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鈴木公述人 私は
國鉄労働組合の副
委員長をしておる
鈴木市藏であります。運輸省
設置法案ならびにそれに伴う諸問題について、
國鉄労働組合を代表して
意見を述べさせていただきます。
まず最初にこの二つの注文を出しておきたいと思います。第一は
各省設置法案の
審議にあたりまして、密接不可分的な関連法である定員が切り離されておるということ、從
つてこの法案の
審議が実質を伴わないものになるということについて、議員各位の御注意を喚起しておきたいと思う次第であります。おそらく
政府は今議会に提出を予想しておりますが、閉会間際の火事どろ式にこの定員法を可決して行くとい
つたようなことをやるおそれがありますので、これを十分注意したいただきたいと思います。
次の注文は、
各省設置法案に対しまして、
各省の労働組合の代表の
意見が述べられる機会が與えられなか
つたということを非常に遺憾に思うものであります。從
つて定員法の
審議の際は十分この点が取上げられるように、前も
つて議員各位のこの点に対する御協力を願いたいと注文をいたすわけであります。
さて運輸省
設置法案についてでありますが、この法案に対しましては、基本的な性格、次の四つの問題について私
どもの考えを述べてみたいと思います。
一つはこの法案は直訳的な固さと官僚のなわ張り根性の混合体であると思われます。その結果は官僚が官僚のためにする
行政いじりとな
つてしま
つて、実際にはむしろ民主化に逆行しております。何となれば、これは実際の
仕事面に携わる労働者並びにそれらの
組織の
意見を全然盛られておらないし、下部の実情とは著しくかけ離れて浮き上
つておるということにな
つておるのであります。
その二つの性格は、國会の
審議権を拘束しておるか、あるいは拘束しようとしておる。廣汎な権限を國会を通さずに、
行政の府に委任するということがやられておるのであります。これは形式的には民主的な
方法をも
つて行われておるのかのごとくよそお
つてはおりますが、実はここにこの法案の裏にひそむフアツシヨ的な芽があるといわなければならないと思います。これはか
つてのイタリアあるいは
日本の軍閥
時代におけるがごとく、歴史的な過程を振りかえ
つてみるとうなずけると思うのであります。
第三は、二十四年度のあの首切り予算をさらに形式化し、法制化するためにとられた処置であるということであります。從
つて國民生活に及ぼす
影響は、この法案の背後にある定員法とにらみ合したときに、まことに深刻かつ破壞的なものがあるといわなければなりません。
第四は、かくてこれは國鉄のこま切れ政策すなわち買收私鉄の拂下げ、賣却、外資導入に門戸を開く基礎的な一連の政策の現われであるということであります。これに官僚を関與せしめて、官吏全体をして独占資本に奉仕せしめるための地ならし工作であるところにねらいがあるといわなければなりません。
以下これらの性格を具体的な條文によ
つて申し上げるならば、御質問に出されておる四つの点は明確に答えが出るものと信ずるのであります。
さてこの法案の骨子とも見られる第二章、
本省、第一節、運輸
審議会の條項について申し上げます。これは新設されたものでありますが、この
審議会の存置及び構成、権限とい
つたものが、前に述べました四つの基本的な性格を最も代表しているという点にかか
つているからであります。
第五條には、公共の利益を確保するために、公平かつ合理的な決定をさせるため、運輸
審議会を常置するとあります。しかしながら私
どもは次に述べるような理由によ
つて、この
審議会の
設置には反対であり、この第一節全文削除を主張いたします。
理由、第一にこの
審議会は、
審議会として
責任を負うべき
機関が明示されておらぬ。任免は第九條、第十一條によ
つて総理大臣が両院の同意を得て行うこととな
つておりますが、
審議会が決定もしくは行使した権限についての
責任の所在は必ずしも明確ではありません。このように
審議会は立法と
行政の間に第三の壁をつく
つて、
責任の所在を不明ならしめているのであります。最近これらの
審議会と似通
つた何々
委員会とい
つたようなものが忽然として現われて來るのでありますが、きわめて奇怪しごくであるといわなければなりません。まことに直訳的な臭味紛々たるものがあ
つて、決して
日本的ではないと申さなければならないと思
つております。
第二に、この
審議会は大臣の
諮問機関であるのか、あるいは独自の決議
機関であるのか、明瞭でない。第六條には運輸大臣は左の事項について必要な措置をする場合には、運輸
審議会に諮り、その決定を尊重し云々とありますが、その決定を尊重するという字句が不明確であります。これは
