○
山下義信君 私は東北三縣におきまする
社会福祉実施状況に関する御
報告を申上げます。先ず大体のことを申上げまして、その次に我々の
視察の重点でありましたいわゆる東北地方における
兒童身賣問題についての調査の結果を御
報告いたしたいと存じます。
先ず
施設を見ました数が、山形縣におきまして五ケ所、福島縣において四ケ所、栃木縣において四ケ所、合計十三ケ所の
母子寮とか、
授産所とか、
保育所とか
養護施設というようなものを見たのであります。そうして他の地方の
視察の同僚諸君と同じように、
生活保護法の施策の
状況、
兒童福祉法の施策の
状況というような問題を中心に、現地におきまして
関係者の
報告を聽取したのであります。詳細なことは各
関係者の提出の資料に讓ることにいたしまして、大体のことを申上げたいと存じます。
先ず山形縣におきまして特に眼のつきました点は、
未亡人の問題を
兒童相談所で
取扱わさしておるということであります。これは極めて適切な処置であると存じました。それから山形縣の
兒童相談所長は婦人でありました。その人が適任であるかどうかは別といたしまして、これも特異の点であります。それから同じく山形縣の米沢市、これは古い都市でございますが、
社会事業の熱意が幾らか出て参りましたようで、種々なる計画を立てております。十分にこれは援助してやるべきであると考えました。山形縣の縣当局の方針といたしましては、從來
團体又は個人が経営しておりましたものは、漸次
市町村の経営に移す考えであると申されました。公営主義を採るという……又今後新たに設置するもの、或いは設置を奬励しようとするものは、成るべく
市町村立でやらせる方針だと申しておりました。これらの方針は注目する價値があると思います。まあ
民生事業と関連いたしましての問題、或いは
要望事項等も聞き取りましたが、これは後から一括いたしまして
塚本委員長も同行いたしておりましたから、或いは
塚本氏から又木村專門員から補遺して貰うことにいたしまして詳細は省略いたします。ただ注意すべき
要望事項を二、三申上げますというと、
兒童福祉司の権限をもつと強化しろという
意見がありましたが、成る程と思います。それから
福祉司の増員等は午前の関西班の
報告にありました
通り要望いたしております。
兒童相談所に
兒童問題の研究所を設置する。これに法的根拠を與えてそういうことにやつたらどうかという
意見がありました。これ又尤もと思うのであります。それから保姆の資格でありますが、これは資格を規定するばかりでなく、もう一つ制限を加えて免許
制度にしたらどうかという
意見もありました。研究の價値があると本員は考えます。それからこれはどこにでも共通の
要望でありますが、ララ物資の配分を砂糖室にもするようにという
意見もありました。いろいろ
兒童関係の山形縣におきまする特殊の
状態も数字的に調査いたましたが、ここでは省略いたして置きます。
福島縣におきましては縣費で以て
民生委員に
相当の手当をや
つております。國費での
民生委員の手当の増額を待つまでもなく縣費でや
つておる。社会
施設の火災予防についても福島縣は注意を拂
つておるようでありますが、これらの
施設の火災予防に必要な消火器、ホース等を本省でも十分斡旋して貰いたいという
要望がありました。
要望の中の一、二を申述べておるのであります。福島縣の軍政部の
意見として、おしなべてこれは東北三縣の我々が
視察した地方に通じて言えることでありますが、
社会福祉施設に氣の利いたものがない。たまたまあれば荒廃しておる。つまり新らしいものはない。皆十数年、或いは数十年以前に造つたものそれだけであります。而もそれがすべて荒廃しておる。又火災予防が至
つて不備であるというようなことを申しておりましたが、これはそのまま取
つて総体的な我々の所感と言い得られるのであります。それから同じく軍政部の
意見として、
生活保護費の支給の内容が極めて複雜で難解である、又その支拂が果して適当であるかどうかということを調べることすらも不可能であるという批評をいたしておりましたが、我々も十分この点は分
つておるのでありまして、今後研究を要すると思うのであります。すべて厚生行政
方面に対するところの監督が行届いていないということを指摘しておりましたが、参考に資するに足る言であると存じます。福島縣におきましては
授産所の運轉
資金としまして、縣費で以て、金額は多額ではありませんが、二百万円
程度であります。けれども、一定の利子を取りまして
授産所の運轉
資金を貸しております。他
府縣もや
つておるかどうか、社会局では分
