○眞野
公述人 法務
委員会において、
司法試驗の問題についてわれわれに
意見を述べる機会を與えてくださ
つたことについて、感謝の意を表します。それから法務
委員会がこういう問題について熱心に姜実を探求しようとする御熱意に対しても、非常に敬意を表したいと思うのであります。私の考えを申しますると、この問題はいまごろここで論ぜられるということは、むしろ非常に時代鎖誤的な感覚がいたすのであります。と申しまするのは、新
憲法がしかれる前にあたりまして、いろいろ
裁判所、
司法省の
方面において、新法施行に対する準備をいたし、いろいろ
委員会を設け、この席においでになる
我妻公述人、
委員であられる鍛冶良作君、また私もこの
委員の一人でありましたが、
司法省初ま
つて以來の一大
委員会というものが設けられた。それは名称は
司法法制
審議会という名前でありましたが、その
委員の数が八十三名、幹事が七十一人という大がかりな舞台の
委員会でありました。ちようどこの
委員会において取上げられました問題は、
司法研修所、すなわち
裁判官の卵、
弁護士の卵、
檢察官の卵を養成する
機関をどこに置くかということが、
一つの大きな問題として、非常な議論の
中心とな
つたのであります。その際には
裁判所側の大多数の意向は、
司法省を廃止しろという
意味が圧倒的に強か
つたのであります。それは
從來司法省と
裁判所というものがやや対立的の関係にあ
つて、
司法省のために
裁判所が毒せられていた数々の事件を
中心とし、そうして
司法省は新
憲法下においては廃止すべしとの議論がなかなか盛んであ
つたのであります。そして在野法曹たる
弁護士会の
方面におきましても、この
司法省廃止論の方が、むしろ一時は大勢を制したかに見えた時代があ
つたのであります。むろん
弁護士会においては、全部
司法省廃止論ばかりではありませんでしたが、とにかく
司法省廃止論者が圧倒的な情勢を呈した一時期があ
つたのであります。私はその当時
弁護士会長をいたしておりましたが、私の考えはややこれと違いまして、新しい
憲法のもとにおける新しい
司法の姿をいかなる形に持
つて行くかということは、私もずいぶん
外國の書物、その他自分の経驗、
日本の書物、あらゆるものを調べまして、
結論を得ることをずいぶん探究いたしましたが、その結果私の得ました
結論というものは、こういうことに帰着したのであります。
司法省は廃止すべからず、
司法省は
司法省という名前ではいかぬが——そのとき私が適当な名称として選んだのが法務省というのであります。
司法省ではなく法務省という名称のお
役所にな
つて存続をする。そうして
司法権の独立によ
つて裁判所は
司法省から離れるが、その他の
法律に関する
事務一切はこの法務省が
管轄することによ
つて、法務省は
從來よりも一層強化された力強いものになるべきであるということを一方においては主張し、そうして一方におきましては、
弁護士会も
從來司法省の監督のもとに運営された來たのでありまするが、
弁護士会もよろしく自治を得て、独立をして
弁護士としてのほんとうの職責を盡すようにならなければならぬ。この強力に
なつた
弁護士会、この強力に
なつた法務省、この
二つのものが基盤となり、この
二つのものがいわゆる富士の裾野のごとく大きな基盤を確立して、その上に
最高裁判所というものを打立てる。これが
日本の新しい
司法の姿としては最も望ましい姿であるということを、私はここにもちようど持
つて参りましたが、昭和二十二年一月一日発行の法曹新聞というのに私は
意見を発表しておきましたが、それがちようど
法務廳ができまするより約一箇年前のことであります。そういう構想を描いて、今日までもその信念のもとに私は行動をいたしておるのであります。ちようど法務省ではなく、
法務廳という名前になりまて、廳と省とは少々違
つたわけでありますが、大体その点は私の
意見がいれられたということを非常に愉快に思います。その一方、大事なこの
法務廳と
弁護士会と
最高裁判所が基盤にな
つて、りつぱな
司法の姿を打立てなければならぬということは、大体において希望は達したのでありまするが、この問題のごときがまだいくらか残
つておるということについては、非常に遺憾に思
つておる次第であります。
そこで
先ほど申しました
司法省制
