○赤木正雄君 私は今回の水害に鑑みまして、治水政策の方針と申しますか、自分の考えておるところを
お話し申し、若しも私の考えが間違
つておるならばどこが間違
つておるというお教えを頂き、又仮に正しいとするならば特に
大臣にお考え願いたい。そういう意味で
質問と申しますか懇談と申しますか、とにかく一應述べて見たいと思います。
先ず第一に私考えますのにはこの一両年水害が御
承知の
通り殖えておる。この水害の
災害原因につきましては
洪水においておりますが、今朝も
ちよつと或る委員から御
質問がありましたが、やはり文化の進展と申しますか、今までは
災害の対象となる余地のなか
つた所が今回
災害に遭
つております。
一つの例を申しますならば、大正の終り頃には神奈川縣の鶴見川の沿線のごときは殆んど
工場がなか
つたのであります。でありますからあそこは水は出ましたけれども
災害というような声は起りませんでした。ところが御
承知のようにあの沿線には非常に
住宅は殖え
工場が建ちましてこれが
災害の大きな原因とな
つております。又耕地の開発も今までは余り無理なところに耕地はなか
つたのです。併しそれを開墾して参
つたためにこれはひとりこの最近の開墾の問題だけでありません、つまり大分無理なところを開墾した。先月も私山形縣に参りましたらやはり藏王山の麓のごとく
相当大きな開墾をや
つております。それがやはり水害を蒙
つております。これのごときも決して以前には水害の水の害のというような声はなか
つたのですけれども、開墾をや
つたために水害を受けておる。或いはそれにいたしましても從來は殆んど
災害の場所でなか
つた。昨年一昨年あの一関の
災害を見ましても、あの一関の磐井川の
下流の方の
住宅はむしろ戰爭中に建
つたものが多い。これもやはり以前には
災害の対象ではなか
つた。そういうふうに人爲的に
災害となる箇所が多いために、
災害の費用も殖え
災害の声が多くな
つた。これもありますが、又一面におきましては例の戰爭によ
つて森林を濫伐した、或いは戰爭中
河川改修その他治水等に対しても余り考慮を拂わなか
つた。これが水害の原因であるといわれております。殊にこの水害の原因として、この治山と申しますか、水害の最大の原因、例えばこの三日の読賣
新聞を見ましても、その社説に水害の最大の原因は戰爭中の緊急伐採のために降雨が土砂を伴い川底が隆起したためであるというようなことが書いてあります。つまり戰爭中の森林の濫伐が大きな原因と言われております。これは併し私多少の疑問を持
つております。成るほど戰爭によ
つて森林が濫伐されて、それがために水を支える力がない、從
つて雨が降れば一時に水が來ますから、
降水量も殖えて
一つの原因にはなります。併し本当に大きな水になりますと、又大
洪水を來すような豪雨になりますと、森林が雨水を支える力は案外少いのであります。これは方々で聞いておることであります。でありますから世間
一般に言われておるように森林が非常に濫伐されて來た、そうして水を與える力が非常に減
つた、これは余り過大視されていわせんか、こういう観念が私にはあります。それから戰爭中に
河川を余り顧みなか
つた、これは確かにその点もありました。では戰爭前には一体水害はどうだ
つたか。やはり
大臣の御
承知の
通り随分水害がありました。明治四十二、三年の大水害は申すに及ばず、昭和になりましても例えば
大臣の御郷里のあの昭和九年の石川縣の手取川の水害、これは石川縣としては今まで恐らくなか
つた大水害であります。これも戰爭前に起
つた水害であります。又昭和十年の京都の加茂川の水害もやはり戰爭前に起
つた水害であります。京都の加茂川にしても立派な
河川工事ができておりました。又石川の手取川といたしましても
下流の方には
大臣御
承知の
通り相当堤防ができておりました。こういう例を見ますと成る程
河川改修の少いことは認めますが、
河川改修が非常に不備なために
災害が又段々起
つて來た。これはこればかりとも言うことはできない。それから考えてみますと、我々は今まで長年
政府の取
つて來た治水政策に何か
欠陷があ
つたのじやないか、こういうところに勢い事実を以て昨今示しているのです。どうしても事実が私に示すようなものです。では何がこういうふうな
災害の原因にな
つたか、これもすでに
大臣は御
承知と思いますが、今日
新聞紙上で随分朝日、毎日、読賣、いろいろと
新聞紙上におきましてこの治水のことを書いております。その論説を見ますと、十が十まで皆治山、治水、こう言
つて、治山はいわゆる森林を造れ、伐採した跡に一日も早く植林をせよ、それから治水は一日も早く
河川工事をせよ、こういうふうに説いております。これは今日世間の