審議会がもしきわめて有力
意見の代表者によ
つて構成されている場合には、この決定の尊重はある場合は無限に押し廣げられ、同條十二項目にわたる重大なる事項、この事項は
鉄道、船舶、自動車、小運送にわたる運輸事業の運賃拂下げ、賣却等を規定しているのでありまして、実に
國民生活に至大なる
影響を及ぼす事項でありますが、これらが立法の府に諮られることなく大臣を拘束するでありましよう。またこれに反して弱体もしくは著しく見解を異にするがごとき場合には、この決定の尊重という言葉は單なる解釈上の問題とな
つてしまうのでありましよう。かくのごとき不明確な
機関の常置は避けるべきが正しいと思うのであります。
第三にはこの
審議会委員の選考についても國会、
地方議会、政党の役員は禁止されていますが、しからばいかなる範囲からかくかくの適格者を選定すべきであるという具体的な條文はどこにもないのであります。その運営において行えばいいではないかというようなお説もあろうかと存じますが、実際的には民主化の現状からして、最も民主的な代表、すなわち國鉄利用者代表であるところの市民もしくは労働組合、農民組合とい
つたような代表等が民主的な
方法によ
つて任命されるということはあり得ないといわなければなりません。もしかりにそれが行われ得たといたしましても、形式的なもの
にしかすぎず、むしろ
審議会の性格に照してロボツト的な存在になり下るであろうと考えるのであります。
第四には独裁と祕密性があるということであります。運輸
審議会委員は七人であります。
委員三人以上をも
つて小
委員会を設け、この小
委員会の決定は
審議会の決定と同一の効力を持つと第十四條に規定しておるのでありますが、これでは結局三人
委員会とな
つて七人の
審議会も数的な根拠を失い、しかも常置
機関としての理由が抹消されてしまうのであります。第十五條における祕密の保持、第十六條における
公聽会の制限事項等、きわめて不明朗なものを感ずるのであります。
第五に、これは國会の
審議権といかなる関連にあるかが明白でない。
行政府と立法府との間に、このような第三の
機関が常置されることによ
つて、
行政の
責任が常に
國民の前に明らかでなければならぬのに、ぼやけて來ると思うのであります。すなわちある場合には
行政府の権限を無限に拡大することに利用し、
責任の所在についてはこの第三の
機関を持つということによ
つて、緩衝地帶をつくり、これによ
つてくらますというようなあいまいさが生じて來るに相違ないと思うのであります。よろしく両院の権威のために、かかるぬえ的な
機関は断固反対せられ、むしろ進んでこの際両院の運輸交通
委員会のごときものを十分に強化されて、政治的視野の上に立
つた行政監督の任を積極的な
活動とあわせて行うならば、かかる
機関は必要としないであろうと思うわけであります。また私
ども労働組合側といたしましても、この運輸
審議会にはいかなる働きかけも、雲の上の
機関であ
つて手が届きかねる始末でありますし、またそのような道も開かれてはいないのであります。しかしながら両院の
委員諸公には、はるかに氣安く、また
意見を答申できるのであ
つて、私
どもの立場としては國会の
審議権を尊重し、憲法に規定された運営をはか
つて行くのが正しいのであると思うのであります。以上の理由によ
つて、かかる審の
設置には反対であります。
また第四條に権限行使の條文があります。「但し、その権限の行使は、法律に從
つてなされなければならない。」とありますが、その範囲がきわめて不明確であります。むしろこれは
はつきりと何々は法律によれと明示した方がよろしいと思うのであります。何となれば同條五十三項目にわたる権限は必ずしも法律によらなくても十分なものもあるし、必ず法律できめなければならず、またきめてもらわなければならない大切な項目もあ
つて、すべてこれが混合しておるところに逃道があると考えるのであります。特にこの
設置法附則の六項におきまして、「この法律の規定は、物價統制令の規定になんらの
影響を及ぼすものではない。」というのがあるのでありますが、この項目は漠然と見ると本質がつかまれないのであります。御
承知のように、ただいま
鉄道運賃は國会の
審議を必要とするのでありますが、この物價統制令がなくな
つて参りますと、財政法第三條におけるところの國会における
鉄道運賃の
審議という権限が、自然に消滅することを
意味するのでありまして、こういう重大な事項が何ということなしに挿入されておるという事実につきましても、十分に議員諸公の注意を喚起したいと思うわけであります。
次に内部部局のところに移
