふうに私共は聞いておる。あなたさつき説明を多少福島隊のことについてされたんだが、福島隊長がどういう立場からどういうふうになつたと少し触れましたが、一体何か陰謀みたいなものであつたのか。その後において最もひどい例としては、どういう事件を福島隊長が行われたか。初めから福島隊長があなた方の属したラーゲルの隊長であつたのか。外の者がいたけれども、それに取つてつた、そうした動機。又事件の中で最もあなたが大きいと思われて、而もここでこういうことを確かにやつたということを言い得る点があつたら、一つ……。
  253. 板垣文助

    証人(板垣文助君) 申し上げます。福島は從來兵隊であります。長には全然、指揮者として、全然関係がありません。それが先程申し上げました通り、たまたま民主運動という声が日本人の方より発せられましたのを機としまして……。彼は生來絵を描くことが非常に上手なんです。それでロシア側に入るために、彼は—画を盛んに描きました。そうして—画を書いて、ソ連の兵、下士官、將校、これに対して、—画を描きましてそれをやりまして、それが機会となりまして、いろいろな、その後—画の本であるとか、或いは大きな掛け物にまで、だんだん規模が大きいものになりました。そうしてソ連側の隊長であつたところの当時のソ連の中尉、その中尉に非常に信任を得まして、その中尉というのは、図らずも彼は向うの思想係と称しまして、民主運動に対する責任者であつたのであります。そのために彼はそれを利用しまして、民主運動の長となることを彼自身で向うに折衝しまして、その結果大衆の一致した意見ということで結果にはなりますが、実際は独断的な、即ち天降り式なものであつたのであります。そして彼はその地位を確保いたしました。  それで一番残虐な……、残虐と申しますと語弊があるかも知れませんが、一番にあれなのは元シベリアのアルタインスキー・クライトロイスキー・ライオンという所におつたのでありますが、そこはシベリアの酷寒の地でありまして、冬期間非常に汽車の便の悪い所でありまして、零下四十度乃至四十五度くらいに下ります。汽車の便が悪いために糧秣が來ないという理由で、冬期間馬鈴薯の凍つたものが四個乃至五個一日に給されました。それを以て一日の定量の作業をやれというふうに強要されました。ところが私どもとしては当然できません。外面が凍つてつて食えない、食べられるところは本当に微量であります。それを食つて一日の労働には到底堪えることはできませんでした。その労働の内容は大半が伐採です。非常に過重な労働です。それを強いられたが、どうしてもできないので、私達は再三再四彼に申しましたが、彼はどうしても聞き入れません。ソ連の要求に対して反対することは絶対できない。ましてや我々は五ケ年計画に全幅的に協力しなければいけないのだということを一つ理由としまして、これに反対するものは反動である。だから倒れてもいいからやれ。どこまでも我々は労働鬪爭で行くのだということを宣言して、そうしてそれに対する一つの何と言いますか、採点のようなことを実施されましたので、どうしてもやらなければならなかつたのであります。そのためにだんだん肉体的に憔悴しまして、先程誰か申されましたように、日常の歩行さえ堪えられないようになりました。私は衞生方面でありますので、そういう者をどんどん診断をして、診断の結果労働に堪えられないということを具申しましたけれども、そうなるというと收容人員に対するところの作業に堪えられない人員が、パーセンテージが多くなつて來ると、その收容所長の名誉に拘わるということを楯にして、私が診断をして作業をしないところの許可を出すけれども、終いには診断さえさせなかつた。そうして彼は行けないことはない、貴様たるんでおるんだというように、彼が直接委員長並びに我々の長として権限を以て我々を作業場に駆り立てました。そのために作業場において倒れた者、死んで行つた者が再三あつたのであります。その後さつき申されました裏海の方に行きまして、先程申しましたような現状であつたのであります。
  254. 天田勝正

    天田勝正君 北崎さんにお伺いします。北崎さんは非常に反省されつつ申述べられたので、私共感銘してお聞きしました。それで私どもが非常に不思議に思いますのは、要するに民主グループの人達にしましても、共産主義を天國として自らも信じ、他人にもこの天國を教える。簡單に言えばこういうことだと思います。そうした点からいたしますれば、その成績の悪いつまり反動的な者をその天國に置いて來る。そうして日本の方が地獄だ。こういうふうに教えられておるにも拘わらず、成績の好い人達を一体地獄の方に送る。それに何ら不思議を感じない。相当インテリの人もおられる。勿論あなたもその知識階級の一人でありますが、そういう知識階級の人がそういう点について、何ら不思議を感じないというのは私どもには到底了解できない。その点についてどういうお考えを持つておられますか。
  255. 北崎学

    証人(北崎学君) それはむずかしい問題ですね。
  256. 天田勝正

    天田勝正君 むずかしいから、あなたにお聞きするのです。
  257. 北崎学

    証人(北崎学君) 民主グループの人達にお聞きになつたらどうですか。
  258. 天田勝正

    天田勝正君 それでもいいです。それでは今お聞きの通りの点を、民主グループかどうか知りませんが、やはり知識階級とお見受けする本島さんにお聞きします。
  259. 本島正雄

    証人(本島正雄君) どういう者を先に還すことになつたか、私は全然それに触れたことはありませんから分りませんが、先ず第一に取上げておりますのは弱い人間を還す。その次に非常に成績の好い者で、それに対して選択権というものは民主グループは持つてなかつたようであります。勿論非常に反動的で今まで大衆を踏みにじつた者よりもつと外の者を還してくれということを申しても、この前申したように旧將校分所から若干還つておりません。ただ先に述べた石井軍医という者は一回遅れて還つております。そういうのは民主グループの個々の人間が勝手に当つても、我々の場所ではソ連を全然取入れてくれません。さつき帰還順位に席の予約券みたいなものがあるじやないかと言われましたが、これはそうでなく、私の所は十一名残された場合は十一名だけ別に入れられております。十一名か九名か忘れましたが、ちやんと入れられて、五百名の列車編成で還つております。もう一つ船の場合ですが、私ナホトカにおりましたとき二、三回見ておりますが、二千名乘せる予定で港に行つて、海岸まで三十分歩いて、船が小さいからといつて五百名下されて、翌日の船になつておる事実があります。
  260. 細川嘉六

    細川嘉六君 まだ浅利証人が述べてないようですが、それが済んでから質問したいと思います。
  261. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 浅利証人
  262. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 先程惠山丸の事件につきまして、特に被害者の一人である中川君にだけ質問が集中されましたけれども、私も被害者の中に含められるような報告書がそこら辺にあつたのをひよいと名前を見ましたが、私も惠山丸の者であります。然るにその後の高砂丸の方に何故に切替えて行かれたかということを、若干疑問に思いながら……。併し証人でありますから默つて先程からの民主運動というものが、何か一つの形にはめられておるかの如き印象が受けられたのでありますけれども、私経驗したところ、事実を以ていたしますというと、又全然別個の民主運動の形を経て來たのであります。何故ならば昨日もありましたけれども、長島准尉という生長の家をやつておられる准尉さんが、船中で蝋燭を持たされて、いわゆる吊し上げられた、摘発されたということを言つておりました。私は二ケ年間アンチ・フアシスト会の委員長を勤めて参りました者であります。傍から見ますというと、これがつまり共産主義者と思われておる人間であります。そうしてこれが戰爭で、今度は逆にその長島准尉が蝋燭を持たされますと、その後直ちに情勢ががらりと左から右に変わるというような状況になつて参りまして、その長島准尉の蝋燭を私が今度バトンを引き継ぐというような状況であります。つまり先程からお話を聞いておりますと、或る者は生れつき共産主義者であり、或る者は帝國主義者であるというような固定した考え方の上に立つて人たち一同証言をやつておりますけれども、私達は捕虜になりました際はかちからの軍國主義者であります。後で段段と変つてつたのであります。或いは早く変つた者、或いは遅く変る者、又ここまで参りましても変らない者、こういう工合にその速度が違うのであります。これらの速度のいろいろな組合せによつて事件が奇々怪々になつておるだけのことであります。こんなことは分らん筈がないのであります。併し先程から私達被害者の側がむしろ被告の側に立たされ、加害者の方が何らか精神的に保護されておるという印象を受けるのであります。その結果がつまり民主運動を正しい道に引戻すために、我々はテロを加えておると言つておる昨日の証言を忘れてはならない。彼らが言つておる正しい民主運動というのは、究極においてテロを加えることだということを言つておるではありませんか。
  263. 岡元義人

