○大森
委員 農村の
所得に対しましては、私はこういうことを
考えておるのです。どなたかからも発言があ
つたように、大体
農民が働く
賃金の方がおそらく
必要経費よりも多くなると思
つておりますが、
必要経費を引いたその
あとは
賃金と見て
源泉課税にしてしま
つたらどうかと思います。一反歩にはどのくらいの人夫賃がかかるか、これをまず
計算に入れて、一町歩耕せば何百何十人かかるかを見る。私の
地方などでは一町歩大体二百五十人かかる。でありますから、この二百五十人の
賃金を差引かなければ
所得というものは現われない。働いたのが全部
所得だと見るならば
源泉課税にいたすべきだ、こういう理論もなり立つのではないか。しかるに人夫賃を入れて
所得だとする。そうしてこれを何かから得た利益のごとく見て普通一般の
所得税を課すというがごときは誤りである。であるからこれはやはり普通の
労働者と同じく
源泉課税として人夫の頭数からとる。こういう
行き方でなければ公平な
農村に対する
税法は行われないと私は
考える。私
どもの
地方においての
所得を
計算してみますると、山田であるならば肥料は一反歩に大体十二貫目ぐらいのしめかすを使う。今四千四百円ぐらいしておるということになりますと、そこにすでに三千二百円の
肥料代を要する。そうして得る
ところの金は
いくらであるかというと、二石四斗とれたとしても、三千七百円で
計算すれば八千何百円である。それで二十五名の人夫をかけますとどうな
つて行くか。二百円としても五千円の人夫賃がかかる。こういうことになりまして、
計算すると八十円ぐらいしか残らぬ。しかるに一反歩に対する
所得の決定は、大体五千円あるいは六千円であるから、現在の
農村は
自分を食
つているのだということにな
つておりますので、今後の
農村経営に対して、あるいは食糧増産に、あるいはいろいろな問題に対して奨励いたしましても、現段階においては、
農村はもはや疲弊困憊いたしております。
農村の担税力に対しましては、よほど
考えられないと、将来の
農村の経営というものに対しても、相当に私は問題が起きると思う。なおさらに申し上げたいのは、そういうために荒廃地がたくさんできてしまう。なぜかというと、一反歩に対して
幾らということであります。とれてもとれなくてもということで、もうすでに嚴格なる意味において、あれは何町何反歩つく
つておるからという意味において、税官吏は
所得というものを課しております。そのためにこの田ではあるいは一石しかとれない。そういうものに二石以上の收穫を見積られるようなことがあ
つてはならないというので、これを荒廃地とするというような現在の
実情があるのであります。でありますから、私
ども農業に
関係いたしておりまするが、この点をもう少しとくと真劍に
考えていただきたい。そして
農民に課する
所得というものに対しては、何とか
方法を
考えなければいかぬ。それには私は
勤労に対する
所得としてかけることが一番いいのではないかというふうに
考えるのであります。現在のままで参りますると、非常に恐るべきものがある。こういうふうに思うのであります。私
どもの
地方におききましては、ただいま申し上げましたようなわけで、それよりもほかへ行
つて働いた方がいいというような現在の
実情が現われて参りました。
農村ではせつかく働いたものが
賃金に見られなくて、それが
所得にな
つてしまうということ、もう
一つは現在批判されておりまする問題の、
税務署の官吏であります。
税務署の官吏の今日の
態度というものは何であるか。
ちようど明治以前の、白洲へ呼び出して罪人を調べるような
態度である。そうして全部見込割である。こういうふうにいたしまして、私
どもの税務管内におきましては、二千円以下の者の中の滯納者が半分以上であります。これらはもうすでにその筋あたりに私も話しましたが、笑
つており、とにかくこの税務官吏からかえなければいけないのだ。そういうふうに大体批判いたしておる。それは何であるかというと、その質の惡くな
つたこと、また官僚というものがすべてを支配するというような現れであらうと思う。むりに押えるという今日の税のとり方である。こういうことを
考えるときに、私は
農村に対しましては、前に申し上げたように、これを人夫
賃金によ
つて、そうして
源泉課税的に徴收をするということがいいことではないかというふうに
考えるものですが、大体当局の
考え方はどうでございましようか、お伺いいたします。