つて参ります。第二十一條第三項「運輸省に、運輸省参與二十人以内を置き、省務に参與させる。」ということが書いてありますが、これは削除することが正しいと思います。今ごろ何のためにこのような参與が必要なのか、全然その理由の発見に苦しむものであります。考えられるところは
一つ、この参與の職制というのは明らかに古手官吏のうば捨山を
意味しておるといわなければなりません。
次に第二十七條第五号に
鉄道司法警察に関することを規定してありまして、
鉄道監督局はこれらをつかさどることにな
つておるのでありますが、これは今日
鉄道公安官と呼ばれておるものでありまして、大約人員は三千五百名内外でありますが、これについての予算化の問題であります。この
鉄道司法警察予算というのは明らかに一般会計の負担すべきものであるにもかかわらず、これを公共
企業体の大削減された人件費の中から生み出すとい
つた今度の予算の建前は、ま
つたく了解しかねるのであります。從
つて單に事務をつかさどるのみでなしに、その予算上の
責任も
鉄道監督局が持つべきであると思うのであります。また同條八号には、
地方鉄道に対する係員の職制、服務、資格、懲戒に干渉するがごとき條文があるのでありますが、この際これを削除して、
地方鉄道における自主的な運営にまかせるというのが正しいと考えるのであります。
次に第二十九條の附属
機関の項に入るのでありますが、
中央氣象台以下海員養成所に至る八つの附属
機関があるのでありますが、特に
中央氣象台につきましては、これが運営について今重大な危機に逢着しております。予算の大削減と予算される大量首切りによ
つて、実際の機能が眞に
中央氣象台としての役割を果し得るかどうかということであります。高等商船学校にいたしましても、名
目的な法制だけにとどめず、進んでその実際的な活用、それに伴う予算化の処置が大切であると考えられるのであります。特に氣象観測の費用の大縮減がもたらした危險を、逆に今度は海上保安廳の方に、警備救難部というものを新設することによ
つて償おうというようなことは、何という愚かな
行政整理案であるかといわなければならないと思うのであります。ま
つたく木に竹を継いででつち上げた天くだり的な
設置法の面目が、
はつきりとこういうところにも現われていると思うのであります。形の上ではどうであれ、結論的にはそのように仕組まれているということが、偶然ではなくここに現われているのであります。また三十條の四、五項には
中央氣象台の内部
組織は政令できめるということにな
つておりますが、この法案には法律できめる、政令できめる、省令できめるとい
つたぐあいに、そのきめる法的根拠が一貫しておりません。これは統一的な観念に立つ立法精神に矛盾している。從
つて一時的な便法のごまかしとしか考えられません。よろしく統一的な観点に立つべきでありまして、政令はやめて省令もしくは法律と
はつきり規定すべきでありましよう。
次に第四節、
地方支分部局に入りますが、第四十八條の港湾建設部のところに「それぞれ
次長二人を置く。」とあります。しかしながら二人の任務が分明でない、いたずらにポストのみ増設の観があります。この港湾建設部の実際の工事
計画及びその予算上の処置というものは、はたしてどのようなものであろう、われわれは、國有
鉄道における
地方施設部が半数近く今廃止の運命にさらされているのでありまして、これには私
ども大反対でありますが、同樣に港湾建設部も形の上にとどまるおそれがあるのでありまして、
次長二人を置くにふさわしいほどの
仕事と予算を盛られているかどうかということについて、嚴重にこの際注意を喚起しておきたいと思うのであります。また第四十九條には、この部の内部
組織は今度は省令できめるとありまして、先ほど申し上げた
中央氣象台の内部
組織は政令できめるとの関連が、かくのごとく統一を欠いているのであります。
次は第五十一條陸運局であります。これは各
地方鉄道局の管下にある陸運部が今度の案によ
つて局に昇格するのですが、一体これは何のために局に昇格するのか、またそのための
行政改革であるならば、むしろ人員の増加が必要であるが、一体そういう用意があるのかどうか、おそらくは單に
局長を九人もポストをふやす、それから部課長級のポストをつくるだけの役割に終るに相違ないと考えられるのであります。第五十二條を見ますと、そのように規定されているのでありますが、今まで部であ
つたものを局に昇格して上級官吏の拔け穴をつく
つて、これと引きかえに定員法で下部が首切られては、ま
つたくたま
つたものではないと思うのであります。官僚のつくる官僚式
行政整理のお手本というものはこういうものです。われわれは今まで通り
地方事務所でよろしいと考えます。
第五十三條によるところの四部の
設置、すなわち総務、
鉄道、自動車、整備等々、ま
つたくこれはどうにもならないのでありまして、上級官吏のポストのみちやんときめて、あとは省令で