審議会というものは、そういう百五十人以上の大がかりの
委員会でありましたが、その
委員会におきまする総会を数回重ね、小
委員会を重ね、そうして結局この問題は、私の記憶によりますれば、九月十一日に
最高裁判所において
司法研修所を経営するということに多数決によ
つて決定せられたのであります。それによりますと、
裁判所法におきましても、
司法研修所は
最高裁判所に属するということになりまして、いわゆる
弁護士、
檢察官、
裁判官、この法曹の三位一体をなすべきものは、全部
司法研修所において養成をすることが、
裁判所法に
はつきりきめられたのであります。そのきめたのは九月十一日のこの大がかりな
委員会において、民主的に多数決をも
つてきめられたことが実行されたのであります。そういうわけでありまして、この問題のごときは、実は実質的には昭和二十一年九月十一日に決定した問題だと腹の中では思
つておりましたが、わずかにここにその
司法研修所の
修習生となる卵をどう選ぶかということに関する
試驗が最も問題になり、
法務廳がやるか、あるいはまた
最高裁判所でやるかということが問題にな
つておるのであります。一体こういうふうに研修所を
最高裁判所でやるということに
なつた以上は、その卵をどう選んで、どの卵を孵化するかということは、やはり
最高裁判所でやるというのが、これは理論上から
言つても当然なことであろうと思うのであります。いわゆる生産事業の
方面から申しますると、一貫作業をやることが生産事業を営む上において最もいいということは、これは皆さん御
承知の通りでありまして、くどくどここでいうまでもなく、科学的に立証をされているのであります。ちようどこの
司法研修所をやるというこの一貫作業が第一歩で、この
試驗をどうするか、どこで
管轄してや
つて行くかということがその第一歩である。つまり將來の
日本の新しい
司法をにな
つて行く人物を養成するという一種の
文化的生産事業に当る一貫作業の
りくつから申しましても、当然
最高裁判所でやるのがいいということは、ほとんど論をまたぬのではないかと思うのであります。それからまたいろいろ理論的にも実際的にも考えてみまして、さて
法務廳でやるということにかりになるとしたらばどうか。
法務廳では結局
法務総裁というものが一番上に立
つて、あとは幕僚がおられるわけですが、
法務総裁という人は、過去になられた方はまだ二人しかありませんが、そういう人人を考えても、あるいは
司法の
事務に多少は通曉した人もありましようし、あるいはまた
司法の事柄にはずぶのしろうとであるという
法務総裁が出て來ることもある。そういうかりにずぶの
法務総裁、あるいはまた
司法の
事務にはあまり通曉しない
法務総裁が出て來た場合には、こういう
試驗はだれがやるか、それは理論の上では
法務廳がやると視野が廣いと言いますで、どうして視野が廣いのか。
法務総裁ならば多少
政治的には視野が廣いが、ずぶのしろうとがやられますと、結局実際は下僚まかせということになる。下僚が非常に視野が廣いとは私ども考えることはできません。それでありますから、やはり下僚まかせにやらるるということになれば、むしろ視野が非常に狹い見地からこの
試驗が行われるということになるのではないか。これがずぶの
法務総裁でなくとも、多少
司法のことに通曉する人であ
つても、なおその危險があるのではないかと思うのであります。なぜかなれば、
法務総裁というものは非常に
政治的に各
方面において忙しい、その忙しい人がこういうことに没頭はできない。これに十分の智能を傾けるということは不可能でないかと私は思います。これに反しまして、
最高裁判所の方におきましては、われわれのように、やせても枯れてもとにかく十五人の、
司法ということだけをやはり專門にや
つて、
司法のことには、
日本におきましては比較的よく通曉しておる十五人の役者がそろ
つております。その上にその下僚たる
事務局にも相当の
人材がそろ
つておる。いずれもみな
司法ということについてはよく骨のずいまで知
つておるようなスタツフがそろ
つておるのであります。そうしてこの
最高裁判所の
裁判官とこの
事務局とが相一体とな
つて、よく融合して
司法に関する事柄をや
つて行くわけであります。むろん
司法研修所の
方面においても、相当
