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説明員(原泰一君) 私、原でございますが、私から民生委員連盟のことを概略お話申上げたい。丁度今近く代議員会を開催いたすことにな
つておりますので、從いまして、正確なる二十三年度の
事業報告、二十四年度
事業計画、或いは又これの
中心をなしております二十四年度の
予算というものをまだお目にかけることに参
つておりませんので、これはできましたら早速お目にかけて御檢討頂くことにお願いいたしたいと思
つておるのであります。
手許にあります程度の
事業報告書と計画書並びに二十三年度
予算その他印刷いたしましたものをお目にかけたような次第でございます。
関係もあることでございますので、先ず民生委員制度そのもののことを申上げて、会の
事業のことを
説明をいたしたいと思います。
御承知頂いておりますように、民生委員制度ができました最初の発端は、第一次世界大戰後のインフレ景氣の甚だしいときでございまして、貧富の懸隔が非常にひどく、労資の闘爭が起
つて來たという大正六、七年頃に岡山で起き、又大阪で起きたということがその発祥をなしておることは御承知頂いておる
通りであります。その後約十年間に全國各
府縣に、補導員、奉仕員、
福祉員或いは又
社会委員、そういうふうな名前を以ちまして殆ど各
府縣、道
府縣にでき上
つたのでございます。そうこうしておりまする間に、
昭和初年頃のデフレの激しい
状況に見舞われまして、第一線におきまして救済
援護のことに当
つております当時の
方面委員といたしましては、非常に困惑をいたしたのでございます。当時
國家の法制といたしましては、太政官達というような古くさい法令でやられておりました救済
事業があるというような程度でございまして、組織的な救護法律というものはなかつた。從いまして民生委員は手弁当で一生懸命
援護をいたしましても、なかなか追つつかない、その当時デフレが生み出しております失業者、或いは又浮浪者というものはどうにもならない。こういうような
状況にありましたので、当時の
方面委員といたしましては、どうか
國家で救護法を作
つて貰いたいということを申出でまして、それが
昭和三年のことであ
つたのであります。幸いに
昭和四年の議会におきまして救護法という法律ができましたのでございます。法律はできたのでございますが、当時財政の
状況からいたしまして、これがその
実施を遅らしておるというような有樣であ
つたのでございますが、当時の
方面委員としては、法律だけできても
予算がなければこれは絵に描いたぼた餅じやないか、これはどうしても実質を伴わなければならないというので、それから前後三年の間熱心に議会にも運動をいたし、又当局にもお願をいたしまして、やつと
昭和六年の春の議会に通過をいたしまして、
昭和七年の一月からこれが
実施をされるということに相成
つたのでございます。
そこで早速
昭和六年の三月二十五日に通過をしたんでありますが、その後頼みつ放しであるべきじやないというので、
代表者が五月
東京に会合しまして、各
方面にお礼廻りをしておるのでありますが、その時決議としまして、今までは二義的
援護を行な
つておりますので、少々手落があ
つてもいいということはないが、手落があるということは止むを得なかつたかも知れないが、今度は法律でできておるように、
方面委員は二義的救護をすると同時に法的救護法の委員として、その法による
援護をするということの
建前に相成
つてお
つたのでありまして、國民の出した税金で営まれておる、その法による
援護がどうも濫救があつたり漏救があつたりしてはならない。お互いに全責任を持
つてや
つて頂かなければならんというようなことからして、みんなで寄
つて是非お互い互戒共励という言葉を使
つて、互いに戒め、互いに励ましてしつかりや
つて行こうじやないかということで、又切瑳琢磨という言葉も使
つておりましたが、お互いに切瑳琢磨をして、そうして十分効果を上げて行きたいものだという意味からして、その当時四万の
方面委員と言
つておりましたが、当時四万の
方面委員の連合体をつくりまして、そこでそのような互戒共励、切瑳琢磨をして行こうという申合せをしました。これも数百人の
代表者で決定したのではいけないので、一應みんながそれぞれの村に持
つて帰
つて、
府縣の協議の纒つたものを持寄
つて更に会合をして、その発会というところへ持
つて行こうということで決議をされましたが、丁度一年かかりまして四万人の話を纒めまして、その翌年の
昭和七年の春、五月飛鳥山の澁澤の子爵のあの別莊で結成式をしまして、全日本
方面連盟委員というものが作り上げられました。從いまして連盟でしておる
仕事としましては、
方面委員から民生委員にかけてのお互いが切瑳琢磨をして、それからお互いが戒め合
つて共に励まし合
つて効果を上げて行くようにという意味のことを主眼として
仕事をして参
つたのであります。
そこで丁度隣組、町内会というものができまして、あの当時言葉を批判的に言えば、迫害を受けて民生委員等は要らなということもありましたが、その間とにかくできるだけのことをして参りまして、終戰後新憲法の制定に伴いまして、あの二十五條の
裏付としまして、議会で
生活保護法が制定せられたのであ
つたのでありますが、これに関連しまして、
方面委員から民生委員と衣替えをしました。というのは
方面委員というと貧乏臭いので、今度は