といつて逃げてありますが、まことにも
つて役人根性の代表的なものだといわなければなりません。從
つて改正でも何でもない。現
機構よりも一層の拡大と煩瑣のみであります。
次に第三章、
外局の項に移りますが、第五十六條について見ますと、海上保安廳の
機構の拡大がなされておるのであります。しかしながら最近における警官の増大などとにらみ合せまして、これはやはり
日本武裝化とフアシズム的な一連の意図と相通ずるものがあることを看取できるのであります。そうして今日の國際的批判にかんがみまして、よろしく世界の民主的陣営の輿論に忠実であるべきであると思うのであります。さらにこれらの新設のために、地の切実なる部門が廃止または縮小されるということは、許さるべくもないと思うのであります。
次に第六十條に移るのでありますが、六十條には「運輸省に置かれる職員の定員は、別に法律で定める。」とあります。実はこの
設置法をいかに運営するか、すべてこれは人にかか
つて來る問題であります。この定員の
いかんこそが、その実際的な運営を左右するのであります。しかも聞くところによりますと、本國会に
政府は定員法なるものを提出するように言
つておりますが、その内容こそがまことに重大であ
つて、かかる
設置法のごときは、この定員法との重要性の比較においては問題にならないとさえ言い得るのであります。か
つて定員法との結びつきのない
設置法は、私は机上プランにすぎないと思うのであります。よろしく両者を一括
審議するか、しからざれば定員法には十分の民主的な討議の機会が與えられ、
各省の労組の代表の
発言、
公述がなされなければならないと思うのであります。
私は從
つて後段において、今考えられているところの定員法の問題、その内容をなす國有
鉄道の首切り問題について申し上げたいと思うのでありますが、第一段の結論としてこの
設置法について申し上げます。この法案は撤回し出直す必要があると思うのであります。そうして首切りをやらず、もつと民主的な運営がなし得られるような
設置法を、あらためて民主的な
方法によ
つて討議され、再度上程されんことを期待するものであります。これによ
つて第一段の結論を終らしていただきます。
次に今回の
設置法の裏にひそむところの首切りの問題について、國有
鉄道の立場から申し上げます。問題になる点は、定員法の基本的な問題と、第二には定員法そのものについてであります。
まず第一に定員法の基本的問題としての精神であります。
從來各省の定員は官制をも
つて定めてありましたが、今回は、運輸省の場合で見ますと、ただいま申し上げた第六十條に書かれておるように「職員の定員は、別に法律で定める。」とあります。しかしながら
日本國有
鉄道の職員の定員については、これは公共
企業体になるのでありますから、どこにもうた
つてないのであります。もちろんうたわなか
つたのは、一般
行政官廳と違
つたそうい
つた公共
企業体に、定員をきめるということはナンセンスにすぎないからだと思うのであります。元來國鉄が公共
企業体となりましたのは、
日本國有
鉄道法の提案理由にも明示されているように、マ畫簡に基きまして、國有
鉄道事業を公共
企業体の事業とするためであ
つたのであります。そこで國鉄の公共
企業体になりましたのは、
日本國有
鉄道法第一條で明示しております通り、能率的な運営によりこれを発展せしめ、も
つて公共の福祉を増進することが
目的であ
つたのであります。言いかえますと、國鉄の経営を直接の政治的支配と官僚主義から解放して、経営管理の科学的技術を取入れて、能率の向上、公共の福祉の増進をはか
つて、
國民経済の水準を高めようというわけであ
つたと思うのであります。ところが業務、財務、人事管理の自主性を與えないでおいて企業的な運営が一体できるであろうか。これらのことは明白な事実であります。私
たちは
從來かような見解のもとに、
日本國有
鉄道法では人員の定員化をしていなか
つたものであると理解してお
つたのであります。
次に國鉄の現在員は、あとで述べますように、業務量そのものによ
つて経営上の必要から雇用されたものである点を理解していただきたいと思います。從
つて日本國有
鉄道法第二十九條に降職及び免職の規定がありますが、定員法の人員制限によ
つて人員が
整理されることは不当であります。また公共
企業体労働
関係法では第八條で明らかこれらの問題は労働組合との
團体交渉によ
つてきめると明示されておるのであります。以上のように企業の本質から申しましても、また諸法令から見ましても、一方的に何ら納得し得るような理由もなく、定員法で企業の労働雇用量を縛るということは了解に苦しむものであります。
次に第二には定員の数についてであります。先ほど前の