つておると思うのでありますが、私は成る程これはいいと感じたのであります。福島縣の
兒童福祉司の四名中三名が婦人の
福祉司であります。併し遺憾ながらその能力には十分な信頼が置き得ない
程度のものでありました。婦人の
福祉司というのは非常にいいと思いますが、若し今後採用するならば適任者について十分に考慮しなくてはならんのではないかと考えます。同縣におきましては、明年度から縣立の保姆
養成所の設置計画があります。又同縣の
未亡人連盟は組織がややできておる
状況でありました。
要望事項は省略して置きます。
次に栃木縣でありますが、先程も同じく
姫井君の御
報告の中にもあつたと思うのでありますが、栃木縣におきまして
未亡人の
状況を調査したものがたまたまその資料が提供されまして、それによりまして調査をいたして見ましても、この
保護を要します
未亡人の連れております
子供の問題が非常に憂うべき
状態にあるということが明白に
なつております。一万三千九百八名の
未亡人を調査いたしました中に、扶養を要する且つ又扶助を要する子女を抱えております
未亡人の
子供の数は実に二万九千九百八十三名に達しておるような
状態であります。そうしてその
生活状態も辛うじて生計を維持しておりますものが四千二百十七名、
生活扶助を受けておりますものが二千五百四十名というのでありますから、四八%五八の
未亡人は実に多数の子女を抱えて今日が非常に窮迫しておるというような実情であります。でありますから
兒童問題は少くとも五〇%は同時に
未亡人の問題であるということも言い得られる
状況が栃木縣において明白に判明いたしておるのであります。
要望事項の中で
相当重要と思われるようなものもありますが、これ又省略いたしまして、後者に讓ります。先程申上げましたように総体的に申上げますというと、東北におきまするこの
社会福祉状況というものが極めて低調である、あれどもなきがごとき
状態であるということを言い得られるのであります。
次は問題の
兒童身賣事件でございます。これは申すまでもなく非常に重大な問題でございまして、我々はただ單に東北地方における特殊な事件というものを取上げて調査するというのでなくして、恐らく大同小異のことが全國的にあるだろう、從
つてこれらに対する
対策というものは余程考えなければならんということを考えて、同問題の調査に
当りました次第であります。
簡單に申上げますと、この東北地方の殊に福島縣、山形縣、栃木縣三縣下に亘
つての
兒童身賣問題は言うまでもなく古い因習であります。それが今日まで残
つておる。又今日まで多少形態は変りましても、同趣旨のことが行われておるのであります。それらの因習につきましては、大体本院におきましても承知されておるのでございますから、詳細は省略いたしますが、要するところ貧困の結果
子供を金に換えて賣るという習慣であります。いろいろ
人口政策の上から、旧藩時代これらの防止に努めた、
子供の身賣或いは間引きということの防鉄に努めてようでありまするが、この弊習は牢固として今日まで残
つて來ておるのであります。現地に参りまして判明いたしましたことは、殆んどとい
つてよろしい程
関係者がこの因習を是認しておるということであります。いろいろと弁護するのであります。改めようとするような意向が見えません。いい
制度であると言うのである。同時に非常に意氣込んでこの惡弊を匡正しなければならん、惡習を打破しなくちやならんと勢込んで参りました者も、一日か二日現地に滯在して現地の
関係者の
意見を聞いているうちに、いつの間にかこれに同化される
傾向があります、ということが判明いたしたのであります。例えば村山山形縣知事は
昭和九年にも甚だしい事例が起つた。この地方では養子に行くのが通念であ
つて、根本的には惡いとは思
つていないと考えて、
兒童身賣を養子に行くというようなことと一緒に考えておるのであります。山形縣の
民生部長の
報告書の中にもいろいろ書いてありまするが、一番終いに、農村の
子供を賣ることは半ば風俗化しておるような有樣であ
つて、農家では左程重大には考えていないのであるというようなことを
報告書の中に言うておる。又福島縣の
兒童福祉司の平田秀子君は、東京で新聞を見て
兒童の身賣り問題というような言葉から受けておいでになる感じと、こちらの実情とは別物でございますというような説明をいたしておる。又
民生委員である若松の市会議員の一人は、これからも今まで
通りや
つてよいと思うておる、この有樣を今後続けても
差支ないと思うということを若松市役所の
懇談会で公々然と述べております。又若松市の社会課長も
兒童の