生活保護法で國民が最低
生活をや
つて行く。その
裏付けとしてや
つて行かれる
生活保護法の委員を兼ねてや
つて行くのであるから、貧乏臭い衣は取
つて貰いたいということになりまして、貧乏臭い名前の付いております
方面委員というものを取れ去りまして、そうして新らしい民生という文字に換えまして、出発をいたしたのでございます。從
つてその前に、全日本
方面委員連盟を全日本民生委員連盟と改称いたしまして、その機会にはつきり又重ねて民主的な組織を、もう一度
裏付けるという意味におきまして、民生委員千人について一人ずつの代議員を出して、
本部の役員の機構にして行こう。こういうことに相成りましたのでございます。そうしてちよつと只今の数にして参りますれば、十二万三千人あるのでございます。約十三万人の民生委員に対しまして、百三十人の代議員で出ているということに相成
つておるのでございます。その外に
関係者が四十六人出ておりまして、全体で約二百人足らずの代議員が審議機関としまして、連盟の
仕事の計画から、又
予算の執行のこと等につきまして
相談して、その中から選ばれました理事が、ブロツク別に二人ずつということに相成
つてあるのであります。それは東北ブロツク、関東ブロツク、中部ブロツク、近畿ブロツク、中國ブロツク、九州ブロツクから二人ずつ、その外
東京、北海道、四國から一人ずつということにな
つておりまして、十五人の民生委員が理事といたしまして、連盟の執行機関に当
つておりますのでございます。その外に役所の
関係といたしまして、役所から五人、そうして又赤十字、
社会事業協会、同胞
援護協会という三
團体から一人ずつで三人、学識
経驗者から三人、合せまして二十六人の執行機関によ
つて、この
事業が経営されているということに相成
つておるのでございます。
それでや
つております
仕事の内容につきましては、時間もありませんので申上げる暇はないのでございますが、要は先程申上げましたように、お互いが戒め、励まし合
つて行く、そうして切瑳琢磨して行くということが、要点であるのでございまして、この十三万人の人がフルの能率を上げて行くような
仕事をして行きたいということを願
つておるのでございます。でその第一は、
社会奉仕の
精神を飽くまで自覚認識をして貰う。
社会奉仕でや
つて行くということを知
つて貰うということが、その根本なのでございます。御承知頂いておりますように、五百四十円、先程も
司法保護委員さんのお話に出ておりましたが、民生委員として年に五百四十円の、
生活保護法なり、
兒童福祉法なり、その他の実費弁償を頂いておるのでございます。このことは先程も林厚生大臣が厚生大臣になられました時に、
簡單にお話いたしまして、それで林さんが、民生委員さんにそんなにいろいろなことを頼んでおいて、國の方で幾らかお礼を出しているのだろうが、ということであ
つたので、五百四十円頂いておりますと言つたところが、それは大臣は無論月にですね、いいえ年に五百四十円ですと言つたら、頭をかいておられたようなわけでありまして、五百四十円で少いというわけでもないのでございますが、大体この間中いろいろ調べてみますと、一人が月に千円くらいは常に
自分で出しているというような
状況であるのでございます。そういう
社会奉仕をしておる人でございますから、この人が動くのと、動かないのとは結果において非常な相違を來すねでございますから、
社会奉仕で活動するのだということを十分に認識して貰
つて、動いて貰えるようにして行きたいということを狙
つて、いろいろな
仕事もその線に沿うていたしておるのでございます。そうかと申して、
社会奉仕でや
つているからとい
つて、ただ働きである、手弁当だからとい
つて、これが昔流の
仕事の
やり方をいたしてお
つたのでは、その効果を上げることはできません。どうしても科学的にや
つて行く、科学的に措置をして行くということを、眼目といたしてや
つて参らなければならんというので、そういう意味においていわゆる
社会調査、或いはケース・ワーク、グループ・ワークというような技術的な
研究をして貰いますことを主眼といたして、
仕事を進めて行きますのであります。從いまして御覧頂きました
事業報告なり計画書にもございますように、それを主眼として全國大会のごときも
本当に
社会奉仕でや
つて行く、お互いはそういう奉仕者だという氣持を高揚して、その認識を深めて行くという意味におきまして全國大会もいたしておりまするし、各都道
府縣におきまする大会のごときも、この
社会奉仕の
精神を高揚して行くという意味において、営んで行くということにいたしておるのでございます。從いましてその他の
研究会とか
協議会とか
講習会とかいうような事柄も、
社会奉仕の氣持を十分に起して
行つて頂きますと同時に、科学的な
研究を民生委員さんにや
つて貰うということを、願
つていたしておるのでございます。民生委員さんの古い
人達の間にこういう話があるのでございます。民生委員はただ働きであるから、程よく働いて貰うように仕向けなければ働きません。こういう内輪話がございます。それでこんな狂歌を
人達が寄
つて作りました。それは「目で見せて耳で聞かして、して見せて誉めてやらずば誰もせんぞや」こういうふうな狂歌を民生委員の、
方面委員時代からの人は言
つております。たまたま私共の連盟のや
つております
