○土橋
委員 私は
日本共産党を代表いたしまして、ただいま
議題にな
つております
労働組合法原案並びに
労働関係調整法の一部
改正に関する
原案及びこの二つの法案の
修正案について、
反対の
意見を表明するものであります。
そのおもなる
理由といたしましては、現在資本主義國家におきましては、独占金融資本が、もはや
民主主義の仮面をかなぐり捨てまして、そうして國家の権力と、さらに官憲の力をもちまして、
労働運動を
彈圧する趨勢にただいまあるのであります。その顕著な事例といたしまして、昨年七月三十一日に発せられましたボ政令二〇一号及び國家
公務員法の
改正法律案であつたのであります。かようなものが、現在官公廰
労働組合二百五十万の同志
諸君に対して、どういう結果を與えておるかということは、
労働階級並びに全國の一般勤労人民大衆が、よくその内容を承知いたしておるのであります。さらに鉄道あるいは專賣公社におけるところの
労働階級には、
公共企業体の
労働関係法規が制定せられまして、これまた
團体交渉、あるいは罷業権その他の
事項につきまして多大な制限を受ける傾向に來ておるのであります。かくいたしまして、民間一般
労働階級に対しましては、ただいま
政府が上程いたしておりますような、改惡の
法律案を出さんとしておるのであります。
以上の三つの動向をながめて参りますと、これが全
日本の勤労階級に及ぼす影響は、まつたく甚大であると同時に、これが独占金融資本及びこれに寄生するところの保守反動的な政党の
諸君の政治権力をますます強大化する内容を持
つておるのであります。かような方向につきましては――
日本共産党は全面的にさような勢力の増大することについて、
反対の考えを持
つておるのみならず、これを撃滅しなければならぬ、かような考え方を粉碎しなければならぬ、こういう精神を持
つておるのであります。特に第二次吉田
内閣及びただいまの第三次吉田
内閣におきましては、御承知のごとく企業の合理化を中心といたしまして、全國の中小企業、さらに民族資本を含めまして、これを崩壞と、さらにこれを淘汰する傾向に参
つておるのであります。さらにまた一般官廰におきましては、行政整理を断行することによりまして――ただいま定員法が
國会に上程いたされておりますが、かような
方法において、徹底的に勤労階級の犠牲と負担の上に、
資本家擁護の政策が強行せられつつあるのであります。これは明らかに
経済九
原則に便乗いたしまして、働く勤労階級の犠牲と負担と、さらに血と涙と汗によ
つて、一部の
諸君の暖衣飽食と、彼らの資本形態擁護のために考えられるところの政策であるのであります。かてて加えまして、今日の一般会計予算におきましては、七千四十六億余万円というような未曽有の厖大なる予算を編成いたしまして、その結果、この内容は全部勤労階級の負担によるところの一大收奪を行
つておるのであります。從
つて甲種勤労所得税におきましても、あるいは事業所得におきましても、ほとんど二倍ないしは七割強というような状態におきまして、これが強化せられることによ
つて、証明ができるのであります。かような状態で――特に地方配付税の問題が通過いたしましてから、地方財政の困憊と、その窮乏はまた言語に絶する状態にあるのであります。かような状態は、まさに揆を一にして、
民主自由党が持てるところの本質的な政策の一環が、ここに現われておるのであります。にもかかわらず
政府当局、あるいは
労働省の説明によりますと、これは民主的にしてかつ自由な
労働組合運動の促進のためである。あるいは過去三箇年の
労働組合の
経驗に徴し、さらに時勢の推移にかんがみて、かような状態に到達をしたのである。かような弁明を用いておるのでありますが、これは全部
労働組合運動におけるところの民主的な方向の育成、助成とは反し、あるいは自主的な方向におけるという美名的なものでありまして、その中に隱れておるものは、まさに勤労階級を失業せしめ、勤労階級の首を切り、さらに低
賃金を強要し、あまつさえ苛酷な
労働を強要して來る、こいいう本質を持
つておる、ただいまの
修正、あるいは
原案でありますので、わが党としては、全面的にこの
法律の内容には
反対の
意見を表明するのであります。
さらにわれわれに、
日本の
労働運動なり、あらゆる政治、
経済、かようなものの動向を考えて参りますると、これはポツダム宣言の
規定の第六項以下に明記をしておるのでございます。特に