福祉のためにはこの
状態は是認するの他はないという
意見を述べております。何が故にこれらの人々がこの因習
制度を是認するかと申しますと、大体次の諸点であると思う。日本の実情では致し方がない。或る
意味において
兒童のよい配置轉換である。又食べ物が十分食べられるということは何よりの仕合である。こう言うのであります。実際問題としてはどうにも他に方法がないではないか。こう反駁するのであります。結局これはかわいそうな
子供を助けてや
つているのである。こう言うのであります。
仲介人制度は惡いかも知れんが、今では先方の親や或いは兄弟などが連れて頼みに來るのであるから、これを引受けてどこが惡いか。こう言うのであります。又現に
子供を買
つておる側の者たちは、自分の
子供と同樣にしているのであるということを強弁いたしておるのであります。
仕事らしい
仕事は
子供にさせておらないと、こう言
つておる。足利地方ではこれまでの年期
制度は段々薄らいで來て、少年工、つまり
子供たちを使うておるけれども、むしろお客樣扱いにしておる。こう言うておるのであります。
子供が帰りたいと言わないのは満足しておる証拠である。こう言うのであります。それらの代表的
意見というものは栃木縣の
兒童課長の
報告というものを一覧すれば判明いたします。併しながら本員らが調査いたしました結果、如何に
関係者たちが言葉を巧みにいたしまして強弁をいたそうとも、この現在の
兒童が養われておる、雇われておる、
里子に行
つておるというそれらの動議はすべて功利的動議であつたと言う以外に何物もありません。具体的な事例はすべて調査の書類の中に十分にありますから、改めて詳細はその点で御覧を願います。ただ栃木縣におきまする
里子の
一般調査表はやや完全に近いものがありますから、その中から挙げて申しますと、五千四百八十六名の問題の
兒童につきまして調査をいたしました結果、労働に從事させるために養育いたしておるというのが千四百四名、二五・六%を占めております。家事使用のためと特にはつきり言
つておるのが一千四百一名、これ又二五%四を占めております。
仕事見習のためと称しておる者が一千二百六十八名、二三%であります。合せまして、養育の動議とはつきり調査の上に現れておりますものが、
子供をとにかく使うためであると言
つておるのが五千四百八十六名の中で実に四千七十三名、即ち七四%強を占めておるのであります。如何に養育者側その他の人々が種々に申立をいたして見ましても、これらの調査表の数字が明らかに使用目的のために
子供たちが賣られたり、
里子にやられたりしておるということは明白であります。眞実に
里子にしようという考えで
子供を養育しておるという者は五千四百八十六名中僅かに四%に過ぎません。即ち二百三十名
程度の者が
里子というような考えで養
つておるというのであります。これは
視察の最終日の三月十一日に栃木縣廳におきまして
座談会をいたしましたときに、この因襲
制度の妥当性を出席者が種々に主張をいたしておりました場合に、たまたま同行いたしました厚生省の事務官から、
兒童福祉法の里親というものはどういうものを要請しておるのであるかと、かように里親の適格條件を説明して頂きまして、そうして
里子処遇についての愛情の深甚の必要を説明するに及びますと、列席の面々が俄然として悉くそういうむずかしい里親ならば、里親の登録は希望しません、むしろ労働基準法による雇庸契約の
届出の方にしましようということを口々に申し出しました。これを見ましても、
兒童養育のすべてが功利的動議であることを暴露いたしておる次第であります。即ち彼らの温情というものは雇主としての温情であり、
徒弟制度の親方としての温情の域を出ないのであります。又成長後における低廉なる労働力の確保を目的とするところの温情である。恩に着せるところの温情である。我々は現状是認論者の主張をそのまま安易に受取ることはできないと痛感いたした次第であります。厚生省が里親として要求いたしておりまする要件につきましては御承知の
通りであります。これを
簡單に別の言葉で申しますと、深い愛情で包まれること、我が子同樣であること、学校に学ばせること、將來を束縛せずして自由で樂しいこと、よい躾けを受けること、こういうことが内容でなくてはならんと思う。然るに今三縣下におきまして、里親と称する者の実態を見ますると、先ずその家庭の
状況、例えば山形縣の一千二百九十九名の調査につきまして、経済
状態の余り面白くない
状態の者が七百八十九名、
生活の窮迫した者が二百二十八名、
生活に窮迫しておる者二百二十八名が
子供を預
つて、そうして己の労働の
