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土橋委員 私も昨日この問題では非常に討論をして、あなたの方に御
質問したのであります。
憲法第二十八條は團結権と團体交渉権、その他團体的
行動権に関する権利を保障する、こう書いてあるのであります。
ところがここに書いてある内容は、先ほど石野
委員も石田
委員も指摘しておりまするように、どういう内容かといいますと、その團体交渉権なら国体交渉権の内容を実現する、
一つの技術的な
方法の一場面を規定して、これが團体交渉権の内容であると、かようにな
つているように
考えます。たとえばそのいい例は、ここに書いてありますが、
地位の向上をするという内容の説明に、どういう
地位の向上をするかということにな
つて参ると、「労働者が使用者との交渉に、おいて対等の立場に立つことを促進することにより」ということが
地位の向上である。こういう説明にな
つておるのであります。
ところが
地位の向上には、やはり
労働階級の
経済的な
地位の向上、社会的
地位の向上、
政治的
地位の向上、さらに文化的な
地位の向上というものが、
考えられなければならないのであります。これが現行法の第一條の
精神である。
ところがこの内容を見ると、單に労働者が使用者との交渉において、対等の立場に立つことを促進するという説明である。從
つてわれわれ一般社会においては、
労働階級の
地位の向上というのは、
政治的にも目ざめて來るし、
経済的にもどんどん上
つて來る。文化的にも、また社会的
地位においても、
労働階級というものが上
つて來るという内容を、含んでいなければならないにかかわらず、これでは單に対等の立場に立つというだけが、
地位の向上にな
つて來ておるのであります。從
つて次の第二項で「前項に掲げる目的を達成するため」云々というように、
範囲が非常に縮小して來るわけであります。從
つてそういう縮小する解釈をと
つて、次の暴力行為の行使については、
世界の学説においても異論のあるような――現行の刑法では、暴力という言葉はどこの條項でも使
つていない。暴行という言葉は昨日の高橋さんのお話では、ほとんど暴力行為と同じだというようなことを言
つておる。そういう
労働階級にと
つてはめいわく千萬な、
考えてもいないような事項については、がんと大きく持
つて來る。そうして
地位の向上というような面については、非常に狭い幅でこれを規定しようとする。次の條項でもそうであります。團結権を擁護するという規定の説明に、「労働者がその労働條件について交渉するために自ら
代表者を選出する」これはあたりまえのことである。何もそんなことは團結権の保障の問題にならないのである。それは組合の自主的な問題であ
つて、第五條において論議せられるべきものである。
労働組合が自分の代表を出すのに、選出するというようなことで、どこが團結権を保障するゆえんであるか。それはむしろ解釈の問題である。次の條項も、團体
行動を行うために自主的に
労働組合を
組織する、そういうことが團結を保障するゆえんだという。それも
一つの
方法であるが、團結権を保障することには、最も反動的な
政府、政党官僚というものから、
労働組合の
組織をうんと守
つてやるということがなければならないのである。そうでありましよう。團結権を保障してやるということは、最も反動的な
政府とか、官憲とか、あるいは資本家とか分裂主義者というようなものから、その團結を徹底的に守
つてやるということがなければ、團結の保障にならないのである。にもかかわらず、この中に書いてあることは、自分の團体交渉する代表を選出することだとか、自主的な
労働組合をつくることだとか、そんなことは
労働組合の「いろは」であ
つて、團結権保障の
精神にならないのだ。そういうことのために、これが團結の保障である、團結権を保障してや
つておるというようなことは――少くなくとも第一條はこの
法規全般の宣言規定である。從
つて宣言規定に、かような小さいわくをきめてかかることは、いずこに、
労働階級の権利伸張のため、
労働階級の利益のため、この法文が
考えられておると言える
ところがあるか、そこが私にはわからない。いかにあなたが詭弁を弄しても、この
法律は第三章において、たとえば使用者と労働者との
関係を規則する労働協約を締結するための團体交渉をすること、及びその手続の助成である、これが團体交渉の中身であるというのであるが、團体交渉というものはそういうものではない。一方においてはストライキをやるぞという威力をわれわれが持
つて、資本家側がいかなる横暴をしても、ときにはストライキをやるぞという
ところに、われわれの労働条件を闘いとる
本質があり、それが
労働法規の内容に充満していなければならない。これが労働者の権利を擁護し、生活を向上せしめる基本的な
原則である。にもかかわらず、ここに書いてあることは、單に労働者との
関係を規約するのみである。労働協約というものは、労働者が團体交渉によ
つて徹底的に闘
つて、その成果、その結論が出て、一定期間において取結ばれて、文書とな
つて現われるものである。問題はストライキを行うことの威力によ
つて、資本家側の惡いたくらみ、労働條件を低く下げておるということに対して、闘うことを保障してやることが法の
精神である。これが
憲法第二十八條である。この点が閑却されておるから、次の條項へ行
つて、第二項に「前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」こういうような免責規定を設けてお
つても、この
範囲以外のことに対して、常に今後の暴力行使について、この項を適用して來るのである。この点をわれわれはあなた方に徹底的に言うのである。それでも間違いないというならば、確信をも
つて御
答弁を願いたいのである。これが
答弁できなか
つたならば、この
法律は明らかに民主自由党を中心とする
鈴木労政の反動のきわみの
法律であり、全人民に対する明らかな暴令である。かようなものは
憲法違反の
法律である。かように私は断ずるのであるが、もしそうでないというならば、はつきり表明してもらいたい。それでもなお労働者の基本的な権利を擁護しておると言われるなら、はつきり條文をも
つて説明してもらいたい。それをちやんと説明しなければ、この
法律は明らかに
労働階級に対する
ところの、行政整理とともに、
労働階級の不平不満、生活の困窮というものから、生ずる
憲法第二十八條に基く権利の行使をはばむ
ところの、最も惡辣なものである。しかも
日本語とも思われぬような、かようなわけのわからない法文で、民主自由党の
本質的な性格を現わしておるものであると思う。