労働組合運動に関しましては、第十項の後段の
規定が明確にこれを
規定しておるのであります。さらに一九四六年の十二月六日の極東
委員会におきまする
日本労働運動に対するところの指導的な
原則、いわゆる十六
原則に違反するものすベての條項がまたかような傾向にあるのであります。かてて加えて一九四八年の第三十一回
労働会議、すなわちI・L・Oの
会議におきましても、かようなことを發禁する方向に現在参
つておるのであります。さような内容に逆行いたしまして、この法案が行われておるというところに、
民主自由党を中心とする吉田
内閣の反人民的な、反勤労階級的な政策が、まず露骨に現われておるのであります。なおこればかりではございません。現在の
憲法が明らかに
規定をいたしておりますところの、
憲法の前文の
前項の
規定におきましてもまた前文の後段の
規定を見ましても、あるいは
憲法の第三章の第十
一條以下第四十條までに至る、すべての精神から考えましても、これが違反をしておるのであります。かような
憲法の破壞を行うものが
民主自由党の政策であり、第三次吉田
内閣の政策である。かようにわれわれは断じておるのであります。特に
憲法第二十
八條の
規定を見まするならば、明瞭に勤労階級はその
團結権、
團体交渉権、さらに
團体的諸行行動の
権利が
保障され、しかもこれは奪うことのできない永久の
権利であることを明記しておるのであります。從
つてかような法案を権威ある本
國会へ上程して來ること自身が、もはや
憲法違反であり、かつ
憲法の破壞者である。こういうのが現在の
民主自由党の本質である。かようにわれわれは断ぜざるを得ないのであります。
國会は現在御承知のように、
民主自由党を絶対多数といたしております。從
つて一部
資本家の代弁的な政党というものが、
國会の名において独裁的な政治を敢行し、勤労階級を、ただいま申し上げたような疲弊窮乏のどん底へ陷れているのであります。一部
資本家階級を中心とする、
民主自由党の
諸君を含むところの反動的な勢力の独裁政治が、ただいま如実に行われておるのであります。かようなことはわれわれ断じて許すことはできないのであります。なおその結果が非常におそろしいのであります。これは
青野君も指摘せられておりますように、まさに全世界における歴史的な過程を考えてみましても、また現在の現状をながめましても、かような法案を上程することが、いかに反動的であり、反人民的であり、反勤労階級的であるということは、きわめて顕著な事例にな
つておるのであります。從
つてかような傾向を助長することは、とうてい平和と自由と独立を愛好する
日本共産党の名誉とその権威にかけまして、われわれは絶対贊成することができないのであります。以下私は各項目にわたりまして、その反動性を明確に指摘いたしまして、かような法文の中に含んでおるところの意図を、明確にしておきたいと思うのであります。
まず総則でありますが、これはどの
法律におきましても総則は置かれますので、異論はないのでありますが、第
一條の
規定は、明らかに
労働組合法というものがどういうものであるかということを書いておる、宣言
規定でなければならぬと思うのであります。從いまして、
憲法第二十
八條が明記いたしておりまするところの内容を、遺憾なく具現することが必要であるのでありますが、遺憾ながらこの法案の内容を見て、どういうことを書いておるかと申し上げるならば、この法案が示しておりますように、
労働者の地位を
向上さすということの基本的な
方法といたしまして、
労働者が
使用者との
交渉において、対等の
立場に立つことを促進することにな
つておる。さようなものだけでは
労働者の地位の
向上ではないのであります。あくまでも
労働者の地位は、官憲なり、反動
政府なり、あるいは反動政党なり、
資本家なり、かようなものが加えて來るであろうところに対して、社会的な、
経済的な、政治的な、文化的な地位を高めるということが、基本でなければならぬと思うのであります。從いまして、そういう一
方法的な、技術的な
方法を
規定して、これが
労働者の地位の
向上であるというようなことを書いておるところに、この地位の
向上に対して重大なる誤謬と、誤つた精神を持
つておることが、まず看取できるのであります。また第二の
團結することを擁護するという内容を見ましても、われわれは
