○増田國務大臣 藤田さんに
お答え申し上げます。私と言いますか、
政府と、それから
政府部内の機構である
公安委員会、それから
公安委員会の事務總長である
本部長官、こういうような
関係についての法理的の御
質問というふうに解しまして、私どもの今
考えている点だけを
お答え申し上げます。私どもは、もちろん國の行政には二つ大きな分類があるというようなことを習
つているのでございまして、すなわち
警察行政と助長行政である。他の一切の行政は助長行政であり、それから
一般の行政が
警察行政である。昔、原始自由主義者アダム・スミスは、國の行政は
警察行政さえあればいいというようなことを言
つておりますが、われわれは自由放任主義者ではございません。助長行政の必要は最も痛感しております。最も力をいたしております。
ともかくも行政の重要部分は
警察行政が構成しております。そこで、憲法を読んでみますと、行政権は内閣に属する。それから他の條文には、内閣は行政権の行使には、連帶して國会に対し責任を負うということにな
つているのでございます。それから今度は行政につきましても、國会に対して直接責任を負わないものが同じ憲法に條章がございます。たとえば、会計檢査の場合は行政ではございますが、内閣が責任を負わないでよろしい、つまり國会に対して責任を負わないものがあるわけです。それからまた
地方自治という條章がございまして、
法律で國の固有の行政権を、
地方公共団体の行政事務として規定した場合は
地方行政になります。これは委任行政ではございません。固有事務でございます。いわゆる固有の自治行政につきましては、自治行政
当局者は國会に対して直接責任を負わないのでございます。いやしくも國の行政であれば一切國会に対して責任を負う、こういう
建前にな
つております。そこで
警察法を読んでみますと、
警察法規の中で、
警察行政の一部が
地方自治行政にまかされております。それは結局まかされた
範囲においては、つまり
法律で國の行政を
地方自治団体に固有事務としてやるということを規定してあるその
範囲においては、憲法の條章がございますから、
地方自治の
範囲においては、内閣は國会に責任を負わなくてもよろしい、こう思
つております。
その他國の保有してあると言いますか、委讓してない部分につきましては、やはり依然として國の行政であります、その國の
警察行政に関して上に内閣
総理大臣があり、その所轄のもとに、
國家公安委員会があり、その事務
当局として、あるいは
本部長官があり、それから管區
本部長官があり、あるいは府縣にはまたその事務を行うものとして
公安委員会があり、それから
警察隊長があり、地區
警察署長があり、あるいは駐在所の巡査がある。これは一連の國の
警察行政、つまり
地方自治行政にまかされない
範囲におきましては、國の行政でございます。そこで内閣
総理大臣は
國家公安委員会を所轄する。こういう
範囲において、われわれは國の行政を持
つておりますし、また國会にも無答責ではないのでございます。惡いことをした場合には、総辞職もせんければならぬでしよう。あるいは信任を問うために解散もする。つまり
國民が主権者でありますから、解散をするということは、結局その内閣の施政について
國民に信任を問うわけでございますから、そういうことをするわけでございます。
警察行政についても私は同断である、こう思
つております。
警察行政においてしくじ
つたならば、内閣は総辞職をする、あるいは解散をする、いずれかの方法をとらなければならぬ、こう思
つております。そこで
公安委員会というものは内閣から独立したものでは絶対ないのでございます。内閣の所轄というものは、やはり相当の意義を持
つておる。藤田さんなんかのよく
御存じの
通り、アメリカの憲法等におきましても、たとえばプレジデントはアドミニストレーシヨンをテイク・ケアーする。ただ
注意するとい
つたような
言葉しか書いてございませんが、それで万事物がよく動いております。テイク・ケアーする。これをよく読めばやはり、どういう字にも言えますが、おそらく日本語の訳としてはテイク・ケアーといううまい訳はないと思いますがそういうようなことで、やはりコンミツシヨン・システムで動いております。それで
公安委員会と、それを所轄する内閣
総理大臣との
関係は、どういうふうにな
つておるかと言いますと、われわれはこの相対
関係におけるチエツク・アンド・バランスでございます。やはりチーフとコンミツシヨンの
関係でございますから、上下の
関係でございますが、しかし
仕事の動きはチエツク・アンド・バランス・システムである。
相互抑制による均衡を得る制度である。均衡といいますか、公平といいますか、あるいは調和といいますか、そういう調和や均衡や公平を得るという、バランスを得るために、
相互にチエツクする作用であるというふうに見ております。これ以上に強く
解釈しておる
関係方面の向きもありますが、同じ
関係方面で一番何といいますか、ぼくらから
考えまして、コンモン・センスといいますか、あるいは寛大なといいますか、ほんとうの理解あるといいますか、そういう
解釈を
とつた線以上にわれわれは
考えておりません。そこで
相互抑制による均衡作用というものを得るために、
委員会制度が設けられておる。藤田さん
御存じの
通り新憲法制定以前におきまして、
委員会制度で行政をしたことはないわけであります。司法は
委員会制度
——というと少し語弊があるかもしれませんが、裁判官は大体
委員会制度でや
つております。行政につきましては、諮問
委員会以外に執行
委員会というものはなか
つたわけでございまして、今度行政をする
委員会ができたわけでございます。
そこでこの
委員会と、これを所轄する各大臣、あるいは本件のごときは
総理大臣でございますが、これは
相互抑制による均衡を得る制度
——どうもいい訳がございませんが、そんなふうに
考えております。
そこでわれわれは
警察行政あるいは人事行政を含む
警察行政について、
公安委員会に注文をつけます。あるいは要求もします。あるいは希望する
——希望や何かは
國民でもだれでもするわけですが、それ以上の深入りをした要求もすれば要望もする。その要求要望というものに対して、今度は
公安委員会はどういう態度をとるかというと、その要求や要望は一応受けて参りまして、そうして
内容を檢討して、妥当であ
つたならばこれを受け入れてもらう、不妥当であ
つたならば、これを拒否するこ
ともできると私は思
つております。それでなるべく
政府と
協力してほしい、というのは、
政府が
治安について最高責任者であり、國会に対して答弁責任を持
つておるのであり、
公安委員会は別に答弁責任はないのでございますから、そういうものが
政府と離れて、他の
委員会にしても強大なる権力を持つということは、デモクラシーから見てどうかと思うわけで、その点は
公安委員会においても何ら
誤解はないはずであります。そこで
警察行政、あるいは人事行政を含む
警察行政について注文をつけるという場合におきまして、その注文の
内容を檢討して、不妥当であれば拒否されても、これはしかたがないのです。それで現在の場合は、要するに
公安委員会におきまして、
國家警察本部長官の人事について、こちらより要求があ
つた。それでは一ぺん帰
つて檢討しましよう。檢討して、
政府の、あるいは内閣
総理大臣の要望が妥当でない、こういうふうに認めて拒否したというふうに
法律的の
解釈をしております。そういうことは、やはり今のところは成立ち得るわけであります。ただしかしながら所轄云々ということは、やはり責任を負う、
警察行政全般について、やはり行政というものは一切の行政を含むわけでございますから、
警察行政の中になるべく
協力してや
つてほしいというようなことは、これは
常識的に言えることでございますが、
法律的には今のような
解釈を私どもはと
つております。きわめてあたりまえといいますか、広いといいますか、
常識という見地に立
つた解釈以外はと
つていないのでございます。從いまして
公安委員会が拒否するというこ
ともあり得るわけでございます。