補助に使
つておる。その中には
生活保護法の適用を受けておる者が五十二名おる。
生活に余裕なくして己が
生活保護法の適用を受けてお
つて、尚他人の
子供を預かるというのは何の目的であるかというと、言うまでもなく分るのであります。大部分は中以下である。里親として適当ではありません。栃木縣下の五千四百八十六名の調査につきましても、その生計の
程度は中が二千百六十七名、丙が百三十二、即ち中以下のものが半数を占めておるのであります。從いまして、それらの
子供の中におきましては、実に九百九十七名の不就学
兒童を示しております。そうして注目しなければならませんことは、現在
子供を養
つておりまするそれらの家庭の多くは、皆多数の実子を持
つておる家庭である。多子家庭である。栃木縣下の平石村の一例のごときは、五人、七人の実の
子供をかかえておる家が可なり多いのであります。これは何故かと申しますと、
子供が多いと手が足りない。從
つて他人の
子供を預
つて労働に使うのであります。詳細なことは、これ又割愛いたします。が、その多子家族の
状態、即ち
子供を預
つておる者の多子家族の
状態は、栃木縣の
兒童相談所の里親調査表を見れば直ぐ分ります。三十三名の家について里親を調査いたしました中に、六人以上の実の
子供を持
つておる者が二十名ある。里親の登録を希望して参りました者の三十三名のうち、自分の
子供を六人以上持
つておる者が二十名里親になりたいと言
つて來ておる
あと十三名はどういうのかというと、五人が五名、四人が五名、三人が三名である。かような者が里親の希望を
兒童相談所に申出ておるのであります。又平石村の実際の里親と称しております渡辺富三郎方の実地について見ますると、大槻ヨシノという
女子が、三ケ年になりますのに、その間、半道足らずの所に宇都宮という都市がございますが、その都会に出たことが三べんくらいしかない。言い換えれば、映画を見に参るというようなこともめつたにないというような
状態である。でありまするから、眞に彼らが実の子同樣の
生活をさせて貰
つておるか、或いは小遣い等が與えられておるか、或いは学用品等が與えられておるか、遊び、娯樂等が與えられておるか、実の父母との面会等も自由にされておるかというような点を微細に調査いたしますると、恐らく思い半ばに過ぐるものがあるであろうと思う。
以上を概観して見ましても、現状の大部分は、
福祉法が希望しておるところの里親としては不適当であるということを本員らは断定いたしました次第であります。
一面飜
つてその
兒童の実家を見ますというと、その悲惨なる有樣は、ここに詳細に申すに忍びません。これらも三、四の家庭につきまして我々は調査をいたしました。併し久しくその家に佇むに忍びませんで、匆々でございましたから、詳細は調査いたしかねましたが、会津若松市鶴岡町一丁目の佐藤ミヨという三十八歳の家庭のごときは疊三枚しかございません。而もその三枚敷きのところは板の間に「むしろ」でありまして、何にもありません。押入れもなければ、蒲團もありませねば、ただどんぶりが二つ三つ、お茶碗が二つ三つ古ぼけたのがあつたばかり。そうして三尺四方の破れたような蒲團がたつた一つ。そこに
子供が三人も四人も、その僅かの蒲團の中にくるま
つて寝ている。そういう
子供が鈴木安治という職業的
仲介人の手によ
つて賣られております。他の家庭につきましても同樣であります。五人の兄弟が離れ離れに賣られております。ここで注意いたさなければなりませんことは、栃木縣の平石村は御承知のごとく、多数の
兒童を養
つている村でございますが、これらの
子供のうち、五十七名について調査いたしますと、
一般の貧困兒が四十四名で、又
一般孤兒が七名、戰爭によります孤兒が六名ということに
なつております。詰りこれは栃木縣の
里子の親権者につきまして調査いたしました五千四百八十六名について見ますると、その五千四百八十六名のうち、親の欠けた
子供が二千四百九十二名を占めているのであります。でありますから、賣られて行く
子供というような問題の
兒童は、大部分が父親のない者か、即ちこの栃木縣の
里子の親権者の調査によりますと、父親のない者は千二百七十五名、母親のない者五百三十四名、両親のない者が六百八十三名、即ち親の欠けた者が二千四百九十二名を占めて、親のない
子供が非常に多い。賣られている
兒童の大部分はそうだという点が我々注目をしなければならない点であると思います。又賣られている
子供の健康
状態を見ますというと、概ねよろしくございません。詳細はこれ又省略いたしますが、只今の五千四百八十六名の中で健康