司法修習生を養成する上についての、いろいろりつぱな
意見を持
つておる人がそろ
つておるのでありますから、そういう
方面から申しますと、これはどうしても実際上は
最高裁判所であるのがいいという
結論です。決して手前みそではありません。私は在野法曹の時代からそういうことを主張して、ここにちやんとその当時発行されたものがありますから、私が今
裁判官であるがゆえにこういうことを申し上げるのでは決してないということを、深く御了承願いたい。それは実際論でありますが、
先ほどから
公述人の御
意見を聞きますると、多少強い
意見、あるいは弱い
意味において、養成は
行政であるからこそ
法務廳がやるのである、
裁判所は
司法のことだけやればいい、こういうお話でありますが、ここで言う
裁判官の卵、
檢察官の卵、
弁護士の卵を養成するというこの
司法研修所を運営することは、これは純然たる
行政ではないのであります。純然たる
行政ではなく、やはり裁判の一貫作業の一部をなすものでありまして、
行政という名前を使うならば、これは
司法行政に属するのであります。ここで皆様の前にこういうことを申し上げることはいかがかと思いまするが、私の常々考えておるところでありまして、ときたま間違
つた意見を抱く人があるのでありますから、申し上げたいと思いまするが、三権分立ということであります。
司法と
行政と立法とをばらばらに三つにわけるという
意味ではないのでありまして、
司法なら
司法、立法なら立法、
行政と、こうわけるけれども、やはり立法のうちにも、
國会なら
國会のうちにも、
國会をなおこまかくして——
國会のほんとうの
仕事は立法でありますけれども、立法をやる上において、やはり
行政もやらなければならない。また
司法もやるのです。それはどういうことかと言いますと、たとえば
國会でいろいろ人を使う。人間を雇う。この人間を雇うか、雇わぬか、これは適当かどうかということは、やはり
國会で判断するのです。これ
はつまり内閣でそういうことをきめるわけでなくて、そうして
採用した人物を監督することもやはり
國会でやるのです。それはすなわち立法権の範囲内における
一つの
行政的の
行為だ。立法の範囲内でやる。それから
國会でも裁判をや
つておりましよう。たとえば議員の
資格が
爭いになる。すべて裁判というものは
爭いをさばく。そういうことから言えば、議員の
資格が
爭いに
なつたときでも、
裁判所でやるかといえば、議員の
資格に関する爭訟は、
國会各議院においてやるということにな
つております。これはすなわち
國会という立法権を行うところでも、
先ほど申し上げましたような、
行政もやれば
司法もやる。その
意味において、これは立法権を行使する上において立法権に附着しておる。
行政、
司法というものは、立法権を完全に運営するために必要にな
つて來るのです。だから立法権の範囲でも、それに附着して
行政もあり、附着した
司法というものもある。それから内閣、
政府の
方面におきましても、やはり立法がある。いろいろ政令なんか出したりいたしますから、むろん立法もします。
行政だから
行政だけやるのではない。立法もある範囲においてやります。それから裁判もやります。ただ
憲法では、
裁判所は最終審として裁判をやれるということを
言つておるだけで、
行政機関においてもやはり
行政権の範囲においてある
程度の裁判はや
つておるのであります。それから
裁判所の
方面においても、
司法ばかりではなくて、やはり
行政もやります。それが
先ほど申しました
司法行政に当る。それから
司法の範囲で立法をいたします。これはやはり規則制定権というものが
司法権を行使する上においては必要なわけであります。そのために
司法行政もやれば、
司法立法もやります。これは
司法権を完全に運営するがために当然必要にな
つて來る範囲のことはやる。そういうことから申しますると、
先ほど漠然と
行政であるから
裁判所に属しないというような御
意見の陳述がありましたが、それは詳しく事柄を見ないがために、漠然とした考えからそういうことが起きて來たのではないか。つぶさに考えると、私は理論の上からもそういうことに相なるものと思うのであります。
それからいろいろ申し上げたいことはたくさんありまするが、
資格試驗かどうかという問題がありますので、これは簡單に触れておきます。たとえば