    岡元義人君 委員会に批判を加えるのはいけない。委員に対する批判だ。
  264. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 委員に対する批判ではありません。
  265. 岡元義人

    岡元義人君 我々委員会に批判を加える必要はない。
  266. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 証人に申上げますが、言葉についてかような問題の起らないように御注意願います。
  267. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 私は船中でそういうふうに右から左、左から右というふうに、船のローリングのように変る中に、或いは立たされたり、或いは引込まされたり、長島准尉や私たち民主グループでありましようと、或いは先程から反動であるといわれておる人たちでありましようと、小さいことでも大きいことでも不満の対象になつたものがそこに挙げられて來たのであります。ただ舞鶴に上つて参りますというと、今度は先程のモスコーか或いは非常に吉村事件に似た收容所人たちが、とにかくアンチ・ファシスト会の委員長或いはアクテイヴ、こういうことをやつていた者が一既に悪いのだと思いましたが故に、私も第三寮の入口におりましたが、私はそのときもう途中でいわゆる吊し上げられてアンチ・ファシスト会の委員長ではありませんでした、ありませんでしたけれども一番長く委員長をやつていたのを出せというので私が出て参りますと、これは壁新聞で天皇制を打倒しろということを壁新聞に書いておつた男である。然るに私たちはありがたくも九百五十円の旅費と、その上に頭の光から足の先まで新らしい服を着せて貰つたではないか。これは全く天皇陛下のお蔭である。にも拘わらずこのアクティヴたちは前に天皇制を倒せということを言つてつた、ということで、これを裸にしろというところまで行つたのであります。そして今中川副梯團長は外でやられたぞ。今こそやるべきときだという声ががやがや起りました。私はすでに委員長でありませんから、それらの声の起る中に一緒に住んでおりました。そして私たちも、一緒に帰りました。二百人の者は、よそから委員長をやつていたものを出せと言つて來ました際に、浅利を出すな、浅利を出すなということで、委員長、つまり私を出すなというふうに、私たちの二百名の大部分の者が言つておりました。まあ一人二人、前にやつていたのは誰だ、とおとなしく聞く者がありましたので、あの男がやつていた。それでは出せというので、直ちに態度が変るような具合に私が廊下に出されました。夜でありました、百燭光の電燈が点いておりました、その下にパンツ一枚で裸にされたのであります。その服を脱いでおる最中に、勿論そういう寮内の警戒に当つています警官が二度ほど來た。私は心中ここまで來て妻子に会うことができないのかということも若干氣持が起りましたが、なんにしても私たち收容所の二百人の者の大部分は彼を出すなと、私を若干援護してくれる氣配がありましたので、私たちもともと沢山な人たちと対立するというようなことではなくて、たとえ間違つていても多くの人たち意見をどこまでも出したい。又それがあるが故に投票の際に私が当選したのだというふうに確信をしております。暴行を受けるようなことがあつたら必らず私たち收容所の大部分の者がこれに反対して一緒に戰つてくれるというように私確信を持つております。果せるかな、私は殴打させたと何かに書いてありましたけれども、私はついに一つも打たれずに、殴られずにただ裸になつただけで長時間立つておりました。この際も何かちよつと機会があれば横から服を着ろということになつてすぐに終つたと思うのでありますが、残念ながら四、五回警察官がそこを通り掛かりましたけれども黙つておりました。そうして暫くいたしましてから、私に服を着せ給えと言つて、私はどうやら服を着ることになり、更にこつちへ來給え、そこにいては危險だからこつちに來給えというので、私は二百人の私たち收容所の者と一緒にいた方が安心だと思いましたけれども、警察官が言うのでありますから、その後に踉いて第三寮長の部屋に行つたのであります。するとそこの隣り合せに警官の詰所といいますか、何かありました。そこへ入ることになりました。元委員長をやつていたものだからこれをやつたのだということを言う人たちも二、三踉いて参りましたけれども、結局私を第一寮の二階にあります保護室というのに收容することに話が決りました。ただそれから後の処置に対しましては、私は感謝を持つております。特にあすこで小使さんをやつて下さいましたお年寄の方に対しましては感謝をいたしております。ただ援護廳の中の総ての人たちを、私たち処置が悪かつたというのではなくて、大変ありがたい処置をして下さつた方々もあるということを申上げて置きます。併しながらいろいろな手違いや何かの中に、又あすこの設備の中に、こういう暴行事件が起る幾つかの原因が残されておるということは私は申上げます。
  268. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 浅利証人に申上げます。簡單に願います。
  269. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 例えば投書箱がありますが、この投書箱に先程言われましたように、民主運動をやつていた者について書きたい者はここに入れろ、それからいろいろな帰つて來てからの注意を與える方が、憲兵或いは特務機関に関係にあられた方は、何かお話したいであろうから寮長の部屋まで來いということを達しております。それから後で覚書を渡しまして、後に一番最後の出口の所に戰犯に関する何らか法律の文章が書いてありまして、これを見たならば、いわゆるシベリアで反動だと言われておる人たちは、これはまずいという印象を受けて、何もあすこで暴れないであろうと思われるような、つまり戰犯に対する処罰のような、追放のような法文がありました。それが一番最後の出口の所に貼られておるために、その出口のところまで來るまでの間は、いわゆるそういう反動と考えられておる人たちが暴れ放題のことをやつておる。これは事実である。私たちはそのように解釈しております。あの一枚のポスターのようなものが、入口に先にちやんと貼られて新しい日本の民主國家の法律が、上陸したならば直ぐ分るというように措置せられてあるならば、ああいう事件は起らないと思う。私はそれだけであります。
  270. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 この暴行事件の最も原因の中心をなす一つの問題と存じまするので、特に下中証人によつて一つ実情の御開陳を御証言を願いたいと存じますのは、これは各輸送列車によつて、或いは幾分かずつ違いましようが、下中証人がお述べになつたそうして輸送委員長である或る列車におきまして、反動摘発闘爭委員長というのを作られたということでありますが、又この問題につきましては昨日來いろいろと論じられましたが、私の伺いたいのは、これは單に日本人だけの意思であつたのか、どこからかそのような指示を受けたのかどうかということであります。これは名前はいろいろあるかも存じませんが、殆んどの輸送列車にさような情勢ができておりまするので、特にこの点はつきと御明言を願いたいと思います。
  271. 下中範雄

