○小林信一君 私は、新政治協議会を
代表いたしまして、ただいま上程されました四つの
法案に対し
反対の
意見を表明するものであります。
各省
設置法案に対しては、行政の簡素化によ
つて能率を増進し、あわせて財政の確立をはかるものであり、
從來の中央集権的、非民主的監督行政の色彩を一新することを目標に実施する等
國民の要望するところに沿うものが多多あるのでありますが、実際にあた
つてこれを検討するとき、はたしてその誠意に立脚し、忠実に企画されているかが不明でありまして、かえ
つて眞意が奈辺にあるか疑わざるを得ないのであります。もし
政府が良心を持つなら、これら
法案に盛られる
内容が完全に実施されねばなりませんが、そのためには、さきに
政府と與党によ
つて強引に決定された予算に修正がなされねばなりません。すなわち、予算を編成する
政府の精神と、
法案をつくる
政府の精神とは別個であることが指摘されるのでありまして、予算の決定を見た以上、空文として検討するにすぎないのであります。
さらに、重大なる失業対策が確立できないに至
つては、
政策の拙劣さを露呈したものと観ずるより以外にないのであります。さらに、やがて上程される
定員法と関連して考究するならば、不可分の
関係にあるべきものが、これまた別個の立場において企画されておるのであります。
機構改革によ
つて必然的に生ずる行政整理であると主張するものが天引の馘首であり、しかも
定員法に附随すべき退職金については、いまだに決定されておらない状態でありまして、一貫すべき
政策が支離滅裂の形でなされておるのであります。
しかも不可解なことには、上級官吏は整理されないように、巧みな
措置によりましてそのポストが用意され、下級官吏にその被害を集中しようと計画されておるのであります。
國民の
機構刷新に対し要望するものはその民主化であ
つて、その禍根である官僚独善の中枢を一掃するところにありまして、
國民の眞意を理解せず、行政整理の口約を
かく歪曲して單なる首切りに終ることは、兒戯にひとしい行政と断定せざるを得ないのであります。かかる政略的、不合理な
行政機構の
改革は、
國民に大いなる犠牲を招來させ、
再建の方途を混乱させる以外に何ものもないのであります。十何万の官業からの失業者に対しては失業対策が確立されず、これになら
つて実施される
地方公務員、一般企業からの失業者は、この実情からしては、即日妻子をかかえて路頭に迷う悲惨な光景がちまたに展開されることは必定でありまして、
政府の無謀と無責任に憤激するものであります。
さらに不合理な
行政機構は、あらゆる生産力を弱体化し、
事務を停滯させ、公共
事業の整備の段階を混乱させ、
國民の耐乏生活に対して苦難が加重されることは火を見るより明らかであります。かかる見地から根本的に四つの
法案に
反対するものでありますが、以下
簡單に各
法案に
反対の
理由を申し述べます。
まず
文部省設置法案に対しましては、吉田
内閣が本年度予算編成にあたり実質的に六・三制を放棄したところに、現
政府の文教
施策には重大なる欠陥が考えられるのであります。財政の確立あ
つて、しかる後文教
政策を樹立する、と吉田総理は申しておりますが、これは明らかに
文化國家の政治理念を忘却しているもので、
國民の了解できないところであります。
文化國家には常に経済的、思想的苦難がつきまとうのが当然であ
つて、この苦難の打開に対しては、
國民個々の素質を高め、
文化の高揚によ
つて打開するのが
文化國家の使命であります。その試練の蓄積が
文化國家の建設であることは論をまたないところであります。
道義の頽廃、思想の混乱の現下の社会
情勢は、いよいよ
教育施策の拡充を必要としております。今また
政府が掲げるところの経済安定の大方策も、生産部面において
教育政策が
要求されるのでありますが、これらはとも
かくとして、最もその基盤となるべき六・三制の実施を中止するに至
つては、文教
政策に対してでたらめというよりは、
文化國家の放棄であるといえるのであります。
敗戰後の生活困窮の中に、
國民はあらゆる犠牲を忍んで新学制を容認し、新制中学の校舎の建築を急いだのでありますが、この
國民の心情は、武器を持つことのできない運命のもとにおかれ、武器を持つ世界各國の中に伍して
文化國家の完成を期せねばならぬ次代の
國民を思うとき、一刻たりとも怠ることなく
教育の整備を期しようとするところの
國民的自覚、親としての心情からであります。これら
國民の熱望をふみにじり、
文化國家の理念を持たない現
政府は、校舎もあてがわず、教具も與えずして、さらに教師をあの子供たちから奪い去ろうとしているのであります。(
拍手)
設置法案の
内容からすれば、相当の教員増加が当然なされなければならないのに、全國五十万の教職員の約一割を整理すると本多
國務大臣は言明し、しかも
教育は十分できると暴言しております。
行政機構を整理して人員を減らすという
政府の言明は、この教員首切りによ
つて、その野望を
はつきり暴露しているのであります。すなわち、学校のどこに行政の
改革があるか。この教員の首切りによ
つて、
はつきりと
政府は首切りのために首切りをあえてしようとしておるのであります。
ここにおいて、
文化國家は吉田
内閣のために完全に崩壊されるのでありますが、さらに
大学設置法案、
教育職員免許
法案等、教員の
教育に対する熱情と意欲を冷却させるような
措置が次々に用意されておるのでありまして、
教育による民主主義確立は否定され、
國民感情は裏切られ、
教育当事者には希望を失わしめ、実に
文化國家行政を誤るもはなはだしいと断ぜざるを得ないのであります。かかる見地に立つところの、魂なき、空文にひとしいこの設置案に、どうしてわれわれ
國民が賛成できようか。(
拍手)
政府はすみやかに本
法案を撤回して、
政府が掲げるところの経済安定の
施策を実現するために、あらゆる
社会教育の
施設を完備し、その方途を確立し、また学校
教育に対して眞に
文化國家の
基礎をつくるべき
法案を用意すべきである。
次に
地方自治廳設置法案でありますが、
政府の意図するところは、國と
地方公共団体との
連絡をはかり、相互の
連絡協調にあた
つて國家公益と
地方公共団体の
自主性との間に調和を保つことを第一の目的とし、しかも各
自治体を擁護し、
自治の本旨を実現するにあると申しておりますが、その
機構運営について検討するとき、調和を保つことは実に一方的であ
つて、今回のごとく地方財政を破滅せしめるような
措置に
政府が出た場合、当然各地方廳はその責任を中央に追究しなければなりませんが、この抑圧の
機関として利用され、
政府の独裁が強化される危険性が多分にあるのであります。
自治廳の擁護も、
地方自治の本旨も、その民主的発展によるのでなく、
政府のファッショ的統制によ
つて維持しようとするところが多分にあり、われわれはこの危險を憂慮して
反対するものであります。
経済安定本部設置法案におきましては、検察的
機構の強化が考慮され、自由経済をスローガンとする現
内閣の性格に逆行した統制強行の
意思が表明され、
関係各
行政機関の総合調整あるいは
基本的施策の
企画立案の本來の性格を弱体化し、首切り
措置にすぎない点が、われわれ新政治協議会の
反対の
理由であります。
第二の
外務省設置法案に対しましては……。