一般治水に対する常識のように考えられます。ところがこういうふうなことは治水観念において非常に間違
つてはせんか。つまりこれは砂防、土砂に対する根本観念が
一般國民が欠けておりやせんか、例の常願寺川の水害を見ましても、明治十二年にデレーケが來ましてあの
下流には二百五十万円の金をかけて全部流路を変えまして立派な
河川改修ができた。これは
委員長も御
承知の
通りに今日では川底が
両方の耕地よりも数メートルも高くなりまして又新らしく
河川改修を今日や
つております。こういう例が日本到る所にあります。私の手許に一昨日参りました渡良瀬川水害緊急
対策の陳情書を見ましても、今日の
災害の原因を思うに、
堤防の決壊のうち最も
被害を與えたる錦桜橋両岸は川巾特に狭隘にして、所要巾員の半分百五十メートルに過ぎず、且つ流心の水当り箇所に
相当するのと、川底が
上流よりの流出土砂のため浅くなり、川石の減少せる結果、こういうことを
はつきりやつと
國民が分るようにな
つているのです。つまり我々が今も
つてかく非常に尊敬しています初代の技官の荻野博士は何とおつしや
つたか。我々に教えるのに、一体治水の道は
一つだ、川が眞中を通るように掘ればいい、自然の力で掘ればいい、自然の力で掘れなければ掘るのだ、つまり川が低くなる、川さえ低くなればそれほど水害が起らない。これは私は古今に戻らない本当に治水の明らかな言葉だと思います。こういう方針で行くならば
堤防も必要でしよう。仮に川底が段し低くなりまして、現在の耕地よりも低くなる、そういうことであるならば、或いは
堤防を或る
程度までするならば、それ以上にしなくても
洪水の氾濫はない。こういうことを認め得ることは当然と思います。要するのに土砂を如何に防ぐか、今
河川改修は必要でありますが、
河川改修をしましても川底が段々上れば又
河川改修をする。又
堤防を増築する、こういうことになります。でありますから、今までの
河川改修はいわゆる治水でありますが、治水の
一つの目的として世間
一般にいう治山、それから治水、言い換えれば
上流の植林と
下流の
河川改修、これに最も重要な砂防工事、この点が欠けているのではないか。こういうことをつくづく私は事実を以て認めざるを得ないのであります。こういう
関係でありますからして、若しも私が事実に照らしましてこの考えが
大臣におかれましても違いないものだというふうなお考えがありますならば、この際治水政策に根本的の考えをして頂きたい、こういう考えを持
つております。但し私はここに砂防さえすれば
河川改修をやらなくてもいい、そういうことは申しません。だがどこが欠けているか。
河川改修は必要です。又植林も必要です。又この
新聞にもあるように、植林は川床が降起したためにこれを防止するために治山、即ち植林は最も有効な手段であるがこれは早急の間に合わない、こういうふうに書いております。こういうふうに今日の読賣といわず毎日といわず朝日といわず他の
新聞社もいわゆる從來の治山、治水、こういうふうな考を持
つて、そこにもう
一つ先程からくれぐれも申す砂防工事の重要性が欠けているように私は思わざるを得ない。これは
大臣に特に私はお願いするのであります。仮に今私の申しましたことは事実に照して正しいとお考えなさるならば、來年の
予算時期もすでに迫
つておりますが、この点を特にお考え願いたい。そうして今根本治水政策をお立てにならない以上は、何年た
つても日本はいわゆる
災害に対して救われることはない、これは我々の子孫に対しても誠に相済まん、この際に根本政策をお立て願いたい。例をも
つて申しますならば、或いは昭和十年にあの六甲山の傍の仁川が非常に水害を蒙りまして、そのときに私はあの六甲川全体を
調査しました。そうして二十五
河川に対して百七十六万五千円の
予算を計上した。ところがその当時大藏省はこれを認めないで二十三万円だけ認めた。それで止むを得ず二十三万円で仁川に主に砂防工事をや
つたのです。ところがあの十三年の関西の大水害に対してこの仁川は殆んど
被害がなか
つた。然るに他の
河川は御
承知のようにああいう酸鼻な大水害を起した。これも
河川によ
つて違いますが、例えて申しますならば、先程申しました神奈川縣の鶴見川、これは水源から見て何も砂防工事をやる必要はありません、併し日本の
河川は鶴見川は別としてやはり水源が非常に空いている
河川が非常に多いということは事実でありますからして、この際根本計画をお考えあ
つて、この
予算に対しても本当に將來再び水害を起さない、そういうふうな
予算上の観点に立つことができないか。私の考を申しまして
大臣のお考えを一應承わりたい、こう思います。