    証人下中範雄君) これは本日人だけの間で起つたものであります。全然ソ側の指令も何もありません。
  272. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 そうしますと、反動摘発闘爭委員会は、昨日からの証言によりますと、反動者を摘発して、そうしてそれを残して行く。その前によく働いておる人たちを乘船させるという意味においてお作りになつた。ところが昨日からの証言によりますと、自分の船、自分列車に乘り合わした者では、一人も乘船を拒絶した者はないというお話がありましたが、これも間違いございませんか。
  273. 下中範雄

    証人下中範雄君) 乘船できなかつた者は一人もありません。
  274. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 そうすると、どういうわけで反動摘発鬪爭委員会というものをお作りになつたのか。お作りになることは、すでにそういう反動分子を整理して、そうして降すためにお作りになつたのであるが、作つて、乘客を殆んど精神的に混乱さして、その結果は一人も降すべき人はなかつたというのは、どういう現在では御心境でありますか。
  275. 下中範雄

    証人下中範雄君) 私は昨日も申上げたと思いますが、こうした委員会を作るということは、ただそうした委員会を作ることによつて人員を残すということが目的ではないので、この鬪爭委員会鬪爭を通じて、今まで眠り込まされておつた大衆の力を、大衆自身に把握させることがこの鬪爭委員会の目的であると、そういうふうに御了承願います。
  276. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 併しこの点はより以上、昨日佐々木証人より縷々ありましたので、むしろ別にあなたに反問してお伺いしようとは思いませんが、大衆の力によつて、そうして大衆によつてこの鬪爭委員会作つて自分委員長なつた。ところが、それはすでに反動分子というのは僅かなことに反対しただけで、今の佐々木証人なんかは反動分子に入れたいという昨日の証言でありましたが、併しこの委員長であつた証人の御発言では、決してそうじやなしに、大衆ということでありますけれども、むしろ私どもが証人の言葉で了解し難いのは、鬪爭委員会作つて、そうして大衆意見によつて、すべての行動をしたということが、結局は何にもならんことになつて、不安を増大した結果だけしか残らなかつた、こうとしかこの証言によつては私は感じなかつたのでございます。この點はそうじやないというようなことがありましたら承わりたい。
  277. 下中範雄

    証人下中範雄君) 佐々木証人に対する摘発は、單に反対したからというだけではありません。これも先程も申上げましたが、福田猛を呼んで頂けば、その内容ははつきりいたしますけれども、私自身としてはつきりこうであるということは覺えておりませんので、これをここで発言することはできません。併し先に同じ車輛の人からか、或いは別でありましたか、一緒に元佐々木証人とおられた方から連絡がありまして、これは福田猛君が、初めに連絡をやつておりまして、受付けておつた。それで、その人はこういうことがあつたんだ、そうして、それじやこういう人も知つておる、ああいう人も知つておるというので二三、たしか木村君だと思いますが、呼んだ調べたのでありますが、別にこれは單に反対したからというのであれしたのではありません。それでそれ同時に、先程もありました千葉委員長に対する問題でありますが、これは独断的にやつたというふうに言われましたが、この問題に丁して私言いたいことは、千葉委員長に対して、彼がそういうふうな民主主義者としてあるまじき行動をしたということに対して、これを批判に挙げましたところが、第十分所はずつと千葉委員長委員長をやつておりまして、人情的に千葉委員長を切ることができない。それでみんなの意見で、千葉委員長はそういうふうな指導的立場にありながら、そのようなことをしたのだつたら残すというようなことを言うておつた。併し一部の中に、これはここへ来ておられる方もあるかも知れませんが、私がちようど列車が停まりましたときに便所に行つた。そうして便所の中で、千葉委員長反動として摘発されておるところを私は見た。それで私は直ぐ列車の中を入つてつて、何故千葉委員長を摘発したか、この問題はもう一度諮らなければならんというので、千葉委員長問題は却下しました。
  278. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 私がお尋ねしたいと存じますのは、今の摘発委員会というのは、輸送途中で自然と湧いて來たというのか、或いはどこかの命令で、大体そういう輸送指揮官等からの一つの内意でやつたのか、更に收容所内における民主グループ等において、すでに各收容所においてそういう大体の連絡と、日本人同士で民主グループで、そういうことが一應のしきたり、申合せになつてつてつたのか、そういう点の核心を一つ承わりたい。
  279. 下中範雄

    証人下中範雄君) 申合せもありませんし、ソ側の指令もありません。第一番にできましたのは、第十六か十七だと思いますが、山本、多分大阪におると思いますが、第一六收容所委員をやつておりました。山本、名前は忘れました。これは調べれば分ると思いますが、その人から、一人の人間に対して或る收容所から、全員の名によつて摘発されて、第十分所におつた。一月の四日です。その人に対して、出発前に第十六收容所から、全員の名を以て、そんな人を歸すのだつたら我々を先きに帰して呉れというようなことまで言つて來ておる。それが動機になりまして、この摘発委員会ができたのであります。
  280. 北條秀一

    ○北條秀一君 私は先程來浅利証人或いは下中証人その他の話を聽いておりますと、話がどうも非常に両極端でありまして、極端な運動から極端な反動といいますか、そういうような物の見方で言われておるように思うのです。從つてこの委員会におきまするところの証言は、これ以上私は必要としないと思います。この問題につきましては、從つてここで今まで継続しましたところの証言は打切つて頂きたいというふうに考えるのであります。  それから私はお許しを得まして、一つだけ浅利証人に聽いて置きたいことがある。それは昨日浅利証人は、船中で日の丸の問題で、あわや乱鬪になろうとしたところをこれを食い止めたという話があります。
  281. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 北條委員に申上げて置きます。時間の関係がございますから、どうぞ簡單にお願いいたします。
  282. 北條秀一

    ○北條秀一君 その点を簡單にお述べ願います。
  283. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 日の丸の事件に対しましては、私は終始よく存じておりますが、その日の丸事件というのを申上げたのは、私ではなかつたと思います。この日の丸事件というのは、大体赤旗と日の丸というふうに対蹠的にお考えになつて頂かなければならんので、何故日の丸を掲げて悪いかということが、よく私たち帰還して來る者の間にはまだ徹底しておらなかつたのであります。
  284. 北條秀一

    ○北條秀一君 日の丸問題は、確かに昨日浅利証人証言したのであります。今浅利証人は、自分はその問題に触れなかつたと言われたが、速記を見ましても、確実に昨日言つております。
  285. 浅利篤

    証人(浅利篤君) そこのところは、ちよつと私お聽きしたいのですが、日の丸というのは、日の丸と赤旗というふうに三年間続いておることでありまして、どの場面でちよつと……。
  286. 北條秀一

    ○北條秀一君 船中にて日の丸を立てるか立てんかということで議論が起きた。そこで乱鬪になろうとしたところが、中に入る人があつてこれを迎えたというふうに浅利証人は昨日証言したわけであります。そこで私の聽きたいのは、日の丸を掲げることについて浅利証人証言から考えれば、浅利証人は猛烈にこれに反対した人であると私は断定するわけです。どういうわけであなたは日の丸を掲げることに反対されたか、その点を聞きたいのであります。
  287. 浅利篤

    証人(浅利篤君) それは私達が見ておりましたたつた一つの新聞であります日本新聞、これは私達存ソ中に見ておりました新聞、これによつて、或いは私達の收容所ではラヂオが有線のラヂオしかありませんでしたが、よそでは日本のラヂオを聞いておつたということを聞いておりましたけれども、私達は要するに日本新聞からだけ、日本状況を自から聞いておるわけであります。そうしてそのうちにおいてポツダム宣言に関連して、日の丸の掲揚ということに対しては未だ許可がないのであるというふうに私達は聞いておるのです。そうして又迎いに來ました船にも日の丸は掲揚されておりませんでした。
  288. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 北條委員の先程の御提案についてお諮りいたします。本件につきましては……。
  289. 北條秀一