状態の思わしくない者が千四百六十七名で、二六%強を占めております。知能
状態に至りましては七八%、即ち四千二百九十一名は知能
状態の乙、丙の者であります。如何に憐れむべき
兒童たちであるかということがこれらの数字によりましても実証ができます。問題の発生、この問題が廣く世問に傳わりましたので、これに随伴いたしまして、類似の
状態が各
府縣にありますことがそれぞれ報道せられましたことは省略いたします。この問題に対しまして、労働基準局が動いております。労働基準局が活溌に動いている。労働基準法を楯に取
つて、その面において
兒童を
保護する立場でなかなかや
つておりました。この問題が大きく取上げられるようになりましたのは、実に労働基準局
関係の
活動によると言
つても過言ではございますまい。が、最近の労働基準
関係者は態度が軟化しております。又法務廳も人権擁護の立場におきまして二月四日現地に参
つて懇談会をしたり、いろいろや
つております。法務廳の人権擁護の立場からの考え方には二派あることが分りました。硬論を唱える者と、多少妥協説を言う者と二派あることが判明いたしました。
兒童福祉関係者はどう動いたかということを調べて見ますと、山形縣も福島縣も栃木縣もいろいろと動いた形跡はあります。例によりまして縣廳でその
対策の
委員会というものを作
つて、どうしたならばよい、こうしたならばよいということをいろいろ審議いたしまして、ずつと
委員を並べまして、一應いわゆる机上プランとしてはその
対策がずつと掲げられてありましてや
つておる。結局は若干の
子供を栃木縣から或いは福島縣、山形縣へと親の手渡したというようなことをいたしたというだけのことでございます。併しながら実の親に返しましても、実の親は只今申上げましたような惨憺たる家庭でございますから、やがては又元の所へ帰
つてしまうだろうというようなことが予想されております。ただこの三縣下の中で、受入側と言うと語弊がございますが、
子供を受取つた方の側の栃木縣は、この問題に対しまして若干活溌に
兒童関係者が動いておるということが見受けられました。栃木縣の米軍の軍政部がこの問題に可なり詳細なる指示と助言を與えておりますことも分りました。一斉調査などでは調査方法に
相当な指示を與えております。
中央の
関係各省のそれぞれの所管の、殊に厚生省の当面の
兒童局長、その他の
関係課長が参
つていろいろ心配し盡力し、或いは指示を與えておりますことも分りました。併しながら尚未だ抜本塞源的な指導方針と申しますか、これらの解決策がはつきりと示されていないという何だか物足りなさの
状態にあるというのが眞実の現状であります。
以上大体申上げたのでありますが、最後に栃木縣におきまして、
座談会をいたしましたときに、我々
委員の側で同行の厚生省事務官の援助を得て話題を作りました。それらの話題によ
つて懇談会をいたしましたことによりまして、この問題の眞相が最後に大体把握できたと思われるのであります。それは一應省略いたします。
結論といたしまして、本員は次の
通りこの問題につきまして
報告いたします。本問題は年少
兒童の労働違反事件であります。これが第一点。第二は、東北地方に特に甚だしいのでありますが、全國的の問題でありまして、かくのごとき境遇に置かれてある
兒童は少くないものと推定されます。第三、
兒童の人権
福祉を飽くまでも擁護せねばならんと痛感をいたしました。第四には、本問題の
関係は官民の間に
兒童福祉法を尊重するということの熱意を認むることができなか
つたのは甚だ遺憾といたします。第五に、
兒童福祉法の活用
運営は極めて低調であります。又現状では設立日尚浅くいたしまして、かく言うは酷に失するかとは思いますが、いわゆる
兒童相談所は無力であります。又
兒童委員は不活溌であります。而して
兒童施設は皆無であります。第六に
兒童愛護運動というようなものがございません。婦人
團体の
活動は全然ございません。これらの問題に関しまする三縣下の有力者は極めて無関心であります。第七に、多少これは後戻りしまして重複いたしますが、現在の
兒童の処遇
状態は全く使用人の待遇であります。即ち先に申しましたように、労働基準法の範囲に属します、いわゆる家庭育成の形態は使用形態であります。第八に、言うまでもなく未然に極力これを防止して且又現状に改善を加えなければなりません。第九に現状のままの解決、或いは枝葉末節の立入りによ
つてこれが合法化を狙い、現実妥協をして行こうという考え方もありましようが、一應は敢然として法の精神の貫徹を図らねばならんと思います。即ち権威ある