公述人が申し上げましたが、実際問題といたしまして、官吏の数が今
國民の負担に耐えられないほど増大しておるとは絶対に考えられない。なぜかならば特にこの問題についてはよくアメリカが引合いに出されるのでありますが、御
承知のようにアメリカにおきましては、人口二十八人について一人の官吏であり、
日本は人口七人について一人の官吏であるというようなことが言われておりますが、アメリカの官吏と
日本の官吏とは構成が違うのでありまして、國有
鉄道であるとか專賣、通信とい
つたようなものは、アメリカでは官吏ではないのでありまして、そういうような連中を引きますと、実に
日本におきましては人口四十五人に一人の割合の官吏となるのでありまして、これらの点は決してアメリカの官吏より多いというがごときことはま
つたくのでたらめと言わねばならないのであります。まして國鉄におきましては、いわゆる業務量の増大ということを考えたこの定員をきめて行かなければ、どうにも実際の
仕事は成立
つて行かないのであります。現に
昭和十一年、つまり日支事変の始まる前の年でありますが、この年を百といたしますと、現在の事務量は貨物において百四十倍を輸送しておるのであります。また乘客においては実に三百五十六倍に上る量を輸送しておるのでありまして、これだけの大きな輸送量をまかなうための人員は、運輸当局においてさえも基礎定員五十八万ということを二十三年度において言
つておるのであります。それでも不足をしておりまして、現に八万人に上る超過勤務
手当を支給しておる。つまり五十八万プラス八万、六十六万の人員がなければ、國鉄の輸送は完遂できないということを二十三年度には言
つていたのであります。それにもかかわらず二十四年度においてかくのごとく多くの首切りをするということは、ま
つたく業務の実態を無視したものといわなければならないと思うのであります。
また現在の
鉄道における施設の荒廃の実情につきまして、逐一具体的な例をも
つて申し上げると非常に長くなりますので省略いたしますが、実は慄然たるものがあるのであります。これは北海道から南九州に至るまで一貫して、
鉄道の施設は今や
ほんとうに危機の寸前に立至
つておるのであります。特にこの付近において考えられる点は、有樂町のガード下におけるものすごい亀裂の
状態が、つい最近の交通新聞に
はつきり書かれておるのでありますが、もはや握りこぶしが入るような大きな亀裂があるにもかかわらず、これが放置されて何ら直されていない。それからたとえば上野と田端の区間における自働信号が非常に危險な
状態にあるにもかかわらず、これが放置されておる。こういう実例が付近にもたくさんあるのでありまして、全國におけるこれらの施設の荒廃の実情を見た場合におきましては、人員の
整理どころかますます人員を拡大して、もつと老朽しておる施設を一日も早く回復しなければならないということが考えられるのであります。
かような
状態からいたしまして、國鉄におきましては業務量から、あるいはまた施設の現状からいたしましても、人員
整理の余地はま
つたくないのであります。むしろわれわれは現場から積み上げて來たところの定員によりますと、かえ
つて現在の実働人員よりも一〇%以上増大しなければならないという下部の報告が上
つて來ておるのであります。しかしながらもし首切りによ
つて幾ばくかの赤字を埋めようというような
考え方に立
つておるならば、これはきわめてナンセンスであります。すなわちこの人員
整理によ
つて償われる赤字は、わずか五・七%にすぎず、金額にいたしましても六十億に滿たないのであります。もしこのような金額を生み出そうとするならば、何ら人員
整理をやることなく、國鉄における一切の財政の面を根本的に檢討し建直すことによ
つて、これくらいの金額は立ちどころに浮いて來るものと考えられるのであります。かような問題を少しも論議されず、また徹底的にえぐることもなくして、單に首切りによ
つてわずかばかりの赤字を補填しようということも、ま
つたく実情を無視した行き方であるといわなければならないと思うのであります。
私
たちはかような
意味におきまして、過般琴平で開会いたしました全國大会で決議した運動方針に從いまして、國鉄復興を主軸とする
日本産業の復興をするために、必要な國鉄防衞の運動を展開する準備を進めております。まるで企業や労働者を無視した説明のできない今回の予算や定員法の意図を強行されるならば、一体どういう結果になるか。御忠告を再三繰返しておく次第であります。私
たち國鉄労働者は、決して客観的な條件を無視した要求や
意見を出しておるとは考えておりません。今後ぜひ納得の行く政治をや
つていただくことを希望するために、以上反対
意見を申し上げて、私の
公述を終りたいと思います。