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本間證人 それではその経過を詳細に申し上げます。私は本年一月の二十二日に
檢事正から、橋本
檢事が
木船敏沖君の涜職
事件の
捜査を命ぜられると同時に、その補佐を命ぜられたものであります。それから約一週間ほどの間に、極祕の間に橋本
檢事と一緒に内定しました。その結果
木船君が若林和夫という地代家賃統制令
違反の
被疑者と木下三雄と二人から、一万五千円ほどの收賄並びに恐喝をしておる事実が
はつきりして参りました。それで諸般の準備を終えて、
木船君を檢挙したのは二月一日であります。二月一日檢挙と同時に、まずも
つて地代家賃統制令
違反の容疑者である若林と、それからその店子である木下三雄に対する恐喝と、それから若林から收賄した事実を
調べましたところ、
木船君はすなおにこれを認めまして、そうしてみずから進んで数件の
事件を自供したものであります。かようなわけで、私としては最初考えてお
つたよりも
木船君は非常に良心的に、むしろ積極的に私たちの
捜査に協力するように、自分から進んで自分の
犯罪を率直に認め、そのころ
木船君は、こういうことをしておるのはぼくばかりじやないのだ。ほかにもたくさんおるが、私は自分がやられたからとい
つて、人のことは言いたくない。だがこの際自分が檢挙されたのを機会に、それらの者は反省して、この際自発的にやめていただきたい、こういうことを橋本
檢事に申されました。それで橋本
檢事は、この
事件の当初から
檢事正や次席
檢事に、この際断固粛正ということから、拡大発展せしめるようにという内命を受けてお
つたと聞いております。それで
木船に対して、ほかの容疑事実があるなら言
つてくれるようにと申しましたが、そのころまだ
木船君は進んで具体的な事実は言いませんでした。それで
木船君の
捜査は約十日間で完全に終りまして、いよいよ十一日に先ほど申し上げた若林、木下ほか数名の、全部で六名の
被疑者から合計六万五千三百円の收賄をしてお
つた事実で起訴することになりました。それで起訴と同時に、それまでは伊勢佐木町の
警察署の留置所に勾留して取調ベを進めてお
つたのですが、一應
木船君の
取調べが終ると同時に、大岡の拘置所の方に移管することに
なつたのです。その前日ごろから
木船君は、最初におわしてお
つた容疑事実のことについて、具体的なことを言い出すように
なつたようであります。言い落しましたが、
木船君が檢挙されて一日か二日過ぎてからですが、口では言いにくいから、紙と鉛筆とを貸してくれというので、橋本
檢事が紙と鉛筆を與えて、
木船君、自分の思うことを何でも書けと言
つて、書いたのがあの
木船手記であります。それで二月十日ごろ相当具体的な事実が出て來たので、私は橋本
檢事の命令を受けて、その日約八時間ほどの間、
木船君と二人でいろいろその
木船君がしたためてお
つた手記によ
つて、その事実の眞否を確かめて見ましたが、相当深刻な事実が伏在しておることが察知されて來たので、このことを橋本
檢事に
報告して、二月の十二日に
檢事正室で、市島
檢事正と林次席、橋本
檢事正と私の四人が派生した
事件についての打合せをすることに
なつたのであります。その当時の模樣を申し上げますと、そのとき
檢事正や次席は、職を賭しても断固
捜査をすると言明されました。引続き
木船に当
つて、知
つている限りの事実を言わして、それに基いて内定した上に、さらに派生
事件の
捜査を断行すると申されました。その席上で橋本
檢事は、
木船事件が一段落したのだから、この際主任
檢事をかえていただきたいと申されました。そこへ香取
経済部長檢事が入室して來ました。そのとき
檢事正は橋本
檢事に向
つて、引続き橋本君にや
つてもらいたいと再度言われました。橋本
檢事はこのとき香取
檢事に向
つて、主任を交替してくれませんかと申されました。そうしたら香取
檢事は、とんでもない、ぜひあなたがや
つてくださいと言
つておられました。こういうようなわけで、結局橋本
檢事がこの
捜査を続行することに
なつたのであります。そこで橋本
檢事は
檢事正に対して、この際一部
檢事の容疑事実も出て來ておるから、高檢から出張していただいて、その補助をして
捜査を進めたいという意見を申し上げましたが、
檢事正は、それにしても内偵の結果にしたいと申されました。この席で香取
檢事は、
木船が手記してお
つた中の容疑人物と、その事実を自分の手帳にメモしたのであります。そのとき林次席は、それはやめておけと言
つて注意されたのですが、急いで彼は書いてしましました、それで香取
檢事は、頭が痛い、せつかく收ま
つて動いているのだから、なるべく最小限度にとどめたいという意見を話されました。だが
檢事正や次席は、そのときは断固犠牲はやむを得ないから、橋本君の方で必要な
記録や帳簿は、ほかの者に氣取られないように、自分で探して渡すようにと命令されました、三月十一日、
