○藥師神委員 二、三お伺いしたいと思います。午前中からいろいろ質疑應答を承
つてお
つたわけでありますけれ
ども、競
馬そのものの主
目的がきわめてあいまいである。答弁の中には、
畜産獎励だと言うし、明るい
スポーツだと言い、大衆娯樂を大部分
意味しておるとこう言い、あるいは一面今日の控除率の高率な点から見ると、先ほ
ども質疑の中にありましたが、浮動購買力を吸収して
國庫收入の
財源に充てる、こういうふうに三つの見ようがあると思いますが、しかし今日行われておる
國営競馬を見ますと、控除率のきわめて高率だという点から見ますると、むしろ射倖心を基底として
國庫收入をはか
つておる、こう言
つても私は過言ではないと思うわけであります。私はこれは健全娯樂とは言い得ない。健全娯樂なればもつと控除率を低いものにしてやるべきものだ。入場料だけでやるべきものだけれ
ども、そこに
馬劵というものを置く以上は、しかも今言
つたように、三割五、六分ないし六、七分という高率なものをとる点から見れば、むしろこの三の点にあるのじやないか。今山村議員からも質問がありましたけれ
ども、
畜産獎励という点になりますと、これは実に縁遠いと私たちは見ておる。りくつをつければいくらもありますけれ
ども、ただここに問題になるのは、午前中から、何ゆえにこの
畜産獎励が
目的なれば、この
競馬からあが
つた收入を
畜産獎励の方にまわさないか、という
意見が相当あ
つたようであります。これは私は別の問題だと思うわけであります。
畜産獎励の必要があれば、これは別個に
予算を計上すべきものだと、かように
考えております。
畜産獎励だということも
一つのこじつけであるし、大衆娯樂だと見ることにおいても非常なこじつけがあるわけだ。これはだれかの質疑の中にもありましたが、むしろ私は
大藏省の所管として、
國庫收入を増強する、この一点にほとんど
努力が集中されておると思うわけであります。この点について私は御見解を承りたいと思うわけであります。なお私は、先ほ
ども答弁の中にありましたが、これが
軍馬を要する時分でありまするならば、非常に
競馬という問題が
畜産獎励という点に大分結びつきを感ずる点もありますが、
軍馬を要する点がなくなりまして、
役馬、
輓馬を主とする今日においては、たいへん違
つたものにな
つておると思うわけであります。むしろわれわれから言えば、今日
役馬にしろ、
輓馬にしろ、
競馬馬みたいな優秀なものよりも、むしろ低廉に農家に供給し得るような
方面に、もつと
努力が拂われなくてはならぬと思うわけであります。
なおついでにお伺いしておきたいことは、これは
競馬ではないのでありますけれ
ども、われわれの方には数百年來の歴史を持
つておる闘牛というものがあるのであります。闘牛とも申しまするし、また牛相撲とも言
つておるのであります。これはやはり古い歴史を持
つておりますが、これを昨年東京でやろうとしていたところが、二、三日前に中止を受けた。私はこまかい
事情は知らぬのでありますけれ
ども、阪神
方面の連合軍の了解を得て、昨年は西宮球場で興行をしておるわけです。それが東京へ來てやろうという二、三日前にとめられた。そのために、何百里の区間を牛を輸送して來たその輸送賃の損害というものは莫大に上りますから、G・H・Qの方へ交渉に行
つたらしい。ところが行
つてみるといろいろ牛を見せてくれとかいうことで、またその
事情もいろいろ聞いた上で、それは惡いことはない。惡いことはないが、しかし一應
農林省の方でとめたとしてみると、すぐに許すわけに行かないから、まあ六箇月ほど待て。そうすれば何とかなるであろうという話であ
つた。私はその人の名前は失念いたしておりますが、そういう話であ
つた。その後さつぱり要領を得ないかというのであります。この点は、聞くところによると、これはデマかもしれませんが、もしも
農林省の方でこんなことをやらしたならば、
関係方面からしかられるかもしれないというような取越苦労から禁止をした、こういうようなことを
関係者は言うておるのです。この点の眞相を私は承りたいと思います。なお地元からは数百年も傳統を持
つておりますから、この点については非常なる熱意を持
つて、これが解除を希望しております。私は地元の四國に帰
つたら、そこの進駐軍の司令官に会
つて、地元からこの問題を解決して行こうという
考えを持
つておりますが、しかしこれが眞に
関係筋の方から突然として禁止をして來たものか、あるいは
農林省の
畜産局がいろいろ氣がねをしてとめたのか。阪神球場ではりつぱにやらせた。新居浜でもやらせた。それで闘牛というものは、何百年という長い間や
つて來ておる。これは
競馬のごとくいわゆる劵は賣
つておりませんで、單に低廉なる入場料だけをと
つて、
農民の娯樂としてや
つております。これが愛媛縣の一角にいまだに残
つておるということ、そして伊予牛の
産地である伊予から阪神
方面にかけて、この闘牛が生れたということは、私は必然性を持
つておると思う。また土佐犬の
産地である土佐に闘犬の生まれたのも、これは必然性を持
つておると思う。
競馬ということは、一面から言えば都会人の娯樂と言いますか、都会人を対象にしたものでありますが、馬の駿足を競い合うということは、当然馬
産地において起
つたものだと思う。決してこれは不自然なことではない。それで今でも闘牛が残
つておる。
競馬というものは全國的に、今日はいろいろの
意味において草
競馬というようなものが、あるいは戰災復興のためにやられたりして、関心が多いのであります。闘牛は一面から言えば、残忍性があるとか何とかいうことを言う人もありますが、闘牛を見られた方はすぐわかるように、少しも残忍性はない。ボクシングなんかに比べれば、はるかになまやさしいものであります。また射倖心をあふると言われるけれ
ども、ただ入場料をとるだけである。残忍性ということも、ただ闘い合うことだけだから問題はない。別に弊害がないとすれば、これこそ健全なものである。今これは農村の一地方に局限されておるが、これは今言
つたように、全國有数の伊予牛の
産地の伊予から、阪神
方面にかけて
発達した経歴を持
つておるのです。だからこれこそ再開すべきである。これをとめた
理由を、この際はつきりわか
つておれば、私はどうしても調べてみようと思いますが、ぜひ明らかにしてもらいたいと思うのであります。
なお
結論として
競馬の問題についても申し上げますが、今
競馬の主
目的が、單に
國家收入をふやして、いろいろ射倖心を基礎として大衆の浮動購買力を吸收するところに重点が置かれておるように思いますが、そうすると、
農林省の所管に属するということが、はなはだ変態的なものになると思う。しかし
競馬からあが
つた金は
畜産部面へ持つ行こうということは、これは歳入の点より見て、
予算の編成上適当だと思います。しかし私はそういう議論は吐きませんが、これをもう少し
農林省がやるならば
農林省がやる、厚生省がやるならば厚生省がやるということにして、健全なる娯樂として
育成して行き、またもう少しその
方面の入場料を安くして、だれでも参加できるようにしてもらいたい。今のようにほとんど悲喜こもごも至るようなそういうやり方を、ただ
財政上のためにということだけで継続して行くべきものではないと思う。こういう点についても、はつきりした御
意見があれば承りたいと思う。おそらく今日においては、
畜産局でもはつきりした御
意見は出まいと思う。また
大藏省としても、はつきりした御
意見は出まいと思う。競
馬そのものの本質から、これは非常に遠ざか
つていると思う。もしわれわれの納得の行く御答弁ができれば、
お話を願いたいと思います。