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吉田國務
大臣 これもこの間この
委員会であ
つたと思いますが、私の意見は十分
説明したつもりであるのであります。私の言う局外中立に対して疑問があるというのは、ベルギーの局外中立は御承知の
通りに條約によつて保障された局外中立であつて、その中立は戰爭が始まるとともにただちに侵された。侵したドイツの方も言い分があるかもしれませんが、侵されたことは事実であるから、條約の保障による局外中立というものは、はたして
日本の安全を期し得るやいなやということは問題である。ベルギーの先例によつて問題がある。こう申したのであります。中立全体がどのような動き方をするか、それは講和條約あるいは國際
関係によつて、どういう
事態が生ずるか、その
事態を見てでなければ、いいとか惡いとかいうことはいわゆる抽象論になりますからお答えができないのであります。
さて
將來どういうふうな
日本の
外交をやつて
行つたらよかろうか。これも一つは仮定を前提としての話になりますが、私の理想として考えることは、
從來第一次戰爭前後までは善隣
外交と言つてもいいのでありましよう。日支親善を基調として支那問題を中心として、
日本の
外交は動いてお
つたといつてよいと思います。それからその後満州事変以後に
なつては、やや言葉は惡いかもしれませんけれども、領土主義というか、領土獲得を理念としたような
外交が行われ——
外交が行われたというよりは、軍部に
外務省も引ずられて領土獲得主義に
なつた。惡く極端に言えばそうも解せらるると思う。
將來はどうか私は
日本はなるべくはいわゆる
通商外交で行きたいものだと思います。
日本の國から申しても、
日本の
経済独立あるいは自立から言つてみても、
通商がかんじんである。
從來といえども
日本の
経済は
貿易によつて立つてお
つたのでありますから、一層
通商貿易を主とした
外交で行くことが、よその國から
日本の野心とか、あるいは領土的野心というようなものを疑われずして、
通商なればどの國とも円満に行く。それを政治的に考え、もしくは領土獲得というような色がつく。そこで世界から
日本がいろいろな眼鏡をもつて見られる。ここに
外交の破滅が生じたのであると思います。イギリスのごときは、御承知の
通り長く
通商外交をやつておつて、
通商貿易を主とした
外交をや
つた結果、自然に航路の安全とか、その他の必要から領土をとるというようなことに
なつたのでありますが、しかし主義は
通商であ
つたと思います。
日本もでき得べくんばそういうふうに
なつて行けば、列國からの誤解も解け、
日本の存在も政治的にも
経済的にも保障されることになると私は思う。そういうふうに、理念として——これもいわば机上の空論であるかもしれませんが、そう考えております。