團結権の擁護とは言えば、官憲の圧迫、
資本家の分裂政策、あるいは懐柔政策、あるいは反動
政府がつくり上げるいかなる
法律においても、
労働組合の
團結だけは
保障しなければならぬ。こういう建前を考えておるのでありまするが、遺憾ながら本條の
規定を見ますると、
労働者がその
労働條件について
交渉をするためにみずから
代表者を選出すること、その他
團体行動を行うために自主的に
労働組合を組織する。そういう内容が
團結権擁護の内容であります。これをながめて見ましても、いかにこれが
團結を擁護する一場面におけるところの、技術的な一つの
方法であるかということは、きわめて明々白々であるのであります。また
團体交渉をする
権利を
保障しておるという條項をながめて参りましても、單に
使用者と
労働者との
関係を規制する
労働協約締結のための、
團体交渉の
保障であります。さようなものは御承知おきのように、
労働運動をおやりに
なつた
労働者の代表、あるいは
資本家側の代表の方も多々おられるのでありますが、
團体交渉は
労働者棚が
資本家側との血の出るような闘いのうちに
労働條件を獲得するものであります。從
つてその
方法につきましてはあらゆる
方法があるのであります。ただ
労働協約はその結果、結論として、かもし出されるところの一つの約束にすぎないのであります。かような、ただ約束をつくり上げるために
團体交渉をするというようなことが、いかに
労働協約、あるいは
團体交渉権の内容を歪曲し、間を狹めておるかということは、明白であります。この内容を指摘いたしましても、第
一條第一項の
規定がいかに誤
つておるかということを証明し、なおかつ
憲法第二十
八條の基本的な態度を歪曲し、これを狹めて、勤労階級の手も足も出ないようにしておるということは明々白々である。從
つて第二項におきましては、かような内容を受け、刑法第三十
五條の免責行為が許されておるのでありまするが、その免責行為の
範囲も、またぐつと狹ま
つて來る。こういう結果を招來しておるのであります。ところがふしぎなことには、さように
労働組合関係のあらゆる
権利、行動につきましては制限をしながら、暴力の行使については手放しで――暴力ということは刑法のいかなる條項においてもないのであります。從
つてこれは暴行であるかと言
つても、
政府当局は説明ができない。ただ不正なる実力の行使であります。こういうような説明をいたしておりますが、かような漠然たる内容をも
つて、刑法第三十
五條の免責
規定を根本的にくつがえしておる。こういう事実が明らかに看取せられると同時に、これによ
つて地方官憲
諸君が、いかに
労働運動を
彈圧するか。それは組織をつくる面においても、
團体交渉をする面においても、さらに
團体行動権を行う面においても、あるいは
爭議権を行う場合、さらにストライキ権を行う場合に、この暴力行為の行使ということによ
つて、いかに官憲の力でこれが阻止せられるかということは、明々白々なる事実であります。また第
二條をながめて見ましても、御承知のごとく第
二條の
規定は、
使用者の
範囲を、いわゆる
労働組合において多大に獲得することによ
つて、
労働組合の力を弱める内容を持
つておるのであります。これが第一項の
規定でありまするが、第二項の
規定におきましても、現在逆の現象があります。
資本家側の
諸君から、
労働組合の專從者が俸給をちようだいしておる方が、実は強いのでありまして、むしろ
組合の自主的にまかな
つておるような
労働組合は、とかくすると、いわゆる民同とかいわれ、あるいは
民主化同盟とかいわれる
諸君がおもに牛耳
つておるところの、
労資協調の御用
組合的傾向を多々持
つておるのであります。從
つて本末顛倒しておる
條文をつくり上げておる。こういうことも御了解願えると思うのであります。総則の
規定は一應私はこれをも
つて終ります。
第二章の
労働組合の基本的な内容でありまするが、
労働組合の組織を
規定しておる條項の第
五條であります。この第
五條の
規定をながめてみますと、
労働委員会に証拠を
提出して、第
二條、及び第二項の
規定に適合することを立証しなければ、この
法律、及び
労働関係調整法に
規定する手続に参與する資格を有せず。またこれらの
法律に
規定する救済を與えられない。かような制限的條項を設けておるのであります。從いまして
憲法第二十
八條に基くところの、
