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藥師神委員 いずれ
農林大臣あるいは物價廳
長官が見えるそうで、あらためて
質疑したい点がありますが、さしむき食管
長官に二、三お尋ねしてみたいと思います。
問題は、この
災害地におけるところのかんしよの問題であります。われわれの
地元の方に
関係することで、はなはだ問題が小さいようにも
考えられるわけでありますけれ
ども、非常に困
つておることと、また一面から言えば、問題は全國的に考究さるべき問題だと思うわけだから、お尋ねするわけでありますが、
ちようど
デラ台風のために
災害を受けたのは、愛媛縣でも宇和島市と八幡浜市を中心とする西四部が一番
被害を受けたのであります。ことに
水産関係が一番に
被害を受けまして、これはおそらく
デラ台風で
災害を受けた縣の全部の
被害よりも、四郡の
被害が多か
つたと思うわけであります。犠牲者が二百四十幾名に達したのであります。それでこの一面から言えば、漁業復興のために応急
融資も大体三億円余りのものを出してもらうような
了解がついておるわけであります。ところがこの地帶はいわゆる段々畑でありまして――段々畑も全國的に、長崎縣な
ども相当ありまするし、その他各地に散在はするのでありますけれ
ども、こういうふうに四郡にまたが
つて、しかもそれがほとんど段々畑であるというようなところは、全國でも類例がないのであります。そういうわけであ
つて、この部分においては、平年作の場合でも
供出をやりまするというと、
あとの
食糧に非常に混乱を來しておるのであります。それは米が均等配給になるなれば、そういう問題は起きませんけれ
ども、そういう地帶に対しての米の配給というものは、まことにかすかな量であ
つて、
地元民はいも、麦をほとんど交互作にや
つておるのでありますけれ
ども、これを出す側に米を配給しろと言うのでありますけれ
ども、なかなかそういうわけに行かないのであ
つて、米の配給量というのはきわめて少いのだから、どうしてもかんしよとそれから裸麦の保有を大部分
食糧の中心としておるのであります。ことにこの南方地帶の郡には、水田というものはほとんど絶無と言
つてもいいのであります。それでこの段々畑が約七千
町歩以上に達しておるのであります。
それで私は、この間も
長官にもお会いしたときに申し上げたように、米の換算率をぜひこの際は引上げる必要があるということを力説したことがある。そういう地帶においては、
生産農村の保有量というものを確保せしむることが
一つである。一方においてはいもの配給辞退というものが今日相当起きておりますが、これは各種な原因もあるでありましよう。鮮度の点や何かにおいて非常に劣
つているし、一面においては米のやみ買いをしてもそれの方がおいしくもあるし、また得策だという
考えもありますが、相当量配給辞退が出ております。北海道なんか特にこの傾向が顕著に現われるのではないかと思うのであります。その
一つの原因は、米の換算率というものがきわめて低い点が大きに
考えさせられるわけであります。――われわれのところにおける昔からの経済通念というものは、ほしかんしよ一貫目と米一升を
一つの物交の換算率として長く認めてお
つたのであります。ほしかんしよ一貫目は、これは各地で違いますけれ
ども、われわれの縣におけるようなでん粉量の多い所であ
つても、ます生かんしよ三貫強であります。ほしかんしよ一貫目をつくるのに、
東北方面ではおそらく四貫目はいると思うのでありますが、約三貫であります。そのほしかんしよを一貫目と米一升というものが昔からの物交の経済通念とな
つて行
つたのは、今日生いもで米一升に一貫四百とか五百とかいうことは、たとえカロリーの点においては同じであ
つても、消費者の側からい
つて非常にきらうことであるし、
生産農家として保有量の点からい
つてもこれはたいへんな問題になるわけであります。しかも昨年の例をみますと、千葉縣のごときは三千五百万貫くらいの
供出割当を出したものが、六千万貫以上出たということを聞いているのでありますが、これは豊作とか凶作とかいう問題ではないのでありまして、手品師ではないのだから、結局
割当の基準というものが一面において誤