    ○北條秀一君 ちよつと一つだけ浅利証人に聞いて置きたいのですが、浅利証人は今可成り主観的な意見を述べておられるようでありますので、このことについては浅利証人の主観を述べて祉きたいと思うのでありますが、このことについては現在日の丸を自由に掲げることは許されております。当時は確かに許されていなかつたのでありますが……。現在の浅利証人のお考えは日の丸に対してどういう考えを持つておられるか。簡單に言つて頂きたいと思います。
  290. 浅利篤

    証人(浅利篤君) 私、日の丸を掲げることは結構だと思います。赤旗を掲げることも結構であります。    〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕
  291. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) それでは先程の北條委員の御提案について御異議がなければ、この問題については証言を打切りまして……。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  292. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 次第三点の紛爭の事件に対し官廳側の取られた処置並びに対策について御審議願います。
  293. 岡元義人

    岡元義人君 非常に時間も経つて來て参りましたので急いで要点だけお答え願いたいと思いますが、先ず舞鶴の警察局警備課長の城田さんに御証言願いたいと思います。第一点はいろいろ暴行事件等があつたことは、これは事実であることははつきりしておりますが、直接この委員会の冒頭に述べました通りに、その暴行事件によつて死亡者が果して出たか、それから警察としての処置はどういうような処置をお取りになつたか。もう一点は今各証人から証言がありました通りに、いろいろないわゆる思想的な対立、そういうそのままの姿で帰つて來るということは大体において分りますので、今後も亦こういうような事件が起るのじやないかというような想定の下に、どういうような処置を取ろうとしておられるか、その点三点について御回答を願います。
  294. 城田秀雄

    証人(城田秀雄君) この事件につきまして警察の取つた処置を述べよ、かような岡元議員さんのお言葉でありました。この取つた処置につきましては先ず事前に取つた処置と、それから事後に取りました措置、こう二つに分けて説明した方がよく分るのではないか、かように考えるのであります。  あの十一月二月当日の、私達警備員は、斉藤部長他三名、合計四名で警備を実施しておつたのであります。ところが午後二時三十分頃第三寮で暴行事件が発生いたしまして非常に空氣が險悪であつたというので、斉藤部長はこの旨を署長に報告いたしまして、舞鶴東警察署では直ちに巡査二名を動員いたしまして、都合六名を以ちまして当日の警備に当つていたのであります。ところが昨日來証人の方からいろいろと御証言がありましたように、遂に大きな事件が持ち上りましたのでありますが、私の今まで報告を受けておる筋途は、あの午後八時十分頃、八時過ぎ頃、一番大きな事件が第五寮の階上中央樓口本部前、それともう一つその海岸側の室、こうした所で大きな事件が勃発いたしたのでありますが、その少し前に、午後七時三十分頃だと報告を受けております。当時第二寮、第三寮、こうした所の收容所の方々が、続々寮外に出て行くというような報告を斉藤部長が受けております。更に第四寮の海岸側でも、ここでもあちらこちらで口論やら、或いは些細な暴行事件が発生しておるという報告を斉藤部長が受けまして、直ちに警備に行つておりました殆ど全員を第五寮に重点を置きまして、そうして斉藤部長身ら五寮に走つてつております。ところが第五寮の中央の入口、これは四寮と五寮間の中央の入口でありますが、そこに多勢の者がすでに押掛けておつた。そのときに斉藤部長は指揮する巡査と、更に援護局の方々と協力いたしまして、とにかくその多勢の方々の侵入を一時防いでおります。つまり退散さしておつたわけであります。こうした事例に鑑みまして、更にこれは相当雰囲氣が悪い、もつと大きな事件が起るかも知れんというので、斉藤部長はその後、午後八時頃に舞鶴警察署長に対して非常召集を要請いたしまして、八時十一分に非常召集を発令いたしております。丁度その当時五寮の階上で事件が勃発していたその当時と合致するのではないか、このときすでに非常召集の発令といたしております。そうして午後八時三十分ちよつと過ぎた頃から、もう現地に應援が到着したわけでありまして、当番及び非番員、内勤員等併せまして、このときに非常召当の應援に行つた者が六十一名になつております。從いましてその後は全部で六十七名を以ちまして警備に当つたわけなのでありますが、当時私は少し遅れまして午後九時半頃に現場に到着いたしております。その当時の状況から見ますというと、尚まだ相当險悪な空氣が充満いたしておつたのでありますが、併しその後だんだんこの人員が増加いたして参りましたので、とにかく次第にこの空氣が柔らぎまして、そうして同夜は午後零時頃になりましてこの事件のはつきり鎭圧を見たわけであります。そこでその事件が鎭圧に至りましたので局長以下一部の者が帰りまして、更に翌日の朝ですか、午前一時頃以後のその晩の警戒は私が長になりまして、三十九名をもちまして、当夜は警戒に当つておりますが、その後その晩は何事も起らずに推移いたしたのでありまして、更にそれは應援の方の、警備の方の問題でありますが、私の方といたしましてはこの事件の起きました際、何と申しましても、第一に被害者の救助、救護ということが一番目標になるわけであります。更に手がありますならば、直ちに事件の捜査、こうした両面に向つて行くわけなのでありますが、最前申しましたように、事件の起きた当時は非常に警備の警察人員が少かつたために、事件の捜査について非常に当時被害者の救護を先にしなければならないというわけで、先ず被害者を救護したために、その間に事件関係者は殆んど退散してしまうというようなわけに立至りまして、事件の捜査が非常に困難になつて來たのであります。事件の捜査につましては、ここへ來ておられます被害者の証人の方も、恐らく聽取書を警察の者がとつたわけなのでありますが、この被害者の方々の中にも、警察の聽取書には、はつきり私は誰にやられたというようなお言葉がなかつた。從いまして非常にこの捜査が困難となつてつたのでありますが、更に援護局におる者は相当少い、そうして又その暴行事件が夜間に、暗がりで起つたり、或いは廊下やら、そうした物蔭、或いは便所、そうしたところで起りました関係で、少数の警備員ではなかなか現行をはつきりつかむということが、非常にむずかしかつたのであります。そうした関係で捜査は、被害者その人に聞くという部面と、もう一つは一般の引揚者の方々の聞き込みをやる。こうした方法によりまして、或いは寮の方の申告とか、或いは一般の申告も勿論入つておりますが、そうした方法で事件の捜査をいたしたのでありますが、この二日の日に大勢一時に被害者が出ました。その事件につきましては、残念ながら加害者を、はつきりつかむということができませんでした。併し私どもは事件を險挙するということにつきましては、決して吝かではありません。從いましてその後、警察官が充員いたしまして、相当な数が警備につくようになりましてからは、殆んどの事案を直ちに解決いたしております。そうして、はつきりしたものは全部送致をしておるわけであります。例えばここにおいでになります大友さんの事件は、私直接に取扱つた事件でありますから、はつきり覚えております。最前大友さんが証言せられた、被害者が殴つてくれよと言つて、そうして殴られた。これは、いわば承諾による行爲といつて差支えないのですが、これでさえ私は事件として送致をしているわけであります。從いまして加害者を見て見ぬ振りをするというようなこと、或いは警察の者が險挙をしなかつたというような事実は、全然ございません。私たちに常にそうした治安の維持には熱意に燃えておるわけであります。  更にこの警察のとりました処置といたしましては、最前浅利証人か、どなたかちよつと申されましたが、暴行を受けられて入院、入室を要しない、併し尚更に暴行を受けるような危險性が濃厚な者、及び現に暴行は受けておりませんが、併し將來起きる危險性のある方、こうした人は本人の承諾を受けまして、そうして二日当夜は二十一名を第一寮に、これは勿論援護局と協力してやつたことでありますが、第一寮に收容いたしまして、そうしてその人たちの身体の絶対安全を期しておるようなわけでありまして、この措置は一部巷間に傳えられますところによりますと、警察が不法監禁したのだというような声を聞いたのでありますが、決してさようなことではございません。我々はあの晩にこれが最善の処置であるということを確信いたしまして、これはやつた処置であります。從いまして若し警察がああした措置を取らずに、尚被害者の方や、危險性のある方を依然として寮の中に置きまして、更にああした事件が若し繰返されておつたとすれば、我々に対する非難はもつともつと大きなものがあつたと思いまして、私たちのやつたことは、正しいことをやつたのだというふうに、今では私たちは信じておるわけであります。更にその他警察の処置といたしましては、入寮に際しまして暴行は事由の如何に拘わらず法律に反する旨を説きまして、そうして尚帰還したならば、直ちに日本の法律に從わなければならんのだという旨を強調いたしましたし、各梯團長、或いは各中隊の責任者の方にもいろいろと忠告した事実もあります。こうしたことによりまして、当日警察がこうした措置をとつて参りましたのでありますが、更にその後の警備におきましては、何と申しましても、これは警備警察官吏を現場に増員いたしまして、そうして大勢の警察陣によつて、この事件の未然防止をしなくては到底駄目だという結論を得ましたので、その後私達のやつております警備の要領は、非常に從來よりは人数を増しまして、そうして嚴重な警備をいたしておるわけでありますが、その実数をちよつと申上げて見ます。その後の警備におきましては、寮一つだけ使用する場合、これには長以下十三名、警部一、警部補一、巡査部長一、それから巡査十名、更に二棟の寮を使用する時は、警部一、警部補一、巡査部長二、巡査十六、計二十名、三棟を使用する時は、警部一、警部補一、巡査部長二、巡査二十三、計二十七、更に四棟を使用する場合には警部一、警部補二、巡査部長三、巡査三十一、計三十七名、五寮全部を將來使用する際には、警部一、警部補三、巡査部長五、巡査三十五名、計四十四、こういうふうに嚴重な警備陣を布くことによりまして、そうして將來は事件の絶対防遏を期するという処置を取つております。
  295. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 今岡元委員質問の三名の死亡者が出たかどうかということについて、あとで城田証人から言明をして頂きたいのであります。それから、この問題の委員会としての結論は、今までのいろいろな御意見は、証人としての証言は、これは我々の大事な大事な素材でありますので、いずれ又委員会を開いて最も妥当な結論を見出さなければならんと思いますが、一つその前に当つて、私は援護局当局と、それから船長に対してお尋ねをして置きたいと思います。それは今の警備等に関する問題であります。少くとも常識があるならば、帰つて來るところの兄弟たちの中にでも、今証言を二日間に亘つてお聽きしたが、実に想像に絶するような、或る種のそこに対立抗爭があるということは、いろいろな場合において援護局当局は現地においてこれを知つてつた筈である、又船長御自身も相当それらの雰囲氣については鈍感でない限りにおいては、随分身を以て感じておられたでありましようが、そういうような船中等の警備については、援護局はそれぞれの関係当局と有機的な連絡をとつて、事前に船内においても相当の警察力を充実せしめるというようなところまで手を打たなければならないが、どうか、又船長自体は当然船を進めて懐しの祖國に到達せしめるということが第一の目的であるけれども、折角乘せて、その中に怪我人ができたり、或いは病人ができたり、その他いろいろな不祥なる事件を防ぐためには当然船長はその権利と義務がなければならない。そういう立場から船長自体が援護局に対して是非警察力を充実して欲しいというような要望を、高次船長は未だ會つて一度も言われなかつたかどうか、又援護当局はこれに対してどういうような事前の処置を取つたかということについての言明を得て置きたいと思います。
  296. 城田秀雄