法案にありまするのは、
司法專門家、
法律專門家としての学識があるか、
能力があるか
試驗をやるという。こんな
試驗は、決して
法律專門家なんという大仰な名前に該当するものではない。これは二年の
司法修習生を終えて、それから
弁護士となり
檢事となり
裁判官とな
つて十年の年期を入れなければ、
法律專門家なんて大きなりつぱな名前がつけられるとは、私は今までの経驗によりますればどうしても考えることはできない。少くとも
実務について十年を経た人ならば、それは
法律專門家といす名称を與えることは適当であるかもしらぬが、まで
修習生にもならぬ卵の選定のときに、卵の選定にパスしたから一躍して
法律專門家というようなものになるようなことは絶対にないと思う。それから
先ほど朝日新聞の
西島さんがおつしや
つたように、自分は
司法的の
職業に
はつかなか
つてが
試驗は受けた、こういうような非常な篤志家もあるのであります。しかしそういう篤志家のために
試驗をやるのではなくして、これはやはり
日本國家の
一つの研修所に入れる人として、と
つていいか惡いかということが
中心になる
試驗であります。私も
学生のころに高等文官
試驗というものを受けました。自分は役人になる考えは初めからなか
つたのでありましたが、そういう
制度があるから、とにかく
試驗を受けて、幸いにパスいたしましたが、しにかくそういう毛色のかわ
つた物好きな人間は世の中にいろいろおります。私もその一人でありますが、しかしそういうことのためにこの
試驗を
資格試驗にしなければならないということは、私は賛成できないと思う。社会的に見ましても、この
法律というものをあぶなく利用するということは非常な危險でありまして、正宗の名刀ではあるけれども、これを惡用するにおいては、社会のこうむる危險は非常に多い。
資格試驗に通りながら
採用をしないという人がうんとふえるということは、危險な社会情勢を私は來すと思うのでありますが、やはり
試驗にパスしたら大体
採用する。しかしその人が病氣ですぐ
修習生になれぬという場合には、前の
試驗はだめにな
つてしまうというような不人情な取扱いをしないで、一年間待
つてや
つて、病氣が治
つてからまたいらつしやいという取扱いをしていいのであります。
資格試驗と
採用試驗をわか
つて、
法律上の
資格に通りながら
採用されないという人間がふえて來たら、世の中は非常に危險な状態をかもす。私はそういうことは社会学的に見て非常に芳ばしくないことと思うのであります。
大体時間が來たそうでありますから、かいつまんで申しますと、結局この問題は
從來旧
憲法の時代には、
司法省では
司法省の
所管として
司法官試補制度、これは
檢事と
裁判官を養成する。それから
弁護士試補制度、この
弁護士試補制度はやはり
司法省の
所管に属して、
弁護士会で大分
司法の
修習をやりました。それは
弁護士会と
司法省と両方でや
つていたのであります。この
制度二つをひつくるめて、新
憲法のもとに
最高裁判所で
司法修習生をやるということにな
つたのであります。ちようど旧
憲法の時代には、
日本の貧弱なばらが
司法省の畑に植えられていたけれども、新
憲法のもとにおいては、もう少し優秀な苗のばらを
最高裁判所の畑に植えろということにな
つて、今植わ
つてこうや
つております。ところがこの問題はちようど
法務廳の案によりますと、ばらに竹の枝をからげて結びつけて、ばらばかりじやなくて、
一般の
法律專門家を養
つて、根つこだけおれの方へよこせ、木はそつちへや
つてもいいが、一番元の根つこの方はおれの方によこさなければならぬというようなことを言われているのではないか。たとえ話で申しますればそういうことにあたるのであります。つまり木に竹を継いで、根つこだけをおれの方へ持
つて來い。こういう御
意見ではないかと思うのでありまして、理論上も実際上も私は賛同できない。そうしてこれは私一個の
最高裁判所の
判事という
立場から申すのではなく、私は在野法曹時代から持
つていた
法務廳と
弁護士会というものがそれぞれ強力にな
つて、しかもそれがすそ野を形成して、
最高裁判所をその上に打立てるということが
日本の新しい
司法制度の姿として最もりつぱなものだという考えをただいま申し述べた次第であります。