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木内政府委員 この問題は参議院の
法務委員会においても御
質問がありまして、私どもの方でもそれを
調査いたしまして、
報告の準備はできておるのでありまするが、
委員会が開けないために、いまだに
報告していないのであります。その
資料は手元にありまするから、今ここで御
報告いたしたいと思います。
この
事件は
昭和十八年五月十八日に判決が確定しておるのであります。
昭和十八年八月三十日に弁護人川島英晃氏より、福岡刑務所において執行してもらいたいということを、
東京地方檢察廳あてに上申書を出しております。同年九月二日に、東京控訴院檢事局から福岡
地方檢察廳へあてて、その執行の嘱託をしておるのであります。同年九月五日に田中から、自己経営の振興炭鉱整備のため、執行延期方の上申書が出ております。同年十月十五日まで、これに基いて刑の執行を猶予しております。同年十月十三日に至りまして、田中から伯父の長男が戰死したので、家事整理
手続のために、さらに一週間執行を延期してくれという上申書が出ております。それで同年十月十五日から一週間執行を延期しておる次第であります。同年十月十四日に刑事局長——当時の刑事局長は
ちよつと私は記憶しませんが、これは
先ほどの御
質問にもありまするから、あとで調べて御
報告いたしますが、十月十四日刑事局長から、福岡
地方裁判所の檢事正あてに電報をも
つて、田中から炭鉱事業経営上、執行延期方の陳情があ
つたが、
檢察廳の
意見は承知したいという電報が出ております。同年十月十九日に福岡檢事正から刑事局長あてに、炭鉱経営について田中の功績は大である、後任者あるまで執行停止も、増炭の必要上やむを得ないという返事が來ておるわけであります。同年十月二十二日に田中からの上申書として、福岡鉱山監督局長から、新鉱部隊長を命ぜられて増炭に從事中であるから、
昭和十九年三月三十一日まで執行を延期してもらいたい、こういう上申書が田中から出ております。右の事情によ
つて執行が延期されております。
昭和十八年十二月八日に福岡
地方裁判所檢事正から福岡鉱山監督局長にあてて、田中の炭鉱事業上の重要性について照会状を発しております。同年十二月二十八日に、福岡鉱山監督局長から福岡
地方裁判所檢事正あてに、田中は石炭増産上必要な人物だという回答が來ております。
昭和十九年三月二十八日に、さらに田中からの上申書で、新鉱の分割を受け、その開発に專念しているので、向う六箇月間執行を延期してもらいたいという上申書が出ております。この上申書によりまして、
昭和十九年九月三十日まで刑の執行を延期しております。
昭和十九年九月三十日に田中がさらに上申書を出して、九月五日にさらに新鉱の開発を命ぜられたために、向う半年執行の延期をしてもらいたいという上申書が出ております。これによ
つて昭和二十年三月三十日まで刑の執行を延期しております。なおその間
昭和十九年十月十五日に、弁護人の川島英晃から、田中の上申書と同
趣旨の上申書が出ております。
昭和二十年四月四日に、福岡
地方檢察廳から田中に対して、四月十一日に出頭しろという呼出状が出ております。同年四月七日に、振興炭鉱会社からの返信で、田中は上京中で不在だという書面が來ております。その間
昭和二十年八月九日まで刑の執行を延期しております。なお
昭和二十年五月四日、福岡
地方檢察廳から九州の鉱山局長に対して、炭鉱経営上の田中の重要性について照会状を発しております。
昭和二十年五月四日に弁護人の川島氏が上申書を出して、
昭和二十年八月九日以後は、執行延期の申出をしないからという誓約書が出ております。二十年六月二十五日、田中からの上申書で、空襲のため妻子五名が死亡したため、二十年九月二十日まで執行を延期してもらいたいという上申書が出ております。二十年の八月二十日に、田中からさらに、今度は東京で刑の執行をしてもらいたいという上申書が出ております。それから
昭和二十年九月十五日に、福岡
地方裁判所檢事局から
東京地方裁判所檢事局に、田中の刑の執行を嘱託しております。
昭和二十年九月二十四日、
東京地方裁判所檢事局から逮捕状を出しまして、当時板橋管内に住んでお
つたというので、板橋警察署に対して執行を命じております。
昭和二十一年二月五日、この逮捕につき、
東京地方裁判所檢事局から板橋署あてに、執行状況の
報告を命じております。これはその間執行ができないので、いわゆる督促し、執行できない事情の
報告を求めたわけであります。二十一年二月九日、板橋警察署から
東京地方裁判所檢事局に対して、田中は九州の炭鉱の方に帰
つてお
つて、逮捕できないという回答が來ております。同年二月十四日に、
東京地方裁判所檢事局から福岡
地方裁判所檢事局に、さらに田中の刑の執行方の嘱託をしています。同年二月二十二日に、福岡