    証人(城田秀雄君) 只今死者があつたかなかつたか。こうしたお尋ねでございましたが、船内の方のことにつきましては昨日來申上げましたから、御了解願えたろうと存じまするが、上陸後におきまして、死者がなかつたか、あつたかという問題のお尋ねでありますが、なる程事件が起きまして、そうして入院を要する人たちも相当できたわけでありまするが、私の方といたしましては死者があつたという報告も絶対に受けておりません。私も見ておりません。從つて死者はなかつたものと信じております。
  297. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 國立病院の琢磨証人から、これに関連して証言を得て置きたいと思います。
  298. 琢磨照夫

    証人(琢磨照夫君) 死者に関してだけですか。
  299. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 そうです。
  300. 琢磨照夫

    証人(琢磨照夫君) 英彦丸帰還者二十五名入院、それから惠山丸五十三名入院、高砂丸からは三百六十三名國立舞鶴病院に入院しました。勿論この中にリンチに関係ある患者も入つておるわけですが、その中で現在までの死亡者は四名、それは一人は英彦丸庄司清人、これは病名は大動脈弁済鎖不全、これは十一月十日午前十一時死亡、それから高砂丸死亡者三名、一名は伊藤武、病名は心臓弁膜症、もう一名は古林朔夫、肺結核、それから長嶺義雄、喉頭結核兼肺浸潤兼流注膿瘍、こういつた病名にして、私はこの患者の直接の主治医ではないが、病院を立つに当つて各主治医について聞いたことは、リンチに全然無関係だということを聞いております。又リンチについて入院した患者が十名おりますが、いずれも十一月十九日輕快退院しております。この間リンチによる死亡者は絶無でありました。
  301. 井家伊作