つていたことの証査であり、一方においては米作地帶でありますから、米を裸
供出して場も、大部分は米によ
つて食糧というものがまかなわれるということを、雄弁に物語
つておると私たちは思うわけであります。ところが私が今例にあげたような地帶というものは、米の收穫はほとんどないのであります。米の配給というものはわずかな量しか配給がないのであ
つて、どうしてもかんしよと麦を主食にしておるのでありますから、保有量というものを十分に持たせなくてはならぬのであります。米や麦なれば、今度の福島縣かどこかのように、三パーセント以上の超過
供出も出るようなところもありましようけれ
ども、これは二年も三年も、貯藏の仕方によりましては貯藏ができるのでありまして、われわれの縣においては、か
つて戰時中に三十八年間貯藏してお
つた眞赤に
なつたもみを
供出した例さえあるのであります。いも類はそういうような貯藏は絶対にできないのであります。その点において、私はもつと考慮を拂われる必要があるのではないかと思うわけであります。ところで今度の
デラ災害によりまして、ほとんど村内において
食糧を大量に買入れなくては、
食糧が満たし得ない村が三箇村あるわけであります。特にひどいのが二箇村でありまして、これはおそらく何分の一しかとれないでありましよう。こういう点に対しては、
割当の減額の
補正ということはもとよりであります。個々人から言えば、なお
食糧を確保して、超過
供出のできるものもたまにはあるかもしれませんけれ
ども、村全体を
考えた場合においては、おそらく大量のものを需給しなくては
食糧が確保できない
現状にあるのであります。こういう場合においては、どうしても隣接の町村とこの問題をかみ合せて解決づけることが一番よい
方法でありまして、これを一応
供出して、その上に配給價格によ
つてそのいもを十日分とか五日分とか配給するような
方法では、米の配給が少いから、この地帶の
食糧は確保できぬのであります。それと同時に、配給のいもなどでは貯藏に耐えぬことは御承知であろうと思うのであります。われわれの
方面でも、遅くとも十月の下旬ぐらいまでに掘らなくては越冬する貯藏には耐えないのであります。それで配給や何かに出して、一晩でも二晩でも野積みされたものは、貯藏には耐えぬのであります。ほとんどいもを常食と言
つてもいいと思うのであります。戰時中に大阪毎日が大阪
食糧科学研究所の技師を連れて、実地へ来て
調査をしました。その
報告というものが、戰時中に、
昭和十六年でありましたか、四日間にわた
つて新聞に発表されたのでありますが、ひえの村というのは東北のどこでありましたか、いもの村というのは私のおるところの宇和島市の中にあるが、ここでは学校の生徒を統計しておりますけれ
ども、四十幾家庭の子供を調べたのによりますと、朝は全部いもの飯、いもだけをかまの中で練
つて食
つているのが四十七、八家庭のうちにおいて四十家庭にのぼるのであります。晝はいもをむしてそれを食う。晩に麦飯を混ぜたものを食うというのが、これがほとんどの者がやり來
つておる慣例でありますが、こういう点において、今申し上げましたように、單に
減額補正ではなくして、そういう一村に対して、どうせ一万貫や二万貫の不足で済むのではないのでありまして、これを一縣
供出したものを三日分とか五日分とか配給するのでは間に合わぬのでありますから、少くとも來年の四月まで食うくらいのものを適期に貯藏させなくてはならぬのであります。村のうちで余剰ができる分はもとよりでありますが、隣接町村とこの問題をかみ合せて解決して、そうして新鮮なものを適期に、來年の四月くらいまでの間の
食糧を貯藏させておかなければならぬ。こういう大きな現実の問題に直面しておるのであります。それで私が出て來るときにも、この
対策委員会を開いて、縣段階において解決のつくことは、できるだけ縣において解決をつけるというので出て来たのでありますが、こういう場合において、中央ではどういうお
考えを持
つておられますか。これは縣の方で、何とか縣段階で操作すれば、こつちは知らぬ顔をしておればよいのが、中央でつくるといろいろな制約に縛られてやれないのか、あるいは特別に御配慮になるのかどうか、その点をひ
とつ切実な問題だから、お聞かせ願いたいと思います。