地方裁判所檢事局が田中に対しまして、二月二十八日に出頭しろという呼出状を出しております。二十一年の二月二十八日に田中の妻——前に死んだのは先妻でありまして、今度のは後妻ですが、田中の妻より、田中は動脈硬化症治療のため、東京都板橋区大谷口町千百二十二番地の居宅に出発して、不在であるからという返事が來ておるわけであります。そこで二十一年二月二十八日に福岡
地方裁判所檢事局は田川警察署——この福岡
地方裁判所檢事局管内の警察であります田川警察署に、田中の所在捜査指揮を出しておるわけであります。同年四月一日にその警察署から復命がありまして、これによると、田中は上京後帰宅しないという
報告にな
つております。同年四月六日に福岡
地方裁判所檢事局は、
東京地方裁判所檢事局に対して、さらに田中の執行の嘱託をしております。同年四月十八日に、
東京地方裁判所檢事局は板橋警察署に対し、さらに田中の逮捕状の執行を命じております。同年四月二十五日に、板橋警察署から
東京地方裁判所檢事局あてに、田中は長野、新潟方面に向
つたまま所在不明だ、こういう
報告が來ております。同年五月二十四日に、
東京地方裁判所檢事局から板橋警察署に対して、なお手を盡すために田中の所在捜査の指揮をしております。それから五月三十日付で、板橋警察署から復命がありました。これは六月三日に檢事局で受付けております。その復命によると、田中は新潟縣中頸城郡関山村、笹川金太郎方に療養中であるという復命であります。同年六月十四日に、
東京地方裁判所檢事局から高田区
裁判所檢事局に対しまして、田中の刑の執行を嘱託しております。それから七月三日高田区
裁判所檢事局が、田中に対して七月九日に出頭しろという呼出しをいたしております。同年七月九日田中の妻から、田中は七月二日東京へ行くとい
つて出発し、以後所在不明であるという返事がありました。同年七月十六日、高田区
裁判所檢事局は新井警察署——おそらくこの田中のおる場所の所轄警察だと思われるのでありますが、新井警察署に対し、さらに田中の所在捜査を指揮しております。七月二十三日に至
つて、新井警察署から復命があ
つて、田中はその附近に立まわらず、所在不明であるという復命にな
つております。それから七月三十日、高田区
裁判所檢事局から
東京地方裁判所檢事局に対しまして、執行嘱託書を返しております。同年八月一日田中の妻から、田中は北海道におるらしく、所在捜査中であるという手紙が参
つております。同年十月十二日、
東京地方裁判所檢事局は新井警察署に対し、さらに所在捜査の指揮をしており、同年十月二十五日にその復命がありまして、福岡縣田川郡採銅所村長先に、田中農場を経営中であるという復命が來ております。同年十月十四日は——日が少し遡りますが、
東京地方裁判所檢事局から板橋警察署に対し、さらに所在捜査指揮を出してお
つて同年十一月二日に板橋警察署から、田中は福岡縣田川郡勾金村字中津原、振興炭鉱に居住しておるという復命があ
つたのであります。
昭和二十二年一月十五日に
東京地方檢察廳——から後藤寺警察署——おそらくこの管轄の警察だと思いますが、後藤寺警察署に対し所在捜査を指揮しておるわけであります。同年一月二十九日に復命があ
つて、田中は板橋区大谷口町に居住するという復命が出ております。同年二月十五日、
東京地方檢察廳から田中に対し、二月二十八日出頭方の呼出しを出しております。
昭和二十二年二月二十六日田中の妻より、田中は二月十二日北海道小樽長橋町平尾方に出発、爾來帰京せずという手紙が來ておるわけであります。さらに同年八月七日、
東京地方檢察廳が田中に対し、八月十五日に出頭しろという呼出しを出しております。そうしますと、同年八月十四日に田中の妻から、田中の所在は不明であるという手紙が來ておるわけであります。同年十月六日、
東京地方檢察廳から板橋警察署に対し、逮捕状の執行を命じておるわけであります。同年十月十日に板橋警察署から
東京地方檢察廳に対し、田中は最近立ちまわ
つた形跡がなく、北海道または九州にあるもののことしという復命にな
つております。同年十一月六日、札幌
地方檢察廳から
東京地方檢察廳に対して、田中は北海道には居住せずという回答にな
つております。同年十一月二十三日、
東京地方檢察廳は福岡
地方檢察廳に対し、さらに田中の捜査嘱託をいたしております。同年十一月十日にその回答がありまして、田中は福岡縣嘉穗郡穗波村弁分の振興炭鉱内に居住す、こういう回答があ
つたのであります。それで同年十一月十九日、
東京地方檢察廳は福岡
地方檢察廳に対して、さらに田中の執行方の嘱託をしておるのであります。同年十二月十三日、福岡
地方檢察廳飯塚支部では田中の逮捕状を発しております。同年十二月二十六日、飯塚警察署から回答があ
つて、九州にいる見込みなるも所在判明せずということにな
つております。明けて
昭和二十三年一月六日、田中の長男から、田中は