仕事の要領もそこにございます。先ず目で見せるという意味におきまして、お目におけてございますようなケース・ワークの話、又時報は毎月出しておりますが、ケース・ワークのような話は、目で民生委員さんが見て
研究して頂く。それから耳で聞かせる大会、
研究会、
協議会、
講習会とかいうものを、全國のずつと末端までや
つて行こうということで計画をいたし、十三万人には必ず誰かがその中にあ
つて、そして話をしておる、耳に聞いて貰うというようなことをや
つておりますのであります。それから「して見せて」ということに当るわけでございますが、民生委員の模範
地区というものを作りまして、民生委員さんがどういうふうに働いて、よい効果を挙げておるかという模範
地区を、全國で幾つか作
つておるのでございますが、模範
地区へ現地
研究会というもので各地から皆に集ま
つて貰いまして、実際に民生委員さんがケース・ワークなり、グループ・ワークなりしておるところをお互いが見る。「して見せて」ということを実現いたしておるのでございます。その他今の「誉めてやらずば」ということになるのでございますが、いろいろな表彰を全國大会でも、
地方大会でも機会あるごとに、よくや
つてお
つて呉れる
人達に対しては表彰をいたし、よくや
つておる民生委員
地区に対しては表彰及び選奬ということをいたしておるのでございます。そうして又民生委員さんが氣持よく働いて
行つて呉れるようにという意味で、民生委員さんのいろいろな
福祉を図る、民生委員さんに奉仕する、民生委員さんは隣人のために奉仕されるのでございますが、その民生委員さんに奉仕する
仕事を、
本部といたしましては余計や
つて民生委員が喜び勇んでその
仕事を精進をしてくれるようにということを、この
中心にいたしまして、
仕事をいたしておるのでございます。
これは民生委員さんを主とした問題でございまするが、その外に、もう
一つ、二つ重要な点があるのでございます。それは民生委員の十三万人が一生懸命
仕事をいたしましても、世間の人が民生委員というものを御存じなかつたり、民生委員というものに理解がなかつたり、或いは逆に民生委員というものに好意を持たれないというようなことがありますと、折角のこの民生委員の働きというものはその効果を上げることができないのでございます。從いまして連盟といたしましては、あらゆる機会に民生委員の活動はどういうことをしておる、どういう働きをしておる、どんな
事業をや
つておるかということを世間の人に聞いて頂いておるのでございます。それの理解を進める
仕事をいたしておるのでございます。昔から
方面委員時代から民生委員が苦労をいたしました大きなことは、外國と異なりまして、なかなか困
つてお
つても、私は困
つておるから助けてくれいと言
つて申出て來る人はその割合に少いのでございます。殊に元
相当にや
つておつた方が貧乏に
なつたときには助けてくれいと言
つて民生委員さんのところへ話に行けないというような、そのことがあるのでございますから、そこでついに最近にも親子心中のあつたことが出ておるようで、
生活に困
つて親子心中をしたという例が出ておるのでございますが、余り外國ではその例を見ない親子心中、
母子心中というものがあるのでございます。大体その焦げついた要
援護者には親子心中をする人は少いのでございますが、
相当な
生活をしておつた人が貧乏に落込んだ人、生計困難に対して抵抗力の少い人というのが、ついやはりそういうような悲惨事を起したということにな
つておりますので、從いまして世間の人が民生委員活動というものを了解してお
つて下されば、そういう所へ
相談に行こうという氣も起きましようし、又困
つておる人があればあそこは困
つておるんだとい
つて民生委員に耳打をして下さる人もあるということにもなろうかと存じますので、そういう意味合におきまして、
社会の理解を進めて頂くような機会を作
つておるようなわけでございます。なかなかこの点はうまく行かないのでございまして、結局は
社会保障法でも作
つて貰わなければ、この日本の
状況では駄目ではないだろうかということを今皆んなで申合
つておるようなわけでございます。
それからもう
一つの点は、何かと申しますと、折角民生委員が
援護をしようとして勢い込んで、例えば今の要
援護のおじいさん、おばあさんを養老院に入れようと思
つても養老院がない。それから
子供を
育兒院に入れようと思
つても
育兒院が満員で入れないというような
状況でありましたり、それから先程授産場のお話が出ておりましたが、ただ金をやるが能じやないから働かして、その收入を得させようといたしましても、その授産場がない、或いは又授産場が思うように動いていないというような
状況にあるのが今日の有樣でございますので、民生委員といたしましてはそういう
社会事業施設を促進して、十分に
社会事業施設が動いて行くように、又足りない
社会事業施設ができて行くように、民生委員といたしましては全力を盡して行くということが
建前でございますので、連盟といたしましてもその点に副うて各
方面にそのことをお願いをする。又必要な
社会事業施設の新設拡充ということにできるだけの手を貸して行くというようなことを
建前といたしてや
つておりますのでございます。只今使
つておりまする二十三年度に使いました金が、約二千六百万円でございます。來年度の
予算はお目にかけてございませんが、約四千四百万円に上るかと存じておりますのでございます。それらの事柄は今申上げました各
事業に使
つて行くということを
建前にいたしておるような次第でございます。