    証人(井家伊作君) こういつた事件の発生防止の見地からして、船の中にも警察官を乘せるように、こういつた措置を考えたことがあるかどうかという御質問でありましたが、今日までこういつた大した事故もなかつたのと、又一つは今の引揚者には非常な立入りと申しますか、乘船の制限がありまして、私共直接業務を担当しておる責任者でありながら、この船に乘るには相当面倒な手続をいなければならんという関係もありました。それだけでありまして、警察官を置くということにつきましては、未だ措置を進めておりません。
  302. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 これからこの事件後、あなたの胸に構想されておる中にも、乘り込ませる必要がないというお氣持ですか。手続手続を得ようとすれば方法がある。それについてのあなたの責任者としての御意見を承つて置きたい。
  303. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 警察官を乘り込ませた方がいいと思います。  尚局内でどういつた措置を採つてつたか、これは警察官の連絡のことばかりのことですか、全体ですか。
  304. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 事前にこれらの事件を発生せしめないような、即ち事前のいろいろな予防工作というものについての援護局当局の具体的の施策をお聞きしたい。
  305. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 昨年度から引揚げて來る者が、昨年來いろいろと申されたような思想関係もありますので、私どもいろいろ胆を碎いておるような次第であります。先ず第一に、何と言つて引揚げて來られる人が氣分を和やかにするということが、こういつた事故を一つでも少くする予防のことにもなると思いますので、寮内外の美化、そういつたこを考えております。例えば大したことではないが、附近の山から草花を採つて來て生花にする、或いは寮の附近に植木を植える。そういつたこともいたしております。少しでも環境をよくしてやるということに氣を使つております。  二番目には復員指導官と連絡をして、そういつた引揚げて來る人たちの空氣を早く知り、そうして少しでもそういつた手を打つというように処置をとつております。  第三番目は收容の計画、先に上つた船と後から上つて來る船と、そういつた関係を考えて、成るべく寮を現在五ケ寮あるが、それを離すように、そういうふうに勘案しております。  四番目は、入つて参りますと、事件が起きてからは毎船嚴重にやつておりますが、梯團全員を一堂に集めて懇々そういつた事故を起さないように、若しもそういつた事故を起したならば、自分自身が刑事訴追を受けるばかりでなく、梯團全員が予定の日時に帰れないから、事故を起すなと、懇々と注意しております。  次は身上相談でありますが、そういつた新規收容所内における生活、感情問題を根本といたしました、鬱憤を抑え難いという氣持を持つている人、或いは又自分はどうも上つて來た空氣からして、或いは暴行を加えらるのじやないかというようなことを感ずる人は、どうか遠慮なく早く申出て貰いたいというふうにして、そういつたことは中隊長とも相談し、本人からも申出を聞いて、早く別のところに移すように考えて実施しております。  次は、どうもそういたしましても尚且つ心配だというときには、次長初め私共、それから復員官、それから沢山の宿直員も動員して警戒に当るようにしておるます。  次は、小さい問題になりますけれども、よその寮の者が他の寮に入つてつて、いろいろなことをやつたということは、非常に多いのでありますが、ところが復員者は同じ恰好をしているのであるから、誰が誰か分らない。夕食後は引揚地に上陸いたしまして、その部屋には無用の者は絶対に入れないという処置も講じております。消極的な事故防止でありますが、これも消極的な方法でありますが、從來出発帰郷をする前夜に清酒をお祝いにだけ出しております。そういつた消極的な事故防止にやつております。かようにいたしております。尚成るべく氣分を和らげるという点からいたしまして、素人演藝会の催しとか、或いはいろいろなことを催して、皆が和やかな氣持になるということをいたしております。大体以上であります。
  306. 岡元義人

    岡元義人君 ちよつと今の問題に関連して……援護局内では治療を受けた者は何名か、死んだ者があつたかないか、これを併せて井家証人から一つ証言をお願いいたします。
  307. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 前点を申上げます。國立病院に入院いたしました者が十名ございます。それから入室治療を受けた者が九名であります。尚先程から別室に保護したと経いますが、別室に保護しつつ治療いたしました者を併せて二十一名でございます。以上であります。
  308. 岡元義人

    岡元義人君 今の死んだ者があつたか、ないかという点が、まだ回答がなかつたのですが。
  309. 井家伊作

    証人(井家伊作君) それは絶対にございません。
  310. 高次武治

    証人(高次武治君) 今矢野委員がお尋ねになりましたですが、船は從來から警察の人の乘船したことはございません。又從來こうした大事件を起したこともございません。又各地から今まで、台湾、上海、朝鮮とか、方々から引揚げの場合も同樣でございます。それで今回特に警察の方にお願いして、乘船をさせたということもございませんです。そうして乘船のときに、そういうことを慮かりまして、各中隊長、大隊長、梯團長のおられるときに、そのことを十分、そういうことのないようにということを注意して置きました。そしてそういうことが起つた場合に必ず知らして貰つて、それで止めに行くようにやつておりました。
  311. 細川嘉六

    細川嘉六君 今本島証人が盛んに叫んでおりますが、どういうわけか一つ聞いてやつたらどうですか。
  312. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 先の井家証人並びに高次船長の御答弁にもありましたが、殊に井家証人のお話に、今後一つ警察官を乘組ませるような考慮をして行こうというように伺つたのですが、これは結局矢野委員の御質問の趣旨は、いわゆる警備的の方法を今後十分にされるべきじやないか、恐らく警察官を船に乘組ませるというのは今の法規上困難じやないか、海上保安廳関係の問題にもなりまするし、むしろこの船舶運営会に対して何かこう將來特定の方法を、この問題を契機にしてお考えになつたかどうか、今後又それに対して十分な内容的な、先のお話のように和らげるような方法なり、或いはすべての方法において、船の方と船舶運営会等の方と具体的の御折衝をなさつたか、なさる予定があるかどうか、こういう点について私ちよつとこの機会に伺つて置きたい。
  313. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 船中に警察官を乘せたらいいと申しますのは、私の希望でございます。船中において氣分を和らげる、或いはその他のこういつた事件を防止するために援護局と船舶運営会とは始終連絡しております。現に本年度の再開を控えまして、昨二十四日には舞鶴で合同の大きな会が開かれております。そうして例えば船中に花茣蓙を敷くとか、或いは食事を改善するとか、或いは生花を置くとか、細かい数々の改善方途を講じられておりました。
  314. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 本島証人はどういう点について御証言をなさろうとしておるのですか。
  315. 本島正雄

    証人(本島正雄君) 今の死亡者の問題についてであります。
  316. 岡元義人

    岡元義人君 今の証言に対しては、後程委員長がさように図らわれるだろうと思います。そのときに一つ証言して頂くようにしまして、細川委員が先程警察職員に対する質問があるということを申されましたが、もう時間も経過しておりますから、その方を先に一つお願いいたします。
  317. 細川嘉六

    細川嘉六君 時間も大分取りましたから、簡單に城田証人にお聽きします。あなたのおつしやるのと私の何とは非常な間隔があるのでありまして、警備の方は前よりも良くなつておると言われるが、宮田警察局長は昨年十二月のことだか、こちらから行つた調査團に申したことですが、あなたは御存じですか。調査團が行つて宮田局長と話しております。経費が少いので警備がなかなができないのだと、それで今度の事件つて手配はできないのだと、こう言つておるのであります。それが一つであります。それから警察の方は非常に公平なことを言つておるが、内部ではそんなことをやつて來た奴は殺したつてという放言が行われておる。それから先程浅利その他の証人、殴られた方、暴行を受けた方の証人、これらの人たちの間にも、御存じの通り警察は見て見ぬ振りをしたというような、悪いことしただろうと、こういうようにもう一定の考え方、これは反民主的な考え方、これがはびこつておる。それを私は考えるのだが、推測せざるを得ないのだが、あなたはどうか。それから暴行者、五人ですか、調書を地方檢察廳へ出したのは五人とかいうが、暴行者、即ち犯人として抑留し、そうして調べられた。それはどうしてその人たちを抑えたか、宮田局長のお話にもそのときに言つております。現行をなかなか捕えられない。現場でやつておるところは捕えられなかつたというのだが、それらの五人の人をどうして犯人として、暴行者として決定されたか。今大友証人の話もあつたが、あのときには頭を殴つて呉れと、一方の後悔した男が來て言つたので殴つた。これは地檢への届出をなさつた一人の人が言つておられるが、こういうことで五人を決められたのか、それとも五人の調書を出して……五人をどうして決めたか、それをお聽きしたいというこの三つであります。
  318. 城田秀雄

    証人(城田秀雄君) 最初の宮田警察管長が去年言つたという、その言葉の意味を私からお答えしたいと思いますから、もう一遍おつしやつて頂きたいのですが。
  319. 細川嘉六