労働組合法によらざる
労働組合が、ほうはいとしてアウト・サイダーとして出て來るのであります。そういうものについて、どういう
処置を考えておるか。こういうものを
彈圧する
労働組合法の
規定によ
つてつくられる
労働組合は、御用
組合か、さもなければ、骨のないところの、いわゆるへなへな
労働組合以上に出ないのであります。從
つて日本の
労働運動が、いかに伯爵な
労働組合になるかということは、この
規定からまず考えられるのであります。また第二項の第四号の
規定は、これは各同僚
委員からも指摘されておりまする通りに、少くとも
憲法第十四條の
規定が明記しておりますることは、
日本國民はそれが人種的な差別、性別的なもの、あるいは
信條的なものが何であろうと、あるいはそのものが門地なり、
身分をいかに持
つてお
つても、
経済的な
関係、あるいは政治的な
関係、あるいは社会的な
関係においては、國家自身は平等にこれを取扱うことを
規定しておるのであります。從
つていかなる
法律の前におきましても、各人はその
信條のいかんを問わず、思想のいかんにかかわらず、これが平等な
原則を受けるのであります。これは現在の法治國におけるところの不変の
原則であるのであります。かようなものを特に
信條だけ拔きまして――
政府の説明によりますと、これは
組合の自治にまかしておけばよろしい、こういう御説明でありまするが、これがいかに反動的であるかということは、明瞭であります。國家は当然さような内容についても、
信條のいかんにかかわらず、
労働権は
保障しなければならぬ。もしかような点がありますると――
労働権は御承知のごとく生命権、生存権、自由権を包括したところの人格権の現われであります。從
つてこれはシヤツトアウトを食いまして、
労働組合の組織にも入れない。また職業安定法の場合にも、これは意識的に職業紹介ができないというようなことになりますと、ゆうしい問題であります。もうすでにこの第
五條第二項第四号によ
つて労働省の
信條ということについては、抹殺する傾向があるのであります。御承知のように、ただいま
労働運動の中心的な問題に、その
労働省階級の
諸君が、いかなる
信條を持
つておるかということが、
爭議の中心的な
解釈をする内容にも相な
つておるのであります。これを國家の
法律で、一方的に内容を決定するような
事項を強要しておいて、逆にこれは
労働組合の
自主性にまかせるというようなことが、いかに矛盾をしておるかは、また明瞭なる事実であります。
また第
七條の
不当労働行為の内容をながめましても、
不当労働行為の第二項におきましては、
使用者が雇用する
労働者の
代表者と
團体交渉をすることを、正当な
理由がなくて拒むことができない。正当なる
理由とはどういうものであるか。この場合にも非常に問題があるのであります。普通これを一般観念によ
つて律する、かような
政府委員の説明でありますが、事
労働立法に関する限りにおいては、この
團体交渉の面においても、その当時の状況においと、正当性ありやいなやが判定されなければならぬのであります。しかしただ普通の社会通念をも
つて律するがごときことは、明らかに誤りであろうかと考えておるのであります。
また越えまして、第十二重におきましても、これは御承知のように、私はかながね指摘しているのでありまするが、命じ二十九年にできました現行民法の
権利能力、行為能力、あるいは非訟事件手続に関する
規定をしていることは、いかに
労働省自身が、
労働立法に関する
團体権の研究をしていないかということが、証明されるのであります。
また越えまして
労働協約の面でありますが、たとえば
労働協約第十
五條の
規定をながめてみますと、これは自動延長の
規定であります。この自動延長は、
政府の
原案によりますると、一方の表示した
意思に反して、なお有効に存続することができない。かように書いてあるのであります。およそ
労働協約において、十分な
利益と保護を受けるものは、
労働者階級であるのであります。おそらく
資本家側の
諸君にとりましては、
労働協約というものは、ありがたい仕合せなものではないのであります。
労働階級にと
つてこそ、ありがたいものでありますが、これが自動延長が許されないで、一方が不満な
意思を表示したときは、すでに無協約状態を招來するがごときことを國家が容認して、しかも
爭議行為を誘発するような挑発行為を、國家の法文において行
