○
証人(
佐々木四郎君) そう直ぐでございます。そういうようなわけで、列車の
人たちは非常に恐怖心を起しまして、誰が一体反動として摘発されるだろうか、誰が残されるだろうか。すべてそれらの
人たちは、僅かの数名のその
委員たちの言うことを誠に御尤もであるという工合で、反対される人は一人もなか
つたのであります。反対すればそれは反動分子として摘発されるという虞れがあ
つたために、すべてがその少数の
委員たちの言うことを聞いて纏まりました関係上、途中からいわゆる
下中氏が
委員長とな
つて、鬪爭
委員長と輸送
委員長とな
つてナホトカの港まで参
つたのであります。それで私共は蔭ではああいう無茶なことをやつちや実際困る。日本では恐らく引揚運動を盛んにや
つておるにも拘らず、反対にソ連に残して貰うというような運動をすることは、日
本人お互い同志が共喰いするような状況になるので、誠に怪しからんというような氣分が相当あ
つたのでございますが、
ナホトカの港におる間中は誰もそれを口に出すことはできなか
つたのであります。次第に話が本論に入
つて参りますが、それから予想よりも二日程遅れまして船に乘船しまして、私たちは永徳丸で
舞鶴に上陸したのは十月の三十日であります。その晩にも一部民主裁判というようなものがあ
つたのでありますが、これは大した暴行をせずに、名前は忘れましたが、誰か一人の方が、彼らは過去において、こうこうこういう悪いことをしたのだ、如何に取計うかという問題が出ましたときに、その方を取るに足らん男だからわしに一任さして呉れということを申出たので、皆はそれに対して何ら暴行も加えないで済んだのでありますが、翌日に
英彦丸でありますか、この船が入
つて参ります。そのときも、もうすでに明日大物が來るのだから、明日制裁を加えなければいかんというような声が非常に多か
つたのであります。丁度その船が参りました晩に、誰が一体どういうことをするのかというふうに思
つておりましたら、時間は、その首謀者格とでも申しますか、その人の言われたのは、九時頃に行くということを申しておりました。それで私たち寢もうかどうかと思
つておりましたが、丁度その
人たちが制裁を加えに行くということを聞きましたし、又その方たちが出て
行つたことを周囲の状況からして察知しまして、私共はあとから出掛けて
行つたのであります。で私はなぜそういうふうにそこに出掛けて
行つたかと申しますと、
舞鶴に帰りまして援護局の我々に対するもてなしが、私たちが想像しておりました予期に反しまして、非常に我々に鄭重であ
つたこと、それらに対して私たちは非常に感激したのであります。敗戰國の日本が我々に対して斯くまで配慮をして頂くのか、その
一つは感激の問題。それからもう
一つは、どなたか、星野さんでございましたか、参議院の方が、議員の方などは、促進運動のために断食までや
つて大いに運動を続けているというようなことを、私たちが聞きましたので、それに加えてあの一部の
委員の連中は誠に怪しからん奴らだ。民主運動は宜しいが、民主運動を脱線するも甚だしい。私もなんとかチャンスを捉えて、彼らに対してこの誤ま
つた民主運動を今後継続しないように、正しい明るい日本を建設するために方向を轉換させなければいかん。反省をさせなければいかんというために、私は後から出て
行つたのでありますが、丁度その頃にもう便所の中には相当の人が入
つておりました。そしてやがて
下中君なども呼び出されて來たのでありますが、余り暴行が激しいので、
下中君には、私が多分、君らのや
つた行爲に対しては全く日
本人として心外に堪えない。今後如何なる運動をするか。兎に角新しい、明るい日本を建設するために、協力して貰わなければいかんということは申し上げた筈であります。そうして話している中に、もう既に彌次馬が相当おりましたので、その連中が殴る、蹴るというようなことにな
つたので、私は暴行をする氣持で
行つたのではない。ただ
注意をして上げたいという氣持で
行つたのでありますが、それが暴行するのじやなくて、今度はむしろ止めなければいけない。あの多数の彌次馬に殴られたならだ、必ず死んでおります。それを私たちと、それからまだ止める人もおりましたし、殴る人もありましたし、相当あの便所の中に混雜いたしまして、時間にしまして二時間以上掛りましたでしようか、結局最後に、このままではいかんから警察官に保護願をしなければいかんということで、出掛けようとしたら、
向うから二名でしたか三名でしたかの警察官が見えまして、そうしてその
人たちに事情を話して、警察官は被害者を連れて参りまして、そこに最後まで残
つたのが、先程名前が出ました鴛海さんでしたか、私と二人だけにな
つたのであります。そして警官のおります
ところに参りまして、そうして私は住所はこういう者で名前はこういう者だ。それからもう一人の人は、私は加害者だということを申して、そうして、ああ御苦労だ
つた、君たちは帰
つても宜しいということにな
つて、私共は帰
つてそれから寢んだのでありますが、帰
つたときは恐らく十二時ぐらいじやなか
つたかと思いますが、時計がありませんので時間は、はつきりしたことを分
つておりません。以上であります。