対策を立てまして、一貫せる指導を行うことが焦眉の急務であると痛感します。從いまして、最後に本員が附加いたしたいと思い。且又厚生省当局のこれが
意見を聽取いたしたいと思いますることは、
兒童福祉法の権威をどうして示すか、発揮するかということであります。
兒童が愛護せられ、
兒童の
生活が保障せられるということは
兒童の権利であります。何人もこれを蹂躪することはできません。
兒童福祉法のこれが原則として掲げられております大人の考え方を以てこれらの
兒童の
生活保障の権利を奪うことも侵害することもこれを弱めることも、縮小することもできません。
兒童福祉法の権威をどうして示すか、お考えがあるか。第二は
施設の新設拡充をどうしてもやらなければなりません。殊に著しくそういう集中的に問題になります地方には、要すれば國立の
施設を
相当設置する必要があります。その
施設の形態内容につきましては、種々工夫する余地もございましよう。
生活保護法のそれらの家庭に対しまする十分なる活用を望みますことは、同僚議員の御
意見にありました
通り、且又先の
報告の中に触れましたように、これらの
兒童が大部分孤兒の
状態、而も
未亡人と密接不離なる
関係にある
子供たちであるという点に鑑みまして同時に
未亡人を救う、又
未亡人を活用するというような点に一つの狙いを置くのも一方法ではないかと考えるのであります。例えば
未亡人をして里親の
仕事をやらせる。里親にならせる。いろいろ各
府縣に作られつつあります
未亡人会などの事業種目の一つ、
活動目標の一つとして、これらの
兒童の養育というようなことに当らせるということも考慮の必要があるのではないかと考えておりますが、ともかくもこれらの母子を速かに救済するところの立法措置が採られなければならんと思います。当局者は母子救済について何らかの考えを持
つておりますかどうか、私は後で承りたいと考えておるのであります。
兒童福祉運動の大展開でありますが、これは厚生省当局も非常に熱心にや
つておられるので、私もその熱意は十分認めます。又成功を祈ります。これはただ運動だけでもいけないのでありまして、
意見は省略いたしまして、
兒童福祉運動の大展開を強化しなければならない、や
つて貰いたいと思います。
それから里親
制度の改革でありますが、これは非常に綿密に研究せられまして、実に行き届いた里親
制度の
運営要綱が作られてあります。何ら非難する余地がない程完備しておる。むしろ完備し過ぎておるのでありますが、ここで注意しなければなりませんことは、いわゆる
兒童の労働使用という点に触れるか触れないかという限界をどこでその線を引くかというその線の引き方であります。これは研究の余地があろうかと思います。でありまするから、養育しながら働かせる里親
制度の展開をする上に、その働かせるという線の引き方で、即ち働くというその働きの
程度の問題、この点を十分にはつきりとする必要があると思います。私をして
意見を申上げますならば、使用人的にならざる働き方、つまりその家の
子供と同じように働かせる。又その
子供の立場や健康や発育
状態に相應した
仕事、又通学、或いは又自由というようなことに行われておる間においてする
仕事、尚金銭的報酬がどう
なつておるか、小遣銭などが與えられておるかどうかという点も
関係があると思う。以上で私の
報告は誠に不備でありますが終ります。要するところ、児童を同情的に、慈善的に処遇せんとする考え方は私は児童
福祉法の採らざるところであると信じます。
兒童の尊重は
兒童の人格の尊重であります。
兒童の権利の尊重であります。これを同情的に、慈善的に、つまり飯が食べられるから
福祉であるというような考え方は実に愚劣であると私は思います。飽くまでも
兒童の育成と
兒童の愛護は彼らの権利であると、これを護
つて行かなければならないということを思うたのであります。尚今後ともこれらの問題の
兒童は恐らく今日の我が國の情勢としては非常な数と申しますか、境遇と思しますか、そういう
兒童の激増は必至であると存じます。これに対しましての行政部のいろいろな
努力と準備もあると思いますが、こういう國会におきましても、これらの
兒童の救済、やがて來るべき
生活苦難に直面いたしましての、悲惨なる
状態に落ちて行くであろうところの
兒童を如何にして救済するかという問題につきましては、本員といたしましては他の機会に又これらの小
委員会の設置その他を
要望したいと存じますが、國会も大きく取上げまして、この重大な問題には総理大臣も耳を傾け、厚生大臣も晝夜不眠不休で
努力する態勢をとらなければならんものと確信いたします。以上で私の
報告を終了いたします。