つておるのであります。なおかつ、また
労働者の
権利と
生活を擁護していない事実が、現在東芝においても、あるいは、
日本セメントにおいても、その他全國のおよそ三万有余の
組合の中では、八〇%以上もこの問題が、ただいま
賃金の遅配、未拂いという問題と相関連をして、起
つておるのであります。かような事実を引起したその張本人は、やはり
労働省の次官通牒であつたのであります。この次官通牒が昨年の十二月二十二日、及び今年の二月二日に発せられまして、
労働協約、
組合規約について資格
審査、あるいは指導要領というものを出しておりまするが、そういう点から、かような点をつくり上げておるのであります。
かようにいたしまして、その実績をかせぎながら、現在の
労働組合法を上程したその過程が、まつたくも
つて官憲の一方的な――しかも
労働省は
從來労働組合員、あるいは
労働組合の窓口であり、サービス省である、かように一昨年米績
労働大臣が就任の当時に叫んだのでありますが、今や
労働省は、保守反動的な政党のために、
労働者彈圧の官廰となり下り、しかも彼らの御用機関となり、
爭議取締り官廰と化してしまつたのであります。從
つておよそいかなる
労働階級も、もはや
労働省を信頼しないでありましよう。また現在の
政府も、かような法案を上程することによ
つて、どういう結果が出て來るかということは、おそらく向う一箇月たたなくても、明瞭にわかると思うのであります。
越えまして、
労働委員会の第十九條の内容であります。この
規定の中には、第四項にいたしましても、たとえば読み上げて参りますると、
労働委員会に関する
事項は、この
法律に定めるもののほか、政令で足りるのであります。その政令をつくるものは
労働省であるのであります。從
つて労働委員会が、少くとも文明國家においては、國家の行政組織内における官廰機構として、
調停、あつせん、あるいはその紛爭を解決するというようなことは、およそナンセンスであるのであります。これは國家び行政組織から完全にはずれまして、不独立の
立場において、
資本家側、あるいは経営代表といわれるもの、さらに
労働者代表といわれる三者の合同によ
つて、適切妥当な
方法で、
政府がいかように考えておりましようとも、またその
政府がいかような考え方において
運営しようとしても、
労働委員会が毅然とした態度をと
つて紛爭状態を解決する。これが正しいのであります。しかるにかかわらず、この
規定の第五項をながめて参りますと、所管は
労働大臣の所管に入るのであります。從
つて行政機構でありまするから、その
職員なり、あるいは予算等においては、明らかに
労働大臣の制約とその政策が織り込まれるのであります。また第六項におきましてもかような点があるのであります。特に
公益委員なるものは、われわれ少くとも今日までの
労働爭議を考えた場合に、自然に公益の代表というものはあり得ないのであります。
労働者の代表、
資本家側の代表が相ともに爭うその過程において、はたしていずれが裁定すべきであるか、こういつた結論が出るのであります。從
つて公益代表というようなものは、國民の中には今日はないのであるます。少くとも
日本共産党を中心とするこの政党こそ、國民の正しい公益を代表している。かようにわれわれはかたく信じているのであります。從
つてそれ以外の一党一派は、全國民的な基礎の上に立
つていないものであることを、この際に明らかに表明しておきたいと思うのであります。
次は第二十
一條の
規定でありまするが、この
規定をながめて参りますと、非
公開の
原則を考えておるのであります。およそ
政府の説明によりますると、司法的な性質を帶びる事件については
公開をする。しかしながら一般の問題については、
調停の過程において、その
調停がこわれるおそれも多分にあるのであるから、これを非
公開にする方がよろしい、かようなことを申されておつたのでありますが、今日までの
経驗に徴しましても、さようなことはないのであります。やはり
調停といわず、あるいは司法的性質を有する事件といわず、すべて
公開の
原則が、この
國会においてもとられておるのであります。また司法裁判所においてもそれは刑事であろうと、民事であろうと、
公開の
原則をと
つておるのであります。また人事院におきまして、官公吏の給與に関する審議をする場合においても、これが官廰のいかなる機密