木船が單独犯として起訴されるまで、部内は
——私は直接目撃したのではありませんが、
小澤君たちから聞くと、異樣な動きをしてお
つたと聞いております。それは橋本
檢事は、生活で困
つて犯した
木船を徹底的に
捜査するなどというのは、同情がなさ過ぎるというようなことを口々に言
つて、職組の大会などを開くというような空氣もあ
つたと聞いております。そうして橋本
檢事が主任している私たちの
捜査の制止を試みようとしているような空氣が見受けられたのですが、
木船が單独犯として起訴されたので、一應そうしたことを提唱してお
つた者たちは、靜ま
つたようなぐあいに
なつて、それから極祕裡に橋本
檢事と私は、
木船の手記を続けさしておりました。私が内命を受けて毎日刑務所に通
つて、そうして
木船に思うままの手記をつくらして、それによ
つてその事実の眞否を裏づけするために、
相手方に氣取られないように
捜査を続けて行きました結果、相当
はつきりしたものが出て來たのであります。ところがこの打合せのあ
つた十二日から三日ほど過ぎて、十五日ごろになると、
木船手記中の容疑人物である山森
事務官が橋本
檢事に向
つて、手記に書いておる容疑事実のことについて、あれは飲んだが、金を拂
つているとか言
つて、言い訳をし出しましたし、そのころ望月
事務官は、日本タイヤーの
事件は、戰友からもら
つたのだから、問題でないなどと吹聽し始めたので、橋本
檢事は
木船手記の
内容が容疑者側に漏れていることを
知つたので、香取
檢事に対して、容疑人物にわか
つているのではないかと詰問したところ、香取
檢事は非常に狼狽したということを聞いております。そして私たちのや
つておる
捜査の裏には、そうしたことによ
つて事件がつぶれて行くような氣配が見え出して來たのであります。そのうちに一度
木船が單独の
犯罪であるとい
つて靜ま
つた手記中の容疑人物たちは、また騒ぎ出したのであります。
木船は何かとんでもない手記を書いているらしいというようなことを言
つて、部内はにわかに動搖して來たのであります。それでその二月十八日ごろに
なつて、山森
事務官がまた橋本
檢事に対して、部内の
捜査を進めると、あなたのしりにも火がつきますよと言
つて、牽制したと聞いております。そのころから次席
檢事や
檢事正は、この
捜査の打切りを提唱し出したと聞いております。それで初期の断固
捜査するというこの部内粛正の
捜査が、にわかに消極的に
なつて來たのであります。だが橋本
檢事は、当初
檢事正が申された通り、拡大発展さして、この際とかくの
うわさある
横浜地檢の疑惑を一掃して行きたいという信念に基いて、あらゆる制約を受けながらこの
捜査を続けました。私は橋本
檢事の命令によ
つて事件索引簿、
事件簿、処分票、
警察署の犯摘、送致
記録等によ
つて檢討した結果、明治商会ほか七件の
事件処理が失当であるということが、ひとまずあげられるようになりました。だがこの間香取
檢事は、
檢事正からこれに関する
記録を橋本
檢事に提供するようにと言われてお
つたのですが、その
記録を渡してくれないので、突き進んだ
捜査ができなか
つたのであります。二月下旬ごろから部内の
職員の中に、この機会に不正分子を一掃して、明朗な檢察陣を確立しようというような空氣が強く
なつて來て、橋本
檢事を強力に支持して、徹底的に
捜査を進めようという田川
檢事、紺野
檢事、横山
檢事、岡村
檢事らが提唱して、数回有志
檢事の会同を開いたと聞いております。それでその結果、
檢事正や次席に進言したが、結局これはいれられず、いたずらに延びて行
つて、その間手記中の容疑
事務官たちは橋本
檢事の
捜査を挫折させるようなあらゆる工作を試みたように聞いております。橋本
檢事はこの間数回にわた
つて檢事正に、早くこの
捜査をやらしてもらいたいということを申し出ておりますが、その都度もう少し待
つているようにと言われて、延び延びに
なつたと聞いております。それで三月の一日には、
木船手記が橋本
檢事の手から
檢事正の手に渡されたのであります。それからその手記に基いて、だれかが容疑人物を
調べているというような話を聞きましたが、しかしそれがだれであるかはわかりませんでした。それで私たちの
捜査をして得た容疑点は、通謀のような形に
なつて容疑者側に漏れているので、どうにもならないような事態に
なつて來たのであります。それと同時に、橋本
檢事は発狂したというデマも飛んで、いよいよ混乱して参
つたのであります。一部は橋本
檢事や紺野
檢事たちが轉任するとか、あるいは
木船の匂留は不当匂留だなどと宣傳する者も出て來たので、そのまま放任すれば、結局この
捜査はうやむやに
なつてしまいそうに
なつたので、遂に
小澤事務官たちは高檢や最高檢に対して、この
捜査についての監督権の発動を求めるように
なつたのであります。以上上申書を出すまでの経過であります。