昭和二十二年十二月二十一日から二十五日まで福岡市にいたが、その後上京、七月まで東京滯在の見込であるとの連絡があり、同年一月十二日、福岡
地方檢察廳飯塚支部では、
東京地方檢察廳に対し執行の嘱託書を返して來ております。同年一月十六日に、
東京地方檢察廳では板橋警察署に対し逮捕状の執行を命じております。同年三月八日板橋から、田中の所在は不明、妻の申立により、福岡縣田川郡勾金村字下高野に情婦と同居中であるという回答に接したわけであります。同年一月十六日、
東京地方檢察廳ではさらに福岡
地方檢察廳に対して、刑の執行の嘱託をしております。同年二月二日、福岡
地方檢察廳から
東京地方檢察廳に対し、田中は東京に居住しておらぬからとい
つて嘱託書を返して來ております。同年三月十二日、
東京地方檢察廳から福岡
地方檢察廳に対し、さらに刑の執行の嘱託をしております。同年四月七日、福岡
地方檢察廳田川支部から、これに基いて逮捕状が出ております。同年四月十六日、田川警察署より回答があ
つて、田中は三月十五日上京以來、四月十二日の電報によれば、盲腸炎のため大阪に下車入院しておる、こういう
趣旨の解答であります。同年四月二十日、福岡
地方檢察廳田川支部から
東京地方檢察廳に対し、管内に居住せず逮捕不能という理由で嘱託を返しております。同年五月十四日、
東京地方檢察廳は板橋警察署に対し、逮捕状の執行を命じております。同日
東京地方檢察廳から東京高等
檢察廳に対し、執行嘱託を返しております。これは逮捕できないために返したのであります。同年五月十五日、東京高等
檢察廳では刑事訴訟法五百四十六條第一号により執行停止決定、停止期間
昭和二十三年五月十五日から九月十四日まで、こういう期間を定めて執行停止決定をしております。これは五月十七日をも
つて時効完成ということになりましたので、中断の考えで四箇月間執行停止をしたわけでありますが、一体この執行停止が有効かどうかということの問題が残るわけであります。同年五月二十六日、東京高等
檢察廳では小樽警察署に対し、さらに捜査指揮をしているわけであります。同年六月十日小樽警察署から回答があ
つて、自分の管内には田中は居住していないということにな
つております。同年五月二十六日東京高等
檢察廳から福岡警察署に対し、田中の所在捜査指揮をしております。同年六月十四日回答がありまして、管内に居住せずということであります。これは日が
ちよつとさかのぼりますが、同年五月二十六日に東京高等
檢察廳では、別にまた田川警察署に対しても、所在捜査指揮をしておるわけであります。この田川警察署では六月八日に回答をよこしまして、福岡縣田川郡勾金村字下高野、田中フサ子方より六月二日ころ博多市振興鉱業博多出張所及び飯塚市二瀬町二瀬振興鉱業所に出張中であるという回答が來ております。これも日がさかのぼりますが、同年五月二十六日、東京高等
檢察廳では新井警察署に対し、同樣田中の所在捜査指揮をしておりますが、同年七月七日に新井警察署から管内に居住せずという回答が來ております。なお同年七月二十六日、東京高等
檢察廳では飯塚警察署に対し、同樣所在捜査の指揮をしております。同年六月十一日に飯塚警察署から回答がありまして、
昭和二十三年五月二十九日以降、福岡縣嘉穗郡穗波村辨分、振興炭鉱社宅内に居住中なりという回答がありました。同年八月四日、東京高等
檢察廳では、福岡
地方檢察廳飯塚支部に対し、逮捕及び刑の執行方を嘱託をいたしております。同年八月十六日、飯塚区
檢察廳から嘉穗地区警察署に対し、所在捜査の指揮をいたしております。同年八月二十五日、嘉穗地区警察署からの回答がありまして、これによりますと、
昭和二十三年八月二十日上京するとて出発、以來所在不明ということにな
つております。同年九月三日、福岡
地方檢察廳飯塚支部から東京高等
檢察廳に対し、執行嘱託を返しております。同年九月八日、板橋警察署から東京高等
檢察廳に対し、
昭和二十三年八月二十四日九州より上京、八月二十八日北海道に旅行、以來所在不明という書面が來ております。なお同日東京高等
檢察廳で逮捕状を出しております。同年九月十四日、これは警察だけではとても十分でないというので、警視廳捜査二課に対し東京高等
檢察廳から、さらに所在捜査を指揮したのでありますが、これに対し捜査二課からも、捜査するも所在不明であるという回答が來ております。同年九月十四日に、東京高等
檢察廳では、刑事訴訟法第五百四十六條七号により、逃走中の理由で執行停止決定をしており、停止期間
昭和二十三年九月十四日から、
昭和二十四年一月十三日までという決定をしておるのであります。かような
経過で、いわゆる逃走中の者に執行停止ができるかどうかという問題が残
つておるわけでありますが、結局この執行停止は効力がないという
見解で、時効完成ということにな
つたわけであります。私どもこの
経過を一切見まして、
檢察廳といたしましては、これが時効にかか
つたことについて、何ら手落ちはないと考えておる次第であります。