事項でありましようとも、人事院総裁は
公開を要求してただいまや
つている。ただ
労働委員会のみが非
公開を
原則とする、かようなことについても社会通念に反するとともに、いかにこの
法律が、
民主自由党を中心とする全人民に対する
彈圧法規の内容を含んでいるかということを明らかに証明している事実であります。
その他各條項につきましても、いろいろなる説明を加えたいと思うのでありまするが、時間も迫りましたので、最後に
労調法について述べたいと思うのであります。
労働関係調整法の一部を
改正する
法律案の内容でありますが、第
八條を見ますればわかるように、
労働委員会の
決議によ
つて、
現行法はこれを行うことにな
つておるのであります。ところが
公益事業の追加
指定というような問題に関してでありますが、この問題を
國会において決定し、
内閣総理大臣がかように
指定をするということは、
民主自由党を中心とする現在の
政府の政策的
規定であります。從
つて公益事業に
指定するということは、
労働階級の生存権と
労働権をいかに
保障するかということが第一で、その携わ
つている事業が
公共事業性を持
つているか、あるいは國民の一般日常
生活にいかなる
関係があるかということは、第二次的な問題である。しかるに彼らは本末顛倒して、
公共事業性を主張すること、あるいは公共の福祉ということを第一義に置いて、基本的人格の生命権にも比する
労働権を圧殺する、それを多数を持てるところの
民主自由党の
内閣において決定せんとすることは、明らかに論理的矛盾であると同時に、これがいかに
彈圧規定であるかということを、明瞭に証明いたしておるのであります。また四十條の
規定をながめまししも、少くとも
労調法の四十條の
規定は、
労働者が
爭議行為をなしたために、
使用者側から
解雇されないことが明定せられておるのであります。これは現在の
労働組合改正原案の第
七條の
不当労働行為の筆頭に、明らかな
條文であるのであります。これはもう
労働関係における実体的な
條文であります。從いましてこの
労働関係調整法も、とかく反動性を帶びておりますので、われわれはもともと
反対をしておつたのでありますが、
政府の説明によれば、
不当労働行為の内容を拡充し、強化したから、これでこの
規定を削除してもよろしいということを聞いておるのであります。ところが、この
七條の
規定をふり返
つてながめてみますと、こういう
解釈は一つもない。第
七條にはこう書いておるのであります。
労働組合の正当な行為をしたことのゆえをも
つて、その
労働者を
解雇し、その他これに対して不
利益な取扱いをすることまたは
労働者が
労働組合に加入せず、もしくは
労働組合から脱退することを雇用
條件とするそういうことをすることは、不当なる
労働行為である、かように断定いたしておりますが、今読み上げた内容で、
爭議行為に
関係したから首切るという内容と、ここに書いてある正当な行為をしたことのゆえをも
つて、
解雇または不
利益な扱いを受けないという條項とは、本質的に違うのであります。この見方の相違、これにやはり独占金融資本を擁護して、
労働階級の犠牲と負担の上につくり上げられた
法律であることは、きわめて明白なのであります。
以上
簡單でありましたが、おもな
條文を指摘いたしまして、この
改正原案及び
修正案に対しまして、徹底的な
反対の
意見を表明しておくのであります。最後にかような
法律案をつくられんとする吉田
内閣及び鈴木
労働大臣の心中いかんと察するのでありますが、まさにかような
法律案を出すことによ
つて、わが國の
憲法を破壞し、全人民の
生活を苦しみのうちに陷れ、しかも独占金融資本の
諸君の
利益に奉仕する、かようなものの考え方は、今や全國民の租税の問題、あるいは教育費の問題、あるいはこの勞働法規の改惡の問題とともに、必ず
政府当局の
諸君に、この内容がいかなる形において展開せられて行くか、明瞭にわかるのであります。從
つてこういうものを阻止するために、今や警察が強化され、裁判機構が強化され、特高が増強せられる、こういう結果は、全人民が最も
反対をし、また國民の
生活を愚弄いたして、一部の階級の
利益のために、独裁政治をこの法文において行わんとする
民主自由党の本質を暴露したものでありますので、共産党は絶対的に
反対の
意思を表明して、わが党の方針を示した次第であります。