    細川嘉六君 警察についての予算が足りない、金が隆りないというわけです。それだから十分な人員を要し、それを配置することはできん……。
  320. 岡元義人

    岡元義人君 今の細川委員のお話の中で分らない点があるのですが、調査團というのはどこから出た調査團ですか。それをちよつと説明して頂きたい。
  321. 細川嘉六

    細川嘉六君 これは去年の委員会でも申したのですが、これは関西の方の民主主義の諸團体、労働組合だとか、文化團体だとかの諸團体の代表者が集まつて、そうして舞鶴に十二月一、二日に行つて調査したものであります。そのときの責任者はちやんと名前も出ておりますが、個人的のものではないのです。個人的な物好きでやつたものではない。團長には加藤藤一郎という人が團長になつております。そういう公の調査團体であります。東京からのそれに加わつております。それが宮田警察局長と会つてのお話であります。それの問答が記録されております。それによつて私が質問をしておるのであります。
  322. 城田秀雄

    証人(城田秀雄君) 昨年來られました際、宮田警察局長とどうした問答が交されたか、私ははつきりしたことは分りませんが、経費が少いから警備ができないというのは、結局舞鶴市として非常に貧乏町でありますので、そうした関係で最前申しましたあの表の通り、警備に出そうとすれば、これは片方においてやはり一般の面が薄らいで來ると、こういうわけであります。從いまして、あの後の引揚者の関しましては、私は成るべくこの数字に近い数字を現に派遣しておりまして、そうして警備の完璧を期しておるわけでありまして、併し恐らく局長の言つたの只今申しましたような理由で、あちらに余計取られれば、こちらの一般の治安の面が手薄になつて來る、こうした意味を申上げたのではないかと思うのでありますが、当時どうした問答が交されたか、それについては存じません。  第二のあなたのお尋ねでありますが、最前本島さんからも、こうした言葉が出ました。入院して來た人の話では、殴つておる人を警察官がほうつて置いた。そうして更に俺も一緒に殴つてやりたいと言つていたことを聞いた。それから四十名もの警察官がおつて殴打するということは、これは無言の承認であるというようなことを申されまして、非常に私は心外の至りであります。私らの任務は申すまでもございません。これは治安の保持でありまして、日夜この任務に向つて夜もすがら全力をこの目的のために傾倒しておるわけであります。警察が何が故にその事件ができるのを喜ぶものでしよう。而もできた事件が何が故に拡大するのを我々が喜ぶものですか。こんなことは常識でお考えになつてもよく分ることなのでありまして、我々は常に事件が起ることを恥としております。更に我々は平穩で警察の必要のない社会こそ熱望しておるのであります。警察局長は常々警察官に対しまして親切、丁寧、迅速、いわゆる公僕に徹して呉れということをやかましく言つております。援護局におきましても、その警察官の態度も非常に私共の方の考え方といたしましては、言葉遣いなり、その他の應接態度でも非常に丁寧に申上げておるつもりでもありますし、私自身はとにかく実行しております。態度におきましても、できるだけ引揚者の方々の氣持を和らげるために、それは大友証人に聞いて頂きましたならば、私の取調べ方もよく分るでしようし、或いは引揚者の方によく分るだろうと私は思つております。とにかく結局こうした噂ができたというようなことでは、私たちは本当を言うと氣持が納まらない。一本誰が、いつ、どこで、何という巡査がどうしたことを言うたと、こうしたはつきりした証言をお伺いしたいと私は思うのであります。それから五名のことにつきましては、最前申しましたように、大友氏がこの奥野氏を殴つた事件につきましては、当時私は局長とそこを巡視に参りまして、そうして被害者の奥野さんが怪我をして二階から下りたところを私は目撃したのでありまして、一体その怪我はどうしたのだというと、なかなか眞実を言つて呉れない。併し自分自分で怪我をする筈がないというふうに、いろいろと事情を聽きますと、遂に二階に上つて殴られた、こういうふうな、これは被害者の被害にかけられた姿を見まして、それによりまして、これは事件と、一件記録を作つたわけであります。それから後のこと、針ケ谷さん、土岐さんの事件、それからその外の事件は、いずれもこれた現に現行犯を捕えたのではなくて、後からの申告によりまして事件を処理したと考えております。
  323. 細川嘉六

    細川嘉六君 費用が隆りないから警察力の充実はできないと宮田局長が言つておるが、私も去年舞鶴に出張しましたときも、援護事務のために大分舞鶴市が財政に困つておる。これはよく承知しております。それであるから今後でもこの状態が続くならば、舞鶴の援護事務の場合におけるいろいろのごたごた、それに対する警察の用意というものを私は安心できないものだと思うのであります。それはまあ私の考えでありますが、それから誰が警察の反動的な言葉を吐いたか、それを一々挙げて、挙げなけりや話が片付かんと言われておりますが、これは現にここで証人が述べた一、二の言葉から推しても、これは警察がどういう態度を取つておるかということは分る。この事件を私は警察が喜ぶとは言いませんよ。事件に対する態度です。態度が從來の警察の態度そのままで残つておると推測させるものがあるというのです。ただそれだけのことです。
  324. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) その問題について対策その外、意見をお出しになりましたのでは、これは到底いつ果てるとも分らないことでありまして、時刻は一時間を超過しておりますので、極く簡單に願いたいと思います。    〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕
  325. 細川嘉六

    細川嘉六君 五名のことについては、四人も五人も担ぎ込まれるようなことが、これがいい加減のことで片付けられておる。そうして又これらの人がその後どういうふうに扱われたか。
  326. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 細川委員に申上げます。それは只今審議の線に沿わないように思いますが、御批評、今後の対策というようなことは別の機会にして頂きたいと思います。時間も過ぎております。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  327. 岡元義人

    岡元義人君 議事進行について。もうすでに一時間も過ぎております。前以て通知を出してございます通りに、全國の代表がああして待つておられるわけであります。四時から墾談会に入らなければならないのに、すでに時間も一時間経過しておりますので、先程証言されましたところの九名の入室者はこれは援護局長においての指示を受けたものであります。それから九名と十名の入院患者について死亡者は一人もなかつた。すでに全快して帰つたという証言が伺われたのでありますが、この問題に関して事実と違う、死んだ者がある、或いは入院者の数が違う。これだけの二つの問題に限定して他の証人の方から、これに反証を挙げるという方がございますかどうか、その点を委員長はお諮りの上、本日の委員会を閉じて頂きたいと思います。    〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  328. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 岡元議員の意見賛成諸君の挙手を願います。    〔挙手者少数〕    〔「賛成」「賛成しないぞ」と呼ぶ者あり〕
  329. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 最後まで研究しようとしているのに、議事が打切られるのは横暴である。
  330. 岡元義人

    岡元義人君 今の星野委員の言動は非常に不満足であり。すでに前以て通知が配つておりまして、四時から別の会があることになつておる。
  331. 北條秀一

    ○北條秀一君 私はこの二日間の委員会を通じまして、最後に特に次の一つの提案と、一つ最後証言を求めたいのであります。簡單にやります。それは昨日の証言の中に、船員が乾パンを盗んだという話がありました。昨年の七月我々は細川委員、淺岡委員、私と三人が、これらのことのために現地について十分調査をしたのでありますが、非常に関心を拂つておるわけでありまして、而うして私は船員の諸君に対しましては、その労苦をいたわつておるような次第で、若し船員が乾パンを盗んだというようなことが今回の委員会において記録に残るということは、日本の船員労働者のために私は非常に不名誉だと考えますので、この点につきましては、特別委員会が改めて調査をいたしまして、そうして万一そういうことがありましたならば、今後これを絶滅するように、然らざればこの問題をはつきりして行くということが必要である。私はそういうふうに本委員会で取上げて頂きたいと思います。第二の質問でありますが、これは昨日飯盒とスプーンの問題がありました。これは小さなことでありますが、小さなことは、細川委員が絶えず言いますように、小さなことのはしはしにその本質を暴露するのだということをよく言われるのでありますが、この二日間の証言につきまして、いろいろ小さなところの各証人の本質が可なり見取れるように私は思うのであります。つきましては、この飯盒の問題につきまして、昨日の証言を默つて聞いておつたのでありますが、これを見逃して置くということは本委員会の権威にかかわりますので、私は百日間二等兵として飯盒で飯を食つたのでありますが、この飯盒は蓋が大体三合、中蓋が三合弱でありますが、而して飯盒の本物は四合の飯が炊けて、容量に一升二合、そういうふうに百日間に体驗において知つておるのでありますが、從つてこれが昨日示された小さん押しつぶして四杯、五杯ということは私には受取れないのでありますが、改めて援護局の諸君に、飯盒の容量についてお分りになりますならば、この際はつきりして置いて頂きたい。こう思うのであります。
  332. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 飯盒の容積、容量につきましては、只今北條委員から御質問なり、みずから言われましたように飯盒の中身そのものは一升二合入る。又蓋は三合、そうして、飯盒は米四合炊ける、かように私も存じております。
  333. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 北條委員委員長への御希望は了承いたしました。尚申上げたいと思いますが、星野委員は時間が十分おありであつたと存じますが。
  334. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 そうじやありません。外の人が長々と質問して、それを待つていたんで、北條委員程長いことはないと思います。一言です。
  335. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 簡單に願います。
  336. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 少しで済みます。最後に伺いたい。井家さんが先程言われた、帰還者を和らげるようにいろいろ措置を研究しておるようでありますが、被害者の方から民主グループに対する投書箱がありまして、投書があるということは、非常にそういう和らげるのを阻害するというような証言がされたのですが、実際あるのですか、若しあるとしたらこれを除くことを考えておられますか、何のために設けられておるか、援護局の一存で除くことができるかどうか、これを伺いたい。それからもう一つ、被害者が日本の何かはつきり分らなかつたのですが、戰犯排除とか、何かの問題を一番最後に掲げてあつた。これを早く知らして呉れれば、こういう暴行もなかつたという証言があつたわけですが、何か日本の新憲法の内容か何かによつて、あなたの方で、そういうものを初めに知らせたならば、勿論これを未然に防げるというようなことは研究なさつておるか、いないか、これを伺いたい。
  337. 井家伊作

    証人(井家伊作君) 投書箱のことでございますが、そういつた投書箱が一時あつたということを私も聞きましたが、私現物を見たことはございません。最近そういつたことを又聞いたものですから、寮内を隈なく調べましたが、そういつたものは現在ございません。
  338. 星野芳樹

    ○星野芳樹君 援護廳で作つたものじやないんですね。
  339. 井家伊作

    証人(井家伊作君) それは絶対違います。追放令のことを、さつき浅利証人が言われたので、お答えしたいと思つてつたのですが、追放令のいろいろの條項を印刷したものは、いわゆる復員業務上の、いわゆる流れ作業の、確か最後のところに大きく出ておるのでありますが、あれを一番最初のところに入れるといつても、ちよつと場所が適当でないのと、復員業務を始めるのは非常に面倒でございまして、あすこではやはり一番最初の、現在のところがよいと思います。あすこに復員業務を置いて見て頂いた方がよいと思う。適当な場所もありませんし、今更細かい業務をするのに、そういつたことをゆつくり見たり、それから説明もしませんし、やはり復員業務を終えて、それからお金を貰つてほつとしたところで見て貰つた方がよく分ると、さように考えております。
  340. 岡元義人

    岡元義人君 先程出しました動議を再び委員長お諮り願いたいと思います。    〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  341. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) お諮り申上げます。先刻岡元委員から提出されました動議、昨日からの審議によりまして十三名が行方不明になつており、三名が死亡しておるということについては、反証が上つておりまするので、これは確定的と思いまするけれども、この点若しそれがその通り行方不明があるとか、三名が死んでおるということの証拠を持つておられる方だけに発言を許しまして、本日は時間がすでに一時間半も過ぎておりまして、かねがね申上げておる筈でございますが、留守家族の代表が四時から待つております状態でございまするので、若し只今申上げました條件の証言がございませんければ、この辺で……。
  342. 岡元義人

    岡元義人君 ちよつとそれは違います。岡元動議はそうでなく、十三名と三名は昨日すでに委員長がお諮りをされて済んでおります。私が今出しましたのは、九名の入院患者と、それから十名の病院に收容された患者、この中から死亡者が出たか。これは例のパンフレツトに基いて最後に確認をしたいのであります。それに対するいわゆる反証を持つておる証人、これに限定して、他のことは要らないです、これだけの問題について違いがあるかないか、という点を、他に何か証言をお持ちの方があつたら、お諮りの上幕を閉じて頂きたい。こういう動議でございます。
  343. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) では改めてお諮りいたします。委員長只今申上げましたことは全然趣旨の違つたものでございまして、十名の入院者、この中から死亡者が出ておるかどうか、死亡者が出ておつたというような証拠をお持ちの方だけの発言を許したいと思います。
  344. 本島正雄

    証人(本島正雄君) この死亡者が出たということについては、私は病院内でもそういう噂を聞いておるのです。併しこれは確実なところのものはないのでございますけれども、非常に遺家族が今心配しておりますので、特にこれから遺家族の所に行かれるというお話でありますから、こういうことが何故起つたか、今後ないようにして頂きたいために、ちよつと一、二分言わして頂きたいと思います。
  345. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) その発言は禁じます。それは目的に副うておりません。
  346. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 委員会は材料は皆頂戴しておるのです。
  347. 草葉隆圓

    草葉隆圓君 先程の岡元委員動議の、死亡者がないか、あると確認する人は申せということでありましたが、これはもうすでに必要ないことになりましたので、直ちに本日の、この証人証言を求むる特別委員会は閉会にされたいという動議を提出いたします。    〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  348. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 草葉委員動議に御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  349. 紅露みつ

    委員長紅露みつ君) 御異議ないと認めます。  昨日來、本問題につきましては、委員各位、特に証人各位におかれましては、遠方から御出頭頂きまして誠に有難う存じました。この審議によりまして、私共在外同胞引揚問題に関する特別委員会といたしましては、今後かような不祥事が起らないようにいたしまする上に、大いにこれは参考になつたのでございます。この点感謝申上げます。尚結論につきましては、單独の委員会を開きまして決定して結論を得たいと存じます。誠に有難うございました。今日はこれで閉会にいたしたいと存じます。    午後五時五分散会  出席者は左の通り。    委員長     紅露 みつ君    理事            天田 勝正君            岡元 義人君            星野 芳樹君            鈴木 憲一君    委員            木下 源吾君            淺岡 信夫君            草葉 隆圓君            伊東 隆治君            木内キヤウ君            北條 秀一君            穗積眞六郎君            矢野 酉雄君            細川 嘉六君            千田  正君   証人   一、官廳側    舞鶴引揚援護局    業務部長    井家 伊作君    舞鶴引揚援護局    経理課長    田中 半治君    舞鶴國立病院医    官       琢磨 照夫君    舞鶴市警察局警    備課長     城田 秀雄君    英彦丸船長   高次 武治君   二、事件直接関係者            本島 正雄君            浅利  篤君            下中 範雄君            中川 澄雄君            針ケ谷豊次君            大友 高雄君            佐々木四郎君            新川  清君   三、事件を目撃した引揚者            上木 信胤君            國井 誠一君            越川 弘司君            板垣 文助君            源田 松三君            北